薄明のカンテ - Rica di a piacere./べにざくろ
Tanti auguri a te
Tanti auguri a te
Tanti auguri a Yasaka
Tanti auguri a te



余談すぎる序章

 夕暮れの道をニコリネは今日も今日とてイケてないジャージ姿でもそもそと歩く。
 手に提げているのはコンビニの袋。中身は本日発売のお菓子である。
 マルフィ結社の周辺は、自分達にとって危険な場所と分かっているのか汚染された機械人形達も避けているようで事件が起きたことはない。それ故にニコリネのような非戦闘員でも楽しくコンビニへと行って帰ってくることができるのだ。
「今日も会えなかったな……」
 周囲に誰もいないこともあって、誰に聞かれる訳では無いから良いやとばかりに呟く。
 会えなかった。当然、機械人形とでは無い。
 以前、急に小腹が空いて小腹が空いて居られなくなり夜も更けた時間にコンビニへ行ったニコリネは屯する若者に絡まれた事があった。
 その時に助けてくれたのが、顔はフルフェイスのヘルメット、上半身はレザーのバイクウェア――ここまではなんら問題ない――何故か下半身は袴の様な着物らしき身なりの不思議な男だった。彼の名前をニコリネは知らない。助けて貰ったのに気が動転して名前を聞くという初歩的なことをし忘れたからだ。

『暴走族のあいつらだろ? 鉄パイプのシュ……シュ何とか言う奴!!』

 ニコリネに絡む時は強気だったくせに若者たちは彼のバイクを見ただけで退散した。その時に若者が叫んでいた言葉から、ニコリネは助けてくれた男性のことを「鉄パイプのシュシュ」と勝手に名付けて呼んでいた。何とも髪を縛るには不便そうなシュシュであるが、真の呼び方を知らないのだからそれでいいのだ。
 おそらくバイクを見ただけで若者たちが逃げ出すくらいなのだから鉄パイプのシュシュは有名人なのだろう。電子世界で調べれば直ぐに正体も分かることだろうが、ニコリネはあえて其れをしなかった。調べてみたことによって鉄パイプのシュシュが凄く怖い半グレ集団の頭だったり、反社会的勢力の組織の人間だったら嫌だからだ。
 鉄パイプのシュシュはニコリネのヒーローのままでいて欲しい。
 それにフルフェイスのヘルメットで顔は分からなかったが、鉄パイプのシュシュはあれだけ行動がイケメンだったのだから顔も凄く凄くイケメンに違いない。きっと彼はタッカー・ホークよりもジェームズ・ヴァーンよりもトーリ・クラヴィエよりも格好良くて、ニコリネみたいなスクールカースト下層の民が見たら目が潰れてしまう程のイケメンなのだ。尚、前述の俳優陣はマルフィ結社の中で流行中の「大きなナラの木の下で」に登場する俳優の名前である。
「あらぁ、エークルンドさん。お買い物ですかぁ」
「ひぇっ!? はっ、はひっ? しょ、しょうでしゅ!」
 ボンヤリと歩いていたら寮の方向から歩いてきた女性に急に声をかけられてニコリネは挙動不審極まりない声を上げてしまった。
 ニコリネに声をかけてきたのは藍色のリブニットワンピースにベージュのスプリングコートを羽織った女性だ。上から下までフロントボタンが付いていて目線を縦に吸い寄せるので、思わずニコリネは下から上へと目線を走らせる。
「え……ミカナギさん?」
 そして顔を見て思わず間の抜けた声が出た。名前を呼ばれたセリカ・ミカナギはニコリネの間抜けな顔を見つめて柔らかく微笑む。
「今晩和。お出掛けでしたか?」
「えっ、あああ、はい!こここコンビニへ行って参りました!」
 ニコリネは汚染駆除班、セリカは前線駆除班。
 それ故に二人は顔を合わせることがあり既知の間柄だった。しかしながら
今日のセリカはいつもと違う洋服姿で、ニコリネは思わずチラチラと何度もセリカの服装を見てしまう。そして、そんなチラチラとはいえ露骨な視線に気付かない程セリカも馬鹿ではなかった。
「ふふっ。今日はお休みで、これから大事なお出掛けなんですぅ」
「あ、そ、そうなんですね……」
 悲しい哉。
 ニコリネはコミュニケーションが苦手な人間である故に、ここで「もしかしてデートですか?」とか「素敵なお洋服ですね!お似合いですよ!」と言った気の利いた言葉をかける事が出来なかった。代わりに二人の間に流れるのは沈黙だ。
「……では、エークルンドさん。帰り道とはいえ気を付けてくださいねぇ」
「はっ、はいっ! みみみミカナギさんもお気をちゅけて!」
 最後まで噛んで決まらなかったニコリネの声を背にセリカは駅に向かって楚々とした様で歩いて行く。その凛と伸びた背を見つめて、思わずニコリネも丸まって猫背になっている背を少しだけ伸ばしてみた。
「ふ、ふひっ」
 少しだけセリカみたいになったような気分になって口から笑いが出る。
 しかし、すぐに現実を思い出してスンッと真顔になった。
 背筋だけ伸ばしたとしてもセリカと自分じゃ違いすぎて、自分が真似しようとしてるなんて道化もいいところだ。
 自虐めいた笑みを浮かべつつ再び背を丸めたニコリネの目に自分のボサボサの髪が目に入る。セリカみたいな艶もなく枝毛だらけで手入れされてない髪が。
 艶々の髪って、素敵だよね。
 自分の髪をひと房摘んだニコリネはふと思う。
「しゃ、シャンプーとか変えてみようかな……」
 ニコリネが使っているのは家族全員が使える大衆向けのお財布に優しい激安ジャンプーだ。世の中には何の成分の違いか良く分からないが、もっと高級なシャンプーがあるのは知っている。電子世界で調べればオススメが何か直ぐ分かるだろう。
 いや、駄目だ。ニコリネは一人、首を横に振る。
 折角だから、これを人との会話の糸口にするのだ。今度会った時にセリカに「何を使っているんですか?」と聞いてみるのも良いかもしれない。
「ニコリネさん?」
「はひっ!?」
 道の真ん中でブツブツ呟いていた怪しいニコリネの背に可愛らしい女子の声がかかった。その声に聞き覚えがあって、ギギギ……という関節部が錆び付いた機械人形のような擬音でもさせそうな不自然な程に固い動きでニコリネは振り返る。
「もっ、もっ、モナルダさん……かっ、買い物ですか?」
 そこに立っていたのは食堂のアイドル、ヒギリ・モナルダだった。食堂で仕事をしている時と違う愛らしいフリルの多い服装が愛らしい顔に良く似合っていて、彼女も何処かに買い物に行ってきたのか手には買い物袋が下がっている。但しニコリネのようにビニール袋ではなく、可愛らしい柄のエコバッグである辺りにニコリネとは違う女子力の高さを感じさせた。
 お弁当だけでなく、たまには食堂を利用するようになったニコリネはヒギリのキラキラしたオーラに多少耐性が付いてきていたし、人懐っこいヒギリが話し掛けてくれるおかげで少しは彼女と会話ができるようになっていた。中学時代、ニコリネを虐めてくれたニコレッタよりも何倍も何百倍も可愛いのに性格まで可愛いとはヒギリ・モナルダ、恐ろしい女である。
「シャンプーが無くなっちゃって買いに行って来たんよ」
 そう言って笑ったヒギリの言葉を聞いたニコリネは知識にある限りの神様と仏様に感謝した。これはきっと神様か仏様がニコリネに与えたもうたチャンスなのだ。

――さぁ、聞くのです。ニコリネ・エークルンド!

 脳内で神様か仏様が言う。導かれるままにニコリネは口を開いて。
「ああああの! モニャルダさん!」
 思い切り噛んだ。
 人の名前すらマトモに発音できない自分への嫌悪感と羞恥でニコリネの顔は青くなったり赤くなったり忙しい。しかし、そんなニコリネのことを侮蔑する訳でもドン引きする訳でもなくヒギリはニコリネをニコニコとした顔で見つめている。天使か。
「しゃ、しゃん、しゃん、シャンプーは何を使ってますか!?」
「え?」
 天使が紫色の宝石のような目を瞬いた。可愛い。
「別に普通のだけど……」
 そう言ってエコバッグから出てきたのは確かに市販のシャンプーだ。
 しかし、ニコリネが絶対に手を出さないドラッグストアで販売されているくせにお洒落オーラを出して棚に並んでいる銘柄であることをニコリネは知っていた。お値段だってニコリネが使っているお徳用が2本か3本買えるやつだ。
「なるほど……あ、あ、ありがとうございます」
 しかし、値段はこの際無視だ。ヒギリにお礼を言って頭を下げる。
 そして頭を上げると何とも言えない顔をしているヒギリの顔があって、ニコリネはある結論へと至った。
 きっとヒギリは「お前程度が私と同じシャンプーを使おうなんて烏滸がましい。お前は身体と同じ石鹸で十分だ」と思っているのだ。そうだ、そうに決まっている。
「ももも申しわ……」
「ニコリネさん!」
 ニコリネの謝罪の言葉をヒギリの声が遮った。
 ただし、その声には嫌悪感といったものは一切含まれていない明るく元気ないつものヒギリの声だ。
「今から一緒にデラックスに行こう!」
「へ?」
 デラックスとはマルフィ結社に程近いドラッグストアの名前である。
 間違いなくヒギリはそこからの帰り道だろう。
「髪質によって合うシャンプーは違うんよ。私もそんなに詳しい訳じゃないけどシャンプーもトリートメントも一緒に買おう?」
 ヒギリの言葉に今度はニコリネが磨かれてない泥団子のような目を瞬いた。可愛くはない。それは自分でよく分かっている。
「あ、あのー……つか、つかぬ事をお伺い致しますが……」
「うん?」
「トトトトリートメントとは何でござりましょう?」
 頭を洗った時に使うのはシャンプーだけじゃないのか。
 ニコリネは知らなかった。実家ではリンスインシャンプーというものを知らぬうちに使っており、マルフィ結社では値段だけで安いシャンプーを買っていたニコリネの辞書にトリートメントもリンスもコンディショナーも書かれていなかったのだ。「新発売の〇〇のシャンプー良いよね」と友人と語り合うような青春の日々はニコリネにはなかったため、彼女はこれまでそれらの事実を知らずに育ってきていたからだ。
 そんなニコリネにヒギリは明るく微笑んだ。
「デラックスまでの道程で説明するから行こうよ」
「えええ、で、でもモナルダさんは行ってきた帰りなのにまた行って貰うなんて、も、申し訳ないでしゅし……」
「大丈夫! 私もヘアマスク買い忘れたからついでだよ!」
 何て優しい嘘なんだろう。
 ヒギリの言葉にニコリネは感動しながら「じゃ、じゃあお願いします……」と頭を下げた。
 そして美少女と並んで歩くなんていう人生最大のイベントのような事をしながらも、ふと思う。

――ヘアマスクって何だろう?

寄り道続くよ、どこまでも

 電車に揺られながらセリカは楽しく車窓を眺めていた。
 セリカはこれまであまり電車に縁のない生活を送ってきていた。生まれは電車の通るラシアスだったものの高校まで全て市内の学校に通っていたし、テロの前まで住んでいたケンズには電車は通っていなかったためだ。昔は移動といえば専ら夫のベンジャミンの運転する車だった事を思い出し少しだけ胸が痛む。
 そんな思いを抱くセリカを乗せたままキキトを過ぎて電車は更に北へ、北西へと向かっていく。
 乗車している人間は非常に少ない。皆、先程のキキトで降りてしまったからだ。キキトに用事がある者、キキトから乗り換えで更に東の都市であるアスに向かう者、事情は様々あろうがそれにしてもセリカの乗る車両にいる人間は疎らであった。
 楽しそうに車窓を眺めていたセリカであったが、やがて表情から笑みが消えていく。乗車率の下がった電車が辿り着いた終着駅はミクリカだ。
 駅自体は「ミクリカの惨劇」においても建物に大きな損害はなく電車の走行に何の問題もない。しかし、駅を出れば片付けが少しずつは進んでいるとはいえ瓦礫の山が多い死にかけた街が広がるばかりだ。
 しかし、そんな中でも人間というのは案外逞しいもので壊れていない建物では店舗が営業し人々は生活を営み続けている。住んでいられずにミクリカから離れた者も多くいることだろうが、この土地に愛着を持って生き続けている人間だってこちらもまた多くいるのだ。
 駅に降り立ったセリカは人の流れの邪魔にならない場所で立ち止まると、携帯型端末を鞄から取り出して届いているメッセージを確認する。新しいメッセージが届いていたので確認すると経理部のギルバート・ホレス・ベネットからのものであり、その内容が「今日のギャリーは怠ける事なく働いてくれたおかげで助かった」というもので思わず笑ってしまった。
 仕事中に根無し草の如くいなくなってしまう経理部のギャリー・ファンと、それを追うギルバートのドタバタ劇はある意味では結社内の名物であり、ギルバートとしては不本意だろうが面白がって見ている者も多数いる始末だ。その逃げるギャリーが居る場所としてセリカの元が多い故に、ギルバートとセリカは端末の番号を交換し合う仲になったのだ。そんな関係で交換したからなのだろうがギルバートからは、たまに「今日のギャリー」のようなメッセージが送られてくる。生真面目なギルバートらしいといえばらしい事でセリカは密かに其れを楽しみにしていた。
 ギルバートへ「お仕事お疲れ様でした」などと当たり障りの無いメッセージを送信してから、セリカは耳のイヤーカフとイヤリングに触れる。
『お誕生日おめでとう。セリカちゃんの特別な日をお祝い出来て嬉しいよ』
 桜をモチーフにした耳を飾るそれ等はギャリーから誕生日に贈られたものだ。機械人形との戦闘を主とする前線駆除班で働くセリカは日常では装飾品を身に付ける余裕が無いが、休日は必ずといって良い程にそれを身に付けていた。
 イヤーカフに触れながら少し考えた末、セリカは端末を操作してギャリーへも「お仕事お疲れ様でした」とメッセージを送る。すると直ぐに端末がバイブレーションで震えてギャリーからの着信を伝えてきた。どうやら丁度ギャリーが端末を手にしているタイミングでメッセージを送っていたらしい。
 驚きつつもセリカは通話のボタンを押して端末を耳に当てる。
「はい」
「あ、セリカちゃん?」
「ええ、お仕事お疲れ様でしたぁ。ベネットさんから今日のギャリーさんが良く働かれていたとメッセージが来たものですから可笑しくてメッセージ送ってしまいましたぁ」
「ギルバートとメッセージしてんだ、セリカちゃん」
 怒っているというよりは頬を膨らませてそうなギャリーの言い方にセリカは思わず笑ってしまった。ヤキモチと思うのは自惚れだろうか。
 セリカは熱くなる頬に気付かない振りをして平然とした声を出すように心がける。
「ギャリーさんがちゃんとお仕事しているかメッセージが来るだけですよう」
「ふーん……ところでセリカちゃん、今日は休みだよね。出掛けてるの?」
 電話越しにミクリカの駅の少ないとはいえ雑踏の音がギャリーへ届いていたようだ。何て言おうか少しだけ考えてから、セリカは正直に、しかし当たり障りの無い回答をする。
「ミクリカに住んでいるお友達の誕生日を少し過ぎてしまったのですが、お祝いしようと思って来てるんですぅ」
 今日のセリカの目的は「ミクリカに住んでいるお友達」の誕生日を祝うことだった。お友達の名前はヤサカ。リカ・コスタというバーをミクリカで営む色素の薄さが目を引く男性だ。以前に飲んだ際に4月27日が誕生日だと聞いた事があり、お祝いに行こうとしていたのだがマルフィ結社内で色々とあった・・・・・・為に今日になってしまったという理由がある。
 あくまでもヤサカとセリカは店の主人と客であり決して深い関係では無いのだが、相手が男性と言うことをギャリーに言うのは憚られた。「そうなんだ。セリカちゃん優しいね」と優しい声音で言うギャリーの声を聞いてセリカは罪悪感を抱くが、声はあくまでも平静を務め「有難う御座いますぅ」とだけ言っておく。
「へぇ引き止めちゃって悪ぃね。楽しんできて」
「いえ、お電話有難う御座いましたぁ。今日はギャリーさんとお話出来ないと思ったのでお電話頂けて良かったですぅ」
 電話の向こうが沈黙する。
 セリカも言ってしまってから、何て事を言ってしまったのかと赤面して沈黙した。これでは自分がギャリーの声が聞きたかったと白状してしまったようなものではないか。
「セリカちゃん」
「……はい」
「俺、今からミクリカに」
「いいえ、いらっしゃらなくて良いですよぅ。今のは言葉の綾と言いますかぁ……もう忘れて下さい」
 電話口でギャリーが「でも」と言いかけていたのに重ねて「それでは失礼しますぅ!」とセリカらしくない強い口調で言い放ち、通話終了のボタンをタップした。まだ春が来たばかりのミクリカは決して暖かな気候ではないはずなのだが、セリカは真夏日のような気分になってパタパタと自分を手で扇ぐ。
 少し気分の落ち着いたセリカは改めて端末を操作し直した。
 そもそもは行きたい場所の地図を確認するために携帯端末を取り出していたのだ。
 そして、向かう先はヤサカが営む「リカ・コスタ」ではない。
 調達班の子達に「ミクリカでプレゼント買うならここ!」とオススメされた“ ベーコンおじさん ”なる人物が営む「T-BONE」だ。てっきり教えられた時には名前からして肉屋かと思ったセリカだったが「最初は皆、そうやって勘違いするけどアロマ屋さんなんだよ」とテディが教えてくれた店である。

 * * *

 初対面の“ ベーコンおじさん ”を見たセリカは人事部のベン・レッヒェルンを思い出していた。どこが似ているかといえば雰囲気と体型である。年齢面で見るとベンの方が遥かに若いので、言うならばベーコンおじさんは未来のベンといったところだろうか。
 地図を確認したおかげで迷わずに着いた「T-BONE」の店内をセリカは静かに見て回る。
 ベーコンおじさん――ベーコン氏と呼ぶべきか――はおそらくは発注等をしているのだろうが、静かにレジの場所で卓上の端末を弄っていた。店に入るなりグイグイと押し売りに来られると不快だと心配していたセリカだったが、さすが調達班のお気に入りの店であり、そのような心配は杞憂だったようだ。
 ヤサカの元へ訪れるにあたり誕生日プレゼントを何にしようか悩んでいたセリカはアロマ屋を教わりつつ、さりげなくプレゼントについて相談したテディに「買うならコレが良いと思う」と言われたアロマキャンドルを手に取る。
「使わなくてもオシャレなインテリアとして映えるし、使えばなくなるから相手に気を遣わせすぎないアイテムとしていいと思うよ!」
 テディが言っていたことを思い出して、セリカは口の端に笑みを乗せる。日頃の行動が“ わがまま姫王子 ”のようなテディだが、実際は気遣いが出来る良い子だ。わがままを言えるタイミング、人を見極めての傍若無人なのだから何とも恐ろしい子であり、それでいて将来が楽しみになる子だ。
 何個かキャンドルを見繕ってレジへと向かう。ベーコン氏は端末から目を離してレジカウンターに置いたセリカが選んできた商品を見た。
「いらっしゃい。プレゼント、だね」
「あっ、そうなんですぅ。ラッピングもしていただけるとうかがって来たんですけどぉ……お願い出来ますか?」
 セリカの依頼に、彼女の用件をアイテムを見ただけで理解したベーコン氏は中年男性にしては綺麗な瞳の可愛らしい顔でニヤリとハードボイルドに笑った。
「相手は想い人かい?」
「えっ、いえいえ。えっとぉ……」
 ヤサカのことを何と説明するべきかセリカは言い淀む。彼を友達というのは烏滸がましい事だろうか。それに異性の友人だなんて、はしたないと思われないだろうか。
――はしたない女。
 セリカ本人も気付いていない事であったが、その言葉はセリカを縛る鎖のようなものであった。亡き夫であるベンジャミンの好みの女性になろうと若き頃より東國の「ヤマトナデシコ」を模範として生きてきたセリカは、自由になり自由に生きようとする今も精神の奥底はその言葉に縛られていた。
「ミクリカに『リカ・コスタ』というお店があるんですけど何度か伺った時に、そちらの店主さんが先月お誕生日だったことを聞いておりまして。遅れてはしまいましたが本日お伺いしようとしている次第なんですぅ」
「リカ・コスタ……だと?」
 はしたなくないように。
 そう思いながらセリカは口にしたのだが、驚きに染まった顔でベーコン氏はセリカを見る。そのベーコン氏の口振りは『リカ・コスタ』を知っている様子で、セリカは思わず好奇心のままに尋ねた。
「御存知なのですかぁ?」
「ミクリカの愛の伝道師ことクリス・P・ベーコン。この俺にミクリカで知らない事は無いよ。彼は良く店に来てくれるんだ」
 ヤサカの事を話すクリスの目が一瞬だけ鋭くなるがセリカは気付かなかった。ヤサカはクリスの娘、クラン・C・ベーコン目当てに頻繁にクリスの店に足繁く通う仲の人間なので父親としては複雑な気持ちなのである。
「あの、ヤサカさんには之で喜んでいただけるでしょうか……?」
「もちろんさ! うちの店の物で喜んでくれない人はいないよ!」
 そう言ってクリスは内心をごまかしながら予想外に上手なウインクをした。

親愛をこめてプレゼントを

 リカ・コスタ。
 そのバーの看板はミクリカの少し裏路地を行ったところに怪しげにネオンを煌かせていた。テロで崩壊した岸壁街の程近くにあり、決して治安の良い場所にあるとはいえないその店の入口のドアを、セリカは何の抵抗もなく開く。
「あれ? セリちゃん?」
 店内には客はおらず、カウンター内に居た店主がカクテルグラスを磨いている手を止めて惚けたような顔でセリカを見ていた。
 セリちゃん。
 店主は女性の名前を縮めて呼ぶクセがあるのか、セリカの事をこう呼ぶ。こうやって呼ばれていたのは子供の時くらいのものだったから、セリカは店主に呼ばれる度に懐かしさと共に何となく胸がこそばゆい思いにかられる。
 そんな店主――ヤサカにセリカは微笑む。
「今晩和、ヤサカさん。お邪魔致しますぅ」
 惚けた顔をしていたヤサカだったが我に返ると、セリカの着ている服を下から上までしっかり眺めた。彼の視線が胸元で止まってもセリカは特に気にしない。彼はそういう性格の男性だ。
「ヒヒヒッ、脱がしやすい服だね!」
 セリカが着ているワンピースは藍色のリブニットワンピースだ。白いフロントボタンが付いているためヤサカは「脱がしやすい」と称したのだった。
 ヤサカの反応はセリカが考えていたものと違い、そういう目線で見るとそう・・見えてしまう服なのかと思いながらセリカは口を開く。
「もう、ヤサカさんたら……でも、男性から見たらそう見えますぅ?」
「うん?」
 予想外のセリカの問いに、ヤサカは再び間の抜けた顔になる。
 そんなヤサカにセリカは定位置と化しているカウンターの椅子に座りながら少し照れを含んだ声で更に言葉を続けた。
「今度とある方と食事に行こうと言われているんですけどぉ、その時にこの服では……そういう下心のあるはしたない女に見られてしまうでしょうか?」
 ヤサカに問いかけるセリカの脳裏に甦るのは、先月の自身の誕生日にギャリーから言われた言葉だ。
『セリカちゃん、俺とデート行かない?』から始まったギャリーの言葉。その中でその日、彼にしては珍しい格好をしていたギャリーは『セリカちゃんもちょっと洋服着てみようぜ!』と提案してきたのである。
 マルフィ結社に来てからというものセリカは着物しか着ていないし、洋服姿を見てみたいと思われたのも自然のことだろう。しかし、ここでセリカは困ったことに気付いた。
 いざ、デートの洋服となると自分の洋服のセンスは問題ないのだろうかと。
 洋服を着ていた時代――即ち夫のベンジーのいうことをしっかり聞いていた大人しいセリカの時代は、ベンジーが派手な洋服を好まなかったために地味な色、露出を抑えきった服装をしていた。とはいえ今になって急に派手な色が着たいだとか、胸を大きく開けた服やミニスカートが履きたい訳では無い。しかし、ベンジーの好みが世間様一般から見たら地味なものであることは分かっているセリカとしては、無難にお洒落に見られるラインが読み取れなかったのである。
「なになに? セリちゃん、今度デートなの?」
 ニヤニヤと笑うヤサカに照れながらもセリカは頷く。
「結社にもお洋服を見繕うのが得意な方はいらっしゃるのですが、その、あまり他の人には聞かれたくなくて」
「いいねー、青春じゃーん」
 そう言って「ヒッヒッヒッ」と彼独特の笑いを上げるヤサカにセリカの頬は赤く染まる。
「もうそんな青春だなんて歳じゃ無い事は承知しているのですけどぉ……」
「良いじゃん、青春に年齢制限なんかないでしょー。その服、セリちゃんに似合ってて良いと思うよ。だけど」
「だけど?」
 逆接の接続詞に、セリカは緊張した面持ちでヤサカの次の言葉を待った。
「他の男に見せた服って男なら悔しいかもなー」
 正鵠を得たヤサカの一言にセリカは胸を突かれる。何も言えずに固まるセリカに安心させるようにヤサカは笑みを浮かべて更に口を開いた。
「男ってそういう生き物だからさ、そのデートには別の服を着た方が良いと思うぜ。ま、俺としてはセリちゃんがそんなデート服なんてモンを俺に見せようと着て来てくれたのは嬉しいけどね」
「ヤサカさん……」
「え、つまり俺はそんな服を見せたくなるくらいデートしたい男ってこと!? じゃあ早速、ベッドにデートに行こうか!?」
 ふざけたように言ってヤサカはエスコートするかのように手をセリカに差し出してくるので、セリカはその手をペチリと軽く叩いて拒絶した。それは洋服の件で沈みかけたセリカのテンションを上げようというヤサカなりの気遣いの冗談だ。バーの店主故か、ヤサカは場の空気を作るのが上手い。だからセリカも空気を壊さぬように彼の冗談に怒ったふりをする。
「もうっ、ヤサカさんたら相変わらず口が上手いんですからぁ」
「いやー、本気だったのになー。ヒヒッ、残念」
 言葉とは裏腹に残念な様子も見せず、ヤサカは笑って話題を変えるためにお通しチャームの小皿をカウンターに置いた。長い前髪で目元が見えないものの、何かを期待するような顔をしてコチラを見るヤサカにセリカは小皿と一緒に置かれた箸を手に取り「戴きます」と小さく呟く。
 今日のチャームはスモークサーモンのオニオンスライスのマリネサラダのようだ。
「あら」
 一口食べたセリカは目を見張る。オリーブオイルと酢の味のする普通のマリネサラダかと思えば予想外のピリリとした味覚があったからだ。
 そんなセリカの反応にニンマリと笑ったヤサカの期待のオーラが高まったのを感じたセリカは咀嚼すると口を開く。
山葵わさびですかぁ……? それとお醤油?」
「うん、そうそう」
 ヤサカはニコニコしながら頷き、カウンターに頬杖を付いてセリカを見つめていた。
「普通のマリネよりも山葵を使用する事で爽やかなお味でとても驚きましたぁ。カンテでは馴染みが濃いとはいえない東國由来の調味料を此処までお上手に調理されて、ヤサカさんは本当に料理がお上手ですねぇ」
 今度、結社で自分でも作ってみようなどと密かに思いつつセリカは世辞抜きの素直な感想を述べる。其れを聞いたヤサカは何とも嬉しそうな顔をした。
 人間というのは褒められると嬉しい生き物であるが、ヤサカは特に其れが顕著な人間のようだった。褒められると人間は快感ホルモンが出る生き物であるが、その快感が強いのか何なのか褒められると異常に喜んでくれる。なお、セリカが褒めるよりも付き合いの長いロードが褒めた方が顔を真っ赤にしてバタバタと暴れるほど快感が大きいようだが、これはただの余談である。
「ワサビと醤油とレモン汁にオリーブオイル、それに砂糖。普通のマリネと一緒で混ぜるだけのお手軽料理だよー」
「良いんですかぁ? そんなに簡単にレシピを明かしてしまって?」
「良いの、良いの。セリちゃんと俺の仲だから」
「まぁ。有難う御座いますぅ」
 最初はヤサカの言い方にいちいち顔を赤らめていたこともあったセリカだが、今では普通に彼の軽口に返せるようになっていた。レシピを忘れぬように心に書き留めて更に箸を進めていく。
「セリちゃん、お酒は何にする?」
「キールでお願いしますぅ」
 カシスのリキュールに白ワインを注いで混ぜるステア。ヤサカから手際良く提供されたシャンパングラスを受け取って一口飲めば、白ワインにカシスの程よい甘さが丁度良い。
 暫くヤサカの美味しいお酒と食事を満喫したセリカだったが、ふと気付く。今日の自分はデート服を見せたかったのと、ヤサカの腕を満喫しに来たのが本題ではない。
「ヤサカさん」
 カウンターの上が少し片付いたタイミングでセリカはヤサカに声をかけると、自身の座っていた椅子の隣の椅子にずっと置いていた紙袋をカウンターへと置いた。
 紙袋自体は結社から出てくる時からセリカがずっと持っていたものなので、どこの店名も書かれていないシンプルなものだ。その中からラッピングされたアロマキャンドルを取り出す。
 その瞬間、ラッピングのリボン部分に留められた「T-BONE」のタグをヤサカは見逃していなかった。恐ろしく速い発見だった。おそらくヤサカでなければ見逃していただろう。
「遅くなってしまったのですけどぉ……ヤサカさん、お誕生日おめでとう御座いましたぁ」
 そう言ってセリカはプレゼントをヤサカへと手渡した。
「え、俺にセリちゃんが?」
「だって先月の27日がお誕生日だとうかがっておりましたから……御迷惑でしたか?」
「迷惑な訳ないでしょー。セリちゃんから貰えるなら何だって嬉しいよ」
 「T-BONE」のタグを見なかった事にしてヤサカはラッピングを開ける。細やかに結ばれたリボンが店主のクリスの手によって結ばれたものに違いないと思うと、彼の顔が浮かんで微妙な気持ちになる。ヤサカは早々にその考えをミクリカの北の海に沈めるが如く忘れることにした。今、目の前にいるのはおじさんではなくセリカだ。
 そんなヤサカの葛藤なんて知らないセリカは、ラッピングを開けたヤサカがアロマキャンドルを見て「良いじゃーん」と明るい声を発してくれたことに胸を撫で下ろす。
「良かったですぅ……此方の店主さんとお知り合いなんですよね? 私が選んだ物ではありますが、ヤサカさんになら『これが間違いない』と太鼓判をいただいた物なんですよぅ」
「へ、へー……」
 セリカが選んだのは落ち着く香りのアロマキャンドルだったが、ヤサカの脳裏には一瞬『之でも嗅いで大人しくしていろ』とばかりのクリスの顔が浮かんだ。気のせいだと思いたい。
「あと、もう一つありましてぇ」
 そう言ってセリカは紙袋から別の物を取り出す。
 それはミニブーケだった。ブーケの下がガラスの瓶になっており、そのまま置くだけで飾れるものになっている。
 アロマキャンドルだけではない予想外の花の登場にヤサカも前髪の下で目を丸くする。そんなヤサカの驚きを感じとったセリカはクスリと笑い、花をヤサカに良く見えるようにカウンターへ置く。
「此方はミアちゃんからですぅ。ヤサカさん、ミアちゃんとお知り合いなんですねぇ」
「ミアちゃん? ミア・フローレスちゃん?」
「そうですぅ。ヤサカさんにはこのお店でとても良くしていただいたからと言っていましたぁ」
 ミニブーケは店の雰囲気を壊すことなくカウンターに収まるサイズと色感だった。一度、店に来たミアが「大人なお店の雰囲気を壊すことないように!」と選んだものであったのだが、それはミアらしい暴走をすることなく見事に店に調和していた。
「セリちゃんにミアちゃんとプレゼントまでくれて……何の連絡も無いロードとは大違いだなー」
 感動しつつ呟いたヤサカの言葉にセリカの顔が曇る。
 そして目の前で女が暗い顔をしたことを見逃すヤサカではなく、一転して真剣な顔でセリカに問いかけた。
「ロードに何かあった?」
「いえ……」
 セリカは口篭る。
 逡巡するが、誤魔化しは良くないと結論付けて意を決したように口を開いた。
「ロードさんご健勝ですぅ。おそらくもう暫くすれば此方にもいらっしゃいますと思いますので、事情はその時に聞いていただけたら」
 それでもセリカの口から最近の事件の仔細を言うのは憚られた。
 親しいとはいえ外部の人間に、しかもヤサカの誕生日当日に起きていた事件の話だ。話すならばセリカよりもヤサカと親しく、そして事件に深く関わっていたロードの口からの方が良いだろう。
 そんなセリカの様子から何かあった事を察したヤサカは深く追求することはしない。追求したところでヤサカが望む真実に関する情報は手に入らず、セリカに嫌な気分をさせるだけなのは火を見るより明らかだったからだ。
 だからヤサカは笑みを浮かべる。
「ヒヒッ、薄情な野郎の事なんか忘れて今はセリちゃんと楽しくお話しようかな」
 空気を変えたヤサカに、セリカの肩からいつの間にか入っていた力が抜けた。
「そうですねぇ」
 緊張したのか喉が乾いて仕方ないセリカは清酒で喉を潤した。空になった杯にすかさずヤサカが酒を注ぐ。
「そういえばミアちゃんは最初、ヤサカさんに贈るならササカマが良いと言っていましたが何かあるんですかぁ?」
 ササカマ。
 東國由来の食べ物であるが、海に囲まれた島国であるカンテ国でも好まれて消費されている魚の練り物である。そしてミアが以前ヤサカの名前を勘違いしたものであり、何の偶然かヤサカが雑誌投稿に使うペンネーム「崖に置いたササカマ」と同じ物であった。
「ミアちゃんが俺のこと『ササカマ』って名前だと勘違いしたからかなぁ」
「ササカマ……ヤサカさん……」

――サカしか合ってないですねぇ。

 奇しくもヤサカがミアに「ササカマ」と呼ばれた時に思ったことと同じことをセリカも思った。しかしながら心の声なので、その共通の思いにはさすがにヤサカも気付かない。
 カウンターの端、客の邪魔にはならない且つ人目に付きやすい場所にヤサカはキャンドルと花を飾っていた。飾られたそれらが店に昔からあったかのように馴染むのを見て買ったものは間違っていないとセリカは安堵しつつ、ベーコンおじさんに心の中で感謝の声を送る。
「ヤサカさん。ミアちゃんにも見せてあげたいので写真撮らせていただいても宜しいですかぁ?」
「ん? 良いよ」
 ヤサカに断ってセリカは携帯型端末で数枚、写真を撮った。
「ミアちゃんにも後で『お店おいで』って伝えといてくれる? なんならミアちゃんの銀髪の王子様と一緒でいいからって」
「……ええ、必ず伝えますね」
 セリカは強く頷く。
「ところでセリちゃん、まだ飲める?」
「ええ、まだ頂けますぅ」
 セリカは酒に強かった。
 ザルやワクと呼ばれる人達には届かないが、一般的に言えば「お酒が嗜める人」の枠に入るくらいは呑める人間だった。
 既に多くの量を呑んでいるのだが平然と微笑むセリカに「ヒヒッ」とヤサカらしい笑い声を上げると、彼はひとつのカクテルを作り出す。作り方は最初にセリカが飲んだキールと同じ混ぜるステアだ。
 手際良く完成させたヤサカがグラスをセリカの前に置く。
 それはキールに似た赤いカクテルだが、チェリーが飾られていて赤が強く見えた。
「此方は何てお酒なんですぅ?」
「ルスティゲ・ヴィトヴェだよー」
 ヤサカが素直に教えてくれるが、セリカは聞いた事のないカクテル名だった。
 思わずカクテルを眺めてしまうセリカにヤサカが補足する。
「チェリー・ブランデーとリキュールを使ったカクテルで、セリちゃんの苦手な炭酸は入っていないから安心してよ」
「お気遣い有難う御座います」
 グラスを手にするとチェリーの華やかな香りがセリカの鼻を擽った。
 見た目にも華やかで愛らしいカクテルであるが、ヤサカが何故急にルスティゲ・ヴィトヴェを提供してくれたのか意図が分からずセリカは小首を傾げてヤサカを見つめる。
「ルスティゲ・ヴィトヴェはボーデンリヒト語で“ 未亡人万歳 ”て意味なんだよね」
 セリカは絶句した。
 しかし、それはヤサカの言葉に悪い感情を抱いての絶句ではなく、単に言葉の意味に驚いての絶句だった。

――ミカナギさんは先のテロでご主人を亡くされています。不用意な発言は慎む様に。

 ロードに初めてリカ・コスタへと連れてきて貰った時、ヤサカへ釘を差すようにロードがセリカの立場を言った為にヤサカはセリカが未亡人であることは知っている。しかし、それ以上のセリカの事情は深くは言っていない。
 それでも何度かセリカが店に通ううちに感じるものがあったのだろう。
 ギロク博士のテロによって夫を亡くした普通の・・・未亡人に“ 未亡人万歳 ”なんていうカクテルを提供したら不謹慎の極みだが、セリカは普通の未亡人ではないので“ 未亡人万歳 ”は正にその通りとも言えた。
「未亡人万歳、ですかぁ……」
「まぁ、カクテルの名前よりもカクテル言葉の方が大事なんだけどね」
 カクテル言葉。花言葉やお菓子言葉に続いて、カクテルにも意味があったのかとセリカは驚く。
「カクテル言葉の分かる男の前で迂闊なカクテルは飲まない方が良い……っと話が逸れちまう。ルスティゲ・ヴィトヴェのカクテル言葉は」
 言葉を切ったヤサカがセリカを見る。
 前髪の下から覗いた薄い水色の瞳に見つめられて、思わず心臓が大きく高鳴った。
「カクテル言葉は“ もう一度素敵な恋を ”。プレゼントのお礼ってことで……これから先、まだまだ人生長いんだから楽しまないとね! あ、俺と楽しく恋愛しちゃう?」
「ふふ、結構ですぅ」
 ヤサカの冗談混じりの誘いを笑顔で受け流して、セリカはルスティゲ・ヴィトヴェを口にする。香りはチェリーであったが甘ったるい酒ではなく、ブランデーがしっかりと主張するカクテルであった。
 見た目とは違い芯のある酒だ。つまり、未亡人もそうであれということなのだろうか。
「素敵なお酒ですねぇ。ヤサカさんのお誕生日をお祝いに来たのに、何だか私が励まされてばかりですぅ」
「ヒヒヒッ! 良いんだって。俺は女の子が喜ぶ顔を見るのが何よりも好きなんだからセリちゃんの笑顔が最高のプレゼントってね!」
 ヤサカの笑みにつられてセリカも微笑む。
 こうして「リカ・コスタ」の夜は更けていった――。