薄明のカンテ - MINT×CHOCOLATE×MINT/べにざくろ
「 ナシェリさん、コレ良かったらどーぞ! 」
 屈託のない笑みを浮かべたタイガに差し出されたものを見たサリアヌは黒金剛石ブラックダイヤモンドのような瞳に困惑の色を浮かべてそれを見ていた。
「 オレ、子供の時は歯磨き粉の味じゃんって思って苦手だったんですけど今ハマってるんです 」
 ニコニコと笑いながらタイガが机の上にサリアヌへ差し出したものを置く。「 ナシェリさんは特別に二個で! 」という言葉付きだ。しかし、サリアヌの困惑の色は決して晴れることはない。
「 ちょっと、タイガ! 」
「 ナシェリさんがそんな庶民の食べ物食べる訳ないじゃない! 」
「 ごめんなさい、ナシェリさん! ほら、タイガは席にハウス! 」
 それを見兼ねてタイガを止めに来たのはエーデル、ヴィーラ、シーリアのロード親衛隊( 非公式 )三人組だった。口々に声を上げるとタイガの首根っこを掴みズルズルと引き摺りながらサリアヌに謝罪して立ち去っていく。
「 あの…… 」
 サリアヌの気品溢れる声はキャンキャンとタイガに叫ぶ女子三人組には届かなかった。そのためサリアヌの机の上にはタイガの差し出したそれ・・が残ってしまうかたちとなった。
 タイガの差し出したそれは、カンテ国内で菓子といえばこの企業といわれるメープル製菓製造の菓子だった。安価で手軽な大量生産された菓子は他人に配りやすいようにという配慮がなされており、一つ一つが個包装になっているらしくサリアヌの机には小さなそれが二つ残されていた。
 包装された袋の色は焦茶色だから安直に推測して中身はチョコレートなのかもしれない。しかし、その焦茶色をベースとしてプリントしてあるデザインが薄荷ミント色なのが不思議だった。
 中身の分からないものを口にする訳にもいかず、かといってタイガは好意でこれをサリアヌに渡してくれたのだから無碍にするわけにもいかず、彼女は少々眉を寄せて困惑した表情を見せていた。
「 うふふ、ミントチョコレートですよ。その名の通りチョコレートにミントフレーバーを加えた物です 」
 困惑していたサリアヌの望む答えを教えてくれたのは、いつの間にか側にいたロードだった。彼の手にもサリアヌの机上にある菓子の包み紙と同じものがあったが、よく見ると既に開いていて中身は空になっている。
「 好き嫌いはありますが人気のある菓子です。良ければ召し上がってみたら如何です? 」
「 チョコレートにメントールを入れているとは随分と珍妙な菓子ですわね 」
 そう言ってロードに微笑む。
 ロードが食べていて、尚且つ自分に勧めてくるのだから変な食べ物ではないのだろうと彼への謎の信頼感を発揮しつつ、サリアヌは小袋を開けた。中に入っているのは正方形の厚みのある何の変哲もないチョコレートだ。見た様子ではミントは感じられない。
 それでも用心をしながらサリアヌは小さな菓子を半分だけ齧ってみた。
 舌に広がるのは安価なチョコレートらしい雑な甘味、それからスーッとするミントの清涼感。
 齧った後の断面を見れば、焦茶のチョコレートに囲まれて中身は着色料で派手に色付けされたミント色にチョコレートチップが入っていた。
 成程、これがミントチョコレートかとサリアヌは密かに理解する。
「 ……悪くはありませんわ 」
 そう言いながら残ったチョコレートを再び口に入れる。
 甘い甘いチョコレート。そして、スーッとするミント感。
 悪くない。
 いや、むしろ好ましいと言った方が正しい。
「 お口に合ったようで何よりです 」
 笑いを堪えるようなロードの声を聞きながらサリアヌは、もう一つの小袋を開けて今度は一口で――元々一口サイズの小さな菓子だ――それを食べる。そして、ゆっくりと口の中で溶かした。
「 ええ、悪くはありませんわ 」
 もう一度、呟く。
 それは、ミントチョコレートの魔力にサリアヌ・ナシェリが魅了されて囚われた瞬間だった。

 * * *

――オレ、子供の時は歯磨き粉の味じゃんって思って苦手だったんですけど今ハマってるんです。

 夜、自室で就寝前の歯磨きを行っていたサリアヌは日中のタイガの言葉を思い出して手を止めた。
 サリアヌが使用している歯磨き粉は二種類ある。
 朝と昼は1カラット分のダイヤモンド粒子を練りこんだ美白重視のもの、夜は23.75カラットのゴールドダストが配合されたケア重視のもので、どちらとも貴族や歯の美しさに拘る人間にとっては使うのが当たり前といったものだ。
 しかし、そのどちらにもミントチョコレートを彷彿とさせるような味はしない。
 今度、メントールが入ったものが無いか店の者に聞いてみるのも良いかもしれませんわね。
 庶民との違いを感じつつ、サリアヌは夜用のゴールドメッキされた高級歯ブラシを再び動かし始めた。

 * * *

 その日、総務部に用事のあったサリアヌは用事を終えて人事部の部屋へと向かって歩いていた。
「 あ、姫様 」
 マルフィ結社中を探しても、否、世界中探してもサリアヌの事を「 姫様 」と呼ぶ人間は1人しかいない。そして、その声は間違いなくたった1人のウルリッカ・マルムフェのものでサリアヌは声の方向へと身体を向ける。そして、少しだけ驚いたように目を見開いた。
 休憩所のベンチの一角を占拠していたのはウルリッカと背の高い青年――確か調達ナリル班のシキ・チェンバースといったか――だった。しかしサリアヌを驚かせたのはそこでは無い。
 ウルリッカとシキの間にはミント色の様々な菓子が積まれていたのだ。
 サリアヌはチョコレートしか知らなかったが、どうやらミントチョコレート菓子にはクッキーやキャンディも存在したらしい。
「 あの人、お姫様なの? 」
「 うん、貴族の人 」
 シキに問い掛けられたウルリッカが素直に頷いているが、決して貴族イコールお姫様や王子様の類ではない。ウルリッカが勝手にそう思っているだけであるが、サリアヌは早々に訂正するのを諦めているので今日も何も言わないでおく。
 それよりもサリアヌの意識はミント色の菓子へと向いていた。
「 随分と同じようなお菓子を買いましたのね 」
「 今、流行はやってるって聞いたから買ったの 」
 言いながらもウルリッカは何だかションボリとしていた。いつもピョンピョンとシッポのように揺れるポニーテールも何だか力無く見える。
「 何かありましたの? 」
 そんな珍しいウルリッカの姿にサリアヌは問いかける。その問いに答えたのはウルリッカではなくシキだった。
「 味が好みじゃ無かったんだって 」
 どうやらシキは平気らしくサリアヌに答えながらも平然とミント色のクッキーをバリバリと口に運んでいた。
「 甘いのに辛い。訳分からない 」
 そんなシキの姿にウルリッカは顔をしかめていた。その顔を見て、先日、タイガからミントチョコレートの菓子を貰った時にもロードが「 好き嫌いがある 」と言っていたことをサリアヌは思い出す。ウルリッカは残念ながら苦手な方の人間だったようだ。
「 プリン、全部俺が食べていい? 」
「 うん。全部シキにあげる 」
「 やった 」
 プリン以外の菓子も全部シキが食べるのだろうか。
 実際のところ、シキの無限のような胃袋ならばこれくらいの菓子を食べ切るのは造作もないことだが、シキの大食漢ぶりを知らないサリアヌは2人の会話を聞きながらそんなことを思う。
 これだけあったら少し分けていただけないかしら。
 次にサリアヌが思ったのはそんなことだった。しかし、貴族たるもの自分から「 お菓子を恵んでくださらない? 」とは言えない。貴族としての自尊心プライドがサリアヌの口からそれを発せさせることを阻んでいた。
 目の前に念願のミントチョコレート菓子があるというのに口に出来ない辛さ。それでも食の欲求と貴族としての自尊心プライドを天秤にかけたなら、天秤は自尊心プライドに傾いていた。
「 ねぇ、お姫様 」
 一袋食べ終わったシキがサリアヌを見る。平静さを装ってサリアヌは答えた。
「 何でしょう? 」
「 食べる? 」
 そう言って差し出されるキャンディの袋。
 念願のミントチョコレートの入ったキャンディ。
 サリアヌは「 イエス 」と答えようと首を縦に振ろうとした。その時だった。
「 シキ、ダメ! 姫様はそんな庶民のお菓子食べない 」
 シキを止めたのはよりにもよってウルリッカだった。
 しかも、その止めた理由もサリアヌは聞き覚えがあった。ロードの親衛隊であると公然と言い放つ人事部の女性達がタイガに告げていた言葉と同じだ。
 貴族としての自尊心プライドで欲しいと言い出せず、貴族としての立場が貰うことすら邪魔をする。嗚呼、何て貴族とは罪な立場なのか。
「 ね、姫様 」
 それでも、キラキラしたウルリッカの瞳に見つめられると。
「 ええ、そうですわね…… 」
 否定も出来ず、サリアヌは頷くしか無かった。

 * * *

 はぁ、と人事部の部屋に戻って仕事をしていたサリアヌは小さく溜息をついた。そんなサリアヌを遠巻きに見つめている人々は「 少々、お疲れ気味のナシェリさんの憂いある顔も良いな 」なんて高嶺の花を見つめていて、彼女の溜息の原因がミントチョコレートにあるなんて思いもよらないことだろう。
 前回、ミントチョコレート菓子をくれたタイガへ気付かれないように視線を送ると、彼は相変わらず菓子を咥えつつ仕事を進めていた。たまに周囲の人間が菓子を貰いにいっても嫌な顔一つせずに気軽にあげているのが見えて、少しばかりその人達が羨ましく見える。
 何かタイガに話しかけるチャンスがあれば素直に「 食べます? 」と菓子をくれそうではあるが、残念ながらサリアヌがタイガに話しかける要件は何も思いつかなかった。今、受け持っている仕事は互いに全く違う案件の為、話題は何も無い。
「 ナシェリさん 」
 タイガを見つめていた( 決して彼に対して特別な感情がある訳では無い )為に名前を呼ばれたが、一瞬反応が遅れた。
 サリアヌにしては珍しく少しだけ慌てて声をかけてきた人物を見ると、そこに立つのは結社外の仕事に出ていたロードだった。手に鞄を下げたままの彼が少し焦っていたサリアヌの内心なんてお見通しだったとばかりの楽しそうな顔で見つめてきて、何だか居心地が悪くなる。それでもサリアヌは貴族らしく感情を露にすることなく澄ました顔を保ったままロードを見上げる。
「 おかえりなさいませ。良い出会いはありましたか? 」
「 ええ、お陰様で 」
 そう言って鞄から結社外での新規勧誘者の履歴書を数枚取りだしたロードは、何食わぬ顔でそれをサリアヌに渡そうと差し出す。しかしながら、まだ結社に属していない人間の履歴書となると社内人事課のサリアヌが受け取るべき書類ではないためロードの意図が読めず、サリアヌは困惑するしか他なかった。
「 少しナシェリさんに確認していただきたい事項がありましてね 」
「 私に確認することなんて無いと思いますわ 」
 言いながら履歴書を受け取って違和感に内心で首を傾げる。
 履歴書は当然ながら紙なので大した重さは無い筈なのに、何故か受け取った履歴書には重みと不思議な厚みがあった。
 何かが挟まっている?
 わざわざ履歴書の間に挟み込んでロードが渡してくるものとは何だろうと正体が気になったサリアヌは、周囲に気付かれぬように細心の注意を払いながら間に挟まるそれを見つめる。
「 マーシュさん 」
 ロードの顔を見ると悪戯が成功した子供のような顔をしていた。
 履歴書の間に挟まっていたもの、それはミント色の包み紙で包装されたチョコレート菓子の薄い箱だったのだ。
 サリアヌは何食わぬ顔をして履歴書を眺めるフリをしながら箱を自分の机の引き出しに滑り込ませると、履歴書をそっとロードへ返す。
「 ありがとうございます。ですが、確認したところ履歴書には何も問題が無いと思われますわ 」
「 おや。では、私の勘違いだったようですね。失礼致しました 」
 そう言ってロードは履歴書を鞄へとしまった。
 堂々とサリアヌへミントチョコレートの菓子を渡してはタイガの二の舞になるし、サリアヌがロードに好意を持つ女子からは嫉妬を向けられてしまう。その為に、ロードはさり気なく他の人に気付かれぬようにサリアヌに菓子を贈ってきたのだ。
 そもそも、サリアヌがミントチョコレートの菓子の魅力に取り憑かれたことをロードはあの一瞬で見抜いていたのか。彼の観察眼の高さと気遣い振りにサリアヌは内心で舌を巻く。彼が使用人ならば、さぞや優秀な存在だろう。いやそれ以上に、様々な思惑が交錯する貴族社会でも彼ならばやっていけそうな存在だともロードを評価する。
「 おかえりなさい、ロードさん 」
「 ただ今戻りました。これ、皆さんにお土産です 」
 サリアヌから離れたロードはタイガに話しかけて今度は堂々と鞄から出した配りやすそうな大袋の菓子を彼に渡している。
「 マーシュさん、お土産まで下さるなんて素敵です 」
「 ありがとうございます! 」
「 ごちそうさまです!」
 それを目敏く見つめた女子達が黄色い声を上げてロードに話し掛けているのを見ながら、サリアヌはロードから貰ったミントチョコレート菓子に合う紅茶は何だろうかと想像して静かに微笑むのであった。