眠れない夜に罪な夜食の会／燐花
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rinka_creation 2021年06月06日(日) 01:15:41履歴
思い出のスラナ 
右を見て、左を見て、もう一度右。
ヒギリの目の前に広がるのは懐かしきスラナの街並み。ここは故郷ではないが、かつてアイドル「ディーヴァ×クアエダム」のローズ・マリーとして居た頃に通ったレコーディングスタジオがここにはあった。しかし、ヒギリはもう一つ気付いている事がある。自分の身体は今、マルフィ結社の自室にあると言う事。
「な、何か変な感じ…」
画面に薄っすらフィルターを掛けて少し透かした向こう側に自室の様子が見て取れる、そんな感じ。あくまで見えているメインの映像はスラナの街並みであり、自分はそのメインストリートを抜けてどこかへ向かっている気がするのだが、その移動の仕方も自分の意思で動いている感じではないし、歩いている時の様な感じでもない。テレビの撮影用のカメラでスーッと動いている映像の様に見えるし、何より身体はさっきから全く動いて居ない気がする。
「これ…金縛りって奴なのかな…？ゆ、夢…？」
その時ハッと気が付いてしまう。昔から音楽業界でその手の話題は後を絶たない。ヒギリもかつてバンドのサポートをメインにしているキーボーディストとの共演時、休憩時間で聞いた事があった。
不思議なもので誰が何のきっかけで言い出したか分からないのに、そう言う話と言うのは「そう言えば」の一言で何の脈絡もなく話のメインとして割り込んで来るのだ。
その時も、つい先程までスラナのどのお店のご飯が美味しいから夕食はそこで食べようとかそんな話をして居た筈なのに、誰が言い出すでも無く気が付くとそう言う 話にシフトして居た。
「そう言えばさ、俺この間ライブハウスで演 ってたんだけど」
「うん」
「ドラマーが新しく付き合い始めた彼女連れて来てさ。俺らも初めて会う子だったんだよね。本当初対面で。だからいきなりふざけるとか無いと思うんだけど」
「うん」
「その子がさ、演奏終わって俺らがソデ戻った時そこで待っててくれたのね。そのドラマーが彼女紹介したいからって言って。その子駆け寄って来たんだけど、床に貼ってあったバミリあんじゃん？あれ踏んだんだよ。そしたら、いきなり頭ぐわって前に倒して俯いて。急な事だったから具合でも悪くなったのかと思ってさ、駆け寄ったら顔上げた彼女、顔色が凄くて」
「凄い？」
「その子じゃなかった。いや、上手く説明出来ないけど、あるじゃん？別人になったみたいな感じの顔して…その子さ、いきなり顔付き変わって俺らの方見たの。そしたら、どこのか分からない方言で、おっさんみたいな低い声出して怒鳴り始めたんだよ。マジ、本当マジ。あんなん女の子に出せる声じゃない」
「え！？何それ！？」
「俺はこの先で何ちゃらとか、俺の生まれはどこどこでみたいな自己主張をひとしきりそのがなり声でしまくってさ。散々騒いだと思ったらフッて彼女倒れちゃって。目ぇ覚ましたらケロッとしてんの。『何？どうしたの？皆集まって』とか言ってさ、その訳分からんおっさん声で言ってた自己主張も、田舎っぽい方言も、確認したけど聞いた事ないって言うんだよ。何なら俺らがソデ戻ってから彼女の前まで高速移動した様に見えたんだと。つまりバミリ踏んだ後の記憶がその子からすっぽり抜けてんだよな」
「マジかよ…」
「マジマジ、大マジ。そう言やここもあるよな。やたらと電子機器の故障が多いって昔からさ」
他のメンバーが各々談笑している中、小腹が空いておにぎりをもくもく食べて居たヒギリはうっかり聞き耳を立て、全部聞いてしまっていた。
怖い。凄く怖い。
そしてそう言う話に限ってふとした時に思い出してしまう、忘れられない話になって居たりするのだ。
昔からライブハウスやレコーディングスタジオでの怪談話は多い。意外や意外、音楽人って結構経験者だったりする。怪談話と聞いて一番に経験者としてイメージするのは大きな病院勤務のナース、研修医だったりしないだろうか。実は音楽人にも小さなものならなかなか多い。
ミキサーだったりスピーカーだったり、そうした大きな機材が何か影響しているのかは分からないが、機械自体が原因不明の故障を引き起こしたり、中には「座ると気分の悪くなる席」なるものが噂される様なものがあったりするスタジオもある。
そんな話をまさか自分一人しか聞き耳を立てて居ない時に聞いてしまうとは。周りで聞いている子は居なさそうだから共有出来ないし、かと言ってその場で彼らに突っ込んで話を聞くのはあまりにも失礼すぎるし「聞き耳を立てて居ました」とバラす事になる。自分一人で抱えるしか無くなったその正体不明の話。
それを聞いてしまったスタジオへの道だ。
思い出してヒギリは慌てた。
「どうしよう！？これ、そこ向かってる夢！？」
今、意識は二分割になっている。一つはこのスラナの道を歩いており、一つは結社の自室で寝ている。だから夢だと分かるのに、まるで魂が半分になってどちらにも飛んでいる様だった。
「良くない！多分良くないよね！？これ！！」
早く結社に帰る！結社に帰るの！
強く強くそう念じると、段々とスラナの街並みがモヤがかかる様に薄くなり、代わりに自室の光景が鮮明になって来た。
やった！！戻れる！！
そう思っていたら、まだ意識の明瞭しない自室の身体に何かが近付いている気配がある。まだ身体の方に確りした意識が無いにも関わらず、何かが近付く気配は分かる。どうしよう、どうしよう！？スラナの景色がはっきり消えてくれないのに感じるその気配。慌てたヒギリの視界からやっとスラナの景色が跡形もなく消えたその瞬間、身動きの取れない状態のヒギリは耳元ではっきりとそれを聞いた。
──良ぉかぁったねぇぇぇぇえ
戻ぉってこれてぇぇぇぇぇえ──
まるでスローモーションで再生されている様な、不自然に遅くそして太い女性の声だった。その女性は、自分の耳元まで顔を近付け、長い髪を自分の顔に垂らしながらその不自然な声で語り掛けたのだ。
「きゃぁぁぁあっ！！」
慌てて飛び起き、耳元を触る。まるで吐息が掛かった様な感触の残る耳。
時刻は午後十時。ヒギリは部屋を見回し、とにかく誰かに会おうと髪の毛も下ろしたまま玄関へ向かう。ドアの隙間から部屋を覗き見た時、自分以外居るはずが無いのに誰かが立ち尽くしている様な気がした。
ヒギリの目の前に広がるのは懐かしきスラナの街並み。ここは故郷ではないが、かつてアイドル「ディーヴァ×クアエダム」のローズ・マリーとして居た頃に通ったレコーディングスタジオがここにはあった。しかし、ヒギリはもう一つ気付いている事がある。自分の身体は今、マルフィ結社の自室にあると言う事。
「な、何か変な感じ…」
画面に薄っすらフィルターを掛けて少し透かした向こう側に自室の様子が見て取れる、そんな感じ。あくまで見えているメインの映像はスラナの街並みであり、自分はそのメインストリートを抜けてどこかへ向かっている気がするのだが、その移動の仕方も自分の意思で動いている感じではないし、歩いている時の様な感じでもない。テレビの撮影用のカメラでスーッと動いている映像の様に見えるし、何より身体はさっきから全く動いて居ない気がする。
「これ…金縛りって奴なのかな…？ゆ、夢…？」
その時ハッと気が付いてしまう。昔から音楽業界でその手の話題は後を絶たない。ヒギリもかつてバンドのサポートをメインにしているキーボーディストとの共演時、休憩時間で聞いた事があった。
不思議なもので誰が何のきっかけで言い出したか分からないのに、そう言う話と言うのは「そう言えば」の一言で何の脈絡もなく話のメインとして割り込んで来るのだ。
その時も、つい先程までスラナのどのお店のご飯が美味しいから夕食はそこで食べようとかそんな話をして居た筈なのに、誰が言い出すでも無く気が付くと
「そう言えばさ、俺この間ライブハウスで
「うん」
「ドラマーが新しく付き合い始めた彼女連れて来てさ。俺らも初めて会う子だったんだよね。本当初対面で。だからいきなりふざけるとか無いと思うんだけど」
「うん」
「その子がさ、演奏終わって俺らがソデ戻った時そこで待っててくれたのね。そのドラマーが彼女紹介したいからって言って。その子駆け寄って来たんだけど、床に貼ってあったバミリあんじゃん？あれ踏んだんだよ。そしたら、いきなり頭ぐわって前に倒して俯いて。急な事だったから具合でも悪くなったのかと思ってさ、駆け寄ったら顔上げた彼女、顔色が凄くて」
「凄い？」
「その子じゃなかった。いや、上手く説明出来ないけど、あるじゃん？別人になったみたいな感じの顔して…その子さ、いきなり顔付き変わって俺らの方見たの。そしたら、どこのか分からない方言で、おっさんみたいな低い声出して怒鳴り始めたんだよ。マジ、本当マジ。あんなん女の子に出せる声じゃない」
「え！？何それ！？」
「俺はこの先で何ちゃらとか、俺の生まれはどこどこでみたいな自己主張をひとしきりそのがなり声でしまくってさ。散々騒いだと思ったらフッて彼女倒れちゃって。目ぇ覚ましたらケロッとしてんの。『何？どうしたの？皆集まって』とか言ってさ、その訳分からんおっさん声で言ってた自己主張も、田舎っぽい方言も、確認したけど聞いた事ないって言うんだよ。何なら俺らがソデ戻ってから彼女の前まで高速移動した様に見えたんだと。つまりバミリ踏んだ後の記憶がその子からすっぽり抜けてんだよな」
「マジかよ…」
「マジマジ、大マジ。そう言やここもあるよな。やたらと電子機器の故障が多いって昔からさ」
他のメンバーが各々談笑している中、小腹が空いておにぎりをもくもく食べて居たヒギリはうっかり聞き耳を立て、全部聞いてしまっていた。
怖い。凄く怖い。
そしてそう言う話に限ってふとした時に思い出してしまう、忘れられない話になって居たりするのだ。
昔からライブハウスやレコーディングスタジオでの怪談話は多い。意外や意外、音楽人って結構経験者だったりする。怪談話と聞いて一番に経験者としてイメージするのは大きな病院勤務のナース、研修医だったりしないだろうか。実は音楽人にも小さなものならなかなか多い。
ミキサーだったりスピーカーだったり、そうした大きな機材が何か影響しているのかは分からないが、機械自体が原因不明の故障を引き起こしたり、中には「座ると気分の悪くなる席」なるものが噂される様なものがあったりするスタジオもある。
そんな話をまさか自分一人しか聞き耳を立てて居ない時に聞いてしまうとは。周りで聞いている子は居なさそうだから共有出来ないし、かと言ってその場で彼らに突っ込んで話を聞くのはあまりにも失礼すぎるし「聞き耳を立てて居ました」とバラす事になる。自分一人で抱えるしか無くなったその正体不明の話。
それを聞いてしまったスタジオへの道だ。
思い出してヒギリは慌てた。
「どうしよう！？これ、そこ向かってる夢！？」
今、意識は二分割になっている。一つはこのスラナの道を歩いており、一つは結社の自室で寝ている。だから夢だと分かるのに、まるで魂が半分になってどちらにも飛んでいる様だった。
「良くない！多分良くないよね！？これ！！」
早く結社に帰る！結社に帰るの！
強く強くそう念じると、段々とスラナの街並みがモヤがかかる様に薄くなり、代わりに自室の光景が鮮明になって来た。
やった！！戻れる！！
そう思っていたら、まだ意識の明瞭しない自室の身体に何かが近付いている気配がある。まだ身体の方に確りした意識が無いにも関わらず、何かが近付く気配は分かる。どうしよう、どうしよう！？スラナの景色がはっきり消えてくれないのに感じるその気配。慌てたヒギリの視界からやっとスラナの景色が跡形もなく消えたその瞬間、身動きの取れない状態のヒギリは耳元ではっきりとそれを聞いた。
──良ぉかぁったねぇぇぇぇえ
戻ぉってこれてぇぇぇぇぇえ──
まるでスローモーションで再生されている様な、不自然に遅くそして太い女性の声だった。その女性は、自分の耳元まで顔を近付け、長い髪を自分の顔に垂らしながらその不自然な声で語り掛けたのだ。
「きゃぁぁぁあっ！！」
慌てて飛び起き、耳元を触る。まるで吐息が掛かった様な感触の残る耳。
時刻は午後十時。ヒギリは部屋を見回し、とにかく誰かに会おうと髪の毛も下ろしたまま玄関へ向かう。ドアの隙間から部屋を覗き見た時、自分以外居るはずが無いのに誰かが立ち尽くしている様な気がした。
カレー味の麺に追いチーズ
「どうしよう…」
明日も朝は早いから早く寝ないといけないのに部屋に戻れない。何より、これからやらねばならない中で一番おそろしいのがシャワーだ。
シャワーを浴びている時、目を瞑ってお湯を被ると何だかとても無防備な気がして来ないだろうか。ただお湯を浴びているだけなのに、排気口から誰か迫ってくる様なそんな妄想をしてしまわないだろうか。
…実はそれ、一番気を付けねばならないものなのである。
水と言うのは昔からそう言う存在に近いものだと言われている。故に、水場でそちら側に引っ張られる様な想像をすると言うのは危険なのだ。特に心が折れそうな事が起きて、いつもよりもマイナス思考に陥っている時は尚更。
それらにつけ入る隙を与えてしまう。
ヒギリは今まさにそんな状態で灯りの灯る、人の気配のある廊下を進んでいた。とりあえず休憩所に行って温かいお茶でも飲んでそれから考えよう。
何とか気合を保って休憩所に向かうと、凄く凸凹した二人が目に入った。
「そろそろ三分経つけど、どう？行ける？ウル」
「うん、大丈夫そう。では…背徳感を味わおう…」
シキとウルリッカの二人が休憩所で話をしていたので、藁にもすがる思いでヒギリはそこに突入した。
「シ、シキ君ー！ウルちゃんー！」
うわぁぁぁあ！と声を上げながらシキとウルリッカの二人に抱き付くヒギリ。覆われたウルリッカは彼女の肩の辺りで溺れる様にあっぷあっぷと声を上げ、シキは自分の胸の辺りですっぽりハマったヒギリにどうしたら良いか分からずとりあえず行き場のない手を彼女の頭に乗っけた。ひとしきり騒いだ後顔を上げるヒギリ。髪を結っておらずいつもと雰囲気の違う彼女をシキは物珍しそうにしげしげと見つめた。
「慌ててどうしたの？ヒギリ」
「ウルちゃんあのね、あのね…！今怖い夢見てね…！」
涙目で何があったか訴えるヒギリ。それは苦手な人であれば「やめろ」と遮りたくなる様な話であり、影響されやすい人であれば「聞かなきゃ良かった」と言いたくなる話であったのだが、幸いこの二人は全く気にしなかった。
「…と、言うわけなんだよ…」
「なるほど。それでヒギリ今一人でシャワーも浴びれなくなっちゃったの？」
「だって怖いから…！ところで、ウルちゃんはシキ君とこんな遅くになにしてたの？…まさか！？」
ヒギリの脳内が瞬時にパパラッチの如くデバガメに切り替わる。が、返ってきたのは何とも色気の無い理由と返事であった。
「シキがね、調達班でカップ麺貰ってきたの」
「兄貴に頼らない生活をしてみようと思って。自炊への一歩」
「じ、自炊って…お湯注ぐだけだけどまあ良いか…」
「それだけじゃ無い…ウルに聞いたらカレーヌードル食べるならって、なかなか良い案出してくれたんだよ」
「名付けて『夜に食べる辛口カレーヌードル、まろやか追いチーズ編』」
「そ、それは罪過ぎていかんよ…！」
この二人、こんな夜更けに二人だけで同盟を組むが如くカップ麺にチーズを足したものを夜食として居たらしい。何とも色気の無い、しかし罪な理由だった。
「伸びちゃう。シキ、食べよ？」
「うん」
ずるずぞぞーっと音を立てて食べる二人。あまりにも美味しそうに食べるものだからヒギリは思わず見入ってしまった。
「美味い…」
「美味しいね…」
「…ウル、何にしてもカレー味に追いチーズはヤバイね。言葉失う」
「うん…鉄板だから。約束された味だからこそ美味しい…」
「二人とも良いなー…」
羨ましそうに指を咥えるヒギリを見たシキは箸で器用に麺を掴むと彼女の口元に持って行った。
「はい、あーんして…？」
「…え！？シキ君！？」
「だって、あんまり美味しそうに見てるから…」
「で、でもでも！やっぱり男の子からもらうのはいかんよ！あーんしてもらうなんて何かいかんよ！！」
「え？何が？」
「照れる！！」
「じゃあ、私がヒギリに少しあげる」
「ウルちゃんからなら…良い、のかなぁ？」
ウルリッカから少しもらい、控えめにちゅるるっと啜ってみる。夜、遅い時間にチーズトッピングされたカレー味の麺なんて背徳感の塊だった。
結局その後ウルリッカがシキから分けてもらっており、結果としてシキの食べる分が減っただけの流れだった。
「で？ヒギリ大丈夫なの？部屋戻れる？」
「あ…」
「大丈夫じゃ無さそうだね」
鮮明に思い出してしまう。よくホラーな再現ドラマで観るような、あのスローがかった声。
『良かったね、戻って来れて』
あの瞬間、本当に何か居たような気がしたのだ。そして思う。もし少しでも意識が戻るのが遅くなって居たら、自分の顔を覗き込んで居た謎の女は何をするつもりだったのか。
色々と思考を巡らせてヒギリはギョッとした。
「うう…」
絞り出す様なその声はやっぱりとてもじゃ無いが「大丈夫」には聞こえない。
色々考えた結果、口を開いたのはシキだった。
「よし、じゃあ今からヒギリさんの部屋に行こうよ」
「うん、良いね」
「え！？」
「俺らが部屋に居るからその間シャワー浴びれば良いじゃん。何かあったら呼んでくれたらすぐ駆け付けるし。ね？」
「え！？で、でも…」
シキの青と緑が混じった様な、そんな海の様な瞳で見つめられると断る言葉が出て来ない。しかし、活動を止めているとは言え元アイドルの自分が男の子を部屋に招き入れてシャワーを浴びる状況…パパラッチの喜びそうなネタだよな…と思いつつ、一緒に着いてくる気満々で居てくれるウルリッカと二人の手に種類の違う調理前のカップ麺が握られている事に気付きすぐその思考はどこかに飛んでいく。
二人とも、私の部屋でお代わりを食べる気満々で居るな…！？
明日も朝は早いから早く寝ないといけないのに部屋に戻れない。何より、これからやらねばならない中で一番おそろしいのがシャワーだ。
シャワーを浴びている時、目を瞑ってお湯を被ると何だかとても無防備な気がして来ないだろうか。ただお湯を浴びているだけなのに、排気口から誰か迫ってくる様なそんな妄想をしてしまわないだろうか。
…実はそれ、一番気を付けねばならないものなのである。
水と言うのは昔からそう言う存在に近いものだと言われている。故に、水場でそちら側に引っ張られる様な想像をすると言うのは危険なのだ。特に心が折れそうな事が起きて、いつもよりもマイナス思考に陥っている時は尚更。
それらにつけ入る隙を与えてしまう。
ヒギリは今まさにそんな状態で灯りの灯る、人の気配のある廊下を進んでいた。とりあえず休憩所に行って温かいお茶でも飲んでそれから考えよう。
何とか気合を保って休憩所に向かうと、凄く凸凹した二人が目に入った。
「そろそろ三分経つけど、どう？行ける？ウル」
「うん、大丈夫そう。では…背徳感を味わおう…」
シキとウルリッカの二人が休憩所で話をしていたので、藁にもすがる思いでヒギリはそこに突入した。
「シ、シキ君ー！ウルちゃんー！」
うわぁぁぁあ！と声を上げながらシキとウルリッカの二人に抱き付くヒギリ。覆われたウルリッカは彼女の肩の辺りで溺れる様にあっぷあっぷと声を上げ、シキは自分の胸の辺りですっぽりハマったヒギリにどうしたら良いか分からずとりあえず行き場のない手を彼女の頭に乗っけた。ひとしきり騒いだ後顔を上げるヒギリ。髪を結っておらずいつもと雰囲気の違う彼女をシキは物珍しそうにしげしげと見つめた。
「慌ててどうしたの？ヒギリ」
「ウルちゃんあのね、あのね…！今怖い夢見てね…！」
涙目で何があったか訴えるヒギリ。それは苦手な人であれば「やめろ」と遮りたくなる様な話であり、影響されやすい人であれば「聞かなきゃ良かった」と言いたくなる話であったのだが、幸いこの二人は全く気にしなかった。
「…と、言うわけなんだよ…」
「なるほど。それでヒギリ今一人でシャワーも浴びれなくなっちゃったの？」
「だって怖いから…！ところで、ウルちゃんはシキ君とこんな遅くになにしてたの？…まさか！？」
ヒギリの脳内が瞬時にパパラッチの如くデバガメに切り替わる。が、返ってきたのは何とも色気の無い理由と返事であった。
「シキがね、調達班でカップ麺貰ってきたの」
「兄貴に頼らない生活をしてみようと思って。自炊への一歩」
「じ、自炊って…お湯注ぐだけだけどまあ良いか…」
「それだけじゃ無い…ウルに聞いたらカレーヌードル食べるならって、なかなか良い案出してくれたんだよ」
「名付けて『夜に食べる辛口カレーヌードル、まろやか追いチーズ編』」
「そ、それは罪過ぎていかんよ…！」
この二人、こんな夜更けに二人だけで同盟を組むが如くカップ麺にチーズを足したものを夜食として居たらしい。何とも色気の無い、しかし罪な理由だった。
「伸びちゃう。シキ、食べよ？」
「うん」
ずるずぞぞーっと音を立てて食べる二人。あまりにも美味しそうに食べるものだからヒギリは思わず見入ってしまった。
「美味い…」
「美味しいね…」
「…ウル、何にしてもカレー味に追いチーズはヤバイね。言葉失う」
「うん…鉄板だから。約束された味だからこそ美味しい…」
「二人とも良いなー…」
羨ましそうに指を咥えるヒギリを見たシキは箸で器用に麺を掴むと彼女の口元に持って行った。
「はい、あーんして…？」
「…え！？シキ君！？」
「だって、あんまり美味しそうに見てるから…」
「で、でもでも！やっぱり男の子からもらうのはいかんよ！あーんしてもらうなんて何かいかんよ！！」
「え？何が？」
「照れる！！」
「じゃあ、私がヒギリに少しあげる」
「ウルちゃんからなら…良い、のかなぁ？」
ウルリッカから少しもらい、控えめにちゅるるっと啜ってみる。夜、遅い時間にチーズトッピングされたカレー味の麺なんて背徳感の塊だった。
結局その後ウルリッカがシキから分けてもらっており、結果としてシキの食べる分が減っただけの流れだった。
「で？ヒギリ大丈夫なの？部屋戻れる？」
「あ…」
「大丈夫じゃ無さそうだね」
鮮明に思い出してしまう。よくホラーな再現ドラマで観るような、あのスローがかった声。
『良かったね、戻って来れて』
あの瞬間、本当に何か居たような気がしたのだ。そして思う。もし少しでも意識が戻るのが遅くなって居たら、自分の顔を覗き込んで居た謎の女は何をするつもりだったのか。
色々と思考を巡らせてヒギリはギョッとした。
「うう…」
絞り出す様なその声はやっぱりとてもじゃ無いが「大丈夫」には聞こえない。
色々考えた結果、口を開いたのはシキだった。
「よし、じゃあ今からヒギリさんの部屋に行こうよ」
「うん、良いね」
「え！？」
「俺らが部屋に居るからその間シャワー浴びれば良いじゃん。何かあったら呼んでくれたらすぐ駆け付けるし。ね？」
「え！？で、でも…」
シキの青と緑が混じった様な、そんな海の様な瞳で見つめられると断る言葉が出て来ない。しかし、活動を止めているとは言え元アイドルの自分が男の子を部屋に招き入れてシャワーを浴びる状況…パパラッチの喜びそうなネタだよな…と思いつつ、一緒に着いてくる気満々で居てくれるウルリッカと二人の手に種類の違う調理前のカップ麺が握られている事に気付きすぐその思考はどこかに飛んでいく。
二人とも、私の部屋でお代わりを食べる気満々で居るな…！？
蕎麦・かき揚げ・七味
こんな夜遅くに何カレーの美味そうな匂い立ち込めさせてんだよ、この陽キャ…いや、陽キャか？むしろ不思議ちゃんの類か。この際分類はどうだって良い。分類はともあれ、何故か女性を二人も侍らせた自分より遥かに背の高い男が無遠慮に美味そうな匂いを纏いながらあろう事か七味を分けてもらいに来ているこの状況がクソッタレなだけだ。
「──で、イオさんが持ってるらしいって前聞いた記憶あって、俺らが居た休憩所から一番近いところにあった部屋だったし来ちゃったんだけど」
「うん。次食べる麺にあると嬉しいものなんだけど、ヒギリが持ってないって言うからあったら貸して欲しくて」
「へ、へぇ…そう、なんですか…」
その日の夜。イオは混乱して居た。何故か部屋のインターホンが鳴ったから出てみればそこに居たのは同僚のテオフィルスが可愛いと称していた食堂の女の子、給食部のヒギリ・モナルダ。彼女が珍しく髪の毛を下ろしており、しかもジャージ姿と言うレアな姿で部屋の前に立って居たので何の用かと一瞬どきりとしながら立ちすくんでいると、どう言うわけか後ろから前線駆除班第六小隊のウルリッカ・マルムフェと調達班のシキ・チェンバースが現れ七味をせがまれた。
前線駆除班第六小隊と言えば、女性メンバーからの黄色い悲鳴など日常茶飯事と言わんばかりの黒ずくめの男、ユウヤミ・リーシェル率いる天才肌の多いチームだ。そして調達班の彼が慕ってよく一緒にいる男もまた女性メンバーに囲まれている姿を見る事の方が多いいけ好かない人事部のスーツ、ロード・マーシュ。だからこの二人を見ていると思い出してしまうイケメンリア充約二名。
しかしそんなイオの心境など微塵も察したりしない静の巨人ことシキは特に遠慮する様子も無く「七味を貸してくれ」と口にするのだ。
「ま、まぁ…持ってはいる、けど…」
部屋から持って来たそれを手渡すと、素直に受け取ったシキの顔がぱあっと明るくなった。何だこいつ。女性二人も侍らせる分際で、デカい図体してる割に結構可愛い顔するじゃ無いか。イケメンリア充の腰巾着の癖して。
しかし、翌日帰ってきた七味の減り具合を見て手の平を百八十度回転させる事になるイオだった。
* * *
「お邪魔しまーす」
「ヒギリのお部屋だ…」
「……」
こんな事ならきちんと部屋を片付ければ良かった。ヒギリは部屋に来た二人を見るとついついそう思ってしまった。イオの部屋を経由して七味を借りてから来る部屋にもう恐怖は感じず、先程までの寒気が嘘の様だ。だがそれも、この二人が居てこそなのだろうとも思うのだが。
「本当にこの部屋で見たの？変な夢」
不意にシキが声を上げた。ヒギリは一瞬首を傾げると先程の事を思い出して青い顔になった。
「う…うん…」
「ふーん…」
「い、今は多分大丈夫…だよね！？そうだよね！？」
ヒギリが心配そうに声を上げる。
シキはそんなヒギリの顔を見、そしてヒギリの顔から視線を少し横にずらし、そしてもう一度ヒギリの顔を見た。
「………うん…」
「その間何ぃぃぃぃい！？」
「いや、大丈夫。女は 居ないよ」
「うん。ん？『女は 』！？」
「うん、女は居ない」
「……女以外は…？」
「………うん…」
「えええっ！？」
「いや、大丈夫。ごめんごめんぼーっとしてた。居ないよ、居ない。何も居ない」
「ほ、本当！？シキ君…意地悪はいかんからね…？嫌だよ…？」
「してない。本当にしてない」
適当に言った事でヒギリに泣き付かれてしまい、シキは困った様に自分の口元を押さえた。片手でヒギリの肩に手を置くと、落ち着く様にさすってやる。最初こそ少し震えて居たヒギリの体が少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「大丈夫、何も居ないから。シャワー浴びといでよ。俺ここに居るし」
「うぅ…」
「キッチンも使うけど、お湯沸かすのも淹れるのもウルにやってもらってるし。俺は後ろ…バスルームの方は見ないから」
その時、ピーっ！と言う甲高い音が響いた。お湯が沸いた音をヤカンが告げるのと同時にウルリッカの髪の毛が嬉しそうにぴこんっと跳ねた。
「シキ、お湯沸いた！」
「本当？」
「うん！」
「俺そっち向けないから、お願い」
「分かった！」
ウルリッカがキッチンに、そしてヒギリが「シャワー浴びてくる」とバスルームに向かう。シキは二人の方を見ない様に背を向けた。結社の独身寮はキッチンとバスルームが向かい合う様に並んでいる。だからシキは、音と匂いだけで現状の把握に勤しむ。
とくとくとくとお湯を注ぐ音が聞こえる。あ、キュッと音を立ててシャワーを浴びる音も聞こえてきた。そうこうしている内にフワッとスープの香りが漂い始める。いや、先程はカレー味のインスタントだったが確か今回ウルリッカと食べようと試みたのは大陸由来の「蕎麦」と言う食べ物。だからスープじゃなくて「つゆ」とか「汁」とか呼んだ方が相応しいのかも。
カンテ国民にも馴染みやすい様に魚から出汁を取った汁の香りだけでもう食欲をそそられる。この汁とやさしい味の蕎麦が絡み合い、尚且つそこに七味をまぶしたのがまた美味いんだ。あ、シャンプーの香りも漂ってきた。
何だか純石鹸みたいな香りで余計なものが入って居なさそうな…シキは鼻をヒクヒク動かしながら「好みの香りだな」とか「ヒギリさんがすれ違い様に良い匂いするの、シャンプーじゃなくて別の何かかなぁ？」等と考えを巡らせた。
びりりっと封を開ける音も聞こえる。これは蕎麦に乗せる揚げ物を入れて居た袋を開封する音だ。野菜がメインで揚げられているそれも大陸由来の食べ物であり蕎麦に乗せて一緒に食べたらまた絶品なのだ。さっきのカレーヌードル追いチーズも絶品だったが、今意識は真後ろの蕎麦に絶賛上書きされている。
「シキ、お腹の音うるさい」
「ごめん」
「な、何の音！？さっきからぐーぐーきゅーきゅーって！？」
「ヒギリ、シキのお腹の音だから大丈夫だよ出て来なくて」
「シキ君、まだお腹空かしてるの！？」
あ、バスルームから出て来たのか。道理でさっきの自分好みの石鹸の香りが強くなったと思ったら。
しかしそんな事より蕎麦だ。早くタイマーが鳴らないだろうか。タイマーはまだ鳴らないのだろうか。二回思うほどに待ち遠しい。
「ウル…振り向いちゃダメ？」
「駄目だと思う。さっき間違ってヒギリ出て来ちゃったし。事故起こしたくなければ向かない方が良い」
「…ん、じゃあせめてタイマーは後どのくらい？」
「後一分…」
「…世界一長い一分だね」
「うん…」
空腹時の夜食の完成を待つ一分は永遠に等しい。
そんな格言でも生み出す程の悟りを開き始めた頃、タイマーは勝利の雄叫びを鳴らした。
「シキ…！出来た…！！」
「おうっ…！」
ウルリッカはゆっくりテーブルに蕎麦を運ぶ。手で持つと熱いのでトレーに乗せていっぺんに二つ運ぶのだ。我ながら頭が良い、とウルリッカは思った。ついでに野菜の揚げ物も一緒に乗せていき、蕎麦も揚げ物も全部タイミングを合わせて二人で食べられるからトレーで運ぶのは便利だ。
「じゃあ…食べる？」
「うん、俺早く食べたい」
「はい箸」
「ありがと」
いただきます。二人で手を合わせて声も合わせる。パキッと音を立てて割り箸を割ると、たどたどしくも蕎麦を口に含みずぞぞぞと音を立てて吸い上げた。カンテ国には麺を啜る文化はないのだが、蕎麦に関しては音を立てて食べた方が美味しいのだと蕎麦の玄人がテレビで言っていた。
七味を掛ける手も止まらない。ピリリと辛いが、その辛味が最高に美味い。そのまま汁無しで食べても実は美味しい蕎麦にとっては鬼に金棒、そんな味の引き立て方をしてくれるのがこの唐辛子だ。
「私、揚げ物行く」
「おおっ…」
ウルリッカは野菜の揚げ物をぱくっと一口。サクサクと味わいながら蕎麦を啜り汁も口に含む。カンテ国には口の中で別の食物を合わせる事もそんなに文化として浸透しているわけではないのだが、この料理はそれが美味しいのである。
「ど、どう？ウル…」
「……」
「美味しいの…？」
「……好きぃっ！！！」
ウルリッカのその雄叫びを皮切りにシキも揚げ物に齧り付いた。そして同じく蕎麦を少し下手くそに啜り、汁も口に含む。
「うっ……！？」
「…どう？シキ」
「う、美味い…！！」
「……だよね…！」
ヒギリの部屋で蕎麦を啜る音が響く。ヒギリは、たとえお腹が空いても夜食は食べたら太ってしまうので我慢しなければならないと思っているのだが、そんな彼女の部屋で二人は何とも美味しそうに食べるものだ…。
「ず、ずるいぃぃい〜…！」
シャワー上がりのタオルを巻いたままの姿で二人をこそっと覗き見る。シキの事を考えたら早く着て出て行った方が良いのだろうが、いかんせん二人の食べるスピードが早過ぎてもたもたして居たら全部食べられてしまう気がした。
「ヒギリさん、食べる？」
くいっと首を動かしこちらを見たシキが誘惑の言葉を呟く。
「た、食べたい…ちょうだーーいっ！！」
「せっかくだから小さいお椀に少しヒギリの分よそってあげよう」
「ウルちゃん本当！？」
「じゃあ俺揚げ物半分あげる」
「わぁぁぁ！」
「だから安心して服着といでよヒギリ」
「はっ！？」
ぴゅーっと音を立てる様に脱衣所へ駆けて行くヒギリ。シキはそれを目で追うと部屋の中をきょろきょろと見回した。
多分、その女は本当に通りすがっただけだったのだろう。
通りすがりにたまたま半分いなくなった様な、半分抜け殻の様なヒギリを見付けてあわよくばと思って近付いた。
でもヒギリもギリギリのところで帰って来た。だからそれで呟いたのだ。
「良かったね、帰って来れて」と。
ヒギリは怖がって居たが、それきりきっと本当に何もせず通り過ぎて行ったのだろう。
だから今はもう、誰もいない。
「美味しい〜…」
シャワー上がりでホカホカしたヒギリは美味しそうにウルリッカから分けられた蕎麦を啜った。シキからもらった揚げ物はサクサク音を立てて食べる。しばらく幸せそうに蕎麦を食べて居たヒギリだが不意にシキの顔が近付き、体をびくりと震わせた。
「シキ君！？」
「うん…やっぱヒギリさん、良い匂いする。俺その匂い好き」
「シキ、そう言う匂い好きそうだよね」
さも当たり前の様に会話するシキとウルリッカ。ついていけないヒギリは「彼の人との距離はこんなに近いものか？」と言いたげにボッと顔を赤らめた。でもそれが功を奏したのか、そんな会話を続けながらお裾分けされた蕎麦を啜る内に怖い気持ちは忘れてしまった。
「あーあ…私明日からまたダイエットだなぁ…」
「うん。でも罪な夜食って良いものだよ。私は最近追いチーズにハマり中…」
「チーズはもう存在が罪だよね」
「二人とも…それは程々にせんといかんよ…！！」
翌日からヒギリはダイエットに勤しんだが、シキとウルリッカの「罪な夜食の会」はその後も数日続いた。
「──で、イオさんが持ってるらしいって前聞いた記憶あって、俺らが居た休憩所から一番近いところにあった部屋だったし来ちゃったんだけど」
「うん。次食べる麺にあると嬉しいものなんだけど、ヒギリが持ってないって言うからあったら貸して欲しくて」
「へ、へぇ…そう、なんですか…」
その日の夜。イオは混乱して居た。何故か部屋のインターホンが鳴ったから出てみればそこに居たのは同僚のテオフィルスが可愛いと称していた食堂の女の子、給食部のヒギリ・モナルダ。彼女が珍しく髪の毛を下ろしており、しかもジャージ姿と言うレアな姿で部屋の前に立って居たので何の用かと一瞬どきりとしながら立ちすくんでいると、どう言うわけか後ろから前線駆除班第六小隊のウルリッカ・マルムフェと調達班のシキ・チェンバースが現れ七味をせがまれた。
前線駆除班第六小隊と言えば、女性メンバーからの黄色い悲鳴など日常茶飯事と言わんばかりの黒ずくめの男、ユウヤミ・リーシェル率いる天才肌の多いチームだ。そして調達班の彼が慕ってよく一緒にいる男もまた女性メンバーに囲まれている姿を見る事の方が多いいけ好かない人事部のスーツ、ロード・マーシュ。だからこの二人を見ていると思い出してしまうイケメンリア充約二名。
しかしそんなイオの心境など微塵も察したりしない静の巨人ことシキは特に遠慮する様子も無く「七味を貸してくれ」と口にするのだ。
「ま、まぁ…持ってはいる、けど…」
部屋から持って来たそれを手渡すと、素直に受け取ったシキの顔がぱあっと明るくなった。何だこいつ。女性二人も侍らせる分際で、デカい図体してる割に結構可愛い顔するじゃ無いか。イケメンリア充の腰巾着の癖して。
しかし、翌日帰ってきた七味の減り具合を見て手の平を百八十度回転させる事になるイオだった。
* * *
「お邪魔しまーす」
「ヒギリのお部屋だ…」
「……」
こんな事ならきちんと部屋を片付ければ良かった。ヒギリは部屋に来た二人を見るとついついそう思ってしまった。イオの部屋を経由して七味を借りてから来る部屋にもう恐怖は感じず、先程までの寒気が嘘の様だ。だがそれも、この二人が居てこそなのだろうとも思うのだが。
「本当にこの部屋で見たの？変な夢」
不意にシキが声を上げた。ヒギリは一瞬首を傾げると先程の事を思い出して青い顔になった。
「う…うん…」
「ふーん…」
「い、今は多分大丈夫…だよね！？そうだよね！？」
ヒギリが心配そうに声を上げる。
シキはそんなヒギリの顔を見、そしてヒギリの顔から視線を少し横にずらし、そしてもう一度ヒギリの顔を見た。
「………うん…」
「その間何ぃぃぃぃい！？」
「いや、大丈夫。女
「うん。ん？『女
「うん、女は居ない」
「……女以外は…？」
「………うん…」
「えええっ！？」
「いや、大丈夫。ごめんごめんぼーっとしてた。居ないよ、居ない。何も居ない」
「ほ、本当！？シキ君…意地悪はいかんからね…？嫌だよ…？」
「してない。本当にしてない」
適当に言った事でヒギリに泣き付かれてしまい、シキは困った様に自分の口元を押さえた。片手でヒギリの肩に手を置くと、落ち着く様にさすってやる。最初こそ少し震えて居たヒギリの体が少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「大丈夫、何も居ないから。シャワー浴びといでよ。俺ここに居るし」
「うぅ…」
「キッチンも使うけど、お湯沸かすのも淹れるのもウルにやってもらってるし。俺は後ろ…バスルームの方は見ないから」
その時、ピーっ！と言う甲高い音が響いた。お湯が沸いた音をヤカンが告げるのと同時にウルリッカの髪の毛が嬉しそうにぴこんっと跳ねた。
「シキ、お湯沸いた！」
「本当？」
「うん！」
「俺そっち向けないから、お願い」
「分かった！」
ウルリッカがキッチンに、そしてヒギリが「シャワー浴びてくる」とバスルームに向かう。シキは二人の方を見ない様に背を向けた。結社の独身寮はキッチンとバスルームが向かい合う様に並んでいる。だからシキは、音と匂いだけで現状の把握に勤しむ。
とくとくとくとお湯を注ぐ音が聞こえる。あ、キュッと音を立ててシャワーを浴びる音も聞こえてきた。そうこうしている内にフワッとスープの香りが漂い始める。いや、先程はカレー味のインスタントだったが確か今回ウルリッカと食べようと試みたのは大陸由来の「蕎麦」と言う食べ物。だからスープじゃなくて「つゆ」とか「汁」とか呼んだ方が相応しいのかも。
カンテ国民にも馴染みやすい様に魚から出汁を取った汁の香りだけでもう食欲をそそられる。この汁とやさしい味の蕎麦が絡み合い、尚且つそこに七味をまぶしたのがまた美味いんだ。あ、シャンプーの香りも漂ってきた。
何だか純石鹸みたいな香りで余計なものが入って居なさそうな…シキは鼻をヒクヒク動かしながら「好みの香りだな」とか「ヒギリさんがすれ違い様に良い匂いするの、シャンプーじゃなくて別の何かかなぁ？」等と考えを巡らせた。
びりりっと封を開ける音も聞こえる。これは蕎麦に乗せる揚げ物を入れて居た袋を開封する音だ。野菜がメインで揚げられているそれも大陸由来の食べ物であり蕎麦に乗せて一緒に食べたらまた絶品なのだ。さっきのカレーヌードル追いチーズも絶品だったが、今意識は真後ろの蕎麦に絶賛上書きされている。
「シキ、お腹の音うるさい」
「ごめん」
「な、何の音！？さっきからぐーぐーきゅーきゅーって！？」
「ヒギリ、シキのお腹の音だから大丈夫だよ出て来なくて」
「シキ君、まだお腹空かしてるの！？」
あ、バスルームから出て来たのか。道理でさっきの自分好みの石鹸の香りが強くなったと思ったら。
しかしそんな事より蕎麦だ。早くタイマーが鳴らないだろうか。タイマーはまだ鳴らないのだろうか。二回思うほどに待ち遠しい。
「ウル…振り向いちゃダメ？」
「駄目だと思う。さっき間違ってヒギリ出て来ちゃったし。事故起こしたくなければ向かない方が良い」
「…ん、じゃあせめてタイマーは後どのくらい？」
「後一分…」
「…世界一長い一分だね」
「うん…」
空腹時の夜食の完成を待つ一分は永遠に等しい。
そんな格言でも生み出す程の悟りを開き始めた頃、タイマーは勝利の雄叫びを鳴らした。
「シキ…！出来た…！！」
「おうっ…！」
ウルリッカはゆっくりテーブルに蕎麦を運ぶ。手で持つと熱いのでトレーに乗せていっぺんに二つ運ぶのだ。我ながら頭が良い、とウルリッカは思った。ついでに野菜の揚げ物も一緒に乗せていき、蕎麦も揚げ物も全部タイミングを合わせて二人で食べられるからトレーで運ぶのは便利だ。
「じゃあ…食べる？」
「うん、俺早く食べたい」
「はい箸」
「ありがと」
いただきます。二人で手を合わせて声も合わせる。パキッと音を立てて割り箸を割ると、たどたどしくも蕎麦を口に含みずぞぞぞと音を立てて吸い上げた。カンテ国には麺を啜る文化はないのだが、蕎麦に関しては音を立てて食べた方が美味しいのだと蕎麦の玄人がテレビで言っていた。
七味を掛ける手も止まらない。ピリリと辛いが、その辛味が最高に美味い。そのまま汁無しで食べても実は美味しい蕎麦にとっては鬼に金棒、そんな味の引き立て方をしてくれるのがこの唐辛子だ。
「私、揚げ物行く」
「おおっ…」
ウルリッカは野菜の揚げ物をぱくっと一口。サクサクと味わいながら蕎麦を啜り汁も口に含む。カンテ国には口の中で別の食物を合わせる事もそんなに文化として浸透しているわけではないのだが、この料理はそれが美味しいのである。
「ど、どう？ウル…」
「……」
「美味しいの…？」
「……好きぃっ！！！」
ウルリッカのその雄叫びを皮切りにシキも揚げ物に齧り付いた。そして同じく蕎麦を少し下手くそに啜り、汁も口に含む。
「うっ……！？」
「…どう？シキ」
「う、美味い…！！」
「……だよね…！」
ヒギリの部屋で蕎麦を啜る音が響く。ヒギリは、たとえお腹が空いても夜食は食べたら太ってしまうので我慢しなければならないと思っているのだが、そんな彼女の部屋で二人は何とも美味しそうに食べるものだ…。
「ず、ずるいぃぃい〜…！」
シャワー上がりのタオルを巻いたままの姿で二人をこそっと覗き見る。シキの事を考えたら早く着て出て行った方が良いのだろうが、いかんせん二人の食べるスピードが早過ぎてもたもたして居たら全部食べられてしまう気がした。
「ヒギリさん、食べる？」
くいっと首を動かしこちらを見たシキが誘惑の言葉を呟く。
「た、食べたい…ちょうだーーいっ！！」
「せっかくだから小さいお椀に少しヒギリの分よそってあげよう」
「ウルちゃん本当！？」
「じゃあ俺揚げ物半分あげる」
「わぁぁぁ！」
「だから安心して服着といでよヒギリ」
「はっ！？」
ぴゅーっと音を立てる様に脱衣所へ駆けて行くヒギリ。シキはそれを目で追うと部屋の中をきょろきょろと見回した。
多分、その女は本当に通りすがっただけだったのだろう。
通りすがりにたまたま半分いなくなった様な、半分抜け殻の様なヒギリを見付けてあわよくばと思って近付いた。
でもヒギリもギリギリのところで帰って来た。だからそれで呟いたのだ。
「良かったね、帰って来れて」と。
ヒギリは怖がって居たが、それきりきっと本当に何もせず通り過ぎて行ったのだろう。
だから今はもう、誰もいない。
「美味しい〜…」
シャワー上がりでホカホカしたヒギリは美味しそうにウルリッカから分けられた蕎麦を啜った。シキからもらった揚げ物はサクサク音を立てて食べる。しばらく幸せそうに蕎麦を食べて居たヒギリだが不意にシキの顔が近付き、体をびくりと震わせた。
「シキ君！？」
「うん…やっぱヒギリさん、良い匂いする。俺その匂い好き」
「シキ、そう言う匂い好きそうだよね」
さも当たり前の様に会話するシキとウルリッカ。ついていけないヒギリは「彼の人との距離はこんなに近いものか？」と言いたげにボッと顔を赤らめた。でもそれが功を奏したのか、そんな会話を続けながらお裾分けされた蕎麦を啜る内に怖い気持ちは忘れてしまった。
「あーあ…私明日からまたダイエットだなぁ…」
「うん。でも罪な夜食って良いものだよ。私は最近追いチーズにハマり中…」
「チーズはもう存在が罪だよね」
「二人とも…それは程々にせんといかんよ…！！」
翌日からヒギリはダイエットに勤しんだが、シキとウルリッカの「罪な夜食の会」はその後も数日続いた。
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