独善王子／燐花
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rinka_creation 2021年01月31日(日) 17:41:35履歴
「はい、はい…少し落ち着いたら里帰りも考えますから。ええ、でも……はい、年末年始は帰れず申し訳ありません…」
休憩所で携帯端末の通話を切ったギルバートは疲れた顔でそれを覗き込んだ。履歴に残るのは「実家」の文字。父の状態は相変わらずだと言う母からの連絡だった。
帰ったところで寝たきりの父の心の状態、我が家の財政状態、それから嫁に行かずただ家にいる姉達、そしてお見合い話。それらを自分一人にぶつけられるのが目に見えている。母は母で今家でそれらの問題に一人直面しているのは分かっている。だけど、自分だってそこから逃げ出したい事もあるんだ。それくらい許されたって良いだろう？
「はぁ…」
ギルバートは溜息を吐くと前を見る。少し先にある喫煙所では愛煙家達が楽しそうに語らっている。煙は人を黙らせてくれるから良い。不意にギルバートはそう思った。
彼はいつも経理部の部屋の隅でそのまま休憩を取るのだが、ここに来たくない理由はこの場の空気だった。
休憩。肩の力を抜くのは良い。だが、力を抜き過ぎて余計な事を言う人間もいる。ここはそう言う意味で社交場にも似ている気がした。
「人が来る前に紅茶だけ飲んで帰るか…」
今日は元々通話する目的もあり、休憩所でお茶を飲むつもりだったギルバートは自前の水筒を持っておらず、紅茶も自販機で買ったものに口を付けた。
すると、ツナギを着た疲れた顔の青年が三人程入って来たのでギルバートは目線を逸らす。貴族にも一般人にも馴染めないギルバートにはいつしか「貴方に敵意はありません」「関わるつもりはありません」と言うボディランゲージが身に付いてしまっていた。
相手も一、二度こちらを見たが、すぐ自分達のコミュニティーで語らい出した。仕事中はいつもワイシャツにパーカーを着ていたギルバート。確かにワイシャツはかなり値の張るものではあるが、流石にそれだけで貴族だ何だと侮蔑される事は無いのでそれに関してはほっとした。
「なあ、次イベントあるとしたら愛の日だよなー」
「お前誰かに作る？」
「俺は貰う側が良いなー」
そんな話を聞いてギルバートの脳裏に片想い中のアンの顔が浮かぶ。そしてミサキとマジュも。アンはいつも細かい作業を集中してやっているし、常に頭を使う様な仕事をしているのがミサキだし。マジュは元気そうに保育部で走り回っている。そんな三人だから、簡単な糖分摂取と言う意味でチョコレートを差し入れしても良いかもしれない。
愛の日でもあるし、日頃の感謝を込めて。うん、そうだ日頃の感謝だ。感謝の差し入れならアンも拒否せず貰ってくれるかもしれない。
想いを形にしたい。そう思って断り辛いであろう理由を付けるためあれやこれや考えを巡らすギルバート。ふと我に返り、恥ずかしさからこっそり顔を掻いた。
「何を考えているんだ僕は…」
何だかんだ、彼女の事になると常に用意してしまう逃げの姿勢。及び腰な自分。意気地なしだよなぁ、正直。
ぶつぶつ文句を言いながら紅茶の入っていたボトルを捨て、場を去ろうとしたその時だった。
「お前は、あの子どうだったの？」
「え？誰？」
「あの子だよ、赤毛のツインテールの」
それは、今正に自分が脳裏に浮かべていた大好きな彼女の特徴と一致していた。ギルバートは思わず足を止めて聞き耳を立てる。
「ああ、アイツか」
「デートに誘ったんだって？んでフラれたって聞いたけど？」
「え？フラれたの？」
「違ぇよ。あの女が調子乗ってたからちょっとからかってやろうとしただけだって！」
ギルバートの全身を打ち付ける様に冷水の様にぞくりとした感覚が流れる。これ以上はやめろ。この空気は、ずるずると悪い方に引かれる空気だ。
「え？でも…憧れてたって…」
「違ぇって！アイツ…涼しい顔して見下して来るんだよ…！いつもいつも…だからどんな女なのか見てやろうと思ったんだ…」
「見下すって…そうだっけか？」
「いや…そんな印象…無いけど…」
「無いわけ無いだろ！？あんな分かりやすい顔してんのにお前ら普段何見てんの！？」
「だって…なぁ？別にそんな事ないし…」
「あの女…！少し前にあのお高い特注機械人形の作業だって中心みたいなツラしてやってやがったじゃねぇか！」
「そりゃだって、本当に中心に据えられてたから…」
「あの女…作業中事故でも起こさねぇかな…？」
「おい、何言ってるんだよお前、何か変だって」
「何用意すりゃ事故が起きると思う？アイツが作業する前に台にネジでも噛ませとく？」
「おい、冗談でもやめろよ」
「なぁ、どうすりゃ事故に見せ掛けられる？いっそ薬品でも用意するか？」
やめろ。やめろやめろ。それ以上言うな。
振り返ったギルバートの目に飛び込んだのは、疲れてやつれた顔をしながら愛しの彼女への恨み言を繰り返す男。地雷を踏んでしまったと言わんばかりに若干引きながらしかしそれを否定も肯定もせずとにかく宥める男達。ああ、この彼は本当に好きだったんだ。それを彼女が断ったから今これか。瞬時にそう思った。
アンの技術者としての腕は相当だと誰かから聞いた。岸壁街の出だと言うのも、その腕前も、人から嫌な注目を浴びる材料としては十分過ぎることもある。最近こそ彼女の人柄に触れた人間が多くなりそのトラブルは影を潜めたが、そこにまた恋慕の情が混ざると厄介にも振り出しに戻る事があると聞いた。
それでも、きっと君は何て事ないって突っぱねて、本当に何事も無いように仕事に邁進するんだろうな。いつもと変わらぬモチベーションを保って、日々頑張り続けるんだろうな。
全く、その言葉遣いは誤解を招くのではないかなんて僕もちょっと思っていたりする。
でも脳裏に浮かぶのは、いつだって倒れるまで頑張る君。この手に残るのは、そんな君を支えた重み。
そんな君だから、僕は好きになったんだ。
そんな君の事だから、我慢ならなくなったんだ。
だからこれは僕の勝手な想い、勝手な判断のもと行った事だ。
「…何だよ、お前」
ギルバートは気が付いたら、アンへの悪言を繰り返す男の胸元に掴み掛かっていた。
「ふざけるな…！」
「は…？」
「君が彼女の事を今この際どう思っていようが関係ない！！嫌いだろうが気に食わないだろうがそれは君の意思だ！！だが！そんな残虐な事を聞かされる周りの身にもなってみろ！！言って良い事と悪い事の区別も付かないか！？」
「何…！？」
「事故に遭って欲しいだの何すれば事故に見せ掛けられるかだの…！！君には人の気持ちがわからないのか！？そんな話傍で聞いてて冗談でも良い気分がする筈ないだろう！？ましてや全く無関係ではない、近しい距離の人が言われるんだ！！フラれて腹癒せに殺意が湧いたからなんだよ！？それを聞いて周りは易々はいそうですかと受け止め切れるわけがないだろう！？君はそんな空気を読む事すら出来ないのか！？こう言う言い方をしたら人は嫌な感じになるだろうなんてそんな簡単な事も分からないのか！？そんな簡単な事にも考えが及ばないか！？」
「…何だよ…お前に何の関係があんだよ…！？」
ギルバートはぐっと拳を握り、掴んでいた胸ぐらを一気に自分の元へと引き寄せた。
「僕は彼女が好きだ！！誰が何と言おうとアン・ファ・シンが好きだ！！これ以上愚弄しみろ！！冗談でも不幸を望んだり殺意を向けたりしてみろ！！僕は力尽くでお前を黙らせてやる！！情けない事をこれ以上するな！！」
ギルバートの悲痛な叫びは休憩所全体に響き渡り、近くの部屋から飛び出して来たメンバーに互いに取り押さえられる様に剥がされる。
パニックになっているのか、まだ何かをずっと叫び続ける男。それに反論するギルバート。
「取り消せ！！発言を取り消せぇっ！！」
居合わせたメンバーに羽交い締めにされながらギルバートは強くそう叫んだ。
一週間後。ギルバートは人事部に顔を出していた。
「あら馬の。ご足労いただきまして」
「いや…」
「随分大騒ぎしてくださいましたわね。今回の件で機械班から一人辞職者が出た。その結果だけ見れば、貴方とんでもない事なさいましたわ」
「…辞めたのか？」
「どころか、医者を付けて随分前から鬱病に悩まされていたと診断書を送ってきましたわ。そこに貴方がトドメを刺した、とあちらは主張していますの。この意味が、お分かりかしら？」
「ああ…」
スーツの男が資料をシュレッダーに掛けている。それは、自分が胸ぐらを掴んだあの彼の履歴書や資料だった。
「貴方を二週間の謹慎とします」
「…それが妥当なのか軽いのかも分からないが… 人事部の判断はそうなのだな…」
「ええ…そう判断しました…後の事はまた追い追い」
「承知した…苦労を掛けてすまない、サリアヌ・ナシェリ…」
ギルバートが踵を返すと、後ろから男の声がした。
「事実は何一つ捻じ曲がりもしないし変わる事もありませんがね。男としては貴方、最高に格好良いんじゃないですか？」
「……」
目線だけ向けると掛けて来た声の主、スーツの男がシュレッダーを掛け終え、出張でもするのか荷物を用意していた。
「…機械班は人が足りないのだな」
「うふふふふ…ええ、なのでこれからまた遠出です」
「貴方にも…苦労を掛ける…」
「いいえ、なかなか良いものが見れて私は満足ですよ。そこまで好きな人を思って動ける男は見ていて気持ちが良いです」
「…失礼する」
部屋を後にするギルバートの背を見つめたサリアヌは、静寂の後口を開いた。
「マーシュさん…何を肯定してらっしゃいますの…？彼のせいで貴方また駆り出されると言うのに」
「うふふふ…良いじゃないですか、初々しくて。ナシェリさんもそう思われたから上層部に彼の件で掛け合ったのでしょう？」
「…あら、ご存知でしたの？」
「言ってやらないなんて罪なヒトですねぇ…」
「良いんですのよ、このくらい。直情的過ぎる彼ですもの、良い薬ですわ」
「うふふ…男なんて皆そんな生き物ですよ？」
「あら貴方も？嫌ですわ、なら早くキキトに行ってくださいな。きっと貴方の事だから、美味しいもの食べたり行くところがあったり、何だかんだ満喫なさるのでしょう？」
「……どこまでバレてます？」
「ふふ…やらないと思いますが念の為、貴方の趣味のお店を経費で落としたらすぐ審議しますわよ？」
「……そこまでヘマはしませんよ」
二週間の謹慎。
これから先二週間は経理部で仕事が出来ない。全てアルヴィの肩に伸し掛るのかもしれないと考えてギルバートはやっと事の重大さを感じた。
サリアヌには、この事をアンに言わないでくれと伝えた。
アンの耳に入れる事ではない。彼女は関係ない。自分が勝手に首を突っ込み、勝手に起こした騒動だ。
あんな言葉、彼女の耳に入れて良い言葉ではない。
「はぁ…」
荷物を纏め、ギルバートはソナルト行きの電車に乗り込む。謹慎と言うのもあってこれを機に一度実家にしっかり帰ろうと思い至った。
本当は嫌だけど、いつまでも逃げの姿勢でいて良いものでもないだろうし。
「はぁ…良しっ！」
顔を手でパンと引っ叩き鼓舞する。
頬がヒリヒリ痛んだ。
「母様と話をするのは嫌だが…」
嫌だが、どうしてもちゃんと面と向かって言っておきたい事があった。
僕には好きな人がいます。決して報われると言い切れない想いです。
ですが、他の人は今は考えられません。
僕は彼女だけが好きなんです。
そんな思いを胸にぼーっと外を眺める。
段々と景色が変わり、懐かしいソナルトの景色が徐々に徐々に広がっていった。
休憩所で携帯端末の通話を切ったギルバートは疲れた顔でそれを覗き込んだ。履歴に残るのは「実家」の文字。父の状態は相変わらずだと言う母からの連絡だった。
帰ったところで寝たきりの父の心の状態、我が家の財政状態、それから嫁に行かずただ家にいる姉達、そしてお見合い話。それらを自分一人にぶつけられるのが目に見えている。母は母で今家でそれらの問題に一人直面しているのは分かっている。だけど、自分だってそこから逃げ出したい事もあるんだ。それくらい許されたって良いだろう？
「はぁ…」
ギルバートは溜息を吐くと前を見る。少し先にある喫煙所では愛煙家達が楽しそうに語らっている。煙は人を黙らせてくれるから良い。不意にギルバートはそう思った。
彼はいつも経理部の部屋の隅でそのまま休憩を取るのだが、ここに来たくない理由はこの場の空気だった。
休憩。肩の力を抜くのは良い。だが、力を抜き過ぎて余計な事を言う人間もいる。ここはそう言う意味で社交場にも似ている気がした。
「人が来る前に紅茶だけ飲んで帰るか…」
今日は元々通話する目的もあり、休憩所でお茶を飲むつもりだったギルバートは自前の水筒を持っておらず、紅茶も自販機で買ったものに口を付けた。
すると、ツナギを着た疲れた顔の青年が三人程入って来たのでギルバートは目線を逸らす。貴族にも一般人にも馴染めないギルバートにはいつしか「貴方に敵意はありません」「関わるつもりはありません」と言うボディランゲージが身に付いてしまっていた。
相手も一、二度こちらを見たが、すぐ自分達のコミュニティーで語らい出した。仕事中はいつもワイシャツにパーカーを着ていたギルバート。確かにワイシャツはかなり値の張るものではあるが、流石にそれだけで貴族だ何だと侮蔑される事は無いのでそれに関してはほっとした。
「なあ、次イベントあるとしたら愛の日だよなー」
「お前誰かに作る？」
「俺は貰う側が良いなー」
そんな話を聞いてギルバートの脳裏に片想い中のアンの顔が浮かぶ。そしてミサキとマジュも。アンはいつも細かい作業を集中してやっているし、常に頭を使う様な仕事をしているのがミサキだし。マジュは元気そうに保育部で走り回っている。そんな三人だから、簡単な糖分摂取と言う意味でチョコレートを差し入れしても良いかもしれない。
愛の日でもあるし、日頃の感謝を込めて。うん、そうだ日頃の感謝だ。感謝の差し入れならアンも拒否せず貰ってくれるかもしれない。
想いを形にしたい。そう思って断り辛いであろう理由を付けるためあれやこれや考えを巡らすギルバート。ふと我に返り、恥ずかしさからこっそり顔を掻いた。
「何を考えているんだ僕は…」
何だかんだ、彼女の事になると常に用意してしまう逃げの姿勢。及び腰な自分。意気地なしだよなぁ、正直。
ぶつぶつ文句を言いながら紅茶の入っていたボトルを捨て、場を去ろうとしたその時だった。
「お前は、あの子どうだったの？」
「え？誰？」
「あの子だよ、赤毛のツインテールの」
それは、今正に自分が脳裏に浮かべていた大好きな彼女の特徴と一致していた。ギルバートは思わず足を止めて聞き耳を立てる。
「ああ、アイツか」
「デートに誘ったんだって？んでフラれたって聞いたけど？」
「え？フラれたの？」
「違ぇよ。あの女が調子乗ってたからちょっとからかってやろうとしただけだって！」
ギルバートの全身を打ち付ける様に冷水の様にぞくりとした感覚が流れる。これ以上はやめろ。この空気は、ずるずると悪い方に引かれる空気だ。
「え？でも…憧れてたって…」
「違ぇって！アイツ…涼しい顔して見下して来るんだよ…！いつもいつも…だからどんな女なのか見てやろうと思ったんだ…」
「見下すって…そうだっけか？」
「いや…そんな印象…無いけど…」
「無いわけ無いだろ！？あんな分かりやすい顔してんのにお前ら普段何見てんの！？」
「だって…なぁ？別にそんな事ないし…」
「あの女…！少し前にあのお高い特注機械人形の作業だって中心みたいなツラしてやってやがったじゃねぇか！」
「そりゃだって、本当に中心に据えられてたから…」
「あの女…作業中事故でも起こさねぇかな…？」
「おい、何言ってるんだよお前、何か変だって」
「何用意すりゃ事故が起きると思う？アイツが作業する前に台にネジでも噛ませとく？」
「おい、冗談でもやめろよ」
「なぁ、どうすりゃ事故に見せ掛けられる？いっそ薬品でも用意するか？」
やめろ。やめろやめろ。それ以上言うな。
振り返ったギルバートの目に飛び込んだのは、疲れてやつれた顔をしながら愛しの彼女への恨み言を繰り返す男。地雷を踏んでしまったと言わんばかりに若干引きながらしかしそれを否定も肯定もせずとにかく宥める男達。ああ、この彼は本当に好きだったんだ。それを彼女が断ったから今これか。瞬時にそう思った。
アンの技術者としての腕は相当だと誰かから聞いた。岸壁街の出だと言うのも、その腕前も、人から嫌な注目を浴びる材料としては十分過ぎることもある。最近こそ彼女の人柄に触れた人間が多くなりそのトラブルは影を潜めたが、そこにまた恋慕の情が混ざると厄介にも振り出しに戻る事があると聞いた。
それでも、きっと君は何て事ないって突っぱねて、本当に何事も無いように仕事に邁進するんだろうな。いつもと変わらぬモチベーションを保って、日々頑張り続けるんだろうな。
全く、その言葉遣いは誤解を招くのではないかなんて僕もちょっと思っていたりする。
でも脳裏に浮かぶのは、いつだって倒れるまで頑張る君。この手に残るのは、そんな君を支えた重み。
そんな君だから、僕は好きになったんだ。
そんな君の事だから、我慢ならなくなったんだ。
だからこれは僕の勝手な想い、勝手な判断のもと行った事だ。
「…何だよ、お前」
ギルバートは気が付いたら、アンへの悪言を繰り返す男の胸元に掴み掛かっていた。
「ふざけるな…！」
「は…？」
「君が彼女の事を今この際どう思っていようが関係ない！！嫌いだろうが気に食わないだろうがそれは君の意思だ！！だが！そんな残虐な事を聞かされる周りの身にもなってみろ！！言って良い事と悪い事の区別も付かないか！？」
「何…！？」
「事故に遭って欲しいだの何すれば事故に見せ掛けられるかだの…！！君には人の気持ちがわからないのか！？そんな話傍で聞いてて冗談でも良い気分がする筈ないだろう！？ましてや全く無関係ではない、近しい距離の人が言われるんだ！！フラれて腹癒せに殺意が湧いたからなんだよ！？それを聞いて周りは易々はいそうですかと受け止め切れるわけがないだろう！？君はそんな空気を読む事すら出来ないのか！？こう言う言い方をしたら人は嫌な感じになるだろうなんてそんな簡単な事も分からないのか！？そんな簡単な事にも考えが及ばないか！？」
「…何だよ…お前に何の関係があんだよ…！？」
ギルバートはぐっと拳を握り、掴んでいた胸ぐらを一気に自分の元へと引き寄せた。
「僕は彼女が好きだ！！誰が何と言おうとアン・ファ・シンが好きだ！！これ以上愚弄しみろ！！冗談でも不幸を望んだり殺意を向けたりしてみろ！！僕は力尽くでお前を黙らせてやる！！情けない事をこれ以上するな！！」
ギルバートの悲痛な叫びは休憩所全体に響き渡り、近くの部屋から飛び出して来たメンバーに互いに取り押さえられる様に剥がされる。
パニックになっているのか、まだ何かをずっと叫び続ける男。それに反論するギルバート。
「取り消せ！！発言を取り消せぇっ！！」
居合わせたメンバーに羽交い締めにされながらギルバートは強くそう叫んだ。
一週間後。ギルバートは人事部に顔を出していた。
「あら馬の。ご足労いただきまして」
「いや…」
「随分大騒ぎしてくださいましたわね。今回の件で機械班から一人辞職者が出た。その結果だけ見れば、貴方とんでもない事なさいましたわ」
「…辞めたのか？」
「どころか、医者を付けて随分前から鬱病に悩まされていたと診断書を送ってきましたわ。そこに貴方がトドメを刺した、とあちらは主張していますの。この意味が、お分かりかしら？」
「ああ…」
スーツの男が資料をシュレッダーに掛けている。それは、自分が胸ぐらを掴んだあの彼の履歴書や資料だった。
「貴方を二週間の謹慎とします」
「…それが妥当なのか軽いのかも分からないが… 人事部の判断はそうなのだな…」
「ええ…そう判断しました…後の事はまた追い追い」
「承知した…苦労を掛けてすまない、サリアヌ・ナシェリ…」
ギルバートが踵を返すと、後ろから男の声がした。
「事実は何一つ捻じ曲がりもしないし変わる事もありませんがね。男としては貴方、最高に格好良いんじゃないですか？」
「……」
目線だけ向けると掛けて来た声の主、スーツの男がシュレッダーを掛け終え、出張でもするのか荷物を用意していた。
「…機械班は人が足りないのだな」
「うふふふふ…ええ、なのでこれからまた遠出です」
「貴方にも…苦労を掛ける…」
「いいえ、なかなか良いものが見れて私は満足ですよ。そこまで好きな人を思って動ける男は見ていて気持ちが良いです」
「…失礼する」
部屋を後にするギルバートの背を見つめたサリアヌは、静寂の後口を開いた。
「マーシュさん…何を肯定してらっしゃいますの…？彼のせいで貴方また駆り出されると言うのに」
「うふふふ…良いじゃないですか、初々しくて。ナシェリさんもそう思われたから上層部に彼の件で掛け合ったのでしょう？」
「…あら、ご存知でしたの？」
「言ってやらないなんて罪なヒトですねぇ…」
「良いんですのよ、このくらい。直情的過ぎる彼ですもの、良い薬ですわ」
「うふふ…男なんて皆そんな生き物ですよ？」
「あら貴方も？嫌ですわ、なら早くキキトに行ってくださいな。きっと貴方の事だから、美味しいもの食べたり行くところがあったり、何だかんだ満喫なさるのでしょう？」
「……どこまでバレてます？」
「ふふ…やらないと思いますが念の為、貴方の趣味のお店を経費で落としたらすぐ審議しますわよ？」
「……そこまでヘマはしませんよ」
二週間の謹慎。
これから先二週間は経理部で仕事が出来ない。全てアルヴィの肩に伸し掛るのかもしれないと考えてギルバートはやっと事の重大さを感じた。
サリアヌには、この事をアンに言わないでくれと伝えた。
アンの耳に入れる事ではない。彼女は関係ない。自分が勝手に首を突っ込み、勝手に起こした騒動だ。
あんな言葉、彼女の耳に入れて良い言葉ではない。
「はぁ…」
荷物を纏め、ギルバートはソナルト行きの電車に乗り込む。謹慎と言うのもあってこれを機に一度実家にしっかり帰ろうと思い至った。
本当は嫌だけど、いつまでも逃げの姿勢でいて良いものでもないだろうし。
「はぁ…良しっ！」
顔を手でパンと引っ叩き鼓舞する。
頬がヒリヒリ痛んだ。
「母様と話をするのは嫌だが…」
嫌だが、どうしてもちゃんと面と向かって言っておきたい事があった。
僕には好きな人がいます。決して報われると言い切れない想いです。
ですが、他の人は今は考えられません。
僕は彼女だけが好きなんです。
そんな思いを胸にぼーっと外を眺める。
段々と景色が変わり、懐かしいソナルトの景色が徐々に徐々に広がっていった。
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