薄明のカンテ - Misfortunes never come alone/べにざくろ



 1

 ああ、これは夢だ。
 タイガはミクリカ噴水広場のベンチにボンヤリと座っていた。
 空は快晴で青く澄み渡り、人々や機械人形マス・サーキュが楽しく行き交っている。噴水広場を噴水広場という名にしている兎頭国風の滝型噴水からは水が流れて、太陽の光を受けて飛沫がキラキラと煌めいていた。
 それだけなら、自分はギロク博士のテロ前の日常を夢に見ているのだろうかと思ったことだろう。しかし、その夢の中には現実との決定的な違いがあった。
「 変なの…… 」
 その人々の様子を見つめたタイガは薄く笑いながら呟く。
 そんなタイガの脇を見知った女性が眼窩から飛び出した目玉を風に揺らして・・・・・・・・・・・・・・・・・・歩いていった。彼女はタイガの住んでいた賃貸アパートの最寄りのコンビニの店員だった人だ。笑顔で気さくに話しかけてくれる優しかった店員だったからなのか、彼女は片目が無くてもいつものような笑みを浮かべたまま去って行った。
 近くのキッチンカーの店員は恰幅の良い男性だ。お手軽な値段のランチボックスを売っていてタイガもたびたびお世話になっていた。そんな彼は大きな腹から腸をはみ出させながらも笑顔を振りまいている。
 ベンチでアイスクリームを食べるカップルは二人とも片腕が無くて食べ辛そうだ。更に彼氏の方は首に穴が空いていて喉からアイスクリームが溢れ出している。二人は出勤時間が一緒で良く見かけていたカップルだ。
 通勤の時に通学路を通ると明るく挨拶をしてくれた子供達が半分ひしゃげた身体を引き摺りながら歩く。頭の無い誰だか分からない身体が首から血を噴きながら歩いている。
 もはや人間としての形を留めていない黒い塊もあった。タイガの勤めていた会社は運悪く突っ込んできた車が炎上して全焼してしまったから、それらは皆、同僚であって上司であったものだろう。その向こうで楽しそうにお喋りに興じているのはロナがやっていてタイガも通っていた剣道教室の仲間達だ。
 誰も彼もが惨劇の後に入ったミクリカで軍警によって安置所に収容されていた人達だ。エンバーマーの数も足りず夏の気温もあって黒ずみ朽ちていくだけの身体であった彼等の姿をタイガは一生忘れないだろう。
 美しかった青空が赤く染まる。
 太陽が西に沈んで夕陽の空になったのだろうかとタイガは空を見上げるが、太陽は南中高度にあって夢の中の今は昼であると示していた。
 ぼんやりと空を見上げた後に視線を戻すと、いつの間にか広場の真ん中に立っていた薄紫の髪色をした女に視線を奪われる。
「 ミオリちゃん……? 」
 思わず名前を呟くものの、女はミオリであって、ミオリでは無かった。
 そこに確かに存在するのに彼女はゆらゆらと陽炎のように揺らめいては姿を変える。髪が長く、短く。服装が着物と、洋服に。
 ロナの機械人形マス・サーキュのミオリと、タイガが壊した名前も知らない機械人形マス・サーキュ。二つの姿を持った女がタイガを見てニタリと嗤う。
 肉の腐った臭いを纏った生温かい風が噴水広場を吹き抜けた。それと同時に噴水広場にいた人間だった者達が一斉に、ミオリもどきの機械人形マス・サーキュに同調するようにケタケタと声を上げて狂ったように嗤い出す。
「 活け造りー、抉り出しー、挽肉ぅー 」
 そして妙な音階のついた歌らしきものを一斉に歌い出す。各々が発している言葉は同じものの音が違い見事な聞き難い不協和音を奏でていた。しかしタイガは耳を塞ぐ訳でもなくボンヤリとミオリであってミオリでない機械人形マス・サーキュを見つめるだけだ。
 きっと周囲の人が歌う言葉はタイガの死因になるのだろう。出来るならば痛くない直ぐに死ねるものが良いな、と漠然と思うが此処は夢の中。きっと普通ならば死んでしまう状況になっても死ねなくて、痛くて苦しくて辛いのだろうと確信していた。
 夢なのだから目を覚ませば良い。
 頭の片隅では分かっているのに何故かタイガは目を覚まそうと思わなかった。此処で死ねば、現実でも死ねるような気がしていたからだ。
 ミオリもどきの機械人形マス・サーキュがタイガの元に歩いてくる。ミオリの姿になった時、隣にロナの幻影を見た気がして死を待つだけだったタイガの目に光が戻った。
 例え自分の夢だとしても敬愛するサオトメ先生の機械人形マス・サーキュであるミオリに人殺しをさせてはいけない。
 その考えが浮かび、一転して夢から覚めようと強く念じる。既にミオリもどきは直ぐ側まで迫っており、彼女はベンチに座ったままのタイガを活け造りにする為に手を振り上げた。
( ダメだ、早く目覚めろオレ!! )
 神経を集中させて目覚めることを念じ続ける。
 しかし、ミオリもどきの手がタイガに振り下ろされようとし、タイガは思わず目をギュッと固くつぶった。腕の動く風圧を感じ――途端に全てが静かになる。
「 っ!? 」
 目を開くとミオリもどきの姿もミクリカの噴水広場もなく、マルフィ結社の寮の天井が目に入った。どうやら無事に夢から覚めることは出来たようであるが、ベッドに寝ていただけの身体は全身から汗が噴き出していて目からは涙が溢れ出ている。
 呆然と起き上がっていると、キッチンに繋がっているドアがノックされる音が聞こえた。直ぐに扉が開いて機械人形マス・サーキュらしい薄緑の髪が見えたと思うと、顔を覗かせたノエが「 おや 」と片眉を上げてモスグリーンの目を丸くする。
「 おはようございます、タイガ。もう起床しているとは珍しいですね 」
「 ノエ、おはよう……うん、変な夢を見ちゃって目が覚めちゃった 」
 折角ノエに誉められても悪夢による目覚めなのだから最悪の気分だった。
これでは朝食前にシャワーを浴びないと出勤も出来ないので、ノエにその旨を伝えてシャワー室へと向かう。
「 タイガ。昼食はどうされますか? 」
「 ……良い。適当に食べる 」
「 分かりました 」
 タイガはいつも昼食を食堂で食べていたが、あの休日以来食堂はずっと避けていた。昼食は栄養補助食品で空腹を紛らわせるだけで済ませ、朝食と夕食は部屋食。正しい食事を取らないことでノエに怒られることも覚悟していたタイガだったが、機械人形マス・サーキュでありながらも元々接客業の為に人の様子を窺うことの上手なノエはタイガの様子と事情から何かを悟っているようで文句は言わなかった。
 洗面所の鏡に疲れた顔の自分が映っている。自分であって自分でないような顔にタイガが口だけで笑うと鏡の中の自分も同じように笑った。その顔は本当に「 女に会ったらそっこー振られる位ヤバい 」顔だ。こんな顔は食堂のアイドルであり、推しであり、好きな人でもあるヒギリ・モナルダには見せられない。
 そういえば、と鏡の中の自分を眺めてタイガは昔聞いた都市伝説を思い出す。鏡の前で「 お前は誰だ 」と問いかけ続けていると、繰り返すうちに自我が崩壊してしまうと。
「 ……お前は誰だ? 」
 思わず口に出してみて馬鹿馬鹿しいと思った。
 それでも、これで狂って全部忘れられるなら良いのにと思ってしまうだけ自分は狂い始めているのだろうか。

 * * *

「 おはようございます…… 」
「 おっ、おはよう…… 」
 今日も今日とてタイガはカビが生えそうな湿っぽさを纏って出勤していた。彼が通った後すらジメッとした空気が残って漂っているように見えて、机の上にある湿度計付の時計を思わず確認するメンバーすらいる始末だ。
「 ねぇ、エーデル。あれから何日? 」
「 今日で五日じゃない? そうよね、シーリア 」
「 そうね、私達がロード様に会わなくて五日だもの。間違いないわ 」
 暗くどよんとしたまま自分のデスクに座るタイガをチラチラと見ながら、ロード親衛隊の女子三人衆はヒソヒソと話す。
 休日を終えてから、タイガの調子がおかしい。
 情報提供者( エーデルの母である )の話によると、どうやらタイガは機械人形マス・サーキュの暴走に初めて巻き込まれたのだという。
 それを聞いて既に暴走する機械人形マス・サーキュの恐ろしさを経験したメンバーはタイガに同情的だった。そんなメンバーの様子を見ていれば、未だに暴走する機械人形マス・サーキュに運良く直面したことないメンバーも「 可哀想だな 」と同情的になる。
 だから同情という名の檻の中でタイガが暗い顔をして蹲っていても、誰もが遠巻きに見つめるだけだ。
 運が悪いことに、タイガが懐いているといっても過言ではないロード・マーシュは新規勧誘課の仕事で五日前から結社を留守にしていた。彼がいればまた状況は変わっていたかもしれないが、そんな「 たられば 」を言ったところで何も好転することはない。
 太陽を見つめる事に疲れ果てて萎びた残夏の向日葵のようなタイガを、今日も遠巻きに見つめる事しか出来ないロード親衛隊。
 タイガが暗いと彼の隣席に座る名前が立派な根暗男のクロードウィッグ・ケレンリーが明るく見えてくるような気がして、ロード親衛隊はタイガの隣に視線を向ける。マイナスにマイナスをかければプラスになるはずだが、残念ながら相乗効果で余計にクロードウィッグが暗く見えるだけだったのでロード親衛隊は視線を早々にタイガへと戻した。
「 全く。タイガのくせに私達に心配させるなんて生意気だわ 」
 ロード親衛隊の一人が呟くと、二人が同調するように頷く。
 そんなロード親衛隊の言葉も聞こえていないタイガは淡々と仕事を続けていた。誰とも話そうともせず、机の引出しにしまってあるお菓子に手を出すこともなく、勿論休憩に行く様子も見せずに仕事に勤しむタイガは全くもって異常な姿だった。
「 ねぇ、ヴィーラ、シーリア 」
 ふとした時にエーデルが呟き、ヴィーラとシーリアは仕事の手を止める。
「 エーデル、どうしたの? 」
「 暗いタイガ見慣れてきたら、隣のケレンリーさんが明るい人に見えてきたわ 」
「 エーデル、あなた疲れてるのよ 」
医療ドレイル班に行きましょう 」
 いくらタイガが暗く沈んでいても隣のクロードウィッグが明るく見えてくるのは幻視もいいところである。エーデルは連行されるようにヴィーラとシーリアに連れられて医療ドレイル班の部屋へと向かっていくが、それすらタイガの目には入らないままなのであった。

 2

終業後、小さく周囲へ「 お疲れ様でした 」と呟いて人事部の部屋を出たタイガは寮の部屋へ向かって歩いていた。
 今夜はノエは食堂で最終時間まで勤務であるから部屋に帰っても誰もいない。そう思うと余計に足が重くなった。
 気分を紛らわそうと鞄からワイヤレスイヤホンを出して耳へと付け、携帯型端末に入れているプレイリストを表示する。そして、いつものように「 ディーヴァ×クアエダム 」を選ぼうとして指が止まった。ヒギリの、ローズ・マリーの声を聞くことを躊躇ったからだ。
「 あ 」
 躊躇いがタイガの手から携帯型端末を落とさせる。落ちた角度がある意味では良かったのか端末は廊下を滑っていき、それを目で追うと誰かの足元で止まった。
 足元から足を辿って目線を上げたタイガは相手が誰だか理解して思わず眉を顰める。タイガの携帯型端末が滑って行った相手は、よりにもよってエリック・シードだったからだ。エリックは先日の現場で見せた冷静な顔とは違って今までのようなオドオドとした様子で携帯型端末を拾い上げて、点きっ放しのディスプレイが目に入ると少しだけ目を開いたのをタイガは見逃さなかった。
 端末を持ってエリックがタイガへと近付いてくる。
「 あの……落ちましたよ 」
「 ありがとうございます 」
 エリックが差し出してくれた画面に表示されているのは「 ディーヴァ×クアエダム 」のとあるシングル曲のディスクジャケットだった。不動のセンターと呼ばれるソフィアが真ん中で微笑んでいる姿が印象的だが、そのディスクジャケットにはちゃんとヒギリも映っている。
 端末をエリックから受け取ってズボンのポケットに捩じ込むと、立ち去りそうな雰囲気を見せていたエリックへと問いかける。
「 好きなんですか? 『 ディーヴァ×クアエダム 』 」
「 え? 」
 タイガが問いかけるとエリックは一瞬思考の止まったような顔を見せた。補足するようにタイガは言葉を続ける。
「 さっき画面を見た時に驚いた顔しているように見えたから、好きなのかと思っただけです。オレ、見ての通り未だに聞くくらい好きなんで 」
 仲間かなーって思って、と少し茶化すように軽薄な色を孕んだ声を心掛けてタイガは笑った。そんなタイガを一瞬見て、目線を廊下へと下げたエリックが目を逸らしたまま「 えっと…… 」や「 その…… 」とハッキリしない物言いを続けた後、意を決したようにポツリと呟く。
「 モナルダさんが、いるなぁと思って 」
「 え? 」
 「 ディーヴァ×クアエダム 」に「 モナルダ 」の名前を持つメンバーはいない。「 モナルダ 」は「 ローズ・マリー 」の本名で、それは即ちマルフィ結社にいる「 ヒギリ・モナルダ 」のことで。
 タイガは身体中の血液が凍るような心地になっていた。
 自分だけが「 ヒギリ・モナルダ 」が「 ローズ・マリー 」だと気付いているのだと思っていた。しかしそれはただの自惚れで、よりにもよってヒギリが好意を向けているエリックが気付いていたなんて夢にも思わなかったのだ。
「 ほ、本人に聞いたんですか? 」
 そんな筈は無いと思いながら問いかけるとエリックは首を横に振った。ヒギリ本人から聞いたのではないということに安堵しつつも、それならば何故という疑問は残る。
「 えっと、あの、モナルダさんとローズの声が似てると思ったので……聴き比べて分かりました 」
「 それで分かるなんて……凄いですね 」
 そう言う自分は上手く笑えているだろうかとタイガは心配になりながらも取り繕う笑みを顔に貼り付けていた。そんなタイガにエリックは当然のことを子供に聞かれた親のような顔を向ける。
「 ヴァ、ヴァテールさんだって気付いていますよね? 」

――ヒギリ・モナルダのことが好きだと言うのなら気付いていて当然ですよ?

 エリックの言葉にそんな含みが合ったように感じたのはタイガの被害妄想だったのかもしれない。それほどタイガは他人の言葉を何でも悪い方向にとるような精神状態だった。相手が自分が一方的にライバル視しているエリックならば尚のことだ。
 ヒギリのローズとしての顔を知っていることだけが自分が彼に勝っている点だと思っていたのに。
 臆病な自尊心と尊大な羞恥心がタイガの心を占めていく。
「 オレが気付いていたから何? 」
 気付けば自分でも驚くくらい冷たく硬い声が出ていた。
 エリックは何も悪くないのに。
 自分がつまらない矮小な男であるのが悪いだけなのに完全なる八つ当たりだった。
「 その……いや…… 」
「 ……シードさんからモナルダさんに気付いてたって言ってあげると、凄く喜ぶと思いますよ 」
「 え、でも、それならヴァテールさんが 」
「 オレなんかが言ってもヒギリちゃんにとって何の価値も無いの!! 」
 思わず叫んでしまい、驚いたエリックの肩がビクリと上がった。そんなエリックの顔を睨むように見つめると、彼の明るく淡い青色の目とタイガの目が合う。
 ヒギリは青い目が好きなのかもしれない。
 もう一人の彼女が良く想っている人物であるテオフィルスの目は深い青。色の深さは違うものの二人とも青い目だからと、タイガはそんな結論を抱く。
 そしてタイガの目の色は青くない。
 また一つ、彼女の特別になれない理由を見つけてタイガの心が歪んだ。
「 大声出してすいません。でも、オレなんかが言うよりシードさんが言った方がずっとずっと喜んでくれると思うので 」
 ヒギリが自分が「 ディーヴァ×クアエダム 」の「 ローズ・マリー 」だと公言しない理由をタイガは知らない。何か深い事情があって黙っているのかもしれないが、きっとエリックが気づいたと言っても嫌な顔はしないだろう。むしろ喜んでエリックへの好意が急上昇する未来の方がずっと有り得そうだった。
 更に想像は飛躍して二人はそれを機に付き合うようになって、きっと遊園地デート( 初デートといえば遊園地だろう )なんかに行ったりするんだとタイガの脳内で二人がイチャイチャとする未来が描かれる。
 想像なのに凄くありえそうな未来が見えてしまった。
 ヒギリの手を握ってニコニコと笑顔のエリックが凄く腹立たしい。
 あくまでも自分が勝手に想像したことなのにエリックへの怒りが溢れてきそうになるので、タイガは妄想を無理やり打ち切りにした。
 そして、これ以上エリックと一緒にいたら精神的に良くない。
「 それじゃ。端末拾ってくれてありがとうございました 」
 だから、ぶっきらぼうに言い放ってタイガは踵を返す。
 負け犬の遠吠えらしく「 お幸せに! 」くらい言ってやろうかとも思ったが、それは今のタイガの精神では言えそうになかったので早々に諦めてエリックを残してその場を立ち去った。

 3

「 ねぇ、だいじょぉぶ? 」
 甘ったるい女の声と、声に負けない強い香りに眠りかけていたタイガの意識がゆるゆると覚醒する。目を開けると胸元を強調するような服を着た見知らぬ女が屈み込んでタイガを楽しそうに見つめていた。
「 ……お姉さん、誰? 」
「 通りすがりのお姉さん。君がこんな所で寝てるから気になって声かけたの 」
 女に言われてタイガは終業後からの自分の行動を思い出す。
 部屋に帰りたくないと思っていたところにエリック・シードに会ってヤケになって結社を飛び出し、目に入った小さな居酒屋に飛び込みで入った。そこはカウンターしかなくて常連ばかりの店だったが店主も客も気さくな良い人ばかりで、彼等に愚痴をしっかり零して( 勿論、身バレ防止のためにアイドルの話は伏せておくくらいの自重はした )タイガ的には浴びる程に酒を飲んだ。
 そこまでは覚えている。
 しかし、タイガは酒に強くない。店を出るまではそれなりに元気だったものの、酔っ払って地球が自転するより早く回っている感覚が酷くなってきたので落ち着こうとコンビニで水を買った。その水のペットボトルは今見ると座る自分の隣に置いてある。どうやら水を飲むのに座り込んでそのまま道端で寝てしまっていたらしい。
 カンテは寒い国だ。このまま寝ていたら凍死していたかもしれない。
 いや、いっそ、それでも良かったかも。
 ボンヤリと考えているとタイガの両頬を挟み込むように女の手が触れた。女は直前まで手袋をしていてそれを外してタイガの両頬に触れているので手の温かさに目を細める。
「 あったかい…… 」
 思わず呟くと女が大層楽しそうに笑った。
「 もっと暖かい場所でお姉さんと遊ぼ? 」
「 遊ぶ? 」
「 そう。気持ちよくシてあげるから行こうよ 」
 タイガの両頬を温めていた手を離して、女は引っ張るようにタイガの手をとる。“ 遊ぶ ”の意味を酒が入っていようが入っていまいが理解できないタイガだが、今の酔っ払いの状況では余計に理解ができず女につられるように立ち上がってしまう。
 女がタイガの腕に自分の腕を絡める。ヒールのある靴を履いている女とタイガの身長は並ぶと同じ位で自分の背の小ささを感じて嫌な気分になった。
 腕を組むことで自分が武器とする大きな胸を押し付けたのに喜ぶどころか眉をひそめるタイガに女は可愛らしく首を傾げる。
「 どうしたの? 」
「 オレ、背が小さくてゴメンね 」
 いきなり言われた女はタイガが身長を気にしていることに気付いて、腕に絡みつく力を込めた。
「 ぜーんぜん? 私、可愛い男の子を食べるのが好きだからオッケーだよ 」
 女は人肉嗜食家カニバリストなのか。
 “ 食べる ”の意味を勘違いしたタイガは顔を青くする。
 いくら何でも食べられて死ぬのは嫌だ。人喰いなんて物語の中の話だと思っていたのに、こんなに普通に綺麗なお姉さんが山姥なのか。世の中恐ろしいものである。
「 じゃ、行こっか 」
 女が歩き出すと元々酔っ払って覚束無い足取りだったタイガは立ち尽くすこともできず、女に引っ張っていかれるしかなくなる。
 女は暖かい場所に行くと言っていた。
 はたして自分は、焼かれるのか、揚げられるのか、煮込まれるのか。それとも――。
『 活け造りー、抉り出しー、挽肉ぅー 』
 朝の夢で聞こえた声が蘇る。
 まさか、あれはこれを暗示していたというのだろうか。活け造りも抉り出しも挽肉も勘弁願いたい。
「 あ、あの、オレ…… 」
「 うふふ。お取り込み中、申し訳ありません 」
 聞こえた第三者の声に女は訝しげな顔に、タイガの顔は輝く。
「 アンタ、誰? 」
 普通の女ならば容姿の整った彼に声をかけられて喜ぶはずであるが若い男の子好きショタコンな女は警戒心を剥き出しにして、ガーズ・コートに青と緑と言う地球カラーのタータンチェックがあしらわれたマフラーを首に巻いた黒髪の男を睨みつける。
 男はタイガの同僚であるロード・マーシュであった。ロードは女の威嚇なんぞ何も無かったかのように流して優雅に微笑む。
「 その子、私の連れでしてね。勝手に何処へ行ったかと思えば…… 」
「 嘘だわ。この子、お店を出てからずっと独りだったもの 」
 どうやら女はタイガに目をつけて、ずっと後をつけていたらしい。
 それを聞いたロードの目が変わる。微笑みを湛えた優しい目から相手を屈服させようという鋭利な刃物のような目に。ただし、口は笑みを描いたままだ。
「 いえ。私の連れです 」
 言葉はあくまで優しいままだが、裏社会を生き抜いてきたロードの目に射抜かれた女は負けを悟る。せっかく、おいしそうな獲物を見付けたのに手を離すのは惜しいが、こんなに危ない男と戦うことはできない。
 女はガラ悪く舌打ちをしてタイガの腕に絡みついていた腕を解いた。自由の身になったタイガを「 おいで 」とロードが招くのでフラフラと彼に近付いていくと腰を抱かれてロードと密着する。
 何かロードさんとカップルみたい。
 酔っ払いのふわふわした思考でそんな馬鹿なことを思うタイガだが、それを思ったのはタイガだけではなかったらしく同じことを考えた女の笑みが強ばる。女の顔を見て、それを狙ってタイガを引き寄せたロードの笑みは深く艶やかになった。
「 お兄さん、顔は良いのにソッチの人なのね 」
「 ご想像にお任せ致しますよ 」
「 あーあ、残念すぎ! バイバイ、僕 」
 しっぽを股に挟んだ犬のようになった女は捨て台詞のようなことを言うと名残惜しげにタイガを一瞥して夜の闇に消えていく。
「 ……ロードさん、ありがとうございました 」
「 うふふ。お楽しみを邪魔してしまうかと心配しましたが、タイガさんの表情を見てそうではないと思ったので余計なお世話でなくて良かったです 」
「 お楽しみ……? オレ、食べられちゃうところだったんです 」
「 ええ、そうですね 」
 楽しそうに笑いながら歩き出すロードに付いて歩き出すタイガはロードの様子に首を傾げる。タイガが女の言う“ 食べる ”を勘違いしているのだと彼の様子から早々に理解したロードは至って楽しそうに笑うのみだ。
「 それにしてもタイガさんがこんなに飲んでいらっしゃるなんて珍しいですね。何かありましたか? 」
「 ……聞いてくれます? 」
「 タイガさんが話して下さるなら。でも、今日は酔いが大分回っているようですし明日にしましょうか 」
 優しくタイガを諭すロードに、タイガは「 えへへ 」と笑って頷く。





――帰り道、ロードに寄り添って歩くタイガはよりにもよってロード親衛隊に見つかり翌日にちょっとした騒ぎになるのだが、それはまた別の話である。