白昼夢／燐花
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rinka_creation 2020年12月30日(水) 17:38:41履歴
一仕事終え、スクラブ姿のままヴォイドは飲み物を買いに購買へ行った。まだまだ日差しは容赦なく、それに体力を奪われるのは患者だけじゃない、医者もまた然りだ。ネビロスも珍しく髪の毛を一纏めにしていた。先に医療班に戻ったから今頃発見したミアはキャーキャー言っているのではないだろうか。
それはさて置きと言わんばかりに屋上に出たヴォイドは日陰に入り缶に口付ける。冷たいスポーツドリンクが喉に沁みる。風が首筋を撫でていく。
「疲れた…」
今日の夕飯はいつもよりもう少し多めにもらおうか等考えながら外をボーッと眺め、屋内に戻った。暗がりに慣れない目が一瞬モヤのようなものを掛ける。
そのモヤの先に黒い影があった。
「……？」
背の高い、男性の黒いシルエットだ。
ヴォイドは少し足早にその影に近付き、声を掛けた。
「ユウヤ、ミ……」
だが、その影の笑い方は求めていたものでは無かった。
「おやおや…随分ご無沙汰してましたね。私は似てましたか？そんなに。貴女の望む男に」
「お、前…」
「何故ここにいるか、聞きたいですか？今の職場も今回の件で大ダメージ受けましてね。ヘッドハンティングも兼ねて私が派遣されたんですよ」
ヴォイドはアイスピックを取り出し、瞬時に男に向かって突き刺す。しかし、男は驚く程の身体能力の高さと動体視力でそれを易々躱してしまう。それどころか、ヴォイドの背後に回って腕を取った。力の抜けた手から滑り落ちたピックの落下音は静かな廊下に大きく響いた。
「…懐かしいですね…そんなにバックは好きじゃないんですけど」
耳元で囁く声に抵抗する様にヴォイドは強引に腕を動かした。少しだけ関節に無理を掛けた音がした。
「お前…お前…！！」
「久しぶりに会うんですからせめて名前を呼んで欲しいですねぇ…何せアレから十年近く経つのに顔を覚えているくらいの仲なんですから。二人だけで過ごした二年間は、私にとっても特別な思い出ですよ。──今でも、ね」
「……死んで欲しい…」
嫌な汗が額にじわりと浮かぶ。忘れない、忘れもしない。自由を奪われた日々を、自分にとっての尊厳とは何か自覚した日々を。
二年も自分を飼い殺しにしたのは紛れもなく目の前にいるロードだった。
「何で…ここにいられるの…まともな生き方してなかったのに…」
「ヴォイド、貴女と別れたのは私も惜しい事をしたと思ってます。あのまま二人だけで、もう一、二年は過ごしていたかったかもしれません。ですが現実、私は岸壁街を出ました。それからは自分の力で生きてきましたよ。外国語の能力を買われ通訳も兼ねた仕事を諸々経て今の会社に至ります。組織ともまあ、色々ありましたがコネクションを作るのに役立たせていただきましたし、今はそちらとも切れまして。時間はかかりましたが、なかなかに綺麗な身です。そしてだからこそ、貴女と再会出来ました」
そこまで言うと、ロードは落ちたピックをヴォイドの手に渡した。
「らしくないですね。これを振り回すなんて。下手したら、貴女ここに居られなくなるかもしれないんですよ？」
「…っ……」
「それとも、ここから出てまた私と共に生きますか？」
頭の中で蓋をした思い出が溢れ出てくる。
それは頭の先から爪先までなぞり、ヴォイドの体を冷やした。このままロードのペースに流されたらいけない、いけないのに、何故か反論が上手くできない。先程から覆われた手だけが妙に熱い。このまま、この手を握り返してしまった方が良いのだろうか。それしか自由はないのだろうか。
「ヴォイド？と、えーと？」
通り掛かったのはテオフィルスだった。
「ああ、その節は同僚がお世話になりまして。私人事部のマーシュと申します。お噂はかねがね、メドラーさん」
「ああ、あの時勧誘して来たのは人事部だったのか。ん？で、知り合いなのか？ヴォイドはここで何して──」
がしっ。
テオフィルスの腕を凄い力で何かが掴んだ。あ、ヴォイドの手か。
そう思った時には思い切り引っ張られ、ずんずんと別の方向へ向かって歩いていた。気付けばロードは遥か後方へ。何が何だか分からないテオフィルスはいきなり引っ張られた手と走っているのかくらいのスピードでもつれる足の痛みを訴えるしかなかった。
「ヴォイド、止まれ止まれ！ちょっとだけ止まってくれ！何か最近荒いな！？」
やっとヴォイドのスピードが緩やかになったのは、ロードから大分離れてからだった。
「はぁ、はぁ…いきなり、引っ張るなよまったく…ただでさえ暑いのに…息上がるって、の…」
息を整えるテオフィルス。彼の目の前にいるヴォイドは見た事もない顔をしていた。
「お、おい…？」
瞳には光もなくいつも以上に淀んでいて、半開きになった口からはひゅーひゅーと空気が漏れる様な音が聞こえる。頭からびっしょり汗をかいていて、しかし体は小刻みに震えていた。
「…ヴォイド？どうした？」
思わずその姿に動揺したが、とりあえず肩に手を置いてみる。ヴォイドは一瞬びくりと体を大きく震わせたと思ったらまた小刻みに震え始めた。
ここにいるのに、心だけが何処かに行ってしまったかのようなヴォイド。
テオフィルスは電子タバコを取り出すと、間を取り持つ様に吸い始めた。そしてその間、肩に置いた手でトントンと叩いてみる。戻ってこいと言わんばかりに。
「なぁ、何かあったのか？あの人…」
見覚えはないけどなぁ…？と一人呟く。ここでも昔にも、会った覚えはないのだが。
「そりゃあ、彼女にも君の知らない思い出の一つや二つあるだろうねぇ」
「まあな、幼馴染ではあるけど少し間空いてるからな………って、ユウヤミ！？どこから来たんだよ！？」
「ん？先程名前を呼ばれた気がしてねぇ」
「お目付役を撒いてきた、の間違いだろ？」
未だ心ここに在らずで息を整えているヴォイドをとりあえず座らせる。ユウヤミは自販機で飲み物を買い、一つをテオフィルスに投げた。
「あ、サンキュ」
「コーヒーで良いね？ところで、どうしたんだい？ホロウ君は」
「分かんねぇ…。人事部のロード・マーシュって奴と話してたみたいなんだけどな…急に逃げる様に走り出して今だ」
「人事部のマーシュ…？」
「まあでも、逃げ方一つ取ってもヴォイドらしくねぇって言うか、妙なんだよ」
「ふーん」
「昔何かあったにしても…あんなエリートっぽい奴そもそも岸壁街じゃ見掛け無かったしなぁ…」
ユウヤミは少し考えると、
「『その時』は絵に描いたエリートじゃ無かったのかもねぇ…」
と呟いた。
「ん？」
「いや、まあ今考えても詮無いだろうねぇ。多分相手はからかっただけじゃないかな？」
「からかっただけって、それでこんななるか？普通…」
「なるから、何かあったんだろうねぇ…過去にでも」
「主人、また勝手にいなくなりましたね！？」
「うわ、ヨダカ！？何でお前ら揃って神出鬼没なんだよ…」
とりあえず、今は気にしなくて良い。
ユウヤミはそんな確信を持った事をテオフィルスに話した。何だか釈然としない思いを抱え、気付いたら日も傾いてきた。ヴォイドはいつのまにか呼吸も整え、いつもの彼女に戻っていた。
今日はこれ以上触らぬようにしよう。
とは言え、どうやら厄介な何かを持っている様に思える、あのロードと言う男は。
そう感じて少しだけテオフィルスはロードに会わないように気を付けたいと思った。
ロードへの好奇心が少しずつ膨れているユウヤミを見て、
「猫をも殺しますよ、主人」
とヨダカは呟いた。
次の日もまた容赦なく日は照っていたが、それ以外何もない。
妙な白昼夢にあったような気分になった三人は、それぞれに違う思いを抱えて朝を迎えのだった。
それはさて置きと言わんばかりに屋上に出たヴォイドは日陰に入り缶に口付ける。冷たいスポーツドリンクが喉に沁みる。風が首筋を撫でていく。
「疲れた…」
今日の夕飯はいつもよりもう少し多めにもらおうか等考えながら外をボーッと眺め、屋内に戻った。暗がりに慣れない目が一瞬モヤのようなものを掛ける。
そのモヤの先に黒い影があった。
「……？」
背の高い、男性の黒いシルエットだ。
ヴォイドは少し足早にその影に近付き、声を掛けた。
「ユウヤ、ミ……」
だが、その影の笑い方は求めていたものでは無かった。
「おやおや…随分ご無沙汰してましたね。私は似てましたか？そんなに。貴女の望む男に」
「お、前…」
「何故ここにいるか、聞きたいですか？今の職場も今回の件で大ダメージ受けましてね。ヘッドハンティングも兼ねて私が派遣されたんですよ」
ヴォイドはアイスピックを取り出し、瞬時に男に向かって突き刺す。しかし、男は驚く程の身体能力の高さと動体視力でそれを易々躱してしまう。それどころか、ヴォイドの背後に回って腕を取った。力の抜けた手から滑り落ちたピックの落下音は静かな廊下に大きく響いた。
「…懐かしいですね…そんなにバックは好きじゃないんですけど」
耳元で囁く声に抵抗する様にヴォイドは強引に腕を動かした。少しだけ関節に無理を掛けた音がした。
「お前…お前…！！」
「久しぶりに会うんですからせめて名前を呼んで欲しいですねぇ…何せアレから十年近く経つのに顔を覚えているくらいの仲なんですから。二人だけで過ごした二年間は、私にとっても特別な思い出ですよ。──今でも、ね」
「……死んで欲しい…」
嫌な汗が額にじわりと浮かぶ。忘れない、忘れもしない。自由を奪われた日々を、自分にとっての尊厳とは何か自覚した日々を。
二年も自分を飼い殺しにしたのは紛れもなく目の前にいるロードだった。
「何で…ここにいられるの…まともな生き方してなかったのに…」
「ヴォイド、貴女と別れたのは私も惜しい事をしたと思ってます。あのまま二人だけで、もう一、二年は過ごしていたかったかもしれません。ですが現実、私は岸壁街を出ました。それからは自分の力で生きてきましたよ。外国語の能力を買われ通訳も兼ねた仕事を諸々経て今の会社に至ります。組織ともまあ、色々ありましたがコネクションを作るのに役立たせていただきましたし、今はそちらとも切れまして。時間はかかりましたが、なかなかに綺麗な身です。そしてだからこそ、貴女と再会出来ました」
そこまで言うと、ロードは落ちたピックをヴォイドの手に渡した。
「らしくないですね。これを振り回すなんて。下手したら、貴女ここに居られなくなるかもしれないんですよ？」
「…っ……」
「それとも、ここから出てまた私と共に生きますか？」
頭の中で蓋をした思い出が溢れ出てくる。
それは頭の先から爪先までなぞり、ヴォイドの体を冷やした。このままロードのペースに流されたらいけない、いけないのに、何故か反論が上手くできない。先程から覆われた手だけが妙に熱い。このまま、この手を握り返してしまった方が良いのだろうか。それしか自由はないのだろうか。
「ヴォイド？と、えーと？」
通り掛かったのはテオフィルスだった。
「ああ、その節は同僚がお世話になりまして。私人事部のマーシュと申します。お噂はかねがね、メドラーさん」
「ああ、あの時勧誘して来たのは人事部だったのか。ん？で、知り合いなのか？ヴォイドはここで何して──」
がしっ。
テオフィルスの腕を凄い力で何かが掴んだ。あ、ヴォイドの手か。
そう思った時には思い切り引っ張られ、ずんずんと別の方向へ向かって歩いていた。気付けばロードは遥か後方へ。何が何だか分からないテオフィルスはいきなり引っ張られた手と走っているのかくらいのスピードでもつれる足の痛みを訴えるしかなかった。
「ヴォイド、止まれ止まれ！ちょっとだけ止まってくれ！何か最近荒いな！？」
やっとヴォイドのスピードが緩やかになったのは、ロードから大分離れてからだった。
「はぁ、はぁ…いきなり、引っ張るなよまったく…ただでさえ暑いのに…息上がるって、の…」
息を整えるテオフィルス。彼の目の前にいるヴォイドは見た事もない顔をしていた。
「お、おい…？」
瞳には光もなくいつも以上に淀んでいて、半開きになった口からはひゅーひゅーと空気が漏れる様な音が聞こえる。頭からびっしょり汗をかいていて、しかし体は小刻みに震えていた。
「…ヴォイド？どうした？」
思わずその姿に動揺したが、とりあえず肩に手を置いてみる。ヴォイドは一瞬びくりと体を大きく震わせたと思ったらまた小刻みに震え始めた。
ここにいるのに、心だけが何処かに行ってしまったかのようなヴォイド。
テオフィルスは電子タバコを取り出すと、間を取り持つ様に吸い始めた。そしてその間、肩に置いた手でトントンと叩いてみる。戻ってこいと言わんばかりに。
「なぁ、何かあったのか？あの人…」
見覚えはないけどなぁ…？と一人呟く。ここでも昔にも、会った覚えはないのだが。
「そりゃあ、彼女にも君の知らない思い出の一つや二つあるだろうねぇ」
「まあな、幼馴染ではあるけど少し間空いてるからな………って、ユウヤミ！？どこから来たんだよ！？」
「ん？先程名前を呼ばれた気がしてねぇ」
「お目付役を撒いてきた、の間違いだろ？」
未だ心ここに在らずで息を整えているヴォイドをとりあえず座らせる。ユウヤミは自販機で飲み物を買い、一つをテオフィルスに投げた。
「あ、サンキュ」
「コーヒーで良いね？ところで、どうしたんだい？ホロウ君は」
「分かんねぇ…。人事部のロード・マーシュって奴と話してたみたいなんだけどな…急に逃げる様に走り出して今だ」
「人事部のマーシュ…？」
「まあでも、逃げ方一つ取ってもヴォイドらしくねぇって言うか、妙なんだよ」
「ふーん」
「昔何かあったにしても…あんなエリートっぽい奴そもそも岸壁街じゃ見掛け無かったしなぁ…」
ユウヤミは少し考えると、
「『その時』は絵に描いたエリートじゃ無かったのかもねぇ…」
と呟いた。
「ん？」
「いや、まあ今考えても詮無いだろうねぇ。多分相手はからかっただけじゃないかな？」
「からかっただけって、それでこんななるか？普通…」
「なるから、何かあったんだろうねぇ…過去にでも」
「主人、また勝手にいなくなりましたね！？」
「うわ、ヨダカ！？何でお前ら揃って神出鬼没なんだよ…」
とりあえず、今は気にしなくて良い。
ユウヤミはそんな確信を持った事をテオフィルスに話した。何だか釈然としない思いを抱え、気付いたら日も傾いてきた。ヴォイドはいつのまにか呼吸も整え、いつもの彼女に戻っていた。
今日はこれ以上触らぬようにしよう。
とは言え、どうやら厄介な何かを持っている様に思える、あのロードと言う男は。
そう感じて少しだけテオフィルスはロードに会わないように気を付けたいと思った。
ロードへの好奇心が少しずつ膨れているユウヤミを見て、
「猫をも殺しますよ、主人」
とヨダカは呟いた。
次の日もまた容赦なく日は照っていたが、それ以外何もない。
妙な白昼夢にあったような気分になった三人は、それぞれに違う思いを抱えて朝を迎えのだった。
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