薄明のカンテ - supuya――マルムフェ兄妹の場合/べにざくろ


 8月18日 カヌル火山群山中

 猟犬に追われる獲物の野生動物の気持ちを今の自分なら正確に伝えることが出来るだろう。そんな事を思いつつ、アルヴィは山道を走って下りながら酸欠になりそうな頭を叱咤して生き残るためのルートを模索する。
 7月17日のミクリカの惨劇以降起きるようになった機械人形マス・サーキュの暴走的な殺戮。しかし、アルヴィは運の良いことにキキトの研究所に缶詰状態の生活を続けていたせいもあり、其れを目撃することも無く平和に生きてこれていた。だからこそ、慢心があったのだ。自分だけは大丈夫なのだと正常性バイアスが掛かってしまっていた。
 それ故にカヌル火山の山頂付近に設置されている火山無人観測所の無事を独りで確かめに行ってしまった。はたして観測所は無事だった。そこに窓ガラスを割って侵入したと思しき目を真っ赤に光らせた機械人形マス・サーキュがいた以外は。
 暴走しようが機械人形マス・サーキュ機械人形マス・サーキュ。やはり活動に電力が必須なのは変わらなかったらしい。人里から離れ、無人で電気の通った観測所は機械人形マス・サーキュ達の充電場所と化していた。一瞬だけ電気代が不安になったものの、それを払うのはアルヴィ個人ではないので直ぐに忘れることとした彼は一目散に踵を返して逃げ出した。迂闊なことに此処まで登ってきた電動バイクではなく自分の足で走り出す程には彼は焦っていた。
 走りながら過去を振返り現実逃避していたアルヴィの耳に、近くの茂みの揺れる音が届く。それはきっと、充電していた機械人形マス・サーキュがアルヴィを追ってきている死の音だ。
 人間は疲労するが機械人形マス・サーキュは疲労しない。
 追い付かれるのは時間の問題だろう。
「 あっ!? 」
 疲労感を蓄積してきた足が、持ち上がった木の根を乗り越えられず転倒する。早く起き上がらないと、そう思いながら上半身を起こすと直ぐ後ろに機械人形マス・サーキュが目に赤い光を湛えて立っていた。
 それは機械人形マス・サーキュらしい整った顔立ちに一欠片の表情も見せることなくアルヴィに手を振り上げる。
 相手が人間ならば叩かれて痛いな、で終了だが機械人形マス・サーキュではそうはいかない。あの手に自分は引き裂かれて死ぬのだ。せめて苦しまず即死でありますように、とアルヴィは愛する山神に生への救いではなく死への道程を祈った。
 その瞬間、祈る為ではなく恐怖から思わず目を瞑ったアルヴィの耳に聞こえたのは己の肉を裂く生々しい音ではなく、重い金属的な衝撃音だった。
 全く予想もしなかった音に驚いて目を開けば、そこには額に穴を開け、細く白い煙を出しながら動きを止めた機械人形マス・サーキュが立っていてアルヴィは更に目を見開く。
「 ひいっ……!? 」
 更に機械人形マス・サーキュの頭に同方向から何発もの銃弾が撃ち込まれ、衝撃で既に活動を停止していた機械人形マス・サーキュが崩れ落ちる。倒れた其れは血液が流れないことと煙を出していることを除けば人間の死体に酷似していて、アルヴィは胃から込み上げてきそうになるものがあるが無理矢理飲み込んで耐えた。
「 活動停止してるよね…… 」
 誰に言う訳でもなく呟きながら、頭部の破損した部分だけに視線を向ける。銃痕で誰の撃ったものかを判断することはアルヴィには出来ないが、その命中精度の高さで検討はついていた。
 ウルリッカ・マルムフェ。アルヴィの年の離れた妹である。
 才覚の無かったアルヴィと違い、彼女の銃の腕は山神を信奉する集落コタンの中でも群を抜いて高い。鮮やかな赤い髪を持つ為に山神に愛される『 山神の寵児 』と呼ばれるアルヴィだが、銃の腕を見ればウルリッカこそが『 山神の寵児 』といわれても何らおかしくはない存在だ。
「 ……この機械人形マス・サーキュどうしようか 」
 おそらくウルリッカが倒してくれたであろう機械人形マス・サーキュを山に置いたままにしても機械は土には還らない。愛するカヌル山に廃棄物を放置する訳にもいかないが、活動停止している機械人形マス・サーキュは重くてとても運べる代物ではなかった。山頂まで乗り捨ててきたバイクを取りに帰ってそれに載せて運ぶという選択肢もあるが、観測所にいた機械人形マス・サーキュは一体ではない。他の機械人形マス・サーキュが現れても厄介だと考えたアルヴィの耳が再び茂みの揺れる音を拾った。それは間違いなく風などではない。小枝が何かに踏まれて軽い乾いた音をたてる。
 機械人形マス・サーキュか。野生の獣か。
 どちらにしても事態が好転することのないものだ。走り出さなければ、逃げ出さねばと思うのに恐怖に足が震えて動けない。
 アルヴィの絶望を煽るように、茂みが殊更大きく揺れる。
「 ひいいっ!! 」
 恐怖に耐え切れなくなって、アルヴィの口から遂に喉から情けない叫び声が出た。
「 うるさい 」
 その叫びを断ち切ったのは静かな声と迷惑そうに眉を顰めたウルリッカの姿だった。手には愛用している銃を、背中にも別の銃を背負っている。
「 ウル…… 」
 現れたのが機械人形マス・サーキュでも野生の獣でもなく妹であったことにアルヴィは心底安堵した。ありがとう山神様、僕を生かしてくれて、と心で山神に祈りを捧げる。
「 この機械人形マス・サーキュはウルが倒したのか? 」
「 うん 」
 やはり自分の想像は当たっていたらしい。
 調子に乗って、もう一つ聞いてみる。
「 お兄ちゃんを助けるために? 」
「 ううん。機械人形マス・サーキュ集落コタンに来たら危ないから 」
「 分かってはいたけどそこは『 うん 』って言っておいて欲しかったなー…… 」
「 言わない 」
 茶化すように言ってもウルリッカは冷たく切り捨てるのでアルヴィはこれ以上、この話題を続けることを諦めた。幼い頃のウルリッカは素直で「 お兄ちゃんの髪の毛きれーっ! 」とキラキラした目で自分を見ていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。
 肩を落とすアルヴィにウルリッカが珍しく口を開いた。
「 これ、どこから来たの? 」
「 上の火山観測所だよ。奴等が何処で充電しているか疑問だったけど謎が解けたね 」
「 観測所…… 」
 ウルリッカの射るような目がカヌル山の頂上方向へと見据えられる。カヌル山はアルヴィやウルリッカのような山の民にとって神聖な地だ。その地に殺戮人形がいることは許されることではない。
 集落からカヌル山を山沿いに西へ進めばケンズがある。そのケンズでは1ヶ月程前にミクリカの惨劇と同じように機械人形マス・サーキュによる惨劇があった。仮定の話になるが、その時の機械人形マス・サーキュが観測所を住処にしているのかもしれない。
 そして自分を追ってきた機械人形マス・サーキュも、既に人殺しをした後の機械人形マス・サーキュだったのかもしれない。そんなことを思い、地面に転がっている機械人形マス・サーキュが人を殺す場面を想像して身震いする。そんなアルヴィをウルリッカは冷めた目で―――見つめていなかった。ただ、森の奥を静かに睨んでいる。
「 アル兄 」
 ウルリッカは背負っていた小銃を顔を見ずにアルヴィに投げる。どうにかそれをアルヴィが受け取るのを音で判断すると、弾も纏めて投げて寄越す。その銃を見たアルヴィは目を丸くする。それは自分が使っていた猟銃だった。何年も使っていないはずなのに手入れが良くされている。
「 僕には無理だよ!! 」
 アルヴィが器用に小声で叫ぶと、身体半分以上ある大きさの銃を構えていたウルリッカが彼を一瞥した。何も言わなくても目が雄弁に語っている。「 グダグダ言わず、さっさと構えろ 」と。
 懐かしい猟銃の感触に緊張しながらもアルヴィはウルリッカと同じ方向へ銃を向けた。アルヴィには何も変わらない森が広がっているようにしか見えないが、目の良いウルリッカの纏う空気が変わったので、おそらくは何かが向かってきているのだろう。
 狙いを定めたウルリッカが引き金を引く。その直後といっても良い時間に、ウルリッカは彼女らしくもない舌打ちをした。
「 アルにい!! 」
 ウルリッカが自分の名前を呼んでくれたなんて頭がお花畑の思考は許されない状況で、ウルリッカがアルヴィの名前を呼ぶ。
 アルヴィには森の先の何かは未だに見えない。しかし、見えないからこそ素直にウルリッカが狙っていた方向と同じ場所らしき方向に向かって引き金を引いた。久しぶりに撃って感じた振動でアルヴィは足腰の力が入らず足元が覚束無くなる。
「 来る 」
「 え!? 」
 ウルリッカの声に慌てて体勢を直すが、その時には二体の機械人形マス・サーキュがアルヴィにも視認出来る距離まで迫っていた。一体の首にウルリッカの弾が当たって仰け反って倒れる。しかし、もう一体は伏せ撃ちのウルリッカから狙うには角度が悪く、狙いを定める前に機械人形マス・サーキュの手が彼女に伸びる方が早いだろう。
 気が動転しながらもアルヴィは引き金を引く。狙いを全くつけていないそれは機械人形マス・サーキュの頬を掠めて人工皮膚を切り裂く程度の成果しか見せなかった。人間ならば怯むかもしれないが生憎痛覚を持ち合わせない機械人形マス・サーキュは構わずウルリッカへと迫った。
「 ウル!! 」
 アルヴィの悲鳴じみた声にもウルリッカは動じなかった。迫り来る機械人形マス・サーキュへ愛銃の先に取り付けたスパイク型の銃剣バヨネットを突き出す。ウルリッカの小さな身長で突き出した銃剣は機械人形マス・サーキュの下から顎を貫通したが致命傷にはならない。しかし、そこでウルリッカは躊躇わず引き金を引いた。跳弾を恐れない無謀な行動にアルヴィの声にならない悲鳴が上がる。
 ウルリッカが銃剣を引き抜けば機械人形マス・サーキュは地面に仰向けに転がった。機能停止まで至らなかった機械人形マス・サーキュは虚空を掴もうとするかの如く手を藻掻く。
「 アル兄 」
「 え、あ、うん 」
 ウルリッカに巨大な銃を手渡され、代わりに小銃を手渡した。小銃を手にしたウルリッカは倒れた機械人形マス・サーキュの胸を踏みつけ、銃口を顔へと向ける。
「 ……て 」
 それは機械人形マス・サーキュの声だった。機械汚染マス・ズキサされた機械人形マス・サーキュは無感情に殺戮を繰り返すだけだと思っていたアルヴィは予想外の展開に目を見開く。ウルリッカの表情は変わらないが、彼女も驚いていることを家族のアルヴィは空気感で察知していた。
「 助けて……殺さないで 」
 懇願するような声を発して命乞いをする機械人形マス・サーキュは先程までの無表情が嘘のように泣きそうな顔をしていて、まるで人間のようだった。もしかしたらウルリッカが撃った弾で汚染された回路が絶たれたのかもしれない、なんて楽観的なことをアルヴィは考える。
「 ウル、た…… 」
 助けてあげようよ、と言うアルヴィの声は銃声に掻き消された。
「 え、あれ? う、ウル? 」
 躊躇うことなく引き金を引いて機械人形マス・サーキュを破壊したウルリッカは状況に相応しくない程、可愛らしく小首を傾げる。
「 人に牙を剥いた獣は駆除しないと駄目 」
「 獣って…… 」
 唖然とするアルヴィを後目にウルリッカはアルヴィの手から愛銃を奪い取り、代わりに彼の猟銃を返却する。何か言いたそうな兄を睨むように見つめる。
「 何か違うの? 」
「 だって……命乞いしてたし、人間にそっくりだったし…… 」
「 でも、人間とは違う。機械は機械 」
 ウルリッカとアルヴィの同色の目が合う。
らなきゃられる。アル兄は死にたかった? 」
 問われてアルヴィは慌てて「 否 」の意を示す為に首を横に振った。
 死んでも良ければ火山観測所で機械人形マス・サーキュに出会った時に逃走しないで大人しく殺されていた。死にたい人間なんていない。

―――僕を追ってきた機機械人形マス・サーキュも既に人殺しをした後の機械人形マス・サーキュだったのかも……。

 先程思ったことが再び脳裏を過ぎる。そして、つい数十分程前は恐れていた機械人形マス・サーキュが命乞いをしたからといって簡単に絆されてしまった自分を恥じた。
「 ごめん、ウル 」
 ウルリッカは何も答えなかった。
 アルヴィもそれ以上何も言う事が出来ず沈黙が辺りを包む。
 8月18日。
 それは兄妹の溝がより一層深まる、そんな重たい一日となった。

 8月30日 キキトの研究所

 ふと、論文を端末に打ち込んでいた手を止める。
 ギロクという人物によって起こされた機械人形マス・サーキュの暴走によってフィールドワークもままならない昨今、火山研究の発展は数年遅れることになるだろう。其れは歯痒い事だがアルヴィにはどうすることも出来ず、自分の研究成果をまとめることだけが彼に出来る精一杯の作業だった。
 研究が遅れるのは、何処の研究も一緒か。
 論文の区切りがついたアルヴィは溜息をつく。研究を生業とする身とすれば、今現在の状況は決して歓迎できるものではなかった。このままの状態が続けば研究資金の提供も減り、研究規模の縮小も有り得る。そうなればアルヴィは33歳にして無職だ。
「 ん? 」
 引っ掛かりを感じて日付を確認する。
 今日は8月30日――アルヴィ・マルムフェ、34回目の誕生日だった。どうやら気付かぬうちに、また一つ歳をとってしまったようだ。
 34歳、無職。嫁どころか彼女すら無し。
 結構ヤバい男じゃないのか、それは。
 苦い物を噛み潰したような顔をしてアルヴィは頭を抱える。頭を抱えた際に触れた自分の真っ赤な髪は、まともに手入れをしないせいでボサボサと伸びて手触りが悪く、余計に不快な思いをする羽目になった。
 だめだ。もう、疲れたから帰ろう。
 午後10時を過ぎた研究室には誰もいなかった。論文に集中しすぎて気付かなかったが、いつの間にか他の研究員達は帰宅してしまったようだ。
 端末の電源を落とし、机の上に広げた資料を明日、再び資料を広げるところから始めるのは手間なので必要最低限だけ片付ける。そして帰ろうと鞄と銃袋を手に取った。
 「 銃袋 」である。先日、カヌル山山頂の火山無人観測所の無事を確かめに行ったアルヴィは機械人形マス・サーキュと交戦することになった。その際に妹のウルリッカから渡された猟銃が今現在、アルヴィの手元の銃袋の中で眠っている。
『 兄さんの銃だから、いつでも使えるようにウルがずっと手入れしてたんだよ 』
 機械人形マス・サーキュとの交戦後、ウルリッカと共に集落コタンへ戻ったアルヴィに全然使用していなかったはずの猟銃が使えた理由をこっそり教えてくれたのは弟のイェレニアスだった。
 妹が自分のために手入れをしてくれていた銃をそのまま実家に置いてくる訳にはいかない。それに自衛のためにも銃は欲しかった。
「 もしもの時、使えるかな…… 」
 獣と違って血液が出ない機械人形マス・サーキュならば撃てるだろうか。

――助けて……殺さないで。

 機械人形マス・サーキュの命乞いが甦って8月だというのに寒気を感じ、アルヴィは鳥肌のたった腕を擦りながら廊下を歩いた。
 やはり無理だ。自分には生命を奪う勇気は無い。
 だからこそ猟師になれず、長男であるのに家を継ぐ事を放棄したのだから。
 入口の守衛に鍵を返却して帰路につく。たびたび最後に研究室を出ることの多いアルヴィは守衛と顔を合わせて会話をしなければならなかったが、それが嫌でたまらなかった。本人は隠しているつもりなのだろうが、守衛の目には常にアルヴィへの嘲りの色が浮かんでいたからだ。
 それは赤毛への軽蔑。
 集落コタンでは『 山神の寵児 』として大事にされる赤い髪も外の世界では軽蔑の対象だ。高校進学のために山を下りる時、大人達から口が酸っぱくなる程言い聞かされたが現実は想像以上に厳しい世界だった。「 ニンジン頭 」だとか「 怒りん坊のシルシ 」だとか呼ばれ、虐められる。大人になった今でも守衛を始め、たびたび馬鹿にしたような視線を向けられることもあった。まったくもって、くだらない。
 不快なことを思い出して彼にしては珍しいことにイライラとしながら、帰路を歩いていると滅多に鳴らない携帯型端末が着信を告げる。画面を見ると、着信の相手は弟のイェレニアスだった。
「 もしもし? 」
 まさか誕生日を祝う電話だったりして。
 さすがに34歳にもなって弟に誕生日祝われたら嫌だなぁ。
 そんなことを思いながら電話に出たアルヴィは、鬼気迫る弟の声で一気に血の気が引くことになる。
『 兄さん!! ウルが怪我をした!! 』

 8月31日 マルムフェ家

 ウルリッカはベッドに入っていた身体を半分起こし、腑に落ちない顔で彼等を見つめていた。
「 何でいるの? 」
「 な、何でってウルちゃんが怪我をしたってイェレが電話くれたからだよ! 」
「 兄さん、声が大きい 」
「 あ、ご、ごめん…… 」
 深夜。アルヴィは集落コタンの実家に出戻っていた。
 幸いにもウルリッカの怪我は血管が集中している頭皮――額を切ったことによる出血量の多さによって大怪我に見えただけだった。とはいえ、大量の血液を失ったことには間違いなく、彼女は大人しくベッドに寝かされている。
「 イェレ兄。何で呼んだの 」
「 ん? だってウルは明日からまた山狩りに出るつもりだろ? それを止められるのは兄さんくらいじゃないか 」
 朗らかに笑う次兄を図星だったウルリッカは睨み付ける。しかし、可愛い年の離れた妹に睨まれたところでイェレニアスは動揺一つせず微笑み続けるだけだ。
 汚染された機械人形マス・サーキュを、たびたび集落コタン周辺で見掛けることもありウルリッカは率先して機械人形マス・サーキュを狩っていた。人型のそれを壊すことに躊躇いが無い訳ではないが、人に牙を向けてくる限り処分する他ないだろう。
「 アル兄帰って 」
「 え!? ウルは兄さんが深夜の山道走って機械人形マス・サーキュに襲われてもいいの? 」
「 ……良くない 」
「 それならせめて結論は朝出そうよ。今日は遅いから寝よう? 」
「 ……うん 」
 イェレニアスに額の傷を気遣って後頭部の方を撫でられたのでウルリッカは頷くと大人しく横になることにする。アルヴィも撫でたそうに手が動いていたが言い出さない察して君な兄なんて無視だ。
「 おやすみ、ウル 」
「 おやすみ 」
 兄二人に挨拶をしてウルリッカは目を閉じる。瞼越しにも電気が消されて闇が部屋を包んだのが分かった。
 アルヴィは馬鹿だ。妹が怪我をしたと聞いたからってキキトから集落コタンまで夜道をバイクで走ってくるなんて無謀もいいところだ。良く無傷で辿り着いたものだと思う。
「 ん? 」
 パチリと目を開く。
 此処まで無傷で来れたアルヴィなら、別に今追い出したって無事に帰れたのではないだろうか。うっかりイェレニアスに言いくるめられてしまったという事実に気付くが、もう遅い。
「 ま、良いか 」
 久し振りにお兄ちゃんが帰ってきてくれた訳だし。
 しかも、自分を心配して。
 アルヴィ本人には決して見せない締りのない微笑みを布団の中で浮かべると、ウルリッカは今度こそ目を閉じて夢の世界へと旅立って行った。

 * * *

 目が覚める。ウルリッカは勝手に決まった時間に目が覚める体質なので時計を確認しなくても今は朝の5時だ。ベッドの中で軽く身体を動かしてみるが、どこにも痛いところは無い。
 身体は大丈夫そう。
 素人判断したウルリッカはそう思ってベッドから起き上がる。
 ブーツを履こうと足を突っ込んだところで、タイミング良くドアが叩かれた。こんな早朝からドアを叩いてくるなんて、寝ていたらどうするつもりなんだろう。しかし、ドアを叩く音は部屋にいるウルリッカが起きていることを確信したかのような強いノックで、家族ならば起きていることを知っていてもおかしくはないかと思い直す。
「 ウル。僕だけど…… 」
 ノックに反して弱々しいアルヴィの声がドアの向こうから聞こえた。
「 何? 」
「 開けていいかな? 」
「 ……うん 」
 駄目と言ったところで案外頑固者のアルヴィは「 でも…… 」「 だけど…… 」などと言ってドアの前から動かないだろう。だから、そんな無駄な時間を使うくらいならさっさと招き入れてしまった方が早い。
 部屋に入ってきたアルヴィはオドオドとしながらウルリッカに近付いてきた。ベッドに座ってウルリッカはそれを見つめる。
「 怪我はもう……大丈夫そうだね。本当なら精密検査するべきなんだろうけど、わざわざその為にに行くのは嫌だろう? 」
 殊更、アルヴィはを強調して言う。この場合の外は、単なる家の外ではなく集落コタンの外の街へ行くことを指していた。
 ウルリッカは集落コタンの外にあまり出たことがない。集落コタンにいて足りない物はないし、生活に困ることも無い。それに外では価値観が違うらしく『 山神の寵児 』である赤い髪を蔑む傾向があるらしいと、外から集落コタンへと引っ越してきた夫婦から聞いて憤慨したこともある。夫婦は夫が赤い髪をしており、妻は妊娠中だった。「 ここで暮らせば夫も……産まれてくる子供が赤毛でも虐められないで済むから 」と夫婦は微笑んでいたけれど、全く馬鹿馬鹿しいことではないだろうか。
 馬鹿といえば兄も馬鹿だ。赤毛は外の世界で苛められるという話を知っていたのに、高校に通いたいという理由で外の世界に行ってしまった。通信制高校を利用するという手があったのにも関わらず、それでは学んでいる知識が足りないとか何とか言ってウルリッカや家族を置いて集落コタンを出ていってしまったのだ。当時のウルリッカはまだ4歳。大好きだったお兄ちゃんに捨てられたという気持ちになったことは忘れられないし、永遠に忘れる気もない。
には行かない 」
「 それなら暫く安静にして狩りには出ないように。後から異常が出た時に山中で独りだったら危険だからね 」
 そう言われてピンと来る。つまり“ 独り ”じゃ無ければいいわけだ。
 目の前には丁度いい男がいるじゃないか。
「 アル兄が一緒なら良いよね 」
「 え? いや、僕は無理だよ……デスクワークで身体が鈍っているのは、こないだ分かっただろ? 」
 こないだ――18日の戦闘を思い出してアルヴィは首を横に振る。しかし、久し振りであれだけ動ければ十分だとウルリッカは思っていた。アルヴィは己の腕を過小評価し過ぎなのだ。マルムフェ家の中では確かに腕が悪い方ではあるが、一般的に見れば普通の猟師レベルは十分にある。
「 だめ? 」
 アルヴィを見上げてお願いをする。ウルリッカ本人は普通にお願いしているだけだが、身長が小さくしかも座っている為に立っているアルヴィからすると上目遣いで可愛くおねだりしているようにしか見えない。
「 だ、だめじゃない 」
 そんな可愛い妹に、あっさりと陥落されるチョロい男、アルヴィ。当然の事ながら機械人形マス・サーキュと戦うことは怖いが、その恐怖を妹だけに味あわせてしまった負い目も無い訳ではない。
 しかし、チョロい男だって言わなきゃいけないことは、ちゃんと言っておかなければならないと己に言い聞かせたアルヴィはウルリッカを真面目に見つめる。
「 でも、ウルが身体に異変を感じたら直ぐに帰ることにする。それだけは絶対に約束して。大丈夫とかそういう考えは無しだからね 」
「 分かった 」
 他人から見れば本当に分かっているのか疑わしい程の無表情でウルリッカが頷くが、家族であるアルヴィには真面目に頷いてくれていることがちゃんと分かっていると理解出来ていた。
 アルヴィはそれを聞くと「 朝食を持ってくるよ 」と柔らかく微笑んで部屋を出ていこうとする。その背中にウルリッカは声をかけた。
「 アル兄 」
「 ん? 何? 」
「 昨日、誕生日おめでとう 」
 それを聞いたアルヴィは喜びのあまり気絶した。

 9月07日 カヌル火山群山中

 それから一週間。ウルリッカとアルヴィは今日もカヌル火山山中を歩いていた。
 アルヴィの仕事に関しては有給休暇を一切取っていなかったことと、この時世を鑑みて簡単に休暇を得ることが出来た。嬉しいような、悲しいような。
「 ねぇ、ウルちゃん 」
 自分の猟銃を背負って歩いていたアルヴィは少し前を歩く妹に恐る恐る話しかけた。立ち止まって振り返ったウルリッカがアルヴィを見る。
「 何? 」
「 いつもの銃……エルドはどうしたの? 」
 ウルリッカといえば身長の半分以上の大きさの銃を操り、遠距離からの射撃を得意とする狙撃手スナイパーであるはずだが、この一週間ウルリッカが背負っているのはそれよりも小さな銃であった。全長は1メートル無い其れは猟銃というよりも完全な戦闘用にも見えなくはない。
「 エルドちゃんはお休み。フュールちゃんが届いたから使うの 」
「 届いた……? 」
「 爺様が買ってくれたの 」
 爺様――ウルリッカとアルヴィの祖父は若い頃に大陸で傭兵業に勤しみ外貨を稼いだついでに嫁まで連れて帰ってきたという経歴の持ち主である。現役を退いてなお人脈が生きているしく、銃火器に関してはどういうルートだか気軽に手に入れてくるという恐ろしい人物だ。
 余談だが今では白髪になって見る影もないが、祖父も赤毛であった。その為にに出たアルヴィにも、俺のように嫁を捕まえて来いと煩いためにアルヴィはそれとなくこの爺を避けて生きている。
「 この子はね、従来は金属製だった部分に強化プラスチックを使うことで軽量化に成功しててね…… 」
 淡々と、しかし珍しく長々とその銃の良いところを語り続けるウルリッカに、アルヴィは本当は何を言っているのか良く分からないが彼女が不快に思わないように気をつけて相槌をうち続けた。ウルリッカが自分に話しかけてくれているという事実だけがアルヴィにとっては大事なことで、内容は二の次だ。
 散々話尽くした後にウルリッカはようやくアルヴィに向かって延々と話してしまったという事実に気付いて口を噤むがもう遅い。
 急にウルリッカが口を噤んでしまったために、何となく気まずい空気が流れる。何か新しい会話の糸口はないかと、アルヴィは視線を周囲へと巡らせた。
「 あ、茸だ。食べられるかな? 」
「 知らない。茸は難しいから採らない 」
「 そうだよね。それが一番だよね 」
 会話終了。
 ウルリッカの言う通り、茸は食べられるのか毒茸なのか見分けが付きにくい食べ物なので素人は手を出さないのが一番だ。採るなら集落コタンの茸採り名人と来るべきだろう。
 他に何かないかなと、アルヴィは脳内の記憶を色々と呼び覚ます。もしこんな時に機械人形マス・サーキュに遭遇したら、会話の糸口を探すのに夢中になっていて反応が遅れてしまいそうだ。機械人形マス・サーキュ。そうだ。
「 マルフィ結社って知ってる? 」
「 知らない 」
「 キキトで密かに噂になっててね……何でも機械人形マス・サーキュとの共生を目指す結社らしいよ。機械汚染マス・ズキサされた機械人形マス・サーキュから人々を守ってて最近は実績もあるんだって 」
「 すごいね、それ 」
「 軍警とは全くの別の民間組織だから誰でも受け入れてくれるとか 」
 言いながらもアルヴィはウルリッカが食いついてくる話ではなかったなぁと猛省する。マルムフェの家には機械人形マス・サーキュはいないし、他の集落コタンの家にもあまり数はおらず、機械人形マス・サーキュは遠い存在だ。そんな機械人形マス・サーキュとの共生を訴える組織の話なんてしたところでウルリッカには何も響かないだろう。
「 そこ行けば機械人形マス・サーキュ全部倒せる? 」
「 た、倒せるかもね 」
 思ったより食いついてきた妹に驚きつつ答える。
「 ふーん。倒せるのか…… 」
「 ウルは機械人形マス・サーキュを倒したいの? 」
「 早く今までに戻って欲しいから 」
 君がやらなくても誰かがやってくれるから大丈夫だよ。
 そう言いたくなったが、言葉を飲み込む。それは今の集落コタンを守るために働いてくれているウルリッカに対しても失礼な言葉になると判断したからだ。
「 どうやったら入れるの? 」
「 そこからは噂の範囲を出なくて分からないんだよ。『 早朝のどこかの通りで猫の鳴き真似を3回すると案内人と会える 』とか『 どこかの定食屋でステーキ定食を頼んで焼き方を聞かれたら「 弱火でじっくり 」と言う 』とか 」
 アルヴィ自身が別に入社する意思がないために情報を調べていないということもあって入社するための方法は噂話の域を出なかった。
「 猫……ステーキ…… 」
「 あくまでも噂だからね、う、わ、さ! 」
 何をしでかすか分からないウルリッカのことだから、その辺の猫を捕まえてステーキにした挙句に街中のどこかの通りで弱火で焼きかねない。猫を食べることに嫌悪感を示す人も多い昨今、それは止めて欲しい。
「 分かってる 」
「 あ、ウルちゃんが目をそらす時は嘘ついてる時だよ 」
「 猫ステーキはやらない 」
 やるつもりだったんかい。
 アルヴィは思わずツッコミたくなる気持ちを抑えた。
「 アル兄 」
 その時、ウルリッカがアルヴィを呼んだ。それが、ふざけた空気を一変させるような真剣な声音だったのでアルヴィも気を引き締める。
機械人形マス・サーキュ? 」
「 多分、一体 」
 ウルリッカが銃を構える。アルヴィには鬱蒼と木々が広がるようにしか見えない場所でも彼女には何かが見えているのだ。
 何が起きるか分からないためアルヴィも反応出来るように肩にかけた背負い紐スリングを降ろして猟銃をいつでも撃てるように、反応できるようにしておく。
 何だか胸騒ぎがする。森は静かなのに、木々や、大地や、頬を撫でる微かな風までもがアルヴィ達に警鐘を鳴らしているかのようだった。
 山神が危険を知らせている。
 アルヴィの第六感が告げた瞬間と、ウルリッカが発砲するのは同時だった。一発の銃声。それだけが、此処に響くべき音だった。
「 ウル!! 」
 ウルリッカへ茂みに潜んでいたと思わしき機械人形マス・サーキュが飛びかかっていく。咄嗟的にアルヴィは猟銃を殴打する武器の如く振りかぶり銃身で、その薄緑色の髪を持つ頭を殴りつけた。その程度の力では機械人形マス・サーキュを破壊することは出来ないが、注意をウルリッカから逸らすことには成功する。
 頑丈な機械人形マス・サーキュを叩いたために猟銃の銃身は反ってしまい、もはや発砲は出来ない。自分へと掴みかかってきた機械人形マス・サーキュの顔面を銃床で殴りつけるが、機械人形マス・サーキュは表情も変わらずアルヴィの両肩を掴んでくる。機械人形マス・サーキュは子供の型をしていたが、力は大人の男以上にある。痛みに顔を顰めたアルヴィが力負けして後ろへと押されていく。
「 だめ!! お兄ちゃん!! 」
 ウルリッカが叫んだ。その声に機械人形マス・サーキュが可愛げもなく裂けたように笑うのを見た。後ろには何がある? 押されながらアルヴィはここ一週間ですっかり覚え直した地理を脳裏に描き出す。
 背後から風が背中を押した。こちらには来ては行けないという山神の手のように。
 そうだ。後ろは崖だ。機械人形マス・サーキュはアルヴィを崖から突き落とそうというのだろう。しかし、アルヴィに一人で落ちる気はない・・・・・・・・・・
 倒木に足をとられ、転倒する。途端に感じる浮遊感と共に、アルヴィは手を離そうとした機械人形マス・サーキュの肩を渾身の力で逆に掴んだ。絶対に離してなんかやるものか。
 落ちる瞬間、それは一瞬の時間の筈であるのにアルヴィには顔を真っ青にしてこちらへと駆けてくる妹の姿がしっかりと見えて、思わず微笑んだ。
 最期に妹の顔が見られるなんて良かったな、と――。

 X月XX日 マルムフェ家

 最期の別れは憎らしいくらいに綺麗な青空の下だった。
 真新しいプンカウの木で作られた墓標を沈痛な面持ちで家族が見つめている。それをずっと見つめているのが辛くなってイェレニアスは、そっと家族の列から離れた。
 後の家長となる者が離れても家族は誰も文句の声は上げない。イェレニアスの向かう先を誰もが分かっているからだ。
 それは葬儀の場所から少し離れた木陰に座り込んで膝を抱えたまま動かない妹の所だ。
 ウルリッカは虚ろな目で地面を見つめたままだったが、イェレニアスが静かに隣に腰を下ろすと、ここ数日泣き叫んだせいで少し枯れてしまった声でぽつりと尋ねた。
「 終わったの? 」
「 うん。きっと、無事に山神様の所に行けたと思うよ……良かったのかい? 顔を見てやらなくて 」
「 だって…… 」
 私のせいだから。
 小さく小さく呟いたウルリッカの声に、イェレニアスは涙が零れそうになるのを唇を噛んで耐える。
 兄さん。大好きな妹にこんな顔させないでくれよ。
「 ねえ、ウル。兄さんは、ウルがこんなに気に病むことは望んでないと思うな 」
「 無理。アル兄が死んだのは私のせい 」
「 違うよ! 」
 普段温厚なイェレニアスの大声に、驚いたウルリッカが肩を震わせる。
 顔を上げたウルリッカの兄妹三人お揃いの真っ黒な目を見つめて、イェレニアスは妹に言い聞かせた。
「 死んだ人間は山神様の御許に行って帰らない。ウルが出来るのは兄さんの分までしっかり生きていくことでしょ? 」
「 私が山狩りに連れていかなければ、お兄ちゃんは…… 」
「 兄さんはウルを守れて本望だったと思うよ 」
 イェレニアスの言葉にウルリッカは崖から落ちる瞬間のアルヴィを思い出す。あの瞬間、ウルリッカを見て微笑んでいた兄の姿を。
「 お兄ちゃん……ごめんなさい…… 」
「 今は泣いて涙と一緒に全部流しちゃいなよ。僕が傍にいるから 」
「 イェレ兄……お兄ちゃん! 」
 イェレニアスの言葉に堰を切ったように声を上げて泣きだしたウルリッカが縋り付くように彼に抱きつく。
 可愛い妹の背を撫でてやりながら、イェレニアスは心の中で呟いた。

――兄さん。あとは僕に任せて、ゆっくりと休んでください。

 柔らかく風が頬を撫でていく。それはアルヴィが「 後は任せたよ 」とでも言っているような柔らかな風で、イェレニアスは妹を守ることを固く固く誓ったのだった。

 * * *

 アルヴィが目を覚ますと、最初に目に入ったのは黒みがかった赤褐色の髪をした女性だった。
「 アルヴィ!? 」
 彼女は――母は、アルヴィの目が開いたことに気付いて声を上げる。
「 此処は……? 」
集落コタンの病院よ。良かった……目を覚まして…… 」
 母に言われてゆっくり左右を見ると、暖かな日の光が照らす室内にはベッドが並んでいた。今は他に使用されている形跡はなく、部屋にいるのは母と自分だけのようだった。
 そのベッドの一つに横たわりながら、アルヴィは痛む頭を押さえて呻いた。その頭には包帯が巻かれている感触がある。
「 凄く変な夢を見たよ…… 」
「 まぁ、どんな? 」
「 僕の葬儀中にイェレがウルを守るって固く誓う夢 」
「 正夢にならなくて良かったわね 」
 あはは、と豪快に笑う母を横目で睨むと、全く反省の色のない顔で「 ごめんねぇ 」と言われるが全く良くない。おかげ様で寝起きは最悪だ。
「 ねぇ、母さん。どうして僕はここに居るの…… 」
「 怪我をしたから入院してるのよ? 」
「 そうじゃなくて。何で僕は生きているの? 」
「 んー……母さんは実際に見た訳じゃないのだけど。崖下に木が生えててそれがクッション代わりになってたのと、機械人形マス・サーキュが下になったおかげらしいわよ……やっぱり貴方は山神様の加護があるのねぇ 」
 しみじみと母がアルヴィを見て呟く。
「 それで、ウルは? 今どこにいるの? 」
 自分が発見されたということはウルリッカが誰かに助けを求めに行った結果ということだろう。ウルリッカは無事だったのだろうか。
「 ウルはね…… 」
 母の顔が曇った。まさか、彼女の身に何かあったのだろうか。
 逡巡するような様子を見せた母にアルヴィが早く言うように催促すると、母はようやくポツリと呟いた。
「 もう、いないのよ 」
 その瞬間、アルヴィは室内の温度を少しも身体に感じなくなった。
 まさか。まさか。
「 あの子があんなことするとは誰も思わなくてね……止めるひまもなかったわ 」
「 そんな…… 」
 思っていたより硬い声が出た。ウルリッカを守る為に動いたというのに、それが彼女の重荷になってしまっていたとしたら。
 失意の念に押し潰されそうになったアルヴィの表情に気付いた母が慌てた様子で口を開く。
「 やだ。ちょっと勘違いしてる? 今にも首括って自殺しそうな顔しないでよ。元気だして 」
「 勘違い? 」
「 ウルはに行ったのよ…… 」
 そこで母は先を言うのが辛いとばかりに再び言葉を切った。勘違いを正さなければならないアルヴィは据わった眼で母を睨みつけて先を促す。
「 山神様がね、マルフィ結社?に入れって言ってるんだとか言って……盗んだバイクで走り出してっちゃったのよ 」
 盗んだバイク。間違いなく、それはアルヴィが愛用していてキキトから集落コタンまで走ってきた電動のオフロードバイクのことだろう。
「 嘘でしょ…… 」
 ウルリッカがに行ったこと。
 噂話で話したマルフィ結社を探しに行ってしまったこと。
 バイクを盗まれたこと。
 そのバイクをウルリッカが運転できたということ。
 色々と突っ込みたいところは多いが、とにかくウルリッカを追い掛けることの方が大事だ。
 そう思って起き上がろうとするアルヴィだったが身体の痛みに顔を顰める。
「 あなた、全治三ヶ月なんだから動かない! 」
「 ご、ごめんなさい 」
 母に強く言われると咄嗟的に謝ってしまうのは悲しいかな、息子の性だ。
「 でもウルが…… 」
「 大丈夫よ、ちゃんと連絡来たもの。『 マルフィ結社に来れたからバイクは着払いで送るね 』って 」
「 着払い…… 」
 そんな知識が妹にあったなんて。
 思わずアルヴィは乾いた笑いを浮かべる。
「 アルが目が覚めたってちゃんと連絡しておくわね 」
「 僕が直接言うよ 」
「 何言ってるの。アルはウルの連絡先知らないでしょう? あ、言っておくけど母さん達は教えないからね。男なら女の連絡先くらい自力で掴みなさい 」
 女っていうけど実妹なんだけどなぁ……それに命を賭けて守った兄と連絡とってくれないとか冷たいなぁ……。
 思うところはあるもののウルリッカが無事で良かった。
 アルヴィはその結論に落ち着く。
「 三ヶ月か…… 」
 身体が治ったらマルフィ結社に行こう。機械人形マス・サーキュと戦えといわれたら無理だけど、何らかの自分にも出来ることはあるだろうから。
「 じゃあ、母さんは先生と家族に連絡してくるから。アルは大人しくしているのよ 」
「 うん 」
 病室を出ていく母を見送って、当面の間は療養に全力を尽くそうと誓う。
 それから少し治ってきたらマルフィ結社について真面目に調べていこう。入社するために、どこかの通りで猫の鳴き真似をしたりする必要はないだろうから、正しいルートを探さなくては。
 やることは沢山あるが辛くはない。むしろ、何だか楽しくなってきたアルヴィの顔には笑みが浮かんだのだった。