ミルククラウンガール／べにざくろ

※ 話の中で出てくる映画 → 「テリコ・エマ」

第一印象は３秒で決まる

　ある日、廊下に女子高生が落ちていた。
「は？」
　ルーウィンは目の前に落ちている物を見間違えたのではないかとゴシゴシとカフェオレのような色をした目をこすって、パチパチと瞬きをしてもう一度それを見る。
　やはり、廊下に女子高生が落ちている。
　どっからどう見てもセーラー服に紫根染めを何度も繰り返し染めたような濃色こきいろの長い髪の女子高生が壁の方を向いて倒れている。スカートが長いおかげというか長いせいというか残念ながら下着までは見えない。
「おーい、生きてんのか？」
　屈み込んで女子高生に声をかけてみる。もしかしたら体調を崩して倒れているかもしれないから無理に揺さぶる事は禁物だ。
　とりあえず透けているということは無いからルーウィンの嫌いな幽霊の類の存在でないことは確かなようで内心でほっとするが、声をかけてみても女子高生から返事はない。
　これはひょっとしたら重篤な状態なんじゃないだろうか。
　意識の有無を確認したら一刻も早く医療ドレイル班に報告した方が良いだろう。
　焦ったルーウィンは女子高生の脈を確認する為に手を伸ばす。その手が彼女の首に触れそうになったその時――。
「煩い」
「ぐえっ!! 」
　女子高生が振り上げた腕がルーウィンの首に逆水平チョップの要領で刺さった。予想外の攻撃を為す術もなく受けることとなったルーウィンは廊下に尻餅をつく羽目になる。
「痛ぇ…… 」
　顔を顰めて首をさすって労わっていると己にかかる影がある事に気付いた。影の正体は立ち上がってコチラを冷たい目で見下ろす女子高生だ。
「何ですか？強制猥褻わいせつ行為は６ヶ月以上１０年以下の懲役ですが刑務所に行かれますか？それとも示談金の支払いというなら相場平均の１００万イリ戴きますが」
「テメーが倒れてたから救助活動しようとしただけなんすけど!? 大体、俺の事強制猥褻わいせつ罪にすんならテメーは暴行罪だからな!? 」
　ルーウィンは論破したと思って立ち上がりながらドヤ顔で女子高生を見る。しかし彼女は髪よりは明るい紫色の目に冷ややかな色を乗せたままルーウィンを見上げていた。
「こちらは紛うこと無き正当防衛です」
　ああ言えばこう言う。まったくもって親の顔が見てみたい。
　納得は出来ないものの言い返す言葉の無いルーウィンは黙って女子高生を睨むように見つめるしかできなかった。
　深紫こきむらさきの髪に紫色しいろの目。セーラー服。冷たい目線。
　女子高生とは初対面のはずなのに不思議とルーウィンには既視感デジャブがあった。いや、こんな物言いをする女だったら以前会っていたら絶対に忘れない筈。どこで会った？軍警学校か？イコナ地元の知り合いなら地域柄、子供の数が少ないのだから絶対に気付くだろう。
「お前さ、俺と前に会ったことある？」
　それを聞くや否や女子高生が「不快な思いをした人はこんな顔をしています」と例題で表示されるような程の見事な不快感に満ちた表情を見せた。
「使い古されて手垢のつきすぎた口説き文句の常套句ですね」
「口説き？いや、別にお前の事口説いてねーけど？」
「時間の無駄です」
　女子高生が身を翻す。髪が、スカートがフワリと風に揺れた。
　その瞬間、ルーウィンの頭の中で記憶を塞いでいた蓋がとれたかのように流星群の如く様々なシーンが駆け抜けていく。
　そうして、誤解に気付く。
　自分は目の前にいる彼女に会ったことは無く、彼女が自分のお気に入りの映画の登場人物に凄く似ていたのだ。
　納得をしたルーウィンは思わず叫ぶ。
「ゴーゴータルナだ！」
「はい？」
　口調と表情に根強い不快感を含みつつ女子高生が振り返った。
　再び揺れる長い髪とスカート。それは間違いなくルーウィンの記憶にあるそれと酷似していた。興奮した口調のままルーウィンは女子高生に語りかける。
「お前さ、すっげー『テリコ・エマ』に出てくるゴーゴー多留奈タルナに似てんだよ。観たことねーの？」
「ええ、生憎と」
「マジかー。すっげー似てんのに」
　顔立ちはゴーゴー多留奈を演じていたチグサ・ジヒョンの方が目が吊り上がりがちで迫力ある美少女といったところだが、目の前の女子高生もなかなか強そうな顔立ちで雰囲気は良く似ていると思う。
「あたしは女優と似た顔じゃありません」
「そりゃ女優の方が綺麗に決まってるじゃ…… 」
　ツカツカと女子高生が近寄ってくる。ルーウィンはそこで彼女は女性の中でも比較的背の高い部類の人間であることに気付いた。隣に並んだら自分の目元位まで背があるじゃないか。そんなことを考えていると。
「痛っ!? 」
　ルーウィンは向こう脛に強烈な痛みを感じて思わず脛を押さえて屈み込む。向こう脛は皮膚の下に筋肉がないから痛みが直接神経に届きやすい部分で鍛えてもどうにもならない部位だ。何故、急に痛んだのか。それは女子高生に思い切り蹴られたからに他ならない。
　痛みに悶えた後、文句を言おうとルーウィンが顔を上げると当然の如く女子高生の姿は無く。
「アイツ、誰だったんだ……？」
　呟きは誰に拾われることもなく消えていった。

　*　*　*

　ゴーゴー多留奈似の女子高生との邂逅後、ルーウィンは自身の所属する第三小隊の控え室へとやって来ていた。
「ちーっす」
　言いながら開けるとそこにいたのは小隊長のバーティゴだけで、ルーウィンの背筋が自然と伸びる。バーティゴは目が悪くルーウィンのことはハッキリ見えていない筈だが、日頃からバーティゴのリーダー性に圧倒されている身としては適当な姿勢で彼女と対峙する事はできない。現にバーティゴは部屋に入って来た人間が誰かと見極めるかのように目を此方へ向けていて、その視線を受けてダラっと出来る人間はいないだろう。
「ルーウィン・ジャヴァリーっすよ、姐さん」
　とはいえバーティゴに正体を探らせるのも申し訳ないのでルーウィンは早々に名乗って適当に空いている椅子に座った。
「そうだ、姐さん。聞いてくださいよ」
「あら、何かしら？」
　バーティゴの白濁した目がルーウィンへ向く。その目はルーウィンに、かつて第三小隊にいたアサギを思い出させた。機械人形マス・サーキュを嫌うバーティゴに「アサギさんとお揃いっすね」と言ったらどうなるかは――既に痛い程に知っている。
「前、姐さんが主人公に似てる映画があるって言ったじゃないっすか」
「ああ、あれね……『テリコ・エマ』？」
「それっす！」
　『テリコ・エマ』の主人公、エマはバーティゴと同じ髪色、髪型で性格も勇猛果敢で良く似ている。それに劇中で敵を斬って撃って血飛沫を巻き上げる様はバーティゴが現役時代こうだったんじゃないかと妄想させる程の派手なアクション具合で、この映画はバーティゴがモデルなんじゃないかとルーウィンは思う位だ。
　尚、そんなエマの序盤に殺されてしまう旦那は優男で何となくクジマ・トルビンに似ていたのだが、それを言ったらバーティゴとセリカに凄く嫌な顔をされた。何でだろう。バーティゴとクジマ、とてもお似合いだったと思うのだが。
「その映画がどうしたの？」
「敵キャラにそっくりな子が結社にいたんすよ！」
　ルーウィンはバーティゴに先程の運命的な出会いを語った。その女子高生から逆水平チョップと脛を思い切り蹴られて悶絶したことはバーティゴに腹を抱えられて笑われてしまい、それは話さなくても良かったかもしれないと話し終えてからルーウィンは後悔するがもう遅い。
「楽しい出会いがあって良かったじゃない」
「どっちかというと痛い出会いって感じっすけどね」
「それもそうね」
　そう言ってバーティゴは再び笑った。

人探しなら人事部へ

　衝撃の出会いから翌日。ルーウィンはすぐにでも女子高生を探しに行きたかったが、前線駆除リンツ・ルノース班の宿命というべきか支部勤務のシフトが待ち受けていた。支部へと行き、悶々とした気持ちを抱えながら機械人形マス・サーキュと戦う姿は「怖かったですぅ」というのはセリカが後に語ったことだ。
　何にせよ本部へとやっとの思いで帰ってきたルーウィンが休養もそこそこに向かったのは人事部の部屋だった。
「何の御用でしょうか？」
　部屋に入ったルーウィンを迎えたのはまるで楽器を奏でるかのような声と、その声を発するのも納得の顔立ちの女性が黒曜石のような瞳を細めて微笑んでいる姿だった。その美しい姿に思わずドキドキしながらルーウィンは努めて平静を保つ声を出した。
「えっと……タイガ・ヴァテール殿？様？いやいや、さんはいる……じゃなくて、いらっしゃりましゅでしょうか？」
　全然、平静じゃなかった。最後に至っては噛んだし。
　そんなルーウィンに美女はコロコロと笑うと「少々お待ち下さい」と告げて凛とした百合の花のような歩き姿でデスクワークに励むタイガのところに向かっていく。そして彼に二言三言話しかける様子が見えたと思うと、美女の代わりに怪訝な顔をしたタイガが近づいて来た。
「支部勤務、お疲れ。端末に連絡じゃなくて、わざわざ人事部の部屋まで来るなんて何かあった？」
「タイガさ、人の顔覚えるの得意だって言ってたよなー？」
「うん。誰か探して欲しいの？」
　くりんっとした少年のような瞳でタイガがルーウィンを見る。これで年齢が一つしか変わらないなんてタイガは年齢詐称しているのではないかと思いながら、ルーウィンは周りに聞こえないように少しだけ身を屈めて小さな声で言う。
「紫色の目の…… 」
「は？紫？」
　聞き返すタイガの声がワントーン落ち、ついでに目のサイズが半分くらいに減ってルーウィンを睨むように見ていた。紫色の目が何かまずかったのだろうか。
「珍しい目の色だよなー」
「そうだね。で？他の情報は？食堂で働いてるとかじゃないよね？」
「食堂？」
　言われてルーウィンは食堂を脳内に思い浮かべる。そういえば配膳をしてくれる女子が紫色の目をしていたような気もするが、色気より食い気なルーウィンは今の今まで特に気にしていなかった。しかし、その子のことをわざわざ話題に出すあたり、タイガはそういうこと・・・・・・なんだろう。
　しかし今はタイガの恋愛事情を弄るために人事部の部屋に来た訳ではないルーウィンは余計なことは言わず自身の探し人のことを告げる。
「若い女の子で…… 」
　タイガの目はまだ据わっている。
「わりと背は高い方で…… 」
　タイガの目付きが元に戻った。
「何故かセーラー服着てたんだけど」
「総務部のクロエ・バートンさんだね。最初からセーラー服って言ってくれれば分かったのに」
「総務部…… 」
　セーラー服を着ていたから誰か結社で働く人の娘だと思っていたが、まさか彼女自身がマルフィ結社で働く人間だったとは。
「クロエがどうしましたか？」
　慌てたような第三者の声にルーウィンとタイガは揃って声の主を見た。真っ黒な髪に真っ黒な目、真っ黒なスーツの顔の良い若い男だ。男から見ても女にモテそうな雰囲気が全身から漂っている。だからルーウィンは問いかける。
「クロエ・バートンの恋人？」
「違います、保護者です。その勘違いは二度としないでいただいて宜しいですか？」
「父親!? すげー若作りっすね」
「それも違います。彼女の保護者代わりなだけです」
「あー……パパ活ってやつっすか」
「違います」
　全部、秒単位の速さで黒いイケメンに否定される。なお、ルーウィンは気付かないことだが黒いイケメン――ロード・マーシュだって涼しい顔で内心必死で否定しているのである。この目の前のカボチャの中身みたいな髪色の青年は頭の中までカボチャなのか知らないが、恋人だの父親だのパパ活だの万が一にも他人の耳に入ったらロードの評判が地に落ちることを囀ってくれた。特に恋人はまずい。巡り巡ってヴォイド・ホロウロードの想い人の耳にでも入ったら……大変なことになる。
「それで、私が保護者代わりのクロエ・バートンに一体何の用なんですか？」
　それとなく「保護者代わり」を強調しながらロードが発した言葉に、ルーウィンは「んー…… 」と悩むように天井を仰いだ。
「別に？正体知りたかっただけっすねー」
「えっ、そうなの!? 」
　恋愛事とか面白いことが起きるんじゃないかと期待していたタイガから落胆の声が上がった。
「こないだ会った時から気になって仕方なかったから正体確かめたかっただけだし。じゃ、俺行くわー」
　至極あっさりとした様子でルーウィンは人事部の部屋を去っていく。
　残されたタイガは不満の顔でロードを見た。
「絶対、あれはそう・・ですよね？」
「本人は無自覚なのかもしれませんね。ともあれ、あれはクロエに相応しいとは思えませんが」
　完全に娘を心配する父親の目線の発言をするロードにタイガは目尻を下げて笑う。
「マーシュさん、やっぱりバートンさんのお父さんですね」
「 ……思っても言わないで下さい」
　ロードは渋面で呟いた。

ゲイン効果を期待していいですか？

　久し振りの休日。夜更かしをして映画を観ていたルーウィンはボンヤリとした顔で昼時の食堂に朝食兼昼食を食べに向かって歩いていた。
　『テリコ・エマ』を観ては、あの女子高生とゴーゴー多留奈がやっぱり似ているなーとかエマは姐さんにそっくりだなーと思ったり、『月下の孔雀の血』を観ては任侠物の格好良さに惚れ惚れとしたり、セリカに「之は面白いから絶対に観るべきですぅ」とオススメされた『ほろ酔い』を深夜テンションで観て乾いた笑いしか出なかったりと、なかなか有意義に過ごせたと思う。
　しかし、少々夜更かししすぎた感がある。また欠伸が出てルーウィンの視界が生理的な涙で滲んだ。
「んあ？」
　滲んだ視界にゴーゴー多留奈がいた。いや、ゴーゴー多留奈に良く似た女子高生のクロエ・バートンが今日もセーラー服でルーウィンと同じ方向に向かって歩いている後ろ姿が見えた。この時間にこの廊下を歩いているということは彼女も食堂に向かっているのだろう。
「バートン!! 」
　ルーウィンが人事部で教えて貰ったクロエの苗字を叫ぶと、振り返ったクロエは胡乱なものを見る目をルーウィンへと向けた。それはそうだろう。知らない人間に名前を呼ばれれば誰だってそういう顔をする。
「何ですか、人の名前を不躾に」
「俺の事分かる？」
「くそ兄さんから聞きましたから。不審者に注意するようにと」
「俺、不審者扱いかよ」
　クロエの言う「くそ兄さん」は、あの人事部の部屋で会った黒いイケメンのことに違いない。全くもって「糞」なんて言う言葉が似合うような人では無かったようだが、ひょっとしたら彼女には遅い反抗期でも来ているのだろうか。
　それにしても人の事を不審者呼ばわりは失礼なんじゃないか。確かにいきなり女の子に映画の登場キャラクターに似てるよねと言い出したのは少々不審な行動だったかもしれないけど。
　人生で初めて「不審者」と呼ばれたルーウィンがショックで目線を落とすと、彼女が下げているビニール袋の中身が牛乳パックであることに気付いて視線を縫い止められた。１リットルの大きな牛乳パック。購買で売ってる銘柄。もちろん産地はイコナ。
「成分調整牛乳…… 」
「無調整は高価なので」
　牛乳１リットルパックなぞそんなに数を買うものでは無いし、そこまで大きな値段の差はない。それよりもルーウィンには言いたいことがあった。
「これ持って昼飯行くとかねーわ。常温は品質低下の元なんすけど」
「これは昼食で飲む用です」
　サラッととんでもないことを言うクロエにルーウィンは目を丸くする。
「全部？」
　ルーウィンの問いにクロエは当たり前のことを子供に聞かれた親のような顔をした。
「当然です」
　牛乳中の糖質である乳糖を消化する乳糖分解酵素ラクターゼの働きが弱い乳糖不耐症の人間――簡単に言えば牛乳を飲んだらお腹を壊す人のことだ――が聞いたら卒倒しそうだ。尤も実家が酪農を営んでいる身としては牛乳の消費が捗って嬉しい限りではあるが。
「お前、もしかしなくても牛乳好き？」
「ええ」
　頷きながらも「だからどうした。貴方には関係ないですよね」とばかりの目を向けてくるクロエに怯みつつも、ルーウィンはニヤリと笑いながら牛乳好き相手ならば好感度をひっくり返せるであろう最強のカードを出すことにした。
「特別牛乳」
　その言葉にクロエの眉が反応して動く。良い反応だ。
「俺の家さ、酪農やってんだよね」
「まさか特別牛乳を…… 」
「そう。家うちが作ってる」
　特別牛乳は様々な国の基準を突破した正に特別な牛乳のことである。市場に出回る数も少なく価格も高い。しかし、それだけの価値のある存在。
　クロエの目付きが変わったことをルーウィンは見逃さなかった。
「欲しい？」
　問い掛けるとクロエは口を開きかけて閉じた。
「何が目的ですか」
　ルーウィンの問いに簡単に乗らず相手の目的を聞くことを忘れないクロエの態度にルーウィンは内心で「おもしれー女」と呟く。
「とりあえず昼飯、一緒に食わねー？お前のこと知りたくなったんだけど」
「個人情報を明かすつもりはありません」
「まー、今日はそれでいーや」
　そう言ってクロエの牛乳の入ったビニール袋を持ってやろうと手を伸ばすと。
「触らないでください」
　クロエにその手を叩き落とされた。

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