前に、前に／燐花
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rinka_creation 2020年10月14日(水) 20:46:24履歴
「ネビロス、来月の休みの予定だと」
ジークフリートに渡された紙を一瞥、ネビロスはそれをそのままゴミ箱に突っ込んだ。
「おいおい…」
「構いませんよ。予定など白紙で良い。私は全日出ますので」
「そんな訳にいかんだろ。おじさんは良いけどな、あんたは休まなきゃいかん」
「…じゃあ私の分までジークが休んでください。私の代わりに」
「答えになってないし休みの代行なぞ聞いた事ないだろうが」
「とにかく私は休みません。休む理由はありません。上層の石頭共にそうお伝え下さい…」
「そうは言ってもなあ…」
ジークフリートはやれやれと頭を掻いた。ネビロスの止まっていられない心理は少なからず理解は出来た。彼は大切なものを失っても尚進む時間に愚かにも抗おうとしているのだ。例えそれで体が先に参ったとして、それはそれで良いとすら思っている。とは言え、仮にも医療班に所属している以上は自分の健康を第一に、決して疎かにはして欲しくないのだが。
「…仕方ないな。伝えとくが、絶対何か言われるからな」
「別に気にしません」
「あ、休憩時間はあるんだし、その時くらいは仕事から離れろよ」
「私は休みません」
「我が班のアイドルも少し根を詰めた日は青い顔してたろう？あんたさんざ心配したじゃねぇか。あんたが疲れた顔してたら今度はミアさんが心配するんだ。そんな顔させて良いのかな？」
「………」
「あの子はあんたの事を本当に心配する。要らぬ心配を掛けないに越した事は無いだろう？な？」
ネビロスはケンズに居た頃託児所を運営していた。人と接するのが常だったのだから、自然と周りの人間には優しかった。ジークフリートは何となく分かっている。彼が結社内で噂になってる様な狂人ではなくただの優しい悩める人間である事を。
「…では、少し休んだら職務に戻りますよ…」
「そうこなくっちゃな。あ、でもやっぱあんたも休む日は設けた方が良いな」
「何故です…？」
「働き詰めのボロボロの格好で若い子の前に出るのが元託児所のお兄さんのマナーってんなら止めないがねぇ」
「では、スケジュール通り休みにしますよ。…私が休みを取り、上とも揉めなければ貴方は満足します？」
魂胆を読まれたが別段気にすることなくジークフリートは笑みを浮かべる。ネビロスは頭を抱え大きく溜息を吐いた。
しかし、ジークフリートには懸念もあった。休むとはつまり仕事に顔を出さないと言う事であって、顔を出さない間に無茶な事をされたら本末転倒だからだ。そしてその懸念は現実のものになってしまった。
「失礼します…」
第四小隊のエリックがネビロスを背負って医療班にやって来た時、ジークフリートは思考回路がショートしそうになった。
「ちょっとどいて」
アペルピシアが険しい顔で前に出る。スレイマンも急患かと顔を出す。アペルピシアは明らかにネビロスに対し怒りを露わにしていた。
「…彼は何故倒れたの？」
「怪我の治療に当たってくれてたんですが、小さい子が血塗れで運ばれて来て…その子の処置をし始めて大した怪我じゃないって分かった瞬間にフッと倒れ込んで…」
「つまり緊張の糸が切れたのね。全くもう…」
「あー…ここのところ根を詰めて無理してたみたいだね。顔色が大分悪いな」
「医師免許持ちがどれだけ少ないか考えたらこんな無謀な事はして欲しくないわね。手に余るなら頼りなさいって言ってるのに…」
アペルピシアは水で冷やしたタオルをネビロスの額に乗せる。ネビロスは一瞬ピクリと眉を動かしたが目を開ける様子はなかった。実技の練習ではないが、と前置きし、スレイマンがミアをネビロスの看病に当てたらどうだと打診する。
特に処置が必要なわけではないし、目が覚めたら声をかけるくらいで大丈夫なのでミアが受け持つ事になった。
「あ、あの…私ですか？」
呼ばれてやって来たミアは少し緊張した面持ちだった。勿論理由はあるのだが、それは彼らの知るところではない。素人として行う処置への不安のみを汲んだアペルピシアは淡々と告げる。だが、だからこそミアは自信を持って気負いせず仕事が出来るのだ。
「特に何かしなきゃいけないとかは無いわ。タオルが熱を持ったら揉みだして冷やし直してあげて。他の人も見つつだけどお願いね。何か異変あったらとりあえず私かスレイマンを呼んで」
「はい！エル先生！」
改めて見るとネビロスの目の下には濃いクマが浮かんでいた。運ばれて来た彼の付近に落ちている物から理由は察せられた。彼の愛用している参考書のへたり具合と、挟まれた家族の写真。彼は寝付きが悪いらしいと常々ジークフリートがボヤいていた。なるべく休まないように、悪い夢を見てしまうからそれを避けようと勉強に打ち込んだのだろう。しかしその結果、彼は疲労困憊で倒れてしまっているのだ。
「ネビロスさん…」
タオルを取り換えようとして彼を見れば、手が震えていた。何かを握ろうとしているのか小刻みにピクピクと指が動いている。何を思ったわけでもないが、気付くとミアは握手をする様にネビロスの手を握っていた。
「…ん！？わ、私何してるんだろ！？」
急に恥ずかしくなり、慌てて手を解こうとする。だが、ネビロスは握った手を掴んだまま、うわ言の様に呟いた。
「こ、ここ…」
「あ、ネビロスさん、どうしました？どこか痛みます…？」
「ここに…」
「ここ？」
「ここに、いて…手を離さないで…ください…」
もしも、家族の事を一度でも「悪い夢」だと思ってしまったなら。それは何て悲しくて辛い事だろう。ミアは気付けば恥ずかしさ以上に、別の感情が勝っている事に気付いた。
「俺の手を…離さないで…」
「…はい」
ミアは両手でネビロスの手を包んだ。自分に出来る精一杯の想いを伝えるように。自分が家族の事を思い出す時、それは安らぐ思い出ばかりだからネビロスの思い出も悪い夢に変えたくなかった。
「傍に居ます。離れません。だから、何も怖いと思わないでください。安心してください」
今だけは亡き妻の代わりになれるだろうか。ネビロスに安心して欲しいから。そうは思っても胸はチクチクと痛む。
それでも、手を握っているのは自分だけど、奥さんだと思って安心してくれたら。
顔色が悪く、血行も悪いのか手先が氷の様だったネビロス。ミアと繋いだ部分だけが温かく赤らんでいった。
数日後。大事を取って休みを入れたネビロスは、明けて真っ先にアペルピシアとスレイマンに頭を下げに行った。口頭注意で済んだ事に再度頭を下げると、ネビロスはミアの元へ急いだ。
「ミア、先日はすみませんでした。手を煩わせましたね…」
「あ、ネビロスさん！もう大丈夫ですか？」
「おかげさまで…これ、お礼です。貴女の口に合うと良いんですが…」
手渡されたのは、カラフルで淡い色合いが女性に人気のお店のマカロン。テロで一時期休業していたのだが再開をした様だ。それを見付けるのも何と言うか、流石だ。
「い、良いんですか！？」
「ええ、勿論。それから…」
「はい？」
「私はちゃんと、手を繋いでくれているのがミアだと分かっていましたから」
頭の中でネビロスの言葉が反復する。ここにいて、手を離さないでと最大の甘えを見せたあの時のネビロスを思い出す。他の誰でもない、ミアだと理解しての言葉だったと聞いて思わず顔が真っ赤になった。
「え！あ、あの、えっと…！！」
「もし一緒に休憩に入れるなら、そのマカロン二人で食べませんか？」
「はい！嬉しいです！」
ミアの笑顔を見てネビロスは己の行動を反省した。ジークフリートの忠告をちゃんと聞いていれば…いや、だからこそミアに甘えられたところもあるのかもしれない。
思い返すと、ジークフリートに反抗しつつ甘えている瞬間が心地良いんだよな、とも思う。
叱ってくれるアペルピシア、心配してくれるジークフリート、そして──…
「はい？」
「すみません、呼んだだけです」
失ったものも多いけど、いつしかこの場所が少しずつ心地良くなっているんだ。
最近悪夢を見る頻度が少し減った。まだまだ心安らげるとは言い難いが、今傍に居る人達に安らぎを求めているのもまた事実で。あ、でも流石に今回はやり過ぎてしまったのでジークフリートにも何かお礼をしたい。
やれやれと言いながら自分を心配してくれる兄貴の様な機械人形の姿を思い浮かべてネビロスは少し頬を緩めた。
ジークフリートに渡された紙を一瞥、ネビロスはそれをそのままゴミ箱に突っ込んだ。
「おいおい…」
「構いませんよ。予定など白紙で良い。私は全日出ますので」
「そんな訳にいかんだろ。おじさんは良いけどな、あんたは休まなきゃいかん」
「…じゃあ私の分までジークが休んでください。私の代わりに」
「答えになってないし休みの代行なぞ聞いた事ないだろうが」
「とにかく私は休みません。休む理由はありません。上層の石頭共にそうお伝え下さい…」
「そうは言ってもなあ…」
ジークフリートはやれやれと頭を掻いた。ネビロスの止まっていられない心理は少なからず理解は出来た。彼は大切なものを失っても尚進む時間に愚かにも抗おうとしているのだ。例えそれで体が先に参ったとして、それはそれで良いとすら思っている。とは言え、仮にも医療班に所属している以上は自分の健康を第一に、決して疎かにはして欲しくないのだが。
「…仕方ないな。伝えとくが、絶対何か言われるからな」
「別に気にしません」
「あ、休憩時間はあるんだし、その時くらいは仕事から離れろよ」
「私は休みません」
「我が班のアイドルも少し根を詰めた日は青い顔してたろう？あんたさんざ心配したじゃねぇか。あんたが疲れた顔してたら今度はミアさんが心配するんだ。そんな顔させて良いのかな？」
「………」
「あの子はあんたの事を本当に心配する。要らぬ心配を掛けないに越した事は無いだろう？な？」
ネビロスはケンズに居た頃託児所を運営していた。人と接するのが常だったのだから、自然と周りの人間には優しかった。ジークフリートは何となく分かっている。彼が結社内で噂になってる様な狂人ではなくただの優しい悩める人間である事を。
「…では、少し休んだら職務に戻りますよ…」
「そうこなくっちゃな。あ、でもやっぱあんたも休む日は設けた方が良いな」
「何故です…？」
「働き詰めのボロボロの格好で若い子の前に出るのが元託児所のお兄さんのマナーってんなら止めないがねぇ」
「では、スケジュール通り休みにしますよ。…私が休みを取り、上とも揉めなければ貴方は満足します？」
魂胆を読まれたが別段気にすることなくジークフリートは笑みを浮かべる。ネビロスは頭を抱え大きく溜息を吐いた。
しかし、ジークフリートには懸念もあった。休むとはつまり仕事に顔を出さないと言う事であって、顔を出さない間に無茶な事をされたら本末転倒だからだ。そしてその懸念は現実のものになってしまった。
「失礼します…」
第四小隊のエリックがネビロスを背負って医療班にやって来た時、ジークフリートは思考回路がショートしそうになった。
「ちょっとどいて」
アペルピシアが険しい顔で前に出る。スレイマンも急患かと顔を出す。アペルピシアは明らかにネビロスに対し怒りを露わにしていた。
「…彼は何故倒れたの？」
「怪我の治療に当たってくれてたんですが、小さい子が血塗れで運ばれて来て…その子の処置をし始めて大した怪我じゃないって分かった瞬間にフッと倒れ込んで…」
「つまり緊張の糸が切れたのね。全くもう…」
「あー…ここのところ根を詰めて無理してたみたいだね。顔色が大分悪いな」
「医師免許持ちがどれだけ少ないか考えたらこんな無謀な事はして欲しくないわね。手に余るなら頼りなさいって言ってるのに…」
アペルピシアは水で冷やしたタオルをネビロスの額に乗せる。ネビロスは一瞬ピクリと眉を動かしたが目を開ける様子はなかった。実技の練習ではないが、と前置きし、スレイマンがミアをネビロスの看病に当てたらどうだと打診する。
特に処置が必要なわけではないし、目が覚めたら声をかけるくらいで大丈夫なのでミアが受け持つ事になった。
「あ、あの…私ですか？」
呼ばれてやって来たミアは少し緊張した面持ちだった。勿論理由はあるのだが、それは彼らの知るところではない。素人として行う処置への不安のみを汲んだアペルピシアは淡々と告げる。だが、だからこそミアは自信を持って気負いせず仕事が出来るのだ。
「特に何かしなきゃいけないとかは無いわ。タオルが熱を持ったら揉みだして冷やし直してあげて。他の人も見つつだけどお願いね。何か異変あったらとりあえず私かスレイマンを呼んで」
「はい！エル先生！」
改めて見るとネビロスの目の下には濃いクマが浮かんでいた。運ばれて来た彼の付近に落ちている物から理由は察せられた。彼の愛用している参考書のへたり具合と、挟まれた家族の写真。彼は寝付きが悪いらしいと常々ジークフリートがボヤいていた。なるべく休まないように、悪い夢を見てしまうからそれを避けようと勉強に打ち込んだのだろう。しかしその結果、彼は疲労困憊で倒れてしまっているのだ。
「ネビロスさん…」
タオルを取り換えようとして彼を見れば、手が震えていた。何かを握ろうとしているのか小刻みにピクピクと指が動いている。何を思ったわけでもないが、気付くとミアは握手をする様にネビロスの手を握っていた。
「…ん！？わ、私何してるんだろ！？」
急に恥ずかしくなり、慌てて手を解こうとする。だが、ネビロスは握った手を掴んだまま、うわ言の様に呟いた。
「こ、ここ…」
「あ、ネビロスさん、どうしました？どこか痛みます…？」
「ここに…」
「ここ？」
「ここに、いて…手を離さないで…ください…」
もしも、家族の事を一度でも「悪い夢」だと思ってしまったなら。それは何て悲しくて辛い事だろう。ミアは気付けば恥ずかしさ以上に、別の感情が勝っている事に気付いた。
「俺の手を…離さないで…」
「…はい」
ミアは両手でネビロスの手を包んだ。自分に出来る精一杯の想いを伝えるように。自分が家族の事を思い出す時、それは安らぐ思い出ばかりだからネビロスの思い出も悪い夢に変えたくなかった。
「傍に居ます。離れません。だから、何も怖いと思わないでください。安心してください」
今だけは亡き妻の代わりになれるだろうか。ネビロスに安心して欲しいから。そうは思っても胸はチクチクと痛む。
それでも、手を握っているのは自分だけど、奥さんだと思って安心してくれたら。
顔色が悪く、血行も悪いのか手先が氷の様だったネビロス。ミアと繋いだ部分だけが温かく赤らんでいった。
数日後。大事を取って休みを入れたネビロスは、明けて真っ先にアペルピシアとスレイマンに頭を下げに行った。口頭注意で済んだ事に再度頭を下げると、ネビロスはミアの元へ急いだ。
「ミア、先日はすみませんでした。手を煩わせましたね…」
「あ、ネビロスさん！もう大丈夫ですか？」
「おかげさまで…これ、お礼です。貴女の口に合うと良いんですが…」
手渡されたのは、カラフルで淡い色合いが女性に人気のお店のマカロン。テロで一時期休業していたのだが再開をした様だ。それを見付けるのも何と言うか、流石だ。
「い、良いんですか！？」
「ええ、勿論。それから…」
「はい？」
「私はちゃんと、手を繋いでくれているのがミアだと分かっていましたから」
頭の中でネビロスの言葉が反復する。ここにいて、手を離さないでと最大の甘えを見せたあの時のネビロスを思い出す。他の誰でもない、ミアだと理解しての言葉だったと聞いて思わず顔が真っ赤になった。
「え！あ、あの、えっと…！！」
「もし一緒に休憩に入れるなら、そのマカロン二人で食べませんか？」
「はい！嬉しいです！」
ミアの笑顔を見てネビロスは己の行動を反省した。ジークフリートの忠告をちゃんと聞いていれば…いや、だからこそミアに甘えられたところもあるのかもしれない。
思い返すと、ジークフリートに反抗しつつ甘えている瞬間が心地良いんだよな、とも思う。
叱ってくれるアペルピシア、心配してくれるジークフリート、そして──…
「はい？」
「すみません、呼んだだけです」
失ったものも多いけど、いつしかこの場所が少しずつ心地良くなっているんだ。
最近悪夢を見る頻度が少し減った。まだまだ心安らげるとは言い難いが、今傍に居る人達に安らぎを求めているのもまた事実で。あ、でも流石に今回はやり過ぎてしまったのでジークフリートにも何かお礼をしたい。
やれやれと言いながら自分を心配してくれる兄貴の様な機械人形の姿を思い浮かべてネビロスは少し頬を緩めた。
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