愛の日にフィナーレを／べにざくろ
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g_a3b2c3o12 2021年02月08日(月) 19:18:41履歴
時刻は午後11:00。人によっては深夜だという時間であるし、保育部の良い子達はとっくに夢の世界に旅立っている時間だ。
―――起きてるよな?
しかし悪い大人のテオフィルスは起きていて、こんな時間に送るには失礼に値するであろうメッセージを携帯端末から彼女に送る。普通の女子相手ならこんな時間にこんな不躾なメッセージは送らない。相手が起きているという確信があってこそのメッセージだ。
―――何?
ほんの僅かな時間で予想通りに彼女から酷く淡白なメッセージが返ってくるので思わずテオフィルスは笑ってしまう。味気ないメッセージが返ってくるのも彼の予想通りだった。
―――部屋、行っていいか?
携帯端末は暫く沈黙していた。文章が拙かっただろうかとテオフィルスが心配になる頃（ それでも経過した時間は数分だ ）、ようやく端末へメッセージが届く。
―――いいよ。
「 よしっ 」
正直、駄目だと断られた所で行くつもりのあったテオフィルスは安心して彼女の部屋に向かうことにする。本来ならばこんな時間に行くつもりは毛頭なかったが、彼女へどんな顔をしてあったらいいのか悩んでいるうちに、こんな時間になってしまったのだ。携帯端末をポケットへしまい、前日から用意してテーブルの上に一日置きっ放しになってしまった紙袋を手にして部屋を出る。
自然に早くなる足に苦笑しつつも、今日中に彼女に会いたいのだから仕方ないと自分の行動に理由付けをして彼女の部屋へ急いだ。
彼女の部屋は単身寮の一室。隣近所に迷惑にならないように足音には注意して廊下を歩く。機械 班特製（ 別名:ロザリー・エルナーの楽しい研究品 ）の義足は、見た目は完全に人の足そっくりだが中身はカーボンとアルミの塊。生身の足と全く同じように静かに進むことが出来ず歯痒い。
（ 足があればな ）
時折、そう思ってしまう自分がいることが辛い。ギロクによるテロの際に右足と長年の相棒だった機械人形 を犠牲に助かった命なのに喉元過ぎれば何とやら、五体満足で助かりたかったと甘えた事を思う自分が生き汚くて憎かった。
その切断した足は放っておけば出血多量で死んでいた。助かったのは初期の処置が、つまりそれは彼女の処置が良かったからで。
（ 命の恩人でもあるんだよな、コイツ ）
命の恩人ともいえる彼女の部屋のインターホンを押そうとして、その音が近所迷惑になるのではないかと思いついて指を引っ込める。代わりに手に取ったのは携帯端末だ。
―――着いたから、ドア開けてくれ。
メッセージを送って直ぐに扉が開いて青みがかった黒髪の女が顔を出す。その顔を見た瞬間に嬉しくなる反面、テオフィルスは眉を顰めた。
「 ヴォイド、部屋の鍵は掛けろ 」
扉が開くまでにテオフィルスの耳に聞こえたのは部屋の住人の足音とドアノブを捻る音、それに扉の蝶番の音だけだ。鍵を開ける音がなかったことに苦言を呈するがヴォイドは全く意に介さない。
「 それで、何? 」
そう言うヴォイドの服装は相変わらず下着のような姿だった。今日は胸元のクラシック調レースが豊満な胸を包み込み、アシンメトリーフレアの裾からは白い腿が覗く桃色のベビードールで大変に眼福だ。いや、これをこんな時間に目撃してしまったら並の人間なら襲っていることだろう。
「 ちょっと中へ良いか? 」
玄関先で話していては話し声が周囲に聞こえてしまうし、万が一にも通行人がいればヴォイドの格好が見られてしまう。そのつもりで言ったのだが、ヴォイドは訝し気にテオフィルスを見つめている。
「 ……変な事はしねぇよ 」
「 そう 」
納得したようなしてないような顔でヴォイドが扉を大きく開くので身を滑り込ませる。テオフィルスの後ろでパタンと扉が閉まった。
「 今日、会わなかっただろ 」
会わなかった、ではなくヴォイドが出勤だと聞いていたので医療 班の部屋を避けていただけなのだが、たまたま会わなかったかのような顔をして紙袋をヴォイドの前に突き出す。
「 何これ? 」
「 愛の日だからな。お前にやろうと思って 」
内心は心臓が早鐘を打っていたが平然とした顔を保ち続けた。もしも、ヴォイドが受け取ってくれなかったらどうしようかと思ったが、食欲旺盛な彼女は疑いもせずに受け取ってくれて安堵する。
中身はカントゥッチ。アーモンドとチョコチップを練りこんだ生地を二度焼きした硬めのビスケット菓子だ。日持ちがするもので、とノエに密かに相談し、意外にもテオフィルス本人が焼いたものである。
一応、かつての暮らしの中で生きる為に料理はしていたが、菓子などという嗜好品にありつくことは少なく、ましてや作るなんて発想のないものだったのでテオフィルスは非常に苦慮した。お菓子のレシピというものは膨大で何を作れば良いのかも、どれが素人向けかも分からない。だから恥を忍んで他者に相談してまで作り上げた。当然、ノエの主人 であるタイガ・ヴァテールには気付かれないように時間を調整したりして上手く相談したのは言うまでもない。
そこまでしてでも自分で作ったものをヴォイドに贈ってみたかった。何故なら今まで一度も愛の日に彼女へ何かを贈ったことがないから。愛の日にヴォイドがテオフィルスの所へ来なかった年もあるし、テオフィルスが仕事が忙しくて会えなかった年もある。そもそも、岸壁街の下層の人々は生きることに必死で愛の日に物をあげる文化が無かった。
幼馴染みたいなものだと他人に言ってみても、気が向いたら顔を合わせる程度の距離感の関係。所詮、それが昔の2人の関係だった。
だから、今日はそれに終止符を打つ。
「 味は問題ない。他の人にもどうせ貰ったんだろ? 日持ちもするから気が向いたら食え 」
「 うん 」
ヴォイドが頷く。それを見て第一段階は終了。
本当に話したかったことは此処からだ。
「 なぁ、ヴォイド 」
声をかけるとヴォイドの視線が紙袋の中身からテオフィルスへ移る。
その顔を改めて見つめてテオフィルスは言葉を発することを躊躇った。
「 どうしたの? 」
声を掛けてきておいて何も言わないテオフィルスの様子を不審に思ったヴォイドが一歩、彼に近付く。ふわり、と彼女の香りがして、それが彼の感情の引き金となる。
「 良いか? 今だけ15歳のヴォイドに戻って聞け 」
「 何言ってるの? 」
本当にヴォイドの目までもがそう言っていた。自分だって同じことを言われる立場になっていたら同じ顔をしていたことだろう。
それでもこれは過去の精算なのだから、今の25歳のヴォイドに伝えたい事ではないんだと思って再び口を開く。
「 良いから、今のお前は14歳の食い逃げの得意な猿みたいな……痛っ! 」
テオフィルスはヴォイドに思い切り義足ではない左足を踏まれる。まさかそんな反応が返ってくると思わなかったテオフィルスは生理的に目に涙を浮かべてヴォイドを見た。
「 お前……昔は猿みたいって言われて喜んでたじゃねぇか 」
「 昔は昔。今は今 」
「 分かった分かった。とにかく今だけは可愛かった昔の……あー、はいはい睨むなって、今も十分可愛いヴォイドちゃんだけど、とりあえず15歳の気分になってくれって 」
彼女の華奢な両肩に手を置いて懇願すると納得してない顔だがヴォイドは黙ってテオフィルスを見た。そのヴォイドの顔に、ようやく話を進められると思う自分と、話を進めなければならないのかと躊躇する自分が内心で啀み合う。先に白旗を上げたのは後者の自分だ。
一回目を閉じて深呼吸をする。
テオフィルスが目を開いた時、自分の目の前にいるのは14歳のヴォイドだ。岸壁街の下層で軽やかな身のこなしで食い逃げを繰り返していた可愛い少女。時々、テオフィルスの前に姿を見せたと思えば見せなかったりする気侭な少女。
そんなヴォイドが一緒にいる生活が当たり前すぎて、この感情に気付くことが無かった。果たしてあの頃、この事を言えていたならば何かが変わっていただろうか。
「 愛してる 」
たった五文字の言葉を唇に乗せる。あの頃からきっと彼女に抱いていた感情だったのに、身体だけを成熟させて精神的に幼かった自分はこの感情に気付けなかった。だから愚かにもヴォイド本人へ伝えるまで10年以上かかってしまった。
言い切ってヴォイドの反応を見る。彼女の事だから、きっといつも通りの冷めた目で「 何言ってるの? 」と言ってくるだろう。そう思っていたのに。
「 誰が、誰を……? 」
予想外に分かりやすく動揺しているヴォイドの表情と声に思わずテオフィルスは笑ってしまう。ヴォイドの肩を掴んでいた右手を離して、落ち着かせるように彼女の頭を優しく撫でた。
「 17歳の俺が14歳のお前を、だよ 」
「 嘘 」
「 嘘みたいだよなぁ。あの頃のお前に言えなかった自分を本当に殴ってやりたい 」
ヴォイドの顔は普段の彼女からは想像出来ない程に真っ赤になっていて可愛らしい。この表情が見られただけでも言った価値はある、とテオフィルスは彼女の表情を忘れないようにしっかりと見つめておくことにした。
もしかしたら、を想像して後悔しても何も戻らない。それでも彼女のこの反応に14歳のヴォイドに伝えられていたならば、彼女を見失うことは無かったのではないかとも思う。
14歳。それはヴォイドがテオフィルスの前から姿を消した歳だ。
クラッカーの犯罪集団に所属し真っ当な金ではないけれど金を稼げるようになってきて彼女を養えるのではないかと密かに思っていた矢先、ヴォイドは忽然と姿を消した。どれだけ探し回っても広くはない岸壁街中のどこにもヴォイドはおらず、死体も見つからなかった絶望の日々は思い出したくもない。
そして彼女を探し回って、探し回って、テオフィルスは一つの結論に至ったのだ。それは認めたくない辛いことだったが、認めてしまえばヴォイドが何も言わずに姿を消した事が腑に落ちた。
テオフィルスが至った結論。
それは自分が彼女にとって“ その程度の存在 ”だったということ。
だから何年か後に今度はヴォイドが医者として活躍する姿を見ても、心配していたことなんて微塵も感じさせずに彼女に接した。ヴォイドも何処に居たとか何をしていたとか何も言わなかった。その姿を見て「 ああ、やっぱり俺は“ その程度の存在 ”だったのだ 」と己を嘲笑った。
医者と患者。それが2人の関係だと線を引いて暮らしてきた。
「 ……何で今頃言うの? 」
「 今日は俺達がマトモに迎える『 愛の日 』だからな。言ってみようと思ったんだよ 」
伝えたところで何も変わらないことは分かっていた。だから菓子作りを教わったノエにも『 クッキー系の菓子言葉は“ 友達でいよう ”ですよ 』と言われても笑って流してカントゥッチを作り、今だって昔の気持ちだったとばかりに愛の言葉を告げる。
自分が傷つかない為に策を巡らせてヴォイドに想いを告げるなんて我ながら汚い男だと思う。
だから汚い男は、頭を撫でていた手を動かして彼女の前髪を上げる。
本当はヴォイドの唇を奪ってしまいたいけれど、それは彼女が好きになった人に捧げるものだから奪ったりはしない。
「 だから、今のお前に言うなら『 愛してた 』かな 」
過去形にして笑うと、ヴォイドのおでこに口付けを一つ。『 おでこへのキスは相手への祝福 』だと教えてくれたのは、どの娼婦だったか。否、母親がそう言って良くやってくれたんだ。
「 な、な…… 」
余計に顔を真っ赤にするヴォイドが愛おしい。
でも彼女は俺のモノにはならないから。
「 可愛い妹にお兄ちゃんから祝福だ 」
そうやって自分の気持ちに蓋をして、最後に頭を一撫でしてヴォイドから離れる。
幼かったヴォイドの庇護者。兄貴分。それが自分のポジションで充分じゃないかとテオフィルスは自分に言い聞かせた。
「 遅くに悪かったな 」
そう言って身を翻すとドアノブを掴む。その服の袖をヴォイドが掴んで止めた。その挙動に何かを期待しそうになるが、直ぐにそれを打ち消して兄の顔で笑う。
「 んー? どうした? 」
「 ちょっとだけ、ちょっとだけ待って 」
そう言うとヴォイドは奥に消えてテオフィルスが渡した紙袋を置いて、違う箱を持ってきた。チョコレートの入った箱だ、と外観から簡単に検討がつくそれをテオフィルスに差し出す。
「 あげる 」
「 ……折角だから食べさせてくれねぇ? 」
親鳥からの餌を待つ雛のように口を開けてみせると悩んだ末にヴォイドの手が動いて箱を開けた。中身はトリュフチョコレートだった。一つ摘んだヴォイドの指がテオフィルスの口に伸びる。
軽く入れられた時に唇に指が触れてこのまま噛み付いたらどうなるんだろうと思考するが馬鹿馬鹿しいと一笑し、大人しくチョコレートだけをいただくことにした。
噛み砕くと、チョコレートの甘みが口いっぱいに広がる。
「 お前から物が貰える日が来るなんてなぁ 」
「 ……前だってあげてた 」
「 肉一切れとかな 」
昔の記憶が出てきて口が滑った。ヴォイドが機嫌を損ねた顔をするので、その頭をもう一回だけ撫でて「 悪い 」と謝る。
「 余った分は自分で食えよ。お前、どうせいっぱい食うんだから 」
それだけ言って、今度こそテオフィルスはヴォイドの部屋を後にした。ドアが閉まる直前までヴォイドが文句を言っていたような気がしたが、全部聞き流す。
甘い、甘いチョコレート。
だけど、口に残ったそれは不思議と苦く感じられて。
いつかチョコレートが甘いだけの日は来るのだろうか、とテオフィルスは独りごちた。
―――起きてるよな?
しかし悪い大人のテオフィルスは起きていて、こんな時間に送るには失礼に値するであろうメッセージを携帯端末から彼女に送る。普通の女子相手ならこんな時間にこんな不躾なメッセージは送らない。相手が起きているという確信があってこそのメッセージだ。
―――何?
ほんの僅かな時間で予想通りに彼女から酷く淡白なメッセージが返ってくるので思わずテオフィルスは笑ってしまう。味気ないメッセージが返ってくるのも彼の予想通りだった。
―――部屋、行っていいか?
携帯端末は暫く沈黙していた。文章が拙かっただろうかとテオフィルスが心配になる頃（ それでも経過した時間は数分だ ）、ようやく端末へメッセージが届く。
―――いいよ。
「 よしっ 」
正直、駄目だと断られた所で行くつもりのあったテオフィルスは安心して彼女の部屋に向かうことにする。本来ならばこんな時間に行くつもりは毛頭なかったが、彼女へどんな顔をしてあったらいいのか悩んでいるうちに、こんな時間になってしまったのだ。携帯端末をポケットへしまい、前日から用意してテーブルの上に一日置きっ放しになってしまった紙袋を手にして部屋を出る。
自然に早くなる足に苦笑しつつも、今日中に彼女に会いたいのだから仕方ないと自分の行動に理由付けをして彼女の部屋へ急いだ。
彼女の部屋は単身寮の一室。隣近所に迷惑にならないように足音には注意して廊下を歩く。
（ 足があればな ）
時折、そう思ってしまう自分がいることが辛い。ギロクによるテロの際に右足と長年の相棒だった
その切断した足は放っておけば出血多量で死んでいた。助かったのは初期の処置が、つまりそれは彼女の処置が良かったからで。
（ 命の恩人でもあるんだよな、コイツ ）
命の恩人ともいえる彼女の部屋のインターホンを押そうとして、その音が近所迷惑になるのではないかと思いついて指を引っ込める。代わりに手に取ったのは携帯端末だ。
―――着いたから、ドア開けてくれ。
メッセージを送って直ぐに扉が開いて青みがかった黒髪の女が顔を出す。その顔を見た瞬間に嬉しくなる反面、テオフィルスは眉を顰めた。
「 ヴォイド、部屋の鍵は掛けろ 」
扉が開くまでにテオフィルスの耳に聞こえたのは部屋の住人の足音とドアノブを捻る音、それに扉の蝶番の音だけだ。鍵を開ける音がなかったことに苦言を呈するがヴォイドは全く意に介さない。
「 それで、何? 」
そう言うヴォイドの服装は相変わらず下着のような姿だった。今日は胸元のクラシック調レースが豊満な胸を包み込み、アシンメトリーフレアの裾からは白い腿が覗く桃色のベビードールで大変に眼福だ。いや、これをこんな時間に目撃してしまったら並の人間なら襲っていることだろう。
「 ちょっと中へ良いか? 」
玄関先で話していては話し声が周囲に聞こえてしまうし、万が一にも通行人がいればヴォイドの格好が見られてしまう。そのつもりで言ったのだが、ヴォイドは訝し気にテオフィルスを見つめている。
「 ……変な事はしねぇよ 」
「 そう 」
納得したようなしてないような顔でヴォイドが扉を大きく開くので身を滑り込ませる。テオフィルスの後ろでパタンと扉が閉まった。
「 今日、会わなかっただろ 」
会わなかった、ではなくヴォイドが出勤だと聞いていたので
「 何これ? 」
「 愛の日だからな。お前にやろうと思って 」
内心は心臓が早鐘を打っていたが平然とした顔を保ち続けた。もしも、ヴォイドが受け取ってくれなかったらどうしようかと思ったが、食欲旺盛な彼女は疑いもせずに受け取ってくれて安堵する。
中身はカントゥッチ。アーモンドとチョコチップを練りこんだ生地を二度焼きした硬めのビスケット菓子だ。日持ちがするもので、とノエに密かに相談し、意外にもテオフィルス本人が焼いたものである。
一応、かつての暮らしの中で生きる為に料理はしていたが、菓子などという嗜好品にありつくことは少なく、ましてや作るなんて発想のないものだったのでテオフィルスは非常に苦慮した。お菓子のレシピというものは膨大で何を作れば良いのかも、どれが素人向けかも分からない。だから恥を忍んで他者に相談してまで作り上げた。当然、ノエの
そこまでしてでも自分で作ったものをヴォイドに贈ってみたかった。何故なら今まで一度も愛の日に彼女へ何かを贈ったことがないから。愛の日にヴォイドがテオフィルスの所へ来なかった年もあるし、テオフィルスが仕事が忙しくて会えなかった年もある。そもそも、岸壁街の下層の人々は生きることに必死で愛の日に物をあげる文化が無かった。
幼馴染みたいなものだと他人に言ってみても、気が向いたら顔を合わせる程度の距離感の関係。所詮、それが昔の2人の関係だった。
だから、今日はそれに終止符を打つ。
「 味は問題ない。他の人にもどうせ貰ったんだろ? 日持ちもするから気が向いたら食え 」
「 うん 」
ヴォイドが頷く。それを見て第一段階は終了。
本当に話したかったことは此処からだ。
「 なぁ、ヴォイド 」
声をかけるとヴォイドの視線が紙袋の中身からテオフィルスへ移る。
その顔を改めて見つめてテオフィルスは言葉を発することを躊躇った。
「 どうしたの? 」
声を掛けてきておいて何も言わないテオフィルスの様子を不審に思ったヴォイドが一歩、彼に近付く。ふわり、と彼女の香りがして、それが彼の感情の引き金となる。
「 良いか? 今だけ15歳のヴォイドに戻って聞け 」
「 何言ってるの? 」
本当にヴォイドの目までもがそう言っていた。自分だって同じことを言われる立場になっていたら同じ顔をしていたことだろう。
それでもこれは過去の精算なのだから、今の25歳のヴォイドに伝えたい事ではないんだと思って再び口を開く。
「 良いから、今のお前は14歳の食い逃げの得意な猿みたいな……痛っ! 」
テオフィルスはヴォイドに思い切り義足ではない左足を踏まれる。まさかそんな反応が返ってくると思わなかったテオフィルスは生理的に目に涙を浮かべてヴォイドを見た。
「 お前……昔は猿みたいって言われて喜んでたじゃねぇか 」
「 昔は昔。今は今 」
「 分かった分かった。とにかく今だけは可愛かった昔の……あー、はいはい睨むなって、今も十分可愛いヴォイドちゃんだけど、とりあえず15歳の気分になってくれって 」
彼女の華奢な両肩に手を置いて懇願すると納得してない顔だがヴォイドは黙ってテオフィルスを見た。そのヴォイドの顔に、ようやく話を進められると思う自分と、話を進めなければならないのかと躊躇する自分が内心で啀み合う。先に白旗を上げたのは後者の自分だ。
一回目を閉じて深呼吸をする。
テオフィルスが目を開いた時、自分の目の前にいるのは14歳のヴォイドだ。岸壁街の下層で軽やかな身のこなしで食い逃げを繰り返していた可愛い少女。時々、テオフィルスの前に姿を見せたと思えば見せなかったりする気侭な少女。
そんなヴォイドが一緒にいる生活が当たり前すぎて、この感情に気付くことが無かった。果たしてあの頃、この事を言えていたならば何かが変わっていただろうか。
「 愛してる 」
たった五文字の言葉を唇に乗せる。あの頃からきっと彼女に抱いていた感情だったのに、身体だけを成熟させて精神的に幼かった自分はこの感情に気付けなかった。だから愚かにもヴォイド本人へ伝えるまで10年以上かかってしまった。
言い切ってヴォイドの反応を見る。彼女の事だから、きっといつも通りの冷めた目で「 何言ってるの? 」と言ってくるだろう。そう思っていたのに。
「 誰が、誰を……? 」
予想外に分かりやすく動揺しているヴォイドの表情と声に思わずテオフィルスは笑ってしまう。ヴォイドの肩を掴んでいた右手を離して、落ち着かせるように彼女の頭を優しく撫でた。
「 17歳の俺が14歳のお前を、だよ 」
「 嘘 」
「 嘘みたいだよなぁ。あの頃のお前に言えなかった自分を本当に殴ってやりたい 」
ヴォイドの顔は普段の彼女からは想像出来ない程に真っ赤になっていて可愛らしい。この表情が見られただけでも言った価値はある、とテオフィルスは彼女の表情を忘れないようにしっかりと見つめておくことにした。
もしかしたら、を想像して後悔しても何も戻らない。それでも彼女のこの反応に14歳のヴォイドに伝えられていたならば、彼女を見失うことは無かったのではないかとも思う。
14歳。それはヴォイドがテオフィルスの前から姿を消した歳だ。
クラッカーの犯罪集団に所属し真っ当な金ではないけれど金を稼げるようになってきて彼女を養えるのではないかと密かに思っていた矢先、ヴォイドは忽然と姿を消した。どれだけ探し回っても広くはない岸壁街中のどこにもヴォイドはおらず、死体も見つからなかった絶望の日々は思い出したくもない。
そして彼女を探し回って、探し回って、テオフィルスは一つの結論に至ったのだ。それは認めたくない辛いことだったが、認めてしまえばヴォイドが何も言わずに姿を消した事が腑に落ちた。
テオフィルスが至った結論。
それは自分が彼女にとって“ その程度の存在 ”だったということ。
だから何年か後に今度はヴォイドが医者として活躍する姿を見ても、心配していたことなんて微塵も感じさせずに彼女に接した。ヴォイドも何処に居たとか何をしていたとか何も言わなかった。その姿を見て「 ああ、やっぱり俺は“ その程度の存在 ”だったのだ 」と己を嘲笑った。
医者と患者。それが2人の関係だと線を引いて暮らしてきた。
「 ……何で今頃言うの? 」
「 今日は俺達がマトモに迎える『 愛の日 』だからな。言ってみようと思ったんだよ 」
伝えたところで何も変わらないことは分かっていた。だから菓子作りを教わったノエにも『 クッキー系の菓子言葉は“ 友達でいよう ”ですよ 』と言われても笑って流してカントゥッチを作り、今だって昔の気持ちだったとばかりに愛の言葉を告げる。
自分が傷つかない為に策を巡らせてヴォイドに想いを告げるなんて我ながら汚い男だと思う。
だから汚い男は、頭を撫でていた手を動かして彼女の前髪を上げる。
本当はヴォイドの唇を奪ってしまいたいけれど、それは彼女が好きになった人に捧げるものだから奪ったりはしない。
「 だから、今のお前に言うなら『 愛してた 』かな 」
過去形にして笑うと、ヴォイドのおでこに口付けを一つ。『 おでこへのキスは相手への祝福 』だと教えてくれたのは、どの娼婦だったか。否、母親がそう言って良くやってくれたんだ。
「 な、な…… 」
余計に顔を真っ赤にするヴォイドが愛おしい。
でも彼女は俺のモノにはならないから。
「 可愛い妹にお兄ちゃんから祝福だ 」
そうやって自分の気持ちに蓋をして、最後に頭を一撫でしてヴォイドから離れる。
幼かったヴォイドの庇護者。兄貴分。それが自分のポジションで充分じゃないかとテオフィルスは自分に言い聞かせた。
「 遅くに悪かったな 」
そう言って身を翻すとドアノブを掴む。その服の袖をヴォイドが掴んで止めた。その挙動に何かを期待しそうになるが、直ぐにそれを打ち消して兄の顔で笑う。
「 んー? どうした? 」
「 ちょっとだけ、ちょっとだけ待って 」
そう言うとヴォイドは奥に消えてテオフィルスが渡した紙袋を置いて、違う箱を持ってきた。チョコレートの入った箱だ、と外観から簡単に検討がつくそれをテオフィルスに差し出す。
「 あげる 」
「 ……折角だから食べさせてくれねぇ? 」
親鳥からの餌を待つ雛のように口を開けてみせると悩んだ末にヴォイドの手が動いて箱を開けた。中身はトリュフチョコレートだった。一つ摘んだヴォイドの指がテオフィルスの口に伸びる。
軽く入れられた時に唇に指が触れてこのまま噛み付いたらどうなるんだろうと思考するが馬鹿馬鹿しいと一笑し、大人しくチョコレートだけをいただくことにした。
噛み砕くと、チョコレートの甘みが口いっぱいに広がる。
「 お前から物が貰える日が来るなんてなぁ 」
「 ……前だってあげてた 」
「 肉一切れとかな 」
昔の記憶が出てきて口が滑った。ヴォイドが機嫌を損ねた顔をするので、その頭をもう一回だけ撫でて「 悪い 」と謝る。
「 余った分は自分で食えよ。お前、どうせいっぱい食うんだから 」
それだけ言って、今度こそテオフィルスはヴォイドの部屋を後にした。ドアが閉まる直前までヴォイドが文句を言っていたような気がしたが、全部聞き流す。
甘い、甘いチョコレート。
だけど、口に残ったそれは不思議と苦く感じられて。
いつかチョコレートが甘いだけの日は来るのだろうか、とテオフィルスは独りごちた。
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