愛の日の朝を迎えて／燐花
最終更新：
rinka_creation 2021年02月07日(日) 21:51:29履歴
愛の日の朝のテディ 
あなたの姿が見えるとね
楽しい事のにおいがするの
だからピンと尻尾を立てて
可愛く鳴いて傍に行くの──
風邪は少し前に無事全快。テディは意気揚々と服を着替える。それはいつものテディらしいコーディネートの服ではなく、むしろ以前三色ショッピングでテオフィルスの選んだ曰く「オタクっぽーい」服に近い。この日、テディは他にも用意していた物がある。チョコとリヤカーだ。とうとう迎えた愛の日。らしい事をしたいとテディが言い出し密かに進められて来た「結社全員チョコ配り計画、誰もぼっちと言わせない」作戦決行の為の重要な物。
調達班の面々でリヤカーに乗せたチョコを配り歩くお祭り企画。正直全員に配れるか分からないが(この日が休日のメンバーもいる為)まあ、目に付いたら配ろうと言う超絶アバウトなルールの下着々と準備が進められていた。
鏡の前で一人、くるりんと回ってみる。うん、可愛い可愛い。どうせならこの衣装に合わせてピンク中心の可愛いメイクもしちゃおうっと。テディは愛の日の盛り上がりを確信した。視界の端に一際大きなサイズの同じ衣装を見るとどうしても不機嫌そうな顔になってしまうが。
「むー…シキってば勿体無いー…」
それはシキに用意した衣装だった。ツインテールまでやってくれ、そのままミクリカに行ってくれたシキならこれも着てくれるのではないかと用意したが、こればっかりは流石に全力で拒否されてしまった。ツインテールで街中を歩く事を了承したシキでも、流石に可愛いスカートのコスチュームを着て歩くのは無理との事。むしろ今までよく何でも引き受けてくれたものだが、テディにはこの断られた事実が大き過ぎて彼がとんでもない薄情者に見えた。
「もうー…ボクらの友情ってその程度なの！？」
フリルの付いたスカートにカラフルなブラウス。まるでアイドルの衣装。むしろよくこれを着るように言った事で友情が壊れなかったと思うが、ここで言っても仕方がない、テディはあまりよく分かって居ないのだから。それよりも重要なのは愛の日だ。
昨日は早く寝たから元気だし肌艶もバッチリ。きっとお化粧も可愛く決まる。今日は皆でチョコを配って、盛り上げて、ちゃんと調達班に用意したお菓子も忘れずに渡して…ああ楽しみ！
「へへ…ボク幸せだなぁ〜…」
風邪も全快し、幸せな行事を前にしたテディは誰にも負けないくらいウキウキしていた。この後調達班の部屋に向かったテディは、シキの姿を見て驚愕する。流石にスカートは履けないけど、と言いながら似た様なイメージのコスチュームを見に纏った彼がいたからだ(おそらく大道芸人の衣装だと思われるが)。
ネビロスがミアを食事に誘う予定だと言っていたのでそのデート用の服もリヤカーに詰め、テディの掛け声に合わせて調達班は円陣を組んだ。
「絶対愛の日盛り上げるぞー！！」
「「「おおおー！！」」」
楽しい事のにおいがするの
だからピンと尻尾を立てて
可愛く鳴いて傍に行くの──
風邪は少し前に無事全快。テディは意気揚々と服を着替える。それはいつものテディらしいコーディネートの服ではなく、むしろ以前三色ショッピングでテオフィルスの選んだ曰く「オタクっぽーい」服に近い。この日、テディは他にも用意していた物がある。チョコとリヤカーだ。とうとう迎えた愛の日。らしい事をしたいとテディが言い出し密かに進められて来た「結社全員チョコ配り計画、誰もぼっちと言わせない」作戦決行の為の重要な物。
調達班の面々でリヤカーに乗せたチョコを配り歩くお祭り企画。正直全員に配れるか分からないが(この日が休日のメンバーもいる為)まあ、目に付いたら配ろうと言う超絶アバウトなルールの下着々と準備が進められていた。
鏡の前で一人、くるりんと回ってみる。うん、可愛い可愛い。どうせならこの衣装に合わせてピンク中心の可愛いメイクもしちゃおうっと。テディは愛の日の盛り上がりを確信した。視界の端に一際大きなサイズの同じ衣装を見るとどうしても不機嫌そうな顔になってしまうが。
「むー…シキってば勿体無いー…」
それはシキに用意した衣装だった。ツインテールまでやってくれ、そのままミクリカに行ってくれたシキならこれも着てくれるのではないかと用意したが、こればっかりは流石に全力で拒否されてしまった。ツインテールで街中を歩く事を了承したシキでも、流石に可愛いスカートのコスチュームを着て歩くのは無理との事。むしろ今までよく何でも引き受けてくれたものだが、テディにはこの断られた事実が大き過ぎて彼がとんでもない薄情者に見えた。
「もうー…ボクらの友情ってその程度なの！？」
フリルの付いたスカートにカラフルなブラウス。まるでアイドルの衣装。むしろよくこれを着るように言った事で友情が壊れなかったと思うが、ここで言っても仕方がない、テディはあまりよく分かって居ないのだから。それよりも重要なのは愛の日だ。
昨日は早く寝たから元気だし肌艶もバッチリ。きっとお化粧も可愛く決まる。今日は皆でチョコを配って、盛り上げて、ちゃんと調達班に用意したお菓子も忘れずに渡して…ああ楽しみ！
「へへ…ボク幸せだなぁ〜…」
風邪も全快し、幸せな行事を前にしたテディは誰にも負けないくらいウキウキしていた。この後調達班の部屋に向かったテディは、シキの姿を見て驚愕する。流石にスカートは履けないけど、と言いながら似た様なイメージのコスチュームを見に纏った彼がいたからだ(おそらく大道芸人の衣装だと思われるが)。
ネビロスがミアを食事に誘う予定だと言っていたのでそのデート用の服もリヤカーに詰め、テディの掛け声に合わせて調達班は円陣を組んだ。
「絶対愛の日盛り上げるぞー！！」
「「「おおおー！！」」」
愛の日の朝のネビロス
朝が来て 夜が来て
また朝になって夜になる
そうして過ごしたこの手から
あなたの温もり消えなくて──
愛の日の今日、ネビロスは緊張していた。少し前、家族と過ごした幸せな日々を思い出して精神的に不安定になってしまったミア。彼女を落ち着かせる為だったのか別の理由があったのか、彼女からハグを求められて大人らしい対応が出来なかった。そう、あれはまるで恋人にする様な。
残念ながら自分達はまだ恋人では無い。どちらかがどちらかに想いを伝えたわけでも無い。
だからこそ医療班に会いに行くのは少し怖かった。もしも抱き締めていた事がバレていたとしてミアから拒絶されたり咎められたりするかもしれないと言う覚悟は持っておくべきだろうか。
だがそれよりも、せっかくの愛の日だ。浮かない顔をしていてはいけない。数日前からバッチリ用意をしてきたのだから。
ネビロスは医療班に配る用のガレット・デ・ロワを焼いていた。勿論中には小さな陶器人形、フェーヴも入っている。一斉休憩に入れた時に皆に配ろう。ケーキ箱に焼き上がったガレット・デ・ロワをそっと入れ、ネビロスは部屋を出る。
彼女だけに渡すつもりでいたマカロンは後で渡すのか部屋に大事に置いていかれた。
「おはようございます」
「あら、おはようネビロス」
部屋に着いてすぐ、アペルピシアと顔を合わせた。
「調子はどう？」
「おかげさまで。処方された薬も悪さしないみたいですね」
「それは良かった。今日は愛の日だけど、いつも通りにお願いね」
浮かれないで、と釘を刺された様な感じがしてネビロスは苦笑いする。キョロキョロ辺りを見回すと、皆いつも通りに出勤していた。その中にミアの姿を見付け一瞬どきりとする。
「おはようございます、ミア」
「ネビロスさん！おはようございます！」
いつも通りの元気なミア。その姿にほっとしつつ夕食に誘うつもりだったので少し緊張しながら口を開く。
「ミア、今日は仕事終わりに予定は入っていませんか？」
「あ、はい！何も無いですよ！」
「そうですか…では、もし良かったら私と…」
そこまで言い掛けて、突如ミアを呼ぶ声。薬品の場所が分からない、と言われては行かせないわけには行かず、ネビロスは「後でまたお話しましょう」と彼女を送り出す。
彼女の背中を見送った後、珍しく一人息を整える様に呼吸をした。今までそこまで強く意識しなかったのに、いざ気持ちに気付いたら夕食一つ誘うのも大きな壁だ。
「そう言えば…二人きりで行った事はありませんでしたか…」
医療班として複数人で食事に行った事はあったが、二人きりの状態で誘うのは初めてだった。ネビロスの特殊な恋愛経験の中に「女性を食事に誘う」と言うカテゴリーは無い。二十九歳にして初めて経験するそれは驚くくらいネビロスの気持ちを揺さぶった。
「情けない…」
断られたらどうしようだとか考えるとキリがないけれど。それでも後でタイミングを見てもう一度誘ってみよう。
部屋に置いて来た菓子はその時に渡そう。そう思ってネビロスは気持ちを切り替え、業務に励んだ。
また朝になって夜になる
そうして過ごしたこの手から
あなたの温もり消えなくて──
愛の日の今日、ネビロスは緊張していた。少し前、家族と過ごした幸せな日々を思い出して精神的に不安定になってしまったミア。彼女を落ち着かせる為だったのか別の理由があったのか、彼女からハグを求められて大人らしい対応が出来なかった。そう、あれはまるで恋人にする様な。
残念ながら自分達はまだ恋人では無い。どちらかがどちらかに想いを伝えたわけでも無い。
だからこそ医療班に会いに行くのは少し怖かった。もしも抱き締めていた事がバレていたとしてミアから拒絶されたり咎められたりするかもしれないと言う覚悟は持っておくべきだろうか。
だがそれよりも、せっかくの愛の日だ。浮かない顔をしていてはいけない。数日前からバッチリ用意をしてきたのだから。
ネビロスは医療班に配る用のガレット・デ・ロワを焼いていた。勿論中には小さな陶器人形、フェーヴも入っている。一斉休憩に入れた時に皆に配ろう。ケーキ箱に焼き上がったガレット・デ・ロワをそっと入れ、ネビロスは部屋を出る。
彼女だけに渡すつもりでいたマカロンは後で渡すのか部屋に大事に置いていかれた。
「おはようございます」
「あら、おはようネビロス」
部屋に着いてすぐ、アペルピシアと顔を合わせた。
「調子はどう？」
「おかげさまで。処方された薬も悪さしないみたいですね」
「それは良かった。今日は愛の日だけど、いつも通りにお願いね」
浮かれないで、と釘を刺された様な感じがしてネビロスは苦笑いする。キョロキョロ辺りを見回すと、皆いつも通りに出勤していた。その中にミアの姿を見付け一瞬どきりとする。
「おはようございます、ミア」
「ネビロスさん！おはようございます！」
いつも通りの元気なミア。その姿にほっとしつつ夕食に誘うつもりだったので少し緊張しながら口を開く。
「ミア、今日は仕事終わりに予定は入っていませんか？」
「あ、はい！何も無いですよ！」
「そうですか…では、もし良かったら私と…」
そこまで言い掛けて、突如ミアを呼ぶ声。薬品の場所が分からない、と言われては行かせないわけには行かず、ネビロスは「後でまたお話しましょう」と彼女を送り出す。
彼女の背中を見送った後、珍しく一人息を整える様に呼吸をした。今までそこまで強く意識しなかったのに、いざ気持ちに気付いたら夕食一つ誘うのも大きな壁だ。
「そう言えば…二人きりで行った事はありませんでしたか…」
医療班として複数人で食事に行った事はあったが、二人きりの状態で誘うのは初めてだった。ネビロスの特殊な恋愛経験の中に「女性を食事に誘う」と言うカテゴリーは無い。二十九歳にして初めて経験するそれは驚くくらいネビロスの気持ちを揺さぶった。
「情けない…」
断られたらどうしようだとか考えるとキリがないけれど。それでも後でタイミングを見てもう一度誘ってみよう。
部屋に置いて来た菓子はその時に渡そう。そう思ってネビロスは気持ちを切り替え、業務に励んだ。
愛の日の朝のギルバート
君が好きだよ
大好きだよ
だから、笑ってほしいんだ──
人を一人辞めさせてしまった騒動から約一ヶ月。結社に戻って来ていたギルバートは決意を新たにドキドキしながらラッピングを施していた。
今日は愛の日。ギルバートのスケジュールで言うならば今日は休みなのだが、半年前から片思いをしているアンにどうしても手作りの菓子で日頃の感謝を贈りたかった。だから今日は渡す為だけに結社に顔を出す。
アンの性格を考えるとあまり華やか過ぎる色合いのラッピングは安っぽく見えてしまうかもしれない。そうなると、一体何色が似合うのか。ギルバートは菓子を作っていた昨日の間からずっと考えていた。
「だ、駄目だ…アンに似合いそうなラッピングが全く浮かばない…」
ピンクの包みに金色のテープをまず考えたが、手持ちのアイテムがあまりに子供っぽ過ぎる気がする。アンに宛てると言う事は一緒にいるミサキやマジュに宛てるのと同義でもあるのでそれでも良い様な気はするが、自分があげたいのはあくまでアンなので保留。
水色の包みや緑の包み等も考えたが、愛の日なのだからやはり暖色系がイメージとして好ましい。そうなるとやはり、彼女の髪の色でもある赤が良いだろうか。
「赤…」
出会ってから今日までの事を思い出す。不躾にもいきなりフルネームで呼び捨てにしてしまった最悪の対面からそろそろ半年。彼女の横顔に見たぶっきらぼうながら優しい眼差し。強さのすぐ横にある少し脆い弱さ。想いは募るばかりだ。
顔を合わせる機会はそんなに多くはないけれど、だからこそ行ける時は嬉々として機会班に向かったりする。
自分がただ姿が見えるだけで幸せだなんてそんな青い恋愛観でもって恋をするとは思っていなかったのに。
「と、とにかくラッピングを…」
ラズベリーの様な濃い赤のラッピングで包み、金の縁取りのされたピンクのリボンを縛る。リボンの先にハサミの背を当ててギュッと引っ張ればくるくると可愛いアクセントが付く。
時計を見、何時頃向かおうか考える。アンの休憩と上手く重なると良いが、どうだろうか。
そう考えながらぼーっとするギルバート。ところで彼は今この瞬間もやらなければいけない大事な事を一つ忘れていた。
作ったお菓子の味見である。
作っている間から焼き上がり後に至るまで、ギルバートは緊張のあまり「味見をする」と言う工程を忘れていた。
「よし！昼にはアンを探しに行かなければいけないな」
そんな事より味見はどうした。
大好きだよ
だから、笑ってほしいんだ──
人を一人辞めさせてしまった騒動から約一ヶ月。結社に戻って来ていたギルバートは決意を新たにドキドキしながらラッピングを施していた。
今日は愛の日。ギルバートのスケジュールで言うならば今日は休みなのだが、半年前から片思いをしているアンにどうしても手作りの菓子で日頃の感謝を贈りたかった。だから今日は渡す為だけに結社に顔を出す。
アンの性格を考えるとあまり華やか過ぎる色合いのラッピングは安っぽく見えてしまうかもしれない。そうなると、一体何色が似合うのか。ギルバートは菓子を作っていた昨日の間からずっと考えていた。
「だ、駄目だ…アンに似合いそうなラッピングが全く浮かばない…」
ピンクの包みに金色のテープをまず考えたが、手持ちのアイテムがあまりに子供っぽ過ぎる気がする。アンに宛てると言う事は一緒にいるミサキやマジュに宛てるのと同義でもあるのでそれでも良い様な気はするが、自分があげたいのはあくまでアンなので保留。
水色の包みや緑の包み等も考えたが、愛の日なのだからやはり暖色系がイメージとして好ましい。そうなるとやはり、彼女の髪の色でもある赤が良いだろうか。
「赤…」
出会ってから今日までの事を思い出す。不躾にもいきなりフルネームで呼び捨てにしてしまった最悪の対面からそろそろ半年。彼女の横顔に見たぶっきらぼうながら優しい眼差し。強さのすぐ横にある少し脆い弱さ。想いは募るばかりだ。
顔を合わせる機会はそんなに多くはないけれど、だからこそ行ける時は嬉々として機会班に向かったりする。
自分がただ姿が見えるだけで幸せだなんてそんな青い恋愛観でもって恋をするとは思っていなかったのに。
「と、とにかくラッピングを…」
ラズベリーの様な濃い赤のラッピングで包み、金の縁取りのされたピンクのリボンを縛る。リボンの先にハサミの背を当ててギュッと引っ張ればくるくると可愛いアクセントが付く。
時計を見、何時頃向かおうか考える。アンの休憩と上手く重なると良いが、どうだろうか。
そう考えながらぼーっとするギルバート。ところで彼は今この瞬間もやらなければいけない大事な事を一つ忘れていた。
作ったお菓子の味見である。
作っている間から焼き上がり後に至るまで、ギルバートは緊張のあまり「味見をする」と言う工程を忘れていた。
「よし！昼にはアンを探しに行かなければいけないな」
そんな事より味見はどうした。
愛の日の朝のヴォイド
あなたからもらうそれが好き
可愛く鳴くのはそれが欲しいから
困った顔で微笑んで、撫でてそれをくれるあなたが好き──
ジリリリリ…とけたたましく鳴る目覚ましにガンと音を立てて手を置く。もうこのやり方でかれこれ三つは時計を壊した気もするが、ヴォイドの止める手はついつい勢い余ってしまう。
「うーん…」
布団の中でぐっと伸びをしてまだまだ重たい瞼を擦る。カレンダーを見て今日の日付を確認。
カーテンを開けて顔を洗い、トースターでパンを焼く。今日は何にしようかと冷蔵庫を漁り、ジャムの棚を眺めた。別にパンに塗るものにうるさいわけではないのだが、色々と味見目的で購入した結果いろんな味のジャムやペーストが溜まってしまった。
甘い味の物を、と思い掛けて今日が愛の日な事を思い出す。
医療班にはとてもまめなミアが居る。愛の日でなくてもお菓子を日常的に持ち込んでいるネビロスがいる。この二人が今日菓子を持ち込んでいないわけがない。今日は甘いものがたくさん食べれそうな気がしたので、アボカドのペーストをパンに塗る事にする。
愛の日。ヴォイドは今まで縁がなかった事を思い出していた。そもそも岸壁街での生活では、誰かに何かを改めて贈るだけの余裕が無かった。その日食べる物も怪しくて、あそこに居た子供達は本当に日々飢えていたな。
「………」
頭の中で少年のテオフィルスが「少しは残して…」と切なそうに呟くのを思い出した。そう言えば昔は家族の様に一緒に居て、さも当たり前の様に彼の食料を集っていた。そう言えばあの時の肉は美味しかったな。でもお腹が空いていたからと言ってあんなに清々しい程に我が物顔でぶんどったのはやっぱり申し訳なかった。
アボカドペーストを塗ったパンを口に含みながら昔の事を思い出す。この歳になって岸壁街を抜け出して、愛の日に仲間への贈り物を用意しているなんて不思議な巡り合わせだとも思う。まだ所謂「地上の人」に馴染めたわけではないが、こんな風に楽しむ余裕があるのは良い事だ。
それでも一つだけどうしても未だに他人事な事がヴォイドにはあった。それはこの愛の日でも関連が深い事、恋愛だ。
子供の頃は確かに恋をしていた。幼くて庇護者への憧れもあったかもしれない。サンドベージュの長い髪を結った彼に恋をしていた。ずっとずっと好きでいて、外に出られず会えなくなった時にその気持ちは心の奥に一度封じてしまったが。
それと口には出さないが、一緒に居た間は確かにあの岸壁街らしからぬ服を着ていたあの男の事も好きだった。と思う。あまりにも「愛してる」だの何だの歯の浮く台詞を毎日聞かされていたせいか、いつか憎からず思う様になっていた。その彼も、紆余曲折あって段々隣に居るのが当たり前に思い始めた頃自分を置きざりにして、どこへでも行って良いと言わんばかりに自由にして、まるで消える様に居なくなってしまったのだが。
好きになった人は皆何かしらの形で一度居なくなってしまう。そう学習したヴォイドは長らく愛から遠ざかっていた。あのオッドアイの白い機械人形とセットなあの彼とはここで出会った時から他の人とまた違う特別さがある様に見えて、何だか彼の見る世界が面白く見えて、だけど深入りし過ぎて居なくなってほしくないから普段少しだけブレーキを掛けて猫を思い浮かべて彼と重ねる。たまにあのふわふわした髪を触りたくなるのは猫に置き換えて見過ぎたところもある気がする。
医療班の皆、テオフィルス、ユウヤミ、ヨダカ、ロザリー、ベルナール、フランソワ。こんなに大切に思えるものが出来ると思わなかった。
目の前から消えて無くなって欲しくない。自分が好意を見せた瞬間にまた消えてしまったらどうしよう。だから普段何があっても愛情からは少しだけ距離を置いている。そんな自分が誰かから愛される対象になる事も無いと思っている。普段例の黒狐の求愛を迷惑そうに見ているのも、一度離れた彼の発言を本気で社交辞令や冗談だと思っているからだ。
でも、そんな私も愛の日くらい何か形に残しても良いのかも。だって愛の日だから。消滅の神様もきっと私の好意を許してくれる。私が誰かから好意をもらう事も許してくれる。
そう思いながら医療班の皆に配る予定のチョコレートを棚から取り出す。とても美味しそうだ。
「…一個食べて良いかな…」
とは言え色々言ったが。やっぱり色気より食い気の方が強そうなヴォイドは朝から贈り物を食べてはいけないと言う理性と格闘していた。
昼だ、昼に皆で思う存分食べる。今日は思う存分皆が持って来た好意を食べる。
今日は愛の日。愛の日と言えば、この日に愛の告白をする人間も多い。もしも今日何か言われたら、例えいつもの奴の冗談だとしてもちょっとだけどきりとしてしまうかも。
そんな事を考えてゾッとした。愛の日は普段ボーッとしている彼女の意識すら特別にするらしい。
「私、何か今日気持ち悪…っ」
珍しくヴォイドは一人、顔を赤くしたり青くしたりした。
可愛く鳴くのはそれが欲しいから
困った顔で微笑んで、撫でてそれをくれるあなたが好き──
ジリリリリ…とけたたましく鳴る目覚ましにガンと音を立てて手を置く。もうこのやり方でかれこれ三つは時計を壊した気もするが、ヴォイドの止める手はついつい勢い余ってしまう。
「うーん…」
布団の中でぐっと伸びをしてまだまだ重たい瞼を擦る。カレンダーを見て今日の日付を確認。
カーテンを開けて顔を洗い、トースターでパンを焼く。今日は何にしようかと冷蔵庫を漁り、ジャムの棚を眺めた。別にパンに塗るものにうるさいわけではないのだが、色々と味見目的で購入した結果いろんな味のジャムやペーストが溜まってしまった。
甘い味の物を、と思い掛けて今日が愛の日な事を思い出す。
医療班にはとてもまめなミアが居る。愛の日でなくてもお菓子を日常的に持ち込んでいるネビロスがいる。この二人が今日菓子を持ち込んでいないわけがない。今日は甘いものがたくさん食べれそうな気がしたので、アボカドのペーストをパンに塗る事にする。
愛の日。ヴォイドは今まで縁がなかった事を思い出していた。そもそも岸壁街での生活では、誰かに何かを改めて贈るだけの余裕が無かった。その日食べる物も怪しくて、あそこに居た子供達は本当に日々飢えていたな。
「………」
頭の中で少年のテオフィルスが「少しは残して…」と切なそうに呟くのを思い出した。そう言えば昔は家族の様に一緒に居て、さも当たり前の様に彼の食料を集っていた。そう言えばあの時の肉は美味しかったな。でもお腹が空いていたからと言ってあんなに清々しい程に我が物顔でぶんどったのはやっぱり申し訳なかった。
アボカドペーストを塗ったパンを口に含みながら昔の事を思い出す。この歳になって岸壁街を抜け出して、愛の日に仲間への贈り物を用意しているなんて不思議な巡り合わせだとも思う。まだ所謂「地上の人」に馴染めたわけではないが、こんな風に楽しむ余裕があるのは良い事だ。
それでも一つだけどうしても未だに他人事な事がヴォイドにはあった。それはこの愛の日でも関連が深い事、恋愛だ。
子供の頃は確かに恋をしていた。幼くて庇護者への憧れもあったかもしれない。サンドベージュの長い髪を結った彼に恋をしていた。ずっとずっと好きでいて、外に出られず会えなくなった時にその気持ちは心の奥に一度封じてしまったが。
それと口には出さないが、一緒に居た間は確かにあの岸壁街らしからぬ服を着ていたあの男の事も好きだった。と思う。あまりにも「愛してる」だの何だの歯の浮く台詞を毎日聞かされていたせいか、いつか憎からず思う様になっていた。その彼も、紆余曲折あって段々隣に居るのが当たり前に思い始めた頃自分を置きざりにして、どこへでも行って良いと言わんばかりに自由にして、まるで消える様に居なくなってしまったのだが。
好きになった人は皆何かしらの形で一度居なくなってしまう。そう学習したヴォイドは長らく愛から遠ざかっていた。あのオッドアイの白い機械人形とセットなあの彼とはここで出会った時から他の人とまた違う特別さがある様に見えて、何だか彼の見る世界が面白く見えて、だけど深入りし過ぎて居なくなってほしくないから普段少しだけブレーキを掛けて猫を思い浮かべて彼と重ねる。たまにあのふわふわした髪を触りたくなるのは猫に置き換えて見過ぎたところもある気がする。
医療班の皆、テオフィルス、ユウヤミ、ヨダカ、ロザリー、ベルナール、フランソワ。こんなに大切に思えるものが出来ると思わなかった。
目の前から消えて無くなって欲しくない。自分が好意を見せた瞬間にまた消えてしまったらどうしよう。だから普段何があっても愛情からは少しだけ距離を置いている。そんな自分が誰かから愛される対象になる事も無いと思っている。普段例の黒狐の求愛を迷惑そうに見ているのも、一度離れた彼の発言を本気で社交辞令や冗談だと思っているからだ。
でも、そんな私も愛の日くらい何か形に残しても良いのかも。だって愛の日だから。消滅の神様もきっと私の好意を許してくれる。私が誰かから好意をもらう事も許してくれる。
そう思いながら医療班の皆に配る予定のチョコレートを棚から取り出す。とても美味しそうだ。
「…一個食べて良いかな…」
とは言え色々言ったが。やっぱり色気より食い気の方が強そうなヴォイドは朝から贈り物を食べてはいけないと言う理性と格闘していた。
昼だ、昼に皆で思う存分食べる。今日は思う存分皆が持って来た好意を食べる。
今日は愛の日。愛の日と言えば、この日に愛の告白をする人間も多い。もしも今日何か言われたら、例えいつもの奴の冗談だとしてもちょっとだけどきりとしてしまうかも。
そんな事を考えてゾッとした。愛の日は普段ボーッとしている彼女の意識すら特別にするらしい。
「私、何か今日気持ち悪…っ」
珍しくヴォイドは一人、顔を赤くしたり青くしたりした。
愛の日の朝のアサギ
君の声が聞こえるだけで
君の姿が見えるだけで──
アサギは朝からロナと準備をしていた。まめなロナの事だ。今日の為の準備はもうしっかり終わらせていて余裕もあるのだが、もし万が一何かあるなら手伝おうとスタンバイしていた。何せ真面目なロナだ、結社にいる全員に配るのかと思わんばかりの量を用意している。相当重い筈だ。
「俺何か手伝うか？」
「ありがとうアサギ。でも今は特に無いかな」
早速やる事が無くなったのでぼーっと佇んでいると、そう言えばとロナが口を開いた。
「もしかしたらアサギも誰かから貰うかもしれないな」
「え？俺が？何でだ？」
「アサギには飲食のオプションが付いてるだろ？機械人形が生き甲斐みたいな人は結社にたくさんいるからな。他の機械人形と違ってあげられるものの自由度が広いアサギは貰う事もあるかもしれないだろ？」
「なるほど…」
「調達班の子達がチョコを配り歩くそうだ。そこに居合わせたら間違いなく貰うだろうな」
そう言われてアサギは懐を触る。もしもらったらどうしよう。自分は今用意しているこれしか持っていない。
「ロナ…」
「どうした？」
「俺…持ち合わせ無ぇんだけど…もしもらった時返せなかったら何かとんでもない事が起きたりしないか…？」
神妙な面持ちでそう言うアサギにロナは思わず吹き出す。真面目な顔でそんな事を言うアサギのいつものアサギっぷりに疲れが一瞬どこかへ飛んでいく様な心地だった。
「ははっ、貰った時に何か返せないと悪戯される、みたいな行事じゃないから心配しなくて良いんだよアサギ」
「そ、そうなのか？」
「でも、貰った時にちゃんとお礼を言えたら良いな。くれる人は、少なからずあげる人の幸せを願って渡すものだから」
幸せを願う。頭で反復させて記録媒体の中を彷徨ってみる。桃色の髪の彼女にかつて言われた事があったな。昔は状況が状況だったから、こんなところで何を言っているんだろうとしか思わなかった。たらればで終わってしまうが、もしも彼女が壊れずここに居て、それでいて彼女ともっと会話を交わしたり出来ていれば自分はもっと人の気持ちへ理解が深かったかもしれない。
人の愛玩用だけあって彼女は人から受ける愛も与える愛も自分以上に知っていた気がして。あの壊した瞬間でさえ彼女は愛を叫んでいたから。
『私沢山学んだの、愛し方。私きっと人みたくなれるの。私がアサギの主人になりたい！私、あなたを愛したい──！！』
赤く汚染された瞳で、既に死んだ主人の返り血を大量に浴びながら何とも皮肉めいた姿。そう言って掴みかかって来たっけ。
あの時の事を再生すると少しだけ破損した人工眼がチカチカする。だから、この話は終わり。
でもそんな彼女が愛の日にはいつも幸せを願ってくれた事は優しい思い出として記憶に残っている。それを考えていたから、実はロナに内緒で今日準備したものがあったのだが。
懐に入っているラッピングされた箱。中身はオランジェット。砂糖漬けのみかんの皮をチョコで包んだ菓子だ。これならロナの好物も愛の日のチョコも渡せると言う我ながら頭の良い贈り物だとアサギは思った。
ただし問題は、渡すタイミングが分からない。
喜んで受け取ってもらえるタイミングって？どんな話の流れで渡せば良いんだ？
『よしアサギ、それじゃあ皆に愛の日の菓子を配ろうか』
『それは良いな。ところでこれ貰ってくれ』
いや、そうじゃない。
『ありがとうアサギ、無事皆に菓子を配れたよ』
『無事配れて良かった。俺もこれロナに渡そうと思ってた』
これかもしれない。
頭の中でお粗末なシミュレーションを巡らす。一体いつ渡せるやら、懐でオランジェットがこそっと音を立てた。
君の姿が見えるだけで──
アサギは朝からロナと準備をしていた。まめなロナの事だ。今日の為の準備はもうしっかり終わらせていて余裕もあるのだが、もし万が一何かあるなら手伝おうとスタンバイしていた。何せ真面目なロナだ、結社にいる全員に配るのかと思わんばかりの量を用意している。相当重い筈だ。
「俺何か手伝うか？」
「ありがとうアサギ。でも今は特に無いかな」
早速やる事が無くなったのでぼーっと佇んでいると、そう言えばとロナが口を開いた。
「もしかしたらアサギも誰かから貰うかもしれないな」
「え？俺が？何でだ？」
「アサギには飲食のオプションが付いてるだろ？機械人形が生き甲斐みたいな人は結社にたくさんいるからな。他の機械人形と違ってあげられるものの自由度が広いアサギは貰う事もあるかもしれないだろ？」
「なるほど…」
「調達班の子達がチョコを配り歩くそうだ。そこに居合わせたら間違いなく貰うだろうな」
そう言われてアサギは懐を触る。もしもらったらどうしよう。自分は今用意しているこれしか持っていない。
「ロナ…」
「どうした？」
「俺…持ち合わせ無ぇんだけど…もしもらった時返せなかったら何かとんでもない事が起きたりしないか…？」
神妙な面持ちでそう言うアサギにロナは思わず吹き出す。真面目な顔でそんな事を言うアサギのいつものアサギっぷりに疲れが一瞬どこかへ飛んでいく様な心地だった。
「ははっ、貰った時に何か返せないと悪戯される、みたいな行事じゃないから心配しなくて良いんだよアサギ」
「そ、そうなのか？」
「でも、貰った時にちゃんとお礼を言えたら良いな。くれる人は、少なからずあげる人の幸せを願って渡すものだから」
幸せを願う。頭で反復させて記録媒体の中を彷徨ってみる。桃色の髪の彼女にかつて言われた事があったな。昔は状況が状況だったから、こんなところで何を言っているんだろうとしか思わなかった。たらればで終わってしまうが、もしも彼女が壊れずここに居て、それでいて彼女ともっと会話を交わしたり出来ていれば自分はもっと人の気持ちへ理解が深かったかもしれない。
人の愛玩用だけあって彼女は人から受ける愛も与える愛も自分以上に知っていた気がして。あの壊した瞬間でさえ彼女は愛を叫んでいたから。
『私沢山学んだの、愛し方。私きっと人みたくなれるの。私がアサギの主人になりたい！私、あなたを愛したい──！！』
赤く汚染された瞳で、既に死んだ主人の返り血を大量に浴びながら何とも皮肉めいた姿。そう言って掴みかかって来たっけ。
あの時の事を再生すると少しだけ破損した人工眼がチカチカする。だから、この話は終わり。
でもそんな彼女が愛の日にはいつも幸せを願ってくれた事は優しい思い出として記憶に残っている。それを考えていたから、実はロナに内緒で今日準備したものがあったのだが。
懐に入っているラッピングされた箱。中身はオランジェット。砂糖漬けのみかんの皮をチョコで包んだ菓子だ。これならロナの好物も愛の日のチョコも渡せると言う我ながら頭の良い贈り物だとアサギは思った。
ただし問題は、渡すタイミングが分からない。
喜んで受け取ってもらえるタイミングって？どんな話の流れで渡せば良いんだ？
『よしアサギ、それじゃあ皆に愛の日の菓子を配ろうか』
『それは良いな。ところでこれ貰ってくれ』
いや、そうじゃない。
『ありがとうアサギ、無事皆に菓子を配れたよ』
『無事配れて良かった。俺もこれロナに渡そうと思ってた』
これかもしれない。
頭の中でお粗末なシミュレーションを巡らす。一体いつ渡せるやら、懐でオランジェットがこそっと音を立てた。
愛の日の朝のロード
本当はね、ただ見ているだけで幸せなんだ
届かなくても、聞こえなくても
君を呼ぶ声が報われなくても──
ピピピピピと音を立てる目覚まし。ロードは怠そうに目を開けた。普段の彼は目覚ましより早く起きるが、連日続いた寝不足は少しだけ彼の瞼の重さを増させた。
愛の日。アスにいた時もそうだがよく貰っていたな。あの時は本当に義理以外の感情なくただ機械の様に淡々と作った物を持ってきて配ったものだが、今年の愛の日は少し違うのでロードもいつも以上に気合を入れていた。
「うふふふ……皆さんに配る用、それから推しへ個別に作ったお菓子、完璧です」
推しとは言うが、色々と不器用なロードが人への好意を素直に口に出来ず苦し紛れに出した単語なだけな気もしなくもない。
その生態に多大なる興味を持っているユウヤミ。自分は背景も知っているから、好意と嫉妬を同居させつつ飲み仲間として仲良くしているテオフィルス。何もかも素直に聞き入れて、たまに圧倒的な受け流し力を持つ姿が純粋に可愛いと思うタイガ。いつも手玉に取られてしまい、決してロードのペースに飲まれない稀有な人、サリアヌ。そして年々募る想いは増すばかり、ここで再会して余計に燃え上がってしまった恋、ヴォイド。
興味、嫉妬、好意、尊敬。抱く感情はバラバラだが、偏に「推し」と表現するのは、恥ずかしさもあるのかもしれない。
「あーあ…しっかし怒涛の二週間でしたね…全くシキがこんなに飲み込みが遅いとは…おかげでソープもヘルスも行けやしない…」
人並みの恥じらいを持っているかは甚だ疑問だが、少なくともロードにも恥ずかしさのツボのようなものがあってそれが特別な人を推したらしめている気がする。
さて、そんな推しへ個別にお菓子を作っていたロードだが、ラッピングも拘ったものでリボンを綺麗に巻いて整えたそれをさっさと準備して一人朝食も作る。
かれこれ二週間も夜にプリンの甘い香りを嗅いでいれば塩っ気が欲しくなるもので、前日に作っておいた赤スープを温め直してそれを控え目に一杯、そして適当に作ったサラダだけを食べた。
愛の日を少し楽しみにしている自分。こんなに晴れやかな気持ちでいられるのはいつぶりだろう。テロの起こる少し前、結果的に真人間になるべく奔走したロードにとって、血や硝煙等どす黒く後ろめたい事が何もない状態で迎える愛の日は初めてだった。
そもそも、父親の破滅と不貞と心中で幼い頃掃き溜めに送られた身としては愛なんてものは容易に信じたくなかった。結局父しか愛しておらず、自分を金蔓の様に扱った母に対しても。そこには絶対に愛なんて無かった筈だから。
だから今忙しくも楽しく、普通の人達に囲まれて、自分もそれなりに普通の身で、こうして愛の日を楽しむ時が来るとは思いもせず何だか言い様の無い変な感じがむず痒い。何となく人の色恋沙汰を覗き見たいと言う出歯亀根性は否定出来ないが、こう言う空気に長年触れているとやはり目の前に居る人には笑っていて欲しいとも思う。あの凄惨なテロが起こって沢山の悲しみに触れたからと言うのもある。
が、そもそも気持ち良く無いより気持ち良い方が好きだし。愛や恋は往々にして気持ち良いものだろう。
そこまで考えて腐れ縁の様なゴスパンク男を思い出した。仕方が無いから後日リカ・コスタのヤサカにも作ってやるか。
そろそろ出る支度をしようかと少し忙しくなる時間、私用の端末に少し前に行った店の女からあからさまに営業臭漂うメッセージが送られてくる。それ以外にも、どんな菓子を作ろうかヒントを得ようと立ち寄った製菓店や、出張の際立ち寄ったカフェからも愛の日ならではのメッセージ。あの店も、この店も、今日が掻き入れ時なのはどこも一緒か。
「皆愛の日に浮かれてますねぇ…」
心底楽しそうに、そして嬉しそうにロードは呟いた。今日は面白い何かが起きる気もする。
届かなくても、聞こえなくても
君を呼ぶ声が報われなくても──
ピピピピピと音を立てる目覚まし。ロードは怠そうに目を開けた。普段の彼は目覚ましより早く起きるが、連日続いた寝不足は少しだけ彼の瞼の重さを増させた。
愛の日。アスにいた時もそうだがよく貰っていたな。あの時は本当に義理以外の感情なくただ機械の様に淡々と作った物を持ってきて配ったものだが、今年の愛の日は少し違うのでロードもいつも以上に気合を入れていた。
「うふふふ……皆さんに配る用、それから推しへ個別に作ったお菓子、完璧です」
推しとは言うが、色々と不器用なロードが人への好意を素直に口に出来ず苦し紛れに出した単語なだけな気もしなくもない。
その生態に多大なる興味を持っているユウヤミ。自分は背景も知っているから、好意と嫉妬を同居させつつ飲み仲間として仲良くしているテオフィルス。何もかも素直に聞き入れて、たまに圧倒的な受け流し力を持つ姿が純粋に可愛いと思うタイガ。いつも手玉に取られてしまい、決してロードのペースに飲まれない稀有な人、サリアヌ。そして年々募る想いは増すばかり、ここで再会して余計に燃え上がってしまった恋、ヴォイド。
興味、嫉妬、好意、尊敬。抱く感情はバラバラだが、偏に「推し」と表現するのは、恥ずかしさもあるのかもしれない。
「あーあ…しっかし怒涛の二週間でしたね…全くシキがこんなに飲み込みが遅いとは…おかげでソープもヘルスも行けやしない…」
人並みの恥じらいを持っているかは甚だ疑問だが、少なくともロードにも恥ずかしさのツボのようなものがあってそれが特別な人を推したらしめている気がする。
さて、そんな推しへ個別にお菓子を作っていたロードだが、ラッピングも拘ったものでリボンを綺麗に巻いて整えたそれをさっさと準備して一人朝食も作る。
かれこれ二週間も夜にプリンの甘い香りを嗅いでいれば塩っ気が欲しくなるもので、前日に作っておいた赤スープを温め直してそれを控え目に一杯、そして適当に作ったサラダだけを食べた。
愛の日を少し楽しみにしている自分。こんなに晴れやかな気持ちでいられるのはいつぶりだろう。テロの起こる少し前、結果的に真人間になるべく奔走したロードにとって、血や硝煙等どす黒く後ろめたい事が何もない状態で迎える愛の日は初めてだった。
そもそも、父親の破滅と不貞と心中で幼い頃掃き溜めに送られた身としては愛なんてものは容易に信じたくなかった。結局父しか愛しておらず、自分を金蔓の様に扱った母に対しても。そこには絶対に愛なんて無かった筈だから。
だから今忙しくも楽しく、普通の人達に囲まれて、自分もそれなりに普通の身で、こうして愛の日を楽しむ時が来るとは思いもせず何だか言い様の無い変な感じがむず痒い。何となく人の色恋沙汰を覗き見たいと言う出歯亀根性は否定出来ないが、こう言う空気に長年触れているとやはり目の前に居る人には笑っていて欲しいとも思う。あの凄惨なテロが起こって沢山の悲しみに触れたからと言うのもある。
が、そもそも気持ち良く無いより気持ち良い方が好きだし。愛や恋は往々にして気持ち良いものだろう。
そこまで考えて腐れ縁の様なゴスパンク男を思い出した。仕方が無いから後日リカ・コスタのヤサカにも作ってやるか。
そろそろ出る支度をしようかと少し忙しくなる時間、私用の端末に少し前に行った店の女からあからさまに営業臭漂うメッセージが送られてくる。それ以外にも、どんな菓子を作ろうかヒントを得ようと立ち寄った製菓店や、出張の際立ち寄ったカフェからも愛の日ならではのメッセージ。あの店も、この店も、今日が掻き入れ時なのはどこも一緒か。
「皆愛の日に浮かれてますねぇ…」
心底楽しそうに、そして嬉しそうにロードは呟いた。今日は面白い何かが起きる気もする。
愛の日の朝のおじさん
若者よ
恋愛しな──
日の出と共に体操が始まる。今日はいつも以上に踊るつもりなので膝周りと肩は特に念入りに。
それから、今日はいつも以上に肉を食べる予定なので、ヨーグルトを多少食べたりもするがそれは空きっ腹で胃を荒れさせ無い為の工夫。さながらその姿はアスリートだ。
「お前が居なくなってまた愛の日が来てしまったよ」
そう言いながら亡き妻の写真の前に手作りのお菓子と、愛の日前後で目玉として売り出している甘い香りのアロマを置いた。
クリス・P・ベーコン。彼はこの愛の日に並々ならぬ情熱を掛けている。
彼は愛に生き、愛に闘志と魂を燃やす人物。最近はマルフィ結社と協力関係になり、歳の若い知り合いが更に増えた。先日のミクリカ食い倒れ祭も大盛況の末無事全店売り切れを迎えたし、今日は何より愛の日だ。
一年で一番盛り上がる日と言っても過言では無い。
「今日は踊るぞ…例え膝に水が溜まろうと、五十肩が悲鳴を上げようと、ぎっくり腰に襲われようと半月板が擦り減ろうと…」
若者よ、恋をしな。
人を愛しな。
そして、肉を食べるんだ！！
聞くに膝に爆弾でも抱えてそうだが静かに開店の準備に掛かったクリス。心なしか「T-BONE」の看板もいつもより一層輝いて見えた。
恋愛しな──
日の出と共に体操が始まる。今日はいつも以上に踊るつもりなので膝周りと肩は特に念入りに。
それから、今日はいつも以上に肉を食べる予定なので、ヨーグルトを多少食べたりもするがそれは空きっ腹で胃を荒れさせ無い為の工夫。さながらその姿はアスリートだ。
「お前が居なくなってまた愛の日が来てしまったよ」
そう言いながら亡き妻の写真の前に手作りのお菓子と、愛の日前後で目玉として売り出している甘い香りのアロマを置いた。
クリス・P・ベーコン。彼はこの愛の日に並々ならぬ情熱を掛けている。
彼は愛に生き、愛に闘志と魂を燃やす人物。最近はマルフィ結社と協力関係になり、歳の若い知り合いが更に増えた。先日のミクリカ食い倒れ祭も大盛況の末無事全店売り切れを迎えたし、今日は何より愛の日だ。
一年で一番盛り上がる日と言っても過言では無い。
「今日は踊るぞ…例え膝に水が溜まろうと、五十肩が悲鳴を上げようと、ぎっくり腰に襲われようと半月板が擦り減ろうと…」
若者よ、恋をしな。
人を愛しな。
そして、肉を食べるんだ！！
聞くに膝に爆弾でも抱えてそうだが静かに開店の準備に掛かったクリス。心なしか「T-BONE」の看板もいつもより一層輝いて見えた。
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