薄明のカンテ - hross/燐花
 基本的に仕事は週休二日制ではあるが、やっとここに来れたかとギルバートは安堵の溜息を漏らした。ここに来るからにはどうしても一泊以上はして様子を見たかったからだ。
「ギルバートちゃん、よく来たねぇ」
「ヘルカさん。すみません、しばらく任せきりにしてしまって…」
「良いの良いの。それより、早く会いに行ってあげて?」
 恰幅の良い女性、ヘルカに促されギルバートは足を進める。遠目に姿が見えたところで大きな声での名前を呼んだ。
「タックタック!」
 その呼び掛けに応える様にピクピクと激しく動かした耳をギルバートに向けたのは馬だった。馬の横に立っていた男性、ウルヴル──ヘルカの夫である──も嬉しそうにギルバートを視界に捉えた。ウルヴルに手綱を握られ、誘導されこちらに向かって来るタックタック。駆け足でやって来る巨体は一見威圧感がある様に思えるが、尾っぽを振って嬉しそうに足をドスドスと上げる様はまるで大型犬の喜びの表現の様で可愛らしい。
「よぅ、よく来たなギルバート」
「すみません。なかなか時間が取れず…」
「そんな事よりご飯は食べてるか?ショーン…親父さんの代わりに働きに出て……テロ後に出来た新しい場所で仕事に就いたんだろう?」
「あぁ…それが、とても良い職場なので特に不満はないんですよ。むしろ父の代わりに一家を支えられる事にやり甲斐すら感じています。単純に僕が慣れるまで時間が掛かってしまって…」
 結社から電車に揺られ、イコナにやって来たギルバート。この牧場はエバンス家が営んでおり、ベネット家の財産の一つでもある馬が預けられている。
 乗馬の名手の多かったベネット家だが、蒸気機関車や車が一般化して行くにあたり馬の需要が下がるに従って騎手としての彼等の需要も下がって行った。一時期は敷地内に厩舎、そして十数頭もの馬をソナルトの地で飼っていたのだが金銭的にも難しくなった今ベネット家はあらゆる牧場や厩舎に馬を預けたり売りに出したりして行き、気付けば気軽に会いに行ける持ち馬はこのタックタック一頭となっていた。
 ソナルトの敷地がどんどん縮小する中で何頭もの馬があらゆる馬主に売られていったが、中には走るに適さず泣く泣く肉にされた馬も居た。『ベネット家の馬』を欲しがるのは大半が競馬関係の馬主だったし、ベネット家の横の繋がりも基本的には勝負事に生きる職場の人間が多かった。
 しかし、このタックタックはそもそもとして競争に向かない足の遅さの馬だった。同時に愛嬌のある馬でもあった。
 誰にでも優しい目を向け小さな生き物が大好きで、人間の子供や飼い犬と戯れ合う力加減の分かっている馬であった。預かり先であるエバンス一家がギルバートの父、ショーンと旧知の間柄であった事、エバンス家がタックタックに求めたのは『足の速さ』では無かった事、この触れ合い牧場に馬が居なかった事、乗馬体験による集客を試そうとおあつらえ向きの馬を探していた事。
 それら全てとタックタックの性質は一致しており、エバンス家は居場所を提供する代わりに稼ぎ頭として貸し出しをしてもらうと言う取り決めをベネット家との間に交わした。
 タックタックはみるみる人気者になっていき、今やエバンス牧場では彼以外の他の馬も飼われている。
「おっと、悪いなギルバート。タックタックはそろそろ仕事の時間だ」
「え?もう体験教室の始まる時間ですか?」
「いや、今日は特別。あまり時間の取れないお客様でな。人の少ない空いた時間に入れてんだ」
 くしゃっとブーツが草を踏む音が聞こえ、ギルバートは音の方を向いた。上品な襟付きのポロシャツ、乗馬専用のキュロットの上からスタイルの良さが分かる。ヘルメットを小脇に抱え、長い髪を一つの団子に纏めたその女性。ギルバートが目をぱちくりしながら眺めていると、彼が目の前の人物が誰かを判別するより早く女性が嬉しそうに体を揺らした。
「ギルバート!?どうしてここに居るのよ!?」
「…き、君ゲンジか!?君こそどうしてここに!?」
「あれ?知り合いかい?」
「ああ、以前結社の仕事で同僚が世話になりまして…」
「そんなよそよそしい事言わなくて良いじゃない!私達もう友達でしょ?」
 ギャリーと旧知の間柄だと紹介され、セリカの仲介で連絡先を交換したゲンジが現れ、ギルバートは困惑した。まさかこんなところで偶然出会うとは思わなかったからだ。
「何だよー!知り合いならそう言ってくれよー!ちょうど良いやギルバート、お前がタックタックの手綱持ってやれ」
「え!?」
 そして何故かウルヴルは世話焼きで『後は若いお二人で』を素でやる人間だった。そしてこうなると断り辛い。ギルバートはタックタックの手綱を握るとゲンジに目をやった。
「……その、乗れるのか?」
「当たり前でしょ?」
 鐙に足を乗せると、ゲンジは勢いを付けてひょいと乗り上げる。その乗り方がとてもスムーズで、彼女が乗り慣れているのはギルバートもすぐに察した。だとすると本当に手綱を握るくらいで特にやる事は無いなと思っていたのだが、ウルヴルは更に余計な事を言った。
「そうだ。ディルラバさんや、せっかくだからギルバートの後ろに乗ってみたら良いんじゃないか?」
「え!?ギルバートの後ろに!?」
「な、何を言ってるんですかウルヴルさん!?」
 ゲンジの視線は明らかに「え?ギルバート馬になんか乗れるの?」と疑問を抱いていた。ウルヴルは更に追い討ちをかける様に「ベネット家を知らんのかい?」と尋ねるので、ギルバートは逃げ場を無くした気持ちでいっぱいになりながら自分の家の事を説明する他無かった。
「ギルバートって……騎馬を教えてた人なの?」
「正確には『僕の一族が』だ。とは言っても機械人形が発達した今はあまり実践的では無いが…僕の一族はカンテの貴族からは『馬の一族』と呼ばれるんだよ」
 それはいわゆる蔑称であった。渡来人であり、惨めにも貴族の地位にしがみ付いていると笑われる時に呼ばれる名だ。しかし、同じく兎頭国と言う外の世界からやって来たゲンジは、にっこりと笑った。
「分かりやすくて良いじゃない!」
「……そうか?そうなのか……」
「馬と共にあったのね…!私が昔住んでいたところも馬は大事にしてたわよ!あ、でもカンテ国では蔑称なのね…それは残念だわ」
 先程まで朗らかににこにこ笑っていたゲンジがしゅんと眉を下げる。その表情に「うっ…」と言葉を詰まらせたギルバートは、焦りからか少しぶっきらぼうに手綱を引っ張るとタックタックを歩かせた。
「……せっかくだからたまには僕もタックタックに乗ってみるよ。でも一度、一周回ってからで良いだろう?タックタックも現金な奴で美人が背に乗ってご機嫌だし、僕も君の乗りっぷりを見たいしな」
「ギルバート……」
 ギルバートの一族を揶揄するのに「馬」を使われたショック以上に、そもそも渡来人から貴族になった者の扱いが悪いところを見るに「カンテ国の国民性はお互いの価値観に踏み込みすぎないように、暖かくもさっぱりしている人柄の人が多い」と言うのもひょっとしたら近代になって意図的に国民の意識を変えようと作られたものなのかもしれないとゲンジは思った。
「…カンテ国民って、意外と閉鎖的でねちっこいのね」
「世界的に知られている人柄の特徴なんて個々の考えでまた差異が出る。あまりあてにならないものだ。カンテ国だって何百万と言う民が住んでいるのだから。未だに外様貴族への当たりは強いし、差別されるべくして・・・・・・・・・存在していた様な街もある」
「互いの価値観に踏み込みすぎないって言うから出自とかそう言うのも気にしない実力社会かと思ってたわ」
「まさか。他者からの評価をかなり気にする人が多いよ。ある意味ではその国民性は当たっている。互いの価値観に踏み込まずさっぱりしているからこそ、逆を言うと『理解出来ないものに理解や関心は示さず、必要以上に世話を焼いたり救いの手を差し伸べたりはしない』。悪く言えば人に興味が無い。そうなる」
「何かイメージ変わりそうだわ…」
「でもそれはどこの国にも言える事だろう?兎頭は自分の考えを主張する国民性と聞くが、それ故に自分の主張に絶対的な自信を持ち、相手と擦り合わせる事を苦手とすると聞くぞ?根っから商人の国だから自分にとっての得をとことん突き詰めると」
「わ、私はそんな事ないわよ!?」
「だろう?ギャリーもそんなに主張強く無いからこれはあくまで一例なのだろう」
 そんな話をしている内に敷地内の半分近く歩けた事に気が付いた。タックタックも乗っているゲンジもリラックスしており、自分が手綱を握らずとも大丈夫そうな気がした。
「慣れているな」
「まあね!タックタック、良い子だから」
「ふむ…まあライダーたるもの、馬と心を通わせる事は大事だな」
「そう言えば…馬と心を通わせると言えばね、私競馬の仕事もした事あるんだけどその時一番人気の子が『ペニンガースキッピー』の子供の馬だったのよ。デビュー戦だったとか言ってたかしら?その子もお父さん同様、ジョッキーの腕と信頼関係次第で大化けするって言われてたわ。お父さん程気が強く無いみたいで、走ってる途中で自信を取り戻すのか差し足が凄いんですって。最後まで何が起こるかわからない子って言われてるみたいよ」
 ギルバートはその名前を聞いた瞬間に思い切り見開いた目でゲンジの方を向いた。『ペニンガースキッピー』と言うのは有名な競走馬で、両親の筋肉の良いところを持って生まれて来た早い走りの馬であり、その巨体と気性の荒さも相俟って『白い悪魔』と呼ばれた馬だ。
 噛み付いたり暴れたり、乗っている人を振り落としたりと管理調教師の手をとにかく焼かせた事でも有名だ。おまけにレース前、気持ちが昂って負けん気が強く出るのか他の馬を蹴りに行く事でも有名だった。
 しかし、頭が大変良く同時に繊細な馬であり、自他共に認める「王者」だった。ペニンガースキッピーは「自分は王者である」と言う絶対的な自信があり、売られた喧嘩には分かりやすく買う姿勢を見せた。それは感性が鋭い故に起きる事で、つまり状況を把握する能力に長けており、彼の見える世界は管理している人間とほぼ同じものであるとも言える。
 そんな人間と近しい感性を持つ王者たる馬は、騎馬に小さい頃から馴染みのあるギルバートにとって一目で憧れの存在となるのに充分だった。
「憧れの馬だったなぁ…ペニンガースキッピー…そうか…もう子供がデビュー戦か…」
「あら、ギルバート詳しいのね」
「勿論。ペニンガースキッピーは王者だからな。馬と言うのは足の速さや体の出来の遺伝が顕著なんだ。ペニンガースキッピーの父親も母親も優秀な馬だったが、彼の頭脳の高さも含め天賦の才でな。しかも母親譲りの巨体から繰り出される筋力の強さを父親譲りのしなやかで伸びのある筋肉が良いバランスで支えているからあんなに暴れがちでも怪我知らずなんだよ!おまけに種牡馬としても大変優秀で、一年で百頭を超える繁殖牝馬への種付けを行って八十もの子が産まれたんだ!分かるかい?彼の俊足の遺伝子の可能性を持った馬が少なくとも八十も産まれたんだよ!あんなに凄い馬が現れた時のワクワクする経験がまだ出来るかもと希望が持てる…。『英雄、色を好む』とはよく言うが、ペニンガースキッピーは交尾が大好きみたいでな。種付けに出向くと分かると飛んで跳ねて喜ぶんだ。少し前、競走馬のイベントに赴く際種付けに向かうと勘違いして弾んだ足で向かったら全然違うイベントで大変がっかりしている姿を見た人も居たそうだよ!ただ、それでもペニンガースキッピーは凄いんだよ、これが彼の頭の良さを示唆しているとも言うが、何をやるべきかを理解してプロとしてきちんとイベントはこなしたそうだ!終わった後、会場の裏で『話が違うじゃ無いか』と言わんばかりに管理調教師に噛み付きまくったらしいがな」
 そこまでマシンガンな勢いで話したギルバートはキョトンとするゲンジの顔に唖然となる。しまった、自分が話せるものがピアルルSixと黒天の騎士、そして競走馬しか無かったがよく考えたらそれら三つとも女性で熱心な人とはあまり会った事がない。
「す、すまない…つい熱が…!女性の前で種牡馬だの種付けだの…動物の生態の話ではあるがあまり良い話ではないか…」
 ギルバートは取り繕うようにしどろもどろ言葉を紡ぐ。ゲンジはそんなギルバートを見てくすりと笑った。
「ふふ、ギルバートって好きな事だとそんな顔して話すのね」
「え…?僕、変な顔していたか?」
「ふふふ、ううん。可愛い顔してた」
「か、可愛い?と言うのは…?」
「眉間に皺が無くてキラキラした目で子供みたいに話すわよね。私、そんな顔してるギルバート嫌いじゃないわよ」
 もっと話して?と乗せてくれるゲンジに気を良くしたギルバート。結局この日は彼女が次の予定で牧場を離れるまでずっと馬の話をしていた。ハッと気付いたギルバートはゲンジに「そう言えば僕と共に馬に乗る話はどうする?今後ろに乗るか?」と提案するが、ゲンジは断った。
 楽しみは次まで取っておきたいから、また次のお楽しみにしましょう、と。
「ギルバート、また連絡するから一緒に牧場来る時間合わせない?」
「え?あぁ…別に良いが」
「ガリちゃん、それなりに健康に生活してるんでしょ?ガリちゃんに任せても良いじゃない、お仕事」
「う、うーん…確かにそうだなぁ…」
「ね!だから次!次来た時に後ろに乗せて欲しいわ!約束よ!?」
「ああ、分かったよ。その内な」
 そんな約束が嬉しかったのか、馬の事を語れたのが嬉しかったのか。

 * * *

 翌日、いつもの様に短い反省文を添えてウルリッカが経理部に顔を出す。今日は戦闘の流れで剣鉈を使った際、機械人形を破壊しようと振り被った時に間違って外干しされていた洗濯物の紐を切ってしまい、せっかく干されていた綺麗な衣服を全部泥水塗れにしてしまったのだ。
 命は助かったがクリーニング代が無駄に掛かる!と家主は静かに激怒、ウルリッカはその代金の立て替えの証明書と反省文を添えてギルバートに提出をしに来た。
 怒られると思いながら重い足取りで部屋に入るも、どう言う訳かギルバートは上機嫌だった。
「ギル王子…」
「ん?どうした?ウルリッカ」
「何か良いことあった?」
「え?何故だ…?」
「分かりやすく鼻歌とか歌ってたから」
 ギルバートが歌う鼻歌、競馬のファンファーレなのだがあまり興味の無いウルリッカには詳細はよく分からない。しかしそれでも、ギルバートの機嫌が良い事と彼がとても嬉しそうな事はよく分かった。
「良い事…良い事…」
 何かあったっけか?としばらく記憶の整理に勤しむギルバートだったが、思い当たる節があったのか「あぁ」と声を上げると、しっかり思い出したのか嬉しそうににこりと微笑む。
「確かにあったな、良い事」
「そうなんだね。何があったの?」
「うーん……『馬好きに悪い人間は居ない』と言うのを実感出来た、かな?」
 自らも動物が好きなウルリッカは馬と聞いて興味深げに「何?何があったの?」と質問する。それに気を良くしたギルバートもまた馬の良さを力説した。
 幸か不幸か、ギルバートの機嫌がどんどん良くなった事でウルリッカの行為は不問となった。