カンテ国に渡ってすぐ『ソナルトの街には二度と行かない』と、ギャリーに思わせたその記憶を呼び覚ましたのは不意に休憩所でセリカとバーティゴが会話の中でその名前を口にするのを聞いたからかもしれない。
「え?セリカ、ソナルト行きたいの?」
「そうなんですぅ…」
「ん?でもソナルトでしょう…?あそこって何かあったかしら?カンテ国で一、二を争うくらいお堅い街ってイメージしかないわよ?他に何かあった?」
「その…ソナルトに東國の雑貨や食べ物を多く揃えているお店があるんですぅ…そこで可愛らしい清酒を入荷されたと聞きまして…」
「どんなの?」
「…桜をテーマにしたお酒だそうで。見た目も可愛らしいボトルに入れられていて女性向けで、中身も。紅麹を使ってほんのりピンクに色付けられた甘いお酒と聞きまして、気になってしまって…」
そんな話を聞き、ギャリーはすぐにピンと来る。そう言えばそろそろセリカの誕生日か。そしてセリカはそんな時に販売された東國産の桜の清酒が欲しい、と。多分、控えめな性格の彼女の事だから誰かにそれをプレゼントして欲しいなんて事は勿論言わないだろう。しかし、他に見るところもないソナルトにそれだけの為に行くのも迷っている様に見える。
そして更にピンと来る。これは、このタイミングでその清酒をプレゼント出来たらその流れでデートに誘いやすくなるのでは無いのか!?と。
実はまだセリカとは仕事終わりに夕食を外に食べに行く程度しかした事がないギャリーにとって良いタイミングだと思った。気持ちを自覚した今、そろそろ先に進みたい。しかし、進める方法が分からない。そこでこのプレゼントが有効なのでは無いかとそんな下心込みで想像してみる。
しかし。
「ソナルトかぁぁぁあ……」
即座に思い出したのはあまりにも痛い思い出。そしてあの強面な男二人。あの時は「海外から来たばかりで拙い言葉遣いしか出来ない」と誤魔化したが、おそらくもし再会したらそれは通用しないだろう。後から聞いたところ、ソナルトを根城にしているストーヴィントンの怒りに触れた彼らが「もう街に入れない」とまで大袈裟に言っていた理由は、ストーヴィントンの特異な記憶力にあるらしい。
名前はさて置き、人の顔や風貌とエピソードを結び付けて覚えるのが得意な様で、故に彼があんな政治家の多いソナルトで商売出来ているのもその特技あっての事の様だ。名前を覚えていないからと言って親しみやすい愛称や呼び名で、しかしいつの時に何で一緒になったと思い出しながら世間話をしてくると言う。ストーヴィントンはあまりにも人と距離を詰めるのも上手い男なのだ。確かに同じ客商売をしていた立場として、彼の能力はとても有り難いし欲しいと思う。しかし、それに怯える側の立場に立って考えたら今はただただ厄介だ。何故なら彼はその記憶力に加え蛇の様な執念さを併せ持っているからだ。
次仕留めるぞと予告した獲物が再びソナルトの街に現れた時、その執念深さで気の済むまでどこまでも追う。それがストーヴィントンだ。
しかし、逆を言えば彼も立場があるからかソナルトの街から出てさえしまえば追って来ない。だからソナルトに行かなければ問題は無いのだが。
セリカが初めて「これが欲しい」と明言したものがその清酒。彼女が初めて「欲しい」と誰かに口にしたもの。せっかくだから、本人が欲しいと思っている物を買ってプレゼントしたい。誕生日を祝う側の想いには「生まれてきてくれてありがとう」の意味も勿論あるのだから。
「えーっと…配送……げ。頼んでたら誕生日越える…」
配送はテロ以降少し遅れ気味になっているカンテ国。国内でもまだ少し麻痺している状態で、早めに気付けば良かったが今から頼むとなると誕生日を過ぎてしまう。やはり直接行って買った方が確実だ。
しかし、どうしてもセリカに、彼女が望んだ物をあげたい。
「あ、そうだ!」
何かを思い付きポンと手を叩く。ギャリーはその思い付いたアイディアを形にするべくいそいそと部屋に向かった。
* * *
次の日、ソナルトに降り立ったのはいつものハーフアップの焦茶髪にゆったりした兎頭国の衣装ではなく、一つに結いた焦茶髪にサングラス、革ジャンにジーンズと言ういつもの緩い印象からひっくり返ったギャリーだった。
「よし、完璧…!」
バイク乗りのアルヴィに無理を言って貸してもらった革ジャンをばっちり着込み、ガラスに反射する己の姿を見て満足げに微笑む。そこには、いつもの緩そうな衣装と違い細身のスタイルを強調する様なジーンズの似合う美青年(あくまでもギャリーの主観だ)が居た。
前回ここに来た時はいつもの格好だったが今日は別人の様に着込んでいるのだからきっとバレない。ソナルトの街は特に興味そそられる物も無いので目的の清酒を店で買ったらそれで終わり。その後は帰るだけだ。
セリカの言っていた例の店に入ると目立つ所にそれは置かれていた。しかも最後の一つだった。
コロンとした丸い入れ物を満たす薄ピンクの清酒。よく見ると食用なのか桜の花もボトルの中をふわふわ漂っていた。ボトルの形もあってハーバリウムの様な可愛らしい商品だ。これは女の子が喜ぶやつだ。
明確に女性をターゲットにしたその商品の出来に感心しつつ一つをレジに持って行こうと手に取る。その時、すぐ横を通った女性店員が捻れた様な不思議な幹の鉢植えを持っている事に気が付いた。
「何だ…?アレ…」
何だか不思議な木だ。ギャリーは吸い寄せられる様に鉢植えに興味を持って近付いて行く。普段なら草花にはそこまで興味を抱かないのだが、何故かそれは気になってしまった。
「お?」
そして気にして近付いた事で、迷っていたギャリーの視界にそれが飛び込んで来た。それは桜色のメインストーン──おそらくローズクォーツだろうか?に特別なカットを施したらしいリングで、正直なかなかお高めだったがよくよく覗き込むとストーンの中に綺麗な桜が浮かび上がっている。これは見事な職人技だ。まるで小さな桜の花を石の中に閉じ込めた様な繊細な作り。
誕生日のプレゼントに酒だけと言うのも味気ないしと思っていたギャリーにとってはこの上なく良いものだった。ただ一つ、値段を除いて。
「ど、どうしようかなー…?」
一つの値段が
テオフィルスのドローンくらいする。なかなかにお高いお値段だが大変可愛らしい物でもある。
ギャリーはしばらく顎に手を当て、云々唸りながら値札と睨めっこしていた。その睨めっこにあまりに集中し過ぎて彼の背後を女性が通った事にも気付かなかった。
「あらぁ…?すみません、こちらの清酒は…?」
「あ、大変申し訳ございません…!現在店頭に並んでいるものが最後でして…!」
「え?そうなんですかぁ…再入荷はどのくらいで?」
「うーん…季節のものですから、もう最終入荷の予定だったんです…お取り寄せも可能かどうか、確認してからになってしまいますので確実ではありませんし通常の商品より時間も掛かってしまいます」
「そうなんですねぇ……うーん、残念ですぅ…」
「大変申し訳ございません」
自分の背後でそんなやり取りが行われて居るなんて露知らず指輪と睨めっこを続けるギャリー。
女性が諦めて店を出てしまうまでギャリーは頭の中で算盤を弾きながらひたすら自分の財布事情と折り合いを付けようと頑張っていたのだった。
「…よし!決めた!!」
やっと諸々の勘定が終わり、会計をすべくレジに向かうギャリー。レジに当たってくれた女性店員から香水の様な優しい香りが漂ってくる。ついつい女と見れば口説くのが礼儀だと考えるトレベーネ男子の様な思考回路のギャリーは彼女にフランクに話し掛けていた。
「お姉さん、良い匂いするね」
「え?あ、本当ですか?ありがとうございます…こちら先日から取り扱いを始めました東國イメージのオーデコロンでございまして…」
「へぇー…良い香り。お姉さんの良い匂いは何の匂い?」
「ふふ、私の付けているのはこの時期なので桜です。あ、そちらにお品物ございまして…後は柚子と金木犀が残ってますね」
「へぇ…本当だ。何かボトルからして雅やかな雰囲気だね」
「そうなんです。オーデコロンなので香りの濃度も持続時間もライトなので優しく香る感じも東國の女性のお淑やかさをイメージしています。それから、小さいサイズでお求めやすい価格となっていますね」
「………」
ギャリーは元々買おうとしていたものに更にオーデコロンも追加したのは言うまでも無い。
「あ、そう言やあの木…不思議だね。幹の部分があんなに捻れて…あれ自然にああなってんの?」
ふと、ギャリーは先程店員が運んでいた鉢植えが気になり尋ねてみた。偶然その鉢植えを運んでいた店員が彼女だったのですぐどの鉢植えのことか気付いたらしく、詳しく教えてくれた。
「ああ、あれ実は成長させる過程で人為的に編み込めるんですよ」
「そうなの!?俺花詳しく無ぇから初めて見たなぁ…」
「ふふ、葉が繁ってて可愛いでしょう?」
あの木、何て言う品種なの?とギャリーが尋ねると、店員は嬉しそうに「ベンジャミンって言うんですよ!」と答えたのだった。