愛の日に初めての気持ちを君に／燐花
最終更新：
rinka_creation 2021年02月11日(木) 21:15:37履歴
カリカリとペンを走らせる音が響くヒギリの部屋。真面目に紙とペンに向き合っていたところでオーブンの音が鳴る。ぴんっと跳ねるように席を立ち、確認。良い感じにクッキーが焼けていた。
「うわぁ〜…！美味しそうだね〜…！」
いひひ、と締まりの無い笑い方をしたヒギリはミトンを手に、鉄板を掴むと外へ出しクッキーの粗熱を取り始めた。これは明日給食部の皆に配る予定のもの。そして今まさに焼く準備をしているのは、大ファンであるあの人達に渡すつもりのもの。
「へへ…テオさん、エリックさん、喜んでくれるかなぁ〜？」
ヒギリの頭の中で若干美化された様にも見えるテオフィルスとエリックがお礼を言って受け取ってくれる。ヒギリはきゃーきゃー言いながら部屋で足踏みした。そしてもう一人、ヒギリにとって最近やたら気になる男性が急速に頭を過る。
タイガ・ヴァテール。人事部の男の子。普段はヒギリの事をモナルダさんと呼び、若いのに丁寧語で紳士的に話し掛けてくれる青年。
正月明けてすぐ。死屍累々と転がる酔っ払いを避けつつ突き進んだ食堂。着くなりノエに「主人を起こしてもらえるか」と頼まれて何気なく二つ返事で了承し、ヒギリは彼の主人であるタイガを起こしに行った。
そしてそこで聞いてしまったのだ。酔っ払って寝惚けているタイガの口から「 ヒギリちゃんがご飯いっぱい食べる姿、最高にかわいい 」と言う言葉が出るのを。
「タイガ君…どう言うつもりだったんだろう…？」
思い出すだけでカーッと赤くなるしその後口に出された「ヒギリちゃんはオレの最推し。オレのアイドル」と言う言葉に青くもなった。
まさか！？まさかまさか！？コアなファンじゃなければ絶対ソフィア以外知らなそうな自分で言っててもちょっと悲しくなるそんなグループで！？まさかの身バレしたとでも言うのか！？
いや、でもアイドル時代より少し化粧も変えたし着てる服は全然違うし(アイドル時代は衣装だけなので当たり前だが)、ツインテールの高さも変えた、アイドル時代はもっと上で縛ってたし！
タイガがスーパーレコグナイザーだと言う事を知らないヒギリ。自分が最大限人間を認識する特徴を必死で挙げ、違いを挙げて納得する。
そもそも何故そんなにバレたくないのか自分でも分からないが、多分いつも目立つのはソフィアで後は二番手にすら回れない、「誰でも良い」集団の中に身を置いていたと言う劣等感がそのまま恥ずかしさに繋がっているのだと思う。
「タイガ君…どっちが本当のタイガ君なのかな…？」
いつもの「モナルダさん」と呼んで丁寧に話し掛けてくれるタイガと、フレンドリーに「ヒギリちゃん」と呼んで更には隠す事なく好意を見せてくれるタイガが頭の中で交互に行き交う。
「ま、まさか…！？別人で双子だったり！？はっ！？影武者かな！？」
流石にこの発想は長くは続かなかったが、兎にも角にもタイガの存在はヒギリの中で大きくなっていた。しかし、ヒギリ自身がこの感情の名前をまだ確認していない。
愛の日当日。食堂にクッキーを持ってきたヒギリ。皆に挨拶をして持参した皿にクッキーを入れ、「愛の日のプレゼントです、ご自由にお取りください」とメモを書いて置いておく。後はいつも通りの業務に就いた。同僚達と談笑しながら、同僚達も用意してきてくれたものがあるとかで一緒にちょいちょい休憩に入って食べてまた仕事。今日も平和だ。愛の日前に頑張って太り代を作って良かった。
昼少し前。早めの休憩に入ったエリックが顔を出す。ヒギリは彼の姿を見付けると目に見えて分かるくらいに慌て出した。
「えぇえ〜！！！どうしよう！！？まだ心の準備がぁぁぁぁあ！！」
「ヒギリさん、どうされました？」
ノエに声を掛けられてヒギリは思わず気持ちを吐露する。好き、とか恋とか言う前にただただ彼の雰囲気に憧れているだけかもしれないのに、作っておいて今更だがこんな個別に作ったベリーのガトーショコラなんて渡して引かれたりしないか？と。
話を聞いていたノエは深く、それは深く頷くとヒギリの肩に手を置いた。
「ヒギリさん、料理は真心ですよ。たとえ目的がどうあろうと、今日真心を込めたお菓子をもらって嬉しくない人はいません」
「そ、そうですよね！？」
「勿論です。貴女の思うままに料理を振る舞えば良いのです。料理の最高の調味料は愛情なんですから…！！」
「はい…！！」
意を決して。ヒギリはすぐ手元にお菓子をスタンバイさせるとエリックが列に並んで来るのを待った。
後三人、後二人、後一人…。
「あ！あのぅ…エリックさん…！」
話し掛けられると思っていなかったエリックは一瞬驚いた様にぎこちなく体を揺らした。
「あ、はい…？」
「あのぅ…あのぅ…！！」
ヒギリは胸に手を当てはやる心臓をどうにか静めようとする。
お願い！止まって！
あ、止まっちゃダメだ、ちょっと静かにして私の心臓！！
「あのぅ…！」
「はい…」
「ファ、ファンです！もらってください！！」
「えっ！？」
給食班の女の子から、何のこっちゃ分からないが何故かファンだと言われて照れより驚きの方が勝ったエリック。あまりにも唐突過ぎて他に言い方はなかったのかとも思ったがヒギリはこれが限界だった。
「(ライブするより緊張するー！！)」
頭がぐるぐるになり過ぎて詳しい事は忘れてしまったが、どうやらノエが助け舟を出してくれたらしくエリックは無事笑顔でヒギリの作ったベリーのガトーショコラを受け取ってくれた。
ヒギリはガッツポーズを取った。食堂の端っこから、何か知らないがヒギリが何か成し遂げたらしいと察したメンバーが拍手を送ってくれた。
昼休憩で賑わう時間。次に顔を出したのはテオフィルスだった。テオフィルスはヒギリの姿を見付けるといつもの調子でにっこり笑ってひらひらと手を振る。ヒギリは少し顔を赤らめて先程同様、すぐ手の届くところにお菓子を配置。
しかしやっぱりここでも悪い思考が邪魔をする。
どうしようノエさん！好き、とか恋とか言う前にただただ彼の雰囲気に憧れているだけかもしれないのに、作っておいて今更だけどやっぱりこんな個別に作ったベリーのガトーショコラなんて渡して引かれたりしないかな！？
ヒギリさん、先ほども言いましたが料理は真心ですよ。たとえ目的がどうあろうと、今日真心を込めたお菓子をもらって嬉しくない人はいません。そもそも彼の性格的に喜ばないわけがありません！
そっか！！
昼食を待たされたテオフィルスは、一体目の前で今何が起こっているんだと思いつつ控えめに自己主張した。
「ヒギリちゃーん？メシよそってくれねー？」
「あ、あのテオさん！ファンです！もらってください！！」
「マジかよ」
食堂のアイドルがファンになってくれるとはなかなか良いもんだ。そう笑ってテオフィルスは受け取ってくれた。そんなテオフィルスの事をノエはじっと見つめると、はて？あのカントゥッチはもう渡したのですかね？と呟く。
「ノエさん、ワンプッチって何ですか？」
「ふふ…カントゥッチですヒギリさん。保存の効くビスケット菓子ですよ」
「ふーん…？テオさん…誰かに作ったのかなぁ…？」
テオフィルスを見送り、昼の忙しさを切り抜けひと段落。ヒギリは同僚達からもらったお菓子を皆と笑い合って食べながら周りをキョロキョロ見回すと、こそっとノエに耳打ちした。
「ノエさん」
「何ですか？」
「今日、タイガ君来るかなぁ？」
ヒギリの前には現れないタイガ。ノエは実は先程タイガが食堂に来る姿を見ていた。あんなに一生懸命作ったのに、何故かヒギリに菓子を渡しに来なかった彼の事を思い出す。自信のなさの様なものがせっかくの気持ちを渡さない方向に向かわせているのかも。でもせっかく彼女を想って一生懸命作ったんだし、機械人形として主人を後押ししたくもなるものだ。
ノエは少し考えてヒギリと向き合った。
「…ヒギリさん、頼み事があるのですが良いですか？」
「ん？構わんよ？」
「人事部に、お使いに行ってほしいんです。このサンドイッチをタイガに届けて欲しくて」
「え！？」
「私も忙しくてタイガに渡さなければならないものを渡し忘れていました」
降って沸いたタイガと顔を合わせるチャンス。ヒギリはすぐに了承するとノエからバスケットを受け取り食堂を飛び出した。
「ヒギリさーん！大事なお菓子忘れてますよー！」
「あっ！！」
人事部の部屋の自分の席に着き、タイガは少しだけ唇を尖らせながら椅子で遊んでいた。サリアヌも午後休で居なくなってしまったし、医療班に行くと言ったロードもまだ帰らない。つまらない。
「はぁ…」
食堂には行った。行って、色んな人から色んなお菓子を貰う当たり前の行動を取っていたヒギリを見て少しだけモヤモヤしてしまった。周りにいるのは調理のスペシャリスト達。彼らがこぞって自慢気に腕によりを掛けて彼女の為に愛の日に気持ちを込めて菓子を作ったんだと思ったら、最初カカオ豆から作ろうとしたくらいやる気を出して頑張ったこのお菓子も急に色褪せて見えてしまった。
「頑張ったんだけどな…何で急に自信なくなるんだろう…」
自分はただのファン。彼女は推し。それ以上でも以下でもない筈だった。だから、誰が何をあげようが誰から何をもらう姿を見ようが平気だと思っていたのに。何か凄くモヤモヤする。いっそ自分で作ったんだし自分で食べてしまおうか。
そんな事を考えていたら自分を呼ぶ声にタイガは気が付いた。
「おーい！タイガ！」
「ん！？え！？何！？」
「お、起きてたな。あそこの席ですよ」
「ありがとうございます！」
同僚と会話をし、こちらに向かって来たのはヒギリ・モナルダだった。
「(え！？ヒギリちゃん！？何で！？)」
思わずガタガタ音を立てて椅子に座り直す。変な物を出していないか机周りを見回し、ごちゃごちゃになっている資料やファイル、食べ終わって捨て忘れたスナック菓子の袋を見て日常的に片付けていなかった事を後悔した。
「あのー…タイガ君？」
「な、何ですか？モナルダさん」
「…あのね、ちょっと休憩？入れないかなー？って…」
もじもじしながら目の前にずいっとサンドイッチの入ったバスケットを差し出される。多分これはノエの作ったものだが、タイガはもう昼にちゃんと昼食を摂ったのを知っている筈だ。
「(さっき食べたからこんな入らないよ！ノエってば何考えてんの！？)」
「あ、あのね〜…これノエさんが作ったから持ってってって言われたんだけど…」
少し恥ずかしそうに「美味しそうだよね…？」と聞いてくるヒギリ。なるほど、食べたいのか。タイガは休憩に入る事にして、ヒギリと一緒に部屋を出た。
「ご、ごめんねー！タイガ君が作ってもらったのに！」
もくもくと食べるヒギリ。タイガも笑いながら一、二個摘む。彼女を見つめると変な感じだ。彼女の載っていた雑誌では何回もその笑顔を見ていた筈なのに、今こんな近い距離にいるなんて。それでもやっぱり推しとファン。じゃないのか？
恋をする気なんて無かったし、しているとも思っていないのだが。
「タイガ君！あのね！」
ぐんっと顔を近付けるヒギリ。急な事でタイガは思わず笑顔を引き攣らせる。ヒギリは何度か唇を震わせて言葉を探している様だったが、決意を固めた様に声を張り上げた。
「私！タイガ君ともっと仲良くなりたいんだよ！」
「…ん！？」
「私、年明けからずっと気になってたんだよ、タイガ君の事…」
年明け。そのワードを聞いて頭の中で一気に再生される酒に酔った自分と何も知らないヒギリ。うっかり本人には言っていない「ヒギリちゃん」呼びをした挙句可愛いだの推しだの連呼してしまったあの時。
「モナルダさん！あれはえっと、酔っ払いの戯言と受け流してもらえたら──」
「無理だよ！」
「──む、無理？」
「ヒギリちゃんなんて、言ってもらえると思わなかったのに…いつも敬語なのに何かドキッとしちゃったんだよ！タイガ君の事あの時から何か意識しちゃって…気付いたら愛の日の贈り物個別に用意してるし！」
ヒギリが少し慌てながらそんな事を口にするのでタイガは目を丸くしてしまった。
何かと自分に言い聞かせても、現実として彼女はこんなにも近くに存在しているのはどんなにそっぽを向こうとすぐ傍にある事実。彼女は今、アイドルだった過去は関係なくヒギリ・モナルダとして生きているのだから。
推しとファンを頑なに守ろうとして少し距離を空けて接して来た。遠目に見たりだとか、ノエを挟んだりだとか。でも今この空間には二人だけ。二人でこんなにじっくりゆっくり話したら気付いてしまった。推し、何て言ってたけど、彼女だって普通の女の子だ。これ以上今まで通りは少し難しいらしい。
少なくとも推しの方から友達のエリアくらいまではとっくに歩み寄ってくれていたみたいだから。
「ごめん私、何か色々変に気にしちゃったの！名前呼ばれたの嬉しくて！もう戻るね！」
「あ…」
ツカツカツカ、と数歩離れてＵターンしてまたツカツカツカ、と戻ってくるヒギリ。
「作ったって今言ったのに…ベリーのガトーショコラ渡し忘れてた…」
そう言って手作りのガトーショコラの入った小箱をタイガに渡す。ああ、彼女は誰から何を作ってもらったとか贈ってもらったとか関係なく、これを俺にくれるんだ。
ノエが何を思って敢えてサンドイッチを作ってヒギリに持たせたか、気が付いたタイガはさっきまでの不貞腐れが嘘の様に馬鹿馬鹿しく感じた。
「それじゃあ私、今度こそ！！」
「あ、待って！！」
突き動かされる様に慌ててヒギリを呼び止めて部屋に駆け込み、さっきまで色褪せて見えていた手作りのお菓子を机から取り出す。走って戻って彼女の事を呼んだ。
振り返って自分を見て笑ったその顔。
今までずっと雑誌で見ていた、もう完全に記憶している筈のその笑顔。
その筈なのに、何でだろう？
今まで雑誌で見てきたどの顔とも違う、初めて見る笑顔の様にタイガには思えた。
「うわぁ〜…！美味しそうだね〜…！」
いひひ、と締まりの無い笑い方をしたヒギリはミトンを手に、鉄板を掴むと外へ出しクッキーの粗熱を取り始めた。これは明日給食部の皆に配る予定のもの。そして今まさに焼く準備をしているのは、大ファンであるあの人達に渡すつもりのもの。
「へへ…テオさん、エリックさん、喜んでくれるかなぁ〜？」
ヒギリの頭の中で若干美化された様にも見えるテオフィルスとエリックがお礼を言って受け取ってくれる。ヒギリはきゃーきゃー言いながら部屋で足踏みした。そしてもう一人、ヒギリにとって最近やたら気になる男性が急速に頭を過る。
タイガ・ヴァテール。人事部の男の子。普段はヒギリの事をモナルダさんと呼び、若いのに丁寧語で紳士的に話し掛けてくれる青年。
正月明けてすぐ。死屍累々と転がる酔っ払いを避けつつ突き進んだ食堂。着くなりノエに「主人を起こしてもらえるか」と頼まれて何気なく二つ返事で了承し、ヒギリは彼の主人であるタイガを起こしに行った。
そしてそこで聞いてしまったのだ。酔っ払って寝惚けているタイガの口から「 ヒギリちゃんがご飯いっぱい食べる姿、最高にかわいい 」と言う言葉が出るのを。
「タイガ君…どう言うつもりだったんだろう…？」
思い出すだけでカーッと赤くなるしその後口に出された「ヒギリちゃんはオレの最推し。オレのアイドル」と言う言葉に青くもなった。
まさか！？まさかまさか！？コアなファンじゃなければ絶対ソフィア以外知らなそうな自分で言っててもちょっと悲しくなるそんなグループで！？まさかの身バレしたとでも言うのか！？
いや、でもアイドル時代より少し化粧も変えたし着てる服は全然違うし(アイドル時代は衣装だけなので当たり前だが)、ツインテールの高さも変えた、アイドル時代はもっと上で縛ってたし！
タイガがスーパーレコグナイザーだと言う事を知らないヒギリ。自分が最大限人間を認識する特徴を必死で挙げ、違いを挙げて納得する。
そもそも何故そんなにバレたくないのか自分でも分からないが、多分いつも目立つのはソフィアで後は二番手にすら回れない、「誰でも良い」集団の中に身を置いていたと言う劣等感がそのまま恥ずかしさに繋がっているのだと思う。
「タイガ君…どっちが本当のタイガ君なのかな…？」
いつもの「モナルダさん」と呼んで丁寧に話し掛けてくれるタイガと、フレンドリーに「ヒギリちゃん」と呼んで更には隠す事なく好意を見せてくれるタイガが頭の中で交互に行き交う。
「ま、まさか…！？別人で双子だったり！？はっ！？影武者かな！？」
流石にこの発想は長くは続かなかったが、兎にも角にもタイガの存在はヒギリの中で大きくなっていた。しかし、ヒギリ自身がこの感情の名前をまだ確認していない。
愛の日当日。食堂にクッキーを持ってきたヒギリ。皆に挨拶をして持参した皿にクッキーを入れ、「愛の日のプレゼントです、ご自由にお取りください」とメモを書いて置いておく。後はいつも通りの業務に就いた。同僚達と談笑しながら、同僚達も用意してきてくれたものがあるとかで一緒にちょいちょい休憩に入って食べてまた仕事。今日も平和だ。愛の日前に頑張って太り代を作って良かった。
昼少し前。早めの休憩に入ったエリックが顔を出す。ヒギリは彼の姿を見付けると目に見えて分かるくらいに慌て出した。
「えぇえ〜！！！どうしよう！！？まだ心の準備がぁぁぁぁあ！！」
「ヒギリさん、どうされました？」
ノエに声を掛けられてヒギリは思わず気持ちを吐露する。好き、とか恋とか言う前にただただ彼の雰囲気に憧れているだけかもしれないのに、作っておいて今更だがこんな個別に作ったベリーのガトーショコラなんて渡して引かれたりしないか？と。
話を聞いていたノエは深く、それは深く頷くとヒギリの肩に手を置いた。
「ヒギリさん、料理は真心ですよ。たとえ目的がどうあろうと、今日真心を込めたお菓子をもらって嬉しくない人はいません」
「そ、そうですよね！？」
「勿論です。貴女の思うままに料理を振る舞えば良いのです。料理の最高の調味料は愛情なんですから…！！」
「はい…！！」
意を決して。ヒギリはすぐ手元にお菓子をスタンバイさせるとエリックが列に並んで来るのを待った。
後三人、後二人、後一人…。
「あ！あのぅ…エリックさん…！」
話し掛けられると思っていなかったエリックは一瞬驚いた様にぎこちなく体を揺らした。
「あ、はい…？」
「あのぅ…あのぅ…！！」
ヒギリは胸に手を当てはやる心臓をどうにか静めようとする。
お願い！止まって！
あ、止まっちゃダメだ、ちょっと静かにして私の心臓！！
「あのぅ…！」
「はい…」
「ファ、ファンです！もらってください！！」
「えっ！？」
給食班の女の子から、何のこっちゃ分からないが何故かファンだと言われて照れより驚きの方が勝ったエリック。あまりにも唐突過ぎて他に言い方はなかったのかとも思ったがヒギリはこれが限界だった。
「(ライブするより緊張するー！！)」
頭がぐるぐるになり過ぎて詳しい事は忘れてしまったが、どうやらノエが助け舟を出してくれたらしくエリックは無事笑顔でヒギリの作ったベリーのガトーショコラを受け取ってくれた。
ヒギリはガッツポーズを取った。食堂の端っこから、何か知らないがヒギリが何か成し遂げたらしいと察したメンバーが拍手を送ってくれた。
昼休憩で賑わう時間。次に顔を出したのはテオフィルスだった。テオフィルスはヒギリの姿を見付けるといつもの調子でにっこり笑ってひらひらと手を振る。ヒギリは少し顔を赤らめて先程同様、すぐ手の届くところにお菓子を配置。
しかしやっぱりここでも悪い思考が邪魔をする。
どうしようノエさん！好き、とか恋とか言う前にただただ彼の雰囲気に憧れているだけかもしれないのに、作っておいて今更だけどやっぱりこんな個別に作ったベリーのガトーショコラなんて渡して引かれたりしないかな！？
ヒギリさん、先ほども言いましたが料理は真心ですよ。たとえ目的がどうあろうと、今日真心を込めたお菓子をもらって嬉しくない人はいません。そもそも彼の性格的に喜ばないわけがありません！
そっか！！
昼食を待たされたテオフィルスは、一体目の前で今何が起こっているんだと思いつつ控えめに自己主張した。
「ヒギリちゃーん？メシよそってくれねー？」
「あ、あのテオさん！ファンです！もらってください！！」
「マジかよ」
食堂のアイドルがファンになってくれるとはなかなか良いもんだ。そう笑ってテオフィルスは受け取ってくれた。そんなテオフィルスの事をノエはじっと見つめると、はて？あのカントゥッチはもう渡したのですかね？と呟く。
「ノエさん、ワンプッチって何ですか？」
「ふふ…カントゥッチですヒギリさん。保存の効くビスケット菓子ですよ」
「ふーん…？テオさん…誰かに作ったのかなぁ…？」
テオフィルスを見送り、昼の忙しさを切り抜けひと段落。ヒギリは同僚達からもらったお菓子を皆と笑い合って食べながら周りをキョロキョロ見回すと、こそっとノエに耳打ちした。
「ノエさん」
「何ですか？」
「今日、タイガ君来るかなぁ？」
ヒギリの前には現れないタイガ。ノエは実は先程タイガが食堂に来る姿を見ていた。あんなに一生懸命作ったのに、何故かヒギリに菓子を渡しに来なかった彼の事を思い出す。自信のなさの様なものがせっかくの気持ちを渡さない方向に向かわせているのかも。でもせっかく彼女を想って一生懸命作ったんだし、機械人形として主人を後押ししたくもなるものだ。
ノエは少し考えてヒギリと向き合った。
「…ヒギリさん、頼み事があるのですが良いですか？」
「ん？構わんよ？」
「人事部に、お使いに行ってほしいんです。このサンドイッチをタイガに届けて欲しくて」
「え！？」
「私も忙しくてタイガに渡さなければならないものを渡し忘れていました」
降って沸いたタイガと顔を合わせるチャンス。ヒギリはすぐに了承するとノエからバスケットを受け取り食堂を飛び出した。
「ヒギリさーん！大事なお菓子忘れてますよー！」
「あっ！！」
人事部の部屋の自分の席に着き、タイガは少しだけ唇を尖らせながら椅子で遊んでいた。サリアヌも午後休で居なくなってしまったし、医療班に行くと言ったロードもまだ帰らない。つまらない。
「はぁ…」
食堂には行った。行って、色んな人から色んなお菓子を貰う当たり前の行動を取っていたヒギリを見て少しだけモヤモヤしてしまった。周りにいるのは調理のスペシャリスト達。彼らがこぞって自慢気に腕によりを掛けて彼女の為に愛の日に気持ちを込めて菓子を作ったんだと思ったら、最初カカオ豆から作ろうとしたくらいやる気を出して頑張ったこのお菓子も急に色褪せて見えてしまった。
「頑張ったんだけどな…何で急に自信なくなるんだろう…」
自分はただのファン。彼女は推し。それ以上でも以下でもない筈だった。だから、誰が何をあげようが誰から何をもらう姿を見ようが平気だと思っていたのに。何か凄くモヤモヤする。いっそ自分で作ったんだし自分で食べてしまおうか。
そんな事を考えていたら自分を呼ぶ声にタイガは気が付いた。
「おーい！タイガ！」
「ん！？え！？何！？」
「お、起きてたな。あそこの席ですよ」
「ありがとうございます！」
同僚と会話をし、こちらに向かって来たのはヒギリ・モナルダだった。
「(え！？ヒギリちゃん！？何で！？)」
思わずガタガタ音を立てて椅子に座り直す。変な物を出していないか机周りを見回し、ごちゃごちゃになっている資料やファイル、食べ終わって捨て忘れたスナック菓子の袋を見て日常的に片付けていなかった事を後悔した。
「あのー…タイガ君？」
「な、何ですか？モナルダさん」
「…あのね、ちょっと休憩？入れないかなー？って…」
もじもじしながら目の前にずいっとサンドイッチの入ったバスケットを差し出される。多分これはノエの作ったものだが、タイガはもう昼にちゃんと昼食を摂ったのを知っている筈だ。
「(さっき食べたからこんな入らないよ！ノエってば何考えてんの！？)」
「あ、あのね〜…これノエさんが作ったから持ってってって言われたんだけど…」
少し恥ずかしそうに「美味しそうだよね…？」と聞いてくるヒギリ。なるほど、食べたいのか。タイガは休憩に入る事にして、ヒギリと一緒に部屋を出た。
「ご、ごめんねー！タイガ君が作ってもらったのに！」
もくもくと食べるヒギリ。タイガも笑いながら一、二個摘む。彼女を見つめると変な感じだ。彼女の載っていた雑誌では何回もその笑顔を見ていた筈なのに、今こんな近い距離にいるなんて。それでもやっぱり推しとファン。じゃないのか？
恋をする気なんて無かったし、しているとも思っていないのだが。
「タイガ君！あのね！」
ぐんっと顔を近付けるヒギリ。急な事でタイガは思わず笑顔を引き攣らせる。ヒギリは何度か唇を震わせて言葉を探している様だったが、決意を固めた様に声を張り上げた。
「私！タイガ君ともっと仲良くなりたいんだよ！」
「…ん！？」
「私、年明けからずっと気になってたんだよ、タイガ君の事…」
年明け。そのワードを聞いて頭の中で一気に再生される酒に酔った自分と何も知らないヒギリ。うっかり本人には言っていない「ヒギリちゃん」呼びをした挙句可愛いだの推しだの連呼してしまったあの時。
「モナルダさん！あれはえっと、酔っ払いの戯言と受け流してもらえたら──」
「無理だよ！」
「──む、無理？」
「ヒギリちゃんなんて、言ってもらえると思わなかったのに…いつも敬語なのに何かドキッとしちゃったんだよ！タイガ君の事あの時から何か意識しちゃって…気付いたら愛の日の贈り物個別に用意してるし！」
ヒギリが少し慌てながらそんな事を口にするのでタイガは目を丸くしてしまった。
何かと自分に言い聞かせても、現実として彼女はこんなにも近くに存在しているのはどんなにそっぽを向こうとすぐ傍にある事実。彼女は今、アイドルだった過去は関係なくヒギリ・モナルダとして生きているのだから。
推しとファンを頑なに守ろうとして少し距離を空けて接して来た。遠目に見たりだとか、ノエを挟んだりだとか。でも今この空間には二人だけ。二人でこんなにじっくりゆっくり話したら気付いてしまった。推し、何て言ってたけど、彼女だって普通の女の子だ。これ以上今まで通りは少し難しいらしい。
少なくとも推しの方から友達のエリアくらいまではとっくに歩み寄ってくれていたみたいだから。
「ごめん私、何か色々変に気にしちゃったの！名前呼ばれたの嬉しくて！もう戻るね！」
「あ…」
ツカツカツカ、と数歩離れてＵターンしてまたツカツカツカ、と戻ってくるヒギリ。
「作ったって今言ったのに…ベリーのガトーショコラ渡し忘れてた…」
そう言って手作りのガトーショコラの入った小箱をタイガに渡す。ああ、彼女は誰から何を作ってもらったとか贈ってもらったとか関係なく、これを俺にくれるんだ。
ノエが何を思って敢えてサンドイッチを作ってヒギリに持たせたか、気が付いたタイガはさっきまでの不貞腐れが嘘の様に馬鹿馬鹿しく感じた。
「それじゃあ私、今度こそ！！」
「あ、待って！！」
突き動かされる様に慌ててヒギリを呼び止めて部屋に駆け込み、さっきまで色褪せて見えていた手作りのお菓子を机から取り出す。走って戻って彼女の事を呼んだ。
振り返って自分を見て笑ったその顔。
今までずっと雑誌で見ていた、もう完全に記憶している筈のその笑顔。
その筈なのに、何でだろう？
今まで雑誌で見てきたどの顔とも違う、初めて見る笑顔の様にタイガには思えた。
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