愛の日の終わりに安心を君に／燐花
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rinka_creation 2021年03月01日(月) 16:03:43履歴
ユウヤミと電話した。どこに居るのか分からず探していた彼と。ただそれだけで嬉しくなった。その後会いに来てくれて少しお茶が出来てもっともっと嬉しくなったし思わず触れてしまったふわふわの髪は猫みたいで気持ちよかった。
テオも来た。今日一日ずっと会えなくて、でもチョコをあげたかったから探していたテオ。遅い時間に来て何かと思ったら、十五歳の気分になれなんて。
「愛してる…」
自分の口で彼の言った言葉を紡いでぼっと顔が赤くなる。皆どうしたんだろう、今日に限って。ただただ何も考えず、どうなりたいともしっかり考えておらず、消滅の神様が怖くて踏み込まなかったのに。いざ少し踏み込む様に愛の日を楽しんだら色んな人から色んな愛情をいっぺんに受け、ヴォイドは少しだけ慣れない気持ちにパニックになった。
消滅の神様は、彼女の面倒を見てくれた娼婦の女達が教えてくれた例えだった。
好きだと思った男と必ずしも添い遂げられるわけでは無い。どうしても諦めないといけない時は、添い遂げられる相手でもないのに踏み込み過ぎたからと神様が諌める為に相手との縁を消してしまうのだと。だからどうあっても仕方ないと諦めるしかないのだと、そう言っていた。そう思う事で諦めが付く。そう言って他所に逃げて地上の世界に馴染めず暮らしていく者も、心中する者も減るのだと。超常的な理由でも付けて諦める事で生きてる今が大事になるから。
嘘だと思った。子供騙しの嘘だ。でも、現に好きな人はヴォイドの元から消えた。一人は、ずっと好きだったのに自分が外に出れず会えなくなった事で気持ちに蓋をした。もう一人は、その時外に出れなくした張本人ではあるが、紆余曲折あって恋をしたものの結局いなくなってしまう。色々巻き込まれて動けない様にされていただとか、どうしても戻るに戻れない理由で岸壁街から離れたとか、噂だけならいくらでも聞いた。でも、再会した後も本人の口からまだ真相を聞けていないからモヤモヤする。
もし、また誰かを好きになってしまったとしてその人が居なくなってしまったら。
どうしよう。そもそもどんな顔をして明日から過ごせば良いんだろう。ぼーっと貰ったお菓子を眺めていると、ドアをコンコンと叩く音がした。
ぴっとドアの方を見る。一応、テオフィルスにもユウヤミにも言われてすぐだったし、一日に訪ねてきた人二人から全く同じ指摘をされたので試しに鍵を掛けてみた。こんな時間に誰だろうかとドアに近付くと、相手もそんなヴォイドに気付いたのか声を発する。
「ヴォイド、遅くにすみません。今大丈夫です？」
すぐ頭に浮かぶ声の主。きっと彼はいつものスーツに身を包み、ピシッと隙なくセットしてドアの向こうで目を細めて笑ってる。ヴォイドはただでさえパニックなのにどうしようかと考えつつもドアノブに手を掛けた。
「あ…顔見えないし開けた方が良い？」
「いや？ここで良いですよ。こんな時間に貴女を前にしたら迷う事なく襲う自信がありますし、ドア一枚隔てた方が丁度いい」
そのいつもの感じを聞いて途端に冷静になった。そう言えばこいつ、昼間に散々色々掻き回して危うく自分も「闘うお医者さん」なんてリングネームが似合う闘士になりかけたのだ。
「ご存知の通り、本来貴女と言う据え膳前にして待てが出来る人間ではないですから」
「………本当何しに来たの？」
「せっかくの愛の日なんで、お話をしに。昔は貴女に夢中なあまりこんな日に話らしい話をした記憶が無かったもので」
「…そう言えばそうだったよね、変態」
「うふふふ…今もヴォイドの為なら昼夜問わず何回でも頑張れちゃいますけどね。でもそれより今日は、貴女と話がしたかったんです」
ドアに背をもたれてみる。分厚いドアは当然の如く一枚隔てた向こうのロードの体温なんて伝えてはくれない。見えないし本当に人がそこに居るのか、分からないくらいドアは空虚だと思った。
「話って…何…？」
「んー…世間話ですかね？今日一日ちゃんと楽しめました？」
「何急に…」
「貴女もここに来て居心地が良さそうだったのでどうだったかな？と思ったんですよ」
それを聞いてヴォイドは黙り込む。居心地が良くなって、いつしか強欲になって。子供騙しの嘘だと笑い飛ばしたかった消滅の神様にまた大事なものを消される気がして。でも前より強欲になって居心地の良さも知ってしまったから、きっともし次誰かを消されたら自分は立ち直れないかもしれない。
「怖い…」
「え？」
「私、怖い…」
「…どうしました？誰かに何かされました？」
「違う…今日一日、色んな事が起きた。きっと、幸せなんだと思う…のに、素直に喜べない…。喜んだらその瞬間、皆無くなって手から零れ落ちて、ああこれは夢だったんだって思い知る気がして…そうなって欲しくないって思えば思う程、そうなった時を想像したら怖い…誰かを好きだと思うのも、好かれるのも怖い…」
こんな時、ロザリーならどうするんだろう。ベルナールに抱きしめてもらって、フランソワを抱き締めて、そうやって幸せを噛み締める？ミアはどうしてあんなに人を好きになって強くあれるのだろう？
テオフィルスは？どんな気持ちで今日伝えてくれた？ユウヤミは？あれだけ疲れた顔をしてそれでも来てくれた彼は自分に何を求めている？今日、そこに損得はあった？関係無しに来てくれた？
そもそも皆、どうして怖くないんだろう？
ガチャリと音がしてドアが開く。思わずその場から離れると、そこに居たのは髪の毛は乱れてパジャマ代わりなのかスウェットを着たロード。あまりに普段の彼らしからぬ少し力の抜けた格好だったのでヴォイドは一瞬これが誰か分からなかった。
しかし、瞬時に状況を把握し思った。鍵はどうした。
「あ、お前、鍵…！」
「ンなもんヘアピン一本で解錠です」
ずんずん入ってくるとヴォイドの手を引っ張り親猫が子猫にする様にロードは彼女を強く抱き締める。そしてそのままヴォイドを抱える様にして壁にもたれて座り込んだ。ヴォイドは一瞬びくりと体を硬直させたが、すぐに力を込めて暴れる準備をする。
「よしよし…何だか昔より怖がりさんになりましたね、可愛いですけど」
「え……」
解放しろと暴れようと思ったのに。文句を言おうと思ったのに、言葉は口から出てこなかった。あまりにも優しく撫でて、優しい声音で言うものだから。それを聞いたからか、悲しいでも嬉しいでもないのにヴォイドの瞳に涙が溜まる。
「感情が昂ると涙が出るタイプなんですね。大丈夫ですよ恥ずかしがらなくても。意外に居ますからそう言う人」
「何で…」
「今日色々あったんですね…珍しくキャパオーバーするくらいには。よしよし、大丈夫ですよ、何も無くなりませんから」
ふわりとシャンプーの良い匂いがする。何故ロードがこんな格好で来たのかヴォイドは考えた。本当は風呂上がりで寝るところだったんじゃないか。自分は悩み過ぎてまだシャワーすら浴びていない。それに気付いたヴォイドは少し力を込めてロードの胸を押した。
「どうしました？」
「私…まだシャワー浴びてないから…」
「…これがベッドの上で言われたなら尚嬉しいんですけど……ああ、良いですよ別に。大人になった今は薬品の匂いが貴女らしい気がします。それに今離したら、きっと余計不安になるでしょう？泣けるならしっかり泣いた方が良いですよ。特に貴女みたいな子は。ね？」
そう言ってまたヴォイドを胸に仕舞い込む様に抱きしめたロード。ヴォイドは静かに目を伏せる。
悲しくはない。何も辛くない。ただ、今日一日あらゆる人の愛に触れて、幸せを自覚して怖くなってしまっただけ。悲しい事なんて何も無いのに、涙が出るのは何故だろう。
お母さん。ねえ、お母さん。
記憶にも何も無い母の事を考えてしまう。ロザリーみたく優しく包んでくれるのかな？と思いを馳せて。
ロードは何を言うでもなく、ただただヴォイドの頭を優しく撫で続けた。
「消滅の神様って知ってる…？」
「いいえ、でも名前から想像は付きますね」
「…神様が私から最初に奪ってったのは多分、お母さん…」
「…そうですか」
それ以上ロードは何も言わない。ただただ子供の様に涙を流すヴォイドに優しく触れていた。
「全く…ライバルが多くて困りますね本当に」
「え？」
「うかうかしてたら危ないんですよ。消えてくれりゃあ良いんですけどね。今更消そうとしても消えそうに無い人間ばかり貴女を気に掛けているので」
ぽかんとした顔で覗き込んでくるヴォイドに少しどきりとする。本当は、気付いていないなら言わない方が自分にとって都合が良い。だが、あれだけ不安そうな顔で泣いた彼女を見てしまっては言わないわけにもいかず。
ロードはやれやれと言う表情を見せた後に少し困った様に微笑んだ。
「私は…貴女が好きです。愛してます。ずっとずっと、ずっと貴女だけを愛してます。…しかし残念ながら一筋縄じゃいかないみたいでしてね。私と同じ想いを持った人間が何人かいるんですよ」
「え…」
「…鈍感ですねぇ。今貴女を好きな人達は仮に貴女が同じ目で相手を見たとして、そう簡単に消えてくれなさそうな人間ばかりだと言ってるんです」
消えてくれりゃあ私としては楽なんですけど。そう言って悪態をつきながらロードは少し頬を染める。
「…誰に何を思っても、消えない…？」
「………ええ」
一世一代のつもりで言った告白が軽くスルーされ少し泣きそうになりながらも誤魔化す様にトントンと優しく落ち着かせようと彼女の背中を叩く、少しヤケクソになったロードだった。
「消えません。絶対に消えません。もう貴女とそのふざけた神様の縁は切れました！」
少なくとも私は絶対居なくなりません！と強調するロードを見てヴォイドは少し笑う。
「だから…安心して少しずつ貴女も人へ愛を向けて下さい。男性も女性も関係なく。ミアさんも、頼りない男性ですけど彼女を守ってくれる人が居ますから大丈夫です。すぐ倒れてた人ですけど、傍にちゃあんと居ますから、怖がらなくて大丈夫ですからね」
「…うん」
「誰に対して好きな気持ちを返しても、誰も居なくなりません」
まあ私が一番確実ですけど。尚もそう強調するロードにヴォイドは更に微笑む。その拍子に目に溜まっていた最後の涙がふっと溢れて落ちた。
ロザリーが最初に言ってくれた。消滅の神様なんて居てたまるもんですかと。その言葉が嬉しくていつもより色んな人をちゃんと見ようと思った。でも、見たら想像以上に自分の事を大事に思ってくれる人が多くて、その気持ちに何かむずむずして、嬉しくて。
「幸せ」の単語が頭をチラついた瞬間、一気に怖くなった。もしも自覚してしまったら、それが全く無かった岸壁街 にはきっともう戻れない。
「…もう泣き止んだみたいですね。よしよし、やっぱり泣いた顔より笑った顔の方が好きですよ」
指で掬い上げる様にヴォイドの涙の跡をなぞる。彼女の顔は晴れやかだった。
「ロード」
不意にヴォイドがロードの名前を口にする。実に十年ぶりに聞いたそれにロードは目を丸くした。
「今…名前…」
「うん…ありがとう、ロード」
二人の間に沈黙が降り掛かる。まさか名前を呼ばれると思っていなかったロードは目を丸くしたまま黙ってしまったし、とは言え黙られた事で気にするかと言うとヴォイドはそうでもなかった。特に気にするでも無く次の言葉を待っていると、ロードはわなわなと震え口を開く。
「今すぐトイレを貸すか部屋に帰らせてください！」
「え、何て？」
「よく考えたら二週間近くほぼ毎日仕事後に野郎の料理の世話しててまともにヌけてない状態で私もよく深夜にヴォイドの部屋に入り剰えほぼ下着みたいな貴女を抱き締めたまま耐えているなぁと！それだけで何もしなかった己の鋼鉄の理性を思い切り褒めたいところです！よってこれは生理現象なので叫ばないでください！」
「は、え、何の話？」
「気付かないならそのまま気付かず居てください！」
一言で捲し立てる様に言うとヴォイドの体を優しく離し立ち上がる。ヴォイドは一瞬気付かなかった様だがロード本人にとっては死活問題だった。そのまま早足で玄関に向かうが、ドアの前でピタリと止まると少しだけ目線をヴォイドに向ける。
「…もう大丈夫ですか？それでも、貴女がまだ不安なら…もう少しだけ心頭滅却して我慢する事も出来なくないですけど」
「アレだけ色々言われて何だか気付いた上でまた頼むほど向こう見ずの馬鹿じゃない」
「…それは何よりで。私もどこかの悪戯っ子の所為で一週間程禁酒になっていますし今日は間違いが起きても酒の所為に出来ないんですよ」
ロードは部屋を出る前に「あ」と声を漏らししっかりとヴォイドを見る。これだけは確認したかった。そう言わんばかりに優しく口を開いた。
「今日一日、良い日でした？」
朝から色々考えて正直疲れてしまった一日。色んな事がいっぺんに起こり過ぎてまだまだ処理は出来ないけれど、一つ確実なのは、誰に会って話をした時もとても幸せだと感じていた事。
「うん…フランソワにプロポーズされちゃったし…」
「ほう…？」
「…なんて顔してるの。まだ子供だよフランソワ」
「うふふ…若い芽は早めに摘まなければ」
どこまで本気だか冗談だか分からない顔で冗談を言い放ったロードは、一際安心した表情をヴォイドに向けた。
「でも、そんな幼い子にプロポーズさせてしまったとあれば尚更気持ちはしっかり返さなきゃいけませんね。とても良い一日を過ごせた様で何よりです。貴女が幸せそうだと私も嬉しい」
「…うん、ありがとう…ロード」
「………やっぱり今トイレ貸してください」
「もう部屋に入れない早く帰れ」
最後まで格好の決まらないやり取りを終えてそれでも少し嬉しそうに一言、おやすみなさいと口にするとロードは帰って行った。何かやたら疲れたな、と思いながら明日は休みだしこのまま寝てしまおうとベッドに入る。
「あ。あいつにあげてない…」
貰うばかりでロードに今日一日何も渡していない。流石にそれは失礼過ぎるかと思い、近い内に何かを渡そうと心に決める。実は、「せっかくの愛の日だし貰えたりしないだろうか」と顔を出しに来たロード。彼にとっては嬉しい判断となった。
「あ…結局聞けてない…」
そう言えばせっかく二人でいたのに、昔の話や聞きたい事を何も聞き出せなかった。まあ、良いか。また聞けば。
今日一日あった事を思い出して顔を赤くする。何だか皆、あたたかかったなぁ。
私溶けそう。チョコみたいに。
そんな事を思っていたらいつしか眠ってしまった。眠る直前、鍵を掛けてもあいつ入って来れるのかとロードに対してまた別の不安を抱いたりしたが、まあ良いや今日のところは。
テオも来た。今日一日ずっと会えなくて、でもチョコをあげたかったから探していたテオ。遅い時間に来て何かと思ったら、十五歳の気分になれなんて。
「愛してる…」
自分の口で彼の言った言葉を紡いでぼっと顔が赤くなる。皆どうしたんだろう、今日に限って。ただただ何も考えず、どうなりたいともしっかり考えておらず、消滅の神様が怖くて踏み込まなかったのに。いざ少し踏み込む様に愛の日を楽しんだら色んな人から色んな愛情をいっぺんに受け、ヴォイドは少しだけ慣れない気持ちにパニックになった。
消滅の神様は、彼女の面倒を見てくれた娼婦の女達が教えてくれた例えだった。
好きだと思った男と必ずしも添い遂げられるわけでは無い。どうしても諦めないといけない時は、添い遂げられる相手でもないのに踏み込み過ぎたからと神様が諌める為に相手との縁を消してしまうのだと。だからどうあっても仕方ないと諦めるしかないのだと、そう言っていた。そう思う事で諦めが付く。そう言って他所に逃げて地上の世界に馴染めず暮らしていく者も、心中する者も減るのだと。超常的な理由でも付けて諦める事で生きてる今が大事になるから。
嘘だと思った。子供騙しの嘘だ。でも、現に好きな人はヴォイドの元から消えた。一人は、ずっと好きだったのに自分が外に出れず会えなくなった事で気持ちに蓋をした。もう一人は、その時外に出れなくした張本人ではあるが、紆余曲折あって恋をしたものの結局いなくなってしまう。色々巻き込まれて動けない様にされていただとか、どうしても戻るに戻れない理由で岸壁街から離れたとか、噂だけならいくらでも聞いた。でも、再会した後も本人の口からまだ真相を聞けていないからモヤモヤする。
もし、また誰かを好きになってしまったとしてその人が居なくなってしまったら。
どうしよう。そもそもどんな顔をして明日から過ごせば良いんだろう。ぼーっと貰ったお菓子を眺めていると、ドアをコンコンと叩く音がした。
ぴっとドアの方を見る。一応、テオフィルスにもユウヤミにも言われてすぐだったし、一日に訪ねてきた人二人から全く同じ指摘をされたので試しに鍵を掛けてみた。こんな時間に誰だろうかとドアに近付くと、相手もそんなヴォイドに気付いたのか声を発する。
「ヴォイド、遅くにすみません。今大丈夫です？」
すぐ頭に浮かぶ声の主。きっと彼はいつものスーツに身を包み、ピシッと隙なくセットしてドアの向こうで目を細めて笑ってる。ヴォイドはただでさえパニックなのにどうしようかと考えつつもドアノブに手を掛けた。
「あ…顔見えないし開けた方が良い？」
「いや？ここで良いですよ。こんな時間に貴女を前にしたら迷う事なく襲う自信がありますし、ドア一枚隔てた方が丁度いい」
そのいつもの感じを聞いて途端に冷静になった。そう言えばこいつ、昼間に散々色々掻き回して危うく自分も「闘うお医者さん」なんてリングネームが似合う闘士になりかけたのだ。
「ご存知の通り、本来貴女と言う据え膳前にして待てが出来る人間ではないですから」
「………本当何しに来たの？」
「せっかくの愛の日なんで、お話をしに。昔は貴女に夢中なあまりこんな日に話らしい話をした記憶が無かったもので」
「…そう言えばそうだったよね、変態」
「うふふふ…今もヴォイドの為なら昼夜問わず何回でも頑張れちゃいますけどね。でもそれより今日は、貴女と話がしたかったんです」
ドアに背をもたれてみる。分厚いドアは当然の如く一枚隔てた向こうのロードの体温なんて伝えてはくれない。見えないし本当に人がそこに居るのか、分からないくらいドアは空虚だと思った。
「話って…何…？」
「んー…世間話ですかね？今日一日ちゃんと楽しめました？」
「何急に…」
「貴女もここに来て居心地が良さそうだったのでどうだったかな？と思ったんですよ」
それを聞いてヴォイドは黙り込む。居心地が良くなって、いつしか強欲になって。子供騙しの嘘だと笑い飛ばしたかった消滅の神様にまた大事なものを消される気がして。でも前より強欲になって居心地の良さも知ってしまったから、きっともし次誰かを消されたら自分は立ち直れないかもしれない。
「怖い…」
「え？」
「私、怖い…」
「…どうしました？誰かに何かされました？」
「違う…今日一日、色んな事が起きた。きっと、幸せなんだと思う…のに、素直に喜べない…。喜んだらその瞬間、皆無くなって手から零れ落ちて、ああこれは夢だったんだって思い知る気がして…そうなって欲しくないって思えば思う程、そうなった時を想像したら怖い…誰かを好きだと思うのも、好かれるのも怖い…」
こんな時、ロザリーならどうするんだろう。ベルナールに抱きしめてもらって、フランソワを抱き締めて、そうやって幸せを噛み締める？ミアはどうしてあんなに人を好きになって強くあれるのだろう？
テオフィルスは？どんな気持ちで今日伝えてくれた？ユウヤミは？あれだけ疲れた顔をしてそれでも来てくれた彼は自分に何を求めている？今日、そこに損得はあった？関係無しに来てくれた？
そもそも皆、どうして怖くないんだろう？
ガチャリと音がしてドアが開く。思わずその場から離れると、そこに居たのは髪の毛は乱れてパジャマ代わりなのかスウェットを着たロード。あまりに普段の彼らしからぬ少し力の抜けた格好だったのでヴォイドは一瞬これが誰か分からなかった。
しかし、瞬時に状況を把握し思った。鍵はどうした。
「あ、お前、鍵…！」
「ンなもんヘアピン一本で解錠です」
ずんずん入ってくるとヴォイドの手を引っ張り親猫が子猫にする様にロードは彼女を強く抱き締める。そしてそのままヴォイドを抱える様にして壁にもたれて座り込んだ。ヴォイドは一瞬びくりと体を硬直させたが、すぐに力を込めて暴れる準備をする。
「よしよし…何だか昔より怖がりさんになりましたね、可愛いですけど」
「え……」
解放しろと暴れようと思ったのに。文句を言おうと思ったのに、言葉は口から出てこなかった。あまりにも優しく撫でて、優しい声音で言うものだから。それを聞いたからか、悲しいでも嬉しいでもないのにヴォイドの瞳に涙が溜まる。
「感情が昂ると涙が出るタイプなんですね。大丈夫ですよ恥ずかしがらなくても。意外に居ますからそう言う人」
「何で…」
「今日色々あったんですね…珍しくキャパオーバーするくらいには。よしよし、大丈夫ですよ、何も無くなりませんから」
ふわりとシャンプーの良い匂いがする。何故ロードがこんな格好で来たのかヴォイドは考えた。本当は風呂上がりで寝るところだったんじゃないか。自分は悩み過ぎてまだシャワーすら浴びていない。それに気付いたヴォイドは少し力を込めてロードの胸を押した。
「どうしました？」
「私…まだシャワー浴びてないから…」
「…これがベッドの上で言われたなら尚嬉しいんですけど……ああ、良いですよ別に。大人になった今は薬品の匂いが貴女らしい気がします。それに今離したら、きっと余計不安になるでしょう？泣けるならしっかり泣いた方が良いですよ。特に貴女みたいな子は。ね？」
そう言ってまたヴォイドを胸に仕舞い込む様に抱きしめたロード。ヴォイドは静かに目を伏せる。
悲しくはない。何も辛くない。ただ、今日一日あらゆる人の愛に触れて、幸せを自覚して怖くなってしまっただけ。悲しい事なんて何も無いのに、涙が出るのは何故だろう。
お母さん。ねえ、お母さん。
記憶にも何も無い母の事を考えてしまう。ロザリーみたく優しく包んでくれるのかな？と思いを馳せて。
ロードは何を言うでもなく、ただただヴォイドの頭を優しく撫で続けた。
「消滅の神様って知ってる…？」
「いいえ、でも名前から想像は付きますね」
「…神様が私から最初に奪ってったのは多分、お母さん…」
「…そうですか」
それ以上ロードは何も言わない。ただただ子供の様に涙を流すヴォイドに優しく触れていた。
「全く…ライバルが多くて困りますね本当に」
「え？」
「うかうかしてたら危ないんですよ。消えてくれりゃあ良いんですけどね。今更消そうとしても消えそうに無い人間ばかり貴女を気に掛けているので」
ぽかんとした顔で覗き込んでくるヴォイドに少しどきりとする。本当は、気付いていないなら言わない方が自分にとって都合が良い。だが、あれだけ不安そうな顔で泣いた彼女を見てしまっては言わないわけにもいかず。
ロードはやれやれと言う表情を見せた後に少し困った様に微笑んだ。
「私は…貴女が好きです。愛してます。ずっとずっと、ずっと貴女だけを愛してます。…しかし残念ながら一筋縄じゃいかないみたいでしてね。私と同じ想いを持った人間が何人かいるんですよ」
「え…」
「…鈍感ですねぇ。今貴女を好きな人達は仮に貴女が同じ目で相手を見たとして、そう簡単に消えてくれなさそうな人間ばかりだと言ってるんです」
消えてくれりゃあ私としては楽なんですけど。そう言って悪態をつきながらロードは少し頬を染める。
「…誰に何を思っても、消えない…？」
「………ええ」
一世一代のつもりで言った告白が軽くスルーされ少し泣きそうになりながらも誤魔化す様にトントンと優しく落ち着かせようと彼女の背中を叩く、少しヤケクソになったロードだった。
「消えません。絶対に消えません。もう貴女とそのふざけた神様の縁は切れました！」
少なくとも私は絶対居なくなりません！と強調するロードを見てヴォイドは少し笑う。
「だから…安心して少しずつ貴女も人へ愛を向けて下さい。男性も女性も関係なく。ミアさんも、頼りない男性ですけど彼女を守ってくれる人が居ますから大丈夫です。すぐ倒れてた人ですけど、傍にちゃあんと居ますから、怖がらなくて大丈夫ですからね」
「…うん」
「誰に対して好きな気持ちを返しても、誰も居なくなりません」
まあ私が一番確実ですけど。尚もそう強調するロードにヴォイドは更に微笑む。その拍子に目に溜まっていた最後の涙がふっと溢れて落ちた。
ロザリーが最初に言ってくれた。消滅の神様なんて居てたまるもんですかと。その言葉が嬉しくていつもより色んな人をちゃんと見ようと思った。でも、見たら想像以上に自分の事を大事に思ってくれる人が多くて、その気持ちに何かむずむずして、嬉しくて。
「幸せ」の単語が頭をチラついた瞬間、一気に怖くなった。もしも自覚してしまったら、それが全く無かった
「…もう泣き止んだみたいですね。よしよし、やっぱり泣いた顔より笑った顔の方が好きですよ」
指で掬い上げる様にヴォイドの涙の跡をなぞる。彼女の顔は晴れやかだった。
「ロード」
不意にヴォイドがロードの名前を口にする。実に十年ぶりに聞いたそれにロードは目を丸くした。
「今…名前…」
「うん…ありがとう、ロード」
二人の間に沈黙が降り掛かる。まさか名前を呼ばれると思っていなかったロードは目を丸くしたまま黙ってしまったし、とは言え黙られた事で気にするかと言うとヴォイドはそうでもなかった。特に気にするでも無く次の言葉を待っていると、ロードはわなわなと震え口を開く。
「今すぐトイレを貸すか部屋に帰らせてください！」
「え、何て？」
「よく考えたら二週間近くほぼ毎日仕事後に野郎の料理の世話しててまともにヌけてない状態で私もよく深夜にヴォイドの部屋に入り剰えほぼ下着みたいな貴女を抱き締めたまま耐えているなぁと！それだけで何もしなかった己の鋼鉄の理性を思い切り褒めたいところです！よってこれは生理現象なので叫ばないでください！」
「は、え、何の話？」
「気付かないならそのまま気付かず居てください！」
一言で捲し立てる様に言うとヴォイドの体を優しく離し立ち上がる。ヴォイドは一瞬気付かなかった様だがロード本人にとっては死活問題だった。そのまま早足で玄関に向かうが、ドアの前でピタリと止まると少しだけ目線をヴォイドに向ける。
「…もう大丈夫ですか？それでも、貴女がまだ不安なら…もう少しだけ心頭滅却して我慢する事も出来なくないですけど」
「アレだけ色々言われて何だか気付いた上でまた頼むほど向こう見ずの馬鹿じゃない」
「…それは何よりで。私もどこかの悪戯っ子の所為で一週間程禁酒になっていますし今日は間違いが起きても酒の所為に出来ないんですよ」
ロードは部屋を出る前に「あ」と声を漏らししっかりとヴォイドを見る。これだけは確認したかった。そう言わんばかりに優しく口を開いた。
「今日一日、良い日でした？」
朝から色々考えて正直疲れてしまった一日。色んな事がいっぺんに起こり過ぎてまだまだ処理は出来ないけれど、一つ確実なのは、誰に会って話をした時もとても幸せだと感じていた事。
「うん…フランソワにプロポーズされちゃったし…」
「ほう…？」
「…なんて顔してるの。まだ子供だよフランソワ」
「うふふ…若い芽は早めに摘まなければ」
どこまで本気だか冗談だか分からない顔で冗談を言い放ったロードは、一際安心した表情をヴォイドに向けた。
「でも、そんな幼い子にプロポーズさせてしまったとあれば尚更気持ちはしっかり返さなきゃいけませんね。とても良い一日を過ごせた様で何よりです。貴女が幸せそうだと私も嬉しい」
「…うん、ありがとう…ロード」
「………やっぱり今トイレ貸してください」
「もう部屋に入れない早く帰れ」
最後まで格好の決まらないやり取りを終えてそれでも少し嬉しそうに一言、おやすみなさいと口にするとロードは帰って行った。何かやたら疲れたな、と思いながら明日は休みだしこのまま寝てしまおうとベッドに入る。
「あ。あいつにあげてない…」
貰うばかりでロードに今日一日何も渡していない。流石にそれは失礼過ぎるかと思い、近い内に何かを渡そうと心に決める。実は、「せっかくの愛の日だし貰えたりしないだろうか」と顔を出しに来たロード。彼にとっては嬉しい判断となった。
「あ…結局聞けてない…」
そう言えばせっかく二人でいたのに、昔の話や聞きたい事を何も聞き出せなかった。まあ、良いか。また聞けば。
今日一日あった事を思い出して顔を赤くする。何だか皆、あたたかかったなぁ。
私溶けそう。チョコみたいに。
そんな事を思っていたらいつしか眠ってしまった。眠る直前、鍵を掛けてもあいつ入って来れるのかとロードに対してまた別の不安を抱いたりしたが、まあ良いや今日のところは。
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