之は蝶の羽ばたきとなるか？／べにざくろ
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g_a3b2c3o12 2022年02月07日(月) 00:00:41履歴
蝶が羽ばたく程度の非常に小さな撹乱でも、遠くの場所の気象に影響を与えるか？――これは、蝶の小さな羽ばたきのようなお話。
タイガとバーティゴとエミール
タイガとミアとフユとヒギリ
タイガとバーティゴとエミール 
困っている人がいたら助けましょう。
小学校で習った言葉がタイガの頭を駆け抜けていた。
あの時は素直に子供らしく「はーい！」とお返事をした。
今、先生に問いたい。
困っている人が、とても怖い人の場合も助けた方がいいですか？と。
* * *
「あの、大丈夫ですか？」
過去に思いを馳せていても名案は浮かばず、タイガは結局怖い人 に声をかけていた。
怖い人の名前はエレオノーラ・ブリノヴァ――通称、バーティゴだ。
前線駆除 班第三小隊の小隊長であり、民間人の多いマルフィ結社の中で珍しい軍人の経歴を持つ女性だ。かつて、アサギという機械人形 の処遇について熱くご指導を賜った事や、第三小隊の人事面のトラブルがあったことにより人事部全体が何となく苦手としている人物である。
そんな彼女に何故タイガが声をかけたのか。
理由は至極簡単。バーティゴが何故か廊下に座り込んでいたからである。
「誰かしら？」
バーティゴは白濁した目をタイガに向けて問いかけてきていた。彼女は視力が悪く薄ぼんやりとしか物が見えない事を思い出したタイガは慌てて自分は不審者ではないことを口に出してアピールする。
「人事部のタイガ・ヴァテールです」
名乗ってみるが当然、タイガとバーティゴとは面識がないため彼女の表情は晴れない。どうしたらいいか考えたタイガの頭に、二人の人物が浮かぶ。二人が自分の事を少しでもバーティゴに話していることを祈りながらタイガは続けて口を開いた。
「ミカナギさんに剣を見てもらったり、ルーと遊びに行ったりしてるんですけど聞いた事ありませんか？ そんな訳で、オレは怪しい人間じゃ無いですけど」
「自分で怪しい人間じゃない、という人間は怪しいものよ」
そう言うバーティゴの口元は笑っていた。その表情を見て、それはバーティゴがタイガをからかう為に言っているのだと気付き、タイガは知らずに入っていた肩の力を抜く。空気でタイガの心境の変化を読み取ったのかバーティゴの笑みは、より深くなった。
「二人の口から聞いた事のある名前よ、タイガ・ヴァテール。それで？ 私に何の用かしら？」
「何の用っていうか……ブリノヴァさんがココに座ってたので何かあったのかなって思って声をかけたんです」
タイガの言葉にバーティゴは納得したような顔を見せると己の左足を右手で軽く叩いた。軍人らしいカーキ色のフィールドパンツの下からは生身の足を叩いたのでは決してしないはずの金属を叩いたような音がする。その音を聞いてタイガはバーティゴが義足であることを思い出した。
「故障ですか？」
タイガの初恋の女の子且つ今では友人のテオフィルス・メドラーも義足であり、彼も良く義足の調子が悪いことがあった。もしかしたらバーティゴも同じような状態なのだろうかと思いながら尋ねると、彼女は首肯した。やれやれと呆れたような表情を見せたバーティゴが口を開く。
「今日は大丈夫かと思ったのだけど此処へ来て調子が悪くなったのよ。困ったものよね」
バーティゴ率いる第三小隊は先程戦闘を終えて帰還したばかりであった。
彼女は正に軍司令官の如く後方で部下へと指示を飛ばすスタイルをとるはずなのだが、軍人としての血が騒ぐのか彼女は往々にして前線へと出てしまう。しかし彼女の義肢は機械人形 を殴打撃蹴する衝撃に耐えられるはずも無く、結果としてバーティゴが義肢を破壊するのは常のことなのであった。そのたびに経理部が「予算が」と嘆くが、そんなのバーティゴには何処吹く風だ。
「良ければオレに掴まってください。オレなんて前線駆除班からすれば貧弱だと思いますけど機械 班まで送りますよ」
「貴方に？」
タイガの申し出にバーティゴは大変おかしそうな顔をしていた。「貴方に出来るの？」とばかりのバーティゴの表情に、タイガの負けず嫌いの部分が顔を出す。
「大丈夫ですよ。オレだって出来ます」
差し出されたタイガの手を掴んでバーティゴはゆっくりと立ち上がる。そして右足に体重をかけながら、タイガの肩に手を置いて一足踏み出した。
「ブリノヴァさん。オレ、静かに歩きますから、寄りかかってくださいね」
一応は毎日多少の筋トレくらいはしているため、タイガはバーティゴを機械班に送るのくらい出来るとタカを括っていた。しかし、バーティゴは女性でありながらもタイガより遥かに背が高く身体も鍛えられているため、暫く進むうちにタイガの顔は真っ赤になってきていた。けれども、言い出したからには「止めよう」ということは思わず、タイガは足を進めていく。
必死に歩いているタイガと、そのタイガの肩に手を置きつつもその必死さが可笑しくて仕方ないとばかりのバーティゴは歩き続ける。
「大丈夫？」
「だ、大丈夫です！」
そんな会話をしながら廊下を進む。タイガが疲労のあまり、ひょっとしたら廊下が伸びているんじゃないかと馬鹿な事を考え始めた時だった。
「お手をお貸ししましょうか？」
ふと、そんな声にタイガが視線を向けると涼やかな表情をした男が二人を見ていた。名前は知っている。給食部のエミール・シュニーブリーだ。
タイガにとって給食部の若い男性は全てヒギリ・モナルダを狙うライバルにしか見えない。あんなに可愛い女の子と同じ職場にいて惚れないはずがないからだ。そして、そのタイガの心配通りエミールはヒギリに惚れている。しかし彼が女の子に惚れるのは常のことであり、それはヒギリだけに限るものでもないのだが、そんなことはタイガは知らない。
そんな恋のライバルと思わしきエミールの申し出を颯爽と跳ね除けたい男心は勿論ある。出来ることなら「ブリノヴァさんはオレ一人で運べます」と言い放ちたい。
「……お願い出来ますか？」
残念ながらプライドよりも体力的に辛い事実が勝った。タイガの申し出にエミールは「勿論です」と微笑んでバーティゴの空いた手を自分の肩に置くように言う。
「あら。若い男の子二人にエスコートして貰えるなんて女冥利に尽きるわね」
タイガとエミールというタイプの違う若い男二人の肩に手を置いて歩くバーティゴが笑った。タイガとエミールは５センチメートル程身長が違うため肩の高さも違い補助というにはちぐはぐで不便であるが、そこは二人の好意を無碍にするようなことはしないバーティゴの優しさが発揮されている。
「光栄です」
バーティゴの言葉にエミールが微笑む。そのさらりと答える態度が大人っぽく格好良く見えて自分もそんな態度がとれたら格好良いのにとタイガは内心歯ぎしりするしかない。
タイガ一人ではバーティゴを機械班まで連れていくのは果てしなく大変であっただろうが、エミールと二人がかりになったおかげで無事に機械班まで辿り着く。入口でちょうど出会った機械班の人間にバーティゴを託して任務完了だ。
「シュニーブリーさん、ありがとうございました」
バーティゴが機械班の部屋に消えていくのを見送った後、タイガはそう言ってエミールに頭を下げた。
「困っている人を助けるのは当然の事ですから構いませんよ。困ったときはお互い様ですから気にしないでください」
そう言うエミールに後光が射しているように見えるのは単に後ろの窓から日光が射し込んでいるからだけなのであろうか。そして、何やら有り難い存在に見えるのは彼が仏に仕える身だと履歴書の知識で把握しているからなのであろうか。とにかく、今のエミールはタイガにとって輝いて見えた。
「それでは。私はこれで失礼致します」
そう言って輝かしい男であるエミールが立ち去っていく。
その後ろ姿に、彼に負けない立派な男にならないといけないと固く誓うタイガなのであった。
小学校で習った言葉がタイガの頭を駆け抜けていた。
あの時は素直に子供らしく「はーい！」とお返事をした。
今、先生に問いたい。
困っている人が、とても怖い人の場合も助けた方がいいですか？と。
* * *
「あの、大丈夫ですか？」
過去に思いを馳せていても名案は浮かばず、タイガは結局
怖い人の名前はエレオノーラ・ブリノヴァ――通称、バーティゴだ。
そんな彼女に何故タイガが声をかけたのか。
理由は至極簡単。バーティゴが何故か廊下に座り込んでいたからである。
「誰かしら？」
バーティゴは白濁した目をタイガに向けて問いかけてきていた。彼女は視力が悪く薄ぼんやりとしか物が見えない事を思い出したタイガは慌てて自分は不審者ではないことを口に出してアピールする。
「人事部のタイガ・ヴァテールです」
名乗ってみるが当然、タイガとバーティゴとは面識がないため彼女の表情は晴れない。どうしたらいいか考えたタイガの頭に、二人の人物が浮かぶ。二人が自分の事を少しでもバーティゴに話していることを祈りながらタイガは続けて口を開いた。
「ミカナギさんに剣を見てもらったり、ルーと遊びに行ったりしてるんですけど聞いた事ありませんか？ そんな訳で、オレは怪しい人間じゃ無いですけど」
「自分で怪しい人間じゃない、という人間は怪しいものよ」
そう言うバーティゴの口元は笑っていた。その表情を見て、それはバーティゴがタイガをからかう為に言っているのだと気付き、タイガは知らずに入っていた肩の力を抜く。空気でタイガの心境の変化を読み取ったのかバーティゴの笑みは、より深くなった。
「二人の口から聞いた事のある名前よ、タイガ・ヴァテール。それで？ 私に何の用かしら？」
「何の用っていうか……ブリノヴァさんがココに座ってたので何かあったのかなって思って声をかけたんです」
タイガの言葉にバーティゴは納得したような顔を見せると己の左足を右手で軽く叩いた。軍人らしいカーキ色のフィールドパンツの下からは生身の足を叩いたのでは決してしないはずの金属を叩いたような音がする。その音を聞いてタイガはバーティゴが義足であることを思い出した。
「故障ですか？」
タイガの初恋の女の子且つ今では友人のテオフィルス・メドラーも義足であり、彼も良く義足の調子が悪いことがあった。もしかしたらバーティゴも同じような状態なのだろうかと思いながら尋ねると、彼女は首肯した。やれやれと呆れたような表情を見せたバーティゴが口を開く。
「今日は大丈夫かと思ったのだけど此処へ来て調子が悪くなったのよ。困ったものよね」
バーティゴ率いる第三小隊は先程戦闘を終えて帰還したばかりであった。
彼女は正に軍司令官の如く後方で部下へと指示を飛ばすスタイルをとるはずなのだが、軍人としての血が騒ぐのか彼女は往々にして前線へと出てしまう。しかし彼女の義肢は
「良ければオレに掴まってください。オレなんて前線駆除班からすれば貧弱だと思いますけど
「貴方に？」
タイガの申し出にバーティゴは大変おかしそうな顔をしていた。「貴方に出来るの？」とばかりのバーティゴの表情に、タイガの負けず嫌いの部分が顔を出す。
「大丈夫ですよ。オレだって出来ます」
差し出されたタイガの手を掴んでバーティゴはゆっくりと立ち上がる。そして右足に体重をかけながら、タイガの肩に手を置いて一足踏み出した。
「ブリノヴァさん。オレ、静かに歩きますから、寄りかかってくださいね」
一応は毎日多少の筋トレくらいはしているため、タイガはバーティゴを機械班に送るのくらい出来るとタカを括っていた。しかし、バーティゴは女性でありながらもタイガより遥かに背が高く身体も鍛えられているため、暫く進むうちにタイガの顔は真っ赤になってきていた。けれども、言い出したからには「止めよう」ということは思わず、タイガは足を進めていく。
必死に歩いているタイガと、そのタイガの肩に手を置きつつもその必死さが可笑しくて仕方ないとばかりのバーティゴは歩き続ける。
「大丈夫？」
「だ、大丈夫です！」
そんな会話をしながら廊下を進む。タイガが疲労のあまり、ひょっとしたら廊下が伸びているんじゃないかと馬鹿な事を考え始めた時だった。
「お手をお貸ししましょうか？」
ふと、そんな声にタイガが視線を向けると涼やかな表情をした男が二人を見ていた。名前は知っている。給食部のエミール・シュニーブリーだ。
タイガにとって給食部の若い男性は全てヒギリ・モナルダを狙うライバルにしか見えない。あんなに可愛い女の子と同じ職場にいて惚れないはずがないからだ。そして、そのタイガの心配通りエミールはヒギリに惚れている。しかし彼が女の子に惚れるのは常のことであり、それはヒギリだけに限るものでもないのだが、そんなことはタイガは知らない。
そんな恋のライバルと思わしきエミールの申し出を颯爽と跳ね除けたい男心は勿論ある。出来ることなら「ブリノヴァさんはオレ一人で運べます」と言い放ちたい。
「……お願い出来ますか？」
残念ながらプライドよりも体力的に辛い事実が勝った。タイガの申し出にエミールは「勿論です」と微笑んでバーティゴの空いた手を自分の肩に置くように言う。
「あら。若い男の子二人にエスコートして貰えるなんて女冥利に尽きるわね」
タイガとエミールというタイプの違う若い男二人の肩に手を置いて歩くバーティゴが笑った。タイガとエミールは５センチメートル程身長が違うため肩の高さも違い補助というにはちぐはぐで不便であるが、そこは二人の好意を無碍にするようなことはしないバーティゴの優しさが発揮されている。
「光栄です」
バーティゴの言葉にエミールが微笑む。そのさらりと答える態度が大人っぽく格好良く見えて自分もそんな態度がとれたら格好良いのにとタイガは内心歯ぎしりするしかない。
タイガ一人ではバーティゴを機械班まで連れていくのは果てしなく大変であっただろうが、エミールと二人がかりになったおかげで無事に機械班まで辿り着く。入口でちょうど出会った機械班の人間にバーティゴを託して任務完了だ。
「シュニーブリーさん、ありがとうございました」
バーティゴが機械班の部屋に消えていくのを見送った後、タイガはそう言ってエミールに頭を下げた。
「困っている人を助けるのは当然の事ですから構いませんよ。困ったときはお互い様ですから気にしないでください」
そう言うエミールに後光が射しているように見えるのは単に後ろの窓から日光が射し込んでいるからだけなのであろうか。そして、何やら有り難い存在に見えるのは彼が仏に仕える身だと履歴書の知識で把握しているからなのであろうか。とにかく、今のエミールはタイガにとって輝いて見えた。
「それでは。私はこれで失礼致します」
そう言って輝かしい男であるエミールが立ち去っていく。
その後ろ姿に、彼に負けない立派な男にならないといけないと固く誓うタイガなのであった。
タイガとミアとフユとヒギリ
廊下を歩いていたタイガは、その聞こえてきた音に思わず足を止めた。
タイガの足を止めたのは電子ピアノの音だ。どこから聞こえて来るのだろうかと好奇心のままに足を進めれば、何やら２人分の歌声も聞こえてくる。
照れたような歌声と、機械人形 らしい狂いのない歌声の音源は休憩所からで、タイガはひょっこり顔を覗かせる。
「ひょえっ!?」
歌声が止んで、代わりにタイガの耳に飛び込んできたのは間の抜けた少女の声。声を発したのは医療 班のミア・フローレス。その向かいのベンチに座って笑顔を浮かべて膝に電子ピアノを乗せているのは同じ医療班の機械人形のフユだった。
歌声の正体が分かったところでタイガは物怖じすることなく休憩所の中に入って行く。特に知らない一人と一体ではないからだ。
「ミアちゃんとフユさん、こんにちは」
「こっ、こんにちは、タイガ君！」
「こんにちは」
薄黄緑色の目を細めて笑うフユは無性型のため「ちゃん」付けか「くん」付けか悩むところであるが、タイガはフユの設定年齢が自分よりも高いと看做して「フユさん」と呼んでいた。そして実際、フユの設定年齢は２８歳でタイガの勘は当たっている。
「ごめんね、歌の邪魔して」
「いいえっ、むしろ騒がしくしててごめんなさい！」
ミアは顔を赤くして、首がもげるんじゃないかという勢いで横に振った。
タイガ自身も顔に出やすい分かりやすい性格と言われているが、ミアはその上を行く分かりやすさだ。今度の誕生日でようやく成人を迎えるというが、同い年のクロエ・バートンと比べると遥かに幼稚に見える。まぁ、この場合は対象のクロエがえらく大人びているということもあるのだが。
そんな彼女に向かって「別に迷惑じゃないよ」と言っていると、フユが唐突にポロンと和音を奏でるようにピアノを鳴らした。
その音にタイガとミアの目線がフユへと集中する。人間の視線を集めたフユは悪戯に成功した子供のような雰囲気を纏っていた。
「ヴァテールさんもいかがですか？ 歌を歌うとコルチゾール……ストレスホルモンが減るという実験結果もあるんですよ」
そう言って微笑むフユに、ミアの目が輝く。
感情の振れ幅の大きい彼女は、自分が歌声を聞かれたことに照れていたことも忘れてフユの言葉に便乗した。
「タイガ君！ 折角だから何か歌いましょう!?」
「え、オレも……？」
いきなりの申し出にタイガはさすがに目を瞬く。
歌うといっても何を歌えば良いのか。先程までのミアはテロの前に良く売れたラブソングを熱唱していたが、さすがにそういう歌を誰が聞くとも分からない休憩所で堂々と歌う勇気はタイガにはなかった。
「余程のマイナー曲でなければ、ぼくは演奏出来ますから」
機械人形らしい優秀な発言をするフユに、そういえば最近カラオケ行ってないし全然歌ってないな、とタイガは思う。
そう思うと急に歌いたくなるのが人間というものだ。
そんなに急いで戻らなければいけない処理もないし、一曲、二曲くらいなら歌うのも楽しそうな気がしてくる。
「２人も歌ってくれるよね？」
ソロで歌う勇気も無かったタイガはミアとフユに問いかけた。
「はい、もちろんです」
直ぐに返事をしたのは機械人形のフユだ。ミアは恥ずかしいのか「うー……」と可愛らしく唸って返事を悩む様子を見せる。
「大丈夫。ミアちゃんの歌声はさっき聞いてたし」
「思い出させないでくださいっ。恥ずかしいなぁ、もう……」
「聞かれたのがネビロスさんじゃなくて良かった」と想い人の名前を口に出しつつ暫く悩んでいたミアだったが、やがて了承するように頷いた。しかし、とある事に気づいてタイガに問いかける。
「でもタイガ君、何歌うんですか？ 私、男性の歌を歌うのは苦手です」
低音には自信の無いミアである。タイガもあまり低い音は得意ではないため、それは無いと安心させるようにミアに微笑んだ。
「オレが歌いたいのはね――」
* * *
廊下を歩いていたヒギリは、その聞こえてきた音に思わず足を止めた。
電子ピアノの音と、何やら楽しそうな歌声。
それだけでは何とも微笑ましい光景のようであるが、その歌声を聞いたヒギリの顔色は悪かった。それは歌声が少し音を外す時があるからではない。ヒギリの顔色を悪くしていたのは、その選曲だった。
聞こえてきていたのはヒギリがローズ・マリーという芸名で所属していたアイドルグループ『ディーヴァ×クアエダム』の出した歌の中でも１番売れた歌である『ボクらの青い星』だった。『ディーヴァ×クアエダム』自体は不動のセンターであったソフィア・マーテルのおかげというのも何だが無名ではなく、歌を知る人間も決して少なくはない。しかし、その歌をわざわざ結社内で歌っている人物がいるというのは、ヒギリとしては見逃せない事案だった。
一体、どこの誰が恥ずかしげもなくこんな公共の場で歌っているのか。
音の出処を探るためヒギリは足音を極力たてないようにして歩く。
どうやら音は医療班近くの休憩所から聞こえているようだ。そして近付いてきたヒギリは歌声が３人のものであり、そのうちの１つの男性の歌声が聞き覚えのある声であることに気付いて眉を顰めた。
『ありがとうございます、モナちゃん！』
愛の日の翌日。食堂でそんな会話をした彼の顔が頭に浮かぶ。
彼の金色のふわふわした髪が少しだけヒギリが週刊誌に載る原因となったどっかの誰かさんに似ている男――タイガ・ヴァテールの顔が。
何故、その彼が『ディーヴァ×クアエダム』の曲を歌っているのか。
ヒギリは恐る恐る休憩所を覗き込んだ。そして紫色の愛らしい瞳を丸くして、その光景を見ることになる。
「ひっ……」
思わず叫びそうになった口を咄嗟的に自分の手で覆ってヒギリは悲鳴を押し殺した。休憩所の中はピアノ伴奏付きで盛り上がっているので、押し殺したヒギリの悲鳴は楽しく歌う人間の耳には届かない。
休憩所の中にいたのは２人と一体。瑠璃色のスクラブの１人と一体は医療班、もう１人は間違いなくヒギリが想像した通りの人物であるタイガだった。
人間２人は入口――すなわちヒギリに背を向けて歌っていたが、何故か女の子の方ではなくタイガが完璧な振り付けだった。女の子がソフィアの振り付けなのは良い。『ディーヴァ×クアエダム』で有名なのはセンターのソフィアであるし、その振り付けが多少真似できるのは今の女の子として何らおかしくはない。
おかしいのはタイガの方だった。
何故、よりにもよってすみっこの立ち位置の多いローズ・マリーの振り付けをしているのか。しかも、ビックリするくらい良く踊れていた。
唯一の機械人形、フユは押し殺したヒギリの悲鳴もちゃんと聞こえていたのか、はたまた休憩所内を凝視する人間の熱を感知したのか、電子ピアノの演奏をしながらハモリもこなし、その上でヒギリへと薄黄緑色の目を向けた。フユとしては「歌ってくれる仲間が増えるかな」といったことからヒギリを見ただけなのだが、歌っている曲に対して過剰に反応していたヒギリは、昔話に出てきた人喰い魔女が正体がバレて「見たな……？」と迫ってくる恐怖の瞬間の登場人物と同じ気持ちになっていた。
見てない。私は何も見てない、聞いてない。聞いてないよォ。
くるりとアイドル並の華麗なターンをしてヒギリは休憩所に背を向けると、脱兎のごとく逃げ出した。タイミングが良いのか悪いのか、丁度、曲の終わったタイガとミアの耳にもそのパタパタと逃げ去る音が聞こえてしまう。
「えっ!? フユちゃん、誰がいたの!?」
「誰!? 」
走り去る足音にミアとタイガが痴態を見られてしまったことに気付いて、唯一入口が見える方向に座っていたフユに詰め寄った。
しかし、フユは。
「さあ？ それより次は何を歌いますか？」と惚けたように言って微笑んでピアノを鳴らすだけで、決して誰に見られたか教えてくれずタイガとミアは悶々とする羽目になったのであった。
タイガの足を止めたのは電子ピアノの音だ。どこから聞こえて来るのだろうかと好奇心のままに足を進めれば、何やら２人分の歌声も聞こえてくる。
照れたような歌声と、
「ひょえっ!?」
歌声が止んで、代わりにタイガの耳に飛び込んできたのは間の抜けた少女の声。声を発したのは
歌声の正体が分かったところでタイガは物怖じすることなく休憩所の中に入って行く。特に知らない一人と一体ではないからだ。
「ミアちゃんとフユさん、こんにちは」
「こっ、こんにちは、タイガ君！」
「こんにちは」
薄黄緑色の目を細めて笑うフユは無性型のため「ちゃん」付けか「くん」付けか悩むところであるが、タイガはフユの設定年齢が自分よりも高いと看做して「フユさん」と呼んでいた。そして実際、フユの設定年齢は２８歳でタイガの勘は当たっている。
「ごめんね、歌の邪魔して」
「いいえっ、むしろ騒がしくしててごめんなさい！」
ミアは顔を赤くして、首がもげるんじゃないかという勢いで横に振った。
タイガ自身も顔に出やすい分かりやすい性格と言われているが、ミアはその上を行く分かりやすさだ。今度の誕生日でようやく成人を迎えるというが、同い年のクロエ・バートンと比べると遥かに幼稚に見える。まぁ、この場合は対象のクロエがえらく大人びているということもあるのだが。
そんな彼女に向かって「別に迷惑じゃないよ」と言っていると、フユが唐突にポロンと和音を奏でるようにピアノを鳴らした。
その音にタイガとミアの目線がフユへと集中する。人間の視線を集めたフユは悪戯に成功した子供のような雰囲気を纏っていた。
「ヴァテールさんもいかがですか？ 歌を歌うとコルチゾール……ストレスホルモンが減るという実験結果もあるんですよ」
そう言って微笑むフユに、ミアの目が輝く。
感情の振れ幅の大きい彼女は、自分が歌声を聞かれたことに照れていたことも忘れてフユの言葉に便乗した。
「タイガ君！ 折角だから何か歌いましょう!?」
「え、オレも……？」
いきなりの申し出にタイガはさすがに目を瞬く。
歌うといっても何を歌えば良いのか。先程までのミアはテロの前に良く売れたラブソングを熱唱していたが、さすがにそういう歌を誰が聞くとも分からない休憩所で堂々と歌う勇気はタイガにはなかった。
「余程のマイナー曲でなければ、ぼくは演奏出来ますから」
機械人形らしい優秀な発言をするフユに、そういえば最近カラオケ行ってないし全然歌ってないな、とタイガは思う。
そう思うと急に歌いたくなるのが人間というものだ。
そんなに急いで戻らなければいけない処理もないし、一曲、二曲くらいなら歌うのも楽しそうな気がしてくる。
「２人も歌ってくれるよね？」
ソロで歌う勇気も無かったタイガはミアとフユに問いかけた。
「はい、もちろんです」
直ぐに返事をしたのは機械人形のフユだ。ミアは恥ずかしいのか「うー……」と可愛らしく唸って返事を悩む様子を見せる。
「大丈夫。ミアちゃんの歌声はさっき聞いてたし」
「思い出させないでくださいっ。恥ずかしいなぁ、もう……」
「聞かれたのがネビロスさんじゃなくて良かった」と想い人の名前を口に出しつつ暫く悩んでいたミアだったが、やがて了承するように頷いた。しかし、とある事に気づいてタイガに問いかける。
「でもタイガ君、何歌うんですか？ 私、男性の歌を歌うのは苦手です」
低音には自信の無いミアである。タイガもあまり低い音は得意ではないため、それは無いと安心させるようにミアに微笑んだ。
「オレが歌いたいのはね――」
* * *
廊下を歩いていたヒギリは、その聞こえてきた音に思わず足を止めた。
電子ピアノの音と、何やら楽しそうな歌声。
それだけでは何とも微笑ましい光景のようであるが、その歌声を聞いたヒギリの顔色は悪かった。それは歌声が少し音を外す時があるからではない。ヒギリの顔色を悪くしていたのは、その選曲だった。
聞こえてきていたのはヒギリがローズ・マリーという芸名で所属していたアイドルグループ『ディーヴァ×クアエダム』の出した歌の中でも１番売れた歌である『ボクらの青い星』だった。『ディーヴァ×クアエダム』自体は不動のセンターであったソフィア・マーテルのおかげというのも何だが無名ではなく、歌を知る人間も決して少なくはない。しかし、その歌をわざわざ結社内で歌っている人物がいるというのは、ヒギリとしては見逃せない事案だった。
一体、どこの誰が恥ずかしげもなくこんな公共の場で歌っているのか。
音の出処を探るためヒギリは足音を極力たてないようにして歩く。
どうやら音は医療班近くの休憩所から聞こえているようだ。そして近付いてきたヒギリは歌声が３人のものであり、そのうちの１つの男性の歌声が聞き覚えのある声であることに気付いて眉を顰めた。
『ありがとうございます、モナちゃん！』
愛の日の翌日。食堂でそんな会話をした彼の顔が頭に浮かぶ。
彼の金色のふわふわした髪が少しだけヒギリが週刊誌に載る原因となったどっかの誰かさんに似ている男――タイガ・ヴァテールの顔が。
何故、その彼が『ディーヴァ×クアエダム』の曲を歌っているのか。
ヒギリは恐る恐る休憩所を覗き込んだ。そして紫色の愛らしい瞳を丸くして、その光景を見ることになる。
「ひっ……」
思わず叫びそうになった口を咄嗟的に自分の手で覆ってヒギリは悲鳴を押し殺した。休憩所の中はピアノ伴奏付きで盛り上がっているので、押し殺したヒギリの悲鳴は楽しく歌う人間の耳には届かない。
休憩所の中にいたのは２人と一体。瑠璃色のスクラブの１人と一体は医療班、もう１人は間違いなくヒギリが想像した通りの人物であるタイガだった。
人間２人は入口――すなわちヒギリに背を向けて歌っていたが、何故か女の子の方ではなくタイガが完璧な振り付けだった。女の子がソフィアの振り付けなのは良い。『ディーヴァ×クアエダム』で有名なのはセンターのソフィアであるし、その振り付けが多少真似できるのは今の女の子として何らおかしくはない。
おかしいのはタイガの方だった。
何故、よりにもよってすみっこの立ち位置の多いローズ・マリーの振り付けをしているのか。しかも、ビックリするくらい良く踊れていた。
唯一の機械人形、フユは押し殺したヒギリの悲鳴もちゃんと聞こえていたのか、はたまた休憩所内を凝視する人間の熱を感知したのか、電子ピアノの演奏をしながらハモリもこなし、その上でヒギリへと薄黄緑色の目を向けた。フユとしては「歌ってくれる仲間が増えるかな」といったことからヒギリを見ただけなのだが、歌っている曲に対して過剰に反応していたヒギリは、昔話に出てきた人喰い魔女が正体がバレて「見たな……？」と迫ってくる恐怖の瞬間の登場人物と同じ気持ちになっていた。
見てない。私は何も見てない、聞いてない。聞いてないよォ。
くるりとアイドル並の華麗なターンをしてヒギリは休憩所に背を向けると、脱兎のごとく逃げ出した。タイミングが良いのか悪いのか、丁度、曲の終わったタイガとミアの耳にもそのパタパタと逃げ去る音が聞こえてしまう。
「えっ!? フユちゃん、誰がいたの!?」
「誰!? 」
走り去る足音にミアとタイガが痴態を見られてしまったことに気付いて、唯一入口が見える方向に座っていたフユに詰め寄った。
しかし、フユは。
「さあ？ それより次は何を歌いますか？」と惚けたように言って微笑んでピアノを鳴らすだけで、決して誰に見られたか教えてくれずタイガとミアは悶々とする羽目になったのであった。
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