コレは経費に入りますか／べにざくろ

　何故、これが大量に必要なんだ……？
　アルヴィは機械マス班からの領収書を見て小首を傾げていた。
「ベネットさんは…… 」
　機械マス班の領収書のことは必ずギルバートに聞く主義のアルヴィは早速、部屋でも目立つ貴族的な格好をする長い金髪の青年を探すが何故か部屋の中に見当たらない。おかしい。今日は出勤していて確かに朝も挨拶をした気がしたのだけれども、あれは幻覚だったのだろうか。
「ベネットさんならファンさん捜索に行きましたよ。結構叫んでらしたけど気付かなかったんですか？」
　ギルバートが見付からないでいたアルヴィに経理部の仲間が声をかける。集中すると周りの音を遮断してしまうタイプであるアルヴィはそんな日常の光景が今日も行われていたことに気付いておらず、困ったように眉根を寄せた。
「気付かなかったです……どうしようかな、これ」
「別に機械マス班はベネットさんが専属な訳ではないですし、マルムフェさんが行けば良いんじゃないですか？」
　言われて目から鱗が落ちる。確かにそれもそうだ。
　早速、機械マス班へ向かう旨を告げてアルヴィは経理部の部屋を出る。とはいえ、機械マス班へは専らギルバートが行ってくれていたので部屋への道程を脳内に描きながら迷わず行けるだろうかと心配になった。いやいや、いい歳した大人が迷子の心配なんて情けない。大丈夫、迷わず行けるだろう。
「マルムフェさん？」
　そんな事を思いながら歩いていると後ろから女性の声で名字を呼ばれて驚きつつ振り向く。そこには着物姿が目立つセリカ・ミカナギと、アルヴィとは面識は無いが前線駆除リンツ・ルノース班第三小隊の隊長として有名なエレオノーラ・ブリノヴァが立っていた。
「あ、どうも」
　アルヴィはそう言って２人に頭を下げる。そんなアルヴィにセリカは心配そうな顔で問い掛けた。
「マルムフェさんも、ファンさん捜索ですかぁ？」
「え？」
「先程、ベネットさんが凄い剣幕で私の所に来たものですからぁ。まだ見付からないのかなぁと思いましてぇ」
「あれは凄い態度だったわよね。私にも分かったわ」
　思い出して笑うエレオノーラ――バーティゴの目は白濁していて、視力があまり無いのだと噂話で聞いた事があった。そんな彼女ですら分かるとは余程ギルバートは怒っていたのだろう。
「申し訳ございません。同僚が御迷惑をおかけしております」
「良いのよ。必ずセリカの所に捜索に来るのが面白くて仕方ないから」
「お姉様！私はファンさんの飼い主でも発見機でも無いですぅ」
　プンスカというオノマトペが似合いそうな怒りの雰囲気を見せるセリカに「ごめんなさいね」と軽く謝るバーティゴという光景を見つめながらもアルヴィの脳内に浮かぶのは先日のギルバートの姿だ。先日もしれっとギャリーがどこかへ長時間の休憩に行ってしまった時、憤慨しながら部屋を出ていくギルバートが言っていた言葉。
『とりあえずセリカの所へ行くか』
　もしかしたらギャリーはセリカに懐いているのかもしれないなぁ、と少々的外れなことを思うアルヴィ。ギルバートのような分かりやすい恋愛感情でないと、そちら方面の経験値の低いアルヴィは気付かないのだ。
「では、私達はこれで。ファンさんにお会いする事があったら戻るように伝えておきますねぇ」
「あ、はい。宜しくお願いします」
　セリカとバーティゴにギャリー・ファン捜索中だと思われたままだったが否定するのも悪いのでアルヴィは大人しく頷いて彼女達と別れる。
　そういえばギャリーは何処へ行ってしまったのだろうか。早く見つからないとギルバートも経理部の部屋に戻ってこない事になり、余計に仕事が滞ってしまうので早く見つかって欲しいものだ。
　しかし機械マス班までの道程ではギャリーにもギルバートにも会うことはなかった。願うのはアルヴィが部屋に戻ったら２人とも部屋に戻っていて仕事をしてくれていることだけだ。それを願いながら機械マス班の部屋の扉を開く。
「失礼しま……せんでしたごめんなさい」
　中を見て直ぐに閉じる。
（ん？僕は部屋を間違えたのだろうか？いやいや拷問部屋とか結社にないから）
　器用にセルフツッコミまで入れてアルヴィは扉の先にあったものを思い出す。中には凄惨な殺人現場のような床に広がる血痕があった。目に飛び込んできた夥おびただしい程の血の量を思い出すと少々目眩がしてくる程に。
　機械人形マス・サーキュを分解したりする関係上、機械マス班が殺人現場のように見えるとは聞いたことがあったがそれにしても血液はおかしいのではないだろうか。いくら外見が人間そっくりだとしても機械人形マス・サーキュに血液は無い。
（まさか機械マス班内で殺人事件!? ）
　怨恨か突発的な犯行か。思わずイヤミス好きの血が騒いだ。
　心を落ち着かせてもう一度扉を開く。
　うん、やっぱり死体は無いものの血塗れな殺人現場が広がっているね。この場合はとりあえず総務に連絡をすればいいのだろうか。
「ッ……!? 」
　その瞬間、服の裾を何かにキュッと引っ張られてアルヴィの肩が跳ねた。錆び付いた首の関節を無理に動かす機械人形マス・サーキュのような動作で服を見ると、そこには妹のウルリッカよりも小さな機械人形マス・サーキュがアルヴィの服の裾を握ったまま無感情の薄紫の目を向けている姿があった。
「えっと、こんにちは……？」
　機械人形マス・サーキュが頷く。肩ほどの長さの薄い水色の髪がサラリと揺れた。
「あの、ごめんね。僕はこれから総務部に行って通報しなくちゃいけないんだ」
　その言葉に今度は機械人形マス・サーキュが「ダメだ」とばかりに首を横に振る。
「え、もしかして君が犯人？」
　また首を横に振る機械人形マス・サーキュ。音声を発する機能に不備があるのか、はたまた喋らない設定なのか、どちらにせよ喋ってくれないので意思の疎通が難しい。
「ムーン。調達ナリル班から持ってこられたか？」
　困り果てているアルヴィというよりは隣の機械人形マス・サーキュに話し掛ける女性の声が部屋の中からして、機械人形マス・サーキュのムーンが答えるように首を縦に振った。見ればアルヴィの服の裾を握っている手では無い方には大量のスプレー缶が詰まった袋が下げられていて、それが「調達ナリル班から持ってこられた」物なのだろう。
「誰だ？」
　アルヴィがムーンに視線を移しているうちに、最初にムーンへ声をかけた声の女性がこちらに近付いてきていたようだ。訝し気な声はアルヴィの正体を探ろうとしている色が篭っていて慌ててアルヴィは視線を彼女へと向けた。
「経理部のアルヴィ・マルムフェです…… 」
　言いながら女性の姿を見たアルヴィは妹と同じ黒目がちな目を瞬く。
　女性は赤レンガ色の髪をツインテールにしていてそこだけ見れば可愛らしいのだが、目付きが全てを台無しにする程悪かった。睨むようにアルヴィを見つめる目の色は菫の花のような珍しい色だ。やはり目付きが可愛らしい色を台無しにしているけれど。
「経理部……？」
　棒付きキャンディらしきものを咥えたままモゴモゴと喋るとは随分とガサツな女性だな、と思いながらアルヴィは彼女に頷いてみせる。彼女と話し出したことでムーンは手を離して２人の間をすり抜けて部屋へと入っていった。
「領収書に何かあッたか？」
　彼女に問われてアルヴィは慌てて手にしていた領収書を彼女に見えるように差し出す。
「急にラッカー薄め液の購入数が多かったもので理由を伺いに」
「理由だァ？ンな事はアレ見れば分かンだろ？」
　部屋の中へ振り向いた彼女は惨劇の現場を指さした。そこでは先程の機械人形マス・サーキュのムーンが座り込んで持っていたスプレーを血液に向かって吹きかけている。
「しょ、証拠隠滅!? 現場保存は事件の鉄則なのに！」
「違ェよ」
　顔を青くするアルヴィに今度は呆れたような目を向けながら彼女は淡々と語る。あれは血糊のような物なのだと。
「え、血糊……？」
「前線駆除リンツ・ルノース班が斬ッたら血が噴き出した機械人形マス・サーキュが居たンだと。ンで回収したソレを分解バラそうとしてあのザマだ」
「不勉強で恐縮なのですが機械人形マス・サーキュって血液出ましたっけ……？」
「普通は出ねェな」
　普通は出ない血液擬もどきが機械人形マス・サーキュから出るなんてことがあるのだろうか。その疑問を顔に浮かべて彼女を見ると。
「金持ちの高尚なご趣味だ。疑似痛覚に血液まで出るとなれば……後は分かンだろ？」
　彼女の言葉に息を飲む。そんな改造をされた機械人形マス・サーキュは、相手に苦痛を与えて喜ぶ惨虐色情者サディストの玩具だったということだ。考えて気持ち悪くなったアルヴィは早々に想像することを止めることにする。
「ッてワケでこの血糊を落とすのにラッカー薄め液が大量に必要になったンだよ。手ェ煩わせて悪りィんな」
「いえ、これが僕達の仕事なので」
　そう言うと少しだけ彼女の目付きが優しくなった。それだけで顔の印象が随分と違って可愛らしく見えて思わずアルヴィは彼女に見惚れる。
「あ……そうだ。機械マス班の誰から聞いた話か領収書に書いて提出したいのでお名前お伺いして宜しいですか？」
　理由をつけて彼女の名前を聞いているようで後ろめたい思いもあったが業務上必要なのでアルヴィは彼女に問い掛けた。赤レンガの髪に菫の目をした彼女は何の疑問も持たずにアルヴィの問いに答える。
「あーしか？あーしはアン・ファ・シンだ」
「え!? 」
　名前を聞いてアルヴィは思わず声を上げてしまう。
　アン・ファ・シン？ギルバート・ホレス・ベネットの想い人の？
　清楚で慎ましやかで乙女らしくて白いワンピースと麦わら帽子とお花畑と青空が似合いそうなアン・ファ・シン？
　脳内で勝手に妄想していたアン・ファ・シンの姿が音をたてて崩れ落ちていく。ギルバートの趣味はこういう女性だったのか。意外だ。
「べ、ベネットさんからお名前はかねがねお伺いしております」
　そう言うとアンはギルバートの名前を聞いて頬を愛らしく赤く染め――る訳はなく、どちらかというと嫌そうに眉根を寄せる表情に変わった。
　おかしい。少なからず好意を向けられている男性の名前が出たら照れるものじゃないのだろうか。愛の日にだってギルバートからプレゼントを貰っているのだろうし、ギルバートの好意に気付いていないことは無いと思うのだが。
「今日、ベネットさんは別件で出ておりまして僕が代わりに来た次第です。申し訳ございません」
「いや、別に構わねェけど」
　謝罪してもアンは照れるわけでもガッカリする訳でもなく本当に「構わない」と思っている普通の顔だった。どういうことなんだろう。あのギルバートさんから好意を向けられているのだから、会えなくてガッカリとかしてくれてもいいのに。そんな顔をするとアルヴィに申し訳ないと思って感情を押し殺しているのだろうか。
　アンにとっては迷惑な考察をしてアルヴィは勝手に一人で納得する。
「アン！こっちは終わったー！」
　アンに声をかける女性の声に、アンと共に声のした方を見たアルヴィは目を剥いた。からからと太陽のように明るく笑いながら近付いてくる表情には好感が持てるものの、まさに「今、人を殺ってきました」とばかりに返り血に塗れた女子は恐怖以外の何者でもない。
　しかしアンは全く動じることなく血塗れの彼女へ声をかけた。
「悪りィな、ヒルダ。専門外のモン運ばせて」
「良いって！」
　ヒルダ――ヒルデガルトはアンに笑いかけると、見慣れぬアルヴィを不審者を見るような目で見つめてきた。さっきアンにも同じような目で見られたなぁと思いながらアルヴィは口を開く。
「僕は経理部です…… 」
「何だよ、辛気臭い顔すんな。ほら、背筋伸ばして！」
「痛ッ!! 」
　力強くヒルデガルトに背中を叩かれてアルヴィは涙目だった。ヒルデガルトは背も高いし女性にしてはかなり力の強い人のようだ。それに太陽のように笑顔が眩しくて陰キャのアルヴィには眩しすぎる。
「で、では、僕は領収書の処理がありますのでこれで。血糊が余り落ちないようなら清掃班に相談した方が良いと思いますよ」
　それだけを早口で言うとアルヴィはさっさと２人の女性に背を向けて機械マス班の部屋を飛び出していく。
　そのアルヴィの背中を見たアンは呆れた顔でヒルデガルトを見た。ヒルデガルトは機械人形マス・サーキュを運んだことで血糊に塗れている。それは両手も例外ではない。
「 ……アイツ、アレに気付いてねェな」
「ま、そのうち誰かが教えてくれるだろ！」
　ヒルデガルトは全ての悩みを吹き飛ばすようにからっと笑う。
　その笑顔を見ているうちにアンも「それもそうか」と思い直して黙々淡々と血糊の除去に励む自分の機械人形マス・サーキュ、ムーンの元へと向かい同じように作業を始めたのだった。

　*　*　*

「あ、アルヴィ……それはどうしたんだ？」
「え？」
　経理部の部屋に帰るとギャリーもギルバートも戻ってきていたのでアルヴィは安心して仕事を始めようとしていた矢先、そのギルバートから指摘されてアルヴィは眉を顰める。
「それって……何か付いてます？」
「背中に手形が付いてるぞ」
「手形？」
　背中なので見ようと思っても見られるものではない。しかし、経理部の部屋でいきなり上裸を晒すような真似は出来ないのでどうしようかと悩んでいると、ギャリーが携帯型端末のカメラで写真を撮ってアルヴィに見せてくれた。
「うわ……紛うことなき手形ですね…… 」
　そこに映っていたのは真っ赤な血に濡れた手形がべっとりとアルヴィの背中に付いている姿で、原因が先程背中を叩いてきたヒルデガルトという女性にあることに思い付くまで差程時間はかからなかった。
「君は、そんなに人から恨まれるような事をしているのか……？」
「えっ、違いますって！これは機械マス班で」
「機械マス班に行ったのか!? 」
　ギルバートの声が大きくなる。
　しまった。これで話が余計にややこしくなった。
　アルヴィは言い訳を口に乗せる。
「疑問点のある領収書が機械マス班から提出されたものにあったので。ベネットさんに頼もうかと思ったのですが、ファンさんを探しに離席中だったので僕が行っちゃいました」
「ギャリー！貴様のせいで!! 」
「俺に飛び火!? 」
　言い訳を間違えたな、とアルヴィが気付いた時には時既に遅し。珍しく真面目に仕事をこなしていたギャリーへとギルバートの怒りの矛先が向いてしまった。八つ当たりでギルバートに怒鳴られるギャリーの目が恨みがましくこちらを見たので口パクで「申し訳ない」と謝っておく。
　尚、ギャリーを怒鳴るギルバートの声は経理部内では日常茶飯事のことで、もはやメンバーの誰もが背景音楽バックグラウンドミュージックの一環だと気にも止めていなかった。だから、アルヴィもギャリーへ罪悪感を抱きつつも淡々と仕事を進めることにした。
　申し訳ない、ファンさん。僕の仕事の為に犠牲になってくれ。

　*　*　*

　仕事終了後、血糊を落とすにはラッカー薄め液だと覚えたアルヴィは調達ナリル班へ向かうものの、当然のように全て機械マス班に買い占められておりガッカリする羽目になった。
　そして、意気消沈して部屋に帰ると。
「あら、お帰りなさい。その服どうしたの？」
「機械マス班でちょっとアクシデントがあってね…… 」
　部屋にいたシリルにかくかくしかじか一日の出来事を喋ると、暗い顔のアルヴィとは対称的にシリルは明るく輝く顔を見せた。
「そのダサい服、早く捨てたかったから丁度良かったわ！ヒルダには感謝しないと！」
「ええ……ダサい…… 」
「アナタの体型なら細身の服の方が良いのに、こんなオーバーサイズの服着ててイヤだったのよねー。ほら、早く脱いで捨てるから」
　服をダサい呼ばわりされた挙句に、機械人形マス・サーキュに服を無理やり脱がされてゴミ箱へとぶち込まれて捨てられる。
「今度のお休みにはもっとマトモな服を買いましょうね。あんなモサくてダサい服じゃなくて」
「モサくてダサい…… 」
　何て酷い言い草なんだろう。言い返したいけれどアルヴィは言い返すことは出来ない。
　前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊所属の機械人形マス・サーキュ、シリル。
　またの名をお洒落番長。
　そんなお洒落番長に服装の事で逆らうことはできず、モサくてダサいという言葉に傷心のアルヴィは力無く頷くしか出来ないのであった。

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