手折り摘むはその花／燐花
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rinka_creation 2021年02月02日(火) 16:54:30履歴
「 どうして今日に限って彼は休みなの。今まではいなくていい休みでも何でも医療班の部屋にいたのに 」
業務の事を考えると口にして良い言葉ではない気がするが、そんな事をアペルピシアは呟く。同じ事を思った様でこれにはヴォイドも頷いた。
「 同感 」
「…連絡しておいてくれる？彼に」
「良いよ。仕事じゃないし人事部も煩く言わないよきっと」
ヴォイドは端末を取り出すと、その場でネビロスにメッセージを送った。
癪ではあるが、ミアの話を持ち出され人事部のあの男に説教までされ、色々と思うところがあったネビロスはこの日大人しく部屋に居た。アペルピシアに診察もしてもらい、軽めの薬も出してもらい、少しだけ部屋で大人しくすると言う訓練を始めたのだ。
ミアの話をあの男に持ち出されたのは癪だし、あの男に言いくるめられたのはもっと癪だけれど。それでも反発を続けているのは大人気ないしこれ以上周りに迷惑を掛けるわけにはいかない。そう納得させていたら端末が震えた。ヴォイドからメッセージだ。
珍しいと思いつつ開くと、「ミアが泣いてる。出て来て」と書かれていた。
「…いきなり何ですか？」
詳しくお願いします、とネビロスは返す。すぐにヴォイドからまたメッセージが入った。
「ミアが情緒不安定。愛の日は花屋の掻き入れ時だから昔を思い出したのかも。パパ、ママ、お姉ちゃんって呟いてたから。泣いてトイレに行った。手が離せないから様子見て来て」
淡々と送られてくるその言葉からも今のミアの様子が容易に想像できた。ネビロスは電気を消すと部屋を後にする。医療班に一番近いトイレ付近から探そうと歩みを進めた。
廊下にコツコツと靴音が響く。今は誰も歩いていないから、ネビロスの靴音だけが大きく聞こえる。その内、靴音に混じって少し声が聞こえた。
「…やはりこの階か」
ミアの泣く声。居ても立っても居られず、ネビロスは小走りに向かう。すると、一瞬泣く声が消え、前方から自分の頬を撫でながらミアが歩いて来た。
「ミア……？」
思わず姿を捉えた瞬間彼女の名前を呼んでしまう。ミアはネビロスの登場に驚き、泣いた顔を見られたく無かったのか下を向いてしまった。
「お休みの日に働いたらダメですよ？」
泣いていた姿を見せない様にして、こんな時までネビロスの心配を口にするミア。ネビロスは胸がキュッと詰まる感じがした。
彼女が今どれだけの感情を背負っているのか。心配でどうしても顔を見たくなったネビロスは、不躾だとは思いながらもミアに近付くと顎に手を添えクイっと持ち上げた。すると真っ赤になったミアはそのままふらつき、ネビロスも急な事で彼女を壁際まで追い詰めてしまう。改めて見ると向き合ったその顔は上気した様に赤くなり、目には涙を溜め込んでいた。
「……ミアが泣いていると報告を受けまして」
壁まで彼女を追い詰めた事を謝るべきかもしれないが、先に出たのは違う言葉だった。
「貴重なお休みにごめんなさい」
尚も絞り出されるネビロスを気遣う言葉。大人であろうとするのか、少し無理をしがちなミア。
昨年は家族と一緒だったのに何で今年は一人なんだろうって思ったら悲しくなっちゃった。きっとそう零した言葉が彼女の本心にして今一番の悲しみなのだろう。それなのに、ミアは一息に続ける。
「でも良く考えたら皆そうですもんね」だなんて、そんなに利口にならずとも、背伸びして早く大人になろうとしなくとも良いのに。
つい数分前。部屋にいてルミエルの事を考えていた。昨年までの愛の日はもっぱら家族で過ごす事が多く、ネビロスが作るお菓子を皆で切り分けて食べる日になっていた。あの暖かい光景をどんなに望んでももう手にする事は出来ない。
酷い喪失感に支配されているのは事実で、未だに時折夢に見てしまう。
それでも今この瞬間だけは、ミアの悲しみを少しでも受け入れてあげたかった。彼女が急いで大人になろうとしなくて良い様に、誰かに自然に寄り掛かれる様に。
「ミア。他者と哀しみの軽重を比較する必要はありません。誰が最も辛い喪失か、という問いは決して答えなんて出ません 」
顎に添えていた手で頬をなぞる。自分を見つめる綺麗な空色の瞳を見つめ返したら、何だかネビロスが泣きたくなってしまった。悲しいでもなく辛いでもなく。綺麗過ぎて泣きたくなってしまった。
「 だから皆そうだからと言って無理に泣くのを我慢する必要は無いんです 」
そう言うと、泣き止んだはずのミアの瞳から涙が溢れる。頬に添えた手に触れる涙をネビロスは愛おしそうに見つめた。
自分は最低だ、とネビロスは思う。
まだ過去の事は何一つ乗り越えられる気がしない。正直ルミエルとの思い出を未だに夢に見るし、夜中に不意に彼女を渇望する事もある。心の拠り所にする事もある。それなのに、今ミアから向けられる想いも求めてしまう。心の中に亡き妻をずっと強く住まわせておいて、同じ様に家族を喪った悲しみに泣くミアの傍に一番居られるのが自分であれば良いとそう思うだけでなく、そこに愛しさまで感じ傍で見ていたいとも思う。
自分ではなくもっと良い人が現れたら…とも思った事はあったが。おそらく現れたら現れたで渡したくないと考えてしまうだろう。
正月、ミアを綺麗にしたのがテディだと聞いて少しだけ胸がざわついた自分を思い出していた。
「ネビロスさん」
「はい」
「少しだけぎゅっとしてても良いですか？」
もしも本当に彼女に想われていたら。ルミエルの思い出に囚われている自分では釣り合わないからと彼女を突き放す事も考えた。
だけど、今はもうそんな事は考えられない。ミアへの気持ちもとっくに歯止めの効かないところまで来ているのだから。
「はい……」
自分の背に回されたミアの細い腕。ここで何もせず、肩に手を置くか頭を撫でるかすれば、一般的にはそれが大人な対応だったかもしれない。
でもそれは難しそうだ。彼女が泣いていて判断が付かないのを良い事に、今までずっと傍に居てくれた彼女の体を初めてそっと抱き締めた腕が自分の気持ちを表しているとネビロスは思った。
もうきっと想いに蓋をして止める事は出来ない。きっと求めるところまで求めてしまう。
やがて泣き止んだミアは顔を上げると、こう口にした。
「 私、愛の日に絶対にネビロスさんに葉の付いた赤い薔薇を贈ります 」
きっとその花には彼女の気持ちにまつわる何かがあるのかもしれない。ミアは花屋の娘だけあって花に詳しく、花言葉もすぐ浮かぶだろうから。
けれど今は敢えて花言葉は調べない。
「 はい。お待ちしておりますね 」
ただ頷いて、いつも通りの笑顔を見せて仕事に戻ることが出来たミアを見送るだけ。
その花言葉がどんな想いでも、受け止めるつもりでいるから。
『ひとまず泣き止みました。今日はあまりミアに無理をさせない様お願いします』
そうヴォイドにだけ返しておく。すぐに既読が付き、一言『了解』とだけ送られてきた。
まだ手に残る彼女の温もりに珍しくネビロスは少しだけ頬を赤く染める。柔らかく、自分より小さな彼女が確かにこの手の中に居た事を思い出しながらネビロスは静かに部屋に戻った。
業務の事を考えると口にして良い言葉ではない気がするが、そんな事をアペルピシアは呟く。同じ事を思った様でこれにはヴォイドも頷いた。
「 同感 」
「…連絡しておいてくれる？彼に」
「良いよ。仕事じゃないし人事部も煩く言わないよきっと」
ヴォイドは端末を取り出すと、その場でネビロスにメッセージを送った。
癪ではあるが、ミアの話を持ち出され人事部のあの男に説教までされ、色々と思うところがあったネビロスはこの日大人しく部屋に居た。アペルピシアに診察もしてもらい、軽めの薬も出してもらい、少しだけ部屋で大人しくすると言う訓練を始めたのだ。
ミアの話をあの男に持ち出されたのは癪だし、あの男に言いくるめられたのはもっと癪だけれど。それでも反発を続けているのは大人気ないしこれ以上周りに迷惑を掛けるわけにはいかない。そう納得させていたら端末が震えた。ヴォイドからメッセージだ。
珍しいと思いつつ開くと、「ミアが泣いてる。出て来て」と書かれていた。
「…いきなり何ですか？」
詳しくお願いします、とネビロスは返す。すぐにヴォイドからまたメッセージが入った。
「ミアが情緒不安定。愛の日は花屋の掻き入れ時だから昔を思い出したのかも。パパ、ママ、お姉ちゃんって呟いてたから。泣いてトイレに行った。手が離せないから様子見て来て」
淡々と送られてくるその言葉からも今のミアの様子が容易に想像できた。ネビロスは電気を消すと部屋を後にする。医療班に一番近いトイレ付近から探そうと歩みを進めた。
廊下にコツコツと靴音が響く。今は誰も歩いていないから、ネビロスの靴音だけが大きく聞こえる。その内、靴音に混じって少し声が聞こえた。
「…やはりこの階か」
ミアの泣く声。居ても立っても居られず、ネビロスは小走りに向かう。すると、一瞬泣く声が消え、前方から自分の頬を撫でながらミアが歩いて来た。
「ミア……？」
思わず姿を捉えた瞬間彼女の名前を呼んでしまう。ミアはネビロスの登場に驚き、泣いた顔を見られたく無かったのか下を向いてしまった。
「お休みの日に働いたらダメですよ？」
泣いていた姿を見せない様にして、こんな時までネビロスの心配を口にするミア。ネビロスは胸がキュッと詰まる感じがした。
彼女が今どれだけの感情を背負っているのか。心配でどうしても顔を見たくなったネビロスは、不躾だとは思いながらもミアに近付くと顎に手を添えクイっと持ち上げた。すると真っ赤になったミアはそのままふらつき、ネビロスも急な事で彼女を壁際まで追い詰めてしまう。改めて見ると向き合ったその顔は上気した様に赤くなり、目には涙を溜め込んでいた。
「……ミアが泣いていると報告を受けまして」
壁まで彼女を追い詰めた事を謝るべきかもしれないが、先に出たのは違う言葉だった。
「貴重なお休みにごめんなさい」
尚も絞り出されるネビロスを気遣う言葉。大人であろうとするのか、少し無理をしがちなミア。
昨年は家族と一緒だったのに何で今年は一人なんだろうって思ったら悲しくなっちゃった。きっとそう零した言葉が彼女の本心にして今一番の悲しみなのだろう。それなのに、ミアは一息に続ける。
「でも良く考えたら皆そうですもんね」だなんて、そんなに利口にならずとも、背伸びして早く大人になろうとしなくとも良いのに。
つい数分前。部屋にいてルミエルの事を考えていた。昨年までの愛の日はもっぱら家族で過ごす事が多く、ネビロスが作るお菓子を皆で切り分けて食べる日になっていた。あの暖かい光景をどんなに望んでももう手にする事は出来ない。
酷い喪失感に支配されているのは事実で、未だに時折夢に見てしまう。
それでも今この瞬間だけは、ミアの悲しみを少しでも受け入れてあげたかった。彼女が急いで大人になろうとしなくて良い様に、誰かに自然に寄り掛かれる様に。
「ミア。他者と哀しみの軽重を比較する必要はありません。誰が最も辛い喪失か、という問いは決して答えなんて出ません 」
顎に添えていた手で頬をなぞる。自分を見つめる綺麗な空色の瞳を見つめ返したら、何だかネビロスが泣きたくなってしまった。悲しいでもなく辛いでもなく。綺麗過ぎて泣きたくなってしまった。
「 だから皆そうだからと言って無理に泣くのを我慢する必要は無いんです 」
そう言うと、泣き止んだはずのミアの瞳から涙が溢れる。頬に添えた手に触れる涙をネビロスは愛おしそうに見つめた。
自分は最低だ、とネビロスは思う。
まだ過去の事は何一つ乗り越えられる気がしない。正直ルミエルとの思い出を未だに夢に見るし、夜中に不意に彼女を渇望する事もある。心の拠り所にする事もある。それなのに、今ミアから向けられる想いも求めてしまう。心の中に亡き妻をずっと強く住まわせておいて、同じ様に家族を喪った悲しみに泣くミアの傍に一番居られるのが自分であれば良いとそう思うだけでなく、そこに愛しさまで感じ傍で見ていたいとも思う。
自分ではなくもっと良い人が現れたら…とも思った事はあったが。おそらく現れたら現れたで渡したくないと考えてしまうだろう。
正月、ミアを綺麗にしたのがテディだと聞いて少しだけ胸がざわついた自分を思い出していた。
「ネビロスさん」
「はい」
「少しだけぎゅっとしてても良いですか？」
もしも本当に彼女に想われていたら。ルミエルの思い出に囚われている自分では釣り合わないからと彼女を突き放す事も考えた。
だけど、今はもうそんな事は考えられない。ミアへの気持ちもとっくに歯止めの効かないところまで来ているのだから。
「はい……」
自分の背に回されたミアの細い腕。ここで何もせず、肩に手を置くか頭を撫でるかすれば、一般的にはそれが大人な対応だったかもしれない。
でもそれは難しそうだ。彼女が泣いていて判断が付かないのを良い事に、今までずっと傍に居てくれた彼女の体を初めてそっと抱き締めた腕が自分の気持ちを表しているとネビロスは思った。
もうきっと想いに蓋をして止める事は出来ない。きっと求めるところまで求めてしまう。
やがて泣き止んだミアは顔を上げると、こう口にした。
「 私、愛の日に絶対にネビロスさんに葉の付いた赤い薔薇を贈ります 」
きっとその花には彼女の気持ちにまつわる何かがあるのかもしれない。ミアは花屋の娘だけあって花に詳しく、花言葉もすぐ浮かぶだろうから。
けれど今は敢えて花言葉は調べない。
「 はい。お待ちしておりますね 」
ただ頷いて、いつも通りの笑顔を見せて仕事に戻ることが出来たミアを見送るだけ。
その花言葉がどんな想いでも、受け止めるつもりでいるから。
『ひとまず泣き止みました。今日はあまりミアに無理をさせない様お願いします』
そうヴォイドにだけ返しておく。すぐに既読が付き、一言『了解』とだけ送られてきた。
まだ手に残る彼女の温もりに珍しくネビロスは少しだけ頬を赤く染める。柔らかく、自分より小さな彼女が確かにこの手の中に居た事を思い出しながらネビロスは静かに部屋に戻った。
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