Twitter創作企画「薄明のカンテ」のまとめ。世界観の説明に始まり、小説・イラスト・漫画・音楽その他、創作企画で生まれた作品を掲載する場所。

嵐を呼ぶ女／べにざくろ編集する

最終更新： g_a3b2c3o12 g_a3b2c3o12 2021年05月30日(日) 23:48:28履歴

【 関連作 】
【 目次 】



嵐の前も決して静かでは無い

　アルヴィ・マルムフェは弱い男である。
　争いを好まない優しい性格が仇となり他人に対して強く意見を言うことが出来ず常にオドオドとしている男である。
「 ――それで？ 愚行の理由は？ 」
　その彼がカヌル山に冬に吹き荒ぶ風のような冷たく凍りそうな目でウルリッカを見つめていた。見つめられていたのが被虐性欲者マゾヒストならば歓喜の目に涙を浮かべて平伏すだろうが、あいにくウルリッカにそのような性的嗜好はない。
（ お兄ちゃん、本当に怒ってる ）
　怒りの原因はウルリッカがヴォイドの胸を揉みしだいていたこと。
　他人の前では軽く怒っているくらいの雰囲気を出していたくせに、その後にアルヴィの部屋に連れてこられてウルリッカはお説教タイムの真っ最中である。しかも結構本気で怒っている。どうやらアルヴィの怒りの分水嶺をウルリッカは見誤ってしまったようだった。
「 ……だってヴォイドの胸がカヌル山だったから 」
「 ウルリッカ 」
　普段呼ばれる愛称ではなく、しっかりと名前を呼ばれて思わず肩が跳ねる。
　女性の胸の大きさを山の名前で喩えることは山の多いカンテ国では珍しくないことだが、アルヴィがそれを嫌っていたことをウルリッカは忘れていた。いつもならば笑って流してくれるアルヴィが笑って流してくれない。つまり、それはそれだけ怒っているという証拠で。
「 ごめんなさい 」
「 それは何に対する謝罪かな？ 」
「 胸トカップを山に喩えたこと、です 」
　あまりにもアルヴィが怖くて普段はユウヤミにしか使っていない「 です、ます 」調が思わず口から出てくる。助かったことにウルリッカが正しい謝罪を行えたことでアルヴィの目線が少し和らいだ。
「 理解できるなら良いよ。次からは僕の前では使わないでね 」
「 はい 」
「 それで？ 愚行の理由は？ 」
　アルヴィの言葉が最初に戻った。
　今度は胸のことをカヌル山と言わないように気をつけながらウルリッカは口を開く。
「 ヴォイドの胸、大きくて羨ましかったから…… 」
「 だからって人の胸をあんなに揉みしだいてはダメだろう？ 」
　ぐうの音も出ないド正論である。
　しかし、人間は自分に無いものを求めたくなる生き物だ。
「 だって山神様が私にアレをくれなかった 」
「 でも立派な狩りの目を君にくれたじゃないか 」
　狩りの目――視力が良いことを言われて押し黙った。
　視力と巨乳を天秤にかければ大事なのは比重が傾くのは勿論、視力に決まっているけれど、でもそれでも、ふにふにふにふにしたらもにもにもにもにして、たぷたぷするとふんよふんよする胸は羨ましいし欲しかった。だって、ふにふにふにふにしたらもにもにもにもにして、たぷたぷするとふんよふんよするなんて最高じゃないか。
　大体、アルヴィは山神様から寵愛の証である炎のように真っ赤で綺麗な髪を貰っているくせにウルリッカを諭そうなんて酷いんじゃないだろうか。あ、何だかそう考えるとムカついてきた。
「 両方欲しかった 」
「 筋肉量を増やせば体脂肪率が落ちるから仕方ないって 」
「 でも、ヘレナの胸は大きい 」
　我儘を言い出すウルリッカの頭に浮かんでいるのは狩猟女子なのに見事な胸をお持ちなヘレナである。普段はスポーツブラでがっつり固めており分かりにくいが、前線駆除リンツ・ルノース班第四小隊のヘレナ・マシマは胸が大きい。同じ狩猟女子として仲の良いウルリッカはかつて彼女と川温泉に行って、その胸の大きさをこの目でしっかりと鑑賞したのだから間違いない。ヘレナの胸はたゆんたゆんのカヌル山だった。
「 マシマさん？ それなら、彼女と同じ猟銃を使ってエルドちゃんを使うのを止めれば筋肉量減らしても良いのかもね 」
　アルヴィはヘレナと直接の面識はなかったが、経理部に回ってくる領収書の弾薬から猟銃を特定してウルリッカに言い聞かせる。「 エルドちゃん 」はウルリッカの愛する身長の半分以上ある大きな銃であり、それを手放す事は考えられない彼女の顔色が悪くなった。
「 それは、嫌 」
「 両方は望めるものではないよ。それに人の物をあんな風に扱うのも失礼だから止めてね 」
　手でむにゅってすると手の中でもにゅってなって、ふにふにって動かすともにもにってなるアレをもう触ってはいけない？
　大きなショックを受けたウルリッカの顔色が悪くなる。
「 ただいまー……あら、空気悪いわね 」
　その時、空気を読まず部屋に帰ってきたのは機械マス班でメンテナンスをしてきたシリルだった。しかしながら空気を読むという機能を持ち合わせていない機械人形マス・サーキュは「 空気悪い 」と言いつつも気にすることも無く部屋に入ってくると、顔色の悪い同僚の顔を覗き込む。
「 ウルちゃん、何やらかしたの？ 」
「 別に 」
　シリルの問いに顔を背けるウルリッカの態度は明らかに「何かあります」といった感じで大変に分かりやすい。しかし何も話してくれなそうなウルリッカを追求することは早々に諦めたシリルは肩を竦めると、己の主人マキールへと明るく柔らかな黄赤色の目を向けた。視線を向けられたアルヴィは小さく息を吐いて口を開く。
「 ……ウルが医療ドレイル班のヴォイド・ホロウさんの胸を思いきり揉んでたんだ 」
「 まあ！ それは楽しそうね！ 」
「 楽しくないって！ しかも多くの男性がいる前でだよ!? 」
　アルヴィの言葉にシリルは眉を顰めるどころか目を輝かせた。
「 嫌だわ！ それは余計に楽しそうじゃない!! ちなみに誰がいたのかしら？ 」
「 えっと……隊長と狐さんとネビロスと何故か途中でいなくなったけどギャリー。あと、砂漠頭 」
「 君の所属する前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊のユウヤミ・リーシェルさんと人事部のロード・マーシュさん、それに医療ドレイル班のネビロス・ファウストさんと……ファンさんもいたんだね、 ベネットさんが探してたもんなぁ……経理部のギャリー・ファンさんに汚染駆除ズギサ・ルノース班のテオフィルス・メドラーさんだよ 」
　ウルリッカの言葉をアルヴィが補足する。補足によってその場に居た人物を把握したシリルは心底悲しそうな顔をした。
「 もうっ、そんな楽しいことするなら言って欲しかったわよ！ ヨダカがワタシと一緒にメンテナンス中だった時にやったのは英断だったと思うけど 」
　ユウヤミいるところにヨダカあり。
　もしも、そんなヨダカが現場にいたならば冷静にウルリッカを抑えていた可能性があったので、それをさせないタイミングでヴォイドのカヌル山揉みをやってのけたのは賢いことだとシリルは結論づけてウルリッカを誉める。
「 シリル、今はその件に関してウルちゃんへお説教中なんだけど…… 」
　有耶無耶になりそうな状況を打破しようとアルヴィがシリルに声をかけるが、完全にペースを崩されて怒りがどこかへ行ってしまった。そんな主人マキールを見つめたシリルは微笑む。
「 あら、そんなのどうでも良いじゃない 」
「 え、どうでも良く無いよ…… 」
「 だって楽しい方が大事だもの！ 」
　シリルはそういう楽観的な設定の機械人形マス・サーキュだ。完全に部屋の空気を支配して浮かれた様子でウルリッカに内容を事細かに聞きだす。
「 ところで、部屋にいたネビロスの反応はどうだったのかしら？ 」
「 ネビロス？ 」
　目をパチクリとさせてからウルリッカはネビロスの反応を思い出す。あの時は殆どの意識をヴォイドの立派なカヌル山に集中していたが、ネビロスの反応はどうだっただろうか。確か――。
「 口開けたままガッツリ見てた 」
「 ふーん……しっかり眺めてたのねぇ…… 」
　ウルリッカの言葉を聞いて発せられたシリルの声は低く怜悧な刃物のような冷たさがあった。シリルらしからぬ声に怒りをすっかり鎮めたアルヴィが問いかける。
「 シリル、どうした？ ファウストさんが胸を凝視していたら何か問題があるのか？ 」
「 問題大アリよ!! ２人共、絶対にそれはミアには言っちゃダメだからね!! 」

コーヒーの中の嵐

　しかし、世の中は上手くいかないのが常というもので。
「 ウルさんに胸を……？ 」
「 凄く驚いたし、何だか怖かった 」
　翌日には医療ドレイル班の部屋でヴォイドが先日の驚いた話として、それを既にミアへと話していた。無論、驚いたという話だけで男性陣というギャラリーがいたことは話していない。
「 わー、良いな。私もヴォイドさんの胸、大きくて素敵だから触ってみたいです 」
　素直なミアの目に見つめられたヴォイドは自分の身体を抱きしめて拒否するように首を横に振った。
「 今は駄目。怖い 」
　どうやらウルリッカに揉まれたことはヴォイドにとってショックが大きかったらしい。よくよく考えて見てみれば、今日のヴォイドの格好は彼女にしては珍しい厚着のような気がする。
　一体どんな揉み方をしたんだろう、ウルさん。
　横からちょっとだけ触らせて貰おうと思っていたミアは疑問を抱く。まさかウルリッカが乳ソムリエといっても過言ではない位にねっとりたっぷり揉んでいるとは予想もつかない。
「 もし大丈夫になったら触らせてくださいね 」
「 大丈夫になったらね…… 」
　硬い表情で呟くヴォイドにミアは「 ぜひ！ 」と笑いかける。そして視線をそっと別の場所で作業しているネビロスへと向けた。
（ ネビロスさんも大きい胸の方が好きかなぁ ）
　恋人としてはそこら辺も気になってしまうものであり、ミアは自分の胸とヴォイドの胸を見比べて溜息をつく。今から自分がヴォイドの年齢になるまでに胸があそこまで育つことはないだろう。
（ お花の神様も私にもっと加護をくれれば良かったのに ）
　花を司る女神といえばどの国の神話でも豊穣の女神でもあり、豊穣の女神というからには絵画に描かれる姿も胸の大きな姿が常だ。となれば、思わず恨みを込めて呟きたくなってしまう。
「 お花の神様……何で私にアレをくれなかったんだろう…… 」
「 それは止めて!! 」
　ヴォイドの悲鳴のような声が医療ドレイル班の部屋に響き渡った。

　*　*　*

　仕事の間の休憩に休憩所にやって来たミアは、そこにいる珍しい人物に目を瞬いた。ベンチに座って缶コーヒーを飲んでいたその人物はミアの顔を見ると笑みを向ける。
「 おー、ミアちゃん。休憩？ 」
「 テオさん、珍しいですね 」
　そこにいたのはテオフィルスだった。汚染駆除ズギサ・ルノース班の部屋から此処は遠いので普段の休憩で会うことはまず無く、珍しい人物との遭遇にミアは素直に驚く。
「 リハビリ来ねぇとうるせぇからな。ヴォイド、部屋にいるか？ 」
「 はい！ あ、でももう少ししたら休憩入っちゃうと思います！ 」
　ヴォイドに会いたいのだろうと思ったミアが気を利かせて言ってもテオフィルスは動かなかった。予想外のテオフィルスの行動にミアが頭に疑問符を浮かべて彼を見ると、テオフィルスは苦笑を浮かべた。
「 リハビリなんてだっせぇことやってんの、アイツに見られるの嫌なんだよ。アイツが休憩行った隙に行くからさ 」
「 別にリハビリは格好悪いことじゃないですよ？ アキ先生が言ってました。『 リハビリテーションは、なんらかの理由によって能力が低下した人が本来のあるべき状態になるために行なわれること 』だって 」
　正論を真っ向からぶつけてくる女の子にテオフィルスは笑って立ち上がった。医療ドレイル班の部屋に向かうのかと思えば、休憩所に備え付けてある自動販売機の前で立ち止まってミアを見る。
「 男には格好付けたい時もあるんだって。ミアちゃん、何飲む？ 」
「 あ、コーヒーで 」
「 砂糖とミルクは？ 」
「 いっぱい入っているものが……って自分で買います！ 」
　うっかり素直に答えてしまって気付いた時にはテオフィルスの手には砂糖もミルクもたっぷり入ったコーヒーの缶が握られていて、それをミアに差し出した。
「 そんな……悪いです 」
「 俺は甘いコーヒー飲めないし、コレはミアちゃんに飲んで欲しくて買ったモンだから受け取ってくれないと困るな 」
「 ……ありがとうございます 」
　そこまで言われてて貰わない訳にもいかず、ミアはありがたくコーヒー缶を受け取って座る。
「 ふー…… 」
　２人並んで座ってコーヒーを飲んで安堵の息を吐いた。
　さりげなくミアの胸に目線を向けてからテオフィルスはミアを呼ぶ。
「 そーいや、ミアちゃん 」
「 はい、何でしょう？ 」
「 昨日のヴォイドの話、聞いた？ 」
　「 昨日のヴォイドの話 」というのはウルリッカがヴォイドの胸をたっぷり堪能した話だろうか。それはウルリッカとヴォイドだけの話だと思っていたが、テオフィルスも現場にいたのか。
「 ウルさんの話ですよね。さっきヴォイドさん本人から聞きました 」
「 すげぇよな、ウルちゃん 」
「 私も触りたいって言ったら後でって言われちゃいました 」
「 さすが女の子……羨ま……いやいや、楽しそうな話してんな 」
　テオフィルスは口から零れ落ちそうになった本音をコーヒーと共に飲み込んで体裁を保つ。
　ヴォイドの胸、確かに誰でも触ってみたくなるものだよな。岸壁街で最初に会った時はあんな胸じゃなかったのに、医者として帰ってきた時にはあんなに立派に成長しやがって誰に育てて貰ったんだろうな、アイツ。
　自身の思考で昏い瞳になったテオフィルスは他のことに関する思考が疎かとなってしまっていた。だから、うっかり言ってしまった。
「 ……ネビロスもガン見してて意外だったなー 」
「 え!? 」
「 え？ 」
　目を真ん丸にして驚きを顕あらわにしたミアの顔でテオフィルスは己の失言に気付く。口を噤もうにも、もう遅い。
「 ネビロスさんも居たんですか!? しかも、じっくりしっかりヴォイドさんの立派なメロンみたいなふわふわと柔らかそうな胸を眺めてたんですか!? 」
「 お、おう……何か喩えが長ぇけど、確かにアイツも見てたぞ 」
「 そうなんだ……やっぱりネビロスさんも大きい胸が好きなんだ…… 」
　眉をへにゃりと下げてミアは呟く。その様子を見て泣き出すんじゃないか、と半ばパニックに陥ったテオフィルスは再び失言を吐いた。
「 俺は大きくする為に揉むの上手いから何かあったら相談に来いよ!? ロードの方が現役で上手いかもしんねぇけど！ 」
　思いきりロードに流れ弾を放つ。
　きっと今頃、人事部の部屋で彼はクシャミをしていることだろう。
「 ……分かりました 」
「 俺が言うことじゃねぇけど元気出せよ!? 」
　暗い顔で頷くミアにテオフィルスは焦るが、この状況を打破する言葉は何も思いつかない。しかしミアのテンションをこのままにしておいたら（ 誰にとは言わないが医療ドレイル班の灰色の髪の魔王か、カヌル山を持つテオフィルスの想い人のどちらかに ）殺されかねない。
「 ミアちゃん？ 」
　その時、ミアは呼ばれて休憩所の入口を見る。そこには黒い和服を身に纏ったセリカが驚いた顔で立っていて、彼女はミアが一緒にいる男性がテオフィルスと分かると露骨に顔を顰める。
「 ミアちゃん、駄目ですよぅ。その人と一緒に居たら危険ですぅ 」
「 え、セリカちゃん。俺がいるだけで危険扱い!? 」
「 砂色の髪の男にろくな人間はいないんですよぉ 」
　言いながらセリカはツカツカと２人に近寄ってくるとミアを守るように抱き締めてテオフィルスを睨ねめ付けた。尚、「 砂色の髪の男 」はセリカにとっては亡き夫と同じ髪色で中身も同じだと決め付けている節があった。確かにこの状況ではテオフィルスが悪いけれども、それにしてもセリカの目には明らかにそれ以上の怨恨の情が詰まっている。
「 それで何があったんですかぁ？ 」
　セリカの腕の中でミアはポツポツと一連の事件を話した。補足するようにテオフィルスが発言する度にセリカが彼を睨ねめ付けたが、それによって一応の内容を理解してテオフィルスに苛められていた訳では無いと理解したセリカはミアに笑いかける。
「 大丈夫ですよぅ。胸の大小で愛情は変わりませんから 」
「 本当ですか？ 」
「 そうですよぅ。ファウストさんはバストの質量がアンダーバストで決まる事も知らないでサイズを勘違いしたまま『 とりあえずCカップが好き 』と言わない人だと思いますよ？ 」
「 すげぇ私怨の篭った意見だな 」
「 ええ。そういう方が凄く身近に居たものでぇ……砂色の髪の 」
　ミアの頭を撫でてセリカは安心させるように微笑む。
「 ファウストさんとミアちゃんは年齢が１２離れているので、あの人と私と同じでとっても心配なんですけど、彼とファウストさんはきっと違います。ファウストさんを信じてあげるのも愛情ですよ？ 」
「 信じるのも愛情…… 」
　信じすぎるのも問題ですけどねぇ、という言葉をセリカは飲み込んだ。今はそれは言うべきではないし、もしも自分の目の届くところでミアがネビロス・ファウストを盲目的に信じて傷つくような事があれば、その時に守ってあげれば良い。
　ミアはセリカの言葉をゆっくりと咀嚼して缶に残っていたコーヒーと一緒に自分の中に落とし込んだ。
「 そうですよね！ 私がネビロスさんを信じなくちゃダメですよね！ きっとネビロスさんがヴォイドさんのたゆんたゆんでふわふわでぷるっぷるのカヌル山みたいな胸をガン見してたのは揺れるものを追っちゃう本能みたいなものですよね！ 」
「 あー、うん。そうだな 」
「 そうだと思いますよぅ…… 」
　ちょっと違うかもしれない。
　そう思ったテオフィルスとセリカだった。

花は嵐

　ミアの休憩時間が終わる頃、丁度ヴォイドが休憩時間に入るためミアとテオフィルスは連れ立って医療ドレイル班の部屋へと向かって歩いていた。２人を心配そうな目で見送ってくれたセリカは経理部に用があったらしく休憩所の前で別れている。
「 信じるのも愛情…… 」
「 大丈夫だって 」
　扉の前まで来て呟き出すミアの背中をテオフィルスが励ますように軽く叩いて先を促す。ミアは緊張した面持ちで扉を開いた。
「 マジか…… 」
　扉の先、最初に視界に入ったものは最悪の光景でテオフィルスは小さく呟いた。テオフィルスに見えているということは隣にいるミアにも見えているという訳で、テオフィルスが彼女に目線をやるとミアは唇を軽く噛んで目の前の光景を見つめていた。
　そこで繰り広げられていたのはネビロスとヴォイドとアペルピシアの３人が談笑している姿だった。ネビロスが座って作業をしていたところに２人が来たという状況らしく、ネビロスの視線の先は顔というより胸に見えなくもない。それが全くの冤罪であろうとも、ミアとテオフィルスは先程までの会話のせいでそうとしか見えなかった。
「 あー……まだ、ヴォイドいたんだな 」
「 そうですね 」
　とりあえず固まっていても仕方ないと呟いたテオフィルスの声に同意するミアの声は硬質的な響きを持っていて、いつもの元気な姿と比べると別人のようだった。
「 テオ？ 」
　その時、入り口で固まる不思議な組み合わせの２人にいち早く気付いたヴォイドがネビロスから入り口へと身体の向きを変える。

――たゆんっ

　そんな音がミアとテオフィルスの耳には聞こえたような気がした。
　勿論、音の出処はヴォイドの今日も麗しのカヌル山である。
　そしてミアは見逃さなかった。
　たゆんっとした瞬間、ネビロスの視線がそちらに動いたことを。それが再び冤罪であろうともミアの目にはそう見えたのだからそれが真実なのである。
　カルヌ山が、いや違う。ヴォイドが２人の元に近付いてきた。
「 よう、ヴォイド。アキヒロ先生いるか？ 」
「 リハビリやる気になったんだね 」
「 ま、まぁなー…… 」
　言いながらもテオフィルスは大変に気まずい思いをしていた。ヴォイドにリハビリに励む姿は見られたくなかったし、隣のミアは剣呑な空気を放っているしで二重の意味で気まずい。
「 休憩ありがとうございました！ 」
　そんなテオフィルスの心を知らないミアはヴォイドに頭を下げると足早に部屋へと入っていく。どうするのかと何気なくテオフィルスが窺っていると、ミアは平然とした顔で「 休憩ありがとうございました 」とネビロスとアペルピシアに伝えて奥へと消えていった。
「 あなた、あの子に何かしたの？ 」
　ミアが奥へと消えていくのを目で追っていたアペルピシアがそう言ってテオフィルスを見る。アペルピシアの言葉にヴォイドとネビロスのテオフィルスを見る視線が鋭利な刃物のようなものに変わったのを感じとって、手を横に振って身振り込みでそれを否定する。
「 何もしてねぇって。エルちゃん、それは誤解だって 」
　アペルピシアの目がテオフィルスの一挙一動も見逃さないとばかりに彼を見つめる。なんといってもアペルピシアは精神科医。些細なマイクロジェスチャーを見ただけでも、行動心理学に基づいて嘘をついていることも様子が違うことも見付けてしまう。
「 ……そうね。原因は別のようね 」
　そう言ってアペルピシアはテオフィルスから視線を外して再び奥へと目をやる。その瞬間、アペルピシアの目が自分から離れたのを良いことにテオフィルスはうっかり彼女の胸を目で追ってしまった。大きな揺れるものが動けば目で追ってしまうのは、やはり男の性さがなのだ。
「 テオ。何を見ているの 」
　ヴォイドがジトッとした半目でテオフィルスを睨む。そして更に文句を重ねようとして口を開きかけたが直ぐに口を閉じた。
　何故ならばテオフィルスの後ろには、笑みを浮かべているのにドス黒いオーラを纏うという器用な事をやってのけているスレイマン・アスランアペルピシアの彼氏が立っていたからである。
「 リハビリ？ おれがやるよ 」
「 いや、アキヒロ先生に頼むし…… 」
　マズい状況になったと思うテオフィルスを逃がさないとばかりにスレイマンが肩を組んで動きを封じる。こうなれば頼みの綱はヴォイドしかないと考えたテオフィルスが彼女へと目を向けると。
「 ……休憩行ってくる 」
　無情にも言い放つとヴォイドは行ってしまい、結局テオフィルスはスレイマンの少々手荒いリハビリを受ける羽目になるのであった。

　*　*　*

　終業時間。話し掛けて来ようとしたネビロスが口を開こうとする前に鞄を持ったミアはニコリと笑って先手必勝。
「 お疲れ様でした！ 」
　そう言って素早く部屋を出て行こうとしたミアを呼び止める声があって立ち止まって呼んだ人物を見る。
「 エル先生？ 」
「 少し良い？ 」
「 はい！ 」
　頷くとその場で話すのかと思ったがアペルピシアが部屋を出て行くのでミアもその後に続く。そして人の少ない廊下でアペルピシアは立ち止まってミアへと目を向けた。
「 一体何があったの？ 随分と不機嫌だったようだけど、そんな態度で患者に接するのは決して良いとは言えないわ 」
「 ……ごめんなさい 」
　自分としては隠していたつもりだったが日頃から感情が表に出やすいミアである。彼女が不機嫌であったことは誰の目から見ても明らかであった。
　そして素直に謝ったミアであるが「 何があったのか 」はアペルピシアに言うつもりはなかった。だってアペルピシアにはネビロスの目を惹き付けられる立派な立派なカヌル山があるのだから、精神科医とはいえミアの気持ちは分からないだろう。
「 明日にはちゃんと元気にやりますから 」
「 ……そう。それなら良いわ 」
　アペルピシアは無理に聞き出そうとはしなかった。無理に聞こうとすれば人は意固地になって余計に話さなくなる事をよく分かっていたからだ。それでもミアは聞かれたのに答えなかったことに罪悪感を抱く。
「 エル、ミア 」
　ミアが話そうとしないことで重い空気になりそうだったのを吹き飛ばしたのは、２人を追ってそれとなく離れた位置から様子を窺っていたスレイマンだった。
「 エルはミアを心配しているだけで責めてる訳じゃないからさ 」
「 大丈夫です。それは分かってます 」
　スレイマンの言葉にミアは頷く。
　普段は容姿通りのゆっくりのんびりした雰囲気で話すアペルピシアだが、医療に関することになると雰囲気が一変して口調がきつくなりがちだ。それはミアもこの半年の付き合いで分かっている。
「 だけど、理由は言えないので！ ごめんなさいお疲れ様でした！ 」
　急に口早に言ってミアは走り出した。
　何故ならば帰宅しているネビロスの姿を目敏く見つけたから。
　脱兎の如くミアが逃げ出した後、アペルピシアとスレイマンの元にネビロスがやってくる。そんなネビロスを医療ドレイル班の医師カップルは何とも言えない顔で見つめた。
「 ネビロス…… 」
「 一体、何をやったんだ？ 」
　主語のない言葉だったが２人が問いたい事の分かるネビロスは疲れた顔で言う。
「 そんなの私が聞きたいですよ 」

　*　*　*

　脱兎の如く逃げたミアだったが、女子高校生の平均的な体力しかない凡人のため早々に体力が尽きて廊下の壁に手をついて荒くなった息を整えていた。そして呼吸が少々落ち着いてきたところで、改めて目的の場所に向かって歩き出す。
　本日の向かう目的の場所は購買部だ。
　大人がイライラした時に買うものっていったらやっぱりお酒だよね。
　そう考えてヤケ酒をしようとする思考が既に子供っぽいのだが、ミアはそんな事に気付いていない。
「 ミア、買い物ですか？ 」
「 あ、クロエちゃん！ 」
　購買部で早速お酒を買おうとしていたミアはクロエに出会って顔を輝かせる。年上の多いマルフィ結社でクロエはミアの貴重な同級生だ。
「 クロエちゃんは夜、暇だったりする？ 」
「 何故ですか？ 」
　クロエは賢い子だった。「 暇？ 」の問いに対して何故それを聞いてきたのかを先に聞くことで、今後の自分の反応をどうするか瞬時に考えられる子だった。
「 私ね、部屋飲みでヤケ酒しようと思うの！ 一緒に呑もうよ！ 」
　ミアは馬鹿な子だった。本当にヤケ酒をしようとする人は胸を張って言わないし、そんな自慢気な顔はしない。
　そしてそんな同級生の馬鹿な子がヤケ酒なんて馬鹿な真似をするのを「 ああ、そうですか。では勝手にやって下さい 」と言える程、クロエは冷たい人間でもなかった。
「 ……牛乳も買いましょう 」
「 イコナ産特濃牛乳買うね！ 」
「 良い選択です 」
　そう言ってクロエの好きな牛乳と、牛乳で割って飲むコーヒーリキュールの瓶と適当に甘いお酒などを買い込むとミアとクロエは連れ立ってミアの部屋へと向かって行った。

嵐を呼ぶ女

「 えへへー 」
「 すっかり酔ってますね、ミア 」
「 酔ってないもん 」
「 そう言うのは酔っているというんです 」
　インスタントの海スープを啜りながらクロエは床のラグにスライムのようにぐでーんと伸びるミアを見ていた。ちなみにクロエはカルウアミルクを呑んでいるように見せかけて段々と牛乳の割合を増やして最終的には牛乳１００％にしていたので全く酔っていない。
「 クロエちゃーん 」
「 はい、何でしょう？ 」
「 ロードさん、格好良いよねー 」
「 あー、はいはいそうですね 」
　酔っ払い相手に何を言っても無駄と判断したクロエは返事は適当に流していた。
「 でもねー、男の人は皆おっきい胸が好きだからロードさんもきっとそうだよー 」
「 そうでしょうね 」
　ロードの重い片想い相手といえばヴォイド・ホロウで、ヴォイド・ホロウといえばたゆんたゆんの巨乳の持ち主な訳で。
　何故、急にミアは胸の大きさの話を持ち出してきたのだろう。
　酒のように海スープをグイッと飲み干したクロエは、そこでミアのヤケ酒の理由に気付く。
「 ネビロス氏がそう・・だったんですか？ 」
「 そう！ ネビロスさん、ヴォイドさんとエル先生の胸を目で追ってたの!! 」
　そう言ってミアは甘々なピーチサワー缶を一気飲みする。度数は低いとはいえ、この飲み方は危険だと判断したクロエは次の缶を探し出したミアにこっそりと買っておいたオレンジジュース缶を渡した。ミアはジュースと気付かずオレンジジュースを飲み始める。
「 それは勘違いではなくて？ 」
「 私もそう思いたかったけど…… 」
　酔っ払いながらもミアはポツポツと事情をクロエに語り出した。語れば語る程、クロエの眉間に皺が寄っていく。
「 ……それはネビロス氏と対話するべきです 」
「 でも…… 」
「 『 でも 』も『 だって 』もありません。はい、携帯型端末出してください 」
　ネビロスの電話番号を知らないクロエはミアに有無を言わさず携帯型端末を出させるとロックを解除させて彼女の手からひったくる。
　電話をしようかとも思ったが状況説明が面倒臭いと判断したクロエは、ぐでんぐでんのでろんでろんになったミアに端末を向けて写真を撮ると、ネビロスへと簡潔にメッセージを送った。
　そしてテキパキとした動きで部屋飲みのゴミを片付けていく。飲まなかった牛乳と飲みきっていない牛乳パックは買ってきたビニール袋に入れて持ち帰り用の準備をしている辺り、さすがクロエ。抜かりはない。

――ピンポーン

　男子寮から走ってきたにしても随分と早いのではないかというタイミングでインターフォンが鳴る。立ち上がろうとして立ち上がれないミアを手で制して、クロエは玄関のドアを開けた。
「 お早い到着ですね 」
「 ミアがご迷惑おかけしました 」
「 迷惑ではないです。お土産もいただきましたし 」
　そう言ってクロエは手にした牛乳パックの詰まったビニール袋をネビロスに見せると、彼の脇をスルリと抜けて外に出て行く。彼が来たなら長居は無用という合理的判断で帰宅するクロエを見送るのもそこそこにネビロスはミアの部屋へと入っていった。
　何度か訪れたことのあるミアの部屋に特段変化は見られなかったが、ふわふわのラグの上に丸まって寝ようとしているミアを見付けて眉を顰める。
「 ミア。此処で寝たらいけませんよ 」
「 嫌ですー。ここで寝るんですー 」
「 ほら、立って 」
「 立てませーん 」
　面倒臭い酔っ払いと化しているミアは言うことを聞く気がないようで、困ったネビロスは彼女の脇の下に手を差し入れてどうにかしてミアの身体を起こすことに成功する。そこでようやく相手がクロエからネビロスに変わっていることに気付いてミアは目を瞬いた。
「 ……ごめんなさい 」
　酔っ払って、が言葉の頭に付くのだろうと判断したネビロスが口を開こうとしたがそれよりミアが口を開く方が早かった。
「 ヴォイドさんやエル先生みたいな胸が無くてごめんなさい 」
「 ……はい？ 」
「 テオさんかロードさんに胸揉んで貰って大きくするから、ちょっと待っててください 」
　聞き流し難い言葉が次々とミアの口から発せられてネビロスは言葉を理解するために十分な時間を要した。特に後半。誰に何を揉んでもらうと言った？
「 今日、ずっと様子がおかしかった理由はそれですか？ 」
　理性で冷静さを装ってネビロスがミアに問い掛けるとミアは首を縦に振った。
「 だってネビロスさん、ヴォイドさんの立派なメロンみたいなふわふわと柔らかそうな胸をじっくりしっかり眺めてたって…… 」
「 そんなことを誰に聞いたんですか？ 」
「 テオさん 」
「 それは……後で彼とは語り合わないといけないですね 」
　ネビロスの声がワントーン下がったかのように冷たさを帯びる。しかし、それに気付いたミアが恐怖でビクリと肩を震わせたことに気付いて平常のトーンに声を戻して安心させるように彼女の頭を撫でた。
「 ミアに怒っている訳ではありませんよ 」
「 本当？ 」
　遂に酔いすぎてネビロスへの丁寧語がとれたミアにネビロスは思わず微笑む。
「 本当です。それよりミアに心配かけて申し訳なかったですね 」
「 申し訳ないって本当に思ってる？ 」
「 思ってますよ 」
　ネビロスの言葉にミアは酔っ払い特有の締まりのない笑みを浮かべた。
「 じゃあ、ぎゅーしてちゅーして 」
　両手を広げてねだるとネビロスはミアの言う通りにしてくれる。
　抱き締めると駄々っ子のように縋りついてくるミアに苦笑しつつも、その背中をポンポンと叩いた。
「 ミア。他の人に揉んでもらう、なんて恐ろしい事言わないで下さい。それにミアは私が彼女達を目で追ってたと言いますが、私が一番追っているのは貴女なんですよ 」
　ネビロスの言葉にミアから返ってきたのは規則正しい寝息だけで、ネビロスはその無防備に寝ている顔を見て苦笑する。
「 全く。仕方ない子ですね 」

　*　*　*

　朝。目覚ましに設定したアラームが鳴るより早くミアは目を覚ました。
「 あれ？ いつベッドに入ったっけ？ 」
　ヤケ酒をしようと思って購買部で出会ったクロエに付き合って貰い部屋飲みをしたはずだが、いつクロエは帰ったのだろう。昨夜の記憶を思い出そうとしているとキッチン部分のスペースから何やら人の動く音がする。もしかしてクロエに一晩付き合わせてしまったのだろうか。それは申し訳ないことをした。
「 クロエちゃん、ごめんね……って!! えっ!? あれっ!? 」
「 おはようございます、ミア 」
　キッチンスペースに居るクロエに声をかけるつもりで覗いたミアは目を丸くして分かりやすい位に動揺した。何故なら、そこにいたのはネビロスであったからだ。
「 二日酔いは無いですか？ 」
「 はい。別に気持ち悪いとか無いので…… 」
　ネビロスに水の入ったカップを渡されて、受け取りながら答えるもののミアには現在の状況が飲み込めなかった。頭上にはハテナマークを浮かべながら取り敢えず渡された水を飲むミアにネビロスは苦笑を浮かべる。
「 昨夜の事は覚えてますか？ 何故、此処に私が居るのか不思議で仕方ないという顔をしていますが 」
「 えっと……あ！ そうだ、クロエちゃんが端末使って連絡してくれたんです、よね？ 」
　言っているうちに徐々に昨夜の記憶が甦ってきてミアの顔は赤くなったり青くなったり忙しかった。そんな彼女の百面相を見ながらネビロスが口を開く。
「 本当にご心配をおかけしました 」
「 わ、分かってくれれば良いです 」
　少しだけ尊大な態度でネビロスを許してあげることにした。「 良かったです 」と呟くネビロスは今日も朝から格好良くて素敵だ。
「 ミアも一つ、約束してくれますか？ 」
「 約束？ 何をですか？ 」
「 無茶なお酒の飲み方はしないことです。ミアの身に何かあったら私は…… 」
　ネビロスの表情が曇る。そんな悲しそうな顔をしているネビロスを見るのは辛くて、ミアは尊大な態度をゴミ箱に投げ捨てて慌てて頷いた。
「 もう変なお酒の飲み方はしません！ 」
「 ええ。絶対に止めてください 」
　頷いたミアに満足したのかネビロスの表情が和らいだ。
　その時、ミアの携帯型端末がミアの本来の起きる時間を鳴らす音が部屋に響く。ミアは慌てて端末を取りに戻り目覚まし機能を止めた。
「 もうそんな時間ですか。ミア、私は部屋に戻りますが遅刻しないように準備してくださいね 」
「 はい。お騒がせしました 」
「 急性アルコール中毒にでもなったら医療ドレイル班として情けないことですよ？ 」
　最後に悪戯っぽく言うとネビロスは部屋を出て行く。
　ミアの部屋にネビロスの私物は無い。今度、部屋に泊まって貰った時の為には着替えとか必要だなーとぼんやりと考えてミアは自分の考えに顔を赤くした。
「 ……取り敢えずシャワーかな 」
　服は昨日の服のままだったためミアは浴室へと向かう。そして服を脱いだ自分の身体が鏡に写っているのを見て首を傾げた。
「 何だろ、これ 」
　何故かよく分からないが首のところと胸の下着の上のところに鬱血の痕がある。
「 嫌だな、虫かなぁ 」
　呟いて見るが全く痒くはないので虫刺されでは無いような気がする。
　もしかしたら自分で無意識のうちに引っ掻いたのだろうか。しかし、こんなに掻いた痕があるとしたら酔っ払っていたとしても痒かった事実を覚えている筈だろう。
　虫では無いとすると、もしかしたらどこかにぶつけて出来た痣なのかもしれない。どっちにしろ、これだけ身体に何らかの痕が残っているとは粗忽者も良いところだとミアは猛省する。

――医療ドレイル班として情けないことですよ？

　部屋を出て行くネビロスの最後の言葉が思い出された。謎の虫だか謎の打ち身だか知らないが原因が分からない傷を負ってしまったことはミアの中で『 医療ドレイル班として情けないこと 』だと思われて出勤の気が重くなる。
　後でフユちゃんに診て貰おう。
　優しい機械人形マス・サーキュ の顔を思い浮かべてミアはそう思った。

　*　*　*

　その後、出勤したミアがネビロスに「 私の部屋、変な虫がいたかも!! ネビロスさんは無事ですか!? 」と騒ぎ立て鬱血痕を見せたことで医療ドレイル班の他の面子にもそれが知られることとなった。
　そして、それが所謂キスマークであるとメンバーからそっと教えられたミアは顔を真っ赤にして叫ぶことになるのであった。

嵐の後の静けさ



　クローゼットの扉を開け放ったセリカは頬に手を当てて悩んでいた。
　中身は当然の事ながら自分の着替えばかりである。着物ハンガーにかかっている着物は全体的に黒地のものが多いが、他にも華やかな色や滅多に着なくなった洋服が並んでかかっている。
「 ……普段通りなら着物……でも、今回位は洋服でもぉ…… 」
　悩みの原因は、先日約束したギャリーとの夕食だった。
　いつも通りならば着物一択であるが、あえて洋服を着るのも良いかもしれない、とふとセリカは思い立ったのだ。

――んー……『 C 』……いや、もしかして『 B 』……？

　夕食を共にすることになった発端とも言えるギャリーの言葉がセリカの脳内で木霊して、セリカはぷくーっと大人気おとなげなく頬を膨らませる。あの件は真摯に謝罪してもらったので許したものの、セリカの中で妙に引っ掛かっていたのだ。
　クローゼットの下に入れてあるインナー収納の引き出しに手をかけて開ける。そこには身体の凹凸おうとつを消すための補正下着が入っているものの、そういう機能のない普通の下着も何枚かは存在していた。そして、そこに書かれたアルファベットはＡＢＣの何れでも無い。
　残念ながらギャリーが見惚れた医療ドレイル班のヴォイドの大きさには負けるけれど、セリカだって決して胸は小さくはない。普段は着物の為に小さく見える下着で上手く補正しているだけだ。
　だから折角の彼からのお誘いの食事なのだから、久しぶりに洋服を着てギャリーに自分のスタイルを「 どうですかぁ？ 」と見せ付けてやってもいいと考えたのだ。
「 私だって…… 」
　呟いてセリカは我に返る。
　別に自分とギャリーは男女の関係ではない。彼にどう思われたって良いのに、何だって自分はそんなことを気にしてしまっているのか。
　自分は旦那を亡くした身で、もはや恋に浮かれる若い娘にはなれないのだ。ギャリーだって、そういうつもりで自分を誘っている訳ではないだろう。ただ、ちょっと親しいだけの知り合いと仲直りしたから誘っただけ。きっとそうに決まっている。
「 ……少し柄の違う着物にしましょう 」
　結局、急に洋服を着たことでギャリーに理由を聞かれても困るだけなので普段より華やかな色と柄の着物にする事にした。
　あくまでもセリカは「 別に２人で出かける食事が楽しみだなんてそんな気持ちは微塵もありません 」とばかりの涼やかな顔をしなくてはならないのだから。
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