薄明のカンテ - meilleure amie!/べにざくろ


ウキウキなクロエちゃん

 朝、目覚めるとクロエ・バートンになっていた。
「 あれ? 」
 洗面台の鏡に写ったクロエがミアと一緒に首を傾げる。
 頬っぺたを抓れば夢ではないということを示すように痛いし、やっぱり鏡の中のクロエも頬っぺたを抓っていた。
「 私、クロエちゃんになってる? 」
 ペタペタと両手で顔を触りながらミアは呟く。目の端に入ってきた髪の毛を見れば、ミアの見慣れたビスケットのような平凡な茶色い髪ではなく綺麗な濃い紫だった。間違いない。これはクロエの髪の毛だ。
「 わー、クロエちゃんの髪の毛やっぱりサラサラだー 」
 以前から触ってみたかったがチャンスを失っていたクロエの髪を触って満喫する。あんまりこういうスキンシップを好まなそうに見えるクロエには友人とはいえ軽々しく触れてはいけない気がしていたからだ。でも、今は自分がクロエだ。つまり触り放題だ。
 普段、可愛らしいものを好んでいるミアだがミアの「 かわいい 」のベクトルは通常と違う方向にあるものもあった。それが「 クールで格好良くて可愛い 」というものである。意外にも幼い頃にやっていて夢中で観ていた女児向け変身ヒロイン戦闘美少女アニメでも、ピンクがテーマの可愛いキャラクターよりもブルーやパープルがテーマカラーのクールなキャラクターの方に胸をときめかせていたタイプなのだ。とはいっても色としてはピンクの方が好きだ。故にミアの“ お姉ちゃん ”ことフローレス家の機械人形マス・サーキュのララはミアの趣味を多大に反映して、ピンクの髪でクールな性格だったりもする。
「 えっと……確かクロエちゃんは今日は仕事はお休みっていってたから、会社のことは心配しなくて良いよね 」
 ミアも今日は休日だから、そちらも心配しなくて良い。
 そこまで来てミアの思考はようやく自分の身体の事を思い出した。
 自分がクロエになっているのだから、きっと自分の身体にはクロエが入っているのだろう。
「 クロエちゃんに連絡してみよう 」
 そう思っていつも携帯型端末を置いているベッドを見てもそこに端末は無い。ここはクロエの部屋だ、と思いついたミアは別の場所を探してみるとテーブルの上に携帯型端末はあった。しかし触ってみてガッカリする。当然のことながら端末にはロックがかかっていてクロエの身体とはいえパスワードの分からないミアは解除することができない。困ったことに、どうやら生体認証でのロックの解除は設定していないらしくパスワードは必須だ。
「 んー……困ったなぁ…… 」
 自分の部屋まで行ってみようかと思った瞬間、ミアのお腹が可愛らしい音をたてる。腹が減っては何とやら。まずは朝食にしよう。
 部屋の間取りはミアの部屋と同じであるし、クロエの部屋に来たこともあるミアは勝手知ったるクロエの部屋の冷蔵庫を開ける。すると一人暮らしとは思えない量の牛乳パックが目に飛び込んでくるがクロエの牛乳好きを良く知るミアは特別驚くこともなく、そのうちの一本を手に取る。
 他人の家の食料を勝手に使うことに抵抗が無い訳ではないが、家主のクロエの身体の健康維持のためだからと誰に言うでもない言い訳を浮かべつつ、ミアは牛乳粥を作って口に運んだ。
 食べながら考えることは「 どうしてクロエ・バートンの身体になっているのだろう? 」ではなく「 折角のクロエちゃんの身体だから何を着ようかな? 」である。クロエはミアと違ってスラッと背が高いからミアには似合わない服装が色々と似合う。マルフィ結社で仕事をしている時のクロエは高校のセーラー服を着ているが、クローゼットにはどんな服が入っているのだろう。
「 楽しみだなー 」
 ミアはどこまでも呑気だった。

 * * *

 クロエのクローゼットはミアのクローゼットと違って至ってシンプルだった。パーカーと細身のパンツでクロエの足の長さを強調したようなファッションを選択したミアは次にウキウキと髪型を整えることにする。クロエといえばいつもサラサラストレートな髪を下ろしている姿だが、今日は中身がミアなので当然のように編み込みを始めた。片方の耳を出すように右半分の前髪を巻き込みながら細い三つ編みを三本。いわゆるコーンロウ風の髪型だ。
後ろの髪は緩く巻きたかったがクロエの部屋にはカール用のヘアアイロンがなかったので諦めてポニーテールにする。
「 メイク用品はー…… 」
 普段のクロエの様子から予想はしていたが、メイク用品を探すとファンデーションとアイブロウ、チーク程度しかなかった。折角なのでガッツリとクールなメイクがやりたかったミアとしては残念だが仕方ない。あるものでなるべく格好良く可愛くなるようにメイクを施していく。
( やっぱりクロエちゃん、格好良いな。こういうメイク似合うなんて羨ましいよ )
 メイクが完成したミアは満足だった。携帯型端末が使えさえすれば、おそらくカメラロールを後で見たクロエがウンザリするくらいには自撮りしていただろう。端末が使えなかったことはクロエにとっては幸いなことだ。
 戸締まりをするとウキウキとミアはクロエの部屋を出て行く。向かう先はミア本体?がいるであろうミアの部屋だ。
 歩いてみると身長の差か考えたくはないが足の長さの差か、クロエの身体は軽やかな気がしてミアは自分の身体に戻ったらダイエットと筋トレを頑張ろうと固く誓う。そんなことを思っているうちに、あっという間に自分の部屋の前だ。しかし人の気配がないような気がしてミアは小首を傾げながら、部屋のインターホンを押した。自分の部屋のインターホンを鳴らすなんて変な気分だと思いながら。
「 ん? 」
 部屋から返事はない。
 もう一度、インターホンを押してみる。
 返事がない。ただの留守のようだ。
「 ……あ! 」
 ミアの( 身体的にはクロエの )血の気が引く。今の今まですっかり忘れていたがミアは昨夜ネビロスの部屋にお泊まりに行っていたのだった。つまりミアの身体はネビロスの部屋に居る訳である。
「 どうしよう…… 」
 へにょりとクロエの眉が下がった。
「 クロエちゃんにネビロスさんの寝顔見られたら嫉妬しちゃうかも 」
 そういう問題ではないのだがミアとしては一大事である。ネビロス・ファウストの格好良いけど可愛い寝顔を見て良いのは恋人である自分の特権だ。あと、奥さんのルミエルさん。
 一刻も早くネビロスの部屋に向かわなければ。
 踵を返すとミアはネビロスの部屋に向かって走り出した。

しょんぼりなクロエちゃん

 ミアは男性寮の前で悩んでいた。
 勢いに任せて走ってきてしまったが、今のミアの見た目はクロエである。
 クロエが急に男性寮に入って行ったら彼女の評判に傷が付いてしまうのではないか。それにミアとネビロスがいる部屋にクロエまでお邪魔するところを誰かに見られでもしたら、ネビロスの評判にも傷が付いてしまうのではないかとも思ったのだ。
( クロエちゃんと仲良くて部屋を訪れても平気そうな人、誰かここに住んでたっけ? )
 最初に思いついたのは人事部のロード・マーシュだが彼の部屋は別の場所にある。他に仲良さそうな人といえば――。
「 クロエ? 」
 名前を呼ばれて一瞬自分だと忘れていたミアだったが慌てて振り向く。そこに立っていたのはコンビニの袋を下げたシキだった。そういえばシキもクロエと良く一緒にいるような気がしたミアは顔を輝かせる。
「 シキ君! 良かった!! 」
 そんなミアに対してシキは甘くてしょっぱくて苦くて薬っぽくて清涼感もある非常に口の中が忙しくなるサルミアッキの飴を食べさせられた時のような顔をした。
「 え……何……? クロエ、拾い食いした物が腐ってた……? 」
 何ともいえない顔で失礼なことを言い放つシキだが、ミアは怒るのではなく自分の身体がクロエであったことを思い出す。そういえばクロエは年上のシキを呼び捨てにしていた。そんなクロエがいきなり「 くん付け 」では確かに驚くことだろう。
 尤もシキが驚いているのは「 くん付け 」よりもクロエの表情だったのだが、ミアがそれに気付くことはない。
「 驚かせてごめんね、シキ君。事情は分からないんだけど中身はミアなの。医療ドレイル班のミア・フローレス。分かるよね? 」
 女性では背の高いクロエだがシキは男性の中でも特に背が高いので上目遣いでシキに問いかける。そんなミアの問いかけにシキはこれまた変な顔をして静かにミアを見つめた。確かに状況を把握するのは難しいことだろう。ミアはシキが再始動するまで大人しく待った。
「 ……分からないけど分かった 」
 しばらくしてシキが呟いて手をミアの頭へと伸ばした。編み込みをしているからそれが崩れないようにと気遣って優しく頭を撫でてくれるのは、日頃シキがミアの頭を撫でる時の手つきと全く同じだ。だからミアは平然とそれを笑顔で受け入れる。
「 確かにミアっぽいクロエだ…… 」
 ひとしきり撫でた後、驚愕したようにシキが言葉を発した。どうやら本当に信じてくれたらしいと感じたミアは早速、シキへとお願いをする。
「 私ね、昨日はネビロスさんの部屋にお泊まりだったの。だから私というかクロエちゃんがここにいると思うから一緒にネビロスさんの部屋まで来てくれないかな? 」
 異性の友人であるシキに「 恋人の部屋にお泊まり 」というのが恥ずかしくてミアは恥ずかしさで紅潮してしまう。それはシキから見ればクロエが頬を紅潮させて恥じらいを見せているという過去に見たことがない彼女の姿であり、理解はしたと思っていてもシキの悩は混乱しそうだった。
「 分かった 」
 それでも人に頼られれば兄貴分としての彼の性質が頷いてしまう。脳の混乱を鎮めて、やっとシキは頷いたのだが。
「 ありがとう、シキ君! やっぱりシキ君は優しいね! 」
 ミアにクロエの身体でニッコリと微笑まれて再びシキの脳は混乱した。

 * * *

 ミアとシキはネビロスの部屋の前で揃って首を傾げていた。
「 留守だね 」
「 そうだね 」
「 何でだろ? 」
「 俺に聞かれても…… 」
 ネビロスの部屋は不在だった。今日はネビロスも揃って休日だから1日一緒にいようと約束していたのに部屋にネビロスがいない。ミアの目に薄らと涙が浮かぶ。
 しつこいようだが今のミアはクロエの身体である。つまりミアが涙ぐむということはシキから見ればクロエが涙ぐんでいるという訳で、もうシキの脳は混乱の極みだった。
「 クロ……ミア、どうする? 」
「 ……もしかしたら医療ドレイル班に行ってるかもしれないから行ってみる。シキ君、ありがとう 」
 ペコリとシキに頭を下げてミアは今度は医療ドレイル班に向かって走り出した。
 その後ろ姿を見送ってから、ようやくシキは脳が正常さを取り戻してきたのでノロノロと自分の部屋に向かって歩き出す。
「 あ 」
 そして思い出した。自分が何故コンビニに行っていたのかを。
 手に持っていた袋の中を覗いたシキは額に手をあてて天を仰いだ。
 シキがわざわざ朝からコンビニに行っていたのはコンビニ限定のアイスクリームを買いに行っていたからだった。そしてドライアイスが入っている訳でもない普通のビニール袋に入っていたアイスクリームが常温で放置されれば溶けるのは当然のことであり。
「 ……買い直しに行こう 」
 肩を落としたシキは再びコンビニへ向かうしかないのだった。

ふわふわなクロエちゃん

 医療ドレイル班の部屋に向かうミアは廊下で話し込んでいる珍しい二人組を見付けて足を止めた。
「 ロードさんとフィーさん? 」
 二人もミアに気付いたようで揃ってミアを見る。
 そういえばクロエは総務部でフィオナとは同僚であるし、ロードは最初にクロエを結社に勧誘してきたお兄さんということでクロエと良く一緒にいるしで、二人とも今のミアの身体ことクロエとは縁が深い二人だ。何で二人が一緒にいるかは知らないが。
「 クロエ……? 」
 訝しげな顔をしたロードがクロエの名前を呼ぶ。先程シキに呼ばれた時もそうだったが、ミアは一瞬自分を呼ばれたことに気付かず遅れて返事をした。
「 はい! 何ですか、ロードさん 」
 ミアの返事にロードとフィオナの顔が揃ってシキが最初にミアを見た時のような顔になる。普通に返事をしただけだというのに、どうして皆いちいち驚くのだろう。
「 二次創作にありがちな中身が別人のよう……これは二次創作にありがちなマッドサイエンティストお手製の謎の薬による入れ替わりか性格改変!? 」
 そう言いながらアクアグリーンのふちの眼鏡の奥でフィオナの目が怪しく光る。何を言っているのかミアには全く分からない部分もあるが『 中身が別人のよう 』『 入れ替わり 』といきなり本質を突いてきたフィオナにミアは感動していた。
「 凄いですフィーさん! そうなんです!! 私、ミアなんです!! 」
 勢いのままに言うと唖然とした顔のロードと目が合う。彼はミアと目が合ったことに気付くと軽く咳払いをして表情を整えた。
「 落ち着いて下さい、フラナガンさん。マッドサイエンティストは結社にいない……とは言いませんが、そんな荒唐無稽な話が現実にある訳ないでしょう 」
 マッドサイエンティストの部分でロードの頭に浮かんだのは機械マス班の某既婚女性である。しかし彼女が狂気的マッドなのは機械人形マス・サーキュに対してだけであり、人間に効く薬を作るとはとてもではないが思えなかった。
「 でもマテオさんだってジョアンと入れ替わっても尚、モニカに迫ってましたよね? 」
「 二次創作と現実を混同しないで下さい。落ち着きましょう? 」
 そういうロードも落ち着いていなかった。今ここが喫煙所であったなら煙草を吸って落ち着きたい程には。いや、駄目だ。ロードは己の考えを脳内で否定する。今煙草を加えたら吸い口を間違えそうな程には今の彼は混乱の極みにあった。
「 クロエ。大人を揶揄からかっているんですか? 」
 真面目な顔のロードに問い掛けられてミアの眉がへにょりと下がる。
「 からかってないです……私、ミアなんです 」
 へにょりと下がった眉、泣きそうな顔。
 それは普段のクロエならば絶対にしなさそうな表情のクロエだ。
 どちらかと言えばクロエの言うミアが良くする表情ともいえる。
「 マーシュさん、これって本当に中身がミア・フローレスさんなんじゃないんですか? 」
 二次創作作品でこういう状況に対しての耐性が出来ていたのかすんなりと状況を受け入れたフィオナがロードへ言う。
「 ……確かに。クロエがミアさんの振りをして我々を揶揄からかう理由は無いですね 」
「 ロードさん! 信じてくれるんですか!? 」
 ロードの言葉に一転してクロエの表情が輝いたものに変わった。この表情の変わりようの速さは確かに認めたくはないが普段のミアに良く似ている。
 それに、ここでフィオナとロードを揶揄からかったところでクロエは一イリの得もないだろう。クロエが金にならない無駄な事をする筈はない。ロードはクロエのことは付き合った期間は短いが良く分かっていた。
「 では改めましてミアさん。どうしてそんな事になっているのでしょう? 」
「 分からないんです……朝起きたらこうなってて…… 」
 ミアはロードとフィオナに自分なりに手短にこれまでの経緯を説明する。
「 ネビロスさんもクロエちゃんも部屋にいなくて……とりあえず医療ドレイル班の部屋に向かってみようかと思ったんです 」
「 もしかしたら二人もクロエの部屋に向かっていて入れ違いになってしまったのかもしれませんね、マーシュさん 」
 名探偵フィオナの推理は冴え渡っていた。フィオナの言葉にロードも頷く。
「 向こうもミアさんの考えを想像して医療ドレイル班に向かっている可能性はありますね 」
「 やっぱり! それじゃ私、医療ドレイル班の部屋に向かいます! 」
 二人に自分の意見を肯定してもらったミアはロードとフィオナに満面の笑みを見せるとペコリと頭を下げて走り出す。
 その後ろ姿を見送ってから、フィオナがポツリと呟く。
「 わたし、今日はドラマの推しが死んでしまった翌日並みに仕事が出来る気がしません 」
 フィオナの言葉にロードは頷いた。
「 ええ。その意見には全面的に同意です 」

イチャイチャなクロエちゃん

 医療ドレイル班の部屋に辿り着いたミアが扉を開けると、その目に飛び込んできたのは私服姿の灰色の髪をした愛しの人の姿だった。
「 ね、ネビロスさーん!! 」
 会えた喜びでミアはネビロスに抱きつこうと走り寄る。しかしネビロスのスラリと長い両手がミアの両肩を掴み、抱きつくことを拒絶した。その力強さはかつて清掃班にいたダリア・ダールが告白をして迫った時にネビロスが彼女を止めた力と同じ位のものだが、ミアがそれを知る事は一生ない。
 それよりも何よりもネビロスに拒絶されたという衝撃がミアを襲っていた。
 あまりにも衝撃が大きすぎて、いつもすぐに涙が盛り上がる瞳が衝撃に呆然として反応が鈍い。
 だけど瞳の奥は鼻だったらツンとしそうなくらい熱くて、ややしてぐっと胸に何かが込み上げて視界が滲む。零れ落ちそうな涙をミアは目尻に力を入れて耐えた。
「 ひどいです…… 」
「 そんな顔をしないで下さい、ミア 」
「 だってネビロスさんが私を避けるから…… 」
 ネビロスが変わらず両手に力を込めたままだが困ったように笑い、ミアに言い聞かせるような声音で言う。
「 今のミアの身体は他の人ですから。抱擁を許したらミアにもその身体の彼女・・・・・・・にも申し訳ないでしょう? 」
「 ……あ 」
 ネビロスに指摘されたミアは自分の身体が自分でなかったことを思い出す。今の自分はクロエ・バートンなのだ。
 零れ落ちそうだった涙も呆気なく引っ込んだ。
「 そ、そうですよね。今の私はクロエちゃんでした 」
 そこでミアは気付く。もし、このままクロエの身体から戻ることが出来なかったら自分は一生ネビロスとお付き合いを続けることが出来ないのではないかと。
「 元に戻れなかったらどうしよう…… 」
 絶望の表情で呟くと引っ込んだ筈の涙が再び込み上げてくる。
「 原因は分かりませんが必ず元に戻れますよ。安心して下さい 」
「 ネビロスさん…… 」
 ミアはネビロスを潤んだ目で見上げた。
 ネビロスも優しい目をしてミアを見つめている。
 完全なる二人の世界がそこにあった。
「 ミア、ネビロス氏。桃色空間はそこまでです 」
 それを断ち切るような第三者の声が掛かって二人は揃って声の主を見る。
 声の主はこの流れからすれば当然といえば当然だが不機嫌な表情をしたミア・フローレスだった。喋り方から察するに中身はクロエだろう。自分の顔を真正面から見るという貴重な経験をしたミアの目が丸くなって、顔色が瞬時に青くなった。
「 く、クロエちゃん! 私の顔でスッピンはダメだよ!! 人に見せて良い顔じゃないよ!! 」
「 大丈夫です。普段と変わりません 」
「 えー!? メイクが下手ってこと!? 」
「 そういう意味ではなく…… 」
「 ミアは素顔でも十分可愛いという意味ですよ 」
 助け舟なのか何なのかネビロスの言葉にミアはキュンっとなってネビロスを見た。再び広がりつつある桃色空間にクロエは頭を抱える。
「 人の身体でイチャつくのは止めて貰っていいですか…… 」
 傍目で見ればネビロスとクロエがイチャイチャと見つめ合っている図であって、本来の身体の持ち主のクロエとすれば何とも居た堪れない気持ちになる光景であった。自分の身体が勝手に顔見知りではあるが特に恋仲でもない男とイチャイチャしているなんて悪夢以外の何物でもない。
「 どうやらエルの杞憂で終わったみたいだな 」
「 ええ、そうね 」
 ミアは忘れかけていたが此処は医療ドレイル班の部屋である。当然のことながらミアとクロエ、ネビロス以外の他の人もいて、その事実をミアはスレイマンとアペルピシアの声でようやく思い出した。
「 解離性同一症でも発症したかと思ったけれど、入れ替わりは本当だったようね 」
「 それはそれで問題だけどな 」
 スレイマンの言葉に、ようやくミアは事態の深刻性を悟る。
 朝からクロエになっていると浮かれてファッションを満喫したり楽しんでしまったが、そもそも何故入れ替わりが発生したのか原因は全くの不明であった。
「 二人共、何か変わったことはなかったの? 」
 アペルピシアに問い掛けられてミアとクロエは揃って昨夜の記憶を思い出し始める。昨日の夕飯、お風呂、寝る前のルーティン……何も変わったところはない。
「 ……そういえば変な夢を見ました 」
 先に声を上げたのはミアの身体のクロエだった。
「 夢? 」
「 あ、私も変な夢見ました!! 」
 クロエの言葉に昨夜の夢の記憶を取り戻したミアも「 はいはーい! 」と小学生が自信満々な問題に答えたい時のように手を上げて、声も上げる。
 原因は夢かもしれない。
 そんな正に夢みたいなことを言い出す女子高生コンビに、スレイマンとネビロスは他に原因がないのか問いかけようとした。しかし、それよりも先に口を開いたのはアペルピシアだ。
「 二人共、夢の内容を話して 」
「 エル。夢に原因があるとでも? 」
「 夢は潜在意識的な思考だもの。もしかしたら何かの暗示かも知れないじゃない 」
 半信半疑な顔のスレイマンとネビロスだがアペルピシアは真剣だった。
 どちらから話そうかと顔を見合わせたミアとクロエだったが、結局は先に夢の存在を思い出したクロエ( 身体はミア )が話すことにする。
「 虹色の空に鯨が浮かんでいました。そして潮ではなく 」
「 しゅわしゅわーって炭酸水を噴き出しているんだよね! キラキラ光ってて綺麗だったなぁ 」
「 そしてその噴き出した水が地上に落ちると固形になってダイヤモンドのようだったので回収しようと近付きました 」
「 そしたら、それが甘くて美味しそうな匂いのする飴にしか見えなくて 」
 言い合いながら二人は再び顔を見合わせる。ただし、今度は何とも言えない表情を浮かべてのことだ。なぜなら不思議なことに互いに言おうとしている夢の内容が完全に一致していたからだ。
「 美味しそうな飴で…… 」
 思わずクロエの表情を確認しながら、もう一度呟くミア。
「 販売するにしても試食は必須でしたので…… 」
 夢の中でも商売人思考を発揮していたらしい発言をするクロエ。
「 食べました 」
 最後の二人の声は自然にハモっていた。身体の入れ替わりなんていう訳の分からないことが発生している今、夢の中のそれが原因なんていうこともあるのかもしれない気がしてくる。
「 医療に携わる身としては非科学的すぎて認めたくない話だな 」
「 ええ。でも二人の人間が同時に同じ夢を見るということは共時性シンクロニシティ として有り得ない話ではないから、可能性としてはゼロではないわ 」
「 同じ夢を見るまでは有り得てもそれが現実に作用するとは本来なら考えづらいですが 」
 スレイマン、アペルピシア、ネビロスの大人三人が真面目な話をしているのをミアは難しい話に付いている訳もなく訳もわからず呆然と見ていた。三人は色々な要因を口々に話しているがミアには飛び出てくる単語が理解出来ない。この人達はカンテ国の言葉を話しているのだろうかレベルに分からない。
 ふと三人の会話が切れて一瞬の沈黙が訪れる。
 その隙をついてクロエが根本的なことを言った。
「 発生原因が何にせよ、元に戻れるか。それが一番の問題です 」

元に戻ったクロエちゃん

 休憩所の椅子に二人の女子高生が座っている。
 言うまでもなくミア・フローレス( 中身はクロエ・バートン )とクロエ・バートン( 中身はミア・フローレス )の二人である。
 それぞれ手には自動販売機で買った飲み物が握られている。
 ミアの身体は牛乳パック、クロエの身体は甘々カフェオレだ。
 なお、ミアと共に休暇だったはずのネビロスは原因の究明のためにスレイマンとアペルピシアと共に医療ドレイル班で討論中である。申し訳ないことであるとは思うが、そこに居てもミアとクロエは何も有益な情報を出せそうもなかったので今は休憩中というわけだ。
「 うーん……クロエちゃんのペースで私の身体で牛乳飲んだら太りそうだなぁ…… 」
「 大丈夫ですよ、ミア。牛乳を飲むと太るというのは迷信です 」
「 確かにクロエちゃん見てると『 迷信かな? 』って思うけど、でも私の身体だと太りそうで…… 」
 そもそも甘々カフェオレの方が太りそうという意識はミアにはないらしい。そんなミアを横目にクロエはミアの身体であっという間に牛乳パックを空にしてから口を開く。
「 太ってなかったですよ 」
「 え、見た!? 」
「 ミアだって着替えるのに見たでしょう 」
 言われてみればそうであった。しかもミアの場合は見ただけでは飽き足らず、散々触ってみたしファッションショーも行っている。どちらかと言わずとも罪が重いギルティなのはミアの方だ。
 あからさまに目を泳がせてクロエから目を逸らすミアにクロエは特に文句を言うことはしなかった。付き合いは短いが、彼女の性格的に目先の楽しさでクロエの身体を満喫したであろうことは容易に想像がついていたからである。それに髪型までしっかり作られている今のクロエの身体の状態を見れば、想像が事実であると考えるのはまた容易であったのだ。
「 そういえばミアはここまで来るのに誰かに会いましたか? 」
「 クロエちゃんは? 」
 質問に質問で返すのも悪いと思いつつミアは先に問い掛ける。そんなミアの態度にも気分を害した様子も見せずクロエは答えてくれた。
「 何人か会いましたがネビロス氏が上手いことやってくれたので此方は問題なかったですね。誰もミアの中身がクロエだとは思わなかったでしょう 」
「 そ、そうなんだ 」
 わざとらしくカフェオレを口に運ぶミアの浮かべていた笑顔が強ばったことをクロエが見逃すはずも無く、クロエはじとっとした目をミアに向けた。
 自分の身体でファッションショーをしたことは特に気にしていない。
 しかし、クロエの身体でミアの行動をとっていたなんていう珍妙な姿を誰かに見られたことはクロエにとっては死活問題だった。
「 誰に会ったんですか? 」
「 えっと……と、特に誰にも…… 」
 嘘のつけない人間の白々しい嘘ほどくだらないものはない。
 クロエは相手が自分の身体であるので若干の抵抗感を抱きつつも、その両頬をぶにっと掴んだ。
「 もう一度聞きますよ? 誰に会ったんですか? 」
「 ひひふんほほーほはんほひーはん 」
 しまった。うっかり自分の頬だからと良く引っ張ってしまったせいでミアが何言っているか分からなかった。
 反省したクロエはミアから手を離す。引っ張られたミアが痛みで薄らと涙を浮かべた目でクロエを見つめるものだからクロエは鳥肌が立った。
「 自分の涙目顔ってダメージ大きいですね…… 」
 鳥肌のたった腕を擦りながらクロエは呟くと「 それで? 」と改めてミアに問い掛けた。一度言ったとはいえ、やはり言いにくそうにミアは言う。
「 シキ君とロードさんとフィーさん…… 」
「 よりにもよってな面子を見事に揃えましたね 」
「 で、でも中身はミアだってちゃんと言ったから大丈夫だよ! 」
 たとえ中身がミアであると言われても第三者の目にくるくると表情を変えるクロエ・バートンが存在してしまったことは事実である。全員を強襲して記憶を消してやりたいと思わずクロエは思ってしまう。特に、くそ兄さん。
「 後で必ず消します……!! 」
 記憶どころか存在すら抹消させかねないような誓いを抱いたクロエは言い放つ。その顔は迫力があってミアは自分の顔なのに怖いなぁと思いながらも自分にクロエの怒りが来ないことを良いことに呑気にカフェオレを啜った。
「 ん……? 」
 その時、何処から現れたのか。
 ひらりひらりと舞い遊ぶように虹色の蝶・・・・が姿を見せた。
 自然界ではありえない色をしたその蝶を見たクロエの紫色の目とミアの空色の目が揃って丸くなる。
「 く、く、クロエちゃん……!! 」
高価たかく売れそうですね……は冗談として、これは…… 」
 二人共に、その虹色には見覚えがあった。
 それは先程、医療ドレイル班で話した二人が見た夢の中で鯨が泳いでいた空の色を切り取ったかのような虹色だったからだ。
 虹色の蝶は驚きに固まる二人の周りを不規則に飛び回り、翅から輝く鱗粉を放つ。
 その鱗粉が触れた二人は。

「 ぶぁっくしょん!! ダラボケェ!! 」
「 へくちょにゃあ!! 」

 共に盛大なクシャミをすることとなった。

 * * *

「 ……あれ? 蝶がいない? 」
 クシャミをすると目を瞑ってしまうのは人間の生理的現象ともいえるものであって、ミアが目を開くと蝶は姿を消していた。
「 不思議なこともあるんだねー…… 」
 言いながらクロエが座っていた筈の右隣を見ると誰もいない。ミアが首を傾げていると急に後ろから肩を叩かれて心臓が止まりそうな程に驚いた。
 振り向くとそこにはいつもと同じ表情を浮かべて、いつもと違う髪型をしたクロエの姿。
「 クロエちゃん? 」
「 どうやら戻ったようですね 」
 言われて自分の声がクロエではなくなっていたことにミアは気付く。
 どうしてクロエの姿になっていたのかが判明しないまま、どうやって戻ったのかもハッキリしないうちに元に戻ってしまった。元に戻れたのだから良い事なのだけれども拍子抜けしてしまう。
「 何はともあれ戻れて良かったですね 」
 ミアがクロエの身体で飲んでいてすっかり空になっていたカフェオレの缶をクロエがゴミ箱に向かって投げると、それは弧を描いて綺麗にゴミ箱へと入った。
「 ミア、ネビロス氏の元へ早く行ってあげたらどうですか? 」
「 うん! じゃあ先に部屋に戻ってるね!! 」
 ミアはミアらしい態度でクロエに笑いかけると足早に医療ドレイル班の部屋へと向かっていく。その表情や動作が自分の身体で行われていたと思うとクロエは少し背筋に寒いものを感じ、またそれを見たであろうシキ、ロード、フィオナに会うのが少しだけ恐ろしくなったのであった。

――そして、浮かれて医療ドレイル班の部屋へと戻ったミアであったのだが。

「 ネビロスさーん!! 」
「 その手には乗りませんよ、クロエ 」
「 ひどい……私、本物のミアなのに!! 」

 ネビロスに肩を抑えられてハグを拒否されるという、ちょっとした騒ぎを起こすことになるのであった。