薄明のカンテ - One step before./燐花

昔は悪い男だった

 まず初めに、その・・騒動がそこまで発展してしまったのには理由がいくつかある。
 一つ。舞台が『可愛いランツの子』だったから。
 ソナルトの目立たないところにその店はあった。名前は『可愛いランツの子』。店の特徴を一言で言えば「たまたまミクリカ岸壁街に出店しなかった飲み屋」である。店主であるエメリー・ストーヴィントンがランツの漁村出身で、かつて悪名高き不良だった彼が一念発起、ソナルトに辿り着いて自分の店を持ち、その時故郷を想うあまり付けた名前だと言うがそうだとしたら彼はきっと更生なぞ一切していない。
 ランツで悪名高かった彼がランツの名を冠した自分の店で更に悪徳を重ねているだけである、と言うのが彼を知る人の意見だ。『可愛いランツの子』は「たまたま岸壁街に出店しなかった飲み屋」。この店では、賭け事が横行している。金銭を賭けたやり取りは禁止されていると言うのはどこも同じであるし、岸壁街は治安が悪いとは言えソナルトの街そのものは法律を遵守している。では何故横行しているかと言えば、店主のストーヴィントンが二重にも三重にも手を回して街のお偉方を味方に付けているから。いわゆる賄賂を積んでいるからだ。本来払うべき十倍近い金を払い目を瞑ってもらっているのだ。そんな大金を払ってもリターンの方が大きい、マスコミの介入しない時に政治家も利用する秘密の社交場が『可愛いランツの子』なのだ。勿論誰かが通報でもすればすぐに関係者が逮捕されるのは間違いない。しかし、そうなると通報した利用者ももれなく「関係者」の一人になるし、無事平穏を取り戻した後にストーヴィントンが報復に来ない保証はない。むしろ彼は裏切り者を消す為なら地の果てまで追い掛けてくるだろう。
 二つ。カモにしようと目を付けたのが「スタムバル・バム」と名付けられたストーヴィントンの子分だった事。
 岸壁街の孤児だったスタムバル。名前の由来は、藤語で「厄介な馬鹿な人」だ。しかし彼はそんな名前を気に入っている。何故なら敬愛するストーヴィントンが付けてくれたから。
 名は体を表すとはよく言うが、スタムバルは知恵のあまり無い男だった。体ばかりデカくて要領は悪く、頭を働かせるよりも体を動かした方が幾分役立つ男で、ただ欲望の赴くままに動く様な彼は良いカモになってしまった。
 そう、頭の悪いスタムバルは本来カモになりやすいのだ。なら、何故彼をカモにする者が少ないかと言うと、偏にストーヴィントンの存在がある。スタムバルに手を出す、つまり彼の名誉を傷付けると言う事はその背後に居るストーヴィントンの名誉を傷付ける事と同義だからだ。
 三つ。が余所者でスタムバルに手を出すと言う事がどう言う事態を招くか把握していなかったから。
 ここにいる者は決してスタムバルに手を出さない。スタムバルをカモにすればその背後に居るストーヴィントンが必ず出てくる。いわゆる「虐めちゃいけない人を虐める」状況に陥る。その事の重大さをいまいちは把握していなかった。
 四つ。そう言った理由からスタムバルの好き勝手な行動に日々辛酸を舐めて来た客達は、勝手にこの余所者の彼をヒーローに仕立て上げた。この何も知らない余所者の彼に自分達の恨みつらみを晴らしてもらおうとしたのだった。

「ん〜……おぉぅー…むぅぅうー…」
 獣の唸り声の様な声を上げた大男ことスタムバルは東國の雰囲気漂うカードを手に唸り声を上げる。そしてその内、ムッとした顔を目の前の男に向けた。
「ンだよ、そりゃ女の子がして可愛い顔だぜ?お前みたいな眉の無ぇ厳つい顔のデカい野郎に睨まれてもな?」
「おい、お前イカサマしてねぇだろうな?」
「あぁ?イカサマ?するかよアホらしい」
 まあ、さっきのポーカーは少しイカサマしたけれど。
 兎頭の衣装に身を包んだ彼──ギャリーは所謂「袖隠し」に適した服の袖を弄びながらニヤニヤと笑みを浮かべる。
 イカサマを疑われたが、先程イカサマ込みで勝利したポーカーを経て確信した。スタムバルは弱い。恐ろしく頭が悪いので彼は本来こう言ったゲームに向いていないのだろう。あまりにも派手に勝ち過ぎて逆に怪しく見えてしまっていたギャリーは東國の「花札をやろう」と提案し、ゲームを切り替えた。実力だけで遊ぼうと思ったが、矢張りそこでもスタムバルは勝負の弱さを発揮する。と言うか、ルールをしっかり覚えていない様で且つ駆け引きに滅法弱かった。
「おぉっ!?おい、こりゃ何だ!?」
「えっと…あ、これ役出来上がりますね」
「どの役だ…?」
「え?んー…カスですけど…」
「あぁん!?テメェ、誰がカスだこの野郎!?もっぺん言ってみろ!?」
「えええ!?ち、違いますよ!!カスって役が出来上がるって話で、スタムバルさんをそう呼んだわけじゃないですって!!」
「あっはっはっは!!」
 役を覚えていないのか、一枚引く度にこれは何だあれは何だと隣に居る金魚の糞の様な男に聞いては暴れる始末。その様がまるでコントの様でギャリーは最早彼等のやりとりを肴に酒を楽しんでいた。
 僥倖。まさに僥倖。いや、それらしく言うなら五光、花見酒、月見酒を全部揃え勝負を決めた時の様な、そんな余裕をかました時の様な快感。偶々入った店が賭博を楽しむ店で、誰も相手にしていなかった様な男と当たり渋々ゲームをしていたが予想以上に弱かった上に手持ちの金がそこそこ多いと言うおまけ付き。ゲームを楽しめなかったら嫌だなぁと思っていたが前言撤回、一番のお楽しみが転がっているじゃないか。頭の弱いスタムバルをカモにしたら一晩でどれだけ稼げるだろうかと笑みが止まらないギャリーは慌てふためく大男を見ながら飲む酒の旨さを味わっていた。
「ギャリー、ずっと勝ち通しじゃない?そろそろ手加減してあげたら?」
 横で見ていた扇情的な格好の女がそっと耳打ちする。ギャリーは女の腰に手を回すと慣れた様にそのドレスの背中にあるホックを撫でる様に指で触った。
「嫌だね。だって手加減しなかったら早く終わるし?」
 つーっ、と少しだけホックを摘んで下げ、顔を出した背中を指で撫で回す。くすぐったそうに甘い声を上げると女は笑った。
「ふふ、その割には楽しそうにゲームしてるじゃない」
「そりゃあね。相手は素人同然なのに賭け金は一丁前だろ?ローリスク・ハイリターンなゲーム前にしたら笑いも止まらねぇよ」
「やだ、純粋にゲーム楽しんでるんじゃないの?」
「仕事もゲームも、自分にリターンがあるから楽しくやれんの。リターン無いと苦行だろ、どんな事でも。中には純粋にゲームを楽しむ酔狂な奴もいるだろうが…俺はね、欲望や見返りに忠実なの」
「あー…そうよね、据え膳前にして大人しくしてる様な男じゃないか」
「据え膳前にして大人しくする意味、ある?それよりさ、終わり次第だけど…カンテでそう言う商売してる子って幾らで寝てくれんの?」
「ふふ、そうね…兎頭の基本額よりは高いかもしれないけど、その分巧いわよ?私」
「…楽しみにしとく」
 ギャリーが女にそう耳打ちした瞬間向いから怒声が飛んだ。スタムバルはまるで自分を舐め腐っている様な態度のギャリーに酷く立腹していた。
「おい!お前!俺と真剣に勝負するんだ!女とばっか話してんじゃねぇ!」
「やだー。怖ーい。女ばっか見てないで俺を見ろって?嫉妬深いのねー、スタムバルちゃん」
 ナヨナヨと茶化すギャリーにスタムバルはいよいよ怒り心頭だった。
「おい、お前あんま俺を舐めんなよ!お前なんてなぁ、今すぐ俺がボコボコに…!!」
「待った!おいおいスタムバル…俺は今お前との勝負を心の底から楽しんでんだぜ?なのにお前、暴力に訴えるなんて無粋な事しちゃうのかい?なるほど確かにお前の気はそれで晴れるだろうよ。しかしあくまでこれはゲームだろ?ゲームは楽しんでなんぼだろ?俺は今お前と共有する時間を凄く楽しんでいるんだが…まさかお前…今まで全然楽しくなかったのか?楽しんでんの俺だけ?困ったなぁ…」
「何…?」
「勝つも負けるもそれはゲーム上の話であって俺とお前の現実のステータスは何一つ変わらない。俺と言う人間はどんなに頑張ってもお前には喧嘩では絶対勝てない。逆立ちしたってお前のその肉体美を俺が手に入れられる筈もない。いやいや凄いよなぁお前は、その体のデカさから繰り出されるパワーが人並外れてるよね」
 実際見た事ねぇけど。コイツが頭脳派で立ち回るなんて考えられないし、根っからパワー押しタイプなんだろうな。
「お、お前…俺の筋肉の凄さ分かるのか…?」
「おーおー。凄い凄い。俺なんてどんなに頑張っても全然筋肉付かなくてさぁ…あ、ほら見ろよ!彼女のふくらはぎよりお前の腕の方がよっぽど太くて逞しいよなー!」
 まあ自覚する程筋肉に自信のある生活してる奴の腕がただでさえ細身の女の子のふくらはぎと比べて太いのなんて当たり前っちゃ当たり前だけど。だって普通の男だって細身の女の子のふくらはぎより太い腕してるもん。
「ん…?そ、そうかお前、なかなか見所あるやつだな…」
「お前に筋肉じゃ何一つ勝てねぇ俺とお前がその垣根を超えて平等に楽しめるものって何だ?そう、ゲームだ。しかし現実を見れば俺は何一つ筋肉じゃお前に勝てねぇよ。勝てるわけがない。だから哀れな俺とゲームくらいは一緒に楽しんでくれよ」
「し、仕方ねぇな…」
 よし、ちょろいカモで良かった。
 ギャリーはニヤリと笑みを浮かべ、軽快なテンポでスタムバルを追い込んで行く。
 しかし、何事にも終わりは来るのだ。そして往々にしてこう言うものは、程々に加減しておいた方が良い。
「おい兄ちゃん。調子に乗っちゃあいけねぇな」
 店の喧騒を押し退けるでもなくしかし良く通る声。途端にざわついていた店内がしんと静まり返る。ただ一人、余所者であるギャリーだけが事態を飲み込めずに振り返った。
 隣にいる女も、先程まで騒いでいた客達も、果ては目の前にいるスタムバルさえ静かに縮こまっている。ギャリーが元来平和な男でこう言う空気に疎かった為に突如現れた男の放つ異様さに気付けなかったのだ。
「なァ。スタムバルそいつは俺の大事な弟分なんだ。可愛い可愛いどうしようもねぇグズな弟だ」
 その言葉を聞いた瞬間、あれだけの巨体を自慢していたスタムバルが存在を消す様に「ヒィィイッ!」と身を小さくする。ギャリーはそこまで来てやっと目の前の男がヤバい人間、ひいてはこの店のオーナーであるストーヴィントンと気が付いた。
「随分弟を虐めてくれたみてぇだな。確かにそいつはお察しの通りオツムが悪くてね。だがな兄ちゃん、ズルはいけねぇ…」
「え!?ズルなんて……!!」
 いや、イカサマしてたな。一個前のゲーム最初のポーカーで。
 ギャリーは自分がそもそもとして強く言い返せない立場だと言うのを思い出した。しかし幸か不幸か、ギャリーの言い淀みを見て男は勘違いした。ギャリーの服装から兎頭国の人間だと言う事は察していたが、カンテ語を話せない人間と思い込んでいた様だ。
「あン?何だ?兄ちゃんもしかしてカンテ語話せねぇか?」
「あ…いや…えー…」
「何だ?分かるのか分かんねぇのかどっちだ?おい、この状況分かるますたか・・・・・・・?アンダ・スタン・ユー・イエス?」
「………」
 それは明らかに間違った藤語。兎頭国の人間を馬鹿にしての発言であるとギャリーはすぐに気が付きぴくりと体を震わせる。しかし、歯向かったところで勝機も無いと気が付いてしまった。
「おい、どうだ?」
「わ、私藤語なら少し分かるますが、カンテ語よく分からないですだよー…」
 なので、『仰る通りカンテ語の話せない人間です』と言わんばかり、苦し紛れの妙な言葉遣いでやり過ごす事に決めた。
「お?面白ぇ、中途半端に言葉が分かるとそんなおかしな喋り方になんのか?」
「私カンテ国来たの少し前ね、私の故郷くに、人優しいよ、食べ物美味しいよ、お兄さんきっと気に入るですだよ」
 にこにこと満面の笑みを浮かべて敵意がまるで無い人畜無害な人間であるとアピールする。ギャリーは兎頭国の標準語は勿論の事地元の訛りも、仕事の為に覚えたカンテ語もペラペラだった。カンテに来た際、電子世界で見付けた兎頭人のコミュニティーのオフ会に参加した時、まだ言葉をしっかり覚えていないと言っていた参加者の女性の喋り方がこんな感じだった事を思い出して話していたのだった。
 彼女とは一晩一緒に居たけれど、何故か行為中も故郷の言葉に戻らずカンテ語でのこの独特な喋り方だった為ギャリーは何度か萎えかけた事を思い出した。
「ははははっ!昔俺に兎頭の女抱かせようとした商売人の喋り方そっくりだな。シャチョーサン、シャチョーサン言っておべっか使ってなァ。何だ?兎頭人ってのはあんだけ広い国に居て皆同じ様な喋りしか出来無いのかい?兎頭は行ってもまともに藤語も通じねぇ国だって言うからな」
 ギャリーはそれが今度こそ分かりやすく人種による揶揄いから来ていると気付いた。自分が揶揄われると言う事はつまり、この場に居ない兎頭人のあの女性が笑われているのに等しく申し訳なさが胸を締めるが今はこの男に言い返さない方が良いと思いグッと堪える。
 兎頭国は確かに大国ではあるが、アケリア人やアヴルーパ人は選民思想が一部にあるのか、アシューアと言うだけで馬鹿にしてくる風潮を持っている人間も居る。あたたかくさっぱりした人柄が多いと言われるカンテ国もそれはあくまで国のマジョリティの話で皆が皆そうとは言えず、個人ではどう考えているかなど分かったものじゃない。
 少なくともストーヴィントンはアシューアと言うだけで馬鹿にするタイプの人間だった。
「よししょうがねぇ。国が違うなら兎頭の兄ちゃんに色々言うのはやめといてやるよ。なんせスタムバルみてぇに図体デケェだけのど田舎国からわざわざカンテ国にお越しくださったんだ。ど田舎から出て最初に都会で作る思い出が悪いもんじゃ可哀想だ。水に流さずどうするって話だしな」
 聞いていて最早ギャリーはストーヴィントンに苛立ちしか覚えない。しかし、何とか堪えるとこの場を丸く収めようと努めてニコニコ笑っていた。
「ただし、このカンテ国に居ながらスタムバルを助けなかった情けねぇ奴を俺は許しておけねぇな。コイツが俺の大事なグズで間抜けで頭の悪い可愛い可愛い弟分だと知りながら、それでもこの言葉すら分かんねぇ田舎風情の兄ちゃんの味方したって言う冷たく情けねぇ人間は?どいつだ?」
 八割程悪口だと言うのに文頭に「大事」が付き、可愛い可愛い弟分で締められているからかスタムバルは照れ臭そうに鼻を掻いた。幸せなものだ。
 この言葉ぶりからギャリーはストーヴィントンの本当の目的を知ってゾッとする。彼はスタムバルを本当に可愛がってはいるのだろう。しかし、本当の目的はスタムバルの尻拭いでは決して無い。
 スタムバルの後ろに常にいる自分と言う存在をちゃんと認識して居ない、大人しく自分の思い描く在り方をしていなかった人間の炙り出しをしているのだ。自分が居なくてもスタムバルの背後に自分を感じて怯えていなければならない筈なのにそれをせず、むしろスタムバルを貶めようとすらした、遠回しに自分を侮辱した人間の炙り出しだ。
 どれだけコイツは自分が上級な人間だと思っていて、どれだけ他人まで自分の思い通りにしたいんだよ、とギャリーは心の中で呟き口を尖らす。
 ストーヴィントンによる「大事なスタムバル弟分の敵討ち」と言う建前の「自分の事を馬鹿にした人間探し」により炙り出された若い男数人と、先程自分と一緒にいた女が店の奥に連れて行かれるのをギャリーは静かに見ていたが、店に居た他の客達が裏に連れて行かれた彼らに目を奪われている隙に音も無く店を出た。あのまま居続けて騒ぎが大きくなっても嫌だったからだ。しかし、連れて行かれた女が気になったので店の裏口に周り彼女が出て来るのを待つ事にした。
 少し経つとドアが開き、女が一人出て来る。女は呆然としていて、その顔には薄ら涙の跡もあり沿う様に化粧が落ちていた。ギャリーは周りを見回し安全を確認してやっと女の元へ駆け寄った。
「ね、ねぇ…大丈夫?」
「……あんた…?」
「アイツらに…何か酷い事された?」
 寄り添って、何とか話を聞こうとそう切り出した。女は一度下を向いたがギャリーの言葉を聞くとキッと彼を睨む。その目付きに圧倒されていると女は震えながら小さく呟いた。
「……ぃ…くよ…」
「え?」
「…最悪よって言ってんのよ!!あんたなんか相手にしようとした所為でアイツらに目ぇ付けられたのよ!?今度この辺で商売したら殺される!どうしてくれんのよ!?ここ良い稼ぎ場だったのに!!」
 そう言い放つと同時に振り上げられた膝蹴りがあろう事かギャリーの急所にクリーンヒットした。ギャリーは突然の事に疑問を浮かべながらその衝撃で蹲る。不幸中の幸いだったのは彼女の背が彼より大分低かったのであまり足が上がらなかった事と、彼の着ていた兎頭の服のスリット部分が突っ張っていてほんの少し振り上げられた膝の勢いを和らげた事だが、どちらにせよ今の彼には立てない程の衝撃には変わりない。
「本当最悪よもう!!しかも全てが終わった今になって慰めに来て間に合わせようってどう言う事よ!?自分は言葉分からない兎頭人のフリしてやり過ごしたくせに今更何よ!?」
「ちょ……ちょっと、待っ……!」
「あんたなんか相手にしなきゃ良かったわ!そしたらアイツらに目ぇ付けられる事もこんな怖い思いする事もなかったのに…!本当今日は最悪の日よ!消えろ!!」
 ブーイングのハンドサインを見せると蹲ったままのギャリーを無視して女はツカツカとヒールの音を立てその場から居なくなった。しん、と静まり返る空間に取り残されて痛みと衝撃の余韻と闘うギャリーは自分がとても惨めに思えた。
「お、俺も…だよ…」
 最早誰も居ない路地裏でやっと声を振り絞り、彼女への反論と言わんばかりにその一言を発するのが精一杯だった。
 俺も君に話を持ち掛けられなきゃ今頃こんな格好で悶絶してなくて良かったよ、きっと。
 そんな事を頭に思い浮かべながら。
 今回はストーヴィントンに目を付けられなかったとは言え次回は分からない。それもあってギャリーはこの件以降ソナルトに一切足を運ばなくなった。彼にとってソナルトの街は次に的にされるかもしれない恐怖を抱えながら歩く街であり、嫌な記憶をただただ思い出すそんな街になっていたのだった。

その木に導かれ

 カンテ国に渡ってすぐ『ソナルトの街には二度と行かない』と、ギャリーに思わせたその記憶を呼び覚ましたのは不意に休憩所でセリカとバーティゴが会話の中でその名前を口にするのを聞いたからかもしれない。
「え?セリカ、ソナルト行きたいの?」
「そうなんですぅ…」
「ん?でもソナルトでしょう…?あそこって何かあったかしら?カンテ国で一、二を争うくらいお堅い街ってイメージしかないわよ?他に何かあった?」
「その…ソナルトに東國の雑貨や食べ物を多く揃えているお店があるんですぅ…そこで可愛らしい清酒を入荷されたと聞きまして…」
「どんなの?」
「…桜をテーマにしたお酒だそうで。見た目も可愛らしいボトルに入れられていて女性向けで、中身も。紅麹を使ってほんのりピンクに色付けられた甘いお酒と聞きまして、気になってしまって…」
 そんな話を聞き、ギャリーはすぐにピンと来る。そう言えばそろそろセリカの誕生日か。そしてセリカはそんな時に販売された東國産の桜の清酒が欲しい、と。多分、控えめな性格の彼女の事だから誰かにそれをプレゼントして欲しいなんて事は勿論言わないだろう。しかし、他に見るところもないソナルトにそれだけの為に行くのも迷っている様に見える。
 そして更にピンと来る。これは、このタイミングでその清酒をプレゼント出来たらその流れでデートに誘いやすくなるのでは無いのか!?と。
 実はまだセリカとは仕事終わりに夕食を外に食べに行く程度しかした事がないギャリーにとって良いタイミングだと思った。気持ちを自覚した今、そろそろ先に進みたい。しかし、進める方法が分からない。そこでこのプレゼントが有効なのでは無いかとそんな下心込みで想像してみる。
 しかし。
「ソナルトかぁぁぁあ……」
 即座に思い出したのはあまりにも痛い思い出。そしてあの強面な男二人。あの時は「海外から来たばかりで拙い言葉遣いしか出来ない」と誤魔化したが、おそらくもし再会したらそれは通用しないだろう。後から聞いたところ、ソナルトを根城にしているストーヴィントンの怒りに触れた彼らが「もう街に入れない」とまで大袈裟に言っていた理由は、ストーヴィントンの特異な記憶力にあるらしい。
 名前はさて置き、人の顔や風貌とエピソードを結び付けて覚えるのが得意な様で、故に彼があんな政治家の多いソナルトで商売出来ているのもその特技あっての事の様だ。名前を覚えていないからと言って親しみやすい愛称や呼び名で、しかしいつの時に何で一緒になったと思い出しながら世間話をしてくると言う。ストーヴィントンはあまりにも人と距離を詰めるのも上手い男なのだ。確かに同じ客商売をしていた立場として、彼の能力はとても有り難いし欲しいと思う。しかし、それに怯える側の立場に立って考えたら今はただただ厄介だ。何故なら彼はその記憶力に加え蛇の様な執念さを併せ持っているからだ。
 次仕留めるぞと予告した獲物が再びソナルトの街に現れた時、その執念深さで気の済むまでどこまでも追う。それがストーヴィントンだ。
 しかし、逆を言えば彼も立場があるからかソナルトの街から出てさえしまえば追って来ない。だからソナルトに行かなければ問題は無いのだが。
 セリカが初めて「これが欲しい」と明言したものがその清酒。彼女が初めて「欲しい」と誰かに口にしたもの。せっかくだから、本人が欲しいと思っている物を買ってプレゼントしたい。誕生日を祝う側の想いには「生まれてきてくれてありがとう」の意味も勿論あるのだから。
「えーっと…配送……げ。頼んでたら誕生日越える…」
 配送はテロ以降少し遅れ気味になっているカンテ国。国内でもまだ少し麻痺している状態で、早めに気付けば良かったが今から頼むとなると誕生日を過ぎてしまう。やはり直接行って買った方が確実だ。
 しかし、どうしてもセリカに、彼女が望んだ物をあげたい。
「あ、そうだ!」
 何かを思い付きポンと手を叩く。ギャリーはその思い付いたアイディアを形にするべくいそいそと部屋に向かった。

 * * *

 次の日、ソナルトに降り立ったのはいつものハーフアップの焦茶髪にゆったりした兎頭国の衣装ではなく、一つに結いた焦茶髪にサングラス、革ジャンにジーンズと言ういつもの緩い印象からひっくり返ったギャリーだった。
「よし、完璧…!」
 バイク乗りのアルヴィに無理を言って貸してもらった革ジャンをばっちり着込み、ガラスに反射する己の姿を見て満足げに微笑む。そこには、いつもの緩そうな衣装と違い細身のスタイルを強調する様なジーンズの似合う美青年(あくまでもギャリーの主観だ)が居た。
 前回ここに来た時はいつもの格好だったが今日は別人の様に着込んでいるのだからきっとバレない。ソナルトの街は特に興味そそられる物も無いので目的の清酒を店で買ったらそれで終わり。その後は帰るだけだ。
 セリカの言っていた例の店に入ると目立つ所にそれは置かれていた。しかも最後の一つだった。
 コロンとした丸い入れ物を満たす薄ピンクの清酒。よく見ると食用なのか桜の花もボトルの中をふわふわ漂っていた。ボトルの形もあってハーバリウムの様な可愛らしい商品だ。これは女の子が喜ぶやつだ。
 明確に女性をターゲットにしたその商品の出来に感心しつつ一つをレジに持って行こうと手に取る。その時、すぐ横を通った女性店員が捻れた様な不思議な幹の鉢植えを持っている事に気が付いた。
「何だ…?アレ…」
 何だか不思議な木だ。ギャリーは吸い寄せられる様に鉢植えに興味を持って近付いて行く。普段なら草花にはそこまで興味を抱かないのだが、何故かそれは気になってしまった。
「お?」
 そして気にして近付いた事で、迷っていたギャリーの視界にそれが飛び込んで来た。それは桜色のメインストーン──おそらくローズクォーツだろうか?に特別なカットを施したらしいリングで、正直なかなかお高めだったがよくよく覗き込むとストーンの中に綺麗な桜が浮かび上がっている。これは見事な職人技だ。まるで小さな桜の花を石の中に閉じ込めた様な繊細な作り。
 誕生日のプレゼントに酒だけと言うのも味気ないしと思っていたギャリーにとってはこの上なく良いものだった。ただ一つ、値段を除いて。
「ど、どうしようかなー…?」
 一つの値段がテオフィルスのドローンくらいする。なかなかにお高いお値段だが大変可愛らしい物でもある。
 ギャリーはしばらく顎に手を当て、云々唸りながら値札と睨めっこしていた。その睨めっこにあまりに集中し過ぎて彼の背後を女性が通った事にも気付かなかった。
「あらぁ…?すみません、こちらの清酒は…?」
「あ、大変申し訳ございません…!現在店頭に並んでいるものが最後でして…!」
「え?そうなんですかぁ…再入荷はどのくらいで?」
「うーん…季節のものですから、もう最終入荷の予定だったんです…お取り寄せも可能かどうか、確認してからになってしまいますので確実ではありませんし通常の商品より時間も掛かってしまいます」
「そうなんですねぇ……うーん、残念ですぅ…」
「大変申し訳ございません」
 自分の背後でそんなやり取りが行われて居るなんて露知らず指輪と睨めっこを続けるギャリー。
 女性が諦めて店を出てしまうまでギャリーは頭の中で算盤を弾きながらひたすら自分の財布事情と折り合いを付けようと頑張っていたのだった。
「…よし!決めた!!」
 やっと諸々の勘定が終わり、会計をすべくレジに向かうギャリー。レジに当たってくれた女性店員から香水の様な優しい香りが漂ってくる。ついつい女と見れば口説くのが礼儀だと考えるトレベーネ男子の様な思考回路のギャリーは彼女にフランクに話し掛けていた。
「お姉さん、良い匂いするね」
「え?あ、本当ですか?ありがとうございます…こちら先日から取り扱いを始めました東國イメージのオーデコロンでございまして…」
「へぇー…良い香り。お姉さんの良い匂いは何の匂い?」
「ふふ、私の付けているのはこの時期なので桜です。あ、そちらにお品物ございまして…後は柚子と金木犀が残ってますね」
「へぇ…本当だ。何かボトルからして雅やかな雰囲気だね」
「そうなんです。オーデコロンなので香りの濃度も持続時間もライトなので優しく香る感じも東國の女性のお淑やかさをイメージしています。それから、小さいサイズでお求めやすい価格となっていますね」
「………」
 ギャリーは元々買おうとしていたものに更にオーデコロンも追加したのは言うまでも無い。
「あ、そう言やあの木…不思議だね。幹の部分があんなに捻れて…あれ自然にああなってんの?」
 ふと、ギャリーは先程店員が運んでいた鉢植えが気になり尋ねてみた。偶然その鉢植えを運んでいた店員が彼女だったのですぐどの鉢植えのことか気付いたらしく、詳しく教えてくれた。
「ああ、あれ実は成長させる過程で人為的に編み込めるんですよ」
「そうなの!?俺花詳しく無ぇから初めて見たなぁ…」
「ふふ、葉が繁ってて可愛いでしょう?」
 あの木、何て言う品種なの?とギャリーが尋ねると、店員は嬉しそうに「ベンジャミンって言うんですよ!」と答えたのだった。

君は君だから

 せっかくソナルトに来たのに目当てだった清酒は自分が来る前に売り切れてしまった。その後も特に見たいものも無いので本当にただソナルトに来て帰るだけの一日になってしまった。何だか今日はタイミングが悪い。そしてそう言う日は、あまり良い風に転ばず少しモヤモヤする様な事が起きてしまうのである。
「よぉ!先輩の彼女さん!」
 セリカは急に声を掛けて来た男性に、そして彼の後ろに付いている大柄な男性に一瞬萎縮してしまった。少なくとも自分の記憶の中では接した事のない男達だ。声を掛けて来たのは強面で少し無遠慮な男。こんな知り合い居ただろうかとセリカが記憶を探っていると、それに気付いたのか男はにかっと笑顔を見せた。
「悪ィね。そう言や一回会ったきりだったな」
「え!?い、一回、ですかぁ…!?」
「ああ、俺は何だかやたらと人の覚えが良いんだ。顔と言うか全体の雰囲気で気付く感じか?一瞬分かんなかったけどな。雰囲気も変わってまた綺麗になったなぁ、先輩の彼女さん」
 その言い方にセリカはようやく心当たりを見付けた。この少し粗暴な感じ、そして「先輩の彼女さん」。その呼び方で呼ぶ人に過去に一度だけ会っている気がする。確か夫であるベンジーが結婚前に飲みに行った時にたまたま再会したと言う大学の後輩に、一人だけ彼の交友関係にはまるで当て嵌まらなそうなヤンチャそうな男性が居たのだ。
 ベンジーとその後輩との出会いは大学の剣道サークル。その当時既にベンジーは卒業生で、たまたま道場に顔を出した時に後輩から手合わせを頼まれて指導していると道場破りよろしく入って来た男が居た。その男が彼だ。
「えっとぉ…」
「エメリー・ストーヴィントン。その節はお土産貰っちまって悪かったな。ところで、一人で買い物かい?ピンカートン先輩は元気か?」
「あ…えっと、ストーヴィントンさん。それが……」
 彼──ストーヴィントンは「見学」と称しあらゆるサークルにちょっかいを出しに来て居た問題児だった。その日も彼は「見学」に来ており、そこで同じ様に「見学」に来て居たベンジーと鉢合わせる。勿論先輩、卒業生だからと物怖じしないストーヴィントンに腹を立てたベンジーが彼と「話を付けに」行き、その結果ストーヴィントンはベンジーを「先輩」と呼んで一目置く様になった。その時何を話したのかセリカは詳しく聞かなかったが数年後、たまたまベンジーから「飲み過ぎた」と連絡を貰い心配になって家に行ったらベンジーを抱えたストーヴィントンがおり、そこで初めて顔合わせしたのだった。
 今となっては、「なかなか話の合う男だった」と言うベンジーの彼への評価が一体どう言う意味・・・・・・でだったのか、考えると少し嫌な感じがする。
「そっか…先輩、死んじまったか…しかし結婚してたのも知らなかったぜ…」
「はい……祝言は数年前に挙げましたがそんなに派手なものでもなくて、それに旦那様はあまりそう言った事を公にしたく無い方でしたから……テロの日には、自宅で起動させていた機械人形が汚染されてしまって…それで暴走して…」
「すまねぇな…悲しい事言わせて…」
「いいえ…突然の事だったので…御学友の方でも知ってらっしゃる方はいらっしゃらないかもしれません。すみません…こちらも多忙でご連絡出来ず…」
「しょうがねぇさ。それより、今はどうしてるんだ?奥さんは」
「はい…マルフィ結社と言うところに所属していまして、仲良くしてくださる方ばかりでありがたいですぅ」
「何、きっと人柄だろ?そりゃ、奥さんが良い嫁・・・だったから皆良くしてくれるんだ」
 セリカは人知れずピクリと反応した。ストーヴィントンは自分の事を「良い嫁だったから皆良くしてくれる」と言ったが、そこに引っ掛かるのは自分が至らないからだろうか。全く、今日はとことん色んな事に引っ掛かってしまう。今日はとことん些細な事でモヤモヤしてしまう。
 もしも「良い嫁」と言う立場では無く、「ただのセリカ」だったら親切にされないと言われている様に感じてしまった。
「良い、嫁…ですかぁ?」
「そうだ。旦那が死んでからも亡き旦那の為に一人で生きて行こうだなんていじらしくて泣けてくるぜ。だが、それこそが嫁のあるべき姿だろ?世間じゃ離婚後すぐ男作る様なアバズレも居るが、そんな女に碌な奴はいねぇ。それが生きているのであれ死に別れであれ、旦那と別れるなんざ一大事な話だ。最低でも三年くらいは旦那との別れを引き摺る様な女でなきゃ許されねぇよ」

 許される?許されない?
 誰に?
 この人は何を言っているの?

 セリカは、胸につかえたモヤモヤが勘違いで無かった事に唖然とした。
「…まぁ、中には例えばですが、旦那様の他の女性への心変わりとかもあるじゃありませんか、お別れの理由に。そんな形でお別れしてしまったら、早く気持ちを切り替えて次の人生を歩んだ方が幸せかもしれませんし…。私はそうやって前を向かれた方は尊敬出来ますが…」
 茶を濁す様で気分の良いものではなかったが、ヤサカの店で出会ったケートの様な暴力から逃げて来た女性も、自分の様に苦しい思いをして今在りたい様な格好で在る女性も一括りに悪であるかの様に言われた気がしてセリカはほんの少しだけ反抗心を胸に言葉を紡いでいた。
 しかし、ストーヴィントンの続けた言葉はそんなセリカの心を抉った。
「男の浮気は仕方ねぇもんだろ。生物として当然なんだから。それに怒る暇あるなら浮気されない為にやれる事は何だったか考えられなきゃその女は終わりだ。そんな自分を顧みれない女が次の男に乗り換えたところでまた失敗するに決まってる」
「そうだな、兄ちゃんの言う通りだな!男は浮気するもんだってEMA・・・に刻まれてるんだもんな!」
「…それを言うならDNAだ馬鹿野郎。そんな単純な単語お前はいつになったら覚えるんだ?」
 セリカは思わず唖然とする。今目の前の人間が何を言っているのか一瞬考えてしまう程に、価値観に大きな差異があった。
「俺の知り合いの男にも嫁が堪え性無かった所為で別れた夫婦居たな。夫が家の事何もやらないとか何とか言ってな。甘えてんだ、根本的に。亭主が外で仕事して来てるんだからンなもん我慢するのが当たり前だろうよ」
 セリカは今のたった少しのやり取りで色々と察してしまった。おそらく自分とはつくづく話の合わなそうな男性だと言う事も、そしてそれに「話が合う」と言っていたベンジーが何をもってそう言ったのかも。
「奥さんよぉ」
「は、はい…?」
「あんたは夫の為に喪に服し、夫の為を思って今生きてんだろ?これからも、夫を想いながら生きてくんだ。それはあんたにとって幸せな形だしそれをやってるあんたは良妻の鑑だと思う。だからあんたみたいな良い女がそこらのアバズレどもなんぞに尊敬なんて言っちゃいけねぇ。女の品位を下げるぜ?」
「…そ、そうですかぁ?」
 この人の言う「良い女」、「良い嫁」が夫ありきの人間だとしたら、その人そのものの価値を何だと思っているんだろう?この人の言う「品のある女」とは何だろう?
 セリカはふと、マルフィ結社に来た時の事を思い出していた。バーティゴと初めて顔を合わせた時の事を。最初はなんて粗暴な女性だろうと思ったものだ。どうせ分かり合えない類の人なのだから、当たり障りなく職場で過ごし波風を立てない様に。そう思っていたが、彼女は好き嫌いがはっきりしている事こそあれど、それで他人を見下す様な女性では無かった。特に彼女も女性の身で男性の多い戦地に居たわけで、女性だったから味わった嫌な事や不条理さも経験していた。そして更に、片腕と片足を失いハンデを持った時に経験した不条理さも。
 バーティゴに思い切ってここに来た経緯と、ベンジーに対する想いを溢した事がある。バーティゴは、セリカが嫌な思いをしたと言う事とベンジーの人間性はその場で混ぜ合わせたりせず、ただただセリカの事を想って「悲しかったわね」とだけ呟いた。セリカの中にあるベンジーへの複雑な想いも汲んだ上で彼を悪く言わなかったのだ。そして更に、「セリカはもう自由に生きて良いのよ」と後押しした。
 セリカはこの時、彼女を「お姉様」と慕う様になった。
 今目の前にいるストーヴィントンと、彼を「兄ちゃん」と呼ぶ大男は、そんなバーティゴの様な人も「女」と言うだけで一緒くたに見下している様に見えてしまい、セリカは段々疲れてきた。
 とにかく愛想笑いを徹底し、早く終わる事だけを祈った。

 * * *

「な、何でセリカちゃんがあんな奴らと…!?」
 ちょうどタイミング良くと言うのか、悪くと言うのか。買い物を終えたギャリーがその場を通った。何とか納得した買い物をし、セリカに「今日会えないか」とメッセージを入れた。そして顔を上げたら、目線の先に彼女の様な趣味の着物を着ている女性が居たので見惚れていたらセリカ本人だったのだ。
 ただし、問題は彼女と一緒に居る人間だった。
 ギャリーがソナルトに来たくない最たる理由、エメリー・ストーヴィントンとスタムバル・バムの様な風貌の人間が──おそらく本人だと思うがどう言う理屈かセリカと楽しそうにお喋りしているじゃないか。もしかしたら、自分が嫌だと思っているだけでセリカとあの二人は既知の間柄で何だかんだ良好な関係を築いているのかもしれない。
 だとしたら、自分が彼らを「嫌だ」と思っているだけなので双方不快にさせる前に何もせず帰った方が良いのかも。
 そう判断したギャリーは遠目にだけ見て見つかる前に帰ろうと駅に向かう道に足を向けた。
「男の浮気は仕方ねぇもんだろ。生物として当然なんだから。それに怒る暇あるなら浮気されない為にやれる事は何だったか考えられなきゃその女は終わりだ」
 その時、聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んで来た。あいつ、女の子セリカちゃん前にして何言ってんだ?そんな勝手な言い分聞かされて良い気分になる女性が居る筈が無い。
 もしもそんな理屈が通ってしまうなら、まあ美味しくないと言ったら嘘になる。しかし、自身も「された側」の恋愛が多いギャリーとしては、「仕方ない」と言う一言で受け入れろと突き付けられる側の気持ちをどうしたって考えてしまう。
 だってそれは、「傷付けても仕方ない」と遠回しに言っているようなものじゃないか。人が傷付いて良い理由なんてどこにも無い。人を傷付けて良い理由もどこにも無い。
「俺の知り合いの男にも嫁が堪え性無かった所為で別れた夫婦居たな。夫が家の事何もやらないとか何とか言ってな。甘えてんだ、根本的に。亭主が外で仕事して来てるんだからンなもん我慢するのが当たり前だろうよ」
 自分の傍に居る事を選んでくれた人が「嫌だ」と思う事がある。それを我慢すれば良いなんて何処の決まり事だ。そんなのは根本的な解決にならないし、そんなやり方でなあなあにしようなど間違ってる。そんな「絶対的に片方だけが悪い」なんて言い方、相手を見下していなきゃ出て来ない言い分ではないのか?
 そんな憤りを抱え、気付けばギャリーは恐怖も忘れて話をしている三人の下へ歩みを進めていた。
「奥さんよぉ」
「は、はい…?」
「あんたは夫の為に喪に服し、夫の為を思って今生きてんだろ?これからも、夫を想いながら生きてくんだ。それはあんたにとって幸せな形だしそれをやってるあんたは良妻の鑑だと思う。だからあんたみたいな良い女がそこらのアバズレどもなんぞに尊敬なんて言っちゃいけねぇ。女の品位を下げるぜ?」
「…そ、そうですかぁ?」
 俯き、少し疲れた顔になって一言二言しか返せずにいたセリカに不意に声が掛かる。
「ンな事ぁ無ぇよ」
 それはよく聞いた声だった。しかし、少し不機嫌そうに言い放たれたその声に誘われる様に顔を向けるとそこにはサングラスに革ジャン、ジーパンと言う見慣れぬ格好の男性が居た。しかし彼がサングラスを外した瞬間、それは見知った男性の顔に変わった。
「あらぁ……?」
「セリカちゃん、そんな勝手な言い分に同意しなくて良いよ」
 その言葉に今度眉を顰めたのはストーヴィントンだった。
「あァ?……誰かと思ったら二年前の『ですだよ』じゃねぇか。どうだ?あれから少しは勉強したか?お前、カンテ語分かるますか・・・・・・?」
「うるせぇよ。そう言うテメェは二年前と何も変わってねぇな。人見下さなきゃ会話出来ねぇか?」
 あからさまに眉に力を込め、表情から怒りを滲ませるストーヴィントン。しかし、突如現れたギャリーが彼と知り合いらしいと言う事に今度セリカは困惑した。
「あのぅ…ギャリーさん、ストーヴィントンさんとお知り合いで?」
「うん…ちょっとね…」
「…へぇ、なるほど。こりゃ一本食わされたな。さては『ですだよ』、お前初めて会った時既に喋れたな?全く、あまりにも必死に言い繕う様な泣きそうなくらい迫真の演技でつい騙されちまったよ。なぁ、そんな風に騙された俺は『間抜け』か?」
 敢えて怒りを隠さずそう尋ねるストーヴィントンを見、後ろで震え上がるスタムバル。こいつは全然変わらない。「もし変な事言ったらどうなるか分かってるだろうな?」と言う圧で相手から言葉を奪うやり方をしているのは、初めて会った時も今も変わらない。
 俺は間抜けか?の問いに対する彼の一番望む言葉は「いいえ」。
 いいえ、貴方の機嫌を損ねる言葉は使いませんと言わんばかりに怯えながら言えば彼は満足なのだろう。二年前の自分ならそうしていたかもしれないとギャリーは思った。でも今は違う。だって彼の横には好きな人セリカが居る。
「ギャリーさん…」
 少し不安そうにセリカがギャリーを見る。ギャリーは彼女の格好を見、足元が歩きやすいブーツな事を確認すると心配を拭う様に彼女の手に自分の手を絡めた。
「あ!お前、何手なんか握ってんだ!?」
 目敏いスタムバルにそう言われ、ストーヴィントンも鋭い目でこちらを睨む。しかしお構いなしと言わんばかりにギャリーは大きく息を吸うと、カッと目を見開いた。
「ああそうだね!間抜けだね!顔覚えられるだか何だか知らねぇが目の前にいる女の子がお前の話を聞いてすっごい気まずそうにしてんのに気付かねぇって間抜け以外へぇ何て言うだ!?顔覚えられるって自慢しても顔色伺えられないなんて駄目さやァ!顔覚えられたって何の自慢にもならないじゃねぇ!?後それから、俺の父ちゃんカンテ人で母ちゃん兎頭国人、んで二人が出会ったのはトレベーネだから俺カンテ語も藤語も兎頭語もトレベーネ語もラシルム語もある程度理解出来んの!そっちこそ俺の言葉分かるますたか・・・・・・・!?アンダ・スタン・ユー・イエス!?」
 一気にそう捲し立て息を切らすギャリー。スタムバルもストーヴィントンもそんな彼に呆気に取られていたが、そんな隙を突く様にギャリーはセリカの手を握る力を強めると、彼女をぐいと自分の方に引っ張り二人と更に距離を空ける。
「あとなぁ、本来兎頭国人って勤勉家でお前が思ってるより頭良い人多いからな!それから、俺もお前から逃げようとした時彼女の真似したから人の事言えねぇし、確かに兎頭国人同士だから言葉通じる筈なのにヤッてる最中までカタコトのカンテ語でアンアン言うからちょっと萎えたけどさぁ!でも彼女の名誉の為に言うけど、確かに「一日でも早くカンテ語覚えたい」って言ってたんだよ!だからそんな彼女の真似した俺を馬鹿にするって事は彼女の頑張りまでもを馬鹿にするって事なんだよ!いや!俺も悪意ある真似したけどね!ごめん!」
「何言ってんだ?」
 収拾が付かなくなりかけながらもじりじりと足は駅の方に向くギャリー。その様子を見てストーヴィントンは蔑む様な目を向けた。
「……見損なったぜ、奥さん。俺はアンタは先輩に操立てした女と思ってたのに、こんないい加減なクソ兎頭国人なんかとちゃっかりデキてたなんてな。しかも旦那が死んですぐ。女ってのは怖いもんだぜ。清純な顔して中身はどんなアバズレか分かったもんじゃねえ」
 そんな言葉に顔を歪めたセリカよりも早く、彼女の手を振り解いてまでストーヴィントンに掴み掛かったのは他でも無いギャリーだった。
「お前に何が分かんだよ!?彼女の何が分かんだよ!?さっきから聞いてりゃ奥さん奥さん呼びやがって!この子の名前はセリカちゃんだっつーの!奥さん呼びも別に良いんだろうけどさぁ!でもお前黙って聞いてりゃ何だよ!?セリカちゃんの幸せが何か知らない癖にお前がそれを勝手に決めるなよ!そんで、セリカちゃんの幸せが想像と違ったからってお前が許す許さないを決めるなよ!女の子はなぁ、男の付属品でも何でもねぇ!その人そのものを見れねぇ奴が一丁前に結婚した人の在り方を語るんじゃねえ!!」
 その時、セリカがスッと間に入った。音もなく入る彼女のその姿に「顔は覚えられても顔色は読めない」とたった今ギャリーに揶揄されたストーヴィントンも空気の変わり様を察する。
 セリカは静かに怒りながら、ストーヴィントンの胸ぐらを掴むギャリーの手をそっと撫でて離させる。そして彼女の気迫に呆気に取られるストーヴィントンをキッと睨むと、次の瞬間には優しく微笑んだ。
「ストーヴィントンさん。どう思っていただいても結構ですぅ。今後貴方と二度と会う事は無いと思われますので」
「お、奥さん…」
「セリカは確かに二人で生活して来た中で旦那様の望む様にありたいと思っていました。旦那様の望む女で居ようと努力を続けました。でも、旦那様が亡くなってすぐに自分のなりたい自分になろうと思って今です。こんなに早く行動に移したのは多分、セリカの中でも思うところがあったんですよね。一番大きな理由は、旦那様が貴方と似た事を言う人だったからかもしれません。まあ、貴方の仰る言葉の方がよっぽど度を越していらっしゃいますが」
 セリカの口から紡がれる遠回しな皮肉。果たしてストーヴィントンに通じているかどうかは分からないが、セリカはもう一度「左様なら、お元気で」と呟くと、ギャリーの手を取りその場を離れる。
 後には呆気に取られたストーヴィントンと、そんな彼の姿など見た事が無く更に呆気に取られたスタムバルが残された。

プレゼントと約束と

 ストーヴィントン達から逃れる様に駅に着いたギャリーとセリカは珍しく何を話したら良いか分からず言葉少なだった。
 ギャリーは盗み見る様にセリカの横顔を眺める。いつもの美しい横顔には変わりないが、どこか影がある様な伏し目がちな顔を見せていた。
 ストーヴィントンは嫌な男だ。あれは性別で、人種で、人を見下し慣れている。そしてセリカはそんなストーヴィントンに良い様に言われてしまった。そうして元気の無くなった彼女に何か言葉を掛けてやりたいが、ギャリーの中でも彼女が言った言葉がふと思い出されて先にブレーキを掛けてしまう。

『セリカは確かに二人で生活して来た中で旦那様の望む様にありたいと思っていました。旦那様の望む女で居ようと努力を続けました。でも、旦那様が亡くなってすぐに自分のなりたい自分になろうと思って今です。こんなに早く行動に移したのは多分、セリカの中でも思うところがあったんですよね。一番大きな理由は、旦那様が貴方と似た事を言う人だったからかもしれません』

 何となく遠回しにオブラートに包む様にそう言っていたが、あれはつまりセリカの亡くなった旦那はもしかしてストーヴィントンと似た様な事を言う男だったのだろうか?
 しかし、それを彼女に聞いて良いのか。もしも誰にも言いたくない話だったとしたら、それを尋ねる事で彼女に嫌な記憶を思い出させる事もあるのかもしれない。
 ギャリーがどう話を切り出そうかと悩んでいると、先にセリカが口を開いた。
「ギャリーさん」
「え?な、何?」
「あの……聞いて良いのかどうなのか…不躾な質問だったら申し訳ありません。その…お父様とお母様のお話は初めて聞いたもので…」
「ああ…へぇ話した事無かったかや」
「ギャリーさん、そんなに語学が達者でいらっしゃるんですかぁ?」
「いや?あれは少しハッタリ混じり。俺がしっかり話せるのは田舎の訛りだらけの兎頭語とカンテ語だけだでね。藤語も勉強したから話せるけど、ビジネスではもしかしたら失礼に当たるかもしれない。ラシルム語も日常会話レベル。トレベーネ語は、『全くやってない人と一緒に辞書持って言葉聞いたら検索は早い』って程度。物心付く前後の頃居たきりだから殆ど覚えて無ぇや」
「そうなんですねぇ…でも御立派ですよぅ、ギャリーさんは本来外国語であるカンテ語まで習得なさってるんですからぁ」
「カンテ語は純粋な兎頭訛りは少ない代わりに俺の故郷のイントネーション強くなってて結局よく分かんねぇ訛りあるでね。でもさぁ、俺はこの訛り好きなんだ。母ちゃんと父ちゃん合わせたみたいじゃん」
 そう言って少し寂しそうにギャリーは笑う。セリカは途中まで微笑みながら聞いていたが、ギャリーのその顔を見て「もしや悪い事を聞いてしまったか?」と真顔になった。
「ははは。そんな顔しなんでよ。気にしないで良いってこと」
 ギャリーがセリカの頬を優しく撫でる。普段なら冗談めかしなら「触らないで」と手を叩きそうなものだが、今日はただただ彼の手にされるがままだった。
「…俺の母ちゃんと父ちゃんね、有り体に言うと蒸発した。俺が三つくらいの頃。まぁ、離婚するしないが加速した結果、多分二人とも子供は育てられないってなったんだろうよ。だから兎頭国に連れて来られて、『お前の祖父ちゃんと祖母ちゃんだよ』って紹介されて以降ずっと二人と住んでんだ。別に良いけどね。そりゃ生活変わってすぐは『いつ母ちゃんとこ帰るの?』って何回か聞いた気はするけど…祖母ちゃんとこで友達出来たし、皆仲良かったし」
「そうですかぁ…あのぅ…その後お母様やお父様は…?」
「うーん…母ちゃんは新しい旦那との間に子供が産まれたらしいって祖母ちゃんが話してるの聞いた事あんだよね。実は父ちゃんには十六くらいの頃にもう一回だけ会ってる。その時既に新しい奥さんと子供が居て、生活はちゃんとしてるってさ」
「そう…ですかぁ…」
「うん。二人とも幸せそうにはしてるみたいだよ」
 セリカは静かにその話を聞くと、どう声を掛けたら良いかと頭の中で色々と考える。何だか何を言ってもギャリーに掛ける言葉の正解にならない気がして。
「俺ね、普通に幸せだよ。そりゃ確かに母ちゃん父ちゃんと一緒に過ごせなかったから自然な形じゃ無さそうに見えるけどさ、祖父ちゃん祖母ちゃんに沢山可愛がられて育ったから。まあ、わがままもたくさん言ったけど。我慢してでも普通の家族の形を作ってくれれば良かった、なんて思わないよ。もし我慢して続けてたら二人とも今の幸せは掴めなかっただろうし、俺もこんな適当に生きて幸せで居られるか分からないしねー。もしかしたら、我慢して家族続けたら母ちゃんも参っちゃって、父ちゃんも暴力奮う様な家になってたかもしれないし。人間だから、合う合わないって急に出て来ても不思議じゃないよ。父ちゃんと母ちゃんの子だからって、俺は俺って言う個人だから。もしかしたら傍に居たら合う合わないがより強く出てたかもしれないし、結果としてこの形が幸せだったんだよ」
 ギャリーは今幸せらしい。
 それを聞いたセリカが安堵の笑みを見せると、ふとギャリーは寂しげな顔を見せた。
「何も不満は無いけどね。一つだけ普通の家庭を羨むところがあるとしたら、俺にとっての一番の理解者、親代わりの祖父ちゃんと祖母ちゃんといつか別れる時が来るのが普通の親より大分早いだろうって事」
「…ギャリーさん」
「俺は普通の家庭の奴より早く、無償で愛してくれた人を亡くすだろうって事かな。幸い、色々あってテロの後も毎日が楽しくて幸せだよ。でも、幸せだからかふとそんな事で後ろを向く事もあるんだよね」
 そう言ってゴソゴソと紙袋を取り出すと、ギャリーはそこから可愛らしい包みを取り出した。
「でもまぁ、後ろ向いても仕方ねぇし。きっと祖父ちゃんも祖母ちゃんも百年は生きてくれる気がするし!傍に居てくれる人には笑ってて欲しいし。俺はセリカちゃんの誕生日はちゃんと祝いたいし」
「あらぁ…?そちらは…?」
「開けて開けて。まさかここでセリカちゃんに会えると思わなかったから今日渡せないと思ってたけど、せっかく会えたから今開けて」
 ギャリーに渡された包み。桜色の風呂敷によって綺麗な花包みで包まれたそれを開けるのは少し勿体無いなぁと思ってしまうが、花びらの様な形のそれをしゅるしゅると解くと中に入っていたものに驚き、セリカは大きく目を開いた。
「あ…この清酒…欲しかったものだったんですぅ!今日もお店に探しに来てまして…!ギャリーさん、どうして分かったんですかぁ?」
「ふふ。内緒。まだ他にも入ってるから、見てみて」
「はい…!」
 桜のデザインのあしらわれたオーデコロン。上品なデザインのボトルはほのかに薄ピンクに色付いていてとても可愛らしい。そして、一際厳重に緩衝シートで梱包された物があり、セリカは不思議に思いながらそれを開くとふわりと柔らかく微笑んだ。
「ギャリーさん…これ…綺麗ですぅ」
 それは、桜モチーフのイヤリングとイヤーカフのセットだった。耳の形に沿う様な、三日月型に連なって咲く様なデザインのイヤーカフ。イヤリングは小さく控えめに一輪咲いている様なデザインで、色合いも相俟って華美になりすぎず上品なものだった。
「俺はいつもピアス付けてるし、セリカちゃんにも耳のアクセってどうだろう?セリカちゃんに似合うアクセサリーって何だろう?って考えたら、そう言や耳ってあんまり付けてるイメージ無ぇなって思って。穴なんて空いてないだろうからイヤリングにしたんだよね。桜のデザインだから、綺麗な髪のセリカちゃんに似合うよきっと」
「ありがとうございますぅ…!」
「…本当はね、もう一つ今日買って渡そうか迷ったものがあったんだ…」
 あのソナルトの店で見付けた桜のデザインの指輪。頭の中で算盤を弾いて給料との折り合いを付けるべく計算するのも楽しくて、正直浮かれていた。そしてハッとした。
 彼女は自分の見た事の無い誰かの伴侶だった女性で、今はまだ夫を亡くして一年も経っていない。それなりにお値段の張る指輪をプレゼントしたくて浮かれながら選んでいたが、もしかして受け取る側である彼女の事を考えたらそのプレゼントは重いのでは無いかと思ってしまった。
 彼女には未来を誓った人が居た。まだその彼の話を聞いた事も無ければそもそもきちんと思いも伝えていない自分が軽はずみに贈って良いプレゼントでもそんな贈り方をして良い値段でも無い様な気がした。何かしら気を遣わせてしまう品物、気を遣わせてしまう額。
 だから、店員に無理を承知で商品の確保を頼んだ。元々リング台のデザイン等受注生産も受け付けている指輪だった様で快く受けてもらえた。だからリング台のカタログも見せてもらって少しだけデザインに拘って、そして後日配送してもらう事にしたのだ。
 自分の気持ちを伝える時に、一緒に渡せたら。そう思っての事だった。
「まあ、でもとりあえず今日はそんな感じで可愛くて良いじゃん?って思ってさ。どう?気に入って貰えた?」
「はい…!とっても嬉しいですぅ!」
「せっかくだからイヤーカフ、付けてみない?」
 ギャリーはイヤーカフを手に取ると、さらりと髪の毛を掻き分ける様に耳に触れる。くすぐったいのか、セリカは少し身を捩った。痛く無い様に優しくセリカの耳にイヤーカフを付けると、ほんのり赤く色付いた頬に口付けしたい気持ちを何とか抑えて綺麗に調整をして手を離した。
「あのぅ…どうですかぁ?」
「…よく似合ってる。綺麗だよ、セリカちゃん」
 普段から軽い褒め言葉を使うギャリーが真面目なトーンで「綺麗だ」なんて言うものだから、セリカもいつも以上にドキドキしてしまう。

 が、未だ拭えない引っ掛かりもあって。

 こんな時に聞くのはもしかしたら空気の読めないはしたない事かもしれないと思いつつ、一度気になってしまった以上それを悩みながら浮かない顔をし続けるのも悪いのでセリカはギャリーに聞く事にした。
「あの、ギャリーさん。こんな時にこんな事聞いて良いんでしょうか?と思うんですがぁ…」
「ん?なぁに?セリカちゃんの聞きたい事、何でも答えるよ。父ちゃんの事でも母ちゃんの事でも俺の身元がイマイチはっきりしない事でモヤモヤさせるくらいなら話してない事も全部──…」
「あ、えっと…二年前の『ですだよ』って何ですかぁ?あと、ギャリーさん『彼女』って仰ってましたけど、ストーヴィントンさんと出会った時他にも共通のお知り合いの方とかいらしたんですかぁ?」
「…………」
「き、急に黙って仕舞われましたねぇ…」
 先程まで饒舌をふるっていたギャリーは張り付いた笑顔のまま固まってしまった。自分がセリカの前で何を言ったか頭の中でよくよく思い返す。

『俺もお前から逃げようとした時彼女の真似したから人の事言えねぇし、確かに兎頭国人同士だから言葉通じる筈なのにヤッてる最中までカタコトのカンテ語でアンアン言うからちょっと萎えたけどさぁ!でも彼女の名誉の為に言うけど、確かに「一日でも早くカンテ語覚えたい」って言ってたんだよ!だからそんな彼女の真似した俺を馬鹿にするって事は彼女の頑張りまでもを馬鹿にするって事なんだよ!いや!俺も悪意ある真似したけどね!』

 さっき当事者であるストーヴィントンすら「何言ってんだ?」と呆れた様に流してしまったので意識して居なかったが、よくよく考えたらなかなかに大変な事を言っていた。
『確かに兎頭国人同士だから言葉通じる筈なのにヤッてる最中までカタコトのカンテ語でアンアン言うからちょっと萎えたけどさぁ!』
 ここをセリカに聞かれてしっかり覚えられて居たら確実に修羅場になりそうだ。
「な、何の事かや?」
「…ストーヴィントンさんの前でどなたかの言葉の真似をされた、とセリカは思ったんですけど。もしかしてそれ以上の何かがあったのでしょうかぁ?」
「え!?そ、そ、そうだね」
「もしかして…前の彼女さんですかぁ?」
「そ、そう!そう彼女!カンテ国来てすぐに一晩だけ彼女になった人と言うか何と言うか…」
 この狼の目で見られたら途端に嘘を吐けなくなる男、ギャリー・ファン。彼は上擦った声で咄嗟にそう口にした。
 慌てて居たからと言って何故オブラートにも包まず馬鹿正直に言ったのか。勿論この発言もアウトだろう。セリカは彼の言いたい事を汲んで急に冷めた様な射る様な、つまり不穏な目を向けた。
「一晩だけ…」
「つ、付き合ったけど一晩で相性悪くて別れてしまって…」
「………」
「いや、ごめんなさい遊んだだけの子でした…」
「…もうっ…別に今その方と関係無くて特にやましい事も無ければそんな慌てなくて良いでしょうに…」
「それは…そうだろうけど…セリカちゃんには嘘吐きたくないと思いつつ正直に言うのもどうかと思って…」
「…別に、殿方の昔の恋愛にとやかく言うつもりはないですよぅ」
「ははは…流石に今はそんな遊びしようと思って無いけどね。好きな子がいる時は俺、一途です」
 さぁっ、と風が頬を撫でる。セリカの耳に付いたイヤリングが小さく揺れた。黒の髪に映える桜色のイヤリング。ギャリーは愛おしそうにそれを見つめると、「あっ!」と声を上げた。
「セリカちゃん、俺とデート行かない?」
「で、デートですかぁ?」
「そう!デート!そう言えばさぁ、ご飯は行く事あるけど仕事終わりとかでしょ?ちゃんと一日デートした事って無いじゃん!だからさ、次の休みが重なるとこで、どう?」
「そう…ですねぇ…」
「あ!そうだ!服もさ、俺今日珍しいもの着てるでしょ?こんな感じでお互いいつもと違う服着て行ってみない?」
「え!?セリカもですかぁ!?」
「そう!セリカちゃんもちょっと洋服着てみようぜ!お互いにいつもと違う服着て、そんでここ行かない?」
 ギャリーがトトトト…と音を立てる様に端末を操作する。次に彼が見せた画面には、夜景の見えるレストランのページが表示されていた。
「俺、ただ女の子口説くなら酒の美味い店が良いなくらいしか考えて無ぇけど、ちゃんと自分の気持ち伝えるなら夜景の見えるところでって夢みたいな理想あんだよね」
 その言葉を聞き漏らさなかったセリカは、プレゼントを開けた時と同じくらい目を剥いてギャリーを見た。目に飛び込んで来た彼は、いつもより赤い顔で微笑んでいた。
「…伝えたい事があるんだ。ちゃんと仕事片してくるから、一緒にデート行かない?」
「デート…」
「色々お店見ながら散歩しようぜ。んで、ここのホテルレストランで夜景でも見ながらお酒と美味い飯食おう」
「え?ホテル…ですかぁ?」
「あー……いや!し、宿泊は無し!いや、したいけど…部屋取っても良いかなぁ…?いやいや日帰りにしよう!あ、いや…でもなぁ…」
 ギャリーは終始モゴモゴ言っていたが、ようやく意見が纏まった様で覚悟を決めた様に真っ直ぐセリカの目を見つめた。
「セリカちゃんはどうしたい?俺は…そりゃ泊りで行きたいけど…勿論日帰りでも大丈夫」
「はい…その…初めてのお出掛けでいきなりお泊りは緊張してしまいますぅ…」
「そうだよね…じゃあ、いつかの楽しみに取っておこうっと」
 ギャリーは端末を見、レストランの予約を入れ始める。そして「一度ここ行ってみたかったんだよね」とぽつりと呟いた。
「そうなんですかぁ?」
「そう。俺が兎頭から来てすぐに同じ職場の先輩に『ここの従業員には上質な機械人形を使っているからか油の臭いが嫌なものじゃ無い』『ホテルもレストランもサービスが最高だ』って行ってきた自慢されたんだよ。その話聞いた時からフリッツ・カールに匹敵する接客レベルで働く人が多く居るって言うこの店行きたかったんだよね。流石にこのご時世だし稼働してる機械人形はほぼ居なくて従業員は人間だろうけど、でも店の匂いって言うのは残ってるだろうなって」
「匂いですかぁ…そうですね。建物に着いた匂いってなかなか消えませんものねぇ」
「そうそう。だから正直、ホテル泊まれなくてもセリカちゃんと行けるだけで嬉しい」
 ギャリーがそう言った瞬間、タイミング良く結社最寄り行きの電車が到着する。セリカは貰ったプレゼントを纏めると、ギャリーと共に電車に乗り込んだ。
「あの…ギャリーさん、今日は本当に素敵なプレゼントを有難う御座いますぅ」
「いえいえ。喜んでもらえたなら何より。ねぇ、セリカちゃん」
「はい」
「お誕生日おめでとう。セリカちゃんの特別な日をお祝い出来て嬉しいよ」
 相変わらず歯の浮く様なセリフだ。けれど、茶化す感じも軟派な感じも一切無く、挨拶の様に言葉にしていると言うより本当に心からそう言ってくれているのが分かる。
 控えめながらお互い自然に手を繋ぎ、電車に揺られる。大きくガタンと電車が揺れた時、セリカはほんの少しだけギャリーの肩に凭れてみた。ギャリーは「女から甘えて来るなどはしたない」とも言うでも無く、何も言わずただ嬉しそうに微笑む。
 ソナルトはギャリーにとってあまり良い思い出のない街だった。セリカも、少し嫌な気持ちになる人と出会ってしまった街だった。
 しかし、かけがえの無い思い出が生まれた街でもある。
「ソナルトも…いつかまた二人で来ましょうかぁ?」
「え!?マジで…!?」
「ふふふ…ストーヴィントンさんもスタムバルさんも、多分もう絡んで来られないと思いますよぅ?」
「まぁね…セリカちゃんに一喝された時の二人のポカン顔ったら間抜け以外無かったしなぁ」
 結社の最寄り駅に着くまで楽しく談笑する二人。繋がれた手は、セリカを女子寮に送ったギャリーが「お休み」を言って離れるまで解かれる事は無かった。