結社密着24時〜トリカゴの陣〜／涼風慈雨
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g_a3b2c3o12 2020年10月09日(金) 08:45:35履歴
へるるるる、ガチャ！
ワンコール、遅くとも2回目のコールが終わるまでに取るのが支部の電話ルール。
情報伝達の遅れは人命に関わるし、情報が多ければ戦いやすいとは戦術の常識だ。
「は、はい。こちら、第3支部駐在、第4小隊です。」
『メジムスト通り付近でテロ発生。メジムスト通り付近でテロ発生。座標を読み上げます。緯度は……』
通りの名前と読み上げられる座標を素早く横のメモ帳にぼくーーエリック・シードは書き写した。
「ロナさん！メ、メジムスト通りでテロ発生です！」
すぐ後ろに待機していた我らが小隊長、ロナ・サオトメに振り返って言う。
「了解した。皆んな！出動要請が来たぞ！今回はメジムスト通りだ。ヘラは最短ルートの計算、ビクターは車輌準備、その他各自で必要な準備をしてくれ！」
ロナさんの良く通る声がマイクから支部の建物全体に響いて、第4小隊のメンバーが慌ただしく廊下に飛び出してくる。多分、様子を見ながら医療班も準備に追われている事だろう。
ロナさんと共に車庫へ向かうと既にトラックには運転席にビクター・トルーマン、助手席には機械人形のヘラが座っていた。トラックの荷台に乗り込み、ヘラさんに座標のメモを渡す。数秒でヘラさんがルートの計算をして携帯型電子端末に転送し、地図アプリに表示させてビクターさんに見せる。
「このコースが最善さね。覚えたかい？」
「おうよ。土建業なめんじゃねーぞ」
パッと見たルートを即座に頭に叩き込めるのはビクターさんの特技。この小隊で唯一のトラック免許持ちの能力で本当に良かったと思っている。
このやりとりの間に他のメンバーもトラックの荷台に乗り込んでくる。
「ヘレナ・マシマ、到着したですの！」
「ユリィ・セントラル。来ましたよっと。」
「アサギ。今来た。」
男性3人、女性2人、機械人形2体の合計7名。これが第4小隊。
「よし、全員いるな？ビクター、出発してくれ。」
「了解、小隊長！」
現場に到着するほんの少しの間に無線機と瑠璃色の腕章を付けながら今回の大まかな作戦を考える。もちろん、作戦の考案は参謀で副小隊長のぼくだ。
ヘラさんの携帯型電子端末を借りて現場周辺の地理を分析してみる。
「……ロナさん。メジムスト通りは比較的道幅の大きい道路です。テロが起きたとあれば後で軍警が通行止めにするはずです。ここならば“トリカゴ”が出来ると思います。」
「わかった。ヘラ、トラックの置き場所は任せる。アサギ……トリカゴ出来るか？」
聞かれたアサギは一瞬きょとんとしてーー「トリカゴ？」と聞き直した。
なんか思った通りだけど昨日の話を全然聞いてなかったな、コイツ。
トリカゴの説明をし直すべく息を吸ったら、ロナさんが手を出して遮った。
「アサギ。細かい指示はその場で俺がする。俺が指示するまで絶対、刀を抜くな。どうしても必要な時は鞘ごと殴れ。」
「ん、わかった。」
鞘ごと殴れば鞘も刀身も傷が付く。わかった上でこの指示をするのは苦渋の決断でもあるのをぼくは知っている。アサギによる被害を極力減らすため、そして、機械人形に同族を出来るだけ傷つけさせたくない、というロナさんの優しさだ。
使える戦力は最大限使いたいところだけど、小隊長の胃痛を考えるとこれで行くしかない。
「ユリィ、ヘレナ。やる事はわかっているな？」
「もちろんですの！」
「うん。全力でやるよ。」
「ヘラとビクターはどうだ？わからない事は今のうちに聞いてくれ。」
「なんとかなるだろ！軍師さんの言うことならな！あっはっは！」
「大丈夫さね、トリカゴは何回もシミュレートしてあるよ。」
助手席のヘラさんが振り返って片目を軽くつぶってみせる。
ノリがやたら軽いが、この2人は大体こんな感じだから煩く言うと逆効果になる。ゆえに完全に理解しているものと考えておくのが最適解だ。
現場付近はパニックになった人が多くいるのでトラックは少し手前で降りる。
「皆んな、手筈通りに。アサギは俺の横にいてくれ。」
腰に吊るした刀を構えてトラックの横を駆け抜ける小隊長に続き、それぞれが了解を言って作戦名「トリカゴ」を遂行しに散っていった。
まずは人間と暴走する機械人形をわけなければいけない。負傷者がいれば優先的にその場を離れさせる必要がある。という事で、ぼくとユリィさんは避難誘導と負傷者を回収するのが最初の仕事になる。
パニック状態の人の群れ。我先にと走っている人、何処に逃げればいいかオロオロしている人、道端にしゃがみ込んでいる人。
ぱっと見回した範囲に軍警や消防や救急もいない。サイレンも聞こえない。
「ユリィさん！負傷者の避難をお願いします！誘導はぼくがやりますから！」
「おっけー、眼鏡！任せて！」
眼鏡は本体じゃないんだけど……
人波の向こうへ先に走っていくユリィさんにぼくの心の声が聞こえるわけもない。
自分の仕事をするだけだ。大きく息を吸ったぼくは小型拡声器を使って大声で叫ぶ。
「皆さん！！！近くの建物に避難して下さい！！汚染された機械人形は、屋内には侵入しません！！近くの、建物に、避難して、ください！！」
誘導するときは落ち着いた声で、感情を煽らないように、よく聞こえる声で。
「慌てないで大丈夫です！近隣住民の皆さん！！協力お願いします！！」
一人二人と誘導に従って動き始めたらこっちのもの。
少し先に行ったユリィさんが怪我人を建物に避難している人に預けているのが見える。
もう少し待てば前線医療部隊が来て処置をしてくれるはずだ。
＊＊＊
その同じ頃。
ロナはアサギ、ビクター、ヘラを連れて裏通りを走っていた。
汚染されて暴走している機械人形たちから逃げている人が機械人形を見たら余計にパニックを起こす。アサギやヘラの事を恥じているわけではないが、やむなしだとロナは飲み込んでいた。
様子を見ながらメジムスト通りの表通りへ移動する。
逃げ遅れた少年が汚染人形に鷲掴みにされているのが目に入ったロナ。彼が影から迷いなく飛び出したのを合図に、他の面々も飛び出す。ロナが躊躇なく汚染人形の腕を刀で切り落として少年を抱きとめた時には、虐殺は戦場に変わっていた。
汚染人形と襲われている人の間に割り込んではビクターが汚染人形を投げ飛ばし、出来るだけ同じ場所に集めていく。アサギはロナに言われた通り、まだ鞘に入れたままの刀で汚染人形を殴り飛ばして人間から引き剥がす。
アサギの刀を巧みに避けた汚染人形が逃げ遅れた人を引き倒して殴りかかろうとした瞬間、鈍い金属音と焦げる臭いがして汚染人形の動きが止まった。
「ヘレナ・マシマ、狙い撃つですの！」
近くのビルの非常階段からヘレナの発射した弾丸が正確に汚染人形の首の主要コードだけを焼き切ったのだった。汚染人形の動きが緩慢になったところでヘラがUSBを左耳のポートに差し込む。汚染を駆除するプログラムを流し込まれた汚染人形はその場で崩れ落ちた。
「アンタ、大丈夫かい？怪我なかったかいねぇ？」
「き、機械人形！？」
引き倒されていた男はヘラの桃色の髪を見て声が裏返る。
「機内モードで通信は切れてるんさね、安心をし。」
「嫌だ……死にたくない……！殺さないで！！」
「待ちな、お前さん！」
ヘラの言葉を聞かず、立ち上がった男は叫びながら前も見ずに走り出す。
もちろん、まだ周りには暴走している汚染人形が沢山いる。
その中の一体が男に気付いて飛びかかろうとした刹那、男と汚染人形の間に誰かが滑りこむように入ってきた。頭を抱えてしゃがみこんだ男が恐る恐る目を上げて見ると、黒髪の若い男ーーエリックがナイフ一本で汚染人形の拳を受け止めていた。
「ここは危険です！どこか建物の中へ避難して下さい！」
呆然と固まる男にエリックが叫ぶ。
「早く！建物の中までは追ってきませんから！」
ようやく言葉の意味を理解した男は腰が引けながらも近くの建物に走って行った。
男を見送ったエリックはニヤリと口角を上げた。眼前に迫る、人工眼を赤く光らせた汚染人形の腹を思い切り蹴飛ばす。
吹っ飛んだ汚染人形はビクターに受け止められて投げ飛ばされた。
その間にエリックはロナの背側に回り込んで背中合わせになった。
「ロナさん！エリック・シード、戻ってきました！」
「助かる！ユリィは！？」
「います！」
ロナがパッと見回すと、ユリィはビクターから投げられた汚染人形の関節を固めてUSBで汚染駆除をしたところだった。
逃げ遅れた人の避難が完了したのを確認したロナは無線に向かって叫んだ。
「まだ動いている汚染人形を囲い込め！アサギ、刀を抜け！」
待ってましたとばかりに刀を抜くアサギ。紅白の人工眼が凄絶な光を反射する。
「跳べ！」
数歩下がり、助走をつけて踏み切るアサギ。
「やっちまえ、刀の子！」
「草餅、行けっ！！」
ビクターとユリィの声を受けて、囲い込まれた汚染人形たちの頭上高くにアサギが跳躍する。生きている人間にしか興味のない汚染人形たちはアサギには見向きもしない。逆にぶつからないように避けるので囲いの中心には確実に空白ができる。そこへ降り立ったアサギが一気に刀で薙いだ。膝を切断された汚染人形たちはバランスを崩し、倒れていく。
人血のにおいと汚染人形の機械油のにおいが混じる中、アサギが一人で剣舞を舞う。
倒れて進めなくとも尚抵抗する汚染人形に、更に刃を突き立てようとするアサギにロナが叫んだ。
『……サギ！アサギ！もういい、戻って来い！アサギ！』
無線から入るロナの声も聞こえないのか、アサギは動きを止めない。
まずいと隊員全員が思った瞬間、ギイイィィンンと金属が激しくぶつかる時の耳障りな音がした。アサギが振り下ろした刀をロナが自分の刀で受け止めた音だった。
「アサギ、もういい。これで十分だ。」
「ロナ……」
勢いを削がれたアサギがゆっくり刀を下ろす。
作戦名が「トリカゴ」である由縁は汚染人形を人が囲い込むところにある。
ただし、鳥は暴走する汚染人形ではなく、中心に飛び込む一人。一番実力のある者が鳥の役をするが、取り囲む隊員たちにも刃が届くかもしれない諸刃の作戦だった。
アサギの戦闘モードが終わった事を確認したロナが次の指示を出す。
「後は汚染駆除だけだな。USBが足りなくなったらリセットだけでも構わない。」
＊＊＊
脚はなくとも動けない訳ではない汚染人形たち。
支給されているUSBをウェストポーチから出したぼくは、暴れる汚染人形を押さえ込みながら左耳のポートにUSBを差し込んだ。
汚染駆除でこれ以上の暴走は止められるし、原型を留めていれば元の持ち主とも連絡がとりやすいが、最大の難点は汚染駆除の副作用でオールリセットされてしまう事だ。
単にリセットをしてもギロクの汚染は消滅しないが、汚染駆除プログラムの副作用でもリセットされてしまうのは本当に皮肉な話だ。
「人の都合で、壊すのか……？」
汚染人形の砂嵐混じりの声が後方から聞こえた。振り返ると、仰向けに倒れた汚染人形が人工眼を呼吸のようにゆっくり赤く点滅させていた。汚染人形の最後の抵抗で精神攻撃をしてくるのはいつもの事。
「エゴばかり押し付けるんだな」
戦闘中は何を言ってるかなんて聞いてないし聞く気もない。でも、今は相手が襲いかかってくる確率が下がり、余裕のできた心に言葉が滑り込んでくる。
迷いを断ち切る為に頭を振って顔を上げる。視線の先にいたのは大風で葉を落とした木のように、感情を何処かに置いてきたような空っぽな表情で汚染人形を押さえつけて、耳に汚染駆除プログラムを入れているロナさんだった。
「見せかけの優しさに酔うのか。実に人間は愚かだな。」
「……愚かじゃないっ！！」
リセット用のピンを煩く喋る機械人形の左耳に思い切り突き刺す。ピンは頭部を貫いて地面に刺さった。汚染人形の赤い光が消えて、微かな駆動音も消える。
食いしばった奥歯が痛い。思わずポートもリセットボタンも壊してしまった後ろめたさがあったが、それ以上にふつふつと怒りが浮かんでいた。
「機械人形を壊す事が辛いのがわかっているから、代わりにやるんだ」と言っていたロナさん。「状況が変わらないなら、笑おうぜ！」と大口開けて笑っていたビクターさん。「未だスーライが見つからないけど、きっと会える」と確信を込めて言ったユリィさん。「前線駆除は壊すだけしかできないのが心苦しいですの」と目を伏せたヘレナさん。
それが、愚かだなんて言わせない。絶対に言わせない。
過去を話さないぼくを受け入れてくれた人たちが愚かだなんて言わせない。
「シードさん、壊すと機械班に怒られるですの。」
いつの間にビルから降りてきたのか、ヘレナさんがぼくの手元を覗き込んでいた。
「あ、あ、え…と、暴れちゃって…手元が狂っちゃいました…」
あは、と引きつった笑みを浮かべたぼくに不信感を見せることなく、ヘレナさんは猟銃を背負い直すと「気をつけて下さいですの」と言い残してユリィさんの方へ向かった。
あらかた汚染駆除は済んだので、後はこの機械人形の残骸を回収してトラックに乗せるのと、怪我人に応急処置するだけだ。ビクターさんがトラックを取りに戻っている間に、終わった空気を察知したのか避難していた人たちが恐る恐る外に出てきた。
危険がもうないだろうかとキョロキョロ見回している人の視線が一箇所で止まった。徐々に表情が強張っていくのが少し離れていても感じ取れた。
その視線を追ってみると、案の定、応急処置をしているヘラさんがいた。ロナさんと救護をしているアサギもいる。偶にーーというより大体こうなる。幾ら通信を切ってワクチンをインストールしても、それは表には見えない。機械人形だというだけであの視線を受ける。助けてくれた事なんてお構いなしの不審者を見る視線。
唯一の救いは彼ら機械人形には感情がない事だろう。人間だったらとても耐えきれない。暴走する同族を殺し、誰かのために働いても、受けるのは侮蔑の視線だけだとしたら。
でも、もし。“機械人形に感情がない”事自体が大きな誤解だったらどうなるのだろう。人の行動の学習から本当は会得していたとしたら……？いや、想像するだけ無駄か。ぼくにはわからない範囲の事。守るのは大切な仲間だって理由だけで十分だ。
視線だけなら幾らでも一緒に受け止めてやる、そう思って視線を投げる人を睨みつける。
ぼくの視線に気付いた人がビクッと肩を震わせて視線を逸らした。なんて事ない。
「眼鏡。」
「ユリィさん？」
黒服のユリィさんがいつのまにか隣にいた。基本的に無表情な人だが、今日は気持ち悲しそうに見えた。
「あんまり苛めないであげてよ、向こうも被害者なんだから。」
「ま、まぁそうですね……」
視線がバレてたのか……アクション俳優ともなると本当に武術が使える人なんだな。
ここまではいつもの通り。ヘラさんとアサギに向けられる視線が同じ第4小隊の面々にも影を落とし、陰鬱な空気が漂う。そこをビクターさんの笑い声が無理矢理吹き飛ばして終わる。そのはずだった。でも、今日は。
「あれ、機械人形じゃないか？」
「やだ、本当だわ。あんな危ないモノをよく連れて歩けるわね」
「結社だかなんだか知らねぇけど、機械人形なんて信用ならねぇよなぁ？」
「ちょっとやめなさいよ、助けてくれたんでしょ？」
「つってもよ、いつ暴れだすかわかったもんじゃねーだろ。さっき見ただろ？あの緑髪、止められるまで見境なく暴れてたじゃねーか」
疑心がヒソヒソ声に乗って広がっていく。
メジムスト通りのあたりは感情優位型の多い移民者の割合が高いのを失念していた。
「『人の都合で壊すのか』って機械人形の声が聞こえたんだけど、壊さずに止められないの？」
「人のもの勝手に壊していいのかよ？」
「危険な道具を使う奴らのする事なんて信用できないな。」
広がる疑心が結社への不信感に変わっていく。
なんだよ、死なずに済んだって言うのにその言い方は。
「助けてあげたのはあたしたちなのに、悪く言うなんてあんまりですの！」
我慢の限界か、眉を歪め、頰を上気させたヘレナさんの大声が通りに響く。
「ちょっとヘレナ姉ちゃん…」
「本っ当にありないですの！あたしたちがいなかったらどうなってたと思うんですの！！」
ユリィさんの制止も聞かず騒ぎ出すヘレナさん。
ヘレナさんの剣幕に圧されたのか、群衆の声が小さくなった。
変わって聞こえてきたのは「ちっ……これだから女は嫌なんだ」「自分の意見しか聞く気がないのね」という群衆の怒りの矛先がヘレナさんに向かう声だった。
本当に酷い人たちだ。自分じゃ何もできないクセに！
ヘレナさんの加勢になろうと一歩踏み出したら後ろからロナさんに肩を叩かれた。
「エリック。」
「ロナさん……？」
肩に置かれた手の圧が行くなと言っていた。
「ヘレナ、そこまでだ。」
「何、言ってるですの！わかるまで聞かせるですの！」
「ヘレナ、一旦落ち着け。深呼吸した方がいい。」
「このままなんてあんまりですの！……っ！！」
ヒートアップするヘレナさんがいきなり崩れ落ちる。隣にいたユリィさんがしっかり受け止めたところを見ると、どうやら危険を感じたユリィさんが手刀で気絶させたようだ。
隊員より一歩前にロナさんが出る。
「お騒がせしてしまい、本当に申し訳ありません。」
深々と頭を下げるロナさんに倣い、あわてて副小隊長のぼくも一緒に頭を下げる。
「私はこの小隊の責任者です。皆様の心情を汲み取れず、不安を煽るような事を部下が口走ってしまった事、上司である私の責任です。お恥ずかしい限りです。本人には厳しく言っておきますので、何卒ご容赦ください。」
再び深々と頭を下げるロナさん。その姿に群衆の空気が少し変わった。
「テロに遭う事の恐ろしさは私どももよく存じております。本当に申し訳ありません。」
「あ、いや、その……そこまでしなくても……ねぇ？」
さっきまでの不信感や怒りが少しずつ引いていく。消えたわけではなさそうだが、当座はこれで引いてくれそうだ。
「こっちも言い過ぎた……かも、しれないし……」
少しオロオロし始める人たち。そこをロナさんは見逃さなかった。
「本当に申し訳ありません……！できれば、私どもマルフィ結社での機械人形の扱いについて少し聞いていただければと思うのですが……」
まちまちにうなづく群衆を確認したロナさんは簡潔に説明をした。
機械人形は通信が切ってあり、汚染対策のソフトウェアもインストール済みで安全である事。
汚染されている機械人形も出来るだけ壊さないように気をつけている事。固有ナンバーから元の持ち主が判明して連絡が取れれば返せる事。
説明が終わる頃には群衆は状況を飲み込めた表情になっていた。
これで一安心か。モヤっとした感情が消化できずにいるけど、気にしても仕方ない。
「小隊長ー！トラック持ってきたぞー！」
落ち着いて来た空気をぶち壊すような大声とトラックのエンジン音。戻ってきたビクターさんの方へ全員の視線が向く。
「え？何、みんなトラック待ってたのか？遅れてすまねぇ」
勝手に解釈したビクターさんだったが、やっぱり空気がおかしい事には気づいたらしい。
「なぁ、小隊長〜何があったんだよ〜？」
運転席から降りてきたビクターさんの問い詰めに苦笑を返すロナさん。
「ビクター、こっちは大丈夫だ。作業を始めてくれないか？」
「そーなのか？んじゃ、積み込み始めるぞ？」
基本的に疑わないのがビクターさんのいいところだ。言われた通り、汚染機械人形の残骸をトラックの奥に積み始めた。後ろで待機していたヘラさんと彼女に突っつかれたアサギもその様子に倣って動き始める。
「エリックも積み込み、できるか？」
「あ、了解です、ロナさん。行ってきます！」
ビクターさん達の方へ走っていくぼくの後ろで「少し先に医療班がいるので怪我の処置ならできます」とロナさんが説明しているのが聞こえた。騒ぐ人間の相手はとても大変だが、ロナさんは全部背負い込んで防波堤になろうとしてしまう。リーダーとしては良くても、他の面にしわ寄せが出ない事を願うばかりだ。
機械人形たちはトラックの一番奥に積み込む。本体と斬ったパーツはこれ以上バラバラにならないよう、わかる範囲で一緒に括っておく。これを怠ると機械班から大量にクレームが飛んでくるのだ。下手すると経理部からのクレームも追加されるので慎重に作業をしなければならない。
最初に支部の機械班にチェックしてもらい、正しい組み合わせに直してから本部の機械班へ送って整備し直す……のだが、支部には基本的に1人か2人しか機械班がいない。よって、担当者は過酷な労働を強いられる。体調を崩して別の人と交代する人が出る始末だ。現在の担当者が潰れない事を願おう。
機械人形を積み込み終えたら次は負傷者を乗車させる。
「動けるか？痛いか？」と聞きながらビクターさんがトラックの扉付近に2人ほど乗せていた。片方は中年男性。左肩が妙に変形しているので脱臼、それとズボンの右足が血に染まっていて包帯でぎっちりぐるぐる巻きにされているので結構な切り傷だと思う。
もう片方は最初にロナさんが助けた少年で、脚に添え木が括られている上に額には血が垂れている。大事にならなければいいけど。
「あの……」
中年男性がビクターさんに話しかける。
「さっきまで暴走していた機械人形と一緒は怖いんですけど……」
「ん？ああ、全部電源切れて動かねぇから安心してくれ！一応うちの隊から1人護衛に入るし、いざとなればそいつが守っから。大船に乗ったつもりでいてくれや！」
ニカっと笑って親指を立てるビクターさんの迫力に負けたのか、中年男性は「そうなんですね……」と言ったきり黙り込んでしまった。
「おーい、役者ー！何処行ったー？」
「今行くー！」
ビクターさんに呼ばれたユリィさんが気絶したヘレナさんを背負ったまま、トラックの荷台によじ登っていく。
「眼鏡〜荷台の後ろ、閉めて〜」
「ぼくは眼鏡じゃないです……」
荷台の後ろあおりを閉める直前、視線を感じて振り返るとロナさんがトラックの中の一点を凝視していた。呆然と見開かれた目。血の気が引いた額には冷や汗が浮かんでいる。
何か危険でもあるかと見直そうとして思い出した。あぁ、そうか。幻覚か。
医療班の精神科医から「ロナ・サオトメさんには幻覚が見えているから過剰反応しない事。落ち着けるような声かけをするように。」って言われたんだ。
「ロナさーん、閉めますよー。ロナさーん」
一瞬ビクッとしたロナさんが慌てて頷いたのを確認して、後ろあおりを上げて固定する。
どんな幻覚か詳しく知らないけど、この小隊で誰よりも優しいロナさんの事だ。きっと、助けられなかった誰かを見ているのだろう。
幌も下ろそうとした時、軍警のサイレンが聞こえた。
帰らずに見守っていた野次馬たちの顔にも緊張が走る。
トラックの前に軍警の車両が数台止まり、中から数人の警官たちが出てきた。その中のなんだか偉そうな感じの男性1人がこちらへ向かって歩いてくる。
ぼくは無意識にロナさんの後ろに移動していた。仕事中だと思って張っていた緊張が緩み始め、警官への恐怖が喉元へ迫り上がってくる。少し、寒い。
ぼくらの前に来た警官は気持ち悪いくらい朗らかな顔をしていた。
「えっと君たちは……その青の腕章はマルフィ結社さんかな？」
ぐるっと辺りを見回したその人はヘラさんとアサギが見えたところで頬の筋肉がピクリと跳ねた。彼の後ろにいる他の警官たちの中にはヘラさんとアサギの髪が見えただけで、あからさまに嫌な顔をする人もいた。
「ご苦労だったね。軍警の仕事が減って助かるよ。」
どこまで本音かわかったものじゃない。
「実にいい道具をお持ちだね、マルフィ結社さんは。」
ついっと視線でヘラさんとアサギを示して言う。
この人はよっぽどマルフィ結社も機械人形も嫌いなんだろう。ぼくらで憂さ晴らしがしたいだけとしか思えない。その為だけにターゲットにされるヘラさんとアサギが哀れだった。
「道具じゃない、仲間だ。」
ぼくの前に立っているロナさんの表情はぼくの場所からは見えなかった。それでも、少し、声が震えていた。
「そうですか、そうですか。とりあえず、何が起きたかくらいは教えて下さいね？」
「この場で答えられる範囲なら。……怪我人がいるので、トラックは先に行かせていいですか？」
硬いロナさんの声に鷹揚に頷く警官。
「積荷はなんです？」
「回収した汚染人形と自力で歩けない怪我人です。」
「汚染人形を回収して何をする気です？」
「回収した汚染人形をこの後、結社の方で汚染駆除します。固有ナンバーが判明すれば軍警にも連絡します。」
聞かなくてもわかっているはずの事をわざわざ聞く。何か裏がありそうで怖い。
「そうですか……トラックには行ってもらった方が良さそうですね。とりあえず、ナンバーは控えさせてもらいますが、いいですね？」
「……どうぞ。」
後ろに控えていた部下であろう警官に指示を出したその人はこちらに向き直ると更に笑みを深めて言った。
「それと……この道路の傷はどう説明してくれるんです？」
そう。実はそう。アサギが暴れた時に勢い余って道路の舗装に穴を開けてしまっていた。
「それは、本当に申し訳ありません……勢い余って壊してしまった部分は上と相談して弁償させてもらいます。アサギ、こっち来い！」
呼ばれたアサギも含めて3人で頭を下げる。
「壊してしまい、すみませんでした」
下げた頭に降ってきたのは「いいですよ、機械に頭下げられても嬉しくありませんし。」という無情な台詞だった。
「後は周辺住民の皆さんから話を聞くのでお帰りください。」
頭を上げると、笑って見える目には蔑む光が浮かんでいた。
「行くぞ、エリック。アサギ。ヘラも。」
ロナさんに背を押されてトラックまで行く。
途中、警官たちの横をすり抜ける時に「大きなヤマがないとこっちも昇進できねーんだよ」とボヤく声が聞こえた。舌打ちも聞こえた気がして、全身が震えた。トラックの幌を下ろす時も手が震えてうまく下ろせなくてアサギに手伝ってもらった。
医療班の待機しているところへトラックを見送った時も、まだ震えが止まらなかった。
軍警がこんなに酷くなっているとは、と考えた途端、足から力が抜けてへにゃりと座り込んでしまった。まずい……まだ倒れるわけには……！
「エリック！？大丈夫か？」
心配してくれるロナさんに大丈夫だと答えたはずだが、朦朧とした意識に溶けてしまったかもしれない。
＊＊＊
倒れたエリックをアサギが慣れた様子で背負う。
トラックは行ってしまったので、残された4人は歩いて支部まで帰るしかない。
ヘラのルート案内のお陰で細々とした道を通る最短ルートで帰れる。見たより時間をかけずに帰れるのはありがたい事だった。
緊張が解けたエリックが気絶するのは、実はそう珍しくもない事だとみんな知っている。
普段のエリックはどちらかと言えば臆病で、自分の意見を堂々と言わない性格をしている。
でも、前線駆除の仕事をしている間だけは緊張感からか大胆な性格に変わり、どの感覚も鋭敏になる。仕事の終わりと一緒に疲れ切って倒れる事は間々ある事だった。
エリックの過去は第4小隊の誰も把握していなかったが、軍警と辛い関係があったのだろうとは薄々気が付いていた。
本人が嫌がる過去は触れないでおこうーーそれが第4小隊の暗黙の了解だった。
薄曇りの陽が4人の頭上に降り注ぐ。
「アサギ。ヘラ。」
先を行く2人にロナが声を掛ける。
「本当に、2人にはすまない事をした。」
悔しそうに眉を歪めるロナに2人とも足を止める。
「さっきの警官の事は気にしなくていい。頭を下げたのも謝罪するのも、この辺りの住民に良い印象を持って貰う為だ。」
その言葉に顔を見合わせるヘラとアサギ。
「構いやしないよ。大抵の事には賛成と反対がいる、そういうモンだろう？ね、アサギ？」
「あぁ。勢い余って壊しちまったのは俺だし、怒られても仕方ねぇよ。」
「2人とも……」
くすりと笑ったヘラが拳でアサギの肩を小突く。
「こーんなに愛いアサギを怖いなんて勿体無い連中だね、全く。」
“愛い”の意味が通じたのか「何だよそれ」と呟くアサギ。
「ミクリカの惨劇の後、シェリーちゃんと興行してた時も似たモンだったよ。行く先々で怖がられるし、締め出されるし。シェリーちゃん、『一人でも笑顔になれるならそれでいい、笑わせるのが芸人だもの』って仕事続けてたっけねぇ」
数歩ロナに歩み寄ったヘラが腰を折って覗き込むように見上げる。
「だからさ、全員に好かれようなんて無理な事を背負う必要はない、そう思うんだけどねぇ。ロナさん？」
束の間、悟った様な言葉に驚いてまじまじとヘラの顔を見てしまったロナだったが、ゆっくり意味が心に染みると遠い目になった。
「そう、か……そうだな。」
ロナの顔の強張りがほぐれていくのを確認したヘラはくるりと向きを変え、ロナの背側に回った。
「さ、早く帰らないといけないねぇ。ビクター達より遅れて到着なんて、格好が付かないんじゃないかいねぇ？」
そう言いつつロナの背を押して歩き出すヘラ。その背をアサギがエリックを背負い直して追いかける。
少し湿気た風が道を通り抜けていった。
ワンコール、遅くとも2回目のコールが終わるまでに取るのが支部の電話ルール。
情報伝達の遅れは人命に関わるし、情報が多ければ戦いやすいとは戦術の常識だ。
「は、はい。こちら、第3支部駐在、第4小隊です。」
『メジムスト通り付近でテロ発生。メジムスト通り付近でテロ発生。座標を読み上げます。緯度は……』
通りの名前と読み上げられる座標を素早く横のメモ帳にぼくーーエリック・シードは書き写した。
「ロナさん！メ、メジムスト通りでテロ発生です！」
すぐ後ろに待機していた我らが小隊長、ロナ・サオトメに振り返って言う。
「了解した。皆んな！出動要請が来たぞ！今回はメジムスト通りだ。ヘラは最短ルートの計算、ビクターは車輌準備、その他各自で必要な準備をしてくれ！」
ロナさんの良く通る声がマイクから支部の建物全体に響いて、第4小隊のメンバーが慌ただしく廊下に飛び出してくる。多分、様子を見ながら医療班も準備に追われている事だろう。
ロナさんと共に車庫へ向かうと既にトラックには運転席にビクター・トルーマン、助手席には機械人形のヘラが座っていた。トラックの荷台に乗り込み、ヘラさんに座標のメモを渡す。数秒でヘラさんがルートの計算をして携帯型電子端末に転送し、地図アプリに表示させてビクターさんに見せる。
「このコースが最善さね。覚えたかい？」
「おうよ。土建業なめんじゃねーぞ」
パッと見たルートを即座に頭に叩き込めるのはビクターさんの特技。この小隊で唯一のトラック免許持ちの能力で本当に良かったと思っている。
このやりとりの間に他のメンバーもトラックの荷台に乗り込んでくる。
「ヘレナ・マシマ、到着したですの！」
「ユリィ・セントラル。来ましたよっと。」
「アサギ。今来た。」
男性3人、女性2人、機械人形2体の合計7名。これが第4小隊。
「よし、全員いるな？ビクター、出発してくれ。」
「了解、小隊長！」
現場に到着するほんの少しの間に無線機と瑠璃色の腕章を付けながら今回の大まかな作戦を考える。もちろん、作戦の考案は参謀で副小隊長のぼくだ。
ヘラさんの携帯型電子端末を借りて現場周辺の地理を分析してみる。
「……ロナさん。メジムスト通りは比較的道幅の大きい道路です。テロが起きたとあれば後で軍警が通行止めにするはずです。ここならば“トリカゴ”が出来ると思います。」
「わかった。ヘラ、トラックの置き場所は任せる。アサギ……トリカゴ出来るか？」
聞かれたアサギは一瞬きょとんとしてーー「トリカゴ？」と聞き直した。
なんか思った通りだけど昨日の話を全然聞いてなかったな、コイツ。
トリカゴの説明をし直すべく息を吸ったら、ロナさんが手を出して遮った。
「アサギ。細かい指示はその場で俺がする。俺が指示するまで絶対、刀を抜くな。どうしても必要な時は鞘ごと殴れ。」
「ん、わかった。」
鞘ごと殴れば鞘も刀身も傷が付く。わかった上でこの指示をするのは苦渋の決断でもあるのをぼくは知っている。アサギによる被害を極力減らすため、そして、機械人形に同族を出来るだけ傷つけさせたくない、というロナさんの優しさだ。
使える戦力は最大限使いたいところだけど、小隊長の胃痛を考えるとこれで行くしかない。
「ユリィ、ヘレナ。やる事はわかっているな？」
「もちろんですの！」
「うん。全力でやるよ。」
「ヘラとビクターはどうだ？わからない事は今のうちに聞いてくれ。」
「なんとかなるだろ！軍師さんの言うことならな！あっはっは！」
「大丈夫さね、トリカゴは何回もシミュレートしてあるよ。」
助手席のヘラさんが振り返って片目を軽くつぶってみせる。
ノリがやたら軽いが、この2人は大体こんな感じだから煩く言うと逆効果になる。ゆえに完全に理解しているものと考えておくのが最適解だ。
現場付近はパニックになった人が多くいるのでトラックは少し手前で降りる。
「皆んな、手筈通りに。アサギは俺の横にいてくれ。」
腰に吊るした刀を構えてトラックの横を駆け抜ける小隊長に続き、それぞれが了解を言って作戦名「トリカゴ」を遂行しに散っていった。
まずは人間と暴走する機械人形をわけなければいけない。負傷者がいれば優先的にその場を離れさせる必要がある。という事で、ぼくとユリィさんは避難誘導と負傷者を回収するのが最初の仕事になる。
パニック状態の人の群れ。我先にと走っている人、何処に逃げればいいかオロオロしている人、道端にしゃがみ込んでいる人。
ぱっと見回した範囲に軍警や消防や救急もいない。サイレンも聞こえない。
「ユリィさん！負傷者の避難をお願いします！誘導はぼくがやりますから！」
「おっけー、眼鏡！任せて！」
眼鏡は本体じゃないんだけど……
人波の向こうへ先に走っていくユリィさんにぼくの心の声が聞こえるわけもない。
自分の仕事をするだけだ。大きく息を吸ったぼくは小型拡声器を使って大声で叫ぶ。
「皆さん！！！近くの建物に避難して下さい！！汚染された機械人形は、屋内には侵入しません！！近くの、建物に、避難して、ください！！」
誘導するときは落ち着いた声で、感情を煽らないように、よく聞こえる声で。
「慌てないで大丈夫です！近隣住民の皆さん！！協力お願いします！！」
一人二人と誘導に従って動き始めたらこっちのもの。
少し先に行ったユリィさんが怪我人を建物に避難している人に預けているのが見える。
もう少し待てば前線医療部隊が来て処置をしてくれるはずだ。
＊＊＊
その同じ頃。
ロナはアサギ、ビクター、ヘラを連れて裏通りを走っていた。
汚染されて暴走している機械人形たちから逃げている人が機械人形を見たら余計にパニックを起こす。アサギやヘラの事を恥じているわけではないが、やむなしだとロナは飲み込んでいた。
様子を見ながらメジムスト通りの表通りへ移動する。
逃げ遅れた少年が汚染人形に鷲掴みにされているのが目に入ったロナ。彼が影から迷いなく飛び出したのを合図に、他の面々も飛び出す。ロナが躊躇なく汚染人形の腕を刀で切り落として少年を抱きとめた時には、虐殺は戦場に変わっていた。
汚染人形と襲われている人の間に割り込んではビクターが汚染人形を投げ飛ばし、出来るだけ同じ場所に集めていく。アサギはロナに言われた通り、まだ鞘に入れたままの刀で汚染人形を殴り飛ばして人間から引き剥がす。
アサギの刀を巧みに避けた汚染人形が逃げ遅れた人を引き倒して殴りかかろうとした瞬間、鈍い金属音と焦げる臭いがして汚染人形の動きが止まった。
「ヘレナ・マシマ、狙い撃つですの！」
近くのビルの非常階段からヘレナの発射した弾丸が正確に汚染人形の首の主要コードだけを焼き切ったのだった。汚染人形の動きが緩慢になったところでヘラがUSBを左耳のポートに差し込む。汚染を駆除するプログラムを流し込まれた汚染人形はその場で崩れ落ちた。
「アンタ、大丈夫かい？怪我なかったかいねぇ？」
「き、機械人形！？」
引き倒されていた男はヘラの桃色の髪を見て声が裏返る。
「機内モードで通信は切れてるんさね、安心をし。」
「嫌だ……死にたくない……！殺さないで！！」
「待ちな、お前さん！」
ヘラの言葉を聞かず、立ち上がった男は叫びながら前も見ずに走り出す。
もちろん、まだ周りには暴走している汚染人形が沢山いる。
その中の一体が男に気付いて飛びかかろうとした刹那、男と汚染人形の間に誰かが滑りこむように入ってきた。頭を抱えてしゃがみこんだ男が恐る恐る目を上げて見ると、黒髪の若い男ーーエリックがナイフ一本で汚染人形の拳を受け止めていた。
「ここは危険です！どこか建物の中へ避難して下さい！」
呆然と固まる男にエリックが叫ぶ。
「早く！建物の中までは追ってきませんから！」
ようやく言葉の意味を理解した男は腰が引けながらも近くの建物に走って行った。
男を見送ったエリックはニヤリと口角を上げた。眼前に迫る、人工眼を赤く光らせた汚染人形の腹を思い切り蹴飛ばす。
吹っ飛んだ汚染人形はビクターに受け止められて投げ飛ばされた。
その間にエリックはロナの背側に回り込んで背中合わせになった。
「ロナさん！エリック・シード、戻ってきました！」
「助かる！ユリィは！？」
「います！」
ロナがパッと見回すと、ユリィはビクターから投げられた汚染人形の関節を固めてUSBで汚染駆除をしたところだった。
逃げ遅れた人の避難が完了したのを確認したロナは無線に向かって叫んだ。
「まだ動いている汚染人形を囲い込め！アサギ、刀を抜け！」
待ってましたとばかりに刀を抜くアサギ。紅白の人工眼が凄絶な光を反射する。
「跳べ！」
数歩下がり、助走をつけて踏み切るアサギ。
「やっちまえ、刀の子！」
「草餅、行けっ！！」
ビクターとユリィの声を受けて、囲い込まれた汚染人形たちの頭上高くにアサギが跳躍する。生きている人間にしか興味のない汚染人形たちはアサギには見向きもしない。逆にぶつからないように避けるので囲いの中心には確実に空白ができる。そこへ降り立ったアサギが一気に刀で薙いだ。膝を切断された汚染人形たちはバランスを崩し、倒れていく。
人血のにおいと汚染人形の機械油のにおいが混じる中、アサギが一人で剣舞を舞う。
倒れて進めなくとも尚抵抗する汚染人形に、更に刃を突き立てようとするアサギにロナが叫んだ。
『……サギ！アサギ！もういい、戻って来い！アサギ！』
無線から入るロナの声も聞こえないのか、アサギは動きを止めない。
まずいと隊員全員が思った瞬間、ギイイィィンンと金属が激しくぶつかる時の耳障りな音がした。アサギが振り下ろした刀をロナが自分の刀で受け止めた音だった。
「アサギ、もういい。これで十分だ。」
「ロナ……」
勢いを削がれたアサギがゆっくり刀を下ろす。
作戦名が「トリカゴ」である由縁は汚染人形を人が囲い込むところにある。
ただし、鳥は暴走する汚染人形ではなく、中心に飛び込む一人。一番実力のある者が鳥の役をするが、取り囲む隊員たちにも刃が届くかもしれない諸刃の作戦だった。
アサギの戦闘モードが終わった事を確認したロナが次の指示を出す。
「後は汚染駆除だけだな。USBが足りなくなったらリセットだけでも構わない。」
＊＊＊
脚はなくとも動けない訳ではない汚染人形たち。
支給されているUSBをウェストポーチから出したぼくは、暴れる汚染人形を押さえ込みながら左耳のポートにUSBを差し込んだ。
汚染駆除でこれ以上の暴走は止められるし、原型を留めていれば元の持ち主とも連絡がとりやすいが、最大の難点は汚染駆除の副作用でオールリセットされてしまう事だ。
単にリセットをしてもギロクの汚染は消滅しないが、汚染駆除プログラムの副作用でもリセットされてしまうのは本当に皮肉な話だ。
「人の都合で、壊すのか……？」
汚染人形の砂嵐混じりの声が後方から聞こえた。振り返ると、仰向けに倒れた汚染人形が人工眼を呼吸のようにゆっくり赤く点滅させていた。汚染人形の最後の抵抗で精神攻撃をしてくるのはいつもの事。
「エゴばかり押し付けるんだな」
戦闘中は何を言ってるかなんて聞いてないし聞く気もない。でも、今は相手が襲いかかってくる確率が下がり、余裕のできた心に言葉が滑り込んでくる。
迷いを断ち切る為に頭を振って顔を上げる。視線の先にいたのは大風で葉を落とした木のように、感情を何処かに置いてきたような空っぽな表情で汚染人形を押さえつけて、耳に汚染駆除プログラムを入れているロナさんだった。
「見せかけの優しさに酔うのか。実に人間は愚かだな。」
「……愚かじゃないっ！！」
リセット用のピンを煩く喋る機械人形の左耳に思い切り突き刺す。ピンは頭部を貫いて地面に刺さった。汚染人形の赤い光が消えて、微かな駆動音も消える。
食いしばった奥歯が痛い。思わずポートもリセットボタンも壊してしまった後ろめたさがあったが、それ以上にふつふつと怒りが浮かんでいた。
「機械人形を壊す事が辛いのがわかっているから、代わりにやるんだ」と言っていたロナさん。「状況が変わらないなら、笑おうぜ！」と大口開けて笑っていたビクターさん。「未だスーライが見つからないけど、きっと会える」と確信を込めて言ったユリィさん。「前線駆除は壊すだけしかできないのが心苦しいですの」と目を伏せたヘレナさん。
それが、愚かだなんて言わせない。絶対に言わせない。
過去を話さないぼくを受け入れてくれた人たちが愚かだなんて言わせない。
「シードさん、壊すと機械班に怒られるですの。」
いつの間にビルから降りてきたのか、ヘレナさんがぼくの手元を覗き込んでいた。
「あ、あ、え…と、暴れちゃって…手元が狂っちゃいました…」
あは、と引きつった笑みを浮かべたぼくに不信感を見せることなく、ヘレナさんは猟銃を背負い直すと「気をつけて下さいですの」と言い残してユリィさんの方へ向かった。
あらかた汚染駆除は済んだので、後はこの機械人形の残骸を回収してトラックに乗せるのと、怪我人に応急処置するだけだ。ビクターさんがトラックを取りに戻っている間に、終わった空気を察知したのか避難していた人たちが恐る恐る外に出てきた。
危険がもうないだろうかとキョロキョロ見回している人の視線が一箇所で止まった。徐々に表情が強張っていくのが少し離れていても感じ取れた。
その視線を追ってみると、案の定、応急処置をしているヘラさんがいた。ロナさんと救護をしているアサギもいる。偶にーーというより大体こうなる。幾ら通信を切ってワクチンをインストールしても、それは表には見えない。機械人形だというだけであの視線を受ける。助けてくれた事なんてお構いなしの不審者を見る視線。
唯一の救いは彼ら機械人形には感情がない事だろう。人間だったらとても耐えきれない。暴走する同族を殺し、誰かのために働いても、受けるのは侮蔑の視線だけだとしたら。
でも、もし。“機械人形に感情がない”事自体が大きな誤解だったらどうなるのだろう。人の行動の学習から本当は会得していたとしたら……？いや、想像するだけ無駄か。ぼくにはわからない範囲の事。守るのは大切な仲間だって理由だけで十分だ。
視線だけなら幾らでも一緒に受け止めてやる、そう思って視線を投げる人を睨みつける。
ぼくの視線に気付いた人がビクッと肩を震わせて視線を逸らした。なんて事ない。
「眼鏡。」
「ユリィさん？」
黒服のユリィさんがいつのまにか隣にいた。基本的に無表情な人だが、今日は気持ち悲しそうに見えた。
「あんまり苛めないであげてよ、向こうも被害者なんだから。」
「ま、まぁそうですね……」
視線がバレてたのか……アクション俳優ともなると本当に武術が使える人なんだな。
ここまではいつもの通り。ヘラさんとアサギに向けられる視線が同じ第4小隊の面々にも影を落とし、陰鬱な空気が漂う。そこをビクターさんの笑い声が無理矢理吹き飛ばして終わる。そのはずだった。でも、今日は。
「あれ、機械人形じゃないか？」
「やだ、本当だわ。あんな危ないモノをよく連れて歩けるわね」
「結社だかなんだか知らねぇけど、機械人形なんて信用ならねぇよなぁ？」
「ちょっとやめなさいよ、助けてくれたんでしょ？」
「つってもよ、いつ暴れだすかわかったもんじゃねーだろ。さっき見ただろ？あの緑髪、止められるまで見境なく暴れてたじゃねーか」
疑心がヒソヒソ声に乗って広がっていく。
メジムスト通りのあたりは感情優位型の多い移民者の割合が高いのを失念していた。
「『人の都合で壊すのか』って機械人形の声が聞こえたんだけど、壊さずに止められないの？」
「人のもの勝手に壊していいのかよ？」
「危険な道具を使う奴らのする事なんて信用できないな。」
広がる疑心が結社への不信感に変わっていく。
なんだよ、死なずに済んだって言うのにその言い方は。
「助けてあげたのはあたしたちなのに、悪く言うなんてあんまりですの！」
我慢の限界か、眉を歪め、頰を上気させたヘレナさんの大声が通りに響く。
「ちょっとヘレナ姉ちゃん…」
「本っ当にありないですの！あたしたちがいなかったらどうなってたと思うんですの！！」
ユリィさんの制止も聞かず騒ぎ出すヘレナさん。
ヘレナさんの剣幕に圧されたのか、群衆の声が小さくなった。
変わって聞こえてきたのは「ちっ……これだから女は嫌なんだ」「自分の意見しか聞く気がないのね」という群衆の怒りの矛先がヘレナさんに向かう声だった。
本当に酷い人たちだ。自分じゃ何もできないクセに！
ヘレナさんの加勢になろうと一歩踏み出したら後ろからロナさんに肩を叩かれた。
「エリック。」
「ロナさん……？」
肩に置かれた手の圧が行くなと言っていた。
「ヘレナ、そこまでだ。」
「何、言ってるですの！わかるまで聞かせるですの！」
「ヘレナ、一旦落ち着け。深呼吸した方がいい。」
「このままなんてあんまりですの！……っ！！」
ヒートアップするヘレナさんがいきなり崩れ落ちる。隣にいたユリィさんがしっかり受け止めたところを見ると、どうやら危険を感じたユリィさんが手刀で気絶させたようだ。
隊員より一歩前にロナさんが出る。
「お騒がせしてしまい、本当に申し訳ありません。」
深々と頭を下げるロナさんに倣い、あわてて副小隊長のぼくも一緒に頭を下げる。
「私はこの小隊の責任者です。皆様の心情を汲み取れず、不安を煽るような事を部下が口走ってしまった事、上司である私の責任です。お恥ずかしい限りです。本人には厳しく言っておきますので、何卒ご容赦ください。」
再び深々と頭を下げるロナさん。その姿に群衆の空気が少し変わった。
「テロに遭う事の恐ろしさは私どももよく存じております。本当に申し訳ありません。」
「あ、いや、その……そこまでしなくても……ねぇ？」
さっきまでの不信感や怒りが少しずつ引いていく。消えたわけではなさそうだが、当座はこれで引いてくれそうだ。
「こっちも言い過ぎた……かも、しれないし……」
少しオロオロし始める人たち。そこをロナさんは見逃さなかった。
「本当に申し訳ありません……！できれば、私どもマルフィ結社での機械人形の扱いについて少し聞いていただければと思うのですが……」
まちまちにうなづく群衆を確認したロナさんは簡潔に説明をした。
機械人形は通信が切ってあり、汚染対策のソフトウェアもインストール済みで安全である事。
汚染されている機械人形も出来るだけ壊さないように気をつけている事。固有ナンバーから元の持ち主が判明して連絡が取れれば返せる事。
説明が終わる頃には群衆は状況を飲み込めた表情になっていた。
これで一安心か。モヤっとした感情が消化できずにいるけど、気にしても仕方ない。
「小隊長ー！トラック持ってきたぞー！」
落ち着いて来た空気をぶち壊すような大声とトラックのエンジン音。戻ってきたビクターさんの方へ全員の視線が向く。
「え？何、みんなトラック待ってたのか？遅れてすまねぇ」
勝手に解釈したビクターさんだったが、やっぱり空気がおかしい事には気づいたらしい。
「なぁ、小隊長〜何があったんだよ〜？」
運転席から降りてきたビクターさんの問い詰めに苦笑を返すロナさん。
「ビクター、こっちは大丈夫だ。作業を始めてくれないか？」
「そーなのか？んじゃ、積み込み始めるぞ？」
基本的に疑わないのがビクターさんのいいところだ。言われた通り、汚染機械人形の残骸をトラックの奥に積み始めた。後ろで待機していたヘラさんと彼女に突っつかれたアサギもその様子に倣って動き始める。
「エリックも積み込み、できるか？」
「あ、了解です、ロナさん。行ってきます！」
ビクターさん達の方へ走っていくぼくの後ろで「少し先に医療班がいるので怪我の処置ならできます」とロナさんが説明しているのが聞こえた。騒ぐ人間の相手はとても大変だが、ロナさんは全部背負い込んで防波堤になろうとしてしまう。リーダーとしては良くても、他の面にしわ寄せが出ない事を願うばかりだ。
機械人形たちはトラックの一番奥に積み込む。本体と斬ったパーツはこれ以上バラバラにならないよう、わかる範囲で一緒に括っておく。これを怠ると機械班から大量にクレームが飛んでくるのだ。下手すると経理部からのクレームも追加されるので慎重に作業をしなければならない。
最初に支部の機械班にチェックしてもらい、正しい組み合わせに直してから本部の機械班へ送って整備し直す……のだが、支部には基本的に1人か2人しか機械班がいない。よって、担当者は過酷な労働を強いられる。体調を崩して別の人と交代する人が出る始末だ。現在の担当者が潰れない事を願おう。
機械人形を積み込み終えたら次は負傷者を乗車させる。
「動けるか？痛いか？」と聞きながらビクターさんがトラックの扉付近に2人ほど乗せていた。片方は中年男性。左肩が妙に変形しているので脱臼、それとズボンの右足が血に染まっていて包帯でぎっちりぐるぐる巻きにされているので結構な切り傷だと思う。
もう片方は最初にロナさんが助けた少年で、脚に添え木が括られている上に額には血が垂れている。大事にならなければいいけど。
「あの……」
中年男性がビクターさんに話しかける。
「さっきまで暴走していた機械人形と一緒は怖いんですけど……」
「ん？ああ、全部電源切れて動かねぇから安心してくれ！一応うちの隊から1人護衛に入るし、いざとなればそいつが守っから。大船に乗ったつもりでいてくれや！」
ニカっと笑って親指を立てるビクターさんの迫力に負けたのか、中年男性は「そうなんですね……」と言ったきり黙り込んでしまった。
「おーい、役者ー！何処行ったー？」
「今行くー！」
ビクターさんに呼ばれたユリィさんが気絶したヘレナさんを背負ったまま、トラックの荷台によじ登っていく。
「眼鏡〜荷台の後ろ、閉めて〜」
「ぼくは眼鏡じゃないです……」
荷台の後ろあおりを閉める直前、視線を感じて振り返るとロナさんがトラックの中の一点を凝視していた。呆然と見開かれた目。血の気が引いた額には冷や汗が浮かんでいる。
何か危険でもあるかと見直そうとして思い出した。あぁ、そうか。幻覚か。
医療班の精神科医から「ロナ・サオトメさんには幻覚が見えているから過剰反応しない事。落ち着けるような声かけをするように。」って言われたんだ。
「ロナさーん、閉めますよー。ロナさーん」
一瞬ビクッとしたロナさんが慌てて頷いたのを確認して、後ろあおりを上げて固定する。
どんな幻覚か詳しく知らないけど、この小隊で誰よりも優しいロナさんの事だ。きっと、助けられなかった誰かを見ているのだろう。
幌も下ろそうとした時、軍警のサイレンが聞こえた。
帰らずに見守っていた野次馬たちの顔にも緊張が走る。
トラックの前に軍警の車両が数台止まり、中から数人の警官たちが出てきた。その中のなんだか偉そうな感じの男性1人がこちらへ向かって歩いてくる。
ぼくは無意識にロナさんの後ろに移動していた。仕事中だと思って張っていた緊張が緩み始め、警官への恐怖が喉元へ迫り上がってくる。少し、寒い。
ぼくらの前に来た警官は気持ち悪いくらい朗らかな顔をしていた。
「えっと君たちは……その青の腕章はマルフィ結社さんかな？」
ぐるっと辺りを見回したその人はヘラさんとアサギが見えたところで頬の筋肉がピクリと跳ねた。彼の後ろにいる他の警官たちの中にはヘラさんとアサギの髪が見えただけで、あからさまに嫌な顔をする人もいた。
「ご苦労だったね。軍警の仕事が減って助かるよ。」
どこまで本音かわかったものじゃない。
「実にいい道具をお持ちだね、マルフィ結社さんは。」
ついっと視線でヘラさんとアサギを示して言う。
この人はよっぽどマルフィ結社も機械人形も嫌いなんだろう。ぼくらで憂さ晴らしがしたいだけとしか思えない。その為だけにターゲットにされるヘラさんとアサギが哀れだった。
「道具じゃない、仲間だ。」
ぼくの前に立っているロナさんの表情はぼくの場所からは見えなかった。それでも、少し、声が震えていた。
「そうですか、そうですか。とりあえず、何が起きたかくらいは教えて下さいね？」
「この場で答えられる範囲なら。……怪我人がいるので、トラックは先に行かせていいですか？」
硬いロナさんの声に鷹揚に頷く警官。
「積荷はなんです？」
「回収した汚染人形と自力で歩けない怪我人です。」
「汚染人形を回収して何をする気です？」
「回収した汚染人形をこの後、結社の方で汚染駆除します。固有ナンバーが判明すれば軍警にも連絡します。」
聞かなくてもわかっているはずの事をわざわざ聞く。何か裏がありそうで怖い。
「そうですか……トラックには行ってもらった方が良さそうですね。とりあえず、ナンバーは控えさせてもらいますが、いいですね？」
「……どうぞ。」
後ろに控えていた部下であろう警官に指示を出したその人はこちらに向き直ると更に笑みを深めて言った。
「それと……この道路の傷はどう説明してくれるんです？」
そう。実はそう。アサギが暴れた時に勢い余って道路の舗装に穴を開けてしまっていた。
「それは、本当に申し訳ありません……勢い余って壊してしまった部分は上と相談して弁償させてもらいます。アサギ、こっち来い！」
呼ばれたアサギも含めて3人で頭を下げる。
「壊してしまい、すみませんでした」
下げた頭に降ってきたのは「いいですよ、機械に頭下げられても嬉しくありませんし。」という無情な台詞だった。
「後は周辺住民の皆さんから話を聞くのでお帰りください。」
頭を上げると、笑って見える目には蔑む光が浮かんでいた。
「行くぞ、エリック。アサギ。ヘラも。」
ロナさんに背を押されてトラックまで行く。
途中、警官たちの横をすり抜ける時に「大きなヤマがないとこっちも昇進できねーんだよ」とボヤく声が聞こえた。舌打ちも聞こえた気がして、全身が震えた。トラックの幌を下ろす時も手が震えてうまく下ろせなくてアサギに手伝ってもらった。
医療班の待機しているところへトラックを見送った時も、まだ震えが止まらなかった。
軍警がこんなに酷くなっているとは、と考えた途端、足から力が抜けてへにゃりと座り込んでしまった。まずい……まだ倒れるわけには……！
「エリック！？大丈夫か？」
心配してくれるロナさんに大丈夫だと答えたはずだが、朦朧とした意識に溶けてしまったかもしれない。
＊＊＊
倒れたエリックをアサギが慣れた様子で背負う。
トラックは行ってしまったので、残された4人は歩いて支部まで帰るしかない。
ヘラのルート案内のお陰で細々とした道を通る最短ルートで帰れる。見たより時間をかけずに帰れるのはありがたい事だった。
緊張が解けたエリックが気絶するのは、実はそう珍しくもない事だとみんな知っている。
普段のエリックはどちらかと言えば臆病で、自分の意見を堂々と言わない性格をしている。
でも、前線駆除の仕事をしている間だけは緊張感からか大胆な性格に変わり、どの感覚も鋭敏になる。仕事の終わりと一緒に疲れ切って倒れる事は間々ある事だった。
エリックの過去は第4小隊の誰も把握していなかったが、軍警と辛い関係があったのだろうとは薄々気が付いていた。
本人が嫌がる過去は触れないでおこうーーそれが第4小隊の暗黙の了解だった。
薄曇りの陽が4人の頭上に降り注ぐ。
「アサギ。ヘラ。」
先を行く2人にロナが声を掛ける。
「本当に、2人にはすまない事をした。」
悔しそうに眉を歪めるロナに2人とも足を止める。
「さっきの警官の事は気にしなくていい。頭を下げたのも謝罪するのも、この辺りの住民に良い印象を持って貰う為だ。」
その言葉に顔を見合わせるヘラとアサギ。
「構いやしないよ。大抵の事には賛成と反対がいる、そういうモンだろう？ね、アサギ？」
「あぁ。勢い余って壊しちまったのは俺だし、怒られても仕方ねぇよ。」
「2人とも……」
くすりと笑ったヘラが拳でアサギの肩を小突く。
「こーんなに愛いアサギを怖いなんて勿体無い連中だね、全く。」
“愛い”の意味が通じたのか「何だよそれ」と呟くアサギ。
「ミクリカの惨劇の後、シェリーちゃんと興行してた時も似たモンだったよ。行く先々で怖がられるし、締め出されるし。シェリーちゃん、『一人でも笑顔になれるならそれでいい、笑わせるのが芸人だもの』って仕事続けてたっけねぇ」
数歩ロナに歩み寄ったヘラが腰を折って覗き込むように見上げる。
「だからさ、全員に好かれようなんて無理な事を背負う必要はない、そう思うんだけどねぇ。ロナさん？」
束の間、悟った様な言葉に驚いてまじまじとヘラの顔を見てしまったロナだったが、ゆっくり意味が心に染みると遠い目になった。
「そう、か……そうだな。」
ロナの顔の強張りがほぐれていくのを確認したヘラはくるりと向きを変え、ロナの背側に回った。
「さ、早く帰らないといけないねぇ。ビクター達より遅れて到着なんて、格好が付かないんじゃないかいねぇ？」
そう言いつつロナの背を押して歩き出すヘラ。その背をアサギがエリックを背負い直して追いかける。
少し湿気た風が道を通り抜けていった。
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