フロート／燐花
最終更新：
rinka_creation 2022年04月14日(木) 17:26:43履歴
青い空、白い雲。そして青い、青い海。
どこまでも深く沈んでしまいそうな、絵の具を溶かした様に綺麗な海。その海の上をパワフルに翔ける船。
船が押しのけた空間が風になって僕のフィンイヤーを揺らす。そろそろ僕の出番が来るよと教えてくれる。
「オルカー！もうすぐよー！」
ジェシカの声を合図に僕は下半身を魚の物に取り替える。人型の足が吹っ飛ばされない様に船に括り付けて準備完了。アンディの運転は乱暴で波より荒いので気を付けないとパーツを飛ばされてしまうが、潮風を感じられるので僕は好きだった。
今日はアンディと恋人のジェシカと僕の三人だけで下見に来ているのだが、船上に人が少ないといやでも目に付くそれ。アンディはどう言う訳かボロボロの顔で船を操縦していた。
「ジェシカ、ジェシカ」
「何？オルカ」
「どうしてアンディの顔、あんなボロボロなの？」
ああ、アレねとジェシカはクスリと笑う。海の男は荒っぽいからと。聞くと、どうもアンディは昨日酒場で取っ組み合いの喧嘩になりその際何発か盛大に殴られてしまったらしい。
「何でそんな事したの？」
「そう言ってやらないで、貴方が可愛いからよ、オルカ」
「僕？」
「海に適した機械人形って高価だから買えない人も多いの。アンディみたく買えた人を面白く思わない人も多いわ」
「あ。僕そう言えば昔…」
「そう。オルカは壊され掛けた事あったわよね。本当信じられないわ、自分が買えるだけの資産がないからって他人の機械人形壊そうとするなんて…。その人はそこまで過激じゃ無かったみたいで、でもまさか既に買えてる人がその場にいると思わなくて機械人形の事悪く言ってたんですって。案の定アンディが怒って、悪く言ってた人も一言謝れば済んだのにお酒も入ってたし後に引けない感じになって、気付けばそのまま取っ組み合いよ」
「えー！？大丈夫だったの？アンディ、見た目あんななのに喧嘩弱いから…」
「勿論ボロ負け。でも、お店のオーナーさんも機械人形好きだったみたいでね、「稼ぎが無くて手に入れられない自分を棚に上げて機械人形の性能を貶すたぁ女にフラれてその女を悪く言う男にもナンパに失敗して捨て台詞吐き捨てる男にも勝るとも劣らないクズ野郎だ！」って言って、妙にリアルな例え出してアンディに加勢してくれたんだって。ただし、オーナーさんが気付いて間に入った時には既にアンディは何発も食らった後だったの」
昨日の話を聞き、何故僕は気付かなかったのだろうと首を傾げていたら船長室の方からアンディの不貞腐れた声が聞こえた。
「おいコラ、余計な事話すんじゃねぇ」
「あら、ごめんなさい」
「アンディ、嬉しいんだけど喧嘩弱いのにふっかけちゃダメだよ」
僕が言うとアンディは分かりやすくずっこける様なリアクションを取り、笑いながらこっちを見た。
「お前は本当靡かねえよ。ったく、お前の名誉の為に喧嘩したのにボロクソかよ」
「頼んでないよ」
「そうだな、俺が勝手にした事だ。俺が勝手にお前の為にやったんだ」
お袋もこんな気持ちだったのか？と独り言を言いながら視線を海に戻したアンディを見てジェシカは笑っていた。さて肝心の仕事だが、明日以降はアンディだけじゃなく会社の皆も同行する形だが今日はそれまでに主に僕が細かい作業を行う。
アンディは大学の研究チーム等からよく調査依頼を受けるが、今日の仕事もそれだった。百年近く前に沈んだ豪華客船が発見されたので今日からはその調査だ。
「よし、オルカ。いつも通り頼むぜ」
「うん」
僕はカメラと、アンディが特注で作った籠を背負って海に飛び込む。カメラで船全体の状況を細かに写し、可能ならば内部も撮影。船全体の資料写真を撮るだけでなく、老朽化が進んで損壊する危険性のある箇所も把握する為に撮っておく。
船内部の資料写真、破損の可能性の高い場所の撮影、諸々を終えたら背負った籠に細かい物を入れて行く。グラスだったり小物だったり、出来る範囲で拾い上げぽいぽい籠に入れていく。
上がったら鑑定士のジェシカがそれを見る。それをある程度繰り返したら、僕の役目は今日はここまで。
「疲れたー」
「お前は疲れねぇだろ」
「だけど…何か体がうまく動かせないんだもん」
「あら？オルカ本当？」
ジェシカもアンディも集まって僕の体に触れた。ジェシカはひとしきり僕に触れるとアンディの頭を軽く引っ叩いた。
「もうっ！アンディったら！オルカの事言葉だけじゃ無くちゃんと大事にしなきゃダメじゃないっ！」
「痛ててっ！ちょっとメンテ忘れただけだって！」
「それで今日海に入れたの！？全くどれだけ適当なのよ！！もし海の中で作業中に動けなくなってそのままこの子引き上げられなくなったらどうするの！？」
機械人形マニアでもあるジェシカは、アンディによる僕への狼藉を許さない。以前、同じ様な状況でジェシカに「別れる！」と言われたのにアンディはもう忘れてしまったみたい。
「オルカごめんなさいね、今日はこれ以上海に入れられないわ」
「どうして？」
「貴方の体、塩の影響が凄いの。お掃除してもらわないとね」
僕は海に適した機械人形。だけど、色々と難しい事が多くて、おそらく僕は普通の機械人形以上にメンテナンスを必要とする。僕の体は泳げる様に出来ているけど、それでも定期的に綺麗にしないとすぐ錆びてしまう。アンディはものぐさだからすぐ忘れる。だからこの日もジェシカが点検の予約を入れてくれた。
「ありがとジェシカ。アンディだけしかいなかったら僕すぐ壊れちゃう」
「本当よね、全くもう。大事にしてる割には大雑把なんだから」
ぷんぷん怒るジェシカを見て僕は思わず笑ってしまった。だってね、アンディがよく忘れるのはジェシカが居るからなんだよ。ジェシカに頼って甘えちゃうと色々つい忘れちゃうんだって、アンディ言ってたよ。
と、言ったら「いつまでも変に甘えないのよ！」とジェシカがまたアンディにカミナリを落とした。アンディはそっと僕のところに寄ってくると「良いか？オルカ。こう言うのを良い女って言うんだぜ」と照れ臭そうに呟いた。
* * *
「さあオルカ、これから綺麗にするからね」
すっかり顔馴染みの整備士の先生に促され、僕は着ていた服を脱いだ。ジェシカが予約を入れてくれて二週間。アンディとジェシカに連れられていつもの先生のところに行き、三日掛けて軽めの清掃とメンテナンスと点検とを行う。今回はアンディが大学の教授に呼ばれてズグ国に先に行っているから、僕はアンディの会社のメンバーと一緒に後からズグ国に向かう。
アンディのスケジューリングミスで一緒に船に乗れなかったのだ。
「オルカ、今日もいつものメニューだがどうだろう？そろそろアンディに言おうと思っているんだよ。君を一度長期的に預けて本格的なオーバーホールしないかと」
「オーバーホール？」
「今みたく、分かりやすく掃除もしやすい表面的なものでなく、しっかり細部まで検査したりする事だね。君も稼働して五年、ただでさえ負担の多い海の仕事だ。どうだろうか？」
「んー…帰る時に先生がアンディに言ってー…」
「分かったよ。伝えておこう。普通の点検さえウチでやるなら三日…オーバーホールとなるともっと大きいところに預けなきゃならんからな…まあそれじゃあ、少し眠っておくれ」
先生に任せれば、後は数日過ぎるのをただ待つだけ。これが終わればいつもの通り。早く海に入りたいなぁ。
機械人形の僕は基本的に夢を見ない。あ、もしかしたら見る個体もいるのかな？例えば充電中とかにメモリー整理をするのは人間の見る夢と似た様なものなのかな。どちらにしろ、点検の時は電源を完全にオフにしてしまうのであっという間に三日は過ぎるのだけど。
「おはよー…」
「目が覚めたかい？オルカ、不備はあるかな？」
「んー…まだよく分かんない…」
目が覚めたらきっちり三日過ぎていた。目の前には先生がおり、待合室ではアンディの下で働いているジェームズが迎えに来ていた。
「ジェームズ！」
「やあオルカ。またボスに荒い使われ方したらしいね」
「みたいだね」
「相変わらずだなぁあの人は。大事にしているのは本当なのに、偶に行動が伴わないから」
そう言いながら待合室のテレビを点け、リモコンを操作するジェームズ。先生は豪快に笑いながら起動した僕に不調が無いか確認する。視界はクリア、物の認識も不備なし。音の聞き取りも問題無く今現在目立った不具合は無い。
「よし、問題は無さそうだな。じゃあ次はネットワークへの接続に不備が無いか見ておこう」
「うん。まあ、船の上にいる事が多いからあまり繋がないけどね」
「ち、ちょっと待ってオルカ！先生！」
ネットワーク接続の話をしたら不意にジェームズが慌てた声を上げた。僕が回線を繋がず待機していると、ジェームズは先生を呼びテレビの音量を上げた。そこに映ったのは首相の会見の様子だった。
「い、今…これ！」
「な、何だねこれは！？」
「分かりません…！先程からボスに連絡取ろうとしても全然繋がらなくて…！何かおかしいと思ってたんですけど…！」
「機械人形が暴走…？機械汚染でも起きたと言うのか…！？オルカ！繋ぐんじゃないぞ！絶対だ！」
よく分からなかった。とにかく僕に「ネットワーク接続をするな」とそう言い残し、先生は何処かに電話を掛けに行った。ジェームズは不安そうな顔で携帯端末を見つめる。テレビに映った強そうな顔のおじさんが難しそうな事を言っているとしか僕には分からなかった。
あ、そうだ。何言ってるか分からないなら詳細を調べれば良いんだ。そう思考を巡らし回線を繋ごうとして、でも駄目だと言われたから待たないとと大人しくしている事にした。後から思ったが、機械人形がなまじ自律した思考を持っているからこそ現状打破に最適な情報を集めようと電子世界に繋ぎ、その際に汚染されたと言うパターンも多かったのかもしれない。僕は強く言われたから回線を繋がず、自分の持つメモリの中の情報源から最善策を探す事にした。勿論答えは出なかった。
「はい…はい……ええ、分かりました。ボスもジェシカさんもお気を付けて」
翌日、アンディに電話を掛けたジェームズの顔は凄く険しかった。ジェームズに手招きされたのでとことこと近付く。ジェームズは受話器を僕に渡すと「ボスからだよ」と呟いた。そっとフィンイヤーに当てて「もしもし？」と口にすると安心した様なアンディの声が聞こえた。
『オルカ！？オルカか！？』
「アンディ？」
『無事か！？変な風になってないか！？』
「平気だよ。僕、電子世界に繋がなかったんだ」
『そりゃ良かった……良いか？オルカ。俺達は無事ズグに着いた。でも、カンテの状況が状況だからお前はすぐにこっちに来れない』
「え！？僕アンディの居るズグに行けないの！？」
『ああ。今カンテ国は大変な事になってんだ。良いか？俺が正式な許可を出すまで絶対電子世界に繋ぐなよ？今から言う事をデータとしてメモリに保存しておけ』
そう言われ、聴覚機能のボリュームを上げ、アンディの言葉を漏らさず聞く様にした。アンディはゆっくり今起きている事を説明してくれた。
カンテ国内で機械人形が暴走している事。おそらく今起きている通信障害が何らかの影響を与えているから絶対に電子世界に繋ぐなと言う事。アンディの命令から逸脱しない程度に傍に居るジェームズや先生の言う事をよく聞く事。
それだけ言い残して再び電話をジェームズに代わり、僕は海でも見に行こうかと歩き出す。しかし外に出ようとしたら今度は先生に止められてしまった。
「オルカ、行ってはいけないよ」
「どうして？」
「今は状況が分からない。幸いこの近辺で事件が起きていないが…それでも滅多な事はするものじゃない」
「うーん…分かった」
そうして何も出来ないまま一ヶ月が過ぎた。
テレビを点ければ毎日いつだって同じ様なニュースを流していた。カンテ国がどうなっているかとか、単発的な機械人形の暴走が多発してるとか。データを直接受信するのでなく聴覚機能から聞き取り、言語を抽出するのは簡単な単語ならまだしも畏まった難しい言葉遣いだと難しいので僕は簡単な説明を先生とジェームズからよく聞いていた。
「オルカ、僕は一度ズグ国に行ってくるよ。ボスに会ってくる」
ある時、ジェームズはそう言った。
「僕も！」
「いいやオルカ、君は行けない」
「…どうして？」
「今、機械人形は…ちょっと大変な状況だ。安全な機械人形とそうでない機械人形の区別を付けるのが難しい。ならば、最初から機械人形は全部外に出さないって判断をした方が効率的だろう？今はカンテ国もシュエリオ大陸にも、機械人形を警戒する動きが出来てるんだよ」
「うん…」
「オルカが悪い子じゃないって僕も先生も皆知ってる。だけど、オルカを知らない人はオルカが本当に良い子だってすぐ判断出来ないんだ。中には今回のテロで機械人形そのものを嫌ってしまった人も居る。そう言う人が機械人形を攻撃してくる事もあるんだ」
「悪い子じゃなくても？」
「そう言う人には機械人形が良い子か悪い子かは関係無いんだよ…」
「僕…壊されちゃうの…？」
「ううん、そうはさせない。だからその為にも、先生ともボスとも相談してオルカを預ける事にしたんだよ」
そう言うと扉の方に向かってジェームズは会釈をする。僕の目の前に現れたのは、何だかぽよぽよした柔らかい印象のお兄さんだった。
「よ！君がオルカ君かー！俺潜水型って初めて見るなー！…ん？オルカ君？オルカちゃん？」
「どっちでも良いよ。潜水型は無性だから」
「んー…じゃあとりあえず、オルカ君で良いかい？」
「うん、オルカ君で良い」
「改めましてオルカ君、俺はベン・レッヒェルンだよ！よろしくね！早速だけど、君を俺の所属するマルフィ結社にメンバーとして連れて行こうと思うんだけど、一緒に来てくれるかな？」
先生は仕事もある。ジェームズは一度アンディとジェシカに会いに行く。そうなると僕の居場所が無くなるかもしれない。それを心配したジェームズがアンディに相談したところ、アンディは知り合いに色々連絡を取ってくれた様だった。そして、その内一人が機械人形推進派のマルフィ結社に居ると勧めてくれた。機械人形反対派が多く結成される中、数少ない推進派で且つ大きくなりつつある組織だと言っていた。
潮風は気持ち良い。人間の様な感覚は分からないけど、フィンイヤーが風で揺れるのが僕は好きだ。だから海に来るのが好きだ。
だからジェームズが旅立つ日、僕は見送りに行きたかったのだが僕みたく特殊な形状で一目で機械人形だと分かるタイプはまだ外に出ない方が良いと言う先生のアドバイスで結社に行くまで先生の傍に居た。「僕の代わりにジェームズのお見送りして来てよ」と言ったら、「オルカを置いてそんな大事な事出来ないよ」と言われた。今の僕は、主人 の友達のお見送りにも行けない。外に出るだけで人間を混乱させる。そんな僕に何か出来る事ってあるのだろうか？僕は気付けばアンディに電話していた。
『どうした？オルカ』
「アンディ？あのね、僕に追加の命令って無い？僕に出来る事で追加の命令」
『……お前に？』
「うん。だって…僕今海にも行けないから」
アンディは少し黙って、後ろからは生活音が聞こえて。そのくらい静かな沈黙だった。
『…お前は力持ちだろ？』
「え？」
『お前は潜水型だから他の機械人形よりパワーがあると俺は思ってる。だからそれを活かせるところでしばらく頑張れ。……マルフィ結社だよ』
「僕の…行くところ？」
『ああ……俺の居ない間、本物の海に行けない代わりにマルフィ結社って言う大海を泳いで来い。色んな人間がいて色んな事をまたインプットするかもしれねぇな、良くも悪くも。でもお前なら、そんな大海も泳ぎ切れるさ』
「アンディ…」
──マルフィ結社は陸にあって人間社会で、海じゃ無いよ？
──お前、俺がちょっと良い事言った気で居たのに水差すなよ。
こうして僕は、マルフィ結社に向かった。
確かにアンディの言う通り、色んな人がいて色んな事を学んだ。
テディは最初女の子かと思った。そしたら違うんだって、男の子だって言った。多分、テディは人間の無性なんだと思う。
ユーシンはシュオニにとっても優しい。僕はアンディしか見た事無かったから、テロが起きてアンディと友達以外の人間は壊されない様に注意しなきゃって思ってたけど、ユーシンはとっても優しくてシュオニも幸せそうだった。
シキはとっても大きい。でも怖くなくて親切。僕には疲れるとかそう言うの基本無いのに、いつも大荷物が来ると半分持ってくれる。
ネリネは何でか「お姉ちゃんと呼んでください」って会う度言うけど、実年齢は僕の方が上だから僕だってお兄ちゃんとか呼ばれても良いと思うもん。あ、でも実際お話しするとネリネの方が大人っぽいからお姉ちゃんなのか。ちぇっ。
海には相変わらず満足に入れない。まだアンディにも会えてない。だけど、たまに電話をして、普段は皆とお仕事して、この生活もなかなか悪く無いね。
ねぇ、アンディ。
マルフィ結社って大海もなかなか泳ぎ心地が良いよ。
僕が見付けた面白いお魚みたいな素敵な友達の話をたくさんするから。
早く機械人形と人間が前みたく仲良く戻れたら良いのにな。
『オルカ、友達は魚じゃねぇだろ？人間だろ？』
「アンディひどい。前アンディが言った様な事真似しただけなのに」
『はははっ、冗談だよ。何だよお前、いつの間に比喩表現なんか使える様になったんだ？』
「うーん…お友達のおかげ」
『そっか…じゃあ、お前を結社から引き取る時は皆にお礼言って回らなきゃな』
「うん…」
あ、でも早く元に戻れたら皆と離れなきゃいけないんだ。んー、じゃあアンディと一緒に…でも皆と離れない方法って無いのかな？何だか難しいや。
とりあえず今は、僕は毎日マルフィ結社って言う大海をぷかぷか漂っている。
それがとても心地よくて、来て良かったなマルフィ結社。
海に居ないのにまるで海に居るみたいにここは居心地が良いんだもの。
どこまでも深く沈んでしまいそうな、絵の具を溶かした様に綺麗な海。その海の上をパワフルに翔ける船。
船が押しのけた空間が風になって僕のフィンイヤーを揺らす。そろそろ僕の出番が来るよと教えてくれる。
「オルカー！もうすぐよー！」
ジェシカの声を合図に僕は下半身を魚の物に取り替える。人型の足が吹っ飛ばされない様に船に括り付けて準備完了。アンディの運転は乱暴で波より荒いので気を付けないとパーツを飛ばされてしまうが、潮風を感じられるので僕は好きだった。
今日はアンディと恋人のジェシカと僕の三人だけで下見に来ているのだが、船上に人が少ないといやでも目に付くそれ。アンディはどう言う訳かボロボロの顔で船を操縦していた。
「ジェシカ、ジェシカ」
「何？オルカ」
「どうしてアンディの顔、あんなボロボロなの？」
ああ、アレねとジェシカはクスリと笑う。海の男は荒っぽいからと。聞くと、どうもアンディは昨日酒場で取っ組み合いの喧嘩になりその際何発か盛大に殴られてしまったらしい。
「何でそんな事したの？」
「そう言ってやらないで、貴方が可愛いからよ、オルカ」
「僕？」
「海に適した機械人形って高価だから買えない人も多いの。アンディみたく買えた人を面白く思わない人も多いわ」
「あ。僕そう言えば昔…」
「そう。オルカは壊され掛けた事あったわよね。本当信じられないわ、自分が買えるだけの資産がないからって他人の機械人形壊そうとするなんて…。その人はそこまで過激じゃ無かったみたいで、でもまさか既に買えてる人がその場にいると思わなくて機械人形の事悪く言ってたんですって。案の定アンディが怒って、悪く言ってた人も一言謝れば済んだのにお酒も入ってたし後に引けない感じになって、気付けばそのまま取っ組み合いよ」
「えー！？大丈夫だったの？アンディ、見た目あんななのに喧嘩弱いから…」
「勿論ボロ負け。でも、お店のオーナーさんも機械人形好きだったみたいでね、「稼ぎが無くて手に入れられない自分を棚に上げて機械人形の性能を貶すたぁ女にフラれてその女を悪く言う男にもナンパに失敗して捨て台詞吐き捨てる男にも勝るとも劣らないクズ野郎だ！」って言って、妙にリアルな例え出してアンディに加勢してくれたんだって。ただし、オーナーさんが気付いて間に入った時には既にアンディは何発も食らった後だったの」
昨日の話を聞き、何故僕は気付かなかったのだろうと首を傾げていたら船長室の方からアンディの不貞腐れた声が聞こえた。
「おいコラ、余計な事話すんじゃねぇ」
「あら、ごめんなさい」
「アンディ、嬉しいんだけど喧嘩弱いのにふっかけちゃダメだよ」
僕が言うとアンディは分かりやすくずっこける様なリアクションを取り、笑いながらこっちを見た。
「お前は本当靡かねえよ。ったく、お前の名誉の為に喧嘩したのにボロクソかよ」
「頼んでないよ」
「そうだな、俺が勝手にした事だ。俺が勝手にお前の為にやったんだ」
お袋もこんな気持ちだったのか？と独り言を言いながら視線を海に戻したアンディを見てジェシカは笑っていた。さて肝心の仕事だが、明日以降はアンディだけじゃなく会社の皆も同行する形だが今日はそれまでに主に僕が細かい作業を行う。
アンディは大学の研究チーム等からよく調査依頼を受けるが、今日の仕事もそれだった。百年近く前に沈んだ豪華客船が発見されたので今日からはその調査だ。
「よし、オルカ。いつも通り頼むぜ」
「うん」
僕はカメラと、アンディが特注で作った籠を背負って海に飛び込む。カメラで船全体の状況を細かに写し、可能ならば内部も撮影。船全体の資料写真を撮るだけでなく、老朽化が進んで損壊する危険性のある箇所も把握する為に撮っておく。
船内部の資料写真、破損の可能性の高い場所の撮影、諸々を終えたら背負った籠に細かい物を入れて行く。グラスだったり小物だったり、出来る範囲で拾い上げぽいぽい籠に入れていく。
上がったら鑑定士のジェシカがそれを見る。それをある程度繰り返したら、僕の役目は今日はここまで。
「疲れたー」
「お前は疲れねぇだろ」
「だけど…何か体がうまく動かせないんだもん」
「あら？オルカ本当？」
ジェシカもアンディも集まって僕の体に触れた。ジェシカはひとしきり僕に触れるとアンディの頭を軽く引っ叩いた。
「もうっ！アンディったら！オルカの事言葉だけじゃ無くちゃんと大事にしなきゃダメじゃないっ！」
「痛ててっ！ちょっとメンテ忘れただけだって！」
「それで今日海に入れたの！？全くどれだけ適当なのよ！！もし海の中で作業中に動けなくなってそのままこの子引き上げられなくなったらどうするの！？」
機械人形マニアでもあるジェシカは、アンディによる僕への狼藉を許さない。以前、同じ様な状況でジェシカに「別れる！」と言われたのにアンディはもう忘れてしまったみたい。
「オルカごめんなさいね、今日はこれ以上海に入れられないわ」
「どうして？」
「貴方の体、塩の影響が凄いの。お掃除してもらわないとね」
僕は海に適した機械人形。だけど、色々と難しい事が多くて、おそらく僕は普通の機械人形以上にメンテナンスを必要とする。僕の体は泳げる様に出来ているけど、それでも定期的に綺麗にしないとすぐ錆びてしまう。アンディはものぐさだからすぐ忘れる。だからこの日もジェシカが点検の予約を入れてくれた。
「ありがとジェシカ。アンディだけしかいなかったら僕すぐ壊れちゃう」
「本当よね、全くもう。大事にしてる割には大雑把なんだから」
ぷんぷん怒るジェシカを見て僕は思わず笑ってしまった。だってね、アンディがよく忘れるのはジェシカが居るからなんだよ。ジェシカに頼って甘えちゃうと色々つい忘れちゃうんだって、アンディ言ってたよ。
と、言ったら「いつまでも変に甘えないのよ！」とジェシカがまたアンディにカミナリを落とした。アンディはそっと僕のところに寄ってくると「良いか？オルカ。こう言うのを良い女って言うんだぜ」と照れ臭そうに呟いた。
* * *
「さあオルカ、これから綺麗にするからね」
すっかり顔馴染みの整備士の先生に促され、僕は着ていた服を脱いだ。ジェシカが予約を入れてくれて二週間。アンディとジェシカに連れられていつもの先生のところに行き、三日掛けて軽めの清掃とメンテナンスと点検とを行う。今回はアンディが大学の教授に呼ばれてズグ国に先に行っているから、僕はアンディの会社のメンバーと一緒に後からズグ国に向かう。
アンディのスケジューリングミスで一緒に船に乗れなかったのだ。
「オルカ、今日もいつものメニューだがどうだろう？そろそろアンディに言おうと思っているんだよ。君を一度長期的に預けて本格的なオーバーホールしないかと」
「オーバーホール？」
「今みたく、分かりやすく掃除もしやすい表面的なものでなく、しっかり細部まで検査したりする事だね。君も稼働して五年、ただでさえ負担の多い海の仕事だ。どうだろうか？」
「んー…帰る時に先生がアンディに言ってー…」
「分かったよ。伝えておこう。普通の点検さえウチでやるなら三日…オーバーホールとなるともっと大きいところに預けなきゃならんからな…まあそれじゃあ、少し眠っておくれ」
先生に任せれば、後は数日過ぎるのをただ待つだけ。これが終わればいつもの通り。早く海に入りたいなぁ。
機械人形の僕は基本的に夢を見ない。あ、もしかしたら見る個体もいるのかな？例えば充電中とかにメモリー整理をするのは人間の見る夢と似た様なものなのかな。どちらにしろ、点検の時は電源を完全にオフにしてしまうのであっという間に三日は過ぎるのだけど。
「おはよー…」
「目が覚めたかい？オルカ、不備はあるかな？」
「んー…まだよく分かんない…」
目が覚めたらきっちり三日過ぎていた。目の前には先生がおり、待合室ではアンディの下で働いているジェームズが迎えに来ていた。
「ジェームズ！」
「やあオルカ。またボスに荒い使われ方したらしいね」
「みたいだね」
「相変わらずだなぁあの人は。大事にしているのは本当なのに、偶に行動が伴わないから」
そう言いながら待合室のテレビを点け、リモコンを操作するジェームズ。先生は豪快に笑いながら起動した僕に不調が無いか確認する。視界はクリア、物の認識も不備なし。音の聞き取りも問題無く今現在目立った不具合は無い。
「よし、問題は無さそうだな。じゃあ次はネットワークへの接続に不備が無いか見ておこう」
「うん。まあ、船の上にいる事が多いからあまり繋がないけどね」
「ち、ちょっと待ってオルカ！先生！」
ネットワーク接続の話をしたら不意にジェームズが慌てた声を上げた。僕が回線を繋がず待機していると、ジェームズは先生を呼びテレビの音量を上げた。そこに映ったのは首相の会見の様子だった。
「い、今…これ！」
「な、何だねこれは！？」
「分かりません…！先程からボスに連絡取ろうとしても全然繋がらなくて…！何かおかしいと思ってたんですけど…！」
「機械人形が暴走…？機械汚染でも起きたと言うのか…！？オルカ！繋ぐんじゃないぞ！絶対だ！」
よく分からなかった。とにかく僕に「ネットワーク接続をするな」とそう言い残し、先生は何処かに電話を掛けに行った。ジェームズは不安そうな顔で携帯端末を見つめる。テレビに映った強そうな顔のおじさんが難しそうな事を言っているとしか僕には分からなかった。
あ、そうだ。何言ってるか分からないなら詳細を調べれば良いんだ。そう思考を巡らし回線を繋ごうとして、でも駄目だと言われたから待たないとと大人しくしている事にした。後から思ったが、機械人形がなまじ自律した思考を持っているからこそ現状打破に最適な情報を集めようと電子世界に繋ぎ、その際に汚染されたと言うパターンも多かったのかもしれない。僕は強く言われたから回線を繋がず、自分の持つメモリの中の情報源から最善策を探す事にした。勿論答えは出なかった。
「はい…はい……ええ、分かりました。ボスもジェシカさんもお気を付けて」
翌日、アンディに電話を掛けたジェームズの顔は凄く険しかった。ジェームズに手招きされたのでとことこと近付く。ジェームズは受話器を僕に渡すと「ボスからだよ」と呟いた。そっとフィンイヤーに当てて「もしもし？」と口にすると安心した様なアンディの声が聞こえた。
『オルカ！？オルカか！？』
「アンディ？」
『無事か！？変な風になってないか！？』
「平気だよ。僕、電子世界に繋がなかったんだ」
『そりゃ良かった……良いか？オルカ。俺達は無事ズグに着いた。でも、カンテの状況が状況だからお前はすぐにこっちに来れない』
「え！？僕アンディの居るズグに行けないの！？」
『ああ。今カンテ国は大変な事になってんだ。良いか？俺が正式な許可を出すまで絶対電子世界に繋ぐなよ？今から言う事をデータとしてメモリに保存しておけ』
そう言われ、聴覚機能のボリュームを上げ、アンディの言葉を漏らさず聞く様にした。アンディはゆっくり今起きている事を説明してくれた。
カンテ国内で機械人形が暴走している事。おそらく今起きている通信障害が何らかの影響を与えているから絶対に電子世界に繋ぐなと言う事。アンディの命令から逸脱しない程度に傍に居るジェームズや先生の言う事をよく聞く事。
それだけ言い残して再び電話をジェームズに代わり、僕は海でも見に行こうかと歩き出す。しかし外に出ようとしたら今度は先生に止められてしまった。
「オルカ、行ってはいけないよ」
「どうして？」
「今は状況が分からない。幸いこの近辺で事件が起きていないが…それでも滅多な事はするものじゃない」
「うーん…分かった」
そうして何も出来ないまま一ヶ月が過ぎた。
テレビを点ければ毎日いつだって同じ様なニュースを流していた。カンテ国がどうなっているかとか、単発的な機械人形の暴走が多発してるとか。データを直接受信するのでなく聴覚機能から聞き取り、言語を抽出するのは簡単な単語ならまだしも畏まった難しい言葉遣いだと難しいので僕は簡単な説明を先生とジェームズからよく聞いていた。
「オルカ、僕は一度ズグ国に行ってくるよ。ボスに会ってくる」
ある時、ジェームズはそう言った。
「僕も！」
「いいやオルカ、君は行けない」
「…どうして？」
「今、機械人形は…ちょっと大変な状況だ。安全な機械人形とそうでない機械人形の区別を付けるのが難しい。ならば、最初から機械人形は全部外に出さないって判断をした方が効率的だろう？今はカンテ国もシュエリオ大陸にも、機械人形を警戒する動きが出来てるんだよ」
「うん…」
「オルカが悪い子じゃないって僕も先生も皆知ってる。だけど、オルカを知らない人はオルカが本当に良い子だってすぐ判断出来ないんだ。中には今回のテロで機械人形そのものを嫌ってしまった人も居る。そう言う人が機械人形を攻撃してくる事もあるんだ」
「悪い子じゃなくても？」
「そう言う人には機械人形が良い子か悪い子かは関係無いんだよ…」
「僕…壊されちゃうの…？」
「ううん、そうはさせない。だからその為にも、先生ともボスとも相談してオルカを預ける事にしたんだよ」
そう言うと扉の方に向かってジェームズは会釈をする。僕の目の前に現れたのは、何だかぽよぽよした柔らかい印象のお兄さんだった。
「よ！君がオルカ君かー！俺潜水型って初めて見るなー！…ん？オルカ君？オルカちゃん？」
「どっちでも良いよ。潜水型は無性だから」
「んー…じゃあとりあえず、オルカ君で良いかい？」
「うん、オルカ君で良い」
「改めましてオルカ君、俺はベン・レッヒェルンだよ！よろしくね！早速だけど、君を俺の所属するマルフィ結社にメンバーとして連れて行こうと思うんだけど、一緒に来てくれるかな？」
先生は仕事もある。ジェームズは一度アンディとジェシカに会いに行く。そうなると僕の居場所が無くなるかもしれない。それを心配したジェームズがアンディに相談したところ、アンディは知り合いに色々連絡を取ってくれた様だった。そして、その内一人が機械人形推進派のマルフィ結社に居ると勧めてくれた。機械人形反対派が多く結成される中、数少ない推進派で且つ大きくなりつつある組織だと言っていた。
潮風は気持ち良い。人間の様な感覚は分からないけど、フィンイヤーが風で揺れるのが僕は好きだ。だから海に来るのが好きだ。
だからジェームズが旅立つ日、僕は見送りに行きたかったのだが僕みたく特殊な形状で一目で機械人形だと分かるタイプはまだ外に出ない方が良いと言う先生のアドバイスで結社に行くまで先生の傍に居た。「僕の代わりにジェームズのお見送りして来てよ」と言ったら、「オルカを置いてそんな大事な事出来ないよ」と言われた。今の僕は、
『どうした？オルカ』
「アンディ？あのね、僕に追加の命令って無い？僕に出来る事で追加の命令」
『……お前に？』
「うん。だって…僕今海にも行けないから」
アンディは少し黙って、後ろからは生活音が聞こえて。そのくらい静かな沈黙だった。
『…お前は力持ちだろ？』
「え？」
『お前は潜水型だから他の機械人形よりパワーがあると俺は思ってる。だからそれを活かせるところでしばらく頑張れ。……マルフィ結社だよ』
「僕の…行くところ？」
『ああ……俺の居ない間、本物の海に行けない代わりにマルフィ結社って言う大海を泳いで来い。色んな人間がいて色んな事をまたインプットするかもしれねぇな、良くも悪くも。でもお前なら、そんな大海も泳ぎ切れるさ』
「アンディ…」
──マルフィ結社は陸にあって人間社会で、海じゃ無いよ？
──お前、俺がちょっと良い事言った気で居たのに水差すなよ。
こうして僕は、マルフィ結社に向かった。
確かにアンディの言う通り、色んな人がいて色んな事を学んだ。
テディは最初女の子かと思った。そしたら違うんだって、男の子だって言った。多分、テディは人間の無性なんだと思う。
ユーシンはシュオニにとっても優しい。僕はアンディしか見た事無かったから、テロが起きてアンディと友達以外の人間は壊されない様に注意しなきゃって思ってたけど、ユーシンはとっても優しくてシュオニも幸せそうだった。
シキはとっても大きい。でも怖くなくて親切。僕には疲れるとかそう言うの基本無いのに、いつも大荷物が来ると半分持ってくれる。
ネリネは何でか「お姉ちゃんと呼んでください」って会う度言うけど、実年齢は僕の方が上だから僕だってお兄ちゃんとか呼ばれても良いと思うもん。あ、でも実際お話しするとネリネの方が大人っぽいからお姉ちゃんなのか。ちぇっ。
海には相変わらず満足に入れない。まだアンディにも会えてない。だけど、たまに電話をして、普段は皆とお仕事して、この生活もなかなか悪く無いね。
ねぇ、アンディ。
マルフィ結社って大海もなかなか泳ぎ心地が良いよ。
僕が見付けた面白いお魚みたいな素敵な友達の話をたくさんするから。
早く機械人形と人間が前みたく仲良く戻れたら良いのにな。
『オルカ、友達は魚じゃねぇだろ？人間だろ？』
「アンディひどい。前アンディが言った様な事真似しただけなのに」
『はははっ、冗談だよ。何だよお前、いつの間に比喩表現なんか使える様になったんだ？』
「うーん…お友達のおかげ」
『そっか…じゃあ、お前を結社から引き取る時は皆にお礼言って回らなきゃな』
「うん…」
あ、でも早く元に戻れたら皆と離れなきゃいけないんだ。んー、じゃあアンディと一緒に…でも皆と離れない方法って無いのかな？何だか難しいや。
とりあえず今は、僕は毎日マルフィ結社って言う大海をぷかぷか漂っている。
それがとても心地よくて、来て良かったなマルフィ結社。
海に居ないのにまるで海に居るみたいにここは居心地が良いんだもの。
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