急拵え小隊とブリーニと／べにざくろ
最終更新：
g_a3b2c3o12 2022年04月26日(火) 22:45:50履歴
急拵え小隊と、 
鯉口を切る音が三つ、昼でも薄暗い森の静寂 に静かに響く。其れを下 に聞きながら、ウルリッカは静かに銃を構えた。
――登山道で目を赤く光らせた機械人形 を見た。
そんな通報がマルフィ結社に入ったのは数時間前のこと。このご時世に山登りに出掛けた登山客の震える声は冗談とは思えず、マルフィ結社は前線駆除 班を派遣することにした。しかし、本来ならば派遣されるべき待機小隊は別の案件に出払っており、やむなく結社及び部屋にいた休暇中のメンバーによる急拵えの小隊を結成することになった。
小隊長は第四小隊のロナ・サオトメ。
メンバーは彼を主人 とするアサギと、ロナと一緒に稽古場にいた第三小隊のセリカ・ミカナギ、そしてたまたま食堂にいた第六小隊のウルリッカ・マルムフェだ。
登山客の説明から双子山からテナ山へと向かう山道と見当をつけたウルリッカだったが予想は見事に的中していた。そこは双子山を登頂する人間が必ずと言って良い程一回は間違える山道としてある意味では有名だ。そんな山道をウルリッカは最近、とある事情で訪れていた為に地理に明るく、今回は囮役 を買って出ていた。日頃の戦闘は市街戦が多いため他の三人が山の中での戦いは不利だろうと考えた故の申し出だ。
しかし、本来のウルリッカの上司であるユウヤミ・リーシェルならば「宜しく頼んだよ」と軽く微笑みながら作戦を許してくれるのだが、ロナはウルリッカの申し出に渋い顔をした。
「隊員の身を危険に晒す事は小隊長として許可は出来ない」
「大丈夫。山はロナ達より私の方が慣れてる」
「そうだが……」
ウルリッカ自身はロナとさして交流がある訳ではない。しかし、どういうキッカケか知らないがウルリッカの兄のアルヴィとロナは親交があった。そこに機械 班のアン・ファ・シンを加えるとアルヴィ曰く「赤毛同盟」らしい。
その赤毛同盟で会話をしているのでロナはウルリッカが山で育った人間であることを知っている。それ故にウルリッカが「山に慣れている」ことは理解しており、彼女の言う事に一理あることも分かっている。それでも囮役としての木の上からの狙撃が身を隠す所もなく逃げ場がない危険を孕んでいるために、ロナは首を縦に振れないのだ。
優しい人だ、とウルリッカはロナを評価する。ウルリッカの猟友達であり第四小隊のヘレナ・マシマがロナを褒めるのも分かる気がした。しかしながら、この優しさが戦場で仇とならないことを願うばかりだ。
「私、山じゃ失敗しない。山神様が見ててくれるから」
此処は山神様であるカヌル山ではないが、双子山もテナ山も山であることは変わりない。そう熱烈に訴えたのだが、山の外の人間は「信仰」という意識が希薄な為にウルリッカの言葉はなかなかロナには届かなかった。
「サオトメさん。マルムフェさんを信じてあげましょう？」
其れを困ったような笑みで諌めたのはセリカだ。彼女自身はテロ前までは戦闘の素人であったが、今では軍人上がりのエレオノーラ・ブリノヴァ率いる第三小隊の軍隊式の戦術が身についている。それ故に目標遂行の為の考えは容赦がないと言えた。
「私達がマルムフェさんを守ればいいだけですよぅ。サオトメさんに……アサギさんもいるなら容易な事でしょう？」
「セリカの言う通りだ、ロナ」
セリカの言葉を後押しするようにアサギが頷いて口を開いたことで、ロナはようやく折れた。そして「くれぐれも無理はしない事」と念を押されてウルリッカは今こうして樹上の人間となっているのだ。
銃を構えたウルリッカの視線の先には機械人形がいた。人間がいないと判断しているのか機械人形であることを示す薄紅色の長い髪を風に遊ばせて、撃ってくれとばかりに山道の真ん中に立っている。女性型――それも少女のような年齢を設定されたと思しき幼めな顔は人によっては庇護欲をそそられる事だろう。
尤も、ウルリッカにとっては何の関係もない事だが。
銃声。数秒後には頭を撃ち抜かれた機械人形が崩れ落ちる。
一体葬ったところでウルリッカの表情は晴れることはなく、むしろ表情は一層気を引き締めたものへと変わった。
この銃声は、他の機械人形への宣戦布告の音になるはずだ。
次は何処から来る。
「前から二体。距離１００」
アサギが呟く声がインカム越しに聞こえた。彼は木々が生い茂る森の中であっても熱を探知しているため相手を感知することができるのだ。
それは相手の機械人形も同じことだろう。ロナとアサギが半歩、セリカより前に出る。
木々の隙間、辛うじて地面が見える部分を見つけたウルリッカはそこに愛銃の照準を合わせた。そこを機械人形が都合良く通りすがる事を願うしかない。
暫く銃を構えていたウルリッカだったが品悪く小さく舌打ちをする。アサギの感知した距離、機械人形の敏捷性から考えるとウルリッカが狙っていた地点はとうに過ぎてしまったからだ。
「来るぞ」
ロナが呟く。
剣士達は既に柄に手をかけており臨戦態勢だった。
下草の刈られていない獣道ですらない場所から機械人形がアサギの感知通り二体現れる。水色の髪をした女性型機械人形と、紫銀色の髪をした男性型機械人形の組み合わせはウルリッカに医療 班の機械人形達を思い起こさせた。
二体は丸腰だった。しかし万一、彼等に掴まれでもすれば人間なんて容易く壊されてしまうだろう。それでも何ら恐れた様子を見せずにロナとアサギが同時に動いた。
木々の生い茂る森で悪戯に上に振り被れば刀は木に当たる可能性もあり、彼等は折敷(左膝を地につけた体勢)から抜刀し、右手のみで一閃した。首の関節の間に吸い込まれるように刃が滑り、二体は瞬時に行動を停止する。
「お見事ですぅ」
セリカの感嘆の声がウルリッカの耳にも届くが、普段のセリカよりもどこか硬い声だった。二体斬った。それだけで終わりでないことを悟っている故の声だった。
再び銃声が響く。木々の奥で機械人形が一体、行動を停止した。
狙える場所に顔を出した機械人形がいたのが悪いとばかりに、顔をストックから離し手早くボルトアクションを行ったウルリッカは更に別の機械人形の頭も撃ち抜いた。しかし、それでも何処からともなく湧いて出てきたかのような機械人形が次々と現れる。
「街より多いな」
アサギが剣を振るいながら誰に言うでもなく呟いた声に、ウルリッカは心の中で頷きながら自分が片付けられる距離の機械人形を撃ち抜いていく。
それでも急拵えの小隊で相手をするには多過ぎる程の機械人形であった。
汚染された機械人形は人を襲わない時は山に潜んでいる。
そんな根も葉もない噂が本当なのではないか思わせる程の数がそこにはいたのだから。
そんな乱戦の中、セリカの戦い方が変わった。
彼女は最小限の傷を相手に負わせて動きを止めた隙に耳にある接続コネクタから汚染駆除のプログラムを流し込む戦いをしていたが、相手の数が多くそんな悠長な事はしていられないと判断したのだろう。もしかしたら使い捨てのメモリが足りなくなっただけなのかもしれないが、そこまではウルリッカでは判断できない。兎も角、彼女は剣だけでの戦いへと動きを変える。
ウルリッカは剣は分からない。それでも三者三様の振るい方があることだけは上から見ていて良く分かった。
スナイパーであるウルリッカを狙って向かってくる機械人形を迎え撃つ剣士達の腕は確かで安心出来た。第六小隊にもエドゥアルトとガートという人間と機械人形の剣士はいるけれども、彼等とは剣の流れも何もかもが違って見える。それはエドゥアルトやガートが用いるのが両刃の剣で、今一緒に戦っている仲間が片刃の剣という違いだけなのだろうか。
「ロナ」
「ああ」
その時アサギが何かを感知し、小さく頷いたロナが突出した動きを見せる。森の奥へと走るロナを機械人形達は追うことなく手薄になったセリカやアサギを狙って向かってくるが、危険な場面を作る事なく一人と一体は汚染された機械人形の活動を停止していった。
ウルリッカはロナの走った方向を見て目を見開く。
機械人形は基本的には武器を使わないが、警備等の荒事を担っていた機械人形は違う。ボウガンをウルリッカに向けたセキュリティ用だったと思しき機械人形がそこには居た。
ボウガンが放たれようとした瞬間、間に合ったロナが擦り上げ小手の要領で下から機械人形のボウガンを持つ手を軌道をずらすように跳ね上げた。勢いで矢は放たれるが、それはウルリッカの位置より遥か上の幹に深々と突き刺さる。アレが自分に刺さっていたなら刺さりどころが悪ければ命が無かっただろう。
「ロナ、ありがと」
ウルリッカがインカム越しに呟くとボウガンを持っていた機械人形を行動停止させたロナが振り返って少しだけ笑ったように見えた。とはいえ今は戦闘中。直ぐに表情を引き締めてロナは此方へと戻りながら別の機械人形へと向かっていく。其れを見て、再びウルリッカも銃を構え直した。
* * *
「以前、ルー君が『アサギさんと共闘出来たとか夢みたい』とはしゃいでいた事を思い出しましたぁ」
機械人形が片付いた頃、セリカが微笑んでアサギへと言葉を向けた。
「……ああ、あの時か」
一瞬、メモリの奥にしまい込んでいたのかアサギの反応は芳しくなかった。人間が思い出したようなタイミングで言うアサギにセリカは小さく噴き出すような笑みを見せる。
「以前、稽古場でお会いした時にも思いましたが、戦闘中でも第三小隊 と居た時とは別人……別の機械人形ようですねぇ。周囲を気にする事が出来るようになられて一緒に戦っても安心です。とても立派になられましたぁ」
人間ならばここまで褒められては赤面ものな発言であるがアサギは機械人形のため、赤面することはなく「そうか？」と首を傾げる動作をして機能停止した機械人形を黙々と一纏めに片付けるロナを見る。アサギの紅白の視線を受けたロナは肯定するように頷いて一言。
「市街戦で物を破壊するのは変わらないがな」
「うっ……」
その言葉に胸を痛めたのはアサギよりも樹上のウルリッカだった。隊長のユウヤミは何も言わないけれど、経理部である兄のアルヴィからはその件に関してはたびたびお小言を頂戴している羽目になっているからだ。
「セリカ。そういえば履いているブーツ、バルと同じものか？」
そんな樹上の事情なんて知らないアサギは今度は機械人形らしい記憶力を発揮してセリカの履いているブーツを指さした。
「お気付きになられました？ お姉様とお揃いのブーツが欲しくて誕生日だしと奮発して取り寄せてみたんですぅ」
「セリカ、今月誕生日なの？」
木から降りてきたウルリッカが問い掛ける。
「ええ。１３日なので今日をこのブーツの初陣にするか悩んだのですが、流石お姉様と同じ型なだけあって山道も楽々でしたぁ」
「其れは……早いですが、おめでとうございます」
「もう喜ぶ年齢 でも無いですが……ありがとうございますぅ」
真面目にセリカにお祝い言葉を向けるロナに、少しだけ照れたように微笑むセリカ。
「そっか。外の人間は誕生日をお祝いするんだっけ」
それを見てポツリと呟くウルリッカ。彼女の住んでいた集落 は山神信仰以外にも独特の文化が多く逆に『誕生日を祝う文化』は本来無かった。とはいえアルヴィがマルムフェ家には持ち込んだ為、マメな性格をしている次兄のイェレニアスからウルリッカの誕生日には「誕生日おめでとう、ウル」と電話があったり、長兄のアルヴィからは誕生日ケーキなるものを焼いて貰えて今年はなかなか有意義だったが。
「マルムフェさんは誕生日いつなんですかぁ？」
「今月の４日」
「あら、そうだったんですねぇ。御目出度う御座いますぅ」
「うん」
その後、セリカと同じようにロナから真面目に祝われてこそばゆい思いをする。真面目すぎて彼からの言葉は何だか照れ臭い気持ちになるのだ。
それから彼等は倒した機械人形を片付ける作業に入る。機能停止した機械人形を集めると其れは見ようによっては死体のようにしか見えない。この時ほど機械人形の髪色を人間とは違う淡い色に限定していることを有難く思うことは無いだろう。
「――後は奥の機械人形だな」
ロナの言った『奥の機械人形』は一番最初にウルリッカが狙撃した機械人形のことであった。今日はウルリッカにとって近距離での狙撃だったが歩いて取りに行くとなると距離があるように感じてしまう。
「私、行ってくる」
それでも撃ったのはウルリッカであるし、山道に慣れているのもまたウルリッカである。立候補するように軽く手を上げると小隊長 の返事も聞かずに走り出す。
「独りは危険だ」
しかしロナがそう言って走って付いてくる。ユウヤミだったら笑顔で「行っておいで」なのにわざわざ隊員の身を護る為に付いてくるとは随分と第四小隊は過保護なのだなと思いつつ、付いてきてくれるロナを無碍にするのも悪いのでウルリッカは彼に併せて走ることにした。
機械人形が転がったままであろう双子山からテナ山に繋がる道と、双子山の正規の登山ルートの分かれ道に来た時、ロナの足が止まった。
正規の登山ルートは獣道のような下草は無いものの荒れた山のままの道、テナ山に繋がる道は一見舗装されたように開けた道となっていて、普通に考えたら舗装されたように見える道を人は選んでしまうことだろう。
「成程。これは間違えやすいな」
「でしょ？ こないだシキもそうやって間違えたの」
間違えた挙句に二日程遭難していたので笑い事ではないのだが、ウルリッカは口の端に笑みを乗せて言う。そんなウルリッカにロナも目を細めた。
「調達 班の彼と仲が良いんだな」
「うん、仲良いよ。ご飯食べに行ったりするし……お兄ちゃんには内緒にしてね？」
「分かった。アルヴィに余計な心配をかけるのも可哀想だしな」
「宜しくね」
そう言って２人は改めて表情を引き締めると舗装されたように開けた道を進む。そして暫く進むと、ウルリッカが撃って地に倒れ伏した薄紅色の髪をした機械人形がそこにはあった。
機械人形は人間そっくりであっても機械であるが故に軽量化されているといっても人間より重い。一人でこれを背負ってセリカとアサギの元へと歩いていくのは大変だっただろうと気付いたウルリッカはロナが付いてきてくれて良かったと思う。
ロナが背負ってくれるというので言葉に甘える事にして、ウルリッカは彼が機械人形を背負うのを見つめていた。そのおかげで異変に気付く。
「ロナ！」
ロナにとって背後になる樹上から一体の機械人形が飛び降りながらロナへと襲いかかってきたのだ。ウルリッカはロナの名前を呼ぶが、機械人形を背負っているロナの動きは当然鈍い。
咄嗟的にウルリッカは腰の剣鉈 を引き抜くと、其れを襲いかかる機械人形へと投げた。さすがに空中で軌道を変えることは出来ない機械人形は為す術なく剣鉈を額に受けて倒れ伏す。
「……すまない、助かった」
剣鉈を回収するウルリッカへロナの声がかかる。
その声にウルリッカのポニーテールが左右に揺れた。
「ううん。あれは躱せるものじゃないし……さっき助けて貰ったから、これでおあいこね」
ウルリッカはそう言いながら頭の割れた機械人形を背負う。やはり重い。
「交代できなくなったな」
渋面を見せるウルリッカにロナが苦笑を浮かべていた。一体だったらお互いに疲労したら交代して背負うことができたが、二体になったらそれはできない。
「……大丈夫。頑張るから」
身体は小さいが筋肉はしっかり付いているウルリッカなので背負っていくことが出来ないわけではないが、急にずっと背負わなくてはならないと思うと何とも憂鬱だ。
機械人形の方が腹立たしいことにウルリッカよりも大きいので足を引き摺りながらウルリッカは進む。そんな彼女の姿に力尽きないことを祈りつつ、ロナもゆっくりと歩き出した。
――登山道で目を赤く光らせた
そんな通報がマルフィ結社に入ったのは数時間前のこと。このご時世に山登りに出掛けた登山客の震える声は冗談とは思えず、マルフィ結社は
小隊長は第四小隊のロナ・サオトメ。
メンバーは彼を
登山客の説明から双子山からテナ山へと向かう山道と見当をつけたウルリッカだったが予想は見事に的中していた。そこは双子山を登頂する人間が必ずと言って良い程一回は間違える山道としてある意味では有名だ。そんな山道をウルリッカは最近、とある事情で訪れていた為に地理に明るく、今回は
しかし、本来のウルリッカの上司であるユウヤミ・リーシェルならば「宜しく頼んだよ」と軽く微笑みながら作戦を許してくれるのだが、ロナはウルリッカの申し出に渋い顔をした。
「隊員の身を危険に晒す事は小隊長として許可は出来ない」
「大丈夫。山はロナ達より私の方が慣れてる」
「そうだが……」
ウルリッカ自身はロナとさして交流がある訳ではない。しかし、どういうキッカケか知らないがウルリッカの兄のアルヴィとロナは親交があった。そこに
その赤毛同盟で会話をしているのでロナはウルリッカが山で育った人間であることを知っている。それ故にウルリッカが「山に慣れている」ことは理解しており、彼女の言う事に一理あることも分かっている。それでも囮役としての木の上からの狙撃が身を隠す所もなく逃げ場がない危険を孕んでいるために、ロナは首を縦に振れないのだ。
優しい人だ、とウルリッカはロナを評価する。ウルリッカの猟友達であり第四小隊のヘレナ・マシマがロナを褒めるのも分かる気がした。しかしながら、この優しさが戦場で仇とならないことを願うばかりだ。
「私、山じゃ失敗しない。山神様が見ててくれるから」
此処は山神様であるカヌル山ではないが、双子山もテナ山も山であることは変わりない。そう熱烈に訴えたのだが、山の外の人間は「信仰」という意識が希薄な為にウルリッカの言葉はなかなかロナには届かなかった。
「サオトメさん。マルムフェさんを信じてあげましょう？」
其れを困ったような笑みで諌めたのはセリカだ。彼女自身はテロ前までは戦闘の素人であったが、今では軍人上がりのエレオノーラ・ブリノヴァ率いる第三小隊の軍隊式の戦術が身についている。それ故に目標遂行の為の考えは容赦がないと言えた。
「私達がマルムフェさんを守ればいいだけですよぅ。サオトメさんに……アサギさんもいるなら容易な事でしょう？」
「セリカの言う通りだ、ロナ」
セリカの言葉を後押しするようにアサギが頷いて口を開いたことで、ロナはようやく折れた。そして「くれぐれも無理はしない事」と念を押されてウルリッカは今こうして樹上の人間となっているのだ。
銃を構えたウルリッカの視線の先には機械人形がいた。人間がいないと判断しているのか機械人形であることを示す薄紅色の長い髪を風に遊ばせて、撃ってくれとばかりに山道の真ん中に立っている。女性型――それも少女のような年齢を設定されたと思しき幼めな顔は人によっては庇護欲をそそられる事だろう。
尤も、ウルリッカにとっては何の関係もない事だが。
銃声。数秒後には頭を撃ち抜かれた機械人形が崩れ落ちる。
一体葬ったところでウルリッカの表情は晴れることはなく、むしろ表情は一層気を引き締めたものへと変わった。
この銃声は、他の機械人形への宣戦布告の音になるはずだ。
次は何処から来る。
「前から二体。距離１００」
アサギが呟く声がインカム越しに聞こえた。彼は木々が生い茂る森の中であっても熱を探知しているため相手を感知することができるのだ。
それは相手の機械人形も同じことだろう。ロナとアサギが半歩、セリカより前に出る。
木々の隙間、辛うじて地面が見える部分を見つけたウルリッカはそこに愛銃の照準を合わせた。そこを機械人形が都合良く通りすがる事を願うしかない。
暫く銃を構えていたウルリッカだったが品悪く小さく舌打ちをする。アサギの感知した距離、機械人形の敏捷性から考えるとウルリッカが狙っていた地点はとうに過ぎてしまったからだ。
「来るぞ」
ロナが呟く。
剣士達は既に柄に手をかけており臨戦態勢だった。
下草の刈られていない獣道ですらない場所から機械人形がアサギの感知通り二体現れる。水色の髪をした女性型機械人形と、紫銀色の髪をした男性型機械人形の組み合わせはウルリッカに
二体は丸腰だった。しかし万一、彼等に掴まれでもすれば人間なんて容易く壊されてしまうだろう。それでも何ら恐れた様子を見せずにロナとアサギが同時に動いた。
木々の生い茂る森で悪戯に上に振り被れば刀は木に当たる可能性もあり、彼等は折敷(左膝を地につけた体勢)から抜刀し、右手のみで一閃した。首の関節の間に吸い込まれるように刃が滑り、二体は瞬時に行動を停止する。
「お見事ですぅ」
セリカの感嘆の声がウルリッカの耳にも届くが、普段のセリカよりもどこか硬い声だった。二体斬った。それだけで終わりでないことを悟っている故の声だった。
再び銃声が響く。木々の奥で機械人形が一体、行動を停止した。
狙える場所に顔を出した機械人形がいたのが悪いとばかりに、顔をストックから離し手早くボルトアクションを行ったウルリッカは更に別の機械人形の頭も撃ち抜いた。しかし、それでも何処からともなく湧いて出てきたかのような機械人形が次々と現れる。
「街より多いな」
アサギが剣を振るいながら誰に言うでもなく呟いた声に、ウルリッカは心の中で頷きながら自分が片付けられる距離の機械人形を撃ち抜いていく。
それでも急拵えの小隊で相手をするには多過ぎる程の機械人形であった。
汚染された機械人形は人を襲わない時は山に潜んでいる。
そんな根も葉もない噂が本当なのではないか思わせる程の数がそこにはいたのだから。
そんな乱戦の中、セリカの戦い方が変わった。
彼女は最小限の傷を相手に負わせて動きを止めた隙に耳にある接続コネクタから汚染駆除のプログラムを流し込む戦いをしていたが、相手の数が多くそんな悠長な事はしていられないと判断したのだろう。もしかしたら使い捨てのメモリが足りなくなっただけなのかもしれないが、そこまではウルリッカでは判断できない。兎も角、彼女は剣だけでの戦いへと動きを変える。
ウルリッカは剣は分からない。それでも三者三様の振るい方があることだけは上から見ていて良く分かった。
スナイパーであるウルリッカを狙って向かってくる機械人形を迎え撃つ剣士達の腕は確かで安心出来た。第六小隊にもエドゥアルトとガートという人間と機械人形の剣士はいるけれども、彼等とは剣の流れも何もかもが違って見える。それはエドゥアルトやガートが用いるのが両刃の剣で、今一緒に戦っている仲間が片刃の剣という違いだけなのだろうか。
「ロナ」
「ああ」
その時アサギが何かを感知し、小さく頷いたロナが突出した動きを見せる。森の奥へと走るロナを機械人形達は追うことなく手薄になったセリカやアサギを狙って向かってくるが、危険な場面を作る事なく一人と一体は汚染された機械人形の活動を停止していった。
ウルリッカはロナの走った方向を見て目を見開く。
機械人形は基本的には武器を使わないが、警備等の荒事を担っていた機械人形は違う。ボウガンをウルリッカに向けたセキュリティ用だったと思しき機械人形がそこには居た。
ボウガンが放たれようとした瞬間、間に合ったロナが擦り上げ小手の要領で下から機械人形のボウガンを持つ手を軌道をずらすように跳ね上げた。勢いで矢は放たれるが、それはウルリッカの位置より遥か上の幹に深々と突き刺さる。アレが自分に刺さっていたなら刺さりどころが悪ければ命が無かっただろう。
「ロナ、ありがと」
ウルリッカがインカム越しに呟くとボウガンを持っていた機械人形を行動停止させたロナが振り返って少しだけ笑ったように見えた。とはいえ今は戦闘中。直ぐに表情を引き締めてロナは此方へと戻りながら別の機械人形へと向かっていく。其れを見て、再びウルリッカも銃を構え直した。
* * *
「以前、ルー君が『アサギさんと共闘出来たとか夢みたい』とはしゃいでいた事を思い出しましたぁ」
機械人形が片付いた頃、セリカが微笑んでアサギへと言葉を向けた。
「……ああ、あの時か」
一瞬、メモリの奥にしまい込んでいたのかアサギの反応は芳しくなかった。人間が思い出したようなタイミングで言うアサギにセリカは小さく噴き出すような笑みを見せる。
「以前、稽古場でお会いした時にも思いましたが、戦闘中でも
人間ならばここまで褒められては赤面ものな発言であるがアサギは機械人形のため、赤面することはなく「そうか？」と首を傾げる動作をして機能停止した機械人形を黙々と一纏めに片付けるロナを見る。アサギの紅白の視線を受けたロナは肯定するように頷いて一言。
「市街戦で物を破壊するのは変わらないがな」
「うっ……」
その言葉に胸を痛めたのはアサギよりも樹上のウルリッカだった。隊長のユウヤミは何も言わないけれど、経理部である兄のアルヴィからはその件に関してはたびたびお小言を頂戴している羽目になっているからだ。
「セリカ。そういえば履いているブーツ、バルと同じものか？」
そんな樹上の事情なんて知らないアサギは今度は機械人形らしい記憶力を発揮してセリカの履いているブーツを指さした。
「お気付きになられました？ お姉様とお揃いのブーツが欲しくて誕生日だしと奮発して取り寄せてみたんですぅ」
「セリカ、今月誕生日なの？」
木から降りてきたウルリッカが問い掛ける。
「ええ。１３日なので今日をこのブーツの初陣にするか悩んだのですが、流石お姉様と同じ型なだけあって山道も楽々でしたぁ」
「其れは……早いですが、おめでとうございます」
「もう喜ぶ
真面目にセリカにお祝い言葉を向けるロナに、少しだけ照れたように微笑むセリカ。
「そっか。外の人間は誕生日をお祝いするんだっけ」
それを見てポツリと呟くウルリッカ。彼女の住んでいた
「マルムフェさんは誕生日いつなんですかぁ？」
「今月の４日」
「あら、そうだったんですねぇ。御目出度う御座いますぅ」
「うん」
その後、セリカと同じようにロナから真面目に祝われてこそばゆい思いをする。真面目すぎて彼からの言葉は何だか照れ臭い気持ちになるのだ。
それから彼等は倒した機械人形を片付ける作業に入る。機能停止した機械人形を集めると其れは見ようによっては死体のようにしか見えない。この時ほど機械人形の髪色を人間とは違う淡い色に限定していることを有難く思うことは無いだろう。
「――後は奥の機械人形だな」
ロナの言った『奥の機械人形』は一番最初にウルリッカが狙撃した機械人形のことであった。今日はウルリッカにとって近距離での狙撃だったが歩いて取りに行くとなると距離があるように感じてしまう。
「私、行ってくる」
それでも撃ったのはウルリッカであるし、山道に慣れているのもまたウルリッカである。立候補するように軽く手を上げると
「独りは危険だ」
しかしロナがそう言って走って付いてくる。ユウヤミだったら笑顔で「行っておいで」なのにわざわざ隊員の身を護る為に付いてくるとは随分と第四小隊は過保護なのだなと思いつつ、付いてきてくれるロナを無碍にするのも悪いのでウルリッカは彼に併せて走ることにした。
機械人形が転がったままであろう双子山からテナ山に繋がる道と、双子山の正規の登山ルートの分かれ道に来た時、ロナの足が止まった。
正規の登山ルートは獣道のような下草は無いものの荒れた山のままの道、テナ山に繋がる道は一見舗装されたように開けた道となっていて、普通に考えたら舗装されたように見える道を人は選んでしまうことだろう。
「成程。これは間違えやすいな」
「でしょ？ こないだシキもそうやって間違えたの」
間違えた挙句に二日程遭難していたので笑い事ではないのだが、ウルリッカは口の端に笑みを乗せて言う。そんなウルリッカにロナも目を細めた。
「
「うん、仲良いよ。ご飯食べに行ったりするし……お兄ちゃんには内緒にしてね？」
「分かった。アルヴィに余計な心配をかけるのも可哀想だしな」
「宜しくね」
そう言って２人は改めて表情を引き締めると舗装されたように開けた道を進む。そして暫く進むと、ウルリッカが撃って地に倒れ伏した薄紅色の髪をした機械人形がそこにはあった。
機械人形は人間そっくりであっても機械であるが故に軽量化されているといっても人間より重い。一人でこれを背負ってセリカとアサギの元へと歩いていくのは大変だっただろうと気付いたウルリッカはロナが付いてきてくれて良かったと思う。
ロナが背負ってくれるというので言葉に甘える事にして、ウルリッカは彼が機械人形を背負うのを見つめていた。そのおかげで異変に気付く。
「ロナ！」
ロナにとって背後になる樹上から一体の機械人形が飛び降りながらロナへと襲いかかってきたのだ。ウルリッカはロナの名前を呼ぶが、機械人形を背負っているロナの動きは当然鈍い。
咄嗟的にウルリッカは腰の
「……すまない、助かった」
剣鉈を回収するウルリッカへロナの声がかかる。
その声にウルリッカのポニーテールが左右に揺れた。
「ううん。あれは躱せるものじゃないし……さっき助けて貰ったから、これでおあいこね」
ウルリッカはそう言いながら頭の割れた機械人形を背負う。やはり重い。
「交代できなくなったな」
渋面を見せるウルリッカにロナが苦笑を浮かべていた。一体だったらお互いに疲労したら交代して背負うことができたが、二体になったらそれはできない。
「……大丈夫。頑張るから」
身体は小さいが筋肉はしっかり付いているウルリッカなので背負っていくことが出来ないわけではないが、急にずっと背負わなくてはならないと思うと何とも憂鬱だ。
機械人形の方が腹立たしいことにウルリッカよりも大きいので足を引き摺りながらウルリッカは進む。そんな彼女の姿に力尽きないことを祈りつつ、ロナもゆっくりと歩き出した。
ブリーニと。
山からの帰還には時間がかかり、マルフィ結社前線駆除 班急拵え小隊が帰還した頃にはすっかり夜も更けていた。
「食券が無駄になったな、ロナ」
時間を確認したアサギがロナに言っているのを聞きながら、ウルリッカは自分も同じ事に気付く。仕方がないから今日の夕飯はカップラーメンしかない。戦闘をしてたっぷりカロリー消費をした身体では何個食べたら満足出来るだろうか。
山から下ろして来た機械人形 を車ごと機械 班へと引渡し、汚染駆除 班へと向かうと色素の薄い金色の髪をした少女がウルリッカ達を迎えた。
「ミサキ女史……勤務時間は厳守すべきだと思うが」
ロナが苦言を呈しても何処吹く風とばかりでミサキ女史――ミサキ・ケルンティアは使用済みのＵＢＴフラッシュメモリを回収していく。
「あ、ああああの！ ケ、ケケケケケルンティアさん!! 後は私がひっ、引き継ぎますからタイガ君の所に行ってあげてください!!」
吃り気味の声でミサキの仕事を奪ったのは地味な印象しかないジャージ姿の女性だった。彼女をチラリと見たミサキは何も言わなかったがＵＢＴをデスクに置いたので、どうやらジャージ姿の女性へと仕事を引き継ぐことにしたらしい。それに元より直ぐに帰る予定だったのか彼女のデスクらしき所には鞄と紙袋があり、ミサキは其れを掴む。そして、急拵え小隊を薄氷のような目で見た。
「来て」
「あ、では私はこれで……」
「違う」
てっきりミサキと既知のロナとアサギに掛けた声だと思ったセリカが声を上げるとミサキの冷たい否定の声が返ってきて、ウルリッカとセリカは顔を見合わせる。ウルリッカもセリカと同じ考えだった。「来て」と言ったのはロナとアサギに向けての言葉だと思っていたのだ。
しかし、ミサキはそれ以上説明をすることなく何も言わずにさっさと部屋を出ていってしまう。
「あー……ミサキ女史は全員に来て欲しいようだから、一緒に来て貰えると助かります」
補足するようにロナが言うので、何故ミサキが自分達も一緒にと言っているのか理由も分からないままセリカとかウルリッカは彼等に続くことにした。
歩くセリカは平然とした顔をしているが、ウルリッカは微妙に納得していなかった。ウルリッカ自身も言葉が少ない自覚はあるが、ミサキはそれに輪をかけて酷い。
「はっきり喋れば良いのに」
思わず部屋を出る時に吐き捨てるように呟く。
それをうっかり聞いてしまい「わ、私の事ですよねすみませんすみません！」と内心で謝罪しながら震えるジャージ姿の女性 がいた事に気付かないままで。
* * *
ミサキを先頭に歩くロナ達急拵え小隊が辿り着いたのは何故かミサキとは不釣り合いな食堂だった。当然ながら営業時間は終了しているが電気が付いている。
「サオトメ先生！ お疲れ様です！」
そんな電気の点いた下にいたのはロナに会えた嬉しさ全開とばかりに手を振るタイガと二体の機械人形だった。機械人形は両方とも食堂で働くノエとネリネである。
「タイガ……？」
「お前、給食部だったのか」
名前を呼ばれたもののまさか此処にこんな時間にいるとは思えず驚きを隠せないロナの隣でアサギがタイガへと声をかける。その言葉にタイガは面白いくらいガッカリとした姿を見せた。
「違うよ。人事部だって前、稽古場で会った時言ったのに……メモリに入れておいてね」
アサギは返事をしなかった。余計な事でメモリを食うのが嫌なのだろう。
それに気付きつつも、気持ちを切り替えたタイガは改めて急拵え小隊を見た。
「ケルンティアさん、皆を連れてきてくれてありがとうございました。あ、ケルンティアさんも帰らないでね」
そしてさり気なく帰宅の途につこうと身を翻していたミサキを止める。
しかしタイガの言葉を聞くミサキなぞおらず、彼女は更に足を進めようとしていた。
「ミサキ女史。待ってあげてくれないか」
それを止めたのは、やはりというかロナだった。どうやらロナの言うことなら聞く耳を持っていたらしくミサキの足が止まる。そんなミサキの様子に笑顔を引き攣らせながらもどうにか怒りを耐えたタイガが急拵え小隊とミサキを食堂の中へと招き入れた。
「皆、お仕事お疲れさまでした。立っているのも何ですから座ってください」
タイガの言葉に各々が訳も分からぬままに席につく。困惑する急拵え小隊達の顔と、仏頂面のミサキの顔を見つつ微笑んだタイガは立ったままの機械人形に声をかけた。
「それじゃ、ノエとネリネちゃん。お願いします」
「畏まりました」
「承りました」
タイガの言葉にノエとネリネがそれぞれ頭を下げる。執事服のようなノエとメイド服のネリネが揃って頭を下げる姿は、何だか物語で見た貴族になった気分でウルリッカは密かにニンマリとした。凄い、私お姫様になったみたい。
「もしかして、お食事を頂けるという事でしょうかぁ？」
二体が厨房に去って行くのを見ていれば結論として其れが思いつくのは当然で、セリカが困惑しつつもタイガに問いかける。
「休暇なのに出勤して貰った御礼という事で総務部に掛け合って食堂を使う許可をとったんです。人間は勤務時間超過できないのでオレのノエと、手伝ってくれるってことでネリネちゃんに働いて貰って。あ、もちろん食事だけではなく休日出勤手当ては別途出ますよ！ 金額は経理部と要相談という形になりますけど……」
意外にもタイガも仕事をする時があったらしい。
そんな事を誰とはなく思っているとバターの香りが鼻を擽ってきて、ウルリッカのお腹が可愛く無いほどの音で鳴いた。それを聞いてセリカは微笑み、アサギは機械らしからぬ呆れた目を向け、タイガは思いっきり笑う。ミサキと話していたロナは聞こえていただろうが聞こえない振りに徹し、ミサキに至っては完全に冷めた目を向けてきた。しかし、そんなことを気にするウルリッカではない。
「いっぱい食べてくださいねぇ、マルムフェさん」
「うん、食べる」
セリカに言われて頷きながら、ウルリッカの小さな胸は期待でいっぱいだった。
一体、食堂の機械人形は何を作ってくれるのだろうか。
バターを使った食べ物は沢山あるから予想も出来ない。
「ご飯、何？」
「それは秘密です」
待ちきれなくてタイガに問いかけると、人差し指を顔の前に立てて悪戯っぽく笑うだけで教えて貰えなかったのでウルリッカのポニーテールがションボリと沈む。しかし、ノエとネリネが現れたことで直ぐにポニーテールは復活した。
「お待たせ致しました」
料理を客にサーブする技術をインストールされているノエの手際は大変に良かった。再びお姫様気分を味わってウルリッカの機嫌は浮かれたものに変わる。
各自の前に置かれたのは蕎麦粉のパンケーキ だった。
バターで表面をカリカリに焼かれたブリーニを出すネリネが妙に満足そうな顔だったのが印象的である。
「ネリネ、楽しそうだね」
「私は、木のまわりをぐるぐる勢いよく駈けまわるうちに虎がみんな溶けてバターになってしまうことを祈るくらいにはバターが好きなので」
「う、うん？」
ドヤ顔で良く分からないことを言い出すネリネに疑問符しか浮かばないウルリッカだが、ネリネが楽しそうだったので更にツッコミを入れることは諦めた。それにそんな事にツッコミを入れているより、ご飯を食べる方が先決だ。
ブリーニにはサワークリームや魚卵 を乗せるパターンと、蜂蜜などで甘く食べるパターンがあり、今もテーブルにはどちらも置かれている。悩んだ結果、ウルリッカは蜂蜜で食べることにした。疲れた時には甘いものが良いと、ウルリッカの尊敬する小隊長のユウヤミ・リーシェルが言っていた記憶があるからだ。
「ケルンティアさんの分はネリネさんでなく私がバター控えめで焼きましたから」
そう言ったノエに出されたミサキ用のブリーニは他の人よりも小さめで枚数も少なめだった。それを見ながらアレだけで足りる人間がいるのかとウルリッカは慄く。
「サンドイッチケーキ でお祝いさせていただこうかと思ったのですが、ケルンティアさんは少食だとテオフィルスさんよりお伺いしておりましたので」
ノエの言った「お祝い」の言葉がウルリッカの耳に残った。
一体、何をお祝いするというのだろうか。
「お誕生日おめでとう、ケルンティアさん！」
ウルリッカの疑問はタイガの言葉が解決した。
尚、ウルリッカは知らないことだがタイガはミサキを苦手としている。そんな彼がミサキを祝っているのは、偏に友人のテオフィルス・メドラーに命じられたからに他ならない。
彼女は不思議とロナの言うことは聞く。だからこそ、ロナ達急拵え小隊を食堂に連れてきて欲しいと依頼をしてさり気なくミサキを食堂に招き入れたのだ。
「おめでたいですよね、サオトメ先生！」
「ああ、そうだな。おめでとう、ミサキ女史」
自分だけなら無視をされるかもしれないと展開を読んでいたタイガは、早々にロナに声をかけることでミサキが無視しにくい状況を生み出した。この瞬間のタイガは正しく策士であった。
そういえば、とウルリッカはブリーニを食べながらそれを思い出していた。汚染駆除班の部屋を出る時にミサキは鞄の他に紙袋を持っていた。その中身がチラと見えた時に焼き菓子の詰め合わせっぽかったが、おそらくあれは誕生日プレゼントとして汚染駆除班から貰ったものだったのだろう。
残念ながらミサキは祝われても特に嬉しそうな顔を見せる訳でもなかったが、大人しくブリーニに口をつけ始めただけでタイガとノエは満足そうな顔を浮かべていた。そしてロナも嬉しそうな顔をしているので、ウルリッカには想像も出来ないがミサキは「食べる」ことすら珍しい子なのかもしれない。
バターがよく効いた外はカリカリ、中は逆にふわふわ、蕎麦粉の良い香りがフワッと鼻から抜ける最高に美味しいブリーニを食べているのに全く表情の変わらないミサキは凄い。ウルリッカは変な方向でミサキを称えつつ、自分のお皿のブリーニを瞬く間に片付けると声を上げる。
「おかわり！」
「食券が無駄になったな、ロナ」
時間を確認したアサギがロナに言っているのを聞きながら、ウルリッカは自分も同じ事に気付く。仕方がないから今日の夕飯はカップラーメンしかない。戦闘をしてたっぷりカロリー消費をした身体では何個食べたら満足出来るだろうか。
山から下ろして来た
「ミサキ女史……勤務時間は厳守すべきだと思うが」
ロナが苦言を呈しても何処吹く風とばかりでミサキ女史――ミサキ・ケルンティアは使用済みのＵＢＴフラッシュメモリを回収していく。
「あ、ああああの！ ケ、ケケケケケルンティアさん!! 後は私がひっ、引き継ぎますからタイガ君の所に行ってあげてください!!」
吃り気味の声でミサキの仕事を奪ったのは地味な印象しかないジャージ姿の女性だった。彼女をチラリと見たミサキは何も言わなかったがＵＢＴをデスクに置いたので、どうやらジャージ姿の女性へと仕事を引き継ぐことにしたらしい。それに元より直ぐに帰る予定だったのか彼女のデスクらしき所には鞄と紙袋があり、ミサキは其れを掴む。そして、急拵え小隊を薄氷のような目で見た。
「来て」
「あ、では私はこれで……」
「違う」
てっきりミサキと既知のロナとアサギに掛けた声だと思ったセリカが声を上げるとミサキの冷たい否定の声が返ってきて、ウルリッカとセリカは顔を見合わせる。ウルリッカもセリカと同じ考えだった。「来て」と言ったのはロナとアサギに向けての言葉だと思っていたのだ。
しかし、ミサキはそれ以上説明をすることなく何も言わずにさっさと部屋を出ていってしまう。
「あー……ミサキ女史は全員に来て欲しいようだから、一緒に来て貰えると助かります」
補足するようにロナが言うので、何故ミサキが自分達も一緒にと言っているのか理由も分からないままセリカとかウルリッカは彼等に続くことにした。
歩くセリカは平然とした顔をしているが、ウルリッカは微妙に納得していなかった。ウルリッカ自身も言葉が少ない自覚はあるが、ミサキはそれに輪をかけて酷い。
「はっきり喋れば良いのに」
思わず部屋を出る時に吐き捨てるように呟く。
それをうっかり聞いてしまい「わ、私の事ですよねすみませんすみません！」と内心で謝罪しながら震える
* * *
ミサキを先頭に歩くロナ達急拵え小隊が辿り着いたのは何故かミサキとは不釣り合いな食堂だった。当然ながら営業時間は終了しているが電気が付いている。
「サオトメ先生！ お疲れ様です！」
そんな電気の点いた下にいたのはロナに会えた嬉しさ全開とばかりに手を振るタイガと二体の機械人形だった。機械人形は両方とも食堂で働くノエとネリネである。
「タイガ……？」
「お前、給食部だったのか」
名前を呼ばれたもののまさか此処にこんな時間にいるとは思えず驚きを隠せないロナの隣でアサギがタイガへと声をかける。その言葉にタイガは面白いくらいガッカリとした姿を見せた。
「違うよ。人事部だって前、稽古場で会った時言ったのに……メモリに入れておいてね」
アサギは返事をしなかった。余計な事でメモリを食うのが嫌なのだろう。
それに気付きつつも、気持ちを切り替えたタイガは改めて急拵え小隊を見た。
「ケルンティアさん、皆を連れてきてくれてありがとうございました。あ、ケルンティアさんも帰らないでね」
そしてさり気なく帰宅の途につこうと身を翻していたミサキを止める。
しかしタイガの言葉を聞くミサキなぞおらず、彼女は更に足を進めようとしていた。
「ミサキ女史。待ってあげてくれないか」
それを止めたのは、やはりというかロナだった。どうやらロナの言うことなら聞く耳を持っていたらしくミサキの足が止まる。そんなミサキの様子に笑顔を引き攣らせながらもどうにか怒りを耐えたタイガが急拵え小隊とミサキを食堂の中へと招き入れた。
「皆、お仕事お疲れさまでした。立っているのも何ですから座ってください」
タイガの言葉に各々が訳も分からぬままに席につく。困惑する急拵え小隊達の顔と、仏頂面のミサキの顔を見つつ微笑んだタイガは立ったままの機械人形に声をかけた。
「それじゃ、ノエとネリネちゃん。お願いします」
「畏まりました」
「承りました」
タイガの言葉にノエとネリネがそれぞれ頭を下げる。執事服のようなノエとメイド服のネリネが揃って頭を下げる姿は、何だか物語で見た貴族になった気分でウルリッカは密かにニンマリとした。凄い、私お姫様になったみたい。
「もしかして、お食事を頂けるという事でしょうかぁ？」
二体が厨房に去って行くのを見ていれば結論として其れが思いつくのは当然で、セリカが困惑しつつもタイガに問いかける。
「休暇なのに出勤して貰った御礼という事で総務部に掛け合って食堂を使う許可をとったんです。人間は勤務時間超過できないのでオレのノエと、手伝ってくれるってことでネリネちゃんに働いて貰って。あ、もちろん食事だけではなく休日出勤手当ては別途出ますよ！ 金額は経理部と要相談という形になりますけど……」
意外にもタイガも仕事をする時があったらしい。
そんな事を誰とはなく思っているとバターの香りが鼻を擽ってきて、ウルリッカのお腹が可愛く無いほどの音で鳴いた。それを聞いてセリカは微笑み、アサギは機械らしからぬ呆れた目を向け、タイガは思いっきり笑う。ミサキと話していたロナは聞こえていただろうが聞こえない振りに徹し、ミサキに至っては完全に冷めた目を向けてきた。しかし、そんなことを気にするウルリッカではない。
「いっぱい食べてくださいねぇ、マルムフェさん」
「うん、食べる」
セリカに言われて頷きながら、ウルリッカの小さな胸は期待でいっぱいだった。
一体、食堂の機械人形は何を作ってくれるのだろうか。
バターを使った食べ物は沢山あるから予想も出来ない。
「ご飯、何？」
「それは秘密です」
待ちきれなくてタイガに問いかけると、人差し指を顔の前に立てて悪戯っぽく笑うだけで教えて貰えなかったのでウルリッカのポニーテールがションボリと沈む。しかし、ノエとネリネが現れたことで直ぐにポニーテールは復活した。
「お待たせ致しました」
料理を客にサーブする技術をインストールされているノエの手際は大変に良かった。再びお姫様気分を味わってウルリッカの機嫌は浮かれたものに変わる。
各自の前に置かれたのは
バターで表面をカリカリに焼かれたブリーニを出すネリネが妙に満足そうな顔だったのが印象的である。
「ネリネ、楽しそうだね」
「私は、木のまわりをぐるぐる勢いよく駈けまわるうちに虎がみんな溶けてバターになってしまうことを祈るくらいにはバターが好きなので」
「う、うん？」
ドヤ顔で良く分からないことを言い出すネリネに疑問符しか浮かばないウルリッカだが、ネリネが楽しそうだったので更にツッコミを入れることは諦めた。それにそんな事にツッコミを入れているより、ご飯を食べる方が先決だ。
ブリーニにはサワークリームや
「ケルンティアさんの分はネリネさんでなく私がバター控えめで焼きましたから」
そう言ったノエに出されたミサキ用のブリーニは他の人よりも小さめで枚数も少なめだった。それを見ながらアレだけで足りる人間がいるのかとウルリッカは慄く。
「
ノエの言った「お祝い」の言葉がウルリッカの耳に残った。
一体、何をお祝いするというのだろうか。
「お誕生日おめでとう、ケルンティアさん！」
ウルリッカの疑問はタイガの言葉が解決した。
尚、ウルリッカは知らないことだがタイガはミサキを苦手としている。そんな彼がミサキを祝っているのは、偏に友人のテオフィルス・メドラーに命じられたからに他ならない。
彼女は不思議とロナの言うことは聞く。だからこそ、ロナ達急拵え小隊を食堂に連れてきて欲しいと依頼をしてさり気なくミサキを食堂に招き入れたのだ。
「おめでたいですよね、サオトメ先生！」
「ああ、そうだな。おめでとう、ミサキ女史」
自分だけなら無視をされるかもしれないと展開を読んでいたタイガは、早々にロナに声をかけることでミサキが無視しにくい状況を生み出した。この瞬間のタイガは正しく策士であった。
そういえば、とウルリッカはブリーニを食べながらそれを思い出していた。汚染駆除班の部屋を出る時にミサキは鞄の他に紙袋を持っていた。その中身がチラと見えた時に焼き菓子の詰め合わせっぽかったが、おそらくあれは誕生日プレゼントとして汚染駆除班から貰ったものだったのだろう。
残念ながらミサキは祝われても特に嬉しそうな顔を見せる訳でもなかったが、大人しくブリーニに口をつけ始めただけでタイガとノエは満足そうな顔を浮かべていた。そしてロナも嬉しそうな顔をしているので、ウルリッカには想像も出来ないがミサキは「食べる」ことすら珍しい子なのかもしれない。
バターがよく効いた外はカリカリ、中は逆にふわふわ、蕎麦粉の良い香りがフワッと鼻から抜ける最高に美味しいブリーニを食べているのに全く表情の変わらないミサキは凄い。ウルリッカは変な方向でミサキを称えつつ、自分のお皿のブリーニを瞬く間に片付けると声を上げる。
「おかわり！」
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