愛の日にプロポーズを／べにざくろ

愛の日　前日譚
愛の日　当日

愛の日　前日譚

「マルムフェさん、妹さんからＦＡＸ届いてますよ」
「ありがとうございます。そこに置いておいて下さい」
　可愛い妹からのファクシミリなんて今すぐ見て内容を確認したいに決まっているが、冷静さを保ってファクシミリの紙を持ってきた同僚にお礼を言う。
　ファクシミリを手にとりたい衝動を押さえつけながら次に手にとったのは機械マス班の提出した領収書。良く分からない商品名が並んでいて眉を顰めるが、店の名前を見て納得する。
（ベネットさんが言っていた店だ）
　ギルバートが謹慎前に残していった引継ぎのメモを取り出して眺めると、確かにアルヴィの記憶通り領収書に書いてある店に関しての注意が書いてあった。
　『店主が領収書に略称で書きたがる為、一般人には理解し難いが全てビスの名称である。多忙な機械マス班の手を煩わせない様、名称を良く確認してから処理するよう気をつける事』
　その下には流麗な文字で書き記されたビスの例が書いてあって細やかなギルバートの性格が窺えた。そのビスの例の一番上にはチーズというビスの名前があってアルヴィは変な顔になる。確かにこれが領収書に書いてあったら食べ物のチーズだと思うかもしれないし、このビス屋には正式名称で書いて貰いたいものである。それか機械マス班には注釈をつけて貰いたいが、それはギルバート的には『多忙な機械マス班の手を煩わせる』ことになってしまうのだろうか。そんなことを考えながら領収書を処理していく。
　ウルリッカからのファクシミリを早く見たい一心のアルヴィの手は早かった。つい先日もツインテールの日にツインテール姿のウルリッカの画像をシリルから貰ったアルヴィの仕事は早かったが、それに勝るとも劣らない早さだ。人間、ご褒美があれば頑張れるものなのである。
「あー!!! 」
　唐突に部屋中に響き渡る声が上がり、経理部中の視線がとある彼に集まった。視線を集めてしまったことに気付いた彼は「すみません」と謝りつつも手にしていた紙を隣のメンバーに見せる。見せられたメンバーも内容を理解して天を仰いだ。
「どうした? 」
「何何? うっわー…… 」
　他のメンバーも興味を持ってその紙に集まる。アルヴィも気になっているが、そこで人の輪に加わりにいけるような人間では無いので皆の動向を探ろうと顔を向けるだけだ。
　すると集まって騒いでいたメンバー達が全員アルヴィを見た。いきなり人の視線が集中して居心地が悪いが、精一杯の引き攣った笑みを浮かべながらアルヴィは口を開く。
「えっと……何か? 」
「マルムフェさん!! 」
「はい!? 申し訳ありません!! 」
　反射的に謝ってしまうアルヴィに渦中の紙が突き付けられる。紙の一番上に書いてあるのは『請求書』の三文字だ。
「総務部から回ってきました」
　請求書の下に大きなフォントで書かれた金額にアルヴィは目を剥く。なかなかに金額が大きい。何を買ったらこんな金額になるのだろうと思っていると今度は詳細別紙を突きつけられた。
　詳細別紙に記載されているものは商品名等になる訳だが書いてある物が物だった。道路反射鏡一基2万イリ…信号機一基7万イリ…道路使用許可申請手数料に掘削工事代、舗装料などなど…一体誰がこんなことを、とは思わない。経理部のメンバーの反応からしてもアルヴィの嫌な予想は的中しているに決まっているからだ。
　たまに彼等はこういうことを仕出かす。
　彼等、とは当然のことながら前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊な訳で。前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊といえばアルヴィの妹のウルリッカが所属している訳で。
「誠に申し訳ございません!!! 」
　本日一のアルヴィの大声が経理部中に響き渡った。

　*　*　*

　休憩所の自動販売機で紅茶缶を買って備え付けのロビーベンチに腰を下ろす。紅茶を一口飲んで、溜息を一つ。
（疲れた…… ）
　精神が。
　空きっ腹に紅茶を飲んだからなのか、はたまた精神的なものか胃が痛い。思わず胃を押さえてしまう。
「大丈夫ですか? 」
　耳に届く自分を心配する聞き慣れぬ男の声。目線を下げていたアルヴィの目には、あまり見慣れない着物が映っていた。
「すみません、大丈夫です…… 」
　顔を上げてアルヴィは目を丸くする。そこに立っていたのは珍しい赤い髪の男だったからだ。
「何か……? 」
「ああっ! いえ、すみませんっ!! 綺麗な赤毛だな、と思いまして…… 」
　言ってしまってから口を抑える。アルヴィの産まれた山神集落コタンでは赤毛は羨望の対象だが、下の街ではそうではないことを思い出したのだ。
　そもそも自分だって赤毛なのに何を言ってしまっているのか。きっと、彼に変な人だと思われていることだろう。体調が悪い見知らぬアルヴィを気遣ってくれるような親切な人に変な人と思われるなんて嫌だな、と思いつつ彼の反応を待つ。
「ありがとうございます」
　見た目から察するにアルヴィより年下であろうが、赤毛の彼は精神的に大人だった。少し苦笑いのような色を含んだ笑みを浮かべながらアルヴィに応える。
（よくできた人だ）
　アルヴィが惚れ惚れと見ていると彼は袂に手を入れて何かを取り出して、それをアルヴィに差し出した。
「胃薬? 」
　それはジョニー・ヘルスケアという製薬会社の販売する一般的な胃薬だった。アルヴィも良くお世話になっているので見覚えがあって、胃薬と彼、2つを思わず交互に見てしまう。
「これ効くので。良かったら使ってください」
「あ、ありがとうございます…… 」
　見知らぬ彼の行為が有り難すぎてそれだけで胃痛はどっかへ行ってしまいそうだったが、好意を無下にすることは出来ないので胃薬を受け取る。
「あの…… 」
「あ、サオトメ先生!! 先生も休憩ですか!? 」
　アルヴィが親切な彼の名前を聞こうと口を開きかけた時、休憩所の入口から聞こえた能天気な声がそれを遮った。見ればハニーブロンドの髪をした青年がいて、確か彼はマルフィ結社に入社する時にロードに案内された人事部の部屋にいたなと記憶を思い出す。
（サオトメ先生…? 先生と呼ばれる立場といえば医療ドレイル班だが彼の体躯からすると医療ドレイル班とは思えない。しかし…… ）
「こんにちは、マルムフェさん」
「え!? あ、おつ、お疲れ様です…… 」
　人事部の彼とアルヴィは直接話した覚えがないにも関わらず、彼はニコニコと話し掛けてくる。
「あの、どうして名前…… 」
「オレ、人の顔を覚えることが得意なんで。経理部のアルヴィ・マルムフェさんですよね? 人事部のタイガ・ヴァテールです」
　そこまで言ってタイガは“ サオトメ先生 ”を見る。
「ところでアルヴィさんとサオトメ先生がどうして一緒に? 」
「たまたま此処で会っただけだ……挨拶が遅れましたが、前線駆除リンツ・ルノース班第四小隊、小隊長のロナ・サオトメです」
「小隊長…… 」
（ウル、敬愛するならこっちの小隊長さんにしなさい）
　思わず、内心で今は遠くの支部に行っている妹にツッコミを入れる。正月にたまたま出会った前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊のユウヤミ・リーシェルは随分と良い人感を出していてはいたが、どことなく胡散臭いものがあった。それに比べて目の前のロナ・サオトメはどうだ。見知らぬアルヴィの身を案じ胃薬まで渡してくれる優しい人間だ。尊敬や敬愛や崇拝といった感情は、こういう立派な人に向けるべきだろう。あんな怪しい奴じゃなくて。
「他にやる人間がいないから小隊長を勤めているだけです」
（ほら、こんなところまで謙遜するなんて素晴らしい方だ。やはり崇拝するならロナ・サオトメさんにするべきだ）
　次にウルリッカに会ったら言ってみよう。
　そういうところが妹に嫌われる要因だということが分からない兄は内心で固く誓う。
　気付けば、アルヴィはそろそろ経理部の部屋に戻らないといけない時間だった。名残惜しいが仕事は溜まっている為、アルヴィはロビーベンチから立ち上がる。
「サオトメさん、ありがとうございました」
　ロナに頭を下げて、タイガに会釈をすると空き缶をゴミ箱に入れて休憩所を出る。経理部への道すがら、ふと思った。
（そういえば何で人事部のヴァテールさんが前線駆除リンツ・ルノース班のサオトメさんを“ サオトメ先生 ”と呼んでいるんだ? ）
　その疑問は解消しなかったが、途中で思い直す。
（またサオトメさんに話しかける話題が出来たと思えば良いか）

　*　*　*

　結局、アルヴィがウルリッカからのファクシミリの内容を確認できたのは仕事を全部終えて部屋に帰ってからだった。食堂に行く元気もないので、作り置きしておいた白スープに予め茹でて保存しておいた蕎麦デバツの実を入れて電子レンジで温める。
（さて、ウルからのファクシミリを確認しないとな）
　夕飯を温めている間にポケットに畳んで持って帰ってきたファクシミリを広げることにした。そもそも携帯型端末の番号やアドレスを交換していればファクシミリなんていう旧時代の連絡手段を使用せずに済み効率も良いのだが、ウルリッカは効率よりも兄への嫌悪感が勝っているらしい。
　少し悲しい気持ちになりながら紙を開くとウルリッカの上手とはいえない字が並んでいる。しかし、その直筆が見られるのだからファクシミリも悪くないとアルヴィはファクシミリへの評価に掌を返す。

マス・サーキュへのプロポーズ方法
1.108本のばらを買う
2.ひざまずく
3.「私のマス・サーキュになってくれ」と言う

~~ユウヤミ隊長から聞いたけどユウヤミ隊長から聞いたってことは誰にも言っちゃダメだからダメ。~~

「ウルちゃん……駄目な事は書いちゃ駄目なんだよ…… 」
　ウルリッカの阿呆の娘こぶりが全力で発揮されたファクシミリの文章に思わず頭を抱える。妹の阿呆の娘こなところは大変可愛らしいと思う。思うが、これで人生大丈夫かと心配にもなる。
　そこで丁度よく電子レンジが終了を告げる為に鳴ったのでファクシミリをテーブルの上に置いて食事を取り出す。
　誰に見られる訳でもない食事なので保温容器から他の食器へ移し替えることもせずテーブルに運ぶと、そのまま食べ始める。食べながらも目はファクシミリの紙へ釘付けである。
（ユウヤミ・リーシェル……純粋にウルが信じると考えてブラフを告げたのだろう）
　そもそも、機械人形マス・サーキュにプロポーズして主人マキールになる文化なんて無い。あれはシリルなりの冗談に自分が乗っただけのことであって何故それを他の人に聞いているのか。
　まさかウルリッカが『全ての主人マキールが機械人形マス・サーキュにプロポーズしている』と勘違いしている事を予想もしていないアルヴィである。全ての責任はユウヤミ・リーシェルにあると思うしかなかった。
（僕としてはシリルに好みとか理想とか聞いといて貰うつもりだったんだけどなぁ）
　ウルリッカが仕入れた情報通りにやらなければ、ウルリッカの機嫌が悪くなることは目に見えていた。それは兄としては避けたい。
「 108本の薔薇、予約しなくちゃ買えないだろうなぁ…… 」

愛の日　当日

　愛の日当日、経理部はそれなりに盛り上がっていた。というのもギルバート・ホレス・ベネットの謹慎が数日前に終わっており、通常のメンバーによる業務が戻ってきたからだ。
　一人いないだけで格段に作業効率が落ちるということは本来は無い。そうであれば誰も休暇がとれないし人員不足にも程があるという話になってしまう。しかし、今回のギルバートの謹慎は事情を知らないメンバーが大多数とはいえ、深い事情があって彼が抜けていたことは明らかだった。その為、全体の士気が落ちており作業効率が悪くなっていた部分があったことは事実である。しかし、ギルバートは帰ってきた。もはや憂いは無くなり、今日は楽しい愛の日だ。
（まぁ、今日はベネットさんは休暇な訳だけど）
　そのギルバートは休暇だというのに、わざわざ経理部へ来て全員に行き渡る分のお菓子を持ってきて先程帰ったばかりだ。家に帰ったのだろうか、それとも―――。
（アン・ファ・シンの所にでも行ったのかな）
　アルヴィの脳内では清楚で慎ましやかで乙女なアンが恥じらいながらチョコレートを渡す姿が妄想されていた。それを恥ずかしそうに受け取るギルバートもしっかり妄想出来ている。愛する人がいることは良い事だと思いつつも羨ましいと思ってしまう気持ちもあって、少しだけギルバートに嫉妬して電卓を叩く手が強くなった。

　*　*　*

　終業後。
「お疲れ様でしたー」
「お先失礼しますー」
　メンバーが三々五々に帰って行く中、アルヴィも帰宅の準備をしていた。いつもならば後はやることもないが今日は特別な日。これからが本日のメインイベントだ。
「マルムフェさーん」
「はい? 」
「お迎え来てますよー、妹さんが」
（幻聴かな）
　同僚のかけてくれた言葉にアルヴィは耳を疑う。アルヴィの中で「お迎え」と「妹」は結びつくものではないからだ。
　しかし疑いながらも入口に目を向けて驚愕する。そこにいたのは確かにウルリッカで、しかも遠目に見ても分かるくらい機嫌が良い。
「ウル!? どうしたの!? 」
　人間の出せる最高スピードで片付けを終えたアルヴィがウルリッカに声をかける。彼女は手に何やら紙袋を持っていた。今日は愛の日。もしかして、もしかして?
「アル兄にい」
　ウルリッカが珍しく兄を呼ぶ。もはやこれがプレゼントでも良いくらいだなんて思いながら、アルヴィは次の言葉を待った。しかし、次の言葉を発したのはウルリッカではなかった。
「ゴメンなさいねー、居るのはウルちゃんだけじゃないのよ」
「ええっ!? シリル!? 」
　死角になるような位置に上手く隠れていたシリルが姿を現す。驚いたが本日のメインイベントの相手が自ら来てくれて助かったとも思う。
「いや、君にも用があったから助かる」
「あらー、イヤだわ。何の用かしら」
「全く。白々しいな、君は」
　シリルの目はアルヴィの内心を見透かしたように笑っていた。こういう性格の機械人形マス・サーキュだから口下手なアルヴィとしては付き合いやすくて、主人マキールになっても上手くやっていけそうな気がするのだけれど。
「薔薇は? 」
　ウルリッカがアルヴィに囁く。薔薇は今日のメインイベントの必須アイテムだが、注文して届いた薔薇の花束の大きさを思い出したアルヴィの口から乾いた笑いが漏れる。
「さすがにアレは職場に持って来れないよ……部屋に置いてある」
「じゃあ、行こ」
　アルヴィの返事も聞かずウルリッカはスタスタと歩き出した。そんな彼女の背中に慌ててアルヴィは声を上げる。
「ウル! 僕の部屋が何処か知らないのに先に行かないで!! 」

　*　*　*

　ウルリッカは当然のようにアルヴィの部屋を知らなかったので、結局アルヴィを先頭に部屋に向かうことになった。
　部屋に入った瞬間、ワンルームの部屋のテーブルの上にとんでもない主張感を持って置かれた紫の薔薇の花束が目に飛び込んできて、ウルリッカの目は輝き、シリルの目は死んだ。
「あ、あらー? コレは……もしかして…… 」

回想ココカラ↓
ある日、隊長＆ヨダカに言われたコト。
「シリル君、君のために素敵な情報をマルムフェ君に伝えておいたからね。感謝してくれ給え」
「主人マキールの悪巫山戯の責任は自分でとってください」
ある日、ウルリッカに言われたコト。
「シリル、薔薇は好き? やっぱりプロポーズは愛の日だよね」
回想ココマデ↑

　確かに昨年、主人マキールになりたいと言うアルヴィにふざけて『プロポーズはもっとロマンチックにやってくれなきゃ』とは言った。言ったが、本当にプロポーズの準備をしてくる人間が何処の世界にいるのだろう。あ、ここに居たか。
　そんなシリルを後目にアルヴィが薔薇の花束の元へ向かう。
「シリル」
　名前を呼ばれては無視する訳にもいかず、シリルは後ろからウルリッカのワクワクしている空気をひしひしと感じながらアルヴィの側へ寄った。アルヴィが立派な花束を手に持つ。
「夜景の見えるレストランでも、夜景の綺麗な場所でもなくて申し訳ないが」
「別にそんなに夜景に拘らなくてもイイわよ…… 」
　言いながらもバートとリアシリルの前の主人が、ミクリカの噴水広場のイルミネーションが綺麗な夜に108本の薔薇の花束を跪いて渡してプロポーズしたという話を何度も何度も聞かされた記憶メモリーが甦ってきて辛い気持ちになる。
　あの二人は、もうどこにもいないのだ。
　奇しくも、その噴水広場で死んだのだから。
　アルヴィが用意した花束はシリルの髪の色と同じ淡い紫の薔薇が108本。108本という数字がそのまま｢プロポーズ｣の意味になっているらしい、とアルヴィは後で調べて知った。
　アルヴィ・マルムフェ。人生初のプロポーズ。
　出来ることなら人生最後のプロポーズになりませんように。
　そんなことを山神へ願いながら口を開いた。
「私の機械人形マス・サーキュになってくれませんか? 」
　荒唐無稽な質の悪い演劇のようだと思いながらも、アルヴィは脆いてシリルの反応を待った。シチュエーション以外は我ながら完璧なプロポーズだったんじゃないだろうか。チラリとウルリッカを見ると、彼女は目を輝かせて胸の前で祈るように手を組んでコチラを見ていた。こちらの反応は上々だが、問題はプロポーズした本人のシリルの方だ。言い出しっぺのわりにテンションが低い。
「シリル? 」
「色々と驚いたけど……イイわよ」
　苦笑交じりであったがシリルは頷いて花束を受け取った。てっきりもう少しテンション高く受け取ってくれると思っていたので、自分は何か失敗をしてしまったのだろうかと不安になる。アルヴィの不安を感じ取ったシリルが苦笑する。
「アルが悪いワケじゃないの。一番最初の主人マキールのコトを思い出しただけ」
「最初の主人マキール…… 」
「ええ……まあ、アルにしては素敵なプロポーズだったんじゃないかしら? 」
「ありがとう。これから宜しく頼む」
「ヨロシクね」
　そう言って主人マキールと機械人形マス・サーキュは握手を交わし合う。
　元々、シリルはアルヴィの申し出を断る気はなく昨年言われた時に即答したって良かったくらいだ。ただ、それは自分の設定された性格上では似合わない行動だったのでプロポーズを強請っただけである。まさか、ここまでベタベタなプロポーズをしてくるとは予測もしていなかったが。
「一つお願いがあるの。最初の主人マキールのコトをワタシから削除しないで頂戴」
　人間とは違い機械人形マス・サーキュの記憶を削除することは簡単だ。中古市場に流れる機械人形マス・サーキュは皆そうやって削除されている。しかし、シリルはそれをしたくなかった。
「それは別に構わないが」
「良かった……とりあえず明日からはココに住むからね」
「そちらの件に関しても問題ない」
　アルヴィは部屋はそれなりに片付けるタイプなため部屋の物は多くても片付いている。それにシリルを受け入れる準備をしてきたので、その点に関しては準備万端だ。
「主人マキール変更は明日、汚染駆除ズキサ・ルノース班に頼みましょう。とりあえず今日は現主人マキールに報告してくるわ」
　ニコッと笑うとシリルは薔薇の花束を抱えて部屋を出ていく。「後は兄妹で仲良くね? 」とアルヴィにだけ聞こえるように囁いて。
「 …… 」
　沈黙。
　しかし、シリルが出ていってもウルリッカは出て行かなかった。
「えっと、ウルはご飯食べた? 」
「まだ」
「お兄ちゃんのご飯、食べる? 」
「うん! 」
　ウルリッカが頷いたことに安堵して冷蔵庫を開ける。横からウルリッカが冷蔵庫を覗き込んで中に入っている食材を一瞥して一言。
「炒蕎麦エル・デバツが良い」
「炒麦エル・バツじゃなくて? 」
「蕎麦デバツが良い」
　ウルリッカがキッパリと言い張るのでアルヴィは炒蕎麦エル・デバツを作ることにする。麦バツが主食のカンテ国で蕎麦デバツは貧乏人の食べ物と揶揄られたりするが、山育ちの2人にとっては寒冷地でも育つ蕎麦デバツの方が馴染みの強い食品だ。
　買い込んでおいた蕎麦デバツの実と、みじん切りにした玉葱と牛挽肉をそれぞれ炒めてから併せて弱火で煮込む。20～30分で完成するのでその間に呑気にお茶を飲むことにした。
（妹と対面してお茶が飲めるとか愛の日最高!! ）
　そこまで思ってアルヴィは妹にあげるべきチョコを買っておいたことを思い出す。業務中に渡せる機会が来るとも思えなかったので部屋に置いたままにしておいたのだ。
「ウル、これ」
　買っておいたのは経理部へ纏めて配ったチョコ菓子と同じもの。安定と安心の株式会社メープル製菓製のものだ。
「ありがとう」
　そう言って受け取ったものの無表情ながらウルリッカの機嫌が若干悪くなったことをアルヴィは兄としての勘で嗅ぎとる。
「これ、嫌いだった……? 」
「ううん、好き」
　首を横に振ったウルリッカはずっと持っていた紙袋をテーブルの上に置いた。そして、それをアルヴィの側へ押してくる。
「もしかしなくても、僕に? 」
「うん」
　上をしっかりテープで止めてあった紙袋を開けたアルヴィは目を丸くする。
　入っていたのはパウンドケーキ。色合いと香りがチョコレートが入っていることを伝えている。今、重要なのはそこでは無い。それは明らかに購入した市販品ではなくて手作り感があって、それを渡してくるのがウルリッカということはウルリッカが作ったという訳であって、ウルリッカはアルヴィの妹で。
（妹の手作りパウンドケーキ!! ）
　山神様に神饌として捧げた方が良いんじゃないだろうか。いや、でも美味しいうちに食べたいから山神様へは気持ちだけお供えして、ありがたく自分で食べることにしよう。アルヴィは勝手に結論付ける。
「ありがとう、ウル」
　感動で涙ぐみながらアルヴィが言うと、ウルリッカは座った目で彼を睨んでいた。
「ど、どうしたのかな? 」
「アル兄にいが作ったの食べたい。昔作ってくれたとろーっとしたやつ」
　昔作ったとろーっとしたやつ。
　アルヴィは記憶を探り、一つの菓子に行き着いた。
「フォンダン・オ・ショコラかな……? 確かマグカップで作ってスプーンで食べた」
「それ。それ食べたい」
　材料を思い浮かべると、どれも丁度あったはずだ。ここで材料が無かったなんていう日にはウルリッカにどれだけ嫌われていたことだろうか。食材をしっかり買っておいた過去の自分に感謝しておくことにする。
「じゃあ、お夕飯食べたら作ってあげるから、とりあえずお夕飯にしようか」
「うん!! 」
　そうして上機嫌な妹と食べる夕飯とフォンダン・オ・ショコラはプロポーズという大仕事を終えたのもあって何だか格別に美味しいような気がして、アルヴィは幸せに愛の日を終えたのだった。

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