ミサキがプログラマになる話／涼風慈雨
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suzujiu_orichar 2020年09月19日(土) 16:24:42履歴
機械班の倉庫で汚染駆除済みの機械人形のメンテナンスをしていると、事務所に繋がるドアがゆっくり開いた。
「アン、今暇？」
ドアの隙間から顔を出したのは、色素の薄い小柄な少女だった。
「見てわかんねェの？仕事中だろうが。ってか、ミサキだって仕事あンだろ？」
「空気悪くなったから出てきた。」
「またかよ。」
無表情のままドアの前に立っているミサキに呆れた視線を投げる。
「で？問題から逃げ出して来たッて事か？」
目を伏せるミサキ。そう、この子は昔からそうだった。
作業はとことんやる癖に、人間関係になると直ぐに諦めるか、逃避する。
「そのへんに椅子あンだろ？とりあえずそこに座ってろ。メンテ終わらせたらゆっくり話聞いてやッから。」
近くにあった木の丸椅子を寄せて座るミサキを横目で見ながら、機械人形の品質を確認していく。目を閉じ、整然と様々な機械人形が座っているのは見ようによっては不気味な物になる。その所為か、マジュを筆頭に保育部のチビ達はこの倉庫の寄り付かないし、嫌な記憶があれば大人でも敬遠する。
汚染駆除済みの機械人形達には記憶が全くない。汚染駆除の副作用の方ではなく、記憶があろうと無かろうと、汚染の拡散を防ぐために基本的にメモリは廃棄処分になるからだ。
前線駆除班のする汚染駆除自体は機体を出来るだけ損傷なく確保する為のものであって、駆除の完全性は求められていない。
故にここにいる機械人形達はまっさらどころかメモリ無しの状態なので、暴走していた機体とは既に別物になっているわけだが、幾ら説明しても自身の妄想に取り憑かれた連中には理解されない。思考回路の違う人間と分かり合うのはどだい無理な事なのだろう。
残しておいたクッキーにミサキが手を伸ばしているのを見て、そういえば14になったんだったなとしみじみ思った。
初めて会ったミサキはまだ5歳で、自分は14歳だった。
天気は特に覚えていないが、少し肌寒い孤児院の廊下で「この子の面倒を見るように」と職員に言われて、一緒に雑巾掛けをしたのが最初だった。
媚びる訳でもぼんやりしている訳でもなく、今まで見てきた子供と全く違う、5歳児とは思えない意思のこもった目付きをしていたのが鮮明に脳裏に焼き付いた。
それから、作業で組むことが増えていった。非力で余り表情は無いが、物覚えが良いミサキは愚図り続けた幼い頃の自分に比べれば手がかからない、良い子だと思った。
一番驚いたのは、既に読み書きが出来るようになっていた事だった。
気温差でできた窓のくもりに「ミサキ」「ケルンティア」と書いて満足げな顔をしていたので、「ミサキ、凄ェな。誰かに教わったのか？」と聞いてみると、首を振って「みんながはなしたり、かいたりしてるのを見てた。」「おしえてくれるひま、みんなないもん。」と答えた。
「もっと色んなことが知りたい。子どもだからってばかにされたくない。」と聞いた時、不意にこのミサキという人がどこまで伸びるのか見てみたいと思った。岸壁街の院で育った生まれながらの負け組が、どこまで原石を磨けるのか見てみたいと思った。
「あーしが教えてやろうか？」
「え、」
「あーしも忙しいけどさ、夕飯の後にあーしのいる部屋まで来なよ。」
「いいの？」
「あぁ。ただし、静かにな。騒ぐと職員来ちまうからな。」
「だいじょーぶ。しゃべんないようにするから。」
その日から小さな勉強会が始まった。翌年、ミサキが岸壁街の非公認の小学校に手を引かれて通う頃になっても続き、自分が中学を卒業して院を出て就職した時もまだ続いていた。
自分が院を出た後は、勉強会を人気のない図書室の隅でこっそりと行っていた。
ミサキが「こんなところに居たく無い」と零したのはいつだったか。中古機械人形の業者に自分が転職をした頃だった気がする。その頃にはミサキは院と学校の本を全て読破し、大学数学を自力で解けるようになっていたが、類稀な頭脳と本人のストレートな物言いと院出身で学校では完全に浮き、院内では煙たがられていた。
「早く、大人になりたい。自分でお金を稼げれば、ここに居なくてもいいんでしょ。」
「本気か？ミサキ。」
ミサキの突飛な考えに今まで散々振り回されてきたが、金があれば院を出られると考えているとは。
「前に授業で聞いたけど、今、プログラマって需要あるんでしょ？」
「そりゃァそうだけど。」
「電子端末のプログラムなら、資格がなくても作れるよね？」
ミサキの言葉には「機械人形の中古業者ならいろいろ伝手あるよね？」が短縮されているのがありありと感じられた。
「電子端末はどこで調達すンだ？独学っつったって、手引書くらい必要だろうが。」
「そう。それでまず支度金が欲しい。盗んだところでろくなものなさそうだから。」
無いなら奪えと教えたのは自分だ。とは言え高価な物は足がつく。
「あーしに何をしろって？」
「バイト探してる店、知らない？」
「昼間学校だろ、いつ行くンだよ。」
「学校に行ってる事にして、バイトする。テストの日は確実に行って、後は追い出されない程度に顔を出しておく。それなら大丈夫でしょ？」
相変わらずよく回る頭だ。授業なんか受けなくてもちゃんと点が取れる自信がなければ言い放てない。とは言え、ミサキにとっても授業が退屈極まりないのは確かだ。連立方程式を使えばいいところをつるかめ算なんて言われたら効率主義のミサキには辛いだろう。
それ以上に心配すべきところがある。ミサキの体質だ。色素が薄く、皮膚が弱く非力なミサキがこの歳で働くのは無理がある。
「あるっちゃあるけどさ、ミサキ、非力だろ。それで働けると思ってンのか？」
「院で沢山仕事してきた。」
「冬場の雑巾掛けでササクレだらけの手で熱出した奴が言える事か。」
「小さい頃よりマシになった。それに、頭脳労働なら辛くない。」
そんな職業あったか？岸壁街の賃金自体が安いのに、頭脳労働なんてそうそうない。
「事務作業をやる。」
「事務？その手の仕事は嫁さんがやってることが多いぞ？」
違うと首を振るミサキ。
「作戦屋をやる。」
「作戦屋……？」
嫌な予感がする。
「そう。何かの企画の手順を考えたり、作戦立案を代行する。」
「正気か？客の呼び込みなんて簡単じゃねぇぞ？」
「当然。だから先ずは噂を流す。」
「噂？」
「くじの予測が当たる、っていう噂。もう一つ、真剣な願望を叶える穴の噂。」
「それを流せと？」
うなずくミサキ。上手くいくと確信のこもった輝く薄青の瞳に自分のため息が重なった。
「悪ィ事は言わねェ、やめておけ。明らかな犯罪の片棒なんか担げるかよ。」
「どこが。」
「まず、くじ予測だけじゃァ充分な金は集まらねェ。願望を叶える穴が主な資金源になンだろ？」
「そうなる。」
「そいつが問題だ。真剣な願望は大体人を貶める手口か殺しの手口になるだろうな。そういう時の人間はいくらでも金をはたく。目の前の欲に眩んで、後先考えねェからな。鴨にはもってこいだが、つっても殺人教唆だ。」
ミサキの事だから本当の指南をするだろう。着々と実績を積むうちに岸壁街全体を巻き込んだ大きな抗争に発展する可能性が出る。
「直接手を下さなくても、殺人に手を貸した事になるだろうが。あーしはそんなのやりたくねェし、あーしが面倒見てきたミサキにもさせたくねェ。」
ダメか、とそっぽを向くミサキ。そう、重い犯罪に手を染めるには若すぎる。
「ミサキの考えはよくわかった。あーしが良さそうなバイト先探してやッから、妙な犯罪に手ェ出すンじゃねェぞ。」
ひと睨みしたところでミサキ相手にどこまで通じるか。10歳にもならない子供に任せられる仕事は当然、限られてくる。次の犯罪まがいのアイデアが出る前に真っ当な仕事を見繕ってやらねば。
はてさて、と考えながら知人同僚近所の人求人広告をあさり、内職の仕事を紹介したのは作戦屋の話から1ヶ月過ぎた後だった。
「内職作業なんて場所がない」「職員に見つかるのはマズイ」と渋るミサキに「あーしの借りている部屋に日中来て作業やって行け」と説得して、誰かと関わるのをできる限り減らした。噂はどこを回るかわからない。関わる人が多ければ、職員にバレる確率も増える。ミサキの性格上、必ず誰かと問題を起こすだろうから。
自分もまだ仕事に慣れたわけじゃ無い、先輩に小突かれながら何とかこなしているところだ。これでミサキが仕事の単調さに耐えられなくなったらどうしようかと思っていた。
だが、自分の心配をよそに納品日を落とす事なく、企業から委託停止も言われる事なく、ミサキは内職で少しずつ貯めたお金で中古のプログラミングの専門書を買い込み、熱心に勉強をしていた。もちろん、追い出されない程度に学校へ通いながらだ。
内職、勉強、学校。二足どころか三足の草鞋を履きこなしたあの激務を乗り越えて、よくプログラマになれたよな、と思いつつ今のミサキをちらりと見ると、クッキーを平らげたところだった。
ヤバイな、あのクッキーはヒルダが給食部から買ってきた物。戻ってきたら怒るかもしれない。未だにミサキはガリガリに痩せているし、そこまで怒らないといいが……ん？
いくら次にいつ食べられるかわからなかったと言えども過去の話。何かおかしい。
「ミサキ。」
「何。」
「ミサキ、14になったんだよな？」
「そうだけど。」
「ガリガリ過ぎねェか？」
「そう？」
「あぁ。腕なんか枯れ枝みたいじゃねェか。そんなんで月のもんは来てンのか？」
「なっ……！？」
「お前も女だろ？その歳でガリ痩せで来ないんじゃ、他の場所が悪くなっちまう。」
顔を赤く青く染めながらぷい、とそっぽを向くミサキ。
少しだけ見える耳先は赤くなっていた。
「いい加減諦めろ、ミサキ。女に生まれたんだ、どうあっても男にはなれねぇ。」
「働かざるもの食うべからず。」
「働いてるだろ。しかも結社にいる限り職も食も安泰じゃねェか。食える時に食っておくのも大事だろうが。」
「身の安全を……」
「つべこべ言うんじゃねェ、ちゃんと食ってちゃんと寝ろ。此処は岸壁街じゃねぇんだからよ。上手くすりゃあ、身長も伸びるかもしれねェぞ？」
「カルシウムなら取ってる。」
「サプリなら取ってるに入らねェからな。ギロクに勝ちてェなら、健康も考えろ。」
「……考えとく。」
ぶっきらぼうな言い方から反省してないのがよくわかる。
このテロが収まって、結社が解散になった日にはスラム街に戻ることになるだろう。
今の生活に慣れすぎれば、その日が辛いのもまた真実。
女と言う性を生きるのが嫌だというミサキの気持ちも多分にわかる。
いっそ、ロナとかいう奴に預けるのもアリか……？保護者としては適任かもしれない。
いつのまにか留守になっていた手を動かし、整備を続ける。
岸壁街では機械人形も、電子端末もポンコツな中古ですら高かった。
もう一段高い通常居住区ならば同じ値段でもっとマシな物が見つかると知ったのは結社に入ってからだった。とは言え、当時知ったとしても岸壁街の人間が通常居住区に行くのはかなりハードルが高い。身なりも臭いも価値観も違いすぎる。異物として追いやられるか、そもそも入れてもらえないかだ。
端末は中古を買うより状態の良さそうな粗大ゴミを狙ったほうがいい、とミサキが言い出し、貴重な休みを費やして二人でゴミ漁りに溜まり場から溜まり場へ歩いた。
その成果で、どこかのわかっていない富豪が捨てたのか、割と新しくてスペックの高い個人用電子端末を見つけられた。ご丁寧にも充電ケーブル付きで。
有難い事に岸壁街と言えども、電気ガス水道電子回線の配管・配線は絡まるツタの様にぐちゃぐちゃながら機能している。
壁のコンセントにプラグを刺せば電気が使えるのは嬉しい事だ。
充電して端末を開けると、中の情報はきちんと消去されていなかった。「情報は売れるって聞いた」と言うミサキに「誰だかわからねェもんに価値なんかつくかよ、正規ルート以外の情報売買は重い罰金取られンだ」と釘を刺し、出荷状態に初期化した。「無駄なく全部お金に変えればいいのに」と愚痴るのは黙殺する。しょうもないことで恨みを買いたくない。
きっとミサキにはダメだと言われている事が何故そう言われるのかがわかっていないのだろう。折角の頭脳が勿体ないことだと思う。それが生来のものならば今更仕方のない事で、少しでも生きやすいように口出しするしか自分には出来ない。
ともかく、手に入れた端末でミサキは本で読んだ理論を実践して応用する勉強に突入した。
自力で簡単なゲームを作り上げるようになるまで時間はかからなかった。
本格的なアプリケーションを作る為、昼夜問わず考え過ぎて院の仕事が鈍り、危うく職員にやっている事がバレかけたらしいが、概ね問題なく時間は進み、数ヶ月が過ぎた。
ある日の夜中、ドアを激しく叩く音に起こされて外へ出ると、小さなカバン一つを下げたいつにも増して硬い表情のミサキが立っていた。慌てて中へ引き入れると、緊張が解けたのかその場で座り込んでしまった。
「何があったンだ」と聞いても何も言わず、ただうつむいて細かく肩を震わせていた。
スラム街の夜中だ。昼間はともかく夜中は恐ろしく治安が悪い。その中を一人で来たのか？
ミサキなら何処を避けて通ればいいかは粗方予測できるだろうが……一体何が。
何度か名前を呼んでも動かないので、両手でミサキの顔を挟んで無理やり上を向かせる。
「黙ってるだけじゃわかんねェだろ。あーしは怒んねェから話しなよ。」
感情の薄いミサキにしては珍しく、目が充血し、まぶたも赤く染まっていた。
「あんな所に、居たくない。」
小さく開いた口から絞り出すように言うと、手を振り払ってまたうつむいた。
院と学校の事だろうと直ぐに勘付いたが、何があったかまではわからない。
今は爆発する感情の逃し方がわからない状態なのだろう。
泣くのは弱みになると言ったのは自分だ。泣いていい、なんて自分には言えない。
ただ、泣いてもいい時がある、とは言って良かったのかもしれない。
背をさすり、落ち着くまで隣りにいる事しかできなかった。
いつのまにかとろりと目蓋が落ちたミサキを抱えて布団に入れる。
その時にめくれた服の下の腹には青黒い痣が見えた。試しに袖をもめくってみると小さい火傷の痕と鉛筆の黒い小さな点が無数にあった。
頭で勝てないと考えた奴か、口答えして職員にやられたのだろうか。
翌朝になってもミサキは何があったか一言も話さず、「自分の食い扶持は稼ぐから、院には戻さないでほしい。」とだけ言った。
「身元引き受け人には20歳になるまでなれねぇ。それまでって約束が守れねぇって事はよっぽどの事情があったんだな。」
黙ったまま見上げてくるミサキの目に、初めて会った5歳の顔が重なった。
「……少し計画が早まっただけって考えりゃ、何でもねぇ。プログラミングの腕には自信あんだろ？」
しっかりと頷くミサキを見、誕生日まで気が張り詰めたままになるだろうと腹をくくった。
例の電子端末も専門書も全部置きっ放しにされていた所為か、一緒に暮らし始めても大きく変わった気はしなかった。一度に準備する食事の量が増えたとか、洗濯が増えたとかはあるにしても、ミサキは低燃費過ぎるのか微々たる量だった。逆に掃除は全部やってくれるので、以前より楽になったように思う。
約束した通り、ミサキは早速電子取引でプログラミングの受注を取って着々と実績を積み、食い扶持くらいの収入が入るようになったので、その分も楽になったと言える。
自分が20歳になるのを待ち、ミサキの身元引き受け人として院を訪れた。
しばらく宿無しで放浪した後にうちを見つけたらしい、ということにして話をつけた。
担当した職員は自分達が院を出た時は笑いも涙も無かったはずなのにやたらと笑顔だった。
厄介事の根源が居なくなって清々したのだろう、と思うと同時に人の無情さに溜息が出る。
確かにミサキは気難しい上に人間としての常識が欠落しているが、根っからの悪人でもない。感情がない訳でもない。ズケズケ言うならズケズケ返せばいいだけの事だ。頭の中の理論を上手く使いこなせていないだけなのだから、一々煩く反応しない事、これに尽きる。
機械人形達の整備がひと段落ついたところで手を止める。
木の丸椅子に座って膝に頬杖をついている今のミサキ。
ぼんやりした表情だが腹の内は嫌いな相手にどんな復讐をするかを考えているはずだ。
孤児院でイジメられていたミサキが今や汚染駆除班の中心メンバーになるなんて思いもしなかった。しかも、数ヶ月前までスラム街の隅の住人だったのにだ。
自分の住居や仕事を奪ったギロクには怒りがあるが、ミサキが陽のあたる場所に出られた事だけは少し感謝している。マジュをちゃんと食べさせてやれる事も。
ミクリカの惨劇ではたくさんの人が亡くなった。悲しむべき事だろうが、“普通”の暮らしも岸壁街で差別された暮らしも等しく壊された事に快感を感じていた自分がいる。貧乏人なんて歯牙にも掛けない金持ちの象徴たる機械人形の暴走が原因とあっては余計にだ。
普段は諦観に抑え込まれた卑屈な劣等感が頭をもたげてニヤリと笑った気がした。
頭を振ってその感情を追い出す。この結社にいれば職も食も保証されている。奪わなくても生きていける場所にいる。それ以上何も考える必要はない。
これ以上の破壊も望まないよう、今は目の前の仕事をこなせばいい。
誰も信じず、誰も頼らない様にした自分がようやく見つけた命綱だから。
工具を箱にしまってミサキの向かい側に座る。
「ミサキ。」
彷徨っていた視線がこちらを向いた事を確認し、話を切り出す。
「一応こっちは方がついた。んで？向こうで何があったンだ？」
感情の薄いミサキにしては珍しく目の奥に怒りの炎がチラついた。
理路整然とまとまって話された内容は以前から仲の悪いイオ・アスキーの嫌がらせだった。
皆んなの前で糾弾するほどの度胸はないと見えて陰湿で姑息な手段ばかりで、ミサキ自身も適当に流すようにしていたが、ついに口論に発展したのだった。イオの方は周囲に抑えられて説得されたらしいが、その隙にミサキは汚染駆除班の部屋を抜け出し、アンのところに来たというわけだった。
「自分だけ苦労してる様に言われるのはさすがに癪。」
「そりゃァ、皆んな何か苦労してるもンだよなァ。」
「他人の生い立ちを全部把握なんて誰もできない。」
「そうだろうな。」
口を真一文字に結んで不服そうに睨むミサキ。
相槌だけは嫌、か。相当今回は来てるんだな。
「大人っつぅのは嫌な事を笑って流す事じゃねェよな。こっちの気持ちが伝わるかどうかは兎も角、できるだけ差のない対応をする事じゃねェか？」
「そうしてる。」
「誰にでも上から目線だろ。だから揉めんじゃねェか？」
「舐められる。」
「虚勢張ンなくても実力あンだろ。丁寧にしたってミサキの腕を疑う奴はもういねェよ。」
不服そうなミサキの目は変わらない。
求めていた答えではなかったのだろうが、本人も既にわかっている筈の事だ。
優しく庇うなんて自分はやらないし、真にミサキの求めるものでも無い。
「いいか。相手がどうだろうといつも通りに挨拶はしろ。わかってるよな？」
曖昧に頷くミサキ。
「其奴は随分根深い恨み持ってンだよな？冷却できるように一旦関わりを減らすのもアリ。
まぁどうせ、何を言ってもミサキは既に最適解を弾きだしてンだろうけど。」
「正しさと最適解は違う。今回の事象に対しての解決策は100くらい思い付く。それぞれの結果も大体視える。けど、効率より情を優先する正しい答えは私にはわからない。」
悔しそうな様子も見せず、淡々と言う。
虚をつかれて束の間、ミサキをまじまじと見た。
昔より人の情がわかるようになったとは言え、まだ自分の内側のものではないらしい。
「そうか……そうだったな。で、ミサキは結局どうすンだ？」
「汚染駆除班の部屋に戻る。アンの言う通り、関わりが減らせるように上と相談する。」
立ち上がりつつ、言うミサキ。
「いきなり来てごめん。聞いてくれてありがとう。」
「構わねェよ。役に立ってりゃいいがな。」
謝罪と礼が言えるようになった事に密かな感激を覚える。
ミサキが倉庫を出て行き、来た時と同じ様にゆっくりドアが閉まった。
ミサキはまだまだ手がかかる子供だ。どれほど技術を持ち、しっかりしていようと。
人との関わりは本当に難しいなぁと独りごちる。
テーブルにふと目を落とすと空になった皿があった。
そうだ。クッキーが無い理由をヒルダにどう説明するか考えなければ。
悩みながら事務所へ行き、ホワイトボードの予定表の雑な手書き文字を見ると、そろそろヒルダが車両整備から戻ってくる時間だった。
まさか。
事務作業をするメンバー達のざわめきが耳から消え、嫌な予感が頭をよぎった。
ミサキは説明するのが嫌でこの時間に逃げたのか！？
彼奴ならやりかねない。また無駄な事に頭を使いやがった。
彼奴なら逃走ルートも確保済みで抜かりがあるわけもない。
捕まえに行くよりも、ヒルダに言い訳を考える方が優先だ。
近づくヒルダの足音に聞き耳を立てつつ考える。
怒られるのを引き受ける代わりに今日は嫌いなおかずを届けてやろうかと計算しながら。
自分のやらかした事の重さを自覚してもらわないといけないな、と唇を舐めた。
「アン、今暇？」
ドアの隙間から顔を出したのは、色素の薄い小柄な少女だった。
「見てわかんねェの？仕事中だろうが。ってか、ミサキだって仕事あンだろ？」
「空気悪くなったから出てきた。」
「またかよ。」
無表情のままドアの前に立っているミサキに呆れた視線を投げる。
「で？問題から逃げ出して来たッて事か？」
目を伏せるミサキ。そう、この子は昔からそうだった。
作業はとことんやる癖に、人間関係になると直ぐに諦めるか、逃避する。
「そのへんに椅子あンだろ？とりあえずそこに座ってろ。メンテ終わらせたらゆっくり話聞いてやッから。」
近くにあった木の丸椅子を寄せて座るミサキを横目で見ながら、機械人形の品質を確認していく。目を閉じ、整然と様々な機械人形が座っているのは見ようによっては不気味な物になる。その所為か、マジュを筆頭に保育部のチビ達はこの倉庫の寄り付かないし、嫌な記憶があれば大人でも敬遠する。
汚染駆除済みの機械人形達には記憶が全くない。汚染駆除の副作用の方ではなく、記憶があろうと無かろうと、汚染の拡散を防ぐために基本的にメモリは廃棄処分になるからだ。
前線駆除班のする汚染駆除自体は機体を出来るだけ損傷なく確保する為のものであって、駆除の完全性は求められていない。
故にここにいる機械人形達はまっさらどころかメモリ無しの状態なので、暴走していた機体とは既に別物になっているわけだが、幾ら説明しても自身の妄想に取り憑かれた連中には理解されない。思考回路の違う人間と分かり合うのはどだい無理な事なのだろう。
残しておいたクッキーにミサキが手を伸ばしているのを見て、そういえば14になったんだったなとしみじみ思った。
初めて会ったミサキはまだ5歳で、自分は14歳だった。
天気は特に覚えていないが、少し肌寒い孤児院の廊下で「この子の面倒を見るように」と職員に言われて、一緒に雑巾掛けをしたのが最初だった。
媚びる訳でもぼんやりしている訳でもなく、今まで見てきた子供と全く違う、5歳児とは思えない意思のこもった目付きをしていたのが鮮明に脳裏に焼き付いた。
それから、作業で組むことが増えていった。非力で余り表情は無いが、物覚えが良いミサキは愚図り続けた幼い頃の自分に比べれば手がかからない、良い子だと思った。
一番驚いたのは、既に読み書きが出来るようになっていた事だった。
気温差でできた窓のくもりに「ミサキ」「ケルンティア」と書いて満足げな顔をしていたので、「ミサキ、凄ェな。誰かに教わったのか？」と聞いてみると、首を振って「みんながはなしたり、かいたりしてるのを見てた。」「おしえてくれるひま、みんなないもん。」と答えた。
「もっと色んなことが知りたい。子どもだからってばかにされたくない。」と聞いた時、不意にこのミサキという人がどこまで伸びるのか見てみたいと思った。岸壁街の院で育った生まれながらの負け組が、どこまで原石を磨けるのか見てみたいと思った。
「あーしが教えてやろうか？」
「え、」
「あーしも忙しいけどさ、夕飯の後にあーしのいる部屋まで来なよ。」
「いいの？」
「あぁ。ただし、静かにな。騒ぐと職員来ちまうからな。」
「だいじょーぶ。しゃべんないようにするから。」
その日から小さな勉強会が始まった。翌年、ミサキが岸壁街の非公認の小学校に手を引かれて通う頃になっても続き、自分が中学を卒業して院を出て就職した時もまだ続いていた。
自分が院を出た後は、勉強会を人気のない図書室の隅でこっそりと行っていた。
ミサキが「こんなところに居たく無い」と零したのはいつだったか。中古機械人形の業者に自分が転職をした頃だった気がする。その頃にはミサキは院と学校の本を全て読破し、大学数学を自力で解けるようになっていたが、類稀な頭脳と本人のストレートな物言いと院出身で学校では完全に浮き、院内では煙たがられていた。
「早く、大人になりたい。自分でお金を稼げれば、ここに居なくてもいいんでしょ。」
「本気か？ミサキ。」
ミサキの突飛な考えに今まで散々振り回されてきたが、金があれば院を出られると考えているとは。
「前に授業で聞いたけど、今、プログラマって需要あるんでしょ？」
「そりゃァそうだけど。」
「電子端末のプログラムなら、資格がなくても作れるよね？」
ミサキの言葉には「機械人形の中古業者ならいろいろ伝手あるよね？」が短縮されているのがありありと感じられた。
「電子端末はどこで調達すンだ？独学っつったって、手引書くらい必要だろうが。」
「そう。それでまず支度金が欲しい。盗んだところでろくなものなさそうだから。」
無いなら奪えと教えたのは自分だ。とは言え高価な物は足がつく。
「あーしに何をしろって？」
「バイト探してる店、知らない？」
「昼間学校だろ、いつ行くンだよ。」
「学校に行ってる事にして、バイトする。テストの日は確実に行って、後は追い出されない程度に顔を出しておく。それなら大丈夫でしょ？」
相変わらずよく回る頭だ。授業なんか受けなくてもちゃんと点が取れる自信がなければ言い放てない。とは言え、ミサキにとっても授業が退屈極まりないのは確かだ。連立方程式を使えばいいところをつるかめ算なんて言われたら効率主義のミサキには辛いだろう。
それ以上に心配すべきところがある。ミサキの体質だ。色素が薄く、皮膚が弱く非力なミサキがこの歳で働くのは無理がある。
「あるっちゃあるけどさ、ミサキ、非力だろ。それで働けると思ってンのか？」
「院で沢山仕事してきた。」
「冬場の雑巾掛けでササクレだらけの手で熱出した奴が言える事か。」
「小さい頃よりマシになった。それに、頭脳労働なら辛くない。」
そんな職業あったか？岸壁街の賃金自体が安いのに、頭脳労働なんてそうそうない。
「事務作業をやる。」
「事務？その手の仕事は嫁さんがやってることが多いぞ？」
違うと首を振るミサキ。
「作戦屋をやる。」
「作戦屋……？」
嫌な予感がする。
「そう。何かの企画の手順を考えたり、作戦立案を代行する。」
「正気か？客の呼び込みなんて簡単じゃねぇぞ？」
「当然。だから先ずは噂を流す。」
「噂？」
「くじの予測が当たる、っていう噂。もう一つ、真剣な願望を叶える穴の噂。」
「それを流せと？」
うなずくミサキ。上手くいくと確信のこもった輝く薄青の瞳に自分のため息が重なった。
「悪ィ事は言わねェ、やめておけ。明らかな犯罪の片棒なんか担げるかよ。」
「どこが。」
「まず、くじ予測だけじゃァ充分な金は集まらねェ。願望を叶える穴が主な資金源になンだろ？」
「そうなる。」
「そいつが問題だ。真剣な願望は大体人を貶める手口か殺しの手口になるだろうな。そういう時の人間はいくらでも金をはたく。目の前の欲に眩んで、後先考えねェからな。鴨にはもってこいだが、つっても殺人教唆だ。」
ミサキの事だから本当の指南をするだろう。着々と実績を積むうちに岸壁街全体を巻き込んだ大きな抗争に発展する可能性が出る。
「直接手を下さなくても、殺人に手を貸した事になるだろうが。あーしはそんなのやりたくねェし、あーしが面倒見てきたミサキにもさせたくねェ。」
ダメか、とそっぽを向くミサキ。そう、重い犯罪に手を染めるには若すぎる。
「ミサキの考えはよくわかった。あーしが良さそうなバイト先探してやッから、妙な犯罪に手ェ出すンじゃねェぞ。」
ひと睨みしたところでミサキ相手にどこまで通じるか。10歳にもならない子供に任せられる仕事は当然、限られてくる。次の犯罪まがいのアイデアが出る前に真っ当な仕事を見繕ってやらねば。
はてさて、と考えながら知人同僚近所の人求人広告をあさり、内職の仕事を紹介したのは作戦屋の話から1ヶ月過ぎた後だった。
「内職作業なんて場所がない」「職員に見つかるのはマズイ」と渋るミサキに「あーしの借りている部屋に日中来て作業やって行け」と説得して、誰かと関わるのをできる限り減らした。噂はどこを回るかわからない。関わる人が多ければ、職員にバレる確率も増える。ミサキの性格上、必ず誰かと問題を起こすだろうから。
自分もまだ仕事に慣れたわけじゃ無い、先輩に小突かれながら何とかこなしているところだ。これでミサキが仕事の単調さに耐えられなくなったらどうしようかと思っていた。
だが、自分の心配をよそに納品日を落とす事なく、企業から委託停止も言われる事なく、ミサキは内職で少しずつ貯めたお金で中古のプログラミングの専門書を買い込み、熱心に勉強をしていた。もちろん、追い出されない程度に学校へ通いながらだ。
内職、勉強、学校。二足どころか三足の草鞋を履きこなしたあの激務を乗り越えて、よくプログラマになれたよな、と思いつつ今のミサキをちらりと見ると、クッキーを平らげたところだった。
ヤバイな、あのクッキーはヒルダが給食部から買ってきた物。戻ってきたら怒るかもしれない。未だにミサキはガリガリに痩せているし、そこまで怒らないといいが……ん？
いくら次にいつ食べられるかわからなかったと言えども過去の話。何かおかしい。
「ミサキ。」
「何。」
「ミサキ、14になったんだよな？」
「そうだけど。」
「ガリガリ過ぎねェか？」
「そう？」
「あぁ。腕なんか枯れ枝みたいじゃねェか。そんなんで月のもんは来てンのか？」
「なっ……！？」
「お前も女だろ？その歳でガリ痩せで来ないんじゃ、他の場所が悪くなっちまう。」
顔を赤く青く染めながらぷい、とそっぽを向くミサキ。
少しだけ見える耳先は赤くなっていた。
「いい加減諦めろ、ミサキ。女に生まれたんだ、どうあっても男にはなれねぇ。」
「働かざるもの食うべからず。」
「働いてるだろ。しかも結社にいる限り職も食も安泰じゃねェか。食える時に食っておくのも大事だろうが。」
「身の安全を……」
「つべこべ言うんじゃねェ、ちゃんと食ってちゃんと寝ろ。此処は岸壁街じゃねぇんだからよ。上手くすりゃあ、身長も伸びるかもしれねェぞ？」
「カルシウムなら取ってる。」
「サプリなら取ってるに入らねェからな。ギロクに勝ちてェなら、健康も考えろ。」
「……考えとく。」
ぶっきらぼうな言い方から反省してないのがよくわかる。
このテロが収まって、結社が解散になった日にはスラム街に戻ることになるだろう。
今の生活に慣れすぎれば、その日が辛いのもまた真実。
女と言う性を生きるのが嫌だというミサキの気持ちも多分にわかる。
いっそ、ロナとかいう奴に預けるのもアリか……？保護者としては適任かもしれない。
いつのまにか留守になっていた手を動かし、整備を続ける。
岸壁街では機械人形も、電子端末もポンコツな中古ですら高かった。
もう一段高い通常居住区ならば同じ値段でもっとマシな物が見つかると知ったのは結社に入ってからだった。とは言え、当時知ったとしても岸壁街の人間が通常居住区に行くのはかなりハードルが高い。身なりも臭いも価値観も違いすぎる。異物として追いやられるか、そもそも入れてもらえないかだ。
端末は中古を買うより状態の良さそうな粗大ゴミを狙ったほうがいい、とミサキが言い出し、貴重な休みを費やして二人でゴミ漁りに溜まり場から溜まり場へ歩いた。
その成果で、どこかのわかっていない富豪が捨てたのか、割と新しくてスペックの高い個人用電子端末を見つけられた。ご丁寧にも充電ケーブル付きで。
有難い事に岸壁街と言えども、電気ガス水道電子回線の配管・配線は絡まるツタの様にぐちゃぐちゃながら機能している。
壁のコンセントにプラグを刺せば電気が使えるのは嬉しい事だ。
充電して端末を開けると、中の情報はきちんと消去されていなかった。「情報は売れるって聞いた」と言うミサキに「誰だかわからねェもんに価値なんかつくかよ、正規ルート以外の情報売買は重い罰金取られンだ」と釘を刺し、出荷状態に初期化した。「無駄なく全部お金に変えればいいのに」と愚痴るのは黙殺する。しょうもないことで恨みを買いたくない。
きっとミサキにはダメだと言われている事が何故そう言われるのかがわかっていないのだろう。折角の頭脳が勿体ないことだと思う。それが生来のものならば今更仕方のない事で、少しでも生きやすいように口出しするしか自分には出来ない。
ともかく、手に入れた端末でミサキは本で読んだ理論を実践して応用する勉強に突入した。
自力で簡単なゲームを作り上げるようになるまで時間はかからなかった。
本格的なアプリケーションを作る為、昼夜問わず考え過ぎて院の仕事が鈍り、危うく職員にやっている事がバレかけたらしいが、概ね問題なく時間は進み、数ヶ月が過ぎた。
ある日の夜中、ドアを激しく叩く音に起こされて外へ出ると、小さなカバン一つを下げたいつにも増して硬い表情のミサキが立っていた。慌てて中へ引き入れると、緊張が解けたのかその場で座り込んでしまった。
「何があったンだ」と聞いても何も言わず、ただうつむいて細かく肩を震わせていた。
スラム街の夜中だ。昼間はともかく夜中は恐ろしく治安が悪い。その中を一人で来たのか？
ミサキなら何処を避けて通ればいいかは粗方予測できるだろうが……一体何が。
何度か名前を呼んでも動かないので、両手でミサキの顔を挟んで無理やり上を向かせる。
「黙ってるだけじゃわかんねェだろ。あーしは怒んねェから話しなよ。」
感情の薄いミサキにしては珍しく、目が充血し、まぶたも赤く染まっていた。
「あんな所に、居たくない。」
小さく開いた口から絞り出すように言うと、手を振り払ってまたうつむいた。
院と学校の事だろうと直ぐに勘付いたが、何があったかまではわからない。
今は爆発する感情の逃し方がわからない状態なのだろう。
泣くのは弱みになると言ったのは自分だ。泣いていい、なんて自分には言えない。
ただ、泣いてもいい時がある、とは言って良かったのかもしれない。
背をさすり、落ち着くまで隣りにいる事しかできなかった。
いつのまにかとろりと目蓋が落ちたミサキを抱えて布団に入れる。
その時にめくれた服の下の腹には青黒い痣が見えた。試しに袖をもめくってみると小さい火傷の痕と鉛筆の黒い小さな点が無数にあった。
頭で勝てないと考えた奴か、口答えして職員にやられたのだろうか。
翌朝になってもミサキは何があったか一言も話さず、「自分の食い扶持は稼ぐから、院には戻さないでほしい。」とだけ言った。
「身元引き受け人には20歳になるまでなれねぇ。それまでって約束が守れねぇって事はよっぽどの事情があったんだな。」
黙ったまま見上げてくるミサキの目に、初めて会った5歳の顔が重なった。
「……少し計画が早まっただけって考えりゃ、何でもねぇ。プログラミングの腕には自信あんだろ？」
しっかりと頷くミサキを見、誕生日まで気が張り詰めたままになるだろうと腹をくくった。
例の電子端末も専門書も全部置きっ放しにされていた所為か、一緒に暮らし始めても大きく変わった気はしなかった。一度に準備する食事の量が増えたとか、洗濯が増えたとかはあるにしても、ミサキは低燃費過ぎるのか微々たる量だった。逆に掃除は全部やってくれるので、以前より楽になったように思う。
約束した通り、ミサキは早速電子取引でプログラミングの受注を取って着々と実績を積み、食い扶持くらいの収入が入るようになったので、その分も楽になったと言える。
自分が20歳になるのを待ち、ミサキの身元引き受け人として院を訪れた。
しばらく宿無しで放浪した後にうちを見つけたらしい、ということにして話をつけた。
担当した職員は自分達が院を出た時は笑いも涙も無かったはずなのにやたらと笑顔だった。
厄介事の根源が居なくなって清々したのだろう、と思うと同時に人の無情さに溜息が出る。
確かにミサキは気難しい上に人間としての常識が欠落しているが、根っからの悪人でもない。感情がない訳でもない。ズケズケ言うならズケズケ返せばいいだけの事だ。頭の中の理論を上手く使いこなせていないだけなのだから、一々煩く反応しない事、これに尽きる。
機械人形達の整備がひと段落ついたところで手を止める。
木の丸椅子に座って膝に頬杖をついている今のミサキ。
ぼんやりした表情だが腹の内は嫌いな相手にどんな復讐をするかを考えているはずだ。
孤児院でイジメられていたミサキが今や汚染駆除班の中心メンバーになるなんて思いもしなかった。しかも、数ヶ月前までスラム街の隅の住人だったのにだ。
自分の住居や仕事を奪ったギロクには怒りがあるが、ミサキが陽のあたる場所に出られた事だけは少し感謝している。マジュをちゃんと食べさせてやれる事も。
ミクリカの惨劇ではたくさんの人が亡くなった。悲しむべき事だろうが、“普通”の暮らしも岸壁街で差別された暮らしも等しく壊された事に快感を感じていた自分がいる。貧乏人なんて歯牙にも掛けない金持ちの象徴たる機械人形の暴走が原因とあっては余計にだ。
普段は諦観に抑え込まれた卑屈な劣等感が頭をもたげてニヤリと笑った気がした。
頭を振ってその感情を追い出す。この結社にいれば職も食も保証されている。奪わなくても生きていける場所にいる。それ以上何も考える必要はない。
これ以上の破壊も望まないよう、今は目の前の仕事をこなせばいい。
誰も信じず、誰も頼らない様にした自分がようやく見つけた命綱だから。
工具を箱にしまってミサキの向かい側に座る。
「ミサキ。」
彷徨っていた視線がこちらを向いた事を確認し、話を切り出す。
「一応こっちは方がついた。んで？向こうで何があったンだ？」
感情の薄いミサキにしては珍しく目の奥に怒りの炎がチラついた。
理路整然とまとまって話された内容は以前から仲の悪いイオ・アスキーの嫌がらせだった。
皆んなの前で糾弾するほどの度胸はないと見えて陰湿で姑息な手段ばかりで、ミサキ自身も適当に流すようにしていたが、ついに口論に発展したのだった。イオの方は周囲に抑えられて説得されたらしいが、その隙にミサキは汚染駆除班の部屋を抜け出し、アンのところに来たというわけだった。
「自分だけ苦労してる様に言われるのはさすがに癪。」
「そりゃァ、皆んな何か苦労してるもンだよなァ。」
「他人の生い立ちを全部把握なんて誰もできない。」
「そうだろうな。」
口を真一文字に結んで不服そうに睨むミサキ。
相槌だけは嫌、か。相当今回は来てるんだな。
「大人っつぅのは嫌な事を笑って流す事じゃねェよな。こっちの気持ちが伝わるかどうかは兎も角、できるだけ差のない対応をする事じゃねェか？」
「そうしてる。」
「誰にでも上から目線だろ。だから揉めんじゃねェか？」
「舐められる。」
「虚勢張ンなくても実力あンだろ。丁寧にしたってミサキの腕を疑う奴はもういねェよ。」
不服そうなミサキの目は変わらない。
求めていた答えではなかったのだろうが、本人も既にわかっている筈の事だ。
優しく庇うなんて自分はやらないし、真にミサキの求めるものでも無い。
「いいか。相手がどうだろうといつも通りに挨拶はしろ。わかってるよな？」
曖昧に頷くミサキ。
「其奴は随分根深い恨み持ってンだよな？冷却できるように一旦関わりを減らすのもアリ。
まぁどうせ、何を言ってもミサキは既に最適解を弾きだしてンだろうけど。」
「正しさと最適解は違う。今回の事象に対しての解決策は100くらい思い付く。それぞれの結果も大体視える。けど、効率より情を優先する正しい答えは私にはわからない。」
悔しそうな様子も見せず、淡々と言う。
虚をつかれて束の間、ミサキをまじまじと見た。
昔より人の情がわかるようになったとは言え、まだ自分の内側のものではないらしい。
「そうか……そうだったな。で、ミサキは結局どうすンだ？」
「汚染駆除班の部屋に戻る。アンの言う通り、関わりが減らせるように上と相談する。」
立ち上がりつつ、言うミサキ。
「いきなり来てごめん。聞いてくれてありがとう。」
「構わねェよ。役に立ってりゃいいがな。」
謝罪と礼が言えるようになった事に密かな感激を覚える。
ミサキが倉庫を出て行き、来た時と同じ様にゆっくりドアが閉まった。
ミサキはまだまだ手がかかる子供だ。どれほど技術を持ち、しっかりしていようと。
人との関わりは本当に難しいなぁと独りごちる。
テーブルにふと目を落とすと空になった皿があった。
そうだ。クッキーが無い理由をヒルダにどう説明するか考えなければ。
悩みながら事務所へ行き、ホワイトボードの予定表の雑な手書き文字を見ると、そろそろヒルダが車両整備から戻ってくる時間だった。
まさか。
事務作業をするメンバー達のざわめきが耳から消え、嫌な予感が頭をよぎった。
ミサキは説明するのが嫌でこの時間に逃げたのか！？
彼奴ならやりかねない。また無駄な事に頭を使いやがった。
彼奴なら逃走ルートも確保済みで抜かりがあるわけもない。
捕まえに行くよりも、ヒルダに言い訳を考える方が優先だ。
近づくヒルダの足音に聞き耳を立てつつ考える。
怒られるのを引き受ける代わりに今日は嫌いなおかずを届けてやろうかと計算しながら。
自分のやらかした事の重さを自覚してもらわないといけないな、と唇を舐めた。
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