愛の日に恋の自覚を君に／燐花
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rinka_creation 2021年08月28日(土) 23:10:38履歴
『すみませんファンさん…明日は私は…第三小隊は支部勤務なんですぅ…』
愛の日の前日に食事に誘い、まさかの断りを入れられてしまった。断られるとは思っていなかったギャリーにとって、それは予想外に大変ショッキングな出来事であった。
そんな想いも抱えてここまで来た。しかし、ギャリーは足がすくんだ様に店の看板を見上げたまま立ち尽くしてしまった。色々と考えたら今日は愛の日。男一人こんなところに居るのもなんと言うか、文字通り負けた様な気がしてしまう。しかしそれでも意を決してここに来た訳だし、せっかく通常よりもお財布に優しい仕様で行けるとあればここで引き返すわけにもいかない。
「…何躊躇ってんだ、俺…」
小綺麗だがいかにも な店の外観のせいか、それとも昨日誘いを断られてからずっと意識していたからか、今日に限って支部勤務で留守にしているセリカの事が頭から離れない。
云々唸るように頭を抱えて悩んで悩んで、数分後意を決した様にギャリーは店の入り口に足を踏み入れた。元気の良い店員に挨拶され少し落ち着かない様に携帯端末を取り出し必要なものを提示する。その間も周りを気にして人を気にして、後ろめたさでも感じているのだろうか。
「…そもそも俺、何で後ろめたさなんて感じてるんだっけ…」
ギャリーは個室に促され渡された用紙に希望を書き込んだ。何だかそれら全てがセリカに集約されている様で、今彼女はここに居ないのにその存在を大きく感じるのは、自分の心にこれでもかと彼女が染み付いているからだ。
「はぁ…」
気を抜くと出てしまうのは溜息。ギャリーは数時間前の、もう少し余裕のあった時の事を思い出していた。あの黒い男の笑顔すら今思い返すと小憎たらしく感じる。
──うふふ。なるほどなるほど、貴方も存外分かりやすいんですねぇ。好きになるとどこまでも姿を追い掛けてしまうタイプです？
しゃらうるせぇ。良いだろうが別に。お前だって普通の恋バナ普通にしたら面白いくらい真っ赤になるくせに。
せっかくの愛の日、まともに話をしたのが今のところ男性だけだったのを思い出してギャリーは少しだけ悲しくなっていた。
* * *
朝、最初に会ったのはアルヴィだった。
「なぁ、今日はギルバート休み？」
冬の寒さが骨身に沁みる朝、まるで暖を取る様にその赤い髪に吸い寄せられて行く。アルヴィは卓上カレンダーを確認すると「今日はお休みでしたねぇ」と呟いた。
何らかの事情で謹慎までしていたギルバート。彼と謹慎の二文字が結べられる様で結び付けられず、それを聞いた時ギャリーは人知れずショックを受けた。確かにうるさい奴だけど、堅苦しくて真面目過ぎるところもある奴だけど、だからこそ謹慎なんて言葉とは無縁と勝手に思っていて。二週間近くも出て来れないだなんてそんな事があるのだろうかと思っていたところだ。
「と言うか、ファンさんも今日お休みですよね？」
「…そうだよ。だから始業時間前にこれだけ渡しに来たの」
買っておいた市販のチョコをアルヴィに手渡す。大箱で買ったやつから抜き取っただけのものだ。
「もしギルバートが来たら、良かったら渡しといてくれる？」
「あ、今ベネットさんの分だけ抜き取って机に置いておいたらどうでしょう？」
「…それもそうさな」
ギルバートの分を抜き取り、そっと彼の机に置いておく。その後は箱を開いたまま経理部の目立つところに置き、「良かったら食べて」と一言メモを添えた。
「おーい、俺せっかく休みなのにこれ渡しに来たんだからさ、皆分け合ってもらって帰ってくれー」
経理部の部屋に響く様にそう声を掛けると、「おー」とか「サンキュー」と言う相槌が聞こえる。その声を聞いて納得した様に部屋を出た。と、同時に休みの筈の彼が経理部に顔を出した事に気付いた女性メンバーがギャリーに菓子を渡すべくいそいそとやって来る。
あえて声を掛けて自分の存在をアピールした甲斐があった。ここまでは計画通り。とびっきりの営業スマイルでお礼を言い、手に持っていた手提げの中に菓子を入れる。大きめの手提げを持って来ていて正解だった。手提げは見る見る菓子でパンパンに膨れてしまった。
でも、矢張り彼女から愛の日に貰えないのかもとそう思ったら、折角貰ったこのチョコ達すら虚しく見えた。
「……はっ！？いやいやいや…」
セリカ・ミカナギ。彼女を特別視している事には気付いていた。けれど、いつだって彼女は蝶の様にひらひらと自分のアプローチを躱してしまう。彼女がそう言う人だからだと思うが、名前で呼ばれた事が無いと言うのもモヤモヤした。加えて愛の日の今日、支部勤務で留守だと言う。昨晩デートに誘ったらそう断られてしまったその瞬間はそうでも無かったのに、当日になって会えない事を実感したらじわじわとやり切れない思いが胸の内に広がった。
「はぁ…愛の日に傷心とかどんな冗談だ…」
ふぅ、と溜息を吐いた先、一服しようかと喫煙所を見るといやに嬉しそうな顔のロードが目に入った。彼も彼でモテるだろうし、まだ出社前だがもうこれから貰う予定のお菓子の事を思ってニヤニヤしているのだろうか。
「おや？何か？」
ギャリーの視線に気付いたのか、ニヤニヤを特に隠すでもなくロードは声を掛けてくる。ギャリーも気怠さを隠す気はさらさら無く、そんなロードに近付いた。
「…おはよ…」
「おはようございます。気持ちの良い朝ですねぇ」
「…そう？」
「ええ。こんな日はいつも以上に推しが尊くてご飯が美味しいです」
がさりと音がしたので下を見る。貰ったものかと思っていたが、よくよく見るとロードが作ったであろう菓子を入れた紙袋を彼は提げていた。
「貴方は？朝からそんな気怠そうな顔をして…誰かと一発ヤってから来ました？」
「馬鹿言え…そんなだったらもっと艶々した顔してるっつの」
「うふふ、それもそうですねぇ」
言いながらロードは煙草を咥え火を点ける。ギャリーも煙管を取り出すと刻みたばこを素早くつまみ、丸めた。すっと火皿に詰めるとちらりとロードを見る。ロードは特に何も言わず火を点けてくれた。
「悪ぃね」
「いえいえ。何となく動きから私についでに点けてもらいたいのだろうなとは思ってました」
ふー、と煙を吐く音が響く。何がそんなに嬉しいのかロードと目が合うと、彼はまたその黒い瞳を弓の様にしニヤニヤした。
「実はさ、お前にちょっと頼みたい事が…って、何笑ってんだよ？」
「え？顔に出てます？」
「出てる」
「うふふ。いえねぇ、今日程自然に推しに愛を囁ける日は無いわけですから。で？頼みたい事とはつまり、女性の目の届かないところで私にしか頼めない事…と言う認識でよろしいので？」
推しへの準備にしては手が込んでそうな、量の多いお菓子の量を見てギャリーは愛想笑いを浮かべた。貰う側ではなくあげる側でも楽しそうだなこの男。ちなみに言うとギャリーは今日もらう事しか考えていなかった。
「あ、それより菓子美味そうだね。俺の分無いの？」
「特別用意は無いですよ？あぁ、シキにあげる分だったお菓子食べます？作り過ぎまして」
「え？待って、手作り？」
「ええ、作るの好きなんで」
「すげぇな」
そりゃあ、あげる側で充分楽しいわけだ。ギャリーはクッキーとマドレーヌをそれぞれ二個ずつ貰うと封を開け先ずはクッキーを口に入れた。サクサクしていて美味しいクッキーだ。続いてマドレーヌも口に入れる。しっとりと柔らかく程よい甘さが口いっぱいに広がり、ギャリーは思わず笑みを零した。貰った時にすぐ口にして感想を述べる、それがギャリーなりの礼儀だった。
「……美味ぇ…こりゃ本当美味ぇな」
「どうもありがとうございます」
「ごめんね二個ずつ取っちゃって。あんまり美味しそうだったからまた食べたくなっちゃって。後で煙草の味しっかり消してからまたおごっそ ンなろ」
ギャリーの素直な申し出にロードは一瞬目を丸くする。そして口元をにやりと歪ませるといつもの様に笑った。
「うふふふふ…驚きました。随分と可愛らしい事を仰るんですねぇ…」
「お？何？惚れそう？」
「ええ、惚れそうです」
「ふふ…これを機に俺も推しに入れてくれても良いけど？」
「うふふ、そうですねぇ…あんまり可愛いんで何ならここで襲う事もやぶさかじゃないくらいです」
「……やっぱ入れなんで」
「まさか、冗談です。でも今後、推しには貴方も入れておきますよ」
油断したら頭から食われそうだな、と文句を言いながらそれでもロードの顔をチラチラ見てしまう。ギャリーの落ち着かない態度にロードはにこりと微笑んだ。こいつ、分かってる癖にムズムズする奴だなぁと悪態をつきたくなる。ロードは相も変わらずにこにこしていたが、その内促す様に口を開いた。
「そう言えば…今日はどこも 盛況の様ですねぇ。いや、正確に言うなら掻き入れ時ですか」
「どこも？ふーん…」
「ええ、どこもかしこも。飲食店も製菓店も花屋も、そしてちょっとオトナなお店も…」
その一言を聞くや否や、ギャリーはぴくりと体を揺すりロードを凝視する。ロードはロードでそんなギャリーを見て不敵な笑みを浮かべた。
「……掻き入れ時なの？」
「うふふ、ええ。今朝営業メールでそんなのが来ましたねぇ。生憎と私は仕事ですし今日は一日推しへの愛を謳うのに忙しいんで」
ギャリーは目だけを動かし辺りを伺った。喫煙所に来た本当の目的、それは「ロードと鉢合わせる為」。彼ならば自分の欲しい情報を知っているかもしれない。しかし、少なくとも若いメンバー、そして女性に聞かれるとまずい話であるが故、それらを避けられるところに来たのだ。後は自然に自然に、会話をそっちに持って行かなければ。
「ふーん…ロードはしっかり愛の日を謳歌するんだねー…」
「せっかくの愛の日、推しへの課金の如く愛を貢がずどうします？」
「お前って偶に発言が凄いオタクだよね」
そうではなく。いかんいかん、感想を述べてどうする。目線を動かせばニヤリと笑うロード。こいつ、分かっていてのらりくらり躱している。
しかし流石に哀れに思ったのか、一瞬吹いた様に笑うとロードは口を開いた。
「うふふふ、すみません…」
「…ンだよ。分かってて躱すとか結構いけずね、お前」
「うふふ、貴方が可愛くてついつい意地悪してしまったんですよ」
「見てこれ、鳥肌」
「うふふ、はいはい。さて、貴方のお好みは？もしかしたら口利き出来るかもしれませんよ」
やっと本題に入れた。長かった様なここからが居た堪れない様な、そんな不思議な思いを抱えながらギャリーは口を開いた。
「…コンセプトは…ともかく、着物着てくれんならそれが良い…」
「…ほう。着物…当てがない事もないですねぇ…」
「マジ？」
「ええ」
その後、ギャリーは落ち着かないのか何回か煙管を口に咥えながらつらつらと希望を話し始める。ロードはうんうん頷きながら聞いていたが、その内携帯端末を取り出し色々見始めた。そしてギャリーが詳細を話し終えた頃、携帯端末の画面を彼に向けた。
「ここなんて如何です…？」
「おぉっほぅ……」
「お気に召しました？ちょうど今日愛の日のイベント情報来てましてねぇ」
そう言いながら色々と手配をするロード。しばらくするとギャリーの携帯端末にメールが転送されて来る。それはロードからの紹介である事を証明するものだった。
「…一応これで指名料はサービスになると思いますが…」
「おぅ…」
「くれぐれも店の決めたルール外の事をしないで下さいよ？私の紹介ですからね、貴方がポカしたら私が行けなくなります」
「りょ、了解」
「それにしても…うふふ。なるほどなるほど、貴方も存外分かりやすいんですねぇ。好きになるとどこまでも姿を追い掛けてしまうタイプです？」
女の子が着物を着てくれるところが良い。一言目がそれだった瞬間からロードはニヤニヤしていたが、その後も要望をいくつか出して行った時の彼の顔と来たら。ギャリーの頭を占める女性が誰なのかピンと来たらしく、あまりにも彼女を求める様な注文に思わず笑ってしまった様だ。
「い、良いじゃん別に…だってセリ…その子と今日会えないの確定なんだもん…」
「愛の日に好きな人と会えないんですか。それはそれは、禁欲に勝る苦痛ですねぇ」
「す、好きな人かどうかまだ分かんねぇけど…」
「おやおや、そういうコンセプトの店に行きたがる感じ正直な気がしましたけどねぇ。何でしたっけ？嬢が着物着てくれて？自分より年上が多く在籍してる方が良くて？人妻夜這い系だと尚良し…」
「こら。全部口に出そうとすんじゃねぇよ」
兎にも角にも、愛の日価格にプラスして紹介の口利きと言う通常よりも割り引かれた価格がせめてもの慰めだった。愛の日なのにこんな傷心した気持ちで一日過ごす羽目にならず済みそうだ。
しかし、最初のおずおずとした控えめな要望の内から頭の中で当たりを付けていた様な状態のロード。この男の脳内には風俗店ネットワークでも張り巡らされているのか。
「しかしロードよ、やっぱそうかなー？と思ってたけどお前の詳しいっぷりやべぇな。そんなに色んな店行ってるわけ？」
「まあ、満足しない時に行ってるだけです。人肌恋しくなったりとかフィクションでよく見るプレイを肌で体験したくなったりとかですねぇ…」
「満足しないって…そもそもお前は何回すりゃ満足すんのさ…」
「うふふ、そんな話は流石に朝からじゃない方が良いですね。今度飲みに行った時に教えてあげても良いですよ」
「それは別にどっちでも良いけど。それより確か、ロードって好きな子居るんだったよね？その子と付き合ってエッチした方が絶対満足するし良いだろうに」
だからこそ、反撃とばかりにロードの恋心を揺さぶってやろうとわざと直接的に彼のプライベートな部分に触れてやった。ギャリーの想定ではロードは一瞬真顔になって、でもまたいつもの様に微笑みながら余裕たっぷりに冗談を返してくる。そんな彼の姿が見れるはずだった。
しかし、彼の目の前にいる本物のロードは一瞬真顔になるところまでは想定通りだったが、その後見る見る顔を真っ赤にし、まるでビートルートを茹でた時の様な紅潮した顔を見せた。おまけに「う…」とか「あ…」とか、言葉すら詰まらせる始末だ。
あまりにも予想外過ぎる反応にギャリーはむしろ自分が悪い事をした様な気持ちになってしまう。どう声を掛けようかと固まっていると、コホンと一つ咳払いをし、口元を手で隠す様にした真っ赤な顔のロードは決して目線をこちらに向けず口を開くと「そのテの話を聞かれるのは苦手です…」と呟いた。
先に降参したのはギャリーだった。
「嘘だろ…『推し』を『好き』に変えた途端そんななる…？猥談から恋バナに移行しただけでそんななる…？」
「うるさいですねぇ…慣れないんですよ…」
「え？どう言う事？」
「ある程度想定出来ている状態でならどんな愛も囁けます…油断してる時に好きな人の話や恋の話を振られるのが慣れないんです」
だからってそんなになるだろうか。
すっかり悪い事をした気分になり、居た堪れなくなったギャリーはその後ロードに缶コーヒーを一本奢った。
* * *
「はぁ…」
満足しなかったのだろうか。何故自分は所謂ピンサロにまで来ているのだろう。あまりにも溜息を連発するギャリーを見、思わず席に着いた女性も分かりやすく首を傾げた。
「お客さん、どうしたの？」
じっと見つめてくる金色の瞳。彼女と同じ目の色だなぁ、と思うと我慢しようと思っていた溜息がまたせり上がってきた。
「…愛の日だってのに俺は何をしてるんだろうなーって…」
「あはは、でもお客さんみたいな人多いよ。それに、今日は愛の日で激安イベントやってるからって仕事終わりの彼女に会う前に来たって人も居たかな？」
「えー…」
悪い、悪いぞここに来た客達。こんなところで結構な散財をしてお喋りを楽しんで剰えあんな事 もして更にその後悪びれる事なく彼女に会いに行くのかよ。
今や自分も人の事をとやかく言えなくなったギャリーはとりあえず飲み物を口に運んだ。
好きなんだろうか。矢張り。会えると思っていた今日と言う日に会えなかった事がこんなにショックだと思ったのは、セリカの事が好きだからだろうか。じゃあ寂しさが紛れるところに行けば良いと思ってジャンル違いで二件も渡ったにも関わらず全く人恋しさが拭えないのはそう言う事なのかとそう思った時、隣に座った女性の──セリカと同じ金色の瞳が上目遣いに此方を覗いていた。
「大丈夫？」
「あ、うん…大丈夫だけど……俺は今日は話だけ聞いてもらえたらそれで良い…かな？」
「え？それで良いの？」
「うーん………うん……」
「ふふっ、後から気が変わったとかでも大丈夫だからねっ」
当たり前の如く、当たった客に別段サービスを行わずお喋りだけで済むのならそんなに有難い事もない。しかしキャストのそんな事情までギャリーは気にしていない。最早彼の二件目はあってない様なものだったのだから。
「ねー…この反応だよ？脈あると思う？」
今までのセリカの自分に対する態度を事細かに話し、脈の有無を女性目線で見てもらおうとする。笑ってはいるが、それを聞かされた彼女の本音は「本人に聞けば良いのに」だ。
「うーん…このタイプの子ってどう接したら良いんだろう…？」
「その人に限らず女の子皆言える事だと思うけど、やっぱお客さん直接言った方が回りくどい事するより良いって、絶対」
「でも俺…そもそも女の子に告白とかした事なくてさぁ…」
「じゃあその人に人生初告白ってどう？」
「…旦那居た人だぜ！？比べられて『旦那の方が良かった』とか口に出されたら多分俺死ぬ…」
「ネガティブなんだからー…」
ああ言えばこう言って。終始そんな会話に勤しんだギャリーの一時間と費やした三千イリは飛んで行った。終了時間ギリギリになって一瞬「やっぱり途中から普通にプレイをお願いすれば良かった」「せめておさわりくらいすれば良かった」と後悔したが、目を向けると「応援を求められた」と思ったのか女性にファイト！と一際声を大きく上げられ、方向転換は無理だと悟る。
店を出る際、ついぼそりと途中から気が変わっていた事を伝えると「何だー！じゃあ次来てくれたらいっぱいサービスしちゃうー！」とちゃっかり次の予約に繋げられそうになったのでそこはやんわり遠慮した。
「はぁ…店に来てた客責められる立場じゃねぇしなぁ、俺も…」
──付き合いで来る人も大体結局最後までサービス受けてくよ──
なんて聞いて正直色々言いたくなったが、セリカへの気持ちに気付きかけている今、やってる事は自分も彼らと変わらない。
彼女と既成事実があるか、ただの片想いかと言う違いしかない。確かにそれは結構大きな違いだが、気持ち的には却って朝よりも罪悪感が増えてしまった。
「でも一軒目…マジで女の子のサービス良かったなぁ…流石ロードの紹介…」
しかし、なかなかサービスの良い濃いプレイ内容を思い出すと罪悪感が少しだけどこかへ行ってしまう。そんなギャリーの目に製菓店のお菓子が飛び込んでくる。チョコクッキーだろうか。プレーンより随分黒に近い濃い茶色をしたクッキーは真ん中がハート型に抜かれていて、その空洞部分にオレンジ色のゼリーが詰まっていた。
黒ベースのクッキーにオレンジ。何だか会えないから余計になのか、彼女と同じ様な色合いに目を奪われる事が多いこの日。
気付けばギャリーは二袋買っていた。
一つは自分が今食べる用。そしてもう一つは、帰って来たセリカに渡す用。
愛の日、ただもらうだけか少なくとも菓子の交換が出来ると分かる相手にしか買わなかったギャリーが初めて買った「貰えるかどうか分からない相手に一方的に贈る為の菓子」。
味はどうだろう？甘過ぎたりしないだろうか。彼女の口に合ってくれるだろうか。手探りが過ぎるなぁ、と思いながら自分用に買った方の封を早速切り一つ摘んで口に入れる。
「甘ぇ…けど、美味い…」
これがセリカから貰えた菓子だったら良かったのに。今年は以前勤めていた店ではなく、もっと規模も大きく女性メンバーも多い結社での愛の日。ギャリーの予想以上に貰えた菓子の量は多かったし、経理部以外の顔も知らない女の子から告白付きで貰うお菓子も多かった。
だけど、一番欲しかったたった一個が手に入らない。それだけでこの日が「今までで一番満たされない愛の日」となるのに充分だった。
* * *
翌日。愛の日から一夜明け、朝から家族愛や友愛とはまた違った愛を成就させたであろうメンバーを尻目に若干テンションの低いギャリーは廊下を歩きながら昨日行った風俗店からの営業メールに目を通していた。
次からは行くとなると通常価格になる。それは正直財布の痛い話ではあるがそれでもそこは営業用、メッセージにはそれなりに気分を盛り上げる言葉が書いてあった。何となく暇だったからついついメールの添削をしてしまう。これでも結社に来る前、前職は口先の巧さもまた重要であった。結社に慣れた今となってはもう昔の話の様だが。思わず同業者であるかの様にメッセージの出来を見て行く。
俺の名前を本文に入れてるのは二回か…絶妙だなぁ。多分一斉送信みたいな内容だろうけどこれは騙される男のが多いだろ。あ、自撮り写真添付してらぁ。しかもランジェリー 。着物も良いが次はそっちも良いかもしれない。ただ、用件のみと言う程淡白では無いが少々本文が短か過ぎる気がする。あまり長いとそれはそれで客の読む気を失せさせると言うものだがそれを加味しても些か短い。まあ、添付されたセクシーショットとプラマイゼロではある気がするが。送信された時間は夜七時。これまた絶妙な時間帯だ。一般的に社会人が仕事終わりに一息つく、リピートの気を持たせるをのにちょうど良いタイミングだ。
「接客の営業って事考えると流石プロだな…七十点。…ん？『次回来店時ローター貸し出し無料』…？これは八十点か──」
「ファンさん？」
鈴を転がす様な声で名前を呼ばれ（兎頭国人の観点から言えば正確には愛称だが）ギャリーは思わず勢いのままポケットに乱雑に携帯端末を突っ込んだ。振り返ると、可愛くリボンで包んだものを手に持ったセリカがそこに居た。
「セリカちゃん…」
「おはようございますぅ」
「おはよ。今日も可愛いね」
「またお上手なんですからぁ。あの、これ…本当は昨日渡したかったお菓子なのですが…始業前に渡そうと思って。受け取ってくださいますかぁ？」
少し遠慮がちにセリカが言う。それを受け取ろうと手を伸ばすと、セリカはほっとした様に顔を綻ばせた。受け取ってもらえるか少し不安だった様だ。そんな彼女の態度に少しだけニヤ付きながら自分も懐から昨日買ったクッキーを取り出した。
「あ、俺も用意してある…」
「…え？ファンさんも、ですかぁ？」
「俺がちゃんと用意してるの意外？」
「い、いいえそう言う事では…殿方がそう言った行事に対して用意周到と言うのが私の中で結び付かなかっただけですぅ…」
彼女の周りに居た男性は愛の日と言う行事に疎かったのだろうか。斯く言う自分も、義理の様な所謂『徳用』な菓子を用意した事はあれど一人の人にまともに見た目もお洒落な菓子を用意したのは初めてだが。
「買ったものだけど、クッキー。セリカちゃんに色が似てるなぁって思って」
「ありがとうございますぅ…」
「俺、愛の日って貰ってばっかで人に用意するのって初めてなの。…口に合わなかったらごめんね？」
「そうなんですかぁ？ふふ、常日頃たくさん食べ物用意してらっしゃるのに」
お菓子言葉を少し予習していたセリカは一瞬クッキーが出て来た事で少しだけ元気が無くなった。クッキーの意味は「友達でいよう」。本来なら義理とも言えるような気もする。しかし、人に用意するのが初めてだとギャリーは言ったので彼はクッキーを買うと言う事に関して深くは考えていなさそうだ。つまりそう言うマイナスなイメージを持っていない。だからただただ彼が「初めて愛の日に人に用意した物」を貰ったと言う事だけを喜んでおこう。
セリカがにこりと微笑むとギャリーは少しだけ頬を染めて目線を宙に浮かせた。
「…本当は昨日セリカちゃんに会いたかった。俺」
「すみません、昨日は私…」
「支部勤務って言われりゃしょうがないさや。それがセリカちゃんの昨日の仕事だし。でも、せっかくの愛の日だったからさ。俺は昨日の内にセリカちゃんの顔が見たかったかな」
「ファンさん…」
昨日行けなかったし、今夜俺と食事でもどう？
セリカには一瞬彼からそんな言葉が聞こえた気がした。
と言うのも、朝から酒でも飲んでいたのかいやに上機嫌なバーティゴが間に入って来たからだ。
「やだー！どこの赤茶かと思ったらアンタじゃなーい！」
「げっ！エレオノーラちゃん…！！」
「あン？『げっ』っつったな？『げっ』っつったな？アンタ今『げっ』っつったな？」
ちなみにバーティゴは今日休みの筈である。なので朝から大酒かっ食らって挙句大らかな気分で絡みに来たと言うのはセリカにも容易に想像出来た。エレオノーラの酔った姿は誰も見た事がない。しかし、彼女がやけに上機嫌になる姿までなら見た事がある。
「まあ良いわ。今の私は機嫌が良いから。それより何なのさアンタ。女みたいな顔してやる時はやるのね。ちゃっかりお菓子用意して朝からウチの可愛いセリカを誘惑しないでくれない？」
「お、女みたいな顔って…良いじゃん、セリカちゃん口説くのにエレオノーラちゃんの許可いるの？」
「この子は悪い虫が付いたらいけないタイプなの」
「ふーん。じゃあエレオノーラちゃん口説くには誰の許可がいるの？」
「私？私は許可要らないわよ？それより私にお菓子は無いの？」
ほれ。と手を出すバーティゴ。ギャリーはサッと顔を青ざめた。しまった。セリカの事ばかり苦になって彼女の傍にいるバーティゴに菓子を買うなんて事は綺麗さっぱり忘れていた。
思わず口籠もり視線を逸らすギャリーを前にバーティゴの眉間にこれでもかと言う程皺が寄る。
「…無いのね？」
「……エレオノーラちゃん、そんな顔するとお顔にお皺が益々お増しあそばせますわよ…」
プツリとエレオノーラの中で何かがキレた。
「誰の、何が、増えるって…！？もう既にたくさんあるって暗に言いたいのね…！？」
「…げっ。と、年頃の女性にそのテの話題はご法度だったかな…！？」
「ご法度もご法度。アンタ私の地雷踏み抜いたわよ…」
じりじりと近付くバーティゴ。ちなみに彼女は義足でありながらそれを感じさせない程に足が速い。しかしそれでもギャリーは踵を返し、気付けば咄嗟に逃げ出していた。何故なら彼女は義手であるからかそれをフルに使う為拳骨が死ぬ程痛い。
「こら！待ちなさい赤茶色！！誰かソイツ捕まえて！！」
「ひ、人をひったくり犯みたく指差さないでよエレオノーラちゃん！！」
いつのまにか蚊帳の外になってしまっていたセリカ。去って行くギャリーと追うバーティゴを見届けていると、足元に何かが落ちている事に気が付いた。さっき飛び出した時の勢いか、ギャリーの携帯端末がひっくり返って背面を向けたままそこに転がり落ちていた。
「あらぁ？ファンさんの携帯端末…？」
仕事にも支障が出たらいけないし、拾って返してあげないと。セリカは片手で着物の袖を押さえながらもう片方の手で上品に持ち上げる。携帯端末の画面はロックになっておらず明かりを灯し、直前に見ていたであろう画面を点けたままだった。
「っ…！！」
びくり。目に飛び込んで来たその画面に肩を揺らして驚く。彼は恋人でも何でも無いし、自分が咎める理由も無いしそもそもとして他人の端末の画面を覗き込むなんて行為、むしろ自分の方が恥知らずではしたない女では無いか。そうとでも抉じ付けて自分を責めなければ、顔を見たら怒りで必要以上に彼を責めてしまう気がした。
「あ、ミカナギさん…」
そんな彼女を呼ぶ声。その声に反応する様にセリカは咄嗟に電源ボタンを押し、ギャリーの携帯端末の画面を消した。向かいからやって来たアルヴィ・マルムフェは困った様に彼女に微笑んでいた。
「おはようございます」
「おはようございますぅ」
「昨日は支部勤務だったそうですね。ファンさんが朝からガックリしてましたよ」
「…ファンさんは昨日お仕事で？」
「いや？経理部の皆にって大きなお菓子わざわざ持って来てくれて。その後は休暇だったと思いますよ」
「そうですかぁ…」
愛の日に女 を捕まえられなかった腹癒せに行ったのか。
やけにグラマラスな下着姿の女性の画像と「またお店に来てね」の一言は無事セリカの心に怒りの爪痕を残したのだった。
「これ、ファンさんの携帯端末ですぅ」
「あ、すみません。え？何でミカナギさんが？」
「たまたま拾ったんですぅ。でも──」
セリカの瞳は、金色である筈なのにさながらベンタブラックと言うべき暗さだった。
「私が届けて差し上げる義理も温情も無いので。お仕事でファンさんに会われるならお願い致しますね」
「あ、はい……あの、ファンさんは今日もミカナギさんのところに休憩がてら向かうんじゃ無いかなぁ…？とは思うんですが…」
「今日は暇では無いので謹んでお断りいたしますぅ」
その後、一週間はセリカにまともに口を聞いてもらえず泣きそうな顔をしているギャリーの姿はよく目撃された。愛の日の落胆ぶりと言い、「ギャリー・ファンはその前後でおそらく失恋したのだ」と言う噂は瞬く間に広がった。
そんな彼の痛々しさが目に余ったのか、ロードは喫煙所で彼と再会した際、自分の勧めた店に関して特に感想を述べなかった事から何かを察し、何も言わずに彼に紅茶を奢ってやった。
「……ロード、お勧め貰ったお店のお姉さん、サービス最高だったよ…」
「あ、そこは無事満足したんですね」
愛の日の前日に食事に誘い、まさかの断りを入れられてしまった。断られるとは思っていなかったギャリーにとって、それは予想外に大変ショッキングな出来事であった。
そんな想いも抱えてここまで来た。しかし、ギャリーは足がすくんだ様に店の看板を見上げたまま立ち尽くしてしまった。色々と考えたら今日は愛の日。男一人こんなところに居るのもなんと言うか、文字通り負けた様な気がしてしまう。しかしそれでも意を決してここに来た訳だし、せっかく通常よりもお財布に優しい仕様で行けるとあればここで引き返すわけにもいかない。
「…何躊躇ってんだ、俺…」
小綺麗だが
云々唸るように頭を抱えて悩んで悩んで、数分後意を決した様にギャリーは店の入り口に足を踏み入れた。元気の良い店員に挨拶され少し落ち着かない様に携帯端末を取り出し必要なものを提示する。その間も周りを気にして人を気にして、後ろめたさでも感じているのだろうか。
「…そもそも俺、何で後ろめたさなんて感じてるんだっけ…」
ギャリーは個室に促され渡された用紙に希望を書き込んだ。何だかそれら全てがセリカに集約されている様で、今彼女はここに居ないのにその存在を大きく感じるのは、自分の心にこれでもかと彼女が染み付いているからだ。
「はぁ…」
気を抜くと出てしまうのは溜息。ギャリーは数時間前の、もう少し余裕のあった時の事を思い出していた。あの黒い男の笑顔すら今思い返すと小憎たらしく感じる。
──うふふ。なるほどなるほど、貴方も存外分かりやすいんですねぇ。好きになるとどこまでも姿を追い掛けてしまうタイプです？
しゃらうるせぇ。良いだろうが別に。お前だって普通の恋バナ普通にしたら面白いくらい真っ赤になるくせに。
せっかくの愛の日、まともに話をしたのが今のところ男性だけだったのを思い出してギャリーは少しだけ悲しくなっていた。
* * *
朝、最初に会ったのはアルヴィだった。
「なぁ、今日はギルバート休み？」
冬の寒さが骨身に沁みる朝、まるで暖を取る様にその赤い髪に吸い寄せられて行く。アルヴィは卓上カレンダーを確認すると「今日はお休みでしたねぇ」と呟いた。
何らかの事情で謹慎までしていたギルバート。彼と謹慎の二文字が結べられる様で結び付けられず、それを聞いた時ギャリーは人知れずショックを受けた。確かにうるさい奴だけど、堅苦しくて真面目過ぎるところもある奴だけど、だからこそ謹慎なんて言葉とは無縁と勝手に思っていて。二週間近くも出て来れないだなんてそんな事があるのだろうかと思っていたところだ。
「と言うか、ファンさんも今日お休みですよね？」
「…そうだよ。だから始業時間前にこれだけ渡しに来たの」
買っておいた市販のチョコをアルヴィに手渡す。大箱で買ったやつから抜き取っただけのものだ。
「もしギルバートが来たら、良かったら渡しといてくれる？」
「あ、今ベネットさんの分だけ抜き取って机に置いておいたらどうでしょう？」
「…それもそうさな」
ギルバートの分を抜き取り、そっと彼の机に置いておく。その後は箱を開いたまま経理部の目立つところに置き、「良かったら食べて」と一言メモを添えた。
「おーい、俺せっかく休みなのにこれ渡しに来たんだからさ、皆分け合ってもらって帰ってくれー」
経理部の部屋に響く様にそう声を掛けると、「おー」とか「サンキュー」と言う相槌が聞こえる。その声を聞いて納得した様に部屋を出た。と、同時に休みの筈の彼が経理部に顔を出した事に気付いた女性メンバーがギャリーに菓子を渡すべくいそいそとやって来る。
あえて声を掛けて自分の存在をアピールした甲斐があった。ここまでは計画通り。とびっきりの営業スマイルでお礼を言い、手に持っていた手提げの中に菓子を入れる。大きめの手提げを持って来ていて正解だった。手提げは見る見る菓子でパンパンに膨れてしまった。
でも、矢張り彼女から愛の日に貰えないのかもとそう思ったら、折角貰ったこのチョコ達すら虚しく見えた。
「……はっ！？いやいやいや…」
セリカ・ミカナギ。彼女を特別視している事には気付いていた。けれど、いつだって彼女は蝶の様にひらひらと自分のアプローチを躱してしまう。彼女がそう言う人だからだと思うが、名前で呼ばれた事が無いと言うのもモヤモヤした。加えて愛の日の今日、支部勤務で留守だと言う。昨晩デートに誘ったらそう断られてしまったその瞬間はそうでも無かったのに、当日になって会えない事を実感したらじわじわとやり切れない思いが胸の内に広がった。
「はぁ…愛の日に傷心とかどんな冗談だ…」
ふぅ、と溜息を吐いた先、一服しようかと喫煙所を見るといやに嬉しそうな顔のロードが目に入った。彼も彼でモテるだろうし、まだ出社前だがもうこれから貰う予定のお菓子の事を思ってニヤニヤしているのだろうか。
「おや？何か？」
ギャリーの視線に気付いたのか、ニヤニヤを特に隠すでもなくロードは声を掛けてくる。ギャリーも気怠さを隠す気はさらさら無く、そんなロードに近付いた。
「…おはよ…」
「おはようございます。気持ちの良い朝ですねぇ」
「…そう？」
「ええ。こんな日はいつも以上に推しが尊くてご飯が美味しいです」
がさりと音がしたので下を見る。貰ったものかと思っていたが、よくよく見るとロードが作ったであろう菓子を入れた紙袋を彼は提げていた。
「貴方は？朝からそんな気怠そうな顔をして…誰かと一発ヤってから来ました？」
「馬鹿言え…そんなだったらもっと艶々した顔してるっつの」
「うふふ、それもそうですねぇ」
言いながらロードは煙草を咥え火を点ける。ギャリーも煙管を取り出すと刻みたばこを素早くつまみ、丸めた。すっと火皿に詰めるとちらりとロードを見る。ロードは特に何も言わず火を点けてくれた。
「悪ぃね」
「いえいえ。何となく動きから私についでに点けてもらいたいのだろうなとは思ってました」
ふー、と煙を吐く音が響く。何がそんなに嬉しいのかロードと目が合うと、彼はまたその黒い瞳を弓の様にしニヤニヤした。
「実はさ、お前にちょっと頼みたい事が…って、何笑ってんだよ？」
「え？顔に出てます？」
「出てる」
「うふふ。いえねぇ、今日程自然に推しに愛を囁ける日は無いわけですから。で？頼みたい事とはつまり、女性の目の届かないところで私にしか頼めない事…と言う認識でよろしいので？」
推しへの準備にしては手が込んでそうな、量の多いお菓子の量を見てギャリーは愛想笑いを浮かべた。貰う側ではなくあげる側でも楽しそうだなこの男。ちなみに言うとギャリーは今日もらう事しか考えていなかった。
「あ、それより菓子美味そうだね。俺の分無いの？」
「特別用意は無いですよ？あぁ、シキにあげる分だったお菓子食べます？作り過ぎまして」
「え？待って、手作り？」
「ええ、作るの好きなんで」
「すげぇな」
そりゃあ、あげる側で充分楽しいわけだ。ギャリーはクッキーとマドレーヌをそれぞれ二個ずつ貰うと封を開け先ずはクッキーを口に入れた。サクサクしていて美味しいクッキーだ。続いてマドレーヌも口に入れる。しっとりと柔らかく程よい甘さが口いっぱいに広がり、ギャリーは思わず笑みを零した。貰った時にすぐ口にして感想を述べる、それがギャリーなりの礼儀だった。
「……美味ぇ…こりゃ本当美味ぇな」
「どうもありがとうございます」
「ごめんね二個ずつ取っちゃって。あんまり美味しそうだったからまた食べたくなっちゃって。後で煙草の味しっかり消してからまた
ギャリーの素直な申し出にロードは一瞬目を丸くする。そして口元をにやりと歪ませるといつもの様に笑った。
「うふふふふ…驚きました。随分と可愛らしい事を仰るんですねぇ…」
「お？何？惚れそう？」
「ええ、惚れそうです」
「ふふ…これを機に俺も推しに入れてくれても良いけど？」
「うふふ、そうですねぇ…あんまり可愛いんで何ならここで襲う事もやぶさかじゃないくらいです」
「……やっぱ入れなんで」
「まさか、冗談です。でも今後、推しには貴方も入れておきますよ」
油断したら頭から食われそうだな、と文句を言いながらそれでもロードの顔をチラチラ見てしまう。ギャリーの落ち着かない態度にロードはにこりと微笑んだ。こいつ、分かってる癖にムズムズする奴だなぁと悪態をつきたくなる。ロードは相も変わらずにこにこしていたが、その内促す様に口を開いた。
「そう言えば…今日は
「どこも？ふーん…」
「ええ、どこもかしこも。飲食店も製菓店も花屋も、そしてちょっとオトナなお店も…」
その一言を聞くや否や、ギャリーはぴくりと体を揺すりロードを凝視する。ロードはロードでそんなギャリーを見て不敵な笑みを浮かべた。
「……掻き入れ時なの？」
「うふふ、ええ。今朝営業メールでそんなのが来ましたねぇ。生憎と私は仕事ですし今日は一日推しへの愛を謳うのに忙しいんで」
ギャリーは目だけを動かし辺りを伺った。喫煙所に来た本当の目的、それは「ロードと鉢合わせる為」。彼ならば自分の欲しい情報を知っているかもしれない。しかし、少なくとも若いメンバー、そして女性に聞かれるとまずい話であるが故、それらを避けられるところに来たのだ。後は自然に自然に、会話をそっちに持って行かなければ。
「ふーん…ロードはしっかり愛の日を謳歌するんだねー…」
「せっかくの愛の日、推しへの課金の如く愛を貢がずどうします？」
「お前って偶に発言が凄いオタクだよね」
そうではなく。いかんいかん、感想を述べてどうする。目線を動かせばニヤリと笑うロード。こいつ、分かっていてのらりくらり躱している。
しかし流石に哀れに思ったのか、一瞬吹いた様に笑うとロードは口を開いた。
「うふふふ、すみません…」
「…ンだよ。分かってて躱すとか結構いけずね、お前」
「うふふ、貴方が可愛くてついつい意地悪してしまったんですよ」
「見てこれ、鳥肌」
「うふふ、はいはい。さて、貴方のお好みは？もしかしたら口利き出来るかもしれませんよ」
やっと本題に入れた。長かった様なここからが居た堪れない様な、そんな不思議な思いを抱えながらギャリーは口を開いた。
「…コンセプトは…ともかく、着物着てくれんならそれが良い…」
「…ほう。着物…当てがない事もないですねぇ…」
「マジ？」
「ええ」
その後、ギャリーは落ち着かないのか何回か煙管を口に咥えながらつらつらと希望を話し始める。ロードはうんうん頷きながら聞いていたが、その内携帯端末を取り出し色々見始めた。そしてギャリーが詳細を話し終えた頃、携帯端末の画面を彼に向けた。
「ここなんて如何です…？」
「おぉっほぅ……」
「お気に召しました？ちょうど今日愛の日のイベント情報来てましてねぇ」
そう言いながら色々と手配をするロード。しばらくするとギャリーの携帯端末にメールが転送されて来る。それはロードからの紹介である事を証明するものだった。
「…一応これで指名料はサービスになると思いますが…」
「おぅ…」
「くれぐれも店の決めたルール外の事をしないで下さいよ？私の紹介ですからね、貴方がポカしたら私が行けなくなります」
「りょ、了解」
「それにしても…うふふ。なるほどなるほど、貴方も存外分かりやすいんですねぇ。好きになるとどこまでも姿を追い掛けてしまうタイプです？」
女の子が着物を着てくれるところが良い。一言目がそれだった瞬間からロードはニヤニヤしていたが、その後も要望をいくつか出して行った時の彼の顔と来たら。ギャリーの頭を占める女性が誰なのかピンと来たらしく、あまりにも彼女を求める様な注文に思わず笑ってしまった様だ。
「い、良いじゃん別に…だってセリ…その子と今日会えないの確定なんだもん…」
「愛の日に好きな人と会えないんですか。それはそれは、禁欲に勝る苦痛ですねぇ」
「す、好きな人かどうかまだ分かんねぇけど…」
「おやおや、そういうコンセプトの店に行きたがる感じ正直な気がしましたけどねぇ。何でしたっけ？嬢が着物着てくれて？自分より年上が多く在籍してる方が良くて？人妻夜這い系だと尚良し…」
「こら。全部口に出そうとすんじゃねぇよ」
兎にも角にも、愛の日価格にプラスして紹介の口利きと言う通常よりも割り引かれた価格がせめてもの慰めだった。愛の日なのにこんな傷心した気持ちで一日過ごす羽目にならず済みそうだ。
しかし、最初のおずおずとした控えめな要望の内から頭の中で当たりを付けていた様な状態のロード。この男の脳内には風俗店ネットワークでも張り巡らされているのか。
「しかしロードよ、やっぱそうかなー？と思ってたけどお前の詳しいっぷりやべぇな。そんなに色んな店行ってるわけ？」
「まあ、満足しない時に行ってるだけです。人肌恋しくなったりとかフィクションでよく見るプレイを肌で体験したくなったりとかですねぇ…」
「満足しないって…そもそもお前は何回すりゃ満足すんのさ…」
「うふふ、そんな話は流石に朝からじゃない方が良いですね。今度飲みに行った時に教えてあげても良いですよ」
「それは別にどっちでも良いけど。それより確か、ロードって好きな子居るんだったよね？その子と付き合ってエッチした方が絶対満足するし良いだろうに」
だからこそ、反撃とばかりにロードの恋心を揺さぶってやろうとわざと直接的に彼のプライベートな部分に触れてやった。ギャリーの想定ではロードは一瞬真顔になって、でもまたいつもの様に微笑みながら余裕たっぷりに冗談を返してくる。そんな彼の姿が見れるはずだった。
しかし、彼の目の前にいる本物のロードは一瞬真顔になるところまでは想定通りだったが、その後見る見る顔を真っ赤にし、まるでビートルートを茹でた時の様な紅潮した顔を見せた。おまけに「う…」とか「あ…」とか、言葉すら詰まらせる始末だ。
あまりにも予想外過ぎる反応にギャリーはむしろ自分が悪い事をした様な気持ちになってしまう。どう声を掛けようかと固まっていると、コホンと一つ咳払いをし、口元を手で隠す様にした真っ赤な顔のロードは決して目線をこちらに向けず口を開くと「そのテの話を聞かれるのは苦手です…」と呟いた。
先に降参したのはギャリーだった。
「嘘だろ…『推し』を『好き』に変えた途端そんななる…？猥談から恋バナに移行しただけでそんななる…？」
「うるさいですねぇ…慣れないんですよ…」
「え？どう言う事？」
「ある程度想定出来ている状態でならどんな愛も囁けます…油断してる時に好きな人の話や恋の話を振られるのが慣れないんです」
だからってそんなになるだろうか。
すっかり悪い事をした気分になり、居た堪れなくなったギャリーはその後ロードに缶コーヒーを一本奢った。
* * *
「はぁ…」
満足しなかったのだろうか。何故自分は所謂ピンサロにまで来ているのだろう。あまりにも溜息を連発するギャリーを見、思わず席に着いた女性も分かりやすく首を傾げた。
「お客さん、どうしたの？」
じっと見つめてくる金色の瞳。彼女と同じ目の色だなぁ、と思うと我慢しようと思っていた溜息がまたせり上がってきた。
「…愛の日だってのに俺は何をしてるんだろうなーって…」
「あはは、でもお客さんみたいな人多いよ。それに、今日は愛の日で激安イベントやってるからって仕事終わりの彼女に会う前に来たって人も居たかな？」
「えー…」
悪い、悪いぞここに来た客達。こんなところで結構な散財をしてお喋りを楽しんで剰え
今や自分も人の事をとやかく言えなくなったギャリーはとりあえず飲み物を口に運んだ。
好きなんだろうか。矢張り。会えると思っていた今日と言う日に会えなかった事がこんなにショックだと思ったのは、セリカの事が好きだからだろうか。じゃあ寂しさが紛れるところに行けば良いと思ってジャンル違いで二件も渡ったにも関わらず全く人恋しさが拭えないのはそう言う事なのかとそう思った時、隣に座った女性の──セリカと同じ金色の瞳が上目遣いに此方を覗いていた。
「大丈夫？」
「あ、うん…大丈夫だけど……俺は今日は話だけ聞いてもらえたらそれで良い…かな？」
「え？それで良いの？」
「うーん………うん……」
「ふふっ、後から気が変わったとかでも大丈夫だからねっ」
当たり前の如く、当たった客に別段サービスを行わずお喋りだけで済むのならそんなに有難い事もない。しかしキャストのそんな事情までギャリーは気にしていない。最早彼の二件目はあってない様なものだったのだから。
「ねー…この反応だよ？脈あると思う？」
今までのセリカの自分に対する態度を事細かに話し、脈の有無を女性目線で見てもらおうとする。笑ってはいるが、それを聞かされた彼女の本音は「本人に聞けば良いのに」だ。
「うーん…このタイプの子ってどう接したら良いんだろう…？」
「その人に限らず女の子皆言える事だと思うけど、やっぱお客さん直接言った方が回りくどい事するより良いって、絶対」
「でも俺…そもそも女の子に告白とかした事なくてさぁ…」
「じゃあその人に人生初告白ってどう？」
「…旦那居た人だぜ！？比べられて『旦那の方が良かった』とか口に出されたら多分俺死ぬ…」
「ネガティブなんだからー…」
ああ言えばこう言って。終始そんな会話に勤しんだギャリーの一時間と費やした三千イリは飛んで行った。終了時間ギリギリになって一瞬「やっぱり途中から普通にプレイをお願いすれば良かった」「せめておさわりくらいすれば良かった」と後悔したが、目を向けると「応援を求められた」と思ったのか女性にファイト！と一際声を大きく上げられ、方向転換は無理だと悟る。
店を出る際、ついぼそりと途中から気が変わっていた事を伝えると「何だー！じゃあ次来てくれたらいっぱいサービスしちゃうー！」とちゃっかり次の予約に繋げられそうになったのでそこはやんわり遠慮した。
「はぁ…店に来てた客責められる立場じゃねぇしなぁ、俺も…」
──付き合いで来る人も大体結局最後までサービス受けてくよ──
なんて聞いて正直色々言いたくなったが、セリカへの気持ちに気付きかけている今、やってる事は自分も彼らと変わらない。
彼女と既成事実があるか、ただの片想いかと言う違いしかない。確かにそれは結構大きな違いだが、気持ち的には却って朝よりも罪悪感が増えてしまった。
「でも一軒目…マジで女の子のサービス良かったなぁ…流石ロードの紹介…」
しかし、なかなかサービスの良い濃いプレイ内容を思い出すと罪悪感が少しだけどこかへ行ってしまう。そんなギャリーの目に製菓店のお菓子が飛び込んでくる。チョコクッキーだろうか。プレーンより随分黒に近い濃い茶色をしたクッキーは真ん中がハート型に抜かれていて、その空洞部分にオレンジ色のゼリーが詰まっていた。
黒ベースのクッキーにオレンジ。何だか会えないから余計になのか、彼女と同じ様な色合いに目を奪われる事が多いこの日。
気付けばギャリーは二袋買っていた。
一つは自分が今食べる用。そしてもう一つは、帰って来たセリカに渡す用。
愛の日、ただもらうだけか少なくとも菓子の交換が出来ると分かる相手にしか買わなかったギャリーが初めて買った「貰えるかどうか分からない相手に一方的に贈る為の菓子」。
味はどうだろう？甘過ぎたりしないだろうか。彼女の口に合ってくれるだろうか。手探りが過ぎるなぁ、と思いながら自分用に買った方の封を早速切り一つ摘んで口に入れる。
「甘ぇ…けど、美味い…」
これがセリカから貰えた菓子だったら良かったのに。今年は以前勤めていた店ではなく、もっと規模も大きく女性メンバーも多い結社での愛の日。ギャリーの予想以上に貰えた菓子の量は多かったし、経理部以外の顔も知らない女の子から告白付きで貰うお菓子も多かった。
だけど、一番欲しかったたった一個が手に入らない。それだけでこの日が「今までで一番満たされない愛の日」となるのに充分だった。
* * *
翌日。愛の日から一夜明け、朝から家族愛や友愛とはまた違った愛を成就させたであろうメンバーを尻目に若干テンションの低いギャリーは廊下を歩きながら昨日行った風俗店からの営業メールに目を通していた。
次からは行くとなると通常価格になる。それは正直財布の痛い話ではあるがそれでもそこは営業用、メッセージにはそれなりに気分を盛り上げる言葉が書いてあった。何となく暇だったからついついメールの添削をしてしまう。これでも結社に来る前、前職は口先の巧さもまた重要であった。結社に慣れた今となってはもう昔の話の様だが。思わず同業者であるかの様にメッセージの出来を見て行く。
俺の名前を本文に入れてるのは二回か…絶妙だなぁ。多分一斉送信みたいな内容だろうけどこれは騙される男のが多いだろ。あ、自撮り写真添付してらぁ。しかもランジェリー 。着物も良いが次はそっちも良いかもしれない。ただ、用件のみと言う程淡白では無いが少々本文が短か過ぎる気がする。あまり長いとそれはそれで客の読む気を失せさせると言うものだがそれを加味しても些か短い。まあ、添付されたセクシーショットとプラマイゼロではある気がするが。送信された時間は夜七時。これまた絶妙な時間帯だ。一般的に社会人が仕事終わりに一息つく、リピートの気を持たせるをのにちょうど良いタイミングだ。
「接客の営業って事考えると流石プロだな…七十点。…ん？『次回来店時ローター貸し出し無料』…？これは八十点か──」
「ファンさん？」
鈴を転がす様な声で名前を呼ばれ（兎頭国人の観点から言えば正確には愛称だが）ギャリーは思わず勢いのままポケットに乱雑に携帯端末を突っ込んだ。振り返ると、可愛くリボンで包んだものを手に持ったセリカがそこに居た。
「セリカちゃん…」
「おはようございますぅ」
「おはよ。今日も可愛いね」
「またお上手なんですからぁ。あの、これ…本当は昨日渡したかったお菓子なのですが…始業前に渡そうと思って。受け取ってくださいますかぁ？」
少し遠慮がちにセリカが言う。それを受け取ろうと手を伸ばすと、セリカはほっとした様に顔を綻ばせた。受け取ってもらえるか少し不安だった様だ。そんな彼女の態度に少しだけニヤ付きながら自分も懐から昨日買ったクッキーを取り出した。
「あ、俺も用意してある…」
「…え？ファンさんも、ですかぁ？」
「俺がちゃんと用意してるの意外？」
「い、いいえそう言う事では…殿方がそう言った行事に対して用意周到と言うのが私の中で結び付かなかっただけですぅ…」
彼女の周りに居た男性は愛の日と言う行事に疎かったのだろうか。斯く言う自分も、義理の様な所謂『徳用』な菓子を用意した事はあれど一人の人にまともに見た目もお洒落な菓子を用意したのは初めてだが。
「買ったものだけど、クッキー。セリカちゃんに色が似てるなぁって思って」
「ありがとうございますぅ…」
「俺、愛の日って貰ってばっかで人に用意するのって初めてなの。…口に合わなかったらごめんね？」
「そうなんですかぁ？ふふ、常日頃たくさん食べ物用意してらっしゃるのに」
お菓子言葉を少し予習していたセリカは一瞬クッキーが出て来た事で少しだけ元気が無くなった。クッキーの意味は「友達でいよう」。本来なら義理とも言えるような気もする。しかし、人に用意するのが初めてだとギャリーは言ったので彼はクッキーを買うと言う事に関して深くは考えていなさそうだ。つまりそう言うマイナスなイメージを持っていない。だからただただ彼が「初めて愛の日に人に用意した物」を貰ったと言う事だけを喜んでおこう。
セリカがにこりと微笑むとギャリーは少しだけ頬を染めて目線を宙に浮かせた。
「…本当は昨日セリカちゃんに会いたかった。俺」
「すみません、昨日は私…」
「支部勤務って言われりゃしょうがないさや。それがセリカちゃんの昨日の仕事だし。でも、せっかくの愛の日だったからさ。俺は昨日の内にセリカちゃんの顔が見たかったかな」
「ファンさん…」
昨日行けなかったし、今夜俺と食事でもどう？
セリカには一瞬彼からそんな言葉が聞こえた気がした。
と言うのも、朝から酒でも飲んでいたのかいやに上機嫌なバーティゴが間に入って来たからだ。
「やだー！どこの赤茶かと思ったらアンタじゃなーい！」
「げっ！エレオノーラちゃん…！！」
「あン？『げっ』っつったな？『げっ』っつったな？アンタ今『げっ』っつったな？」
ちなみにバーティゴは今日休みの筈である。なので朝から大酒かっ食らって挙句大らかな気分で絡みに来たと言うのはセリカにも容易に想像出来た。エレオノーラの酔った姿は誰も見た事がない。しかし、彼女がやけに上機嫌になる姿までなら見た事がある。
「まあ良いわ。今の私は機嫌が良いから。それより何なのさアンタ。女みたいな顔してやる時はやるのね。ちゃっかりお菓子用意して朝からウチの可愛いセリカを誘惑しないでくれない？」
「お、女みたいな顔って…良いじゃん、セリカちゃん口説くのにエレオノーラちゃんの許可いるの？」
「この子は悪い虫が付いたらいけないタイプなの」
「ふーん。じゃあエレオノーラちゃん口説くには誰の許可がいるの？」
「私？私は許可要らないわよ？それより私にお菓子は無いの？」
ほれ。と手を出すバーティゴ。ギャリーはサッと顔を青ざめた。しまった。セリカの事ばかり苦になって彼女の傍にいるバーティゴに菓子を買うなんて事は綺麗さっぱり忘れていた。
思わず口籠もり視線を逸らすギャリーを前にバーティゴの眉間にこれでもかと言う程皺が寄る。
「…無いのね？」
「……エレオノーラちゃん、そんな顔するとお顔にお皺が益々お増しあそばせますわよ…」
プツリとエレオノーラの中で何かがキレた。
「誰の、何が、増えるって…！？もう既にたくさんあるって暗に言いたいのね…！？」
「…げっ。と、年頃の女性にそのテの話題はご法度だったかな…！？」
「ご法度もご法度。アンタ私の地雷踏み抜いたわよ…」
じりじりと近付くバーティゴ。ちなみに彼女は義足でありながらそれを感じさせない程に足が速い。しかしそれでもギャリーは踵を返し、気付けば咄嗟に逃げ出していた。何故なら彼女は義手であるからかそれをフルに使う為拳骨が死ぬ程痛い。
「こら！待ちなさい赤茶色！！誰かソイツ捕まえて！！」
「ひ、人をひったくり犯みたく指差さないでよエレオノーラちゃん！！」
いつのまにか蚊帳の外になってしまっていたセリカ。去って行くギャリーと追うバーティゴを見届けていると、足元に何かが落ちている事に気が付いた。さっき飛び出した時の勢いか、ギャリーの携帯端末がひっくり返って背面を向けたままそこに転がり落ちていた。
「あらぁ？ファンさんの携帯端末…？」
仕事にも支障が出たらいけないし、拾って返してあげないと。セリカは片手で着物の袖を押さえながらもう片方の手で上品に持ち上げる。携帯端末の画面はロックになっておらず明かりを灯し、直前に見ていたであろう画面を点けたままだった。
「っ…！！」
びくり。目に飛び込んで来たその画面に肩を揺らして驚く。彼は恋人でも何でも無いし、自分が咎める理由も無いしそもそもとして他人の端末の画面を覗き込むなんて行為、むしろ自分の方が恥知らずではしたない女では無いか。そうとでも抉じ付けて自分を責めなければ、顔を見たら怒りで必要以上に彼を責めてしまう気がした。
「あ、ミカナギさん…」
そんな彼女を呼ぶ声。その声に反応する様にセリカは咄嗟に電源ボタンを押し、ギャリーの携帯端末の画面を消した。向かいからやって来たアルヴィ・マルムフェは困った様に彼女に微笑んでいた。
「おはようございます」
「おはようございますぅ」
「昨日は支部勤務だったそうですね。ファンさんが朝からガックリしてましたよ」
「…ファンさんは昨日お仕事で？」
「いや？経理部の皆にって大きなお菓子わざわざ持って来てくれて。その後は休暇だったと思いますよ」
「そうですかぁ…」
愛の日に
やけにグラマラスな下着姿の女性の画像と「またお店に来てね」の一言は無事セリカの心に怒りの爪痕を残したのだった。
「これ、ファンさんの携帯端末ですぅ」
「あ、すみません。え？何でミカナギさんが？」
「たまたま拾ったんですぅ。でも──」
セリカの瞳は、金色である筈なのにさながらベンタブラックと言うべき暗さだった。
「私が届けて差し上げる義理も温情も無いので。お仕事でファンさんに会われるならお願い致しますね」
「あ、はい……あの、ファンさんは今日もミカナギさんのところに休憩がてら向かうんじゃ無いかなぁ…？とは思うんですが…」
「今日は暇では無いので謹んでお断りいたしますぅ」
その後、一週間はセリカにまともに口を聞いてもらえず泣きそうな顔をしているギャリーの姿はよく目撃された。愛の日の落胆ぶりと言い、「ギャリー・ファンはその前後でおそらく失恋したのだ」と言う噂は瞬く間に広がった。
そんな彼の痛々しさが目に余ったのか、ロードは喫煙所で彼と再会した際、自分の勧めた店に関して特に感想を述べなかった事から何かを察し、何も言わずに彼に紅茶を奢ってやった。
「……ロード、お勧め貰ったお店のお姉さん、サービス最高だったよ…」
「あ、そこは無事満足したんですね」
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