荒い息遣いが部屋の中に充満する。
ミアは自分の喉から絞る様に出て来る声が恥ずかしくて思わず口を覆ってしまう。しかし、喉から出る隠し切れない声音は恥じらいを増幅させるだけで、同時にネビロスの余裕無さげな笑みが色濃くなるだけだ。
ここまでは、以前彼に触れられた時と同じ。
前回と違うのは、ネビロスがミアの様子を注意深く見ながら彼女に触れている事と、それによりミアも前回とは違う痛み以外の感覚に強く気付き始めている事。
「……ミア」
「あ…!ネビ、ロスさん…、手…取らないで……」
「何故…?せっかく可愛い声を出しているのですから…全部私に聞かせてください…」
ネビロスが舌を器用に動かす度にくすぐったさの先にある様な不思議な感覚に身震いして腰がずりずりと引けてしまう。同時に発した事のない声が喉から飛び出し、その度にまた恥ずかしくなる。
余裕の持てない行為の中で、ふとミアの頭は一瞬の冷静さを生み出した。
ネビロスと初めて体を重ねた時は体が本当に痛くて、彼が自分を見ている様で見ていない様な顔をするのを目にする度に心も痛くて。だけど同時に彼に触れられるのが嬉しくて、でもそれが自分だけかもしれないと思うと切なくて。
そんな素直に喜べない状況にモヤモヤしてしまっていたミアはクロエにもそう言った様に自分自身が一番『良さが分からない』と思っていた。
キャベツ畑の話で周りから凄く心配され、このままではいけないと改めて保健の教科書を開くも先ずは羞恥心との闘いでミアは何度も挫けそうになった。
けれど、大人なんだし医療班なんだし!と自分を鼓舞しながら少しずつ勉強を進めた結果、それは人間も動物も当たり前に行う事なんだと羞恥心と知識とを分けた見方をしてみたら少しだけ飲み込みが早くなった。同時に学校に通っていた頃を思い返し、マセたクラスメイトのぼかした様な話し方は
この事を指していたのかなぁ?と少しだけ大人になった気もした。
しかし、動物も当たり前に行う事と結論付けると今度は分からなくなる。動物は繁殖期があってそこで集中的に子孫を増やすと言う効率の良いやり方をするのに、何故人間はそう言う周期が無いどころか『子供が出来ない様に』と予防をしてまでそう言った行為に及ぼうとするのだろう?
そんな風に思っていたのに、この日の『やり直し』でミアは気付いてしまった。
自分に触れる愛しい人の優しい手。
時に意地悪く触れた時の見た事のない嬉しそうな顔。
彼に触れられたところ全てが溶ける様で、彼の見せる顔全てが自分しか見れないもので、それがどうしようもなく幸せで。
──そっか、これも好きな人同士の大事なコミュニケーションなんだね。だからなるべく乱暴にしないで、優しくしようと思うんだね。そしてそうやって触れようとしてくれてるって肌で感じるから嬉しくなるし、もっとして欲しいって思うんだ。大事にしてくれているって言うのがとても分かりやすいから。
あの時がイレギュラーな事で今が本来彼がしたかった『初めて』の形なのだと思ったらそれはとても幸せな事で、気付くとミアは目の前がチカチカする様な感覚と共に一層激しく息を荒げていた。同時に、どんな思い出でもそれが彼とのものならば良いと思ってしまうくらいに彼の事を愛しているのだと強く自覚してしまった。
もう冷静さは戻らない。後はただひたすらに彼と溶け合いたい気持ちが膨らむばかりだ。
「ネ…ネビロスさん…!好き…です…!大好きですっ」
「…私も、愛してます…ミア……もう、良いですか…?」
こくりと頷くと、余裕無さげながらも遠慮がちなネビロスがミアの足の間に割って入る。ミアは一回目の時とは違う、痛みではない感覚に頭を支配される中、手放すまいとする様に彼の首に腕を回した。その内ネビロスの影がミアに覆う様にぴったりと重なる。壁に写し出された影の自分達は、一つに溶け合っている様だった。
ミアは初めて、分からないと思っていた『良さ』をこの時肌身で感じた気がした。
* * *
「私は、意気地無しになっていましたね…」
まだ上がる息に火照った体、それを鎮める様に布団の中で二人で横になりながら不意にネビロスがそう呟く。ミアがどう声を掛けて良いか悩んでいると、ネビロスは優しくミアの額にキスをした。
「……一度傷付けるやり方をしてしまったので…ミアに触れて良いものかと思うと二の足を踏んでしまっていました……ミアに私を求める様な事まで言わせてしまって申し訳なかったです……」
そう言いつつ、申し訳ないと言うよりはむしろ嬉しさを隠しきれない顔をしているネビロスにミアの頭は沸騰寸前まで茹で上がった。
「は、恥ずかしかったんですよぉ…!本当に…!」
「ふふ、そうですよね」
ミアの発した「『やり直し』っていつ出来ますか?」の言葉に反応したネビロスがまず見せたのは、その灰色の目を文字通り丸くした顔だった。
アシューアに古くからある諺に「鳩が豆鉄砲を食ったよう」と言うものがある。これは大層驚いた時の様子を表すものだが、言い得て妙だと思った。
(あ、本当に驚いた鳩さんみたいな顔してる)
ミアがこっそりそんな事を考えていると、途端にネビロスの顔が血色の良い色に染まっていった。
「そ…それは……」
「恥ずかしい子でごめんなさい……それに、本当の事を言うと、まだ良さとかも全然分からないんです……なのに、ネビロスさんに触れて欲しいって気持ちはずっとあって……私、変ですか…?」
ネビロスは頭を抱えながら一瞬何かを考える。そんな彼の口からは「情けない…」と言葉が漏れていたのをミアは聞き逃さなかった。
「な、情けない子でごめんなさい……」
自分に言われたのかと思いしょんぼりしてしまう。そんなミアの勘違いを否定する様に、ネビロスは彼女の体を優しく抱き締めた。
「いいえ、ミアに言ったのではありません」
「……本当…?」
「ええ。むしろ、ミアに言わせてしまった私自身がそう思ったのです」
視線が交わった瞬間、どちらからともなく唇を重ねる。珍しく軽めに重ねただけで一度顔を離したネビロスは真面目な顔でミアに向き合った。
「……痛そうに見えたらすぐに止める様、頑張りますから…」
「ネビロスさん…」
「もし止まらなかったら……殴るでも蹴るでも、噛み付くでも何でもしてください。ミアは拒絶の仕方が優し過ぎるので」
「拒絶…?私一回もネビロスさんの事、拒絶したいと思った事ないです…ネビロスさんに痛い事も、私したくないです……」
「……ありがとう、ミア」
そうしてネビロスを受け入れたミアの「やり直し」は、ネビロスの心配をよそに終始幸せに満ち溢れていたのだった。
「ネビロスさん…?」
気付けばネビロスは、気絶する様に寝入ってしまっていた。いつから眠っていたのだろう?と思いつつ時計を目にしてミアは納得する。いつもなら彼は眠っている時間だ。ついでに言うと自分も眠っている時間で、こんなに時間が飛んだ様に感じると言う事はどうやらピロートークの最中に自分も意識を手放していたらしい。
初めて経験する事象に苦笑いしながら洗面所に向かう。磨き忘れていたので歯を磨いて、乱れた髪を軽くブラッシングすると再びベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい、ネビロスさん」
幸せを噛み締めながら微睡む。
大丈夫、きっとネビロスさんはもうどこにも行かない。
翌朝。ミアは目が覚めてすぐ、あれよあれよと言う間に隣にいたネビロスに組み敷かれてしまったミアは全く未経験だった自分とは違う、年の功とも言うべきか経験者だからこその彼の「嫌と言わせない」技量に感服する事になった。
クロエの言っていた
「……朝方の男の理性の消え方はヤバいらしいですよ」の意味を体感しながら、でもそんな事を知れたのも彼の傍に居るからで。この何気ない日常をこれからも彼と過ごせるのかと思うと幸せに笑みが溢れる。
そして昨日よりまた一つ大人になれた様な気がして、満ち足りた顔でミアは一日を過ごすのだった。