ブルーローズ／燐花
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rinka_creation 2022年01月24日(月) 11:41:12履歴
青薔薇の思い出 
ボスの車の運転手としてキンバリーと共にラシアスに赴いたロード。普段なら立場上一人になる事は無いので家で待つヴォイドに連絡を入れるなんて事は出来ないのだが、この日はキンバリーとボスが同じタイミングで各々トイレ、タバコと席を外し、ロードは車に一人残された。好機とばかりにヴォイドに電話を掛ける。出先から連絡を入れるなんて恋人の様で良いじゃないか。
何回かの呼び出し音の後、用心する様なヴォイドの声がロードの耳に届いた。
「もしもしヴォイド？私です…」
『え…？今、外じゃ…？』
「ええ。外ですよ。それがラッキーな事に同じタイミングで皆席を外してくれて一人になりましてね。声が聞きたくなって電話しました」
『そう……』
「ん？ヴォイド、何かありました？」
『ううん…別に…それより、いつ帰るの？』
「ああ、この調子なら後二日もすれば帰れますよ。おや？もしかして恋しくなりました？」
『…だって、一人でここに居るのは寂しい…』
まだこの時、彼女が外に出る事を制限していたわけでは無い。だが、彼女が本当に急な事が起きない限りはあまり外に出たがらなかった為寂しさを募らせるのは当たり前だと思った。
岸壁街にはあまり娯楽がない。外が危険だから外に出る必要があまりない。ヴォイドにとっては、いつも一緒にいて話す自分が今唯一話せる人間で、その自分が居なくなれば一人で寂しく部屋にただ居るしかないのだ。
「…愚問でしたね。すみません、なるべく早く帰りますね。ああ、お土産は何が良いです？今回はミクリカで無くラシアスですからね、ミクリカには無い物も買えるかもしれませんよ」
自分がヴォイドにとって気の許せる存在になれた様でにやける顔を抑えながらロードは電話越しにそう聞いた。ヴォイドは少しの沈黙の後、「肉が食べたい」といつもの調子で呟いた。
「肉…？」
『良い肉を…ステーキにして食べたい…』
「……お腹空いてるんですか？」
『……うん…』
「うふふ。ええ、じゃあ良いお肉を買って帰りましょう」
とは言え、ヴォイドも年頃の女性だ。何かこう、色気のあるものにそろそろ気を惹かれるとか無いだろうか。電話を切ったロードは目の前に花屋がある事に気が付いた。「Le Bouquet」と書かれたお洒落な看板。店の外にも色とりどりの鮮やかな花が陽の光を反射して瑞々しく煌めいている。そう言えば、聞いたところによるとそろそろヴォイドの誕生日だ。それが確かな誕生日かは分からないが、ロードは彼女の生誕の日を祝いたかった。
「花……か…」
トイレだけならまだしも二人揃ってタバコまで吸いに行ったならまだもうしばらく帰って来ないだろう。一仕事終えた後の一本の美味さは自分もよく知っている。
バタンと扉を開け車を降りると、ロードは吸い込まれる様にその花屋に向かっていた。
「いらっしゃいませー！」
明るい女性の声。店主だろうか。ロードはにこりと微笑んで会釈すると、すぐ一輪の花に釘付けになる。それはまるで人工的な青に染まった薔薇で、一瞬造花なのかもと思ったが近付いてみると良い匂いがする。本物の薔薇だった。
「あおバラの花ことばは『不可能』ですっ！」
急に大声を張り上げられ驚いて声の主を探す。ロードの腰くらいの位置で辞典を持ち、重そうに腰を曲げた女の子の姿を見付けた。
「ここ！ここに書いてあるよ！」
ほら！と言わんばかりに重そうに辞典を向ける女の子。ロードが「重いんですね？」と手を伸ばして辞典を持ってあげようとすると、女の子は取られまいと本にしがみついた。どうやら無理をしたいお年頃の様だ。
「や、やだ！ミアったら！すみませんお兄さん、びっくりしちゃったわよね？」
「い、いえ…」
気を遣って辞典を取ろうとしたら取られまいとしがみつかれたのに驚いただけで。
辞典を女の子に返し、頭をぽんぽん撫でてやる。女の子は少し恥ずかしそうにはにかむと母親であろう女性の後ろに隠れてしまった。
「…娘さん、お花詳しいんですね」
「ふふ、ええ。このお店は私達夫婦で営んでるんですけど、小さい頃からお花に囲まれてたからか今ではすっかり辞典を片手にお客さんに花言葉を披露したり…ねぇー？」
娘のそんな成長を心底嬉しそうにロードに説明しながら母親は慈しむ目で我が子を見た。
自分が見たくても見られなかった母親の姿がそこにあった。もう記憶の一番古いところを漁っても見られなかった母親の笑顔。それを向けられるこの少女を羨ましい様な愛しい様な目で見ると、ロードに少し慣れて来たのか女の子はまた辞典を重そうに持ちながら「これ！これ！」と薔薇の花言葉を指差した。
「あおバラの花言葉は『不可能』ですっ！」
それにしても、『不可能』とはまた少し痛いところを突くような花に惹かれてしまったものだ。青は愛しいヴォイドの瞳を連想させる様な色だった。それに釣られて行って『不可能』の文字を叩き付けられるとは少々縁起が悪い。
少し悄気た様に眉を動かしながらロードは女の子の頭をまた少し撫でる。いかんせん大人にばかり囲まれて生きてきた所為か子供との上手い距離の取り方も、子供に掛けると喜ばれるであろう定型的な言葉もこの時まだロードは知らなかった。
「不可能…ですか…」
「お兄さん、どなたかにプレゼント？」
女性店員にそう聞かれ少し恥ずかしそうに頬を掻く。そのつもりは無かったが、プレゼントに花と言うのはどうなのだろう？
「女性の方なら喜ぶんじゃないかしら？確かに花言葉は少し構えてしまう様な物だけど、あまりそう言った物に囚われずに花だけ見るときっとこんなに綺麗な花もそうそう無いと思いますよ」
「そう…ですよね。薔薇がこんな色をするのかと驚きました。赤や黄色やピンク…暖色のイメージしか無かったので」
「そうね。青い薔薇は花を求める人間の夢みたいなものかもしれませんね。でもいつかは自然な青い薔薇も品種改良で生まれるかもしれないの。今ちょうど研究されてるんですよ！だからもしそれが叶った暁には、花言葉は物凄くポジティブな物に変わるかもしれませんね！」
今はまだ『不可能』。だけど、だけどいつか『夢を叶える』『奇跡』が起きるのかもしれない。
「……それ、いただけますか？」
気付けば財布を取り出し、青の薔薇を一本会計していた。ただ、これからボスとキンバリーを乗せて動き回るのであくまでプレゼント用に目立つ様なことはせずに。
会計を済まして花を受け取る。店を出ようとすると先程の女の子が店の外までちょこちょこ着いて来た。ロードが振り向くと女の子はびくりと強張った顔を見せる。果たして何がしたいのか、そして自分はどう声を掛けてやれば良いのか。よく分からないままロードは女の子に微笑んだ。
「おにーちゃん、またね」
控えめに手を振られ、ロードは嬉しそうににこりと微笑んだ。そして自分の腰程しかない彼女を上から見るのではなく、目線を合わせる様にしゃがみ込む。すると警戒心が解けた様に女の子はにこりと笑った。そうか、幼い子とは目線を合わせてあげれば男の自分でも怖がられないのか。
「ええ。またいつかお花見に来ますね」
「あのね、その時ね、また花言葉教えてあげる！」
得意な顔でそう言う女の子。ロードはくすりと微笑むと彼女の自信たっぷりな肩に手を軽くポンと起き、それを合図に立ち上がる。女の子も肩に手を置かれて気付いたのか立ち上がっても過度に驚く様な事にならずにこりと微笑みロードを見送った。
車に戻ったロードは、自分の車に強面の男達が近付いている事に気付き慌てて駆け寄る。ボスとキンバリーは予想よりも早く戻って来ていたのでロードは思わず顔を引き攣らせた。
「あー……車から離れたのバレちゃいましたか」
「いや、別に良いけどよ。俺もキムも今来たところだしな。しかし馴染みの無いラシアスに来てお前どこ行ってやがった？」
「ん？ロード。お前、花なんか持ってどうした？」
早速ボスにもキムにも花がバレてしまい、気まぐれで買いましたと誤魔化す。しかしそんな事が嘘であるとすぐバレてしまい二人から揶揄われた。
「…何だお前、女か？」
「ああ、まあ。次娼館に行く機会があればその時渡そうかな、と」
「花ねぇ…花より指名してやった方が普通に喜びそうだがなぁ、実際のところ」
「ええ。なので結局は私の自己満足ですよ」
「誰にあげるつもりでその花買ったんだ？」
「えーっと……ほら、あの青い目のポリーンさんですかね…」
「ああ…でけぇ喘ぎのポリーンか…あいつ花なんか喜ぶ女かね？」
「うふふ、反応悪そうなら出さずに引っ込めるので良いですよ。まあ実際、私自身が惹かれて買ったところがあるので誰にも渡さないかもしれませんがね」
ボスもキンバリーも視線をずらし、すぐそこにある「Le Bouquet」の文字とちょこまかと客の周りを動き回っている女の子を見た。女の子はこちらに気付くと元気よくブンブンと手を振る。ロードは手を振りかえしたが、それを見た二人は面白そうに笑い出した。
「ククク…そうか、あの小さいお嬢さんに圧されたか…」
「ふふ、ロード…お前良い趣味してるなぁ」
「……きっと後十年もした頃には食べ頃であると期待して…うふふ、彼女の商才を買ってお花をいただくのは先行投資みたいな物じゃないですかねぇ？ほら、いつか食べ頃になった時に『あの時薔薇を買わせていただいた者です』とか言ったらそう言う雰囲気に持って行けそうな気がしません？」
「また馬鹿言ってやがる」
「そんなガキの頃に花買ってったなんて思い出で女が落ちるかよ」
女の子に薔薇を推された事で買ってしまった。二人はそう解釈したらしい。とりあえず適当な事をベラベラ口にしてしまったが、誰に向けて買ったと言う話題から話を逸らす事ができて少しホッとする。ヴォイドの存在を匂わせる事も、かと言ってここのところ数ヶ月出向いていない娼館で働く女性にあげるかの様な適当な嘘も、何が「身から出た錆」になるか分からない以上滅多な事は言えない。ならば、女の子の好意に押されて買ってしまったと言うのが一番自然だし、ありがたい。
「ロード、お前子供苦手だっけか？弁の立つお前があんな小さいお嬢さんに押し負けるとは形無しだな」
「苦手では無いですがあまり小さい子と接した事が無いもので…それに、私はどうも年齢関係無く女性に弱い様です」
「ははは！！遊び過ぎも程々にな！あんな小さい子に手ぇ出して捕まるなよ？」
「ええキム、気を付けますよ。少なくとも今は出しません」
とりあえず花を買った理由はそれでひと段落してくれたので安心して車を走らせる。
次の日、ロードは忙しい合間を縫ってこっそりと上質な肉を買い、二人を乗せて岸壁街に戻って来たのだった。
全ての雑務をこなし、ボスやキンバリー、ギデオンの視線を掻い潜りヴォイドの待つ家に向かう。周囲を気にしながら扉を開け、家に入るとようやく一息つく事が出来た。
「ふぅ…毎回この瞬間が堪らなく恐ろしいですね……ただいま戻りました、お待たせしてすみません、ヴォイ…」
足を進めたロードが見たのは、ベッドの上でぐったりと横たわるヴォイドだった。
「ヴォイド！？」
荷物を捨ててすぐに駆け寄り、彼女の肌に触れる。何だか妙に熱い。そして前髪はおでこにべったりと張り付きいつもより強く汗の匂いがした。
「ロード……？」
「ヴォイド…もしかして貴女、熱出してたんですか？」
「あー…うん…」
「いつから…！？」
「ロードが仕事に出て…すぐ…だからずっと寝てた」
「…！？まさか、あの時私が電話した時既に…！？どうして言ってくれなかったんですか…？」
ラシアスから電話をした時、ヴォイドの様子が少しおかしかった。あれは高熱にうなされていたからだったのか。ロードの問い掛けにヴォイドは「仕事中だったでしょ？」と返す。きっと、熱を出したなどと言ったら簡単には会えない外でロードが動揺する。そう思ってヴォイドは黙っていた様だった。
「そうなら教えてください…知らずに過ごしていた自分が嫌です…それに、聞いていたら上手く動いてもっと早く帰って来れたかもしれないのに…」
「ごめん…」
「……いいえ、貴女の気遣いも分かるし責めるのはおかしいですね。しかし、風邪を引いているとなると…お肉買って来たんですがどうしましょうかねぇ…これ、一応冷凍させれば日持ちは──」
「食べるっ！！！」
「──元気ですねぇ」
「食べる！お肉食べる！！」
「良いですけど、鼻詰まってません？味分かります？」
「ご飯食べてないから分かんない」
ヴォイドの返答にロードがくらくらしてしまった。ベッドの周りにはスナック菓子を開けた形跡はあったが、どうやら手に届く範囲の物を口にしただけで後はずっと寝ていたらしい。
ロードはとりあえず部屋の片付けをし、ヴォイドの熱を確認すると風呂を溜める。そして彼女を湯冷めしない様に風呂に入れ、その間に汗に塗れたシーツや布団を交換し、さっぱりしたヴォイドを寝かせてやった。
髪も乾かし、スッキリしたヴォイドは布団の中でもぞもぞ動く。そして赤く染まった頬で、潤んだ瞳で、期待を含んだ声でロードの名を呼んだ。
「ロード…」
「何です？」
「お肉は……？」
食べたい。焼肉のタレを付けて。
とりあえずステーキにして欲しい。
そんな心の声がダダ漏れな顔でロードを見る。ロードはそんなヴォイドの顔を見て少し疲れた顔で微笑むと、彼女の熱を測り一言呟いた。
「とりあえず今日は粥麦 です」
「へ？」
「とりあえず今日は粥麦 です」
「お肉……は……？」
「…食欲があるなら良いんですけどね、もし味が分からなかったら勿体無いですし、急に食べて胃がびっくりしてもいけませんし。しっかり元気が出てから美味しく食べましょう、ね？」
「お…おに…くぅ……！！」
「大丈夫です、お肉は逃げませんよ」
「うぅ…っおに、くぅ…！！」
今では聞くことが無い様な悲痛なヴォイドの叫びが部屋に響いた。ロードは、花屋の子とのやりとりから少し考え、次あのくらいの小さい子に会ったら掛けようと思っていた優しい言葉の掛け方がまさか病床のヴォイドに効くと思わず少し変な気持ちになった。
そしてこのドタバタとした混乱で忘れられてしまった薔薇は、ロードが思い出してヴォイドに渡そうとした頃には傷み出してしまっていた為、彼はそれをヴォイドにあげるつもりだったと言う事は最後まで言わずに枯れるまでそっと部屋に飾っていたのだった。
やはり彼女は色気より食い気かもしれないと思い、ケーキも買って来て祝った。それでも何か心に引っ掛かるものがあり、彼女と離れざるを得なくなって以降も彼女の誕生日が近くなると青い薔薇を好んで飾る様になった。「成就は不可能な恋だ」と言われている様な気分になるがそれでもいつかきっとと思いながら、彼女を連想する様な青を求めてしまうのだった。
何回かの呼び出し音の後、用心する様なヴォイドの声がロードの耳に届いた。
「もしもしヴォイド？私です…」
『え…？今、外じゃ…？』
「ええ。外ですよ。それがラッキーな事に同じタイミングで皆席を外してくれて一人になりましてね。声が聞きたくなって電話しました」
『そう……』
「ん？ヴォイド、何かありました？」
『ううん…別に…それより、いつ帰るの？』
「ああ、この調子なら後二日もすれば帰れますよ。おや？もしかして恋しくなりました？」
『…だって、一人でここに居るのは寂しい…』
まだこの時、彼女が外に出る事を制限していたわけでは無い。だが、彼女が本当に急な事が起きない限りはあまり外に出たがらなかった為寂しさを募らせるのは当たり前だと思った。
岸壁街にはあまり娯楽がない。外が危険だから外に出る必要があまりない。ヴォイドにとっては、いつも一緒にいて話す自分が今唯一話せる人間で、その自分が居なくなれば一人で寂しく部屋にただ居るしかないのだ。
「…愚問でしたね。すみません、なるべく早く帰りますね。ああ、お土産は何が良いです？今回はミクリカで無くラシアスですからね、ミクリカには無い物も買えるかもしれませんよ」
自分がヴォイドにとって気の許せる存在になれた様でにやける顔を抑えながらロードは電話越しにそう聞いた。ヴォイドは少しの沈黙の後、「肉が食べたい」といつもの調子で呟いた。
「肉…？」
『良い肉を…ステーキにして食べたい…』
「……お腹空いてるんですか？」
『……うん…』
「うふふ。ええ、じゃあ良いお肉を買って帰りましょう」
とは言え、ヴォイドも年頃の女性だ。何かこう、色気のあるものにそろそろ気を惹かれるとか無いだろうか。電話を切ったロードは目の前に花屋がある事に気が付いた。「Le Bouquet」と書かれたお洒落な看板。店の外にも色とりどりの鮮やかな花が陽の光を反射して瑞々しく煌めいている。そう言えば、聞いたところによるとそろそろヴォイドの誕生日だ。それが確かな誕生日かは分からないが、ロードは彼女の生誕の日を祝いたかった。
「花……か…」
トイレだけならまだしも二人揃ってタバコまで吸いに行ったならまだもうしばらく帰って来ないだろう。一仕事終えた後の一本の美味さは自分もよく知っている。
バタンと扉を開け車を降りると、ロードは吸い込まれる様にその花屋に向かっていた。
「いらっしゃいませー！」
明るい女性の声。店主だろうか。ロードはにこりと微笑んで会釈すると、すぐ一輪の花に釘付けになる。それはまるで人工的な青に染まった薔薇で、一瞬造花なのかもと思ったが近付いてみると良い匂いがする。本物の薔薇だった。
「あおバラの花ことばは『不可能』ですっ！」
急に大声を張り上げられ驚いて声の主を探す。ロードの腰くらいの位置で辞典を持ち、重そうに腰を曲げた女の子の姿を見付けた。
「ここ！ここに書いてあるよ！」
ほら！と言わんばかりに重そうに辞典を向ける女の子。ロードが「重いんですね？」と手を伸ばして辞典を持ってあげようとすると、女の子は取られまいと本にしがみついた。どうやら無理をしたいお年頃の様だ。
「や、やだ！ミアったら！すみませんお兄さん、びっくりしちゃったわよね？」
「い、いえ…」
気を遣って辞典を取ろうとしたら取られまいとしがみつかれたのに驚いただけで。
辞典を女の子に返し、頭をぽんぽん撫でてやる。女の子は少し恥ずかしそうにはにかむと母親であろう女性の後ろに隠れてしまった。
「…娘さん、お花詳しいんですね」
「ふふ、ええ。このお店は私達夫婦で営んでるんですけど、小さい頃からお花に囲まれてたからか今ではすっかり辞典を片手にお客さんに花言葉を披露したり…ねぇー？」
娘のそんな成長を心底嬉しそうにロードに説明しながら母親は慈しむ目で我が子を見た。
自分が見たくても見られなかった母親の姿がそこにあった。もう記憶の一番古いところを漁っても見られなかった母親の笑顔。それを向けられるこの少女を羨ましい様な愛しい様な目で見ると、ロードに少し慣れて来たのか女の子はまた辞典を重そうに持ちながら「これ！これ！」と薔薇の花言葉を指差した。
「あおバラの花言葉は『不可能』ですっ！」
それにしても、『不可能』とはまた少し痛いところを突くような花に惹かれてしまったものだ。青は愛しいヴォイドの瞳を連想させる様な色だった。それに釣られて行って『不可能』の文字を叩き付けられるとは少々縁起が悪い。
少し悄気た様に眉を動かしながらロードは女の子の頭をまた少し撫でる。いかんせん大人にばかり囲まれて生きてきた所為か子供との上手い距離の取り方も、子供に掛けると喜ばれるであろう定型的な言葉もこの時まだロードは知らなかった。
「不可能…ですか…」
「お兄さん、どなたかにプレゼント？」
女性店員にそう聞かれ少し恥ずかしそうに頬を掻く。そのつもりは無かったが、プレゼントに花と言うのはどうなのだろう？
「女性の方なら喜ぶんじゃないかしら？確かに花言葉は少し構えてしまう様な物だけど、あまりそう言った物に囚われずに花だけ見るときっとこんなに綺麗な花もそうそう無いと思いますよ」
「そう…ですよね。薔薇がこんな色をするのかと驚きました。赤や黄色やピンク…暖色のイメージしか無かったので」
「そうね。青い薔薇は花を求める人間の夢みたいなものかもしれませんね。でもいつかは自然な青い薔薇も品種改良で生まれるかもしれないの。今ちょうど研究されてるんですよ！だからもしそれが叶った暁には、花言葉は物凄くポジティブな物に変わるかもしれませんね！」
今はまだ『不可能』。だけど、だけどいつか『夢を叶える』『奇跡』が起きるのかもしれない。
「……それ、いただけますか？」
気付けば財布を取り出し、青の薔薇を一本会計していた。ただ、これからボスとキンバリーを乗せて動き回るのであくまでプレゼント用に目立つ様なことはせずに。
会計を済まして花を受け取る。店を出ようとすると先程の女の子が店の外までちょこちょこ着いて来た。ロードが振り向くと女の子はびくりと強張った顔を見せる。果たして何がしたいのか、そして自分はどう声を掛けてやれば良いのか。よく分からないままロードは女の子に微笑んだ。
「おにーちゃん、またね」
控えめに手を振られ、ロードは嬉しそうににこりと微笑んだ。そして自分の腰程しかない彼女を上から見るのではなく、目線を合わせる様にしゃがみ込む。すると警戒心が解けた様に女の子はにこりと笑った。そうか、幼い子とは目線を合わせてあげれば男の自分でも怖がられないのか。
「ええ。またいつかお花見に来ますね」
「あのね、その時ね、また花言葉教えてあげる！」
得意な顔でそう言う女の子。ロードはくすりと微笑むと彼女の自信たっぷりな肩に手を軽くポンと起き、それを合図に立ち上がる。女の子も肩に手を置かれて気付いたのか立ち上がっても過度に驚く様な事にならずにこりと微笑みロードを見送った。
車に戻ったロードは、自分の車に強面の男達が近付いている事に気付き慌てて駆け寄る。ボスとキンバリーは予想よりも早く戻って来ていたのでロードは思わず顔を引き攣らせた。
「あー……車から離れたのバレちゃいましたか」
「いや、別に良いけどよ。俺もキムも今来たところだしな。しかし馴染みの無いラシアスに来てお前どこ行ってやがった？」
「ん？ロード。お前、花なんか持ってどうした？」
早速ボスにもキムにも花がバレてしまい、気まぐれで買いましたと誤魔化す。しかしそんな事が嘘であるとすぐバレてしまい二人から揶揄われた。
「…何だお前、女か？」
「ああ、まあ。次娼館に行く機会があればその時渡そうかな、と」
「花ねぇ…花より指名してやった方が普通に喜びそうだがなぁ、実際のところ」
「ええ。なので結局は私の自己満足ですよ」
「誰にあげるつもりでその花買ったんだ？」
「えーっと……ほら、あの青い目のポリーンさんですかね…」
「ああ…でけぇ喘ぎのポリーンか…あいつ花なんか喜ぶ女かね？」
「うふふ、反応悪そうなら出さずに引っ込めるので良いですよ。まあ実際、私自身が惹かれて買ったところがあるので誰にも渡さないかもしれませんがね」
ボスもキンバリーも視線をずらし、すぐそこにある「Le Bouquet」の文字とちょこまかと客の周りを動き回っている女の子を見た。女の子はこちらに気付くと元気よくブンブンと手を振る。ロードは手を振りかえしたが、それを見た二人は面白そうに笑い出した。
「ククク…そうか、あの小さいお嬢さんに圧されたか…」
「ふふ、ロード…お前良い趣味してるなぁ」
「……きっと後十年もした頃には食べ頃であると期待して…うふふ、彼女の商才を買ってお花をいただくのは先行投資みたいな物じゃないですかねぇ？ほら、いつか食べ頃になった時に『あの時薔薇を買わせていただいた者です』とか言ったらそう言う雰囲気に持って行けそうな気がしません？」
「また馬鹿言ってやがる」
「そんなガキの頃に花買ってったなんて思い出で女が落ちるかよ」
女の子に薔薇を推された事で買ってしまった。二人はそう解釈したらしい。とりあえず適当な事をベラベラ口にしてしまったが、誰に向けて買ったと言う話題から話を逸らす事ができて少しホッとする。ヴォイドの存在を匂わせる事も、かと言ってここのところ数ヶ月出向いていない娼館で働く女性にあげるかの様な適当な嘘も、何が「身から出た錆」になるか分からない以上滅多な事は言えない。ならば、女の子の好意に押されて買ってしまったと言うのが一番自然だし、ありがたい。
「ロード、お前子供苦手だっけか？弁の立つお前があんな小さいお嬢さんに押し負けるとは形無しだな」
「苦手では無いですがあまり小さい子と接した事が無いもので…それに、私はどうも年齢関係無く女性に弱い様です」
「ははは！！遊び過ぎも程々にな！あんな小さい子に手ぇ出して捕まるなよ？」
「ええキム、気を付けますよ。少なくとも今は出しません」
とりあえず花を買った理由はそれでひと段落してくれたので安心して車を走らせる。
次の日、ロードは忙しい合間を縫ってこっそりと上質な肉を買い、二人を乗せて岸壁街に戻って来たのだった。
全ての雑務をこなし、ボスやキンバリー、ギデオンの視線を掻い潜りヴォイドの待つ家に向かう。周囲を気にしながら扉を開け、家に入るとようやく一息つく事が出来た。
「ふぅ…毎回この瞬間が堪らなく恐ろしいですね……ただいま戻りました、お待たせしてすみません、ヴォイ…」
足を進めたロードが見たのは、ベッドの上でぐったりと横たわるヴォイドだった。
「ヴォイド！？」
荷物を捨ててすぐに駆け寄り、彼女の肌に触れる。何だか妙に熱い。そして前髪はおでこにべったりと張り付きいつもより強く汗の匂いがした。
「ロード……？」
「ヴォイド…もしかして貴女、熱出してたんですか？」
「あー…うん…」
「いつから…！？」
「ロードが仕事に出て…すぐ…だからずっと寝てた」
「…！？まさか、あの時私が電話した時既に…！？どうして言ってくれなかったんですか…？」
ラシアスから電話をした時、ヴォイドの様子が少しおかしかった。あれは高熱にうなされていたからだったのか。ロードの問い掛けにヴォイドは「仕事中だったでしょ？」と返す。きっと、熱を出したなどと言ったら簡単には会えない外でロードが動揺する。そう思ってヴォイドは黙っていた様だった。
「そうなら教えてください…知らずに過ごしていた自分が嫌です…それに、聞いていたら上手く動いてもっと早く帰って来れたかもしれないのに…」
「ごめん…」
「……いいえ、貴女の気遣いも分かるし責めるのはおかしいですね。しかし、風邪を引いているとなると…お肉買って来たんですがどうしましょうかねぇ…これ、一応冷凍させれば日持ちは──」
「食べるっ！！！」
「──元気ですねぇ」
「食べる！お肉食べる！！」
「良いですけど、鼻詰まってません？味分かります？」
「ご飯食べてないから分かんない」
ヴォイドの返答にロードがくらくらしてしまった。ベッドの周りにはスナック菓子を開けた形跡はあったが、どうやら手に届く範囲の物を口にしただけで後はずっと寝ていたらしい。
ロードはとりあえず部屋の片付けをし、ヴォイドの熱を確認すると風呂を溜める。そして彼女を湯冷めしない様に風呂に入れ、その間に汗に塗れたシーツや布団を交換し、さっぱりしたヴォイドを寝かせてやった。
髪も乾かし、スッキリしたヴォイドは布団の中でもぞもぞ動く。そして赤く染まった頬で、潤んだ瞳で、期待を含んだ声でロードの名を呼んだ。
「ロード…」
「何です？」
「お肉は……？」
食べたい。焼肉のタレを付けて。
とりあえずステーキにして欲しい。
そんな心の声がダダ漏れな顔でロードを見る。ロードはそんなヴォイドの顔を見て少し疲れた顔で微笑むと、彼女の熱を測り一言呟いた。
「とりあえず今日は
「へ？」
「とりあえず今日は
「お肉……は……？」
「…食欲があるなら良いんですけどね、もし味が分からなかったら勿体無いですし、急に食べて胃がびっくりしてもいけませんし。しっかり元気が出てから美味しく食べましょう、ね？」
「お…おに…くぅ……！！」
「大丈夫です、お肉は逃げませんよ」
「うぅ…っおに、くぅ…！！」
今では聞くことが無い様な悲痛なヴォイドの叫びが部屋に響いた。ロードは、花屋の子とのやりとりから少し考え、次あのくらいの小さい子に会ったら掛けようと思っていた優しい言葉の掛け方がまさか病床のヴォイドに効くと思わず少し変な気持ちになった。
そしてこのドタバタとした混乱で忘れられてしまった薔薇は、ロードが思い出してヴォイドに渡そうとした頃には傷み出してしまっていた為、彼はそれをヴォイドにあげるつもりだったと言う事は最後まで言わずに枯れるまでそっと部屋に飾っていたのだった。
やはり彼女は色気より食い気かもしれないと思い、ケーキも買って来て祝った。それでも何か心に引っ掛かるものがあり、彼女と離れざるを得なくなって以降も彼女の誕生日が近くなると青い薔薇を好んで飾る様になった。「成就は不可能な恋だ」と言われている様な気分になるがそれでもいつかきっとと思いながら、彼女を連想する様な青を求めてしまうのだった。
二一七四年、一月中旬
ギロク博士のテロが発生し、ケンズとミクリカは混乱を極めた。機械人形の暴走で沢山の人間が死に、建物も倒壊。カンテ国で無法地帯となっており犯罪の温床であった岸壁街もその脆さ故崩落した。
ロードはテロ発生からしばらくの間、生きた心地がしなかった。もしもヴォイドが瓦礫の崩落に巻き込まれて命を落としていたら。今すぐにでも駆け出したいが、自分を飼い殺すつもりで居るであろう「サントル・オルディネ」はヴォイドとの接触を決して許さない。
ヴォイドの安否を確認したいが、彼らの生死も分からない内は迂闊に動けない。悶々とした日々を過ごしていたロードだったが、その内傷一つない元気な姿で彼女は結社にやってくる。「サントル・オルディネ」の目の届かないマルフィ結社でヴォイドと再会したロードは期待に胸を膨らますが、矢張りあんな形で言葉も無く離れてしまった彼を恨んでいたヴォイドはロードに憎しみを込めた態度を取った。
何と言って取り繕おうにも、彼女は心を開いてくれない。そうこうして居る内に彼女は彼女で段々心許せる人が増えて行き、その中にはかつての初恋の相手と、一筋縄では行かなそうな緻密な図形の様な男も居た。
各々距離を縮める中、自分だけは名前すら呼んでもらえない。それがロードとヴォイドの今の距離感だった。あの当時、それしか方法が無かったからと私刑に遭い、動けなくなった状態で何とか彼女を解放したが彼がそんな暴行を受けていたなど彼女は知らない。きっと彼女は、飽きてただ捨て置かれただけの様に感じたのだろう。
だから、「今更どのツラ下げて何しに来た？」と思われてもそれは仕方がないとロードは思った。
最愛の人に会う度に嫌な顔をされると言うのは堪えるところがある。しかしそれでも、彼女が生きていてくれただけで今は良かった。
渡したところで受け取ってくれないと言うのは分かっているので、自分の自己満足で今年もロードは花屋に行った。今までも何店か渡り歩いて来たが、やはり最初期に通っていたラシアスの店が一番品揃えも良く丁寧で花が元気に生きていた。何よりあの女の子の花言葉サービスが好きだった。他の店ではそんな事まで教えてくれない、子供ならではのサービスだったのだろうと思うがそれ故に他には無い魅力があった。
あの日以来毎年ヴォイドの誕生日が近くなると青い薔薇を何とか見付けて買っている。アスでの仕事が多くなりなかなか足を運べなくなった事で行かなくなってしまったが、あの時の店主は、あの幼い娘は、今も達者でやっているだろうか。
この日は何故か「俺もついてく」と言ったシキも伴い、買い物がてら出掛ける事にした。おそらく、誕生日が近いからついでに何か買ってもらいたいんだろうなとは思ったが、可愛がっている弟分だし元々そうするつもりだったので特に何も言わずロードはついでに彼を荷物待ちにする事にした。
「いらっしゃいませ！」
結社近くの花屋に寄ると、一番最初に目に飛び込んで来たのは青い薔薇だった。しかし、その薔薇は今まで見た様な人工的な青さを放つ薔薇では無く、自然な青みの綺麗な薔薇だった。
「これは…」
「あ！そちらは薔薇です！珍しいでしょ？青い色の品種なんですよ！」
「あれ？その花…兄貴がよく買ってたのと違くない？もっと濃い色じゃなかった？」
シキの言葉に店員が頷くと、「品種改良の結果最近市場に出回る様になったんです！」と嬉しそうに呟いた。長年青い花をつける事は難しいとされた薔薇。しかしここ数年の間に研究は積み重ねられ、遺伝子的に難しい青色の発色をする様な薔薇が完成したらしい。
「…難しいんですか？青色と言うのは…」
「ええ。今まで青色の花を作るのは、青い色水を吸わせた白い薔薇って言うのが基本だったんです」
「青い色水を吸わせた白い薔薇…染めて作っていたと言う事ですか？」
「そうです。だけど、研究が重ねられてそう言う手を加えずとも青みのある花弁を持つ薔薇を作る事に成功したんです！確かに色水を用いた作り方とは違い、あれ程はっきりとした発色は難しいです。でも、自然だからこそ出る暖かい色合いが人気で…私はこっちも好きなんですよ」
はっきりした色合いの薔薇と自然な色合いの薔薇。人工的にしか作れず「生花業の夢」と言わしめた青い薔薇は時を経て優しい色合いの自然な青みの薔薇を仲間に加えた。どちらの色も、「好み」で選べてしまう。ロードは少し悩んだが、淡い青さが美しい薔薇を指差すと一本貰えるかと店員に聞いた。
「ラッピングはいかが致しますか？」
「いいえ、私用なので大丈夫です」
花を買い外に出ると、何故かシキが嬉しそうに微笑んだ。
「兄貴良かったね。薔薇に変化があって」
「変化…ですか？」
「うん、不可能って言われてた薔薇だったけど、不可能じゃ無くなったじゃん。可能になったじゃん」
「ああ…そうですね…」
「俺最近医療班でミアから花言葉について色々聞いたんだ。花言葉って、状況で変化するんだって。兄貴のそれもさ、青い薔薇の花言葉、色々変化して今また違う良い意味が足されてるかもよ？」
そう言って微笑むシキの笑顔を見て、何故かヴォイドを思い出す。そう言えばシキは髪の色も目の色もヴォイドに似ている。おまけによくよく聞けば誕生日も一緒だ。最初こそ彼女と離れる運命だった自分と縁を結んでくれた少年でしかなかったシキ。歳を重ねるごとに思い出も増えていき、気付けば彼もかけがえのない家族の様な存在になっていた。何故かシキを見るたびにヴォイドのことを鮮明に思い出すので、ロードがヴォイドと離れている間変に無茶な事をしなかったのも、じっと冷静に機が熟すのを待てたのも今思えば彼の存在が大きかった気がする。
そんな彼に花に対して前向きな事を言われ、ロードは少し不思議な気持ちになりながら車のキーを取り出す。
「では…次はシキの行きたい店に行きましょうか」
「え？」
「誕生日、でしょう？忘れてないですよ。何か一つプレゼントを買ってあげます。ああ、野郎二人で悪いですがカフェも行きます？確かプリンパフェ食べたそうにしてましたよね？」
「良いの…？」
「良いですよ」
車に乗り込むと携帯端末でプリンパフェを扱っている店を調べる。この近辺、何店舗か扱っていたのでシキの希望を聞く為に各々の店のプリンパフェの写真を探しシキの行きたいところに連れて行こうと思った。
ふとシキを見れば彼は神妙な面持ちで、そして小さく「プリン…プリンか…」と呟くのでロードは静かに鳥肌を立てた。こう言うボソボソ喋る時のシキ、往々にして何かやらかしてくれそうな気しかしないのだ。
「と、ところで、シキは欲しいものは何かありますか？」
意識を逸らさせようとして少し上擦った声で尋ねれば、シキは「ん？」と首を傾げながら考え込む。そして色々考えると、「でっかいクッションソファ」と呟いた。
「クッションソファ…？」
「うん。俺が乗ってもそこまではみ出ない様なのが良い」
「それって…背の低い女性ならすっぽり収まる様なサイズ感ですよねぇ……え？連れ込みませんよね？」
「は？」
「責任も取れなさそうなお前が連れ込みだけは一丁前とか許しませんよ…？」
「はは。しねぇし」
頭の中で地図を広げ、カフェで一休みをしたらクッションソファを買いに行こうと道順を決めたロード。車を走らせながら助手席で窓の外を見つめるシキに不意に声を掛ける。
「ああ、そうそう。一月後半は私、発情期に入るんでよろしく」
「は？何て何て？」
「ですから、そのままの意味です」
何故かロード、誕生日付近はヴォイドへの意識や関心がいつもより高くなるからか昔から一月後半での風俗店の利用量が増える。しかし、一度こそ聞き返したがよく考えたらいつもの兄貴の言う事だ、とシキは特に話も聞かず適当に流した。
「私は忙しくなりますからね。あんまりその辺りでわがまま言わないでくださいよ」
「へーい…」
「うふふ、久々なんで楽しませてもらいましょうかねぇ」
「ふーん…」
適当な相槌を打ちながら頭の中で色々考えていたシキは、そう言えば時期的にもそろそろ…と愛の日に渡すものを思案していた。せっかく自分にも弟分の様な妹分の様な、年下の子と接する機会がこのマルフィ結社で増えたのだ。どうせなら俺の好きなものを皆で食べる、とか良いなぁ。
そうだ、プリンが良い。
「うふふふ、どこに行こうか珍しくちょっとワクワクしてるんですよ…こんな時だからこそ非日常なシチュエーションを楽しみたいと思っても良いじゃないですか」
「へー…」
言うまでもなくどの風俗店に行くかと話すロードとさして興味もないシキの会話は大変ちぐはぐで、聞いているのか居ないのかと言う感じで流れる様に会話が進む。
よし、プリンを自分で作ろう。
そんな中でシキがそんな事を思っているなどロードは知らない。そして、このシキの思い付きによりロードの華々しい趣味巡りは一転して長期に渡る禁欲生活の幕開けになるだなんて、そんな事もロードは知らない。
後日、ミアと少しだけ距離を縮めたロードはさり気なく彼女に青い薔薇の花言葉を尋ねてみる。彼女はどうも花屋だった様で人より花に詳しいからだ。ミアはロードに尋ねられ嬉しそうに得意分野である花について嬉々として語った。
青薔薇の実現は長年研究者の夢だった事、テロ直前に市場に出たので残念ながら話題に上がらなかった事、しかし夢を叶えた研究者の思いを乗せたその薔薇は、「不可能」だった花言葉に「夢叶う」「奇跡」と言うポジティブな言葉を追加させた事。
「だから青い薔薇って、今ではもう夢を叶える代名詞みたいな感じなんですよ！」
そう言うミアの笑顔が何だか懐かしく思えて、ロードは少しだけ郷愁を感じながら微笑む。ミアはミアで自分が幼い頃に店によく通っていた「青薔薇のお兄さん」の事を思い出していた。
「あの、ロードさん」
「はい？」
「実はロードさんみたいな人、過去に居たんですよ！」
「ほぅ…え？ミアさんのご実家のお店に、ですか？」
「はい！毎年そうでした！年が明けて少し経つとそのお兄さんが青い薔薇を買いに来て──」
互いが互いの想い出に関わる人間だと言う事に気が付くまで、このあと五分も掛からないのだった。
ロードはテロ発生からしばらくの間、生きた心地がしなかった。もしもヴォイドが瓦礫の崩落に巻き込まれて命を落としていたら。今すぐにでも駆け出したいが、自分を飼い殺すつもりで居るであろう「サントル・オルディネ」はヴォイドとの接触を決して許さない。
ヴォイドの安否を確認したいが、彼らの生死も分からない内は迂闊に動けない。悶々とした日々を過ごしていたロードだったが、その内傷一つない元気な姿で彼女は結社にやってくる。「サントル・オルディネ」の目の届かないマルフィ結社でヴォイドと再会したロードは期待に胸を膨らますが、矢張りあんな形で言葉も無く離れてしまった彼を恨んでいたヴォイドはロードに憎しみを込めた態度を取った。
何と言って取り繕おうにも、彼女は心を開いてくれない。そうこうして居る内に彼女は彼女で段々心許せる人が増えて行き、その中にはかつての初恋の相手と、一筋縄では行かなそうな緻密な図形の様な男も居た。
各々距離を縮める中、自分だけは名前すら呼んでもらえない。それがロードとヴォイドの今の距離感だった。あの当時、それしか方法が無かったからと私刑に遭い、動けなくなった状態で何とか彼女を解放したが彼がそんな暴行を受けていたなど彼女は知らない。きっと彼女は、飽きてただ捨て置かれただけの様に感じたのだろう。
だから、「今更どのツラ下げて何しに来た？」と思われてもそれは仕方がないとロードは思った。
最愛の人に会う度に嫌な顔をされると言うのは堪えるところがある。しかしそれでも、彼女が生きていてくれただけで今は良かった。
渡したところで受け取ってくれないと言うのは分かっているので、自分の自己満足で今年もロードは花屋に行った。今までも何店か渡り歩いて来たが、やはり最初期に通っていたラシアスの店が一番品揃えも良く丁寧で花が元気に生きていた。何よりあの女の子の花言葉サービスが好きだった。他の店ではそんな事まで教えてくれない、子供ならではのサービスだったのだろうと思うがそれ故に他には無い魅力があった。
あの日以来毎年ヴォイドの誕生日が近くなると青い薔薇を何とか見付けて買っている。アスでの仕事が多くなりなかなか足を運べなくなった事で行かなくなってしまったが、あの時の店主は、あの幼い娘は、今も達者でやっているだろうか。
この日は何故か「俺もついてく」と言ったシキも伴い、買い物がてら出掛ける事にした。おそらく、誕生日が近いからついでに何か買ってもらいたいんだろうなとは思ったが、可愛がっている弟分だし元々そうするつもりだったので特に何も言わずロードはついでに彼を荷物待ちにする事にした。
「いらっしゃいませ！」
結社近くの花屋に寄ると、一番最初に目に飛び込んで来たのは青い薔薇だった。しかし、その薔薇は今まで見た様な人工的な青さを放つ薔薇では無く、自然な青みの綺麗な薔薇だった。
「これは…」
「あ！そちらは薔薇です！珍しいでしょ？青い色の品種なんですよ！」
「あれ？その花…兄貴がよく買ってたのと違くない？もっと濃い色じゃなかった？」
シキの言葉に店員が頷くと、「品種改良の結果最近市場に出回る様になったんです！」と嬉しそうに呟いた。長年青い花をつける事は難しいとされた薔薇。しかしここ数年の間に研究は積み重ねられ、遺伝子的に難しい青色の発色をする様な薔薇が完成したらしい。
「…難しいんですか？青色と言うのは…」
「ええ。今まで青色の花を作るのは、青い色水を吸わせた白い薔薇って言うのが基本だったんです」
「青い色水を吸わせた白い薔薇…染めて作っていたと言う事ですか？」
「そうです。だけど、研究が重ねられてそう言う手を加えずとも青みのある花弁を持つ薔薇を作る事に成功したんです！確かに色水を用いた作り方とは違い、あれ程はっきりとした発色は難しいです。でも、自然だからこそ出る暖かい色合いが人気で…私はこっちも好きなんですよ」
はっきりした色合いの薔薇と自然な色合いの薔薇。人工的にしか作れず「生花業の夢」と言わしめた青い薔薇は時を経て優しい色合いの自然な青みの薔薇を仲間に加えた。どちらの色も、「好み」で選べてしまう。ロードは少し悩んだが、淡い青さが美しい薔薇を指差すと一本貰えるかと店員に聞いた。
「ラッピングはいかが致しますか？」
「いいえ、私用なので大丈夫です」
花を買い外に出ると、何故かシキが嬉しそうに微笑んだ。
「兄貴良かったね。薔薇に変化があって」
「変化…ですか？」
「うん、不可能って言われてた薔薇だったけど、不可能じゃ無くなったじゃん。可能になったじゃん」
「ああ…そうですね…」
「俺最近医療班でミアから花言葉について色々聞いたんだ。花言葉って、状況で変化するんだって。兄貴のそれもさ、青い薔薇の花言葉、色々変化して今また違う良い意味が足されてるかもよ？」
そう言って微笑むシキの笑顔を見て、何故かヴォイドを思い出す。そう言えばシキは髪の色も目の色もヴォイドに似ている。おまけによくよく聞けば誕生日も一緒だ。最初こそ彼女と離れる運命だった自分と縁を結んでくれた少年でしかなかったシキ。歳を重ねるごとに思い出も増えていき、気付けば彼もかけがえのない家族の様な存在になっていた。何故かシキを見るたびにヴォイドのことを鮮明に思い出すので、ロードがヴォイドと離れている間変に無茶な事をしなかったのも、じっと冷静に機が熟すのを待てたのも今思えば彼の存在が大きかった気がする。
そんな彼に花に対して前向きな事を言われ、ロードは少し不思議な気持ちになりながら車のキーを取り出す。
「では…次はシキの行きたい店に行きましょうか」
「え？」
「誕生日、でしょう？忘れてないですよ。何か一つプレゼントを買ってあげます。ああ、野郎二人で悪いですがカフェも行きます？確かプリンパフェ食べたそうにしてましたよね？」
「良いの…？」
「良いですよ」
車に乗り込むと携帯端末でプリンパフェを扱っている店を調べる。この近辺、何店舗か扱っていたのでシキの希望を聞く為に各々の店のプリンパフェの写真を探しシキの行きたいところに連れて行こうと思った。
ふとシキを見れば彼は神妙な面持ちで、そして小さく「プリン…プリンか…」と呟くのでロードは静かに鳥肌を立てた。こう言うボソボソ喋る時のシキ、往々にして何かやらかしてくれそうな気しかしないのだ。
「と、ところで、シキは欲しいものは何かありますか？」
意識を逸らさせようとして少し上擦った声で尋ねれば、シキは「ん？」と首を傾げながら考え込む。そして色々考えると、「でっかいクッションソファ」と呟いた。
「クッションソファ…？」
「うん。俺が乗ってもそこまではみ出ない様なのが良い」
「それって…背の低い女性ならすっぽり収まる様なサイズ感ですよねぇ……え？連れ込みませんよね？」
「は？」
「責任も取れなさそうなお前が連れ込みだけは一丁前とか許しませんよ…？」
「はは。しねぇし」
頭の中で地図を広げ、カフェで一休みをしたらクッションソファを買いに行こうと道順を決めたロード。車を走らせながら助手席で窓の外を見つめるシキに不意に声を掛ける。
「ああ、そうそう。一月後半は私、発情期に入るんでよろしく」
「は？何て何て？」
「ですから、そのままの意味です」
何故かロード、誕生日付近はヴォイドへの意識や関心がいつもより高くなるからか昔から一月後半での風俗店の利用量が増える。しかし、一度こそ聞き返したがよく考えたらいつもの兄貴の言う事だ、とシキは特に話も聞かず適当に流した。
「私は忙しくなりますからね。あんまりその辺りでわがまま言わないでくださいよ」
「へーい…」
「うふふ、久々なんで楽しませてもらいましょうかねぇ」
「ふーん…」
適当な相槌を打ちながら頭の中で色々考えていたシキは、そう言えば時期的にもそろそろ…と愛の日に渡すものを思案していた。せっかく自分にも弟分の様な妹分の様な、年下の子と接する機会がこのマルフィ結社で増えたのだ。どうせなら俺の好きなものを皆で食べる、とか良いなぁ。
そうだ、プリンが良い。
「うふふふ、どこに行こうか珍しくちょっとワクワクしてるんですよ…こんな時だからこそ非日常なシチュエーションを楽しみたいと思っても良いじゃないですか」
「へー…」
言うまでもなくどの風俗店に行くかと話すロードとさして興味もないシキの会話は大変ちぐはぐで、聞いているのか居ないのかと言う感じで流れる様に会話が進む。
よし、プリンを自分で作ろう。
そんな中でシキがそんな事を思っているなどロードは知らない。そして、このシキの思い付きによりロードの華々しい趣味巡りは一転して長期に渡る禁欲生活の幕開けになるだなんて、そんな事もロードは知らない。
後日、ミアと少しだけ距離を縮めたロードはさり気なく彼女に青い薔薇の花言葉を尋ねてみる。彼女はどうも花屋だった様で人より花に詳しいからだ。ミアはロードに尋ねられ嬉しそうに得意分野である花について嬉々として語った。
青薔薇の実現は長年研究者の夢だった事、テロ直前に市場に出たので残念ながら話題に上がらなかった事、しかし夢を叶えた研究者の思いを乗せたその薔薇は、「不可能」だった花言葉に「夢叶う」「奇跡」と言うポジティブな言葉を追加させた事。
「だから青い薔薇って、今ではもう夢を叶える代名詞みたいな感じなんですよ！」
そう言うミアの笑顔が何だか懐かしく思えて、ロードは少しだけ郷愁を感じながら微笑む。ミアはミアで自分が幼い頃に店によく通っていた「青薔薇のお兄さん」の事を思い出していた。
「あの、ロードさん」
「はい？」
「実はロードさんみたいな人、過去に居たんですよ！」
「ほぅ…え？ミアさんのご実家のお店に、ですか？」
「はい！毎年そうでした！年が明けて少し経つとそのお兄さんが青い薔薇を買いに来て──」
互いが互いの想い出に関わる人間だと言う事に気が付くまで、このあと五分も掛からないのだった。
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