パルファンドゥー／燐花
最終更新：
rinka_creation 2021年06月13日(日) 22:54:22履歴
前線駆除班第三小隊はアサギが抜けてから建物の倒壊や器物の破損が随分と減った。なので経理部に領収書を出しに行ってもギルバートのお小言がそんなに多くは無く比較的精神的に楽な筈なのだが、ただ一人バーティゴは違っていた。
戦う度にどこかしら義肢を破壊する彼女。戦地に行っては破壊して来る為経理部、機械班と小言の的にされやすい彼女はいつしか領収書の提出をさも当たり前の様にセリカに任せる様になっていた。
「んー…じゃあ、セリカに後任せるわ」
「………」
自分は別に良いのだが。しかしこのままでいて良いのかと言われると体面と言う意味では微妙なところで。
「…お姉様ぁ…私お姉様に頼って頂けるのは嬉しいんですよぅ…」
「どうしたの？改まって」
「だって…経理部とか機械班とか、お姉様がお小言言われそうなところに所用で出向くの大体私なんですものぉ…」
ちらっ、ちらっとバーティゴを見れば、彼女は純粋無垢で穢れを知らない少年がミクリカの冬ごもりの日に大好きなご飯を沢山作ってもらった時の様なそんな煌めいた顔をしてにこりと笑った。
「ほらぁ…また誤魔化すんですものぉ…」
「うわ、何て顔してんすか姐さん。そんな知育菓子の練る工程すっ飛ばしてダイレクトに粉食った時の顔して」
恐れを知らず、バーティゴに突っ込まん勢いでルーウィンが飛び出す。
「どう言う顔よ。…ルー、さてはアンタ経験者ね？」
「むせましたよそりゃ」
何の話をされているのだろう？セリカが不思議そうな顔で二人を見ると、バーティゴはにこりと笑った。
「良いじゃない。赤茶色の彼に会う理由が出来るんだから」
「別に理由なんて必要無いですぅ…用事が有れば顔を出すだけですしそこで会うも会わないもどちらでも善いので…」
「ああ、ファンさんの事っすか？」
経理部に顔を出したとして、会えても会えなくてもどちらでも良い。そう言っているのにバーティゴもルーウィンも二人してニヤニヤと、少なくともセリカにとって不快極まりない類の笑みを浮かべる。と、思ったらルーウィンがまさかの発言をしたためセリカは数分後慌てて経理部に駆け込む事になった。
「そう言やそのファンさん、風邪ひいて寝込んでるらしいっすね。皆忙しくて看病にも行けてないとかで生死すら不明らしいっすよねー、全く大袈裟な」
「え…？」
笑っていたバーティゴも顔を顰めていたセリカも一気に顔から血の気が引く。
風邪をひいた？いや、常日頃確かにどこででも掛け布団も掛けずに寝ていたしこの寒空の下そんな事をしていれば風邪なんて自分から招いている様な物ではあるが。
「あの人兎頭国からの移民とか何とか言ってましたっけ？何かカンテ国来て初めてらしいっすよ、こんなでっかい風邪ひいたの。ベネットさん達も忙しくて見舞いに行けないとかで。あ、でも連絡は端末にちゃんと入って来たらしいっすけどね」
「ほ、本当ですか！？」
セリカが前のめり気味に詰め寄るとその圧に押されたルーウィンがこくこくと頷く。バーティゴの方に振り返ると彼女は言葉より先に顔をクイっと動かしセリカに了承を出した。
セリカはそれを見るや彼女にしては珍しくバタバタと音を立てて第三小隊の待合室を出て行った。
「…本当嫉妬しちゃうわぁ。あんな翻弄されるセリカを引き出すのが軟派な坊やなんて」
「え？セリカさん何であんな慌ててんすか？ファンさんに金でも貸してたんすか？今死なれちゃ困るとか？」
「ルー、あんたは色々鈍感過ぎよ…」
* * *
大丈夫か？君は独身寮に居るのだし、何かあったら医療班でも、僕やアルヴィでも良いから連絡を入れろよ？
くれぐれも、我慢は美徳じゃないからな。
ギルバートからそう連絡が入り、ギャリーは既読だけ付けると返事もせず布団に潜り込んだ。迂闊だった。確かに油断した生活は送っていたがまさか風邪を引くとは。
とりあえず鼻、喉が辛い。ティッシュを一、二枚取るとずびずびと音を立て鼻をかむ。丸めてゴミ箱に捨てるが、もう既に鼻をかんだティッシュで山になるゴミ箱には入らず横に落ちた。箱ティッシュももう終わりそうだ。在庫はあったかな？
熱っぽい気もする。だが体温計を持っていない為熱が分からない。何だかこの状況、とんでもなく心細い。
カンテ国に来る前、兎頭国では祖父母と住んでいた為風邪を引いた時は祖母が面倒を見てくれた。食べやすい様にお粥を作って、氷枕の面倒も絶えず見てくれて。あれは本当に恵まれた事だったんだな、とギャリーは思う。
「俺…このまま死んでも誰にも気付かれなさそう…」
心細さからか滅多に口にしない物騒な事を口走る。妙な形とは言えテロすら生き延びたのにここに来て風邪に倒れるとは。
作れないからご飯も食べれていない。経理部で他班との関わりも深く医療班の忙しさを知っているからどのラインで助けを呼んで良いのか分からずここまでずるずる引っ張ってしまった。引っ張って引っ張って、最終的に熱のせいで自分の足で医療班まで行けなくなり寝ているしかなくなった。
「はぁ……」
このまま寝ているだけで治るのだろうか。そんな事を考えながら布団の中でもぞりと動く。体の節々が痛いのなんて思春期の成長痛以来な気がする。そんな事を懐かしみながら目を閉じてじっとしていると、インターホンが鳴った。
「……え、誰？」
重い体をズルズル引き摺りながら玄関まで向かう。もしかしてギルバートかアルヴィがやっと様子を見に来たのか？寝巻きに使っている浴衣は殆ど肌蹴ており最早体に掛かっているだけの状態になっていたが気にしておられずドアを開ける。
どうせギルバートかアルヴィだから良いか。
そう思って一応控えめに少しだけドアを開けたのだが、そこに居たのはセリカだった。
「今日和…お加減、如何ですかぁ…？」
「……セリカちゃん？え？嘘…何で…？」
「風邪を引かれたと聞きまして…あの、様子を見に…」
余計なお世話でしたか？といつもより控えめに尋ねてくるセリカにくらくらしつつギャリーは敢えて少し冷たく言い放った。
「ごめん、帰って…移すかもしれないから…」
「ファンさん…？」
「…だって、セリカちゃんが風邪引いたら辛いでしょ…」
そう言いつつ玄関の壁にもたれて動かなくなるギャリー。セリカは彼に気を配りつつドアを開けて改めて部屋の中を見る。部屋はそんなに荒れていないのにベッド周辺にはティッシュの丸めたゴミが目立つ。するとそんなセリカの横でギャリーはくしゃみをし鼻を啜った。
「ファンさん…もしかしてお辛いの、鼻ですかぁ？」
「…あと喉…本当辛いから、移ると辛いから帰ってセリカちゃん」
「医療班は…医療班に診てもらいました…？その状態でご飯は…？」
「全部まだ…でも大丈夫だから…」
ずるりと座り込むギャリーにセリカは手を伸ばす。が、その手をギャリーは自分の手で制した。
「本当、セリカちゃんに移ったらダメ…」
「ファンさん…」
「俺なら大丈夫だから…帰って…平気だから…」
いつになく余裕の無さそうなギャリー。セリカが嫌なのではなく、本気で移したく無いと思っているのであろう事は彼女も気付いたので強くは言え無かった。だけど、このまま彼一人を置いて帰る訳にも行かず、セリカは襷 を取り出すと着物の袖を纏めて襷掛けにし、ギャリーの目の前に立ち塞がった。
「そんな貴方を置いて帰れません」
「セリカちゃん…本当、移したら…」
「移されない様最低限の事はちゃんとします」
「でも…」
「良いから！こんな時まで気を遣わないでくださいよぅ…そんな状態で何か有ったら困りますもん…さ、ファンさんは寝ましょう？」
ね？とダメ押しするとギャリーの顔はどんどん赤くなる。セリカは一瞬驚いたが、すぐに顔を手で覆ったギャリーが「…あぁー…可愛い……」と漏らした。とりあえずは元気そうだ。セリカが部屋に入る横で居た堪れなくなったギャリーは何となく、肌蹴ていた浴衣の前を閉めた。
* * *
セリカは主婦の鑑であった。
先ず溜まっていたゴミを出しに行き、そして必要なものを揃えに行く。医療班にも連絡をしておき、氷枕を作るとギャリーを寝かせ、そしてお粥を作り始めた。
合間合間にギャリーの様子を見に来ては彼が辛そうでないか確認する。鼻が詰まって息苦しそうだし、咳も一度出ると止まらない。折角空にしたゴミ箱にもすぐティッシュのゴミが溜まる。そんなに鼻水を流したら体から水分が抜けてしまいそう。そう思ったセリカはスポーツドリンクをコップに注ぐとギャリーの元へ甲斐甲斐しく持って行った。
至れり尽くせりなギャリーは呆けた目で彼女を見つめる。なるほど、これが嫁さんのいる生活か。だとしたら良い。実に良い。
「ファンさん、お熱どうですかぁ？」
「んー…三十八度三分…」
「見事なまでに大っきいお風邪引きましたねぇ…」
「本当にね…」
とりあえず水分を採り、定期的に額に乗せた濡れタオルは新しく冷やしたものに変えてやる。しばらくすると医療班からはアキヒロが診察に来てくれ、「出来たらここまで辛くならない、動ける内に来て下さいね」と一言漏らした。
「ギャリーさん…風邪だって拗らせたら大変な事になるんです。今後はこうなる前に診せに来て下さい」
「悪ぃね…お手を煩わせてさ…」
「とりあえず、喉は真っ赤だし扁桃腺も腫れてます。鼻も辛そうですし、早く治す為にも抗生剤出しておきますね」
「…これ以上は熱上がんねぇかや？」
「はは、相当今の辛さが堪えてるんですね。うーん…多分大丈夫だと思いますが…また何かあったらすぐ連絡をください」
「……はいよ…」
本人達は気にしているかもしれないので大きな声では言えないが、女性の様な顔立ちのアキヒロとこれまた女性的な顔立ちのギャリーが二人で話していると言うのは凄く絵になる光景だと思った。単純に、二人とも綺麗なのだ。女性であるセリカもうっとりするくらい、少なくともふとした時に見せるアキヒロの顔や所作はこの上なく美しかった。勿論ギャリーも美形だが、普段あまり顔を合わせないアキヒロの仕事をしている顔と言うのはセリカにとって新鮮であり、思わずじぃっ…と彼を見つめてしまった。そして彼女は気付いていなかったが、そんなセリカをギャリーが見つめていた。
帰り支度をして出て行こうとするアキヒロをセリカは玄関まで見送る。客人を玄関まで見送りするのはベンジャミンとの生活で得た癖でもあった。アキヒロは、まるでギャリーの母の様に甲斐甲斐しく面倒を診るセリカに安心した笑顔を向けていた。
「あの…セリカさんが彼に付いて診ていてくださるんですか？」
「ええ、一応今日のところは、ですぅ」
「そうですか…では、傍に居るなら念の為貴女もマスクを着用してください。ギャリーさんは薬を飲んでいれば大丈夫だとは思いますが、何かあればすぐ呼んでくださいね」
アキヒロを送ったら直ぐに氷水でタオルを冷やし、ギャリーの下に戻る。タオルを取り替え、枕も少し温かくなっているのを確認したのでいそいそと取り替える準備をした。
「ファンさん、枕替えるんで頭上げてくださいな」
「………」
「ファンさん？」
「…セリカちゃん、ありがと……」
ギャリーは力無く呟いた。
けれどその元気の無さが風邪から来る気怠さかそれとも別の理由か。セリカには今ひとつ掴めなかった。
「あんまり心配掛けないでくださいよぅ…」
「…心配してくれただ？」
「そりゃあ…しましたよぅ…」
そんな会話を交わすと、意を決した様にギャリーは少しガラガラした声で呟いた。
「…俺だったから？それとも、誰にでもする？」
「え…？」
「…誰であっても同じ…？」
「え…？そんな事は…」
「ねぇ、俺調子乗って良いかや？セリカちゃんが…俺だったから来てくれたんじゃ無いかって思って…移すから帰ってなんて言ったけど、帰すつもりなかったかも」
何も考えず飛び出してしまったが、果たしてギャリーだから飛び出して看病に来たのだろうか？それはどうだろう？頭の中で色んな人の顔が浮かんでは消えて行く。バーティゴだったら？迷わず看病に向かうだろう。ルーウィンも、同じ隊の大事な同僚なのだから。
では、果たして他の隊なら？ロナは心配はするだろうが、彼の人望諸々考えれば自分が行かずとも誰かが看病に行くだろうと早々に結論付けるかもしれない。ユウヤミなら、ヨダカも居るし彼の狂信者が居る事を思えば彼に対してもそこまで心配しないのかもしれない。同じ班、同じ隊の人間であってもこんな感じではあるのに、何故他班で四六時中顔を合わせるわけでも無いギャリーの不調を聞いて真っ先に飛んで来たのだろう？
改めて考えると不思議で少し困ってしまって、セリカは言葉を詰まらせてしまった。
「…悪ィね、セリカちゃん。俺意地悪言ったわ」
「ファンさん…」
「誰にだってきっとしてあげられるんだよ。セリカちゃん、優しいんだから。へぇ大 っ風邪 引くと余計な事言っていけねぇわ」
ギャリーは手を伸ばすとセリカの頭を撫で回す。まだまだ熱の引かない熱い手だった。セリカの頭を優しく撫でると、ギャリーは微笑み布団を被る。
薬が効いているのか、咳き込む事もなくすうすうと穏やかな寝息が聞こえる。その呼吸音に安心すると同時に彼の言葉が引っ掛かった。
誰にでも？と聞かれてどきりとしたのは何故だろう。「出来ると思う」そう即答出来なかったのは何故だろう。別に変な事を言ったわけでも無いのに、何故彼は「意地悪言った」とそう言葉を選んだのだろう。
何故こんなに彼の言葉にモヤモヤしているのだろう。
とりあえず気持ちを紛らわす為に部屋の掃除と氷の在庫確認をした。
「セリカちゃん、優しいんだから」
褒めてもらっている気もするのに、何故あんなに切なそうに見えたのだろうか。
赤い顔で眠るギャリーの横で、セリカも負けず劣らずの赤い頬に手を添え立ち尽くしてしまった。
戦う度にどこかしら義肢を破壊する彼女。戦地に行っては破壊して来る為経理部、機械班と小言の的にされやすい彼女はいつしか領収書の提出をさも当たり前の様にセリカに任せる様になっていた。
「んー…じゃあ、セリカに後任せるわ」
「………」
自分は別に良いのだが。しかしこのままでいて良いのかと言われると体面と言う意味では微妙なところで。
「…お姉様ぁ…私お姉様に頼って頂けるのは嬉しいんですよぅ…」
「どうしたの？改まって」
「だって…経理部とか機械班とか、お姉様がお小言言われそうなところに所用で出向くの大体私なんですものぉ…」
ちらっ、ちらっとバーティゴを見れば、彼女は純粋無垢で穢れを知らない少年がミクリカの冬ごもりの日に大好きなご飯を沢山作ってもらった時の様なそんな煌めいた顔をしてにこりと笑った。
「ほらぁ…また誤魔化すんですものぉ…」
「うわ、何て顔してんすか姐さん。そんな知育菓子の練る工程すっ飛ばしてダイレクトに粉食った時の顔して」
恐れを知らず、バーティゴに突っ込まん勢いでルーウィンが飛び出す。
「どう言う顔よ。…ルー、さてはアンタ経験者ね？」
「むせましたよそりゃ」
何の話をされているのだろう？セリカが不思議そうな顔で二人を見ると、バーティゴはにこりと笑った。
「良いじゃない。赤茶色の彼に会う理由が出来るんだから」
「別に理由なんて必要無いですぅ…用事が有れば顔を出すだけですしそこで会うも会わないもどちらでも善いので…」
「ああ、ファンさんの事っすか？」
経理部に顔を出したとして、会えても会えなくてもどちらでも良い。そう言っているのにバーティゴもルーウィンも二人してニヤニヤと、少なくともセリカにとって不快極まりない類の笑みを浮かべる。と、思ったらルーウィンがまさかの発言をしたためセリカは数分後慌てて経理部に駆け込む事になった。
「そう言やそのファンさん、風邪ひいて寝込んでるらしいっすね。皆忙しくて看病にも行けてないとかで生死すら不明らしいっすよねー、全く大袈裟な」
「え…？」
笑っていたバーティゴも顔を顰めていたセリカも一気に顔から血の気が引く。
風邪をひいた？いや、常日頃確かにどこででも掛け布団も掛けずに寝ていたしこの寒空の下そんな事をしていれば風邪なんて自分から招いている様な物ではあるが。
「あの人兎頭国からの移民とか何とか言ってましたっけ？何かカンテ国来て初めてらしいっすよ、こんなでっかい風邪ひいたの。ベネットさん達も忙しくて見舞いに行けないとかで。あ、でも連絡は端末にちゃんと入って来たらしいっすけどね」
「ほ、本当ですか！？」
セリカが前のめり気味に詰め寄るとその圧に押されたルーウィンがこくこくと頷く。バーティゴの方に振り返ると彼女は言葉より先に顔をクイっと動かしセリカに了承を出した。
セリカはそれを見るや彼女にしては珍しくバタバタと音を立てて第三小隊の待合室を出て行った。
「…本当嫉妬しちゃうわぁ。あんな翻弄されるセリカを引き出すのが軟派な坊やなんて」
「え？セリカさん何であんな慌ててんすか？ファンさんに金でも貸してたんすか？今死なれちゃ困るとか？」
「ルー、あんたは色々鈍感過ぎよ…」
* * *
大丈夫か？君は独身寮に居るのだし、何かあったら医療班でも、僕やアルヴィでも良いから連絡を入れろよ？
くれぐれも、我慢は美徳じゃないからな。
ギルバートからそう連絡が入り、ギャリーは既読だけ付けると返事もせず布団に潜り込んだ。迂闊だった。確かに油断した生活は送っていたがまさか風邪を引くとは。
とりあえず鼻、喉が辛い。ティッシュを一、二枚取るとずびずびと音を立て鼻をかむ。丸めてゴミ箱に捨てるが、もう既に鼻をかんだティッシュで山になるゴミ箱には入らず横に落ちた。箱ティッシュももう終わりそうだ。在庫はあったかな？
熱っぽい気もする。だが体温計を持っていない為熱が分からない。何だかこの状況、とんでもなく心細い。
カンテ国に来る前、兎頭国では祖父母と住んでいた為風邪を引いた時は祖母が面倒を見てくれた。食べやすい様にお粥を作って、氷枕の面倒も絶えず見てくれて。あれは本当に恵まれた事だったんだな、とギャリーは思う。
「俺…このまま死んでも誰にも気付かれなさそう…」
心細さからか滅多に口にしない物騒な事を口走る。妙な形とは言えテロすら生き延びたのにここに来て風邪に倒れるとは。
作れないからご飯も食べれていない。経理部で他班との関わりも深く医療班の忙しさを知っているからどのラインで助けを呼んで良いのか分からずここまでずるずる引っ張ってしまった。引っ張って引っ張って、最終的に熱のせいで自分の足で医療班まで行けなくなり寝ているしかなくなった。
「はぁ……」
このまま寝ているだけで治るのだろうか。そんな事を考えながら布団の中でもぞりと動く。体の節々が痛いのなんて思春期の成長痛以来な気がする。そんな事を懐かしみながら目を閉じてじっとしていると、インターホンが鳴った。
「……え、誰？」
重い体をズルズル引き摺りながら玄関まで向かう。もしかしてギルバートかアルヴィがやっと様子を見に来たのか？寝巻きに使っている浴衣は殆ど肌蹴ており最早体に掛かっているだけの状態になっていたが気にしておられずドアを開ける。
どうせギルバートかアルヴィだから良いか。
そう思って一応控えめに少しだけドアを開けたのだが、そこに居たのはセリカだった。
「今日和…お加減、如何ですかぁ…？」
「……セリカちゃん？え？嘘…何で…？」
「風邪を引かれたと聞きまして…あの、様子を見に…」
余計なお世話でしたか？といつもより控えめに尋ねてくるセリカにくらくらしつつギャリーは敢えて少し冷たく言い放った。
「ごめん、帰って…移すかもしれないから…」
「ファンさん…？」
「…だって、セリカちゃんが風邪引いたら辛いでしょ…」
そう言いつつ玄関の壁にもたれて動かなくなるギャリー。セリカは彼に気を配りつつドアを開けて改めて部屋の中を見る。部屋はそんなに荒れていないのにベッド周辺にはティッシュの丸めたゴミが目立つ。するとそんなセリカの横でギャリーはくしゃみをし鼻を啜った。
「ファンさん…もしかしてお辛いの、鼻ですかぁ？」
「…あと喉…本当辛いから、移ると辛いから帰ってセリカちゃん」
「医療班は…医療班に診てもらいました…？その状態でご飯は…？」
「全部まだ…でも大丈夫だから…」
ずるりと座り込むギャリーにセリカは手を伸ばす。が、その手をギャリーは自分の手で制した。
「本当、セリカちゃんに移ったらダメ…」
「ファンさん…」
「俺なら大丈夫だから…帰って…平気だから…」
いつになく余裕の無さそうなギャリー。セリカが嫌なのではなく、本気で移したく無いと思っているのであろう事は彼女も気付いたので強くは言え無かった。だけど、このまま彼一人を置いて帰る訳にも行かず、セリカは
「そんな貴方を置いて帰れません」
「セリカちゃん…本当、移したら…」
「移されない様最低限の事はちゃんとします」
「でも…」
「良いから！こんな時まで気を遣わないでくださいよぅ…そんな状態で何か有ったら困りますもん…さ、ファンさんは寝ましょう？」
ね？とダメ押しするとギャリーの顔はどんどん赤くなる。セリカは一瞬驚いたが、すぐに顔を手で覆ったギャリーが「…あぁー…可愛い……」と漏らした。とりあえずは元気そうだ。セリカが部屋に入る横で居た堪れなくなったギャリーは何となく、肌蹴ていた浴衣の前を閉めた。
* * *
セリカは主婦の鑑であった。
先ず溜まっていたゴミを出しに行き、そして必要なものを揃えに行く。医療班にも連絡をしておき、氷枕を作るとギャリーを寝かせ、そしてお粥を作り始めた。
合間合間にギャリーの様子を見に来ては彼が辛そうでないか確認する。鼻が詰まって息苦しそうだし、咳も一度出ると止まらない。折角空にしたゴミ箱にもすぐティッシュのゴミが溜まる。そんなに鼻水を流したら体から水分が抜けてしまいそう。そう思ったセリカはスポーツドリンクをコップに注ぐとギャリーの元へ甲斐甲斐しく持って行った。
至れり尽くせりなギャリーは呆けた目で彼女を見つめる。なるほど、これが嫁さんのいる生活か。だとしたら良い。実に良い。
「ファンさん、お熱どうですかぁ？」
「んー…三十八度三分…」
「見事なまでに大っきいお風邪引きましたねぇ…」
「本当にね…」
とりあえず水分を採り、定期的に額に乗せた濡れタオルは新しく冷やしたものに変えてやる。しばらくすると医療班からはアキヒロが診察に来てくれ、「出来たらここまで辛くならない、動ける内に来て下さいね」と一言漏らした。
「ギャリーさん…風邪だって拗らせたら大変な事になるんです。今後はこうなる前に診せに来て下さい」
「悪ぃね…お手を煩わせてさ…」
「とりあえず、喉は真っ赤だし扁桃腺も腫れてます。鼻も辛そうですし、早く治す為にも抗生剤出しておきますね」
「…これ以上は熱上がんねぇかや？」
「はは、相当今の辛さが堪えてるんですね。うーん…多分大丈夫だと思いますが…また何かあったらすぐ連絡をください」
「……はいよ…」
本人達は気にしているかもしれないので大きな声では言えないが、女性の様な顔立ちのアキヒロとこれまた女性的な顔立ちのギャリーが二人で話していると言うのは凄く絵になる光景だと思った。単純に、二人とも綺麗なのだ。女性であるセリカもうっとりするくらい、少なくともふとした時に見せるアキヒロの顔や所作はこの上なく美しかった。勿論ギャリーも美形だが、普段あまり顔を合わせないアキヒロの仕事をしている顔と言うのはセリカにとって新鮮であり、思わずじぃっ…と彼を見つめてしまった。そして彼女は気付いていなかったが、そんなセリカをギャリーが見つめていた。
帰り支度をして出て行こうとするアキヒロをセリカは玄関まで見送る。客人を玄関まで見送りするのはベンジャミンとの生活で得た癖でもあった。アキヒロは、まるでギャリーの母の様に甲斐甲斐しく面倒を診るセリカに安心した笑顔を向けていた。
「あの…セリカさんが彼に付いて診ていてくださるんですか？」
「ええ、一応今日のところは、ですぅ」
「そうですか…では、傍に居るなら念の為貴女もマスクを着用してください。ギャリーさんは薬を飲んでいれば大丈夫だとは思いますが、何かあればすぐ呼んでくださいね」
アキヒロを送ったら直ぐに氷水でタオルを冷やし、ギャリーの下に戻る。タオルを取り替え、枕も少し温かくなっているのを確認したのでいそいそと取り替える準備をした。
「ファンさん、枕替えるんで頭上げてくださいな」
「………」
「ファンさん？」
「…セリカちゃん、ありがと……」
ギャリーは力無く呟いた。
けれどその元気の無さが風邪から来る気怠さかそれとも別の理由か。セリカには今ひとつ掴めなかった。
「あんまり心配掛けないでくださいよぅ…」
「…心配してくれただ？」
「そりゃあ…しましたよぅ…」
そんな会話を交わすと、意を決した様にギャリーは少しガラガラした声で呟いた。
「…俺だったから？それとも、誰にでもする？」
「え…？」
「…誰であっても同じ…？」
「え…？そんな事は…」
「ねぇ、俺調子乗って良いかや？セリカちゃんが…俺だったから来てくれたんじゃ無いかって思って…移すから帰ってなんて言ったけど、帰すつもりなかったかも」
何も考えず飛び出してしまったが、果たしてギャリーだから飛び出して看病に来たのだろうか？それはどうだろう？頭の中で色んな人の顔が浮かんでは消えて行く。バーティゴだったら？迷わず看病に向かうだろう。ルーウィンも、同じ隊の大事な同僚なのだから。
では、果たして他の隊なら？ロナは心配はするだろうが、彼の人望諸々考えれば自分が行かずとも誰かが看病に行くだろうと早々に結論付けるかもしれない。ユウヤミなら、ヨダカも居るし彼の狂信者が居る事を思えば彼に対してもそこまで心配しないのかもしれない。同じ班、同じ隊の人間であってもこんな感じではあるのに、何故他班で四六時中顔を合わせるわけでも無いギャリーの不調を聞いて真っ先に飛んで来たのだろう？
改めて考えると不思議で少し困ってしまって、セリカは言葉を詰まらせてしまった。
「…悪ィね、セリカちゃん。俺意地悪言ったわ」
「ファンさん…」
「誰にだってきっとしてあげられるんだよ。セリカちゃん、優しいんだから。へぇ
ギャリーは手を伸ばすとセリカの頭を撫で回す。まだまだ熱の引かない熱い手だった。セリカの頭を優しく撫でると、ギャリーは微笑み布団を被る。
薬が効いているのか、咳き込む事もなくすうすうと穏やかな寝息が聞こえる。その呼吸音に安心すると同時に彼の言葉が引っ掛かった。
誰にでも？と聞かれてどきりとしたのは何故だろう。「出来ると思う」そう即答出来なかったのは何故だろう。別に変な事を言ったわけでも無いのに、何故彼は「意地悪言った」とそう言葉を選んだのだろう。
何故こんなに彼の言葉にモヤモヤしているのだろう。
とりあえず気持ちを紛らわす為に部屋の掃除と氷の在庫確認をした。
「セリカちゃん、優しいんだから」
褒めてもらっている気もするのに、何故あんなに切なそうに見えたのだろうか。
赤い顔で眠るギャリーの横で、セリカも負けず劣らずの赤い頬に手を添え立ち尽くしてしまった。
タグ
コメントをかく