ふたたびのけだま／燐花
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rinka_creation 2022年05月28日(土) 00:25:58履歴
わんこだって遊びたい 
「犬の保育園、みたいなの結社でやっとらんか？」
レトロな黒縁の眼鏡に白髪混じりの髪。男性は犬用のビスケットを手で割りながらふとそう呟いた。
ずずずと音を立てて茶を飲みながらふわふわの毛玉ことペペローネを撫でていたエミールはその単語に目をくりっと動かす。
「犬にも…保育園なんてあるんですか？」
「実際に人間の保育園みたくしっかり通わせて…とかじゃ無いがね。どっちかって言うとしつけ教室みたいなもんだ。まあ、犬の社会性を養う為の居場所みたいなものかな？」
「犬の社会性と言うと？」
「ああ、犬を散歩させてるとたまに他の犬にやたら警戒心向ける子に会うだろ？犬相手するのが苦手な犬ってのはいるんだよ」
「え！？犬が苦手！？自分も犬なのにですか！？」
エミールはじっとペペローネを見つめる。ふわふわの毛、しっとりと濡れた鼻、ピンと立った耳、彼はどう見ても犬である。ペペローネはそんな風に突然覗き込んだ不躾なエミールを気にせず、むしろ尻尾を振って嬉しそうに撫でこをせがんだ。
「はははっ、自分も犬なのにって言いたくなるのは分かるよ。でもなぁ、飼い犬ってのは基本、生まれて物心着く頃には人間の社会に加えられてるんだ。自分以外の犬って言う存在を見た事が無い子が多いのさ。普段相手にしてるのが二足歩行のよく喋る生き物、なのに目の前にいきなり碌に喋らねぇ四足歩行の吠える毛玉転がされたらどう接して良いか分からねぇだろ？いくら自分が犬って生き物だからってさ」
「そう言われると…」
「犬には犬の挨拶がある。それは遺伝子に刻まれてるから教わらずともやり方は知ってる。だが、それが相手ありきだとまた違うもんだ。犬にも性格があるしな。相性もある。犬に慣れとくとその犬には余裕が生まれるし、今回のテロの時みたく家を失くして避難所での生活になった時、周りに犬が居ても慣れていれば落ち着いていられる。まあ、それは理想だがね」
「なるほど…」
「散歩中に互いに過度に吠えあったりもしなくて済むし、何より犬との接し方が分かればドッグランみたいなところでも安心して遊ばせてやれる。犬だって一生の内に「楽しい」と思える事の多い方がより豊かだろ。嫌いや苦手と思うものより好きなものの多い方が楽しいじゃないか」
「そうですね…」
「犬の社会性は生後八ヶ月くらいの間に育つんだ。逆に言うとその期を逃すと犬が苦手な子はそのままな事が多いんだよ」
「ペペローネは…？」
「ぺぺもまだギリギリ八ヶ月にはなってない。本当はそう言うのがあれば連れて行きたかったんだが、お隣さんで飼ってた犬はぺぺに会わせる前に死んじまったし、いざ犬の保育園に連れて行こうにもテロが起きちまってな」
たまたまテロの起きた年に生まれたペペローネ。そのタイミングで大きくなったばかりに、本来なら経験出来る筈だった楽しい事もこの子は未だ知らずに過ごしている。自分の教えを思えばあるがままに受け入れるのが最上かとも思ったが、この子は犬だし人間が救われる教えは関係無い。そんな事より、タイミングが悪かったが為に未だ楽しい事を知るチャンスに恵まれないペペローネ。エミールはこのつぶらな瞳の毛玉を急に不憫に思った。
「ペペローネ…お友達、欲しいですか？」
しゃがんでそう聞くと言葉を分かっているのか居ないのか、ペペローネは尻尾を振りながらエミールに近付きぺろぺろと顔を舐めた。
「…ちょっと結社の総務に聞いてみます。機械人形との共存と、関わっていた人のケアは勿論ですがその家族と家族同然のペット達のケアも兼ねているなら私も嬉しいので」
「ありがとよ、エミール」
「いいえ、当然の事ですから」
「嬉しいなァ。金髪でチャラチャラして横の毛変に刈り上げて安全ピンでピアス穴空けまくって眉毛薄くて周り威嚇してばかりだったお前がこんなに変わってくれるなんて──」
「はいはい過去の話はその辺にして」
あまり思い出したくない更生前の自分の顔がチラつき、エミールは払う様に手をパタパタさせる。何の遊びかと思ったのか、それを見ていたペペローネも嬉しそうな顔で手を見つめ、そして同じ様に尻尾を振った。
「ほら、変な事言って揶揄うからペペローネが遊びと勘違いしたじゃないですか。可哀想ですよ、先生 」
「良いじゃねぇか、遊んでやりゃあ」
そう言って「引っ張りっ子」用のおもちゃをエミールに投げ付ける。ロープ状の噛むおもちゃは犬にとって大事な顎を鍛え、そして目の粗さで人間にとっての歯磨きと同じ働きをしてくれる。犬のストレス発散にも、飼い主との大事なコミュニケーションにも、そして歯のケアにも重要な役割をしてくれるのだ。
「ふふ…ペペローネ、遊びましょうか」
エミールが手におもちゃを持った瞬間からキラキラと目を輝かせるペペローネ。
そうか、これを人間とやるのがこの子の「当たり前」だが、同じ犬の友達を作ると言うのも大事かもしれない。もしかしたら、いつかこの子もお嫁さんをもらう日が来るかもしれないし。
「お嫁さん…」
「何落ち込んでんだ？エミール」
何故か娘を嫁にやる父親の気持ちになりながらペペローネを見つめるエミール。
お察しの通り、ペペローネはオスである。
* * *
「無いな」
気持ち嫌そうにリアムがそう呟く。何故少し嫌そうなのか、それは「犬関係の事をこの若坊主が尋ねて来たから」に他ならない。
「結社にはそう言うものは無いんですか？」
「ここは機械人形と人間の為に結成された組織だからな。それも、事の始まりは汚染駆除 だ。犬の馴れ合いを想定している組織では無い」
「そうですか…」
がくりと分かりやすく肩を落とすエミール。確かに犬は嫌いだが、こんなにも分かりやすく肩を落とされると犬嫌いのリアムでも流石に胸に来るものがある。
「…まあ、どこかやっているところはないか、そして参加出来ないか調べてやるくらいやぶさかでは無いが…」
「本当ですか！？」
「ただし、私は行かないからな。調べてはやるが…会場へのアポ取りや向かう時は一人で行けよ」
「勿論です！」
リアムはそう少し冷たげに突き放したものの、すぐに会場を調べ始めてくれた。しかし、彼の優しさに感謝していたところ後ろからひょいと顔を覗かせたフィオナが更に首を突っ込んでくれた事によって事態は──エミールにとっては好転と言える方向に──大きく動いたのだった。
「あらら？シュミットさん、ワンちゃんの事調べてるんですか？」
「ん？あぁ、まあな。犬と言うか、犬の躾教室に関するものだが…」
「んー…確かにペットに関するケアみたいなのまで手を出してないんで結社としては未知数なところありますよね。私の新規勧誘課の友人も『最近ドッグトレーナー等少し特殊な職業の方が来られる事多いんですよねぇ…そう言う方々は元々個人事業としてやっている事が多くて金銭面でどうしても認識の違いが生まれてしまいましてねぇ…』って言ってましたけど…」
フィオナが似ているのかいないのか、よく分からない友人の物真似を身振り手振り交えて披露しつつ頭を働かせる。
そして「ああ！そうだ！」と声を上げると急に企画書を書き始めたのだった。
「お、おい…フラナガン…。何をしている？」
「この問題を解決する一番の方法を思い付いたので色んなところに企画案として出そうと思って！」
眼鏡で一見大人しめな女性、と言う接し慣れない女性に圧倒されたエミールは一言も発せられないままその場に立ち尽くした。そして現実逃避の如く、ペペローネの写真を端末で見ながらにやりと笑う。
「何て異様な現場だ……」
冷静にこの場を見ていたリアムが疲れた様にボソリと呟いた。
レトロな黒縁の眼鏡に白髪混じりの髪。男性は犬用のビスケットを手で割りながらふとそう呟いた。
ずずずと音を立てて茶を飲みながらふわふわの毛玉ことペペローネを撫でていたエミールはその単語に目をくりっと動かす。
「犬にも…保育園なんてあるんですか？」
「実際に人間の保育園みたくしっかり通わせて…とかじゃ無いがね。どっちかって言うとしつけ教室みたいなもんだ。まあ、犬の社会性を養う為の居場所みたいなものかな？」
「犬の社会性と言うと？」
「ああ、犬を散歩させてるとたまに他の犬にやたら警戒心向ける子に会うだろ？犬相手するのが苦手な犬ってのはいるんだよ」
「え！？犬が苦手！？自分も犬なのにですか！？」
エミールはじっとペペローネを見つめる。ふわふわの毛、しっとりと濡れた鼻、ピンと立った耳、彼はどう見ても犬である。ペペローネはそんな風に突然覗き込んだ不躾なエミールを気にせず、むしろ尻尾を振って嬉しそうに撫でこをせがんだ。
「はははっ、自分も犬なのにって言いたくなるのは分かるよ。でもなぁ、飼い犬ってのは基本、生まれて物心着く頃には人間の社会に加えられてるんだ。自分以外の犬って言う存在を見た事が無い子が多いのさ。普段相手にしてるのが二足歩行のよく喋る生き物、なのに目の前にいきなり碌に喋らねぇ四足歩行の吠える毛玉転がされたらどう接して良いか分からねぇだろ？いくら自分が犬って生き物だからってさ」
「そう言われると…」
「犬には犬の挨拶がある。それは遺伝子に刻まれてるから教わらずともやり方は知ってる。だが、それが相手ありきだとまた違うもんだ。犬にも性格があるしな。相性もある。犬に慣れとくとその犬には余裕が生まれるし、今回のテロの時みたく家を失くして避難所での生活になった時、周りに犬が居ても慣れていれば落ち着いていられる。まあ、それは理想だがね」
「なるほど…」
「散歩中に互いに過度に吠えあったりもしなくて済むし、何より犬との接し方が分かればドッグランみたいなところでも安心して遊ばせてやれる。犬だって一生の内に「楽しい」と思える事の多い方がより豊かだろ。嫌いや苦手と思うものより好きなものの多い方が楽しいじゃないか」
「そうですね…」
「犬の社会性は生後八ヶ月くらいの間に育つんだ。逆に言うとその期を逃すと犬が苦手な子はそのままな事が多いんだよ」
「ペペローネは…？」
「ぺぺもまだギリギリ八ヶ月にはなってない。本当はそう言うのがあれば連れて行きたかったんだが、お隣さんで飼ってた犬はぺぺに会わせる前に死んじまったし、いざ犬の保育園に連れて行こうにもテロが起きちまってな」
たまたまテロの起きた年に生まれたペペローネ。そのタイミングで大きくなったばかりに、本来なら経験出来る筈だった楽しい事もこの子は未だ知らずに過ごしている。自分の教えを思えばあるがままに受け入れるのが最上かとも思ったが、この子は犬だし人間が救われる教えは関係無い。そんな事より、タイミングが悪かったが為に未だ楽しい事を知るチャンスに恵まれないペペローネ。エミールはこのつぶらな瞳の毛玉を急に不憫に思った。
「ペペローネ…お友達、欲しいですか？」
しゃがんでそう聞くと言葉を分かっているのか居ないのか、ペペローネは尻尾を振りながらエミールに近付きぺろぺろと顔を舐めた。
「…ちょっと結社の総務に聞いてみます。機械人形との共存と、関わっていた人のケアは勿論ですがその家族と家族同然のペット達のケアも兼ねているなら私も嬉しいので」
「ありがとよ、エミール」
「いいえ、当然の事ですから」
「嬉しいなァ。金髪でチャラチャラして横の毛変に刈り上げて安全ピンでピアス穴空けまくって眉毛薄くて周り威嚇してばかりだったお前がこんなに変わってくれるなんて──」
「はいはい過去の話はその辺にして」
あまり思い出したくない更生前の自分の顔がチラつき、エミールは払う様に手をパタパタさせる。何の遊びかと思ったのか、それを見ていたペペローネも嬉しそうな顔で手を見つめ、そして同じ様に尻尾を振った。
「ほら、変な事言って揶揄うからペペローネが遊びと勘違いしたじゃないですか。可哀想ですよ、
「良いじゃねぇか、遊んでやりゃあ」
そう言って「引っ張りっ子」用のおもちゃをエミールに投げ付ける。ロープ状の噛むおもちゃは犬にとって大事な顎を鍛え、そして目の粗さで人間にとっての歯磨きと同じ働きをしてくれる。犬のストレス発散にも、飼い主との大事なコミュニケーションにも、そして歯のケアにも重要な役割をしてくれるのだ。
「ふふ…ペペローネ、遊びましょうか」
エミールが手におもちゃを持った瞬間からキラキラと目を輝かせるペペローネ。
そうか、これを人間とやるのがこの子の「当たり前」だが、同じ犬の友達を作ると言うのも大事かもしれない。もしかしたら、いつかこの子もお嫁さんをもらう日が来るかもしれないし。
「お嫁さん…」
「何落ち込んでんだ？エミール」
何故か娘を嫁にやる父親の気持ちになりながらペペローネを見つめるエミール。
お察しの通り、ペペローネはオスである。
* * *
「無いな」
気持ち嫌そうにリアムがそう呟く。何故少し嫌そうなのか、それは「犬関係の事をこの若坊主が尋ねて来たから」に他ならない。
「結社にはそう言うものは無いんですか？」
「ここは機械人形と人間の為に結成された組織だからな。それも、事の始まりは
「そうですか…」
がくりと分かりやすく肩を落とすエミール。確かに犬は嫌いだが、こんなにも分かりやすく肩を落とされると犬嫌いのリアムでも流石に胸に来るものがある。
「…まあ、どこかやっているところはないか、そして参加出来ないか調べてやるくらいやぶさかでは無いが…」
「本当ですか！？」
「ただし、私は行かないからな。調べてはやるが…会場へのアポ取りや向かう時は一人で行けよ」
「勿論です！」
リアムはそう少し冷たげに突き放したものの、すぐに会場を調べ始めてくれた。しかし、彼の優しさに感謝していたところ後ろからひょいと顔を覗かせたフィオナが更に首を突っ込んでくれた事によって事態は──エミールにとっては好転と言える方向に──大きく動いたのだった。
「あらら？シュミットさん、ワンちゃんの事調べてるんですか？」
「ん？あぁ、まあな。犬と言うか、犬の躾教室に関するものだが…」
「んー…確かにペットに関するケアみたいなのまで手を出してないんで結社としては未知数なところありますよね。私の新規勧誘課の友人も『最近ドッグトレーナー等少し特殊な職業の方が来られる事多いんですよねぇ…そう言う方々は元々個人事業としてやっている事が多くて金銭面でどうしても認識の違いが生まれてしまいましてねぇ…』って言ってましたけど…」
フィオナが似ているのかいないのか、よく分からない友人の物真似を身振り手振り交えて披露しつつ頭を働かせる。
そして「ああ！そうだ！」と声を上げると急に企画書を書き始めたのだった。
「お、おい…フラナガン…。何をしている？」
「この問題を解決する一番の方法を思い付いたので色んなところに企画案として出そうと思って！」
眼鏡で一見大人しめな女性、と言う接し慣れない女性に圧倒されたエミールは一言も発せられないままその場に立ち尽くした。そして現実逃避の如く、ペペローネの写真を端末で見ながらにやりと笑う。
「何て異様な現場だ……」
冷静にこの場を見ていたリアムが疲れた様にボソリと呟いた。
ぎゃわわわわわわわわ！
「いやー。結社さんてのは凄いなぁ」
「そうですね、ブライス先生」
エミールと『先生』ことペペローネの飼い主である白髪混じりの男性──ブライスは嬉しそうににこにこ笑う。その手にはリードがあり、そのリードの先には嬉しそうに尻尾を振り、興奮を抑えられずにいるペペローネが居た。
リアムとフィオナの働き掛けにより実現した今回の『犬の保育園』。フィオナは「新規勧誘課の友人」が常々言っていた「特殊な職業の方と金銭面でどうしても認識の違いが生まれている」と言う状況を一から考え直してみた。そして、やはり躾が必要なペットを飼っている比率が少ない事を鑑み、結社に常駐させると言う案は適切では無いと判断する。その代わり、広い敷地を提供し、不定期ながら少数の必要な人に必要なだけ利用してもらえたらどうだろうかと考える。
そうして一先ず出した結論は、「保護犬ボランティア団体への敷地の貸し出し」だった。犬や猫の匂いは一度付いたらなかなか落ちないもの。苦手な人は敏感に反応する。なのでアレルギーを持っている、或いは根本的に動物が苦手な人間を考慮し、限られた場所だけ貸し出し用に使う事にした。その場所から犬は出さない様に、しかしその限られた中なら自由に動いてくれて結構。テロにより職を失って居たドッグトレーナーに声を掛け、飼い主との出会いの場になればと言うきっかけの提供としても考えた。
結社メンバーだけで無く、結社に対して好意的な町民、少々懐疑的な町民も対象だ。機械人形と人間の友好的な生活を夢見ている組織ではあるが、何よりも人々の生活が第一であるから機械人形に対する思想はこの際多くは言及しない。
と言うより、マルフィ結社が機械人形推進派の団体と分かっていて来る時点である程度の友好さを持っていると考えて間違いは無いのだ。なのでおそらく、ここに来る人は機械人形に全く抵抗のない人からあって少し抵抗のある人くらいであろう。
「『その、少し抵抗のある人ってのがミソなんスよ。人間は何度も目にし、会話を交わしたものに愛着を湧かす生き物なんです。なのでこれはチャンスです、限りなく機械人形に対する印象が白黒の中間くらいだった人達に機械人形推進派たる我々が顔を合わせ、我々と言葉を交わさせ我々にまず愛着を持ってもらいましょう。そうして有事の際に我々の顔を思い出す様に、そんな戦略的刷り込みも行いましょう』って！バートンちゃんが言ってました！」
フィオナはそう言って「問題無し」の太鼓判を押した。
結果、機械人形に懐疑的だった人間も参加していたが、結社の理念が機械人形推進ではあるがあくまでより良い人の暮らしを目指すものである、つまり「機械人形を無理に排除はしないだけで押し付けもしない」と分かった参加者達はリラックスした表情で楽しそうに遊ぶ犬達を見ていた。
「私、昔この子散歩させてたらペット型の子を連れていた人に変に絡まれてね？「動物なんて飼うより絶対にペット型の子の方が良いの！」って。それから本当機械人形ばかり持ち上げる人って苦手だったんだけど、テロがあってこの子を遊ばせられる場所が無かったからって今日来てみて正解だったわ。あの人が特別押し付けがましいだけでマルフィ結社さんってそう言うやり方で機械人形を勧めて来るわけじゃないのね」
年配の女性が可愛がっているペットのコーギー犬達の楽しそうな姿を見ながらそう呟く。隣に座っていた白衣の女性は優しく微笑むと太い三つ編みを揺らした。
「そうですね。機械人形が居てくれると便利なもの、だから共存する道を探すと言うのが第一ですし、その根幹には『人の暮らしをより良く』と言うのがあると思っています。その方が、ちょっと行き過ぎていらっしゃるだけですわ」
「そうなのね。ペット関連の事に手を回してくれてるの結社さんだけだったから、でも機械人形推進派にあまり良い思い出無くってね。でも今日お話聞いて良かったわ。私誤解してたかもしれないしね」
「ふふ、ええ。好きも嫌いも、何事も程々にしないと傍目には迷惑な人で終わってしまいますから。他の方の意見も聞ける余裕があってこそだと思っていますし、結社にその余裕の無い人は居ないと思っています」
ちらり、と後ろを気にする白衣の女性。彼女の背後でフィオナが女性の事を心配そうに見つめていたので、女性はフィオナに向かってさり気なくサムズアップをして見せた。「上々よ」と言っている様に見え、フィオナはほっと肩を撫で下ろす。
「ふふ、流石エリーズ先生…！機械人形の良さを知らない人の壁を取っ払うのすら『彼女に掛かれば』ってやつですね…！流石カウンセラー！聞き手の名手！そこに痺れる憧れるぅ…！」
「その独特な褒め方、何かどっかで聞いたなぁ？」
白衣の女性、クインの話しっぷりを見ながらフィオナとティモフェイの二人は名簿を整理していた。今日の参加者、及び参加しているペットはフィオナの予想を超えた数になっていた。矢張りペットは家族であり、その家族に楽しんでもらえる場を望む人は多かったのだ。
この会では、仕事を失っていたドッグトレーナー達に限定的とは言え仕事を斡旋出来る事、そして会場提供をする事で動物愛護団体との良き交渉の為の土台を作る事、そしてペットを家族と思う人同様に機械人形を家族とも近しい存在とも思っている結社メンバーと実際に顔を合わせ会話をする事で機械人形への警戒緩和に繋げる事、諸々利点があった。様々な立場の人に機械人形推進派たるマルフィ結社のイメージアップを図れると言う事だ。
好意的に見てくれる人、及び味方は多いに越したことはない。そう言う意味で利点があると推したフィオナの企画はすんなり通りこうして「犬の保育園」を開催したわけだが、予想以上に参加者が多く予想以上に安心して犬を遊ばせている姿にほっとしたのも事実だった。
「……やっぱり、テロ以降野良の汚染機械人形も居ますし、皆さん散歩もまともに出来なかったのかもしれませんね…」
ぼそりとフィオナが呟く。ティモフェイは顎に手を当てるとうんうん頷いた。
「んー…そりゃあそうだろうね。うちもさ、娘のリュドミラに良いパートナーを選びたいなって、ちょっと嫁さんと一緒にあの子の誕生日に犬飼う話続けてたんだよ。でも、テロが起きて外に出るのが難しくなって、それでも諦めなかったんだけど、散歩もまともに出来ないかもって思ったら飼うのは現実的じゃないなって今一時中断中さ」
「やっぱりそうなりますよね…」
「だから、俺達が頑張らなきゃな。脅威がある内は機械人形達に人を襲わせない様に、それが無くなった時は今度機械人形と共存する為に。色々出来る事をしなきゃね。生きたペットもプログラムされた機械もどっちも子供達には良い影響を与えるんだから、それが奪われたままの世界なんて良い筈無いからな」
そう言うティモフェイに嬉しそうに微笑んでみせたフィオナは、名簿の中にエミールの名前を確認する。ああ、結社メンバーにも矢張り参加者は居るなぁと目線をずらすと、そこには「ケビン・ブライス」と名前が書かれていた。
「ん…？ケビン・ブライス…ケビン・ブライスって、どこかで…？」
その名前の正体に気付いた瞬間、フィオナは「あっ！」と大きく声を上げた。
ケビン・ブライス。何も知らない人間からしたら白髪混じりの古希の男性。しかし、フィオナからしたら偉大過ぎるクリエイターとも言えた。彼は有名なパペットクリエイターであり、機械人形の顔の原型師の一人でもあった。職人気質であまり自分の顔を出す事を好まない彼のおよそ二十年前に撮られた写真と今の顔が一致した時、フィオナは興奮から密かに感情を大爆発させたのだった。
* * *
「ほら見てシプリちゃん！お友達いっぱいだよー！」
ミアにリードを引かれやって来たシプリはすんすんと鼻を動かしそしてミアを見つめる。シプリの視線に気付いたミアはそちらを見るとにこりと笑った。それに釣られてシプリもその『大人に向けてもふもふになる予定』のまだ少々情けない尻尾を二、三回ふよんと振って口角を上げて見せた。
犬と言うのは意外や意外。愛想笑いも愛想尻尾振りもする生き物である。
シプリは大好きなミアが喜んでくれるから尻尾を振って笑ってみせたものの、内心は不安だった。
「ミアちゃんが来てくれて嬉しいわー！まさかうちの旦那、また腰やっちゃうなんて思わなかったから」
シプリの飼い主であるリーシェール夫人が嬉しそうに上品に笑う。ミアも嬉しそうに笑ったが、直後に残念そうにシュンとした。
「でも…せっかくの日なのに腰を痛めてるリーシェールさん…残念ですね…シプリちゃんのわんちゃんのお友達出来るかもしれなかったのに…クロエちゃんもお仕事だし…」
「そうね…ま！その分私達で楽しみましょ！躾の仕方も見てくれるって言うから、シプリとの今後の良い生活の為に頑張るわよー！ね！シプリ、頑張ろうね！」
リーシェール夫人がサッと手を出すと、「お手か？」といつもの癖でシプリは前足をたしっと乗せた。それがハイタッチをしている様でその可愛らしさにミアは思わず頬を赤く染める。
「えへへへへ…シプリちゃん可愛いー…」
顔馴染みになってしばらく経つが、相も変わらずミアはシプリにメロメロだ。
「あれ？ミアちゃん？来ていたんですか？」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにはいつも通り袴を履いたエミールが居た。しかも、シプリに良く似た少し大きめのもふもふを連れて。ミアはそのもふもふに見覚えがあった。
「エミールさん？と言う事は、ペペローネちゃん！？」
「そうですよ！そしてこちらが、私が昔大変世話になった方でペペローネの飼い主です」
エミールの後ろから出て来た白髪混じりの男性。ミアはペコリと頭を下げると男性は嬉しそうに微笑んだ。
「どうも。しがない職人をしておりますケビン・ブライスです。いやー、エミールよォ…いつの間にこんな可愛い子と知り合ったんだよ？」
「先生が勘繰る様な仲じゃ無いですよ…ミアちゃんは…その、お友達です」
「はい！お友達です！」
「……ところで、ミアちゃんの連れてるその子は？」
「この子はシプリちゃんと言って、リーシェールさんのお家で飼われているわんちゃんです！」
「え！？同じ部署なのに初耳ですよ！リーシェールさん、わんちゃん飼ってたんですか！？」
「ええ！混合ワクチンももう終えてるから今日連れて来たのよー」
そんな会話をしている人間達をさて置き。ペペローネは大興奮だった。何せ自分に似た小さな毛玉と対面しているのだから。自分に似ているけど自分とは違う。体は小さくてペペローネも大好きになったミアに連れられている。
ペペローネはもう大興奮だった。お尻を突き出す猫の様なポーズを取り、かと思えば今度は逆に上半身をがばっと上げて体を大きく見せる様なポーズ。前足を上げてバランスを取り、後ろ足二本で器用にぴょこぴょこ歩いた。
シプリは妙なものを見る顔をした。
しかしめげないペペローネ。更にお尻を突き出し出来る限り目線の低い姿勢を取る。お辞儀の様なこれはプレイバウと言い、言うなれば『遊ぼうポーズ』である。シプリと仲良くなりたいペペローネは一所懸命にお尻を突き出した伏せをしたりお腹を見せたりした。
しかし、シプリは尚も妙なものを見る顔を崩さない。
走り回り、ワンワン！と吠えるペペローネ。ふとシプリの背後に回り、匂いを嗅ごうとぐいっと鼻を近付ける。その時、妙なものを見る様な顔色に留めていたシプリがとうとうびくりと体を震わせた。
「ぎゃわわわわわわわ！！」
後退りながらぶんぶん首を振り、ひたすら拒絶の姿勢を見せるシプリ。吠える度に前足が浮いてしまう吠え慣れない姿は可愛らしいものだが、流石に何事かと談笑していた飼い主達もそちらに注目した。
「シプリちゃん！」
手を伸ばしたミアの胸にヒョイと抱かれ、シプリは尻尾を丸めて毛を逆立て、見るからに怯えている。
「あーあ。ごめんなーおちびちゃん」
やれやれと言いたげなブライスがシプリの様子を見て苦笑する。
「ぺぺ、お前ダメだろ。無理に突っ込んじゃいけねぇよ」
あれー？何でー？と言いたげに、シプリの怒りに驚いたものの興奮冷めやらぬ様子のペペローネはそのままのテンションで近くに居たキースホンドの若いオスのところに向かって行った。
「ぺ…ぺぺ！！」
エミールは体の大きいキースホンドにペペローネが噛まれてしまうのでは無いかと慌てて名前を呼んだ。しかし、その子はどうやらドッグトレーナーが連れて来た、いわゆる「子犬達の先輩犬」として連れて来ていた様で、気性も大人しく良く躾けられており、ペペローネ如き落ち着きの無い子犬に絡まれた程度では牙を剥いて怒ったりしない。
「大丈夫ですよ！あの子…トゥールは元保護犬なんですけど、とっても優しい子で色んな子と交流して今本当に頼れる先輩犬なんです！」
清潔感のある、肩くらいの長さの茶髪を揺らしながら飼い主らしきドッグトレーナーの女性はエミールにそう言った。にこにこと微笑みながら他の犬におやつをあげているその女性。エミールはその様子に照れてしまってそれどころじゃ無かった。
「え、あ、そそそそうなんですね！？よく躾けられたわんちゃんで！！」
「はい！せっかくお家に来てくれたんで、躾頑張ったんですよー！トゥールもよく応えてくれて、ある程度大きくなってからでもトイレやコマンドは覚えてくれますし、今では人と接するのもわんちゃんと接するのも得意なんです！」
「し、躾を…！貴女が…！？躾を…！？」
そう言ったきり真っ赤な顔のまま固まってしまうエミール。ミアはそれを見ると頭に疑問符を浮かべたまま特に気に留めることもなくシプリを優しく抱っこし落ち着かせていた。
「お前…そのオヤジみたいな発想転換相変わらずだな……」
かつて見た事があったのか、ブライスはやれやれと言う感じに呟き、溜息を吐いた。
「そうですね、ブライス先生」
エミールと『先生』ことペペローネの飼い主である白髪混じりの男性──ブライスは嬉しそうににこにこ笑う。その手にはリードがあり、そのリードの先には嬉しそうに尻尾を振り、興奮を抑えられずにいるペペローネが居た。
リアムとフィオナの働き掛けにより実現した今回の『犬の保育園』。フィオナは「新規勧誘課の友人」が常々言っていた「特殊な職業の方と金銭面でどうしても認識の違いが生まれている」と言う状況を一から考え直してみた。そして、やはり躾が必要なペットを飼っている比率が少ない事を鑑み、結社に常駐させると言う案は適切では無いと判断する。その代わり、広い敷地を提供し、不定期ながら少数の必要な人に必要なだけ利用してもらえたらどうだろうかと考える。
そうして一先ず出した結論は、「保護犬ボランティア団体への敷地の貸し出し」だった。犬や猫の匂いは一度付いたらなかなか落ちないもの。苦手な人は敏感に反応する。なのでアレルギーを持っている、或いは根本的に動物が苦手な人間を考慮し、限られた場所だけ貸し出し用に使う事にした。その場所から犬は出さない様に、しかしその限られた中なら自由に動いてくれて結構。テロにより職を失って居たドッグトレーナーに声を掛け、飼い主との出会いの場になればと言うきっかけの提供としても考えた。
結社メンバーだけで無く、結社に対して好意的な町民、少々懐疑的な町民も対象だ。機械人形と人間の友好的な生活を夢見ている組織ではあるが、何よりも人々の生活が第一であるから機械人形に対する思想はこの際多くは言及しない。
と言うより、マルフィ結社が機械人形推進派の団体と分かっていて来る時点である程度の友好さを持っていると考えて間違いは無いのだ。なのでおそらく、ここに来る人は機械人形に全く抵抗のない人からあって少し抵抗のある人くらいであろう。
「『その、少し抵抗のある人ってのがミソなんスよ。人間は何度も目にし、会話を交わしたものに愛着を湧かす生き物なんです。なのでこれはチャンスです、限りなく機械人形に対する印象が白黒の中間くらいだった人達に機械人形推進派たる我々が顔を合わせ、我々と言葉を交わさせ我々にまず愛着を持ってもらいましょう。そうして有事の際に我々の顔を思い出す様に、そんな戦略的刷り込みも行いましょう』って！バートンちゃんが言ってました！」
フィオナはそう言って「問題無し」の太鼓判を押した。
結果、機械人形に懐疑的だった人間も参加していたが、結社の理念が機械人形推進ではあるがあくまでより良い人の暮らしを目指すものである、つまり「機械人形を無理に排除はしないだけで押し付けもしない」と分かった参加者達はリラックスした表情で楽しそうに遊ぶ犬達を見ていた。
「私、昔この子散歩させてたらペット型の子を連れていた人に変に絡まれてね？「動物なんて飼うより絶対にペット型の子の方が良いの！」って。それから本当機械人形ばかり持ち上げる人って苦手だったんだけど、テロがあってこの子を遊ばせられる場所が無かったからって今日来てみて正解だったわ。あの人が特別押し付けがましいだけでマルフィ結社さんってそう言うやり方で機械人形を勧めて来るわけじゃないのね」
年配の女性が可愛がっているペットのコーギー犬達の楽しそうな姿を見ながらそう呟く。隣に座っていた白衣の女性は優しく微笑むと太い三つ編みを揺らした。
「そうですね。機械人形が居てくれると便利なもの、だから共存する道を探すと言うのが第一ですし、その根幹には『人の暮らしをより良く』と言うのがあると思っています。その方が、ちょっと行き過ぎていらっしゃるだけですわ」
「そうなのね。ペット関連の事に手を回してくれてるの結社さんだけだったから、でも機械人形推進派にあまり良い思い出無くってね。でも今日お話聞いて良かったわ。私誤解してたかもしれないしね」
「ふふ、ええ。好きも嫌いも、何事も程々にしないと傍目には迷惑な人で終わってしまいますから。他の方の意見も聞ける余裕があってこそだと思っていますし、結社にその余裕の無い人は居ないと思っています」
ちらり、と後ろを気にする白衣の女性。彼女の背後でフィオナが女性の事を心配そうに見つめていたので、女性はフィオナに向かってさり気なくサムズアップをして見せた。「上々よ」と言っている様に見え、フィオナはほっと肩を撫で下ろす。
「ふふ、流石エリーズ先生…！機械人形の良さを知らない人の壁を取っ払うのすら『彼女に掛かれば』ってやつですね…！流石カウンセラー！聞き手の名手！そこに痺れる憧れるぅ…！」
「その独特な褒め方、何かどっかで聞いたなぁ？」
白衣の女性、クインの話しっぷりを見ながらフィオナとティモフェイの二人は名簿を整理していた。今日の参加者、及び参加しているペットはフィオナの予想を超えた数になっていた。矢張りペットは家族であり、その家族に楽しんでもらえる場を望む人は多かったのだ。
この会では、仕事を失っていたドッグトレーナー達に限定的とは言え仕事を斡旋出来る事、そして会場提供をする事で動物愛護団体との良き交渉の為の土台を作る事、そしてペットを家族と思う人同様に機械人形を家族とも近しい存在とも思っている結社メンバーと実際に顔を合わせ会話をする事で機械人形への警戒緩和に繋げる事、諸々利点があった。様々な立場の人に機械人形推進派たるマルフィ結社のイメージアップを図れると言う事だ。
好意的に見てくれる人、及び味方は多いに越したことはない。そう言う意味で利点があると推したフィオナの企画はすんなり通りこうして「犬の保育園」を開催したわけだが、予想以上に参加者が多く予想以上に安心して犬を遊ばせている姿にほっとしたのも事実だった。
「……やっぱり、テロ以降野良の汚染機械人形も居ますし、皆さん散歩もまともに出来なかったのかもしれませんね…」
ぼそりとフィオナが呟く。ティモフェイは顎に手を当てるとうんうん頷いた。
「んー…そりゃあそうだろうね。うちもさ、娘のリュドミラに良いパートナーを選びたいなって、ちょっと嫁さんと一緒にあの子の誕生日に犬飼う話続けてたんだよ。でも、テロが起きて外に出るのが難しくなって、それでも諦めなかったんだけど、散歩もまともに出来ないかもって思ったら飼うのは現実的じゃないなって今一時中断中さ」
「やっぱりそうなりますよね…」
「だから、俺達が頑張らなきゃな。脅威がある内は機械人形達に人を襲わせない様に、それが無くなった時は今度機械人形と共存する為に。色々出来る事をしなきゃね。生きたペットもプログラムされた機械もどっちも子供達には良い影響を与えるんだから、それが奪われたままの世界なんて良い筈無いからな」
そう言うティモフェイに嬉しそうに微笑んでみせたフィオナは、名簿の中にエミールの名前を確認する。ああ、結社メンバーにも矢張り参加者は居るなぁと目線をずらすと、そこには「ケビン・ブライス」と名前が書かれていた。
「ん…？ケビン・ブライス…ケビン・ブライスって、どこかで…？」
その名前の正体に気付いた瞬間、フィオナは「あっ！」と大きく声を上げた。
ケビン・ブライス。何も知らない人間からしたら白髪混じりの古希の男性。しかし、フィオナからしたら偉大過ぎるクリエイターとも言えた。彼は有名なパペットクリエイターであり、機械人形の顔の原型師の一人でもあった。職人気質であまり自分の顔を出す事を好まない彼のおよそ二十年前に撮られた写真と今の顔が一致した時、フィオナは興奮から密かに感情を大爆発させたのだった。
* * *
「ほら見てシプリちゃん！お友達いっぱいだよー！」
ミアにリードを引かれやって来たシプリはすんすんと鼻を動かしそしてミアを見つめる。シプリの視線に気付いたミアはそちらを見るとにこりと笑った。それに釣られてシプリもその『大人に向けてもふもふになる予定』のまだ少々情けない尻尾を二、三回ふよんと振って口角を上げて見せた。
犬と言うのは意外や意外。愛想笑いも愛想尻尾振りもする生き物である。
シプリは大好きなミアが喜んでくれるから尻尾を振って笑ってみせたものの、内心は不安だった。
「ミアちゃんが来てくれて嬉しいわー！まさかうちの旦那、また腰やっちゃうなんて思わなかったから」
シプリの飼い主であるリーシェール夫人が嬉しそうに上品に笑う。ミアも嬉しそうに笑ったが、直後に残念そうにシュンとした。
「でも…せっかくの日なのに腰を痛めてるリーシェールさん…残念ですね…シプリちゃんのわんちゃんのお友達出来るかもしれなかったのに…クロエちゃんもお仕事だし…」
「そうね…ま！その分私達で楽しみましょ！躾の仕方も見てくれるって言うから、シプリとの今後の良い生活の為に頑張るわよー！ね！シプリ、頑張ろうね！」
リーシェール夫人がサッと手を出すと、「お手か？」といつもの癖でシプリは前足をたしっと乗せた。それがハイタッチをしている様でその可愛らしさにミアは思わず頬を赤く染める。
「えへへへへ…シプリちゃん可愛いー…」
顔馴染みになってしばらく経つが、相も変わらずミアはシプリにメロメロだ。
「あれ？ミアちゃん？来ていたんですか？」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにはいつも通り袴を履いたエミールが居た。しかも、シプリに良く似た少し大きめのもふもふを連れて。ミアはそのもふもふに見覚えがあった。
「エミールさん？と言う事は、ペペローネちゃん！？」
「そうですよ！そしてこちらが、私が昔大変世話になった方でペペローネの飼い主です」
エミールの後ろから出て来た白髪混じりの男性。ミアはペコリと頭を下げると男性は嬉しそうに微笑んだ。
「どうも。しがない職人をしておりますケビン・ブライスです。いやー、エミールよォ…いつの間にこんな可愛い子と知り合ったんだよ？」
「先生が勘繰る様な仲じゃ無いですよ…ミアちゃんは…その、お友達です」
「はい！お友達です！」
「……ところで、ミアちゃんの連れてるその子は？」
「この子はシプリちゃんと言って、リーシェールさんのお家で飼われているわんちゃんです！」
「え！？同じ部署なのに初耳ですよ！リーシェールさん、わんちゃん飼ってたんですか！？」
「ええ！混合ワクチンももう終えてるから今日連れて来たのよー」
そんな会話をしている人間達をさて置き。ペペローネは大興奮だった。何せ自分に似た小さな毛玉と対面しているのだから。自分に似ているけど自分とは違う。体は小さくてペペローネも大好きになったミアに連れられている。
ペペローネはもう大興奮だった。お尻を突き出す猫の様なポーズを取り、かと思えば今度は逆に上半身をがばっと上げて体を大きく見せる様なポーズ。前足を上げてバランスを取り、後ろ足二本で器用にぴょこぴょこ歩いた。
シプリは妙なものを見る顔をした。
しかしめげないペペローネ。更にお尻を突き出し出来る限り目線の低い姿勢を取る。お辞儀の様なこれはプレイバウと言い、言うなれば『遊ぼうポーズ』である。シプリと仲良くなりたいペペローネは一所懸命にお尻を突き出した伏せをしたりお腹を見せたりした。
しかし、シプリは尚も妙なものを見る顔を崩さない。
走り回り、ワンワン！と吠えるペペローネ。ふとシプリの背後に回り、匂いを嗅ごうとぐいっと鼻を近付ける。その時、妙なものを見る様な顔色に留めていたシプリがとうとうびくりと体を震わせた。
「ぎゃわわわわわわわ！！」
後退りながらぶんぶん首を振り、ひたすら拒絶の姿勢を見せるシプリ。吠える度に前足が浮いてしまう吠え慣れない姿は可愛らしいものだが、流石に何事かと談笑していた飼い主達もそちらに注目した。
「シプリちゃん！」
手を伸ばしたミアの胸にヒョイと抱かれ、シプリは尻尾を丸めて毛を逆立て、見るからに怯えている。
「あーあ。ごめんなーおちびちゃん」
やれやれと言いたげなブライスがシプリの様子を見て苦笑する。
「ぺぺ、お前ダメだろ。無理に突っ込んじゃいけねぇよ」
あれー？何でー？と言いたげに、シプリの怒りに驚いたものの興奮冷めやらぬ様子のペペローネはそのままのテンションで近くに居たキースホンドの若いオスのところに向かって行った。
「ぺ…ぺぺ！！」
エミールは体の大きいキースホンドにペペローネが噛まれてしまうのでは無いかと慌てて名前を呼んだ。しかし、その子はどうやらドッグトレーナーが連れて来た、いわゆる「子犬達の先輩犬」として連れて来ていた様で、気性も大人しく良く躾けられており、ペペローネ如き落ち着きの無い子犬に絡まれた程度では牙を剥いて怒ったりしない。
「大丈夫ですよ！あの子…トゥールは元保護犬なんですけど、とっても優しい子で色んな子と交流して今本当に頼れる先輩犬なんです！」
清潔感のある、肩くらいの長さの茶髪を揺らしながら飼い主らしきドッグトレーナーの女性はエミールにそう言った。にこにこと微笑みながら他の犬におやつをあげているその女性。エミールはその様子に照れてしまってそれどころじゃ無かった。
「え、あ、そそそそうなんですね！？よく躾けられたわんちゃんで！！」
「はい！せっかくお家に来てくれたんで、躾頑張ったんですよー！トゥールもよく応えてくれて、ある程度大きくなってからでもトイレやコマンドは覚えてくれますし、今では人と接するのもわんちゃんと接するのも得意なんです！」
「し、躾を…！貴女が…！？躾を…！？」
そう言ったきり真っ赤な顔のまま固まってしまうエミール。ミアはそれを見ると頭に疑問符を浮かべたまま特に気に留めることもなくシプリを優しく抱っこし落ち着かせていた。
「お前…そのオヤジみたいな発想転換相変わらずだな……」
かつて見た事があったのか、ブライスはやれやれと言う感じに呟き、溜息を吐いた。
『挨拶』からやり直しませう
わーい！お友達だ！
そう思って嬉しかったから、ボクはお友達の事をもっと知りたくて、匂いを嗅ぎに行きました。そしたら大好きなミアちゃんがその子を抱っこしたので嗅げませんでした。でもお友達がいっぱいで嬉しかったから別のお友達のところに行きました。しかし、そのお友達はボクに「がうっ！」ってしました。驚いたボクは、一瞬立ち止まってゆっくり見上げましたが、凄い…佇まいが強そう…！陽の光を遮って生まれる影のなんて逞しく濃い色なんだ…！！これは、これは強者のオーラだ…！
『きゅうぅん、きゅぅうん…』
気付けばボクは、ゴロンと寝転がりお腹を曝け出し、服従のポーズ、敵意の無いポーズを見せていた。
『はぁ…やれやれ…』
『ひ、ひぃぃぃ…！』
『そんなに怯えないでくれ。噛んじゃいないだろう…？』
『ひぃぃ…！あれ！？本当だ！どこも痛く無い！』
『それはそうだ。私は落ち着きのない君に『分からせ』ようとしただけで噛もうとはしてないんだからな。どうだ？私の制止は…』
『うん！あのね、一瞬『がうっ！』て声とマズルが近付いて来て驚いたけどね、ボクの挨拶嫌だったんだなってすぐ分かったよ！』
『よしよし。分かったなのなら上出来だ。これでお前は相手に『嫌だ』と伝える方法を覚えたな？我々の口には相手を容易に傷付けられる牙がある。噛まれたら誰だって痛いんだ。だからそれはやってはいけない。さぁおいで、ちび君。私の名前はトゥールだ』
『はい！ボス！』
『ちび君、名前は何だい？』
『ペペローネです！ボス！』
『どれどれ…では今度こそ挨拶だ。匂いを嗅がせてくれ』
『はい！ボス！』
ボクの後ろに回ったトゥールはゆっくり鼻を近付けお尻の辺りを嗅いだ。うーん、ボクのさっきのやり方と違うなぁ、ゆっくりやるのかな？さっきは急ぎ過ぎたのかな？そう思ってボクもおずおずと、でも堂々とトゥールのお尻に鼻を近付けてみる。トゥールは『良い挨拶だ』と言ってくれたのでボクは自信が付いた。
トゥールは良いボスだ。あの一回で『分からせ』られたのでボクにとってボスになった。
そんなトゥールに連れて行かれた先には耳の毛がふさふさサラサラの格好良い大きな犬が居た。
『ペペローネ、見てみろ。彼女はサルーキと言う犬種でモーリと言う名前だ』
『モーリ…！よろしくねー！モーリ！！』
『こら待て待て』
トゥールは優しくボクの首輪を噛むと、ストップを掛けました。何だろう？とトゥールの顔を見ると、彼は困った顔をしていました。
『こらペペローネ、お前またさっきのちびちゃんと同じ失敗をする気か？』
『え？』
『大きな犬でも皆が皆大人しいわけじゃ無い。私はママの訓練を受けているから噛まない様に出来るが、皆が皆一流の訓練を受けているわけじゃ無い。それに、ここは犬の保育園。お前も含め子供ばかりだから子供の未成熟な牙と顎ならそこまで大怪我にはならないだろうが…中にはお前より幼く小さな犬も居る。お前はここに来るには割と大きい部類だ。もっと小さな子達を怖がらせちゃいけないよ？』
『そっかー…』
『だからゆっくりだ。私達犬は群れの生き物だ。ちゃんとよく見て、相手に失礼の無いように、仲良くしようと思いながら近付かないとな？』
『わかった！』
ボクはちょこちょことモーリに近付く。『こんにちはー！』と声を掛けると、モーリは一瞬だけボクを見、そしてふいと目を逸らした。ボクは嬉しくなって逸る気持ちを抑えながら足を進める。ボク達犬にとっては目を合わせると言う事は喧嘩に発展してしまうので、逸らしてくれたモーリはボクに『敵対心は無いよ』と教えてくれたのだった。
『こ、こんにちは！』
『あら？何？坊や』
『ペペローネだよ！』
『ペペローネ？貴方の名前？』
『そう！』
『ふーん、まあ良いわ。もっと貴方のこと教えてちょうだい』
スッとお尻を差し出し、ボクのことを知ってもらう。ボク達犬には序列があって、先に匂いを知る事ができるのはリーダーや年上だ。ボクはどうやらリーダーっぽい性格では無いようで、すぐ皆にお腹を見せちゃうんだけど、そのおかげかモーリとの挨拶は上手く行った。
『ふーん、貴方そろそろ八ヶ月なの？その割には落ち着きないわね。オスで体調は悪くなくて良い気分なのね、良い事だわ』
『ボクも！ボクも教えて！』
『ええ良いわよ』
モーリの後ろにそっと周りくんくん匂いを嗅いでみる。モーリの事をいっぱい知れて良かった。
『ところで、貴方から良い匂いがするわ…大好きな匂い』
『へ？』
『貴方、今まで誰と居たの？』
『うん、ボクのパパと、エミールちゃん！』
『うーん…そのパパとエミールちゃんの匂いかしら？美味しそうな良い匂いがするわ…！これは私の大好きな鳥のささみよ！食べたくなってきたわ！』
そう言ってモーリは自分のパパのところに甘えに行った。そして鳥のささみのおやつを貰っていた。ボクもとことこ近付いてモーリのパパさんにご挨拶してみる。パパさんが手をぐーにして近付けてくれたのでくんくん匂いを嗅いでぺろっと舐めてご挨拶した。するとモーリのパパさんはボクの目の前に鳥のささみを出してくれた。ボクは嬉しくなってささみを食べた。
『美味しー！』
お友達がいっぱいでついつい嬉しくなってしまうけど、まずはご挨拶してから遊ぼうポーズだ。
トゥールに付いて同じくらいの大きさの子達のところに行き、ご挨拶の後に遊ぼうポーズを取ってみた。すると、相手も受け入れてくれたのでボクは思い切り楽しく遊ぶことが出来た。
今日トゥールに付いて学んだ事は、相手も自分も怪我する事なく『嫌だよ！』と伝える態度の取り方と、それから挨拶の仕方だった。
* * *
「…なーんて、本当にそんなお話をしてるかは分かりませんけど！」
そう言いながらドッグトレーナーの女性、ベアトリスはくすくす笑う。それに釣られて周りに居たエミール達も微笑ましく笑った。
ベアトリスの急に始めた『わんちゃん妄想アテレコ』。しかし、あながち妄想とも言えなそうな内容に思うのは、そのくらいペペローネがよく動き、トゥールが世話を焼き、モーリが程良く彼の相手をしたからに他ならなかった。
「あはは、ペペローネちゃんは元気だね！」
実はモーリの飼い主だった人事部のベンは、ちゃかちゃかと動くペペローネを見て頬を緩ませた。モーリは相変わらず上品な少し気取ったお座りをしながらベンの手に持つタッパの中のささみを気にしていた。
「あ、すみませんベンさん…ぺぺにもささみいただきまして…」
「しかし良い子だねぇ、兄ちゃんが茹でるささみがモーリちゃんは好きなんだろうな」
「あはは、俺も食べるの好きなんで！多分モーリは俺が美味しく茹でる奴って気付いてるんですよ！」
そんな他愛無い会話の中、エミールは少し気になりミアの下へ近付く。ミアは少し離れたところで座りながら犬達の戯れ合いを見ており、胸にシプリを抱いていた。シプリは落ち着いた様で気持ち良さそうにミアの胸で眠っており、ぷぅぷぅ寝息を漏らしていた。
「すみません、シプリちゃんさっきびっくりしちゃいましたよね…」
「あ、エミールさん！ふふふ、私もシプリちゃんのあんな慌てた姿初めて見ました！可愛いですね…わんちゃんって」
「いやーははは…ペペはあの調子だとモテなそうです…」
エミールは遠くを見ながら力無くそう呟く。そしてふと、シプリを見た。犬は基本眠りが浅いと聞いていたが幼い内はその限りでは無いのか、シプリはミアの胸で気持ち良さそうに眠ったままだ。そしてそんなシプリを見つめるミアの横顔は何だかとても美しく、エミールの胸がどくんと大きく脈打った。
「ミ、ミアちゃん…！」
「はい？」
「あ、あ、あのあの…その…シプリちゃんを抱っこしてる姿がですね…菩薩の様です…」
「ボサツ？ボサツって何ですか？」
「ああ、えっと…う、美しい母の様だと言う事です…！」
「お母さん…」
ミアの脳裏に、いつか自分もそうなるのだろうか？と言う未来への期待と、その隣に居てくれるのが最愛の恋人だと良いと言う願望と、そして自分も愛され抱かれた記憶を思い出し、尚更胸に居るシプリの寝顔が愛しく見えた。
「…私、そんな風にシプリちゃんの事、抱っこ出来てますか…？」
ミアはエミールを見上げる様に目線を動かし、嬉しそうに頬を赤らめながらそう聞いた。ただでさえ菩薩の様に見えた可愛らしいミアの上目遣いにエミールの胸は瞬時に貫かれた。
「も、も、勿論ですよ！」
「えへへ…嬉しいなー…私頑張ります！頑張ってネビロスさんにそう言ってもらえる様になります！」
そして一瞬で燃え上がっていた恋はひんやりと氷点下まで冷めた。
「あ…ネビロス、さん…そうですね…ネビロスさん…」
──どんなに憧れて照れてしまう程魅力的に見える女性でも、彼女は心に決めた人がいるのだ。知っていたのに、そう、知っていたのに。分かっていたのに。…だってあの人も私の事忘れてるし私もふとした時に思い出せる程親しく無いから忘れがちなんだもの。
さながら夕日をバックにトランペットの音色響く波止場。そんな光景を脳裏に浮かべてエミールは一人ハイスピードな失恋に心痛めた。
「あ、シプリちゃん…」
いつの間に目を覚ましたのかシプリがミアの腕の中でバタバタ足を動かす。ミアが下ろしてやると、ぐーっと体を伸ばしてストレッチをした。ころころした短い手足でのびーっ…と一丁前に体を伸ばして最後に足をぴこんっと出すのが可愛らしい。
すると、どこからかペペローネが走ってシプリに向かって来た。シプリは再び警戒し、降りてすぐなのにミアに抱っこをせがむ。エミールはその様子を見て暫し考えて居たが、何か結論が出た様でミアにこそっと耳打ちした。
「ミアちゃん、シプリちゃんのお尻を抱っこしたままぺぺに向けられませんか？」
「え？お尻を？」
「はい。そう言えば犬に体格差がある場合は先ず飼い主さんがサポートして嗅がせてって慣れさせるってやり方もあるみたいです。そして匂いを嗅ぐのは年功序列…基本、年上の子かリーダー気質のある子が先に嗅ぐんです。ぺぺとシプリちゃんならぺぺの方が年上ですから…」
「なるほど…シプリちゃん、ペペローネちゃんと仲良くなれたら良いですもんね」
そんなミアとエミールの姿を捉えたベアトリスが向かってくる。爛々と輝く目をした彼女は嬉しそうに「お！ファーストコンタクトの再チャレンジに挑戦ですね！？」と口にした。
三人が見守る中、シプリのお尻にペペローネが近付く。そして、くんくんと鼻を動かした。
「シプリちゃん良い子ねー！ちゃんと匂い嗅いでもらえたねー！偉いよー！」
ベアトリスに褒められて誇らしげなシプリ。最初こそ驚いただけで、どう言うわけか今はもうすっかり慣れた様に落ち着いてミアに抱っこされていた。そして抱っこされたまま、ベアトリスからおやつをもらい、満足そうにくちゃくちゃ口を動かした。その後、ミアが試しに降ろしてみてももうシプリはペペローネを威嚇しない。今度は自分もペペローネの匂いを嗅ぎに行き、次の瞬間には仲良く一緒に遊び始めたのだ。優しく面倒見の良い性格ではあるぺぺローネ。シプリを「守らなきゃいけない子」と認識したのか、面倒を見る様に一歩引いて落ち着いて動ける様になった。
「良かったですね！シプリちゃんとペペローネちゃん、仲良くなれて！ペペローネちゃんも凄い成長です！」
ベアトリスに満面の笑みでそう言われエミールの胸がまたどくりと高鳴る。照れて吃りながら返事を返すと、ベアトリスは愛おしそうに犬達を見た。
「素晴らしいですよね…わんちゃんって。人程言葉が多く無いのに、ちゃんと分かり合ったり仲良く出来るんですよ」
「分かります！そうですよね！」
シプリを見ていたミアが嬉しそうにぴこんと跳ねる。気付くとシプリは満足気な顔でミアの足下に来ており、くんくん鳴き声を上げながら前足で抱っこの要求をした。ミアはその可愛らしさにきゃあきゃあ言いながらシプリを抱っこすると、再びベアトリスに向き直る。
「抱っこして欲しいって言うのも、こんなに分かっちゃいます！ふとした時の顔の変化もおてても尻尾も全部使っていっぱい伝えてくれます！」
「そうなんですよ！ふとした表情の変化とか！本当わんちゃんって表情豊かなんですよねー！……人間もこうであったら良いのにって時々思いますが…でも、せっかく人間で言葉があるんだから言葉で伝えなきゃいけませんよね。一度はお給料のお話から『ご縁が無かった』って形になってしまったんですけど…私、マルフィ結社さんとこう言う形で一緒に仕事が出来て嬉しかったんです」
どこか恥ずかしそうに、遠くを見つめる様にベアトリスはそう言った。「叶って良かったです！」とミアは明るく返事をするが、エミールは何も言えずその横顔を見つめた。
憂いを帯びた瞳。決してだらしなくは無い、けれど少し開いた唇。そのつやつやした唇から紡がれる慈愛に満ちた言葉。なんて美しいんだろう。
「…私、こんな事言ったら不純かな？って思っちゃうんですけど…その、マルフィ結社さんとお仕事がしたかった理由は、もう一度お顔を見たかった人が居まして…」
血色の良い頬を化粧の力で無く体の内側から赤らめたベアトリスは、照れた様に目を伏せながらチラチラと目線を動かす。
「え？もしかしてベアトリスさん…結社に居る誰かの事…？」
潤む様な艶っぽい目を向けるベアトリスを見つめるキラキラした目のミア。彼女が何を言いたいか分かってしまいエミールの胸は再度ずどんと脈打った。
まさか恋なのだろうか？誰かに恋をして、会いたくて結社に？その誰かってまさか…。
まさか──……！？
「あの…リアム・シュミットさんって…彼女居ますか！？」
エミールはショックのあまり近くの柵にずどんと音を立てて頭を打ち付けた。彼が派手に落胆した姿にミアは驚き、すぐに駆け寄ってくれた。
「エミールさん！？どうしたんですか！？」
「ああ…ミアさん…駆け寄ってくれたんですね…？」
「勿論！医療班ですもん！！」
「ああ…そっか…医療班だからか…医療班だからですよね……医療班 ですもんね…」
「エミールさん！たんこぶ酷いです！冷やしましょう！！」
エミールの恋心は、今日だけで二度散った。
* * *
無邪気にきゃっきゃと遊ぶペペローネの可愛らしい姿を眺める。ああ、せめてお前だけは良い恋愛をしてください。
そう遠くを見つめながらエミールは溜息を吐いた。
「どうした？エミールお前」
ブライスが隣に来てエミールに声を掛ける。エミールは油の切れたブリキのおもちゃの様にぎぎぎ…と首を向けると力無く笑った。
「いえ……ぺぺは良い恋愛をしてくれたら良いなーと思いまして…。いつかぺぺに子供が出来たら私は孫でも生まれた気分になるかもしれませんね、なんて…へへへ…」
「あー…そんなに可愛がってくれてるとこ悪ィがぺぺの体の事を考えてもう去勢手術済みなんだよ」
「ヒェッ……」
これぞ降れば土砂降り、泣きっ面に蜂。
なのに視界に入るベアトリスの笑顔の何と眩しく美しい事か。
「……今、地獄で仏な気分です…」
「あー……おう、まあ元気出せ。お前の良いところはめげても立ち直るのは早いところだ！」
ベアトリスとミアと、シプリとペペローネの笑顔が眩しい。エミールはその日の晩は失恋の痛みを感じながら眠ったものの、翌日タイミング良く自分の為にとクッキーを焼いてくれたと言うヒギリにまたも惚れてしまい、いつも通りの元気に戻ったそうだ。
そう思って嬉しかったから、ボクはお友達の事をもっと知りたくて、匂いを嗅ぎに行きました。そしたら大好きなミアちゃんがその子を抱っこしたので嗅げませんでした。でもお友達がいっぱいで嬉しかったから別のお友達のところに行きました。しかし、そのお友達はボクに「がうっ！」ってしました。驚いたボクは、一瞬立ち止まってゆっくり見上げましたが、凄い…佇まいが強そう…！陽の光を遮って生まれる影のなんて逞しく濃い色なんだ…！！これは、これは強者のオーラだ…！
『きゅうぅん、きゅぅうん…』
気付けばボクは、ゴロンと寝転がりお腹を曝け出し、服従のポーズ、敵意の無いポーズを見せていた。
『はぁ…やれやれ…』
『ひ、ひぃぃぃ…！』
『そんなに怯えないでくれ。噛んじゃいないだろう…？』
『ひぃぃ…！あれ！？本当だ！どこも痛く無い！』
『それはそうだ。私は落ち着きのない君に『分からせ』ようとしただけで噛もうとはしてないんだからな。どうだ？私の制止は…』
『うん！あのね、一瞬『がうっ！』て声とマズルが近付いて来て驚いたけどね、ボクの挨拶嫌だったんだなってすぐ分かったよ！』
『よしよし。分かったなのなら上出来だ。これでお前は相手に『嫌だ』と伝える方法を覚えたな？我々の口には相手を容易に傷付けられる牙がある。噛まれたら誰だって痛いんだ。だからそれはやってはいけない。さぁおいで、ちび君。私の名前はトゥールだ』
『はい！ボス！』
『ちび君、名前は何だい？』
『ペペローネです！ボス！』
『どれどれ…では今度こそ挨拶だ。匂いを嗅がせてくれ』
『はい！ボス！』
ボクの後ろに回ったトゥールはゆっくり鼻を近付けお尻の辺りを嗅いだ。うーん、ボクのさっきのやり方と違うなぁ、ゆっくりやるのかな？さっきは急ぎ過ぎたのかな？そう思ってボクもおずおずと、でも堂々とトゥールのお尻に鼻を近付けてみる。トゥールは『良い挨拶だ』と言ってくれたのでボクは自信が付いた。
トゥールは良いボスだ。あの一回で『分からせ』られたのでボクにとってボスになった。
そんなトゥールに連れて行かれた先には耳の毛がふさふさサラサラの格好良い大きな犬が居た。
『ペペローネ、見てみろ。彼女はサルーキと言う犬種でモーリと言う名前だ』
『モーリ…！よろしくねー！モーリ！！』
『こら待て待て』
トゥールは優しくボクの首輪を噛むと、ストップを掛けました。何だろう？とトゥールの顔を見ると、彼は困った顔をしていました。
『こらペペローネ、お前またさっきのちびちゃんと同じ失敗をする気か？』
『え？』
『大きな犬でも皆が皆大人しいわけじゃ無い。私はママの訓練を受けているから噛まない様に出来るが、皆が皆一流の訓練を受けているわけじゃ無い。それに、ここは犬の保育園。お前も含め子供ばかりだから子供の未成熟な牙と顎ならそこまで大怪我にはならないだろうが…中にはお前より幼く小さな犬も居る。お前はここに来るには割と大きい部類だ。もっと小さな子達を怖がらせちゃいけないよ？』
『そっかー…』
『だからゆっくりだ。私達犬は群れの生き物だ。ちゃんとよく見て、相手に失礼の無いように、仲良くしようと思いながら近付かないとな？』
『わかった！』
ボクはちょこちょことモーリに近付く。『こんにちはー！』と声を掛けると、モーリは一瞬だけボクを見、そしてふいと目を逸らした。ボクは嬉しくなって逸る気持ちを抑えながら足を進める。ボク達犬にとっては目を合わせると言う事は喧嘩に発展してしまうので、逸らしてくれたモーリはボクに『敵対心は無いよ』と教えてくれたのだった。
『こ、こんにちは！』
『あら？何？坊や』
『ペペローネだよ！』
『ペペローネ？貴方の名前？』
『そう！』
『ふーん、まあ良いわ。もっと貴方のこと教えてちょうだい』
スッとお尻を差し出し、ボクのことを知ってもらう。ボク達犬には序列があって、先に匂いを知る事ができるのはリーダーや年上だ。ボクはどうやらリーダーっぽい性格では無いようで、すぐ皆にお腹を見せちゃうんだけど、そのおかげかモーリとの挨拶は上手く行った。
『ふーん、貴方そろそろ八ヶ月なの？その割には落ち着きないわね。オスで体調は悪くなくて良い気分なのね、良い事だわ』
『ボクも！ボクも教えて！』
『ええ良いわよ』
モーリの後ろにそっと周りくんくん匂いを嗅いでみる。モーリの事をいっぱい知れて良かった。
『ところで、貴方から良い匂いがするわ…大好きな匂い』
『へ？』
『貴方、今まで誰と居たの？』
『うん、ボクのパパと、エミールちゃん！』
『うーん…そのパパとエミールちゃんの匂いかしら？美味しそうな良い匂いがするわ…！これは私の大好きな鳥のささみよ！食べたくなってきたわ！』
そう言ってモーリは自分のパパのところに甘えに行った。そして鳥のささみのおやつを貰っていた。ボクもとことこ近付いてモーリのパパさんにご挨拶してみる。パパさんが手をぐーにして近付けてくれたのでくんくん匂いを嗅いでぺろっと舐めてご挨拶した。するとモーリのパパさんはボクの目の前に鳥のささみを出してくれた。ボクは嬉しくなってささみを食べた。
『美味しー！』
お友達がいっぱいでついつい嬉しくなってしまうけど、まずはご挨拶してから遊ぼうポーズだ。
トゥールに付いて同じくらいの大きさの子達のところに行き、ご挨拶の後に遊ぼうポーズを取ってみた。すると、相手も受け入れてくれたのでボクは思い切り楽しく遊ぶことが出来た。
今日トゥールに付いて学んだ事は、相手も自分も怪我する事なく『嫌だよ！』と伝える態度の取り方と、それから挨拶の仕方だった。
* * *
「…なーんて、本当にそんなお話をしてるかは分かりませんけど！」
そう言いながらドッグトレーナーの女性、ベアトリスはくすくす笑う。それに釣られて周りに居たエミール達も微笑ましく笑った。
ベアトリスの急に始めた『わんちゃん妄想アテレコ』。しかし、あながち妄想とも言えなそうな内容に思うのは、そのくらいペペローネがよく動き、トゥールが世話を焼き、モーリが程良く彼の相手をしたからに他ならなかった。
「あはは、ペペローネちゃんは元気だね！」
実はモーリの飼い主だった人事部のベンは、ちゃかちゃかと動くペペローネを見て頬を緩ませた。モーリは相変わらず上品な少し気取ったお座りをしながらベンの手に持つタッパの中のささみを気にしていた。
「あ、すみませんベンさん…ぺぺにもささみいただきまして…」
「しかし良い子だねぇ、兄ちゃんが茹でるささみがモーリちゃんは好きなんだろうな」
「あはは、俺も食べるの好きなんで！多分モーリは俺が美味しく茹でる奴って気付いてるんですよ！」
そんな他愛無い会話の中、エミールは少し気になりミアの下へ近付く。ミアは少し離れたところで座りながら犬達の戯れ合いを見ており、胸にシプリを抱いていた。シプリは落ち着いた様で気持ち良さそうにミアの胸で眠っており、ぷぅぷぅ寝息を漏らしていた。
「すみません、シプリちゃんさっきびっくりしちゃいましたよね…」
「あ、エミールさん！ふふふ、私もシプリちゃんのあんな慌てた姿初めて見ました！可愛いですね…わんちゃんって」
「いやーははは…ペペはあの調子だとモテなそうです…」
エミールは遠くを見ながら力無くそう呟く。そしてふと、シプリを見た。犬は基本眠りが浅いと聞いていたが幼い内はその限りでは無いのか、シプリはミアの胸で気持ち良さそうに眠ったままだ。そしてそんなシプリを見つめるミアの横顔は何だかとても美しく、エミールの胸がどくんと大きく脈打った。
「ミ、ミアちゃん…！」
「はい？」
「あ、あ、あのあの…その…シプリちゃんを抱っこしてる姿がですね…菩薩の様です…」
「ボサツ？ボサツって何ですか？」
「ああ、えっと…う、美しい母の様だと言う事です…！」
「お母さん…」
ミアの脳裏に、いつか自分もそうなるのだろうか？と言う未来への期待と、その隣に居てくれるのが最愛の恋人だと良いと言う願望と、そして自分も愛され抱かれた記憶を思い出し、尚更胸に居るシプリの寝顔が愛しく見えた。
「…私、そんな風にシプリちゃんの事、抱っこ出来てますか…？」
ミアはエミールを見上げる様に目線を動かし、嬉しそうに頬を赤らめながらそう聞いた。ただでさえ菩薩の様に見えた可愛らしいミアの上目遣いにエミールの胸は瞬時に貫かれた。
「も、も、勿論ですよ！」
「えへへ…嬉しいなー…私頑張ります！頑張ってネビロスさんにそう言ってもらえる様になります！」
そして一瞬で燃え上がっていた恋はひんやりと氷点下まで冷めた。
「あ…ネビロス、さん…そうですね…ネビロスさん…」
──どんなに憧れて照れてしまう程魅力的に見える女性でも、彼女は心に決めた人がいるのだ。知っていたのに、そう、知っていたのに。分かっていたのに。…だってあの人も私の事忘れてるし私もふとした時に思い出せる程親しく無いから忘れがちなんだもの。
さながら夕日をバックにトランペットの音色響く波止場。そんな光景を脳裏に浮かべてエミールは一人ハイスピードな失恋に心痛めた。
「あ、シプリちゃん…」
いつの間に目を覚ましたのかシプリがミアの腕の中でバタバタ足を動かす。ミアが下ろしてやると、ぐーっと体を伸ばしてストレッチをした。ころころした短い手足でのびーっ…と一丁前に体を伸ばして最後に足をぴこんっと出すのが可愛らしい。
すると、どこからかペペローネが走ってシプリに向かって来た。シプリは再び警戒し、降りてすぐなのにミアに抱っこをせがむ。エミールはその様子を見て暫し考えて居たが、何か結論が出た様でミアにこそっと耳打ちした。
「ミアちゃん、シプリちゃんのお尻を抱っこしたままぺぺに向けられませんか？」
「え？お尻を？」
「はい。そう言えば犬に体格差がある場合は先ず飼い主さんがサポートして嗅がせてって慣れさせるってやり方もあるみたいです。そして匂いを嗅ぐのは年功序列…基本、年上の子かリーダー気質のある子が先に嗅ぐんです。ぺぺとシプリちゃんならぺぺの方が年上ですから…」
「なるほど…シプリちゃん、ペペローネちゃんと仲良くなれたら良いですもんね」
そんなミアとエミールの姿を捉えたベアトリスが向かってくる。爛々と輝く目をした彼女は嬉しそうに「お！ファーストコンタクトの再チャレンジに挑戦ですね！？」と口にした。
三人が見守る中、シプリのお尻にペペローネが近付く。そして、くんくんと鼻を動かした。
「シプリちゃん良い子ねー！ちゃんと匂い嗅いでもらえたねー！偉いよー！」
ベアトリスに褒められて誇らしげなシプリ。最初こそ驚いただけで、どう言うわけか今はもうすっかり慣れた様に落ち着いてミアに抱っこされていた。そして抱っこされたまま、ベアトリスからおやつをもらい、満足そうにくちゃくちゃ口を動かした。その後、ミアが試しに降ろしてみてももうシプリはペペローネを威嚇しない。今度は自分もペペローネの匂いを嗅ぎに行き、次の瞬間には仲良く一緒に遊び始めたのだ。優しく面倒見の良い性格ではあるぺぺローネ。シプリを「守らなきゃいけない子」と認識したのか、面倒を見る様に一歩引いて落ち着いて動ける様になった。
「良かったですね！シプリちゃんとペペローネちゃん、仲良くなれて！ペペローネちゃんも凄い成長です！」
ベアトリスに満面の笑みでそう言われエミールの胸がまたどくりと高鳴る。照れて吃りながら返事を返すと、ベアトリスは愛おしそうに犬達を見た。
「素晴らしいですよね…わんちゃんって。人程言葉が多く無いのに、ちゃんと分かり合ったり仲良く出来るんですよ」
「分かります！そうですよね！」
シプリを見ていたミアが嬉しそうにぴこんと跳ねる。気付くとシプリは満足気な顔でミアの足下に来ており、くんくん鳴き声を上げながら前足で抱っこの要求をした。ミアはその可愛らしさにきゃあきゃあ言いながらシプリを抱っこすると、再びベアトリスに向き直る。
「抱っこして欲しいって言うのも、こんなに分かっちゃいます！ふとした時の顔の変化もおてても尻尾も全部使っていっぱい伝えてくれます！」
「そうなんですよ！ふとした表情の変化とか！本当わんちゃんって表情豊かなんですよねー！……人間もこうであったら良いのにって時々思いますが…でも、せっかく人間で言葉があるんだから言葉で伝えなきゃいけませんよね。一度はお給料のお話から『ご縁が無かった』って形になってしまったんですけど…私、マルフィ結社さんとこう言う形で一緒に仕事が出来て嬉しかったんです」
どこか恥ずかしそうに、遠くを見つめる様にベアトリスはそう言った。「叶って良かったです！」とミアは明るく返事をするが、エミールは何も言えずその横顔を見つめた。
憂いを帯びた瞳。決してだらしなくは無い、けれど少し開いた唇。そのつやつやした唇から紡がれる慈愛に満ちた言葉。なんて美しいんだろう。
「…私、こんな事言ったら不純かな？って思っちゃうんですけど…その、マルフィ結社さんとお仕事がしたかった理由は、もう一度お顔を見たかった人が居まして…」
血色の良い頬を化粧の力で無く体の内側から赤らめたベアトリスは、照れた様に目を伏せながらチラチラと目線を動かす。
「え？もしかしてベアトリスさん…結社に居る誰かの事…？」
潤む様な艶っぽい目を向けるベアトリスを見つめるキラキラした目のミア。彼女が何を言いたいか分かってしまいエミールの胸は再度ずどんと脈打った。
まさか恋なのだろうか？誰かに恋をして、会いたくて結社に？その誰かってまさか…。
まさか──……！？
「あの…リアム・シュミットさんって…彼女居ますか！？」
エミールはショックのあまり近くの柵にずどんと音を立てて頭を打ち付けた。彼が派手に落胆した姿にミアは驚き、すぐに駆け寄ってくれた。
「エミールさん！？どうしたんですか！？」
「ああ…ミアさん…駆け寄ってくれたんですね…？」
「勿論！医療班ですもん！！」
「ああ…そっか…医療班だからか…医療班だからですよね……
「エミールさん！たんこぶ酷いです！冷やしましょう！！」
エミールの恋心は、今日だけで二度散った。
* * *
無邪気にきゃっきゃと遊ぶペペローネの可愛らしい姿を眺める。ああ、せめてお前だけは良い恋愛をしてください。
そう遠くを見つめながらエミールは溜息を吐いた。
「どうした？エミールお前」
ブライスが隣に来てエミールに声を掛ける。エミールは油の切れたブリキのおもちゃの様にぎぎぎ…と首を向けると力無く笑った。
「いえ……ぺぺは良い恋愛をしてくれたら良いなーと思いまして…。いつかぺぺに子供が出来たら私は孫でも生まれた気分になるかもしれませんね、なんて…へへへ…」
「あー…そんなに可愛がってくれてるとこ悪ィがぺぺの体の事を考えてもう去勢手術済みなんだよ」
「ヒェッ……」
これぞ降れば土砂降り、泣きっ面に蜂。
なのに視界に入るベアトリスの笑顔の何と眩しく美しい事か。
「……今、地獄で仏な気分です…」
「あー……おう、まあ元気出せ。お前の良いところはめげても立ち直るのは早いところだ！」
ベアトリスとミアと、シプリとペペローネの笑顔が眩しい。エミールはその日の晩は失恋の痛みを感じながら眠ったものの、翌日タイミング良く自分の為にとクッキーを焼いてくれたと言うヒギリにまたも惚れてしまい、いつも通りの元気に戻ったそうだ。
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