薄明のカンテ - Let's stay together./べにざくろ
Tillykke med fødselsdagen!!




1月8日 百合の誕生日

 蒼が掌の中で煌めく。
 それを暫し眺めていたテオフィルスであったが青いサファイアのブローチを大事に上着のポケットの中にしまうと、開けることを躊躇っていた扉に手をかけた。
「自ら赴くとは珍しい事もあるんだなぁ」
 中に入ったテオフィルスを迎えたのは可愛い女の子の声ではなく、むさ苦しいオッサンの声を持ち、声に合った外見をした機械人形マス・サーキュのジークフリートだった。強面こわもてのため良く保育部の子供達に泣かれているが中身は気の良い性格を設定されており、話をすることに不快感は無い。
「俺にだってそんな日くらいある。アキヒロは?」
 テオフィルスは「ミクリカの惨劇」で片脚を殆ど喪った。本来ならば義足をつけて歩行するには数ヶ月かかるところを無理をして義足を装着しているため、医療ドレイル班の診察とリハビリはよりこまめに行わなければならない立場だった。
 しかしながらテオフィルスはカンテ国の無法地帯である岸壁街で生まれ育った男だ。「やってください」と他人に言われて「はい、分かりました」と素直に聞ける素直な性格の人間な訳はなく、何だかんだと理由をつけて診察もリハビリも逃げていた。それは他人に強制されるとやりたくなくなるという心理的リアクタンスが働く為である。
「アキヒロさんは今日は支部に行ってるな」
 そう言って機械人形らしい記憶力の良さでジークフリートは他にテオフィルスの診察が出来そうなメンバーのシフト表を脳内に描き出すが、残念ながら今の時間には該当者はゼロだった。その旨も伝えるとテオフィルスは困ったとばかりに眉根を寄せた。仕事の合間を縫って来ているテオフィルスとしては、出来ればこの時間にリハビリをしてしまいたかったからだ。勝手ではあるが医療班に来ればどうにかなると思っていたのだ。
「マジかよ……」
「おじさんがやってやろうか?」
「は?」
「その技能もインストールされてるんでな、おじさんだってリハビリくらい出来るぞ。お前さんのカルテは頭に入っているし」
 頭を指で軽く叩きながら言うジークフリートにテオフィルスは機械人形の便利さを改めて感じていた。岸壁街にも機械人形はいたが地上のジャンク品が流れてきたものを使っているので型番が古かったり、どこかしらが故障していたりして何でも出来るような機械人形はいなかったのだ。
 テオフィルスに与えられた機械人形のナンネルもプログラマーの補助としての技能にメモリを殆ど使っており、あの時はあれが普通と思っていたが他の機械人形を知ってから比べると充電の回数が非常に多かった。やはり古い型番だった故にスペック的に無理が多かったのだろう。
 壊れてしまった己の機械人形への思いを馳せて胸が痛むのを感じながら、テオフィルスは優秀な医療用機械人形のジークフリートへリハビリを頼んだのであった。

 * * *

「いってぇぇえ!!!」
「男の子なら我慢だ、我慢」
 悲鳴を上げるテオフィルスにジークフリートは容赦がなかった。機械人形法の「機械人形は人間に危害を加えてはならない」は治療には適用されないらしく、テオフィルスが「痛い」と言ったところでジークフリートの手が緩むことはない。
 テオフィルスが悲鳴を上げているのは無くなった脚の治療ではない。
 個人用電子端末を使う者の宿命というべきかデスクワーカーあるあるというべきかテオフィルスには猫背の気があり、それを見逃すジークフリートではなかったのだ。
 首を折られるんじゃないか、いや、もう折れたんじゃないかというような音をさせられた時は死を覚悟した。ジークフリート曰くアジャストメント治療という関節を矯正させるものであるというのだが、テオフィルスにとってはとてつもない恐怖だった。人の命がゴミのような岸壁街では首の骨を折って殺すのは鮮やかな殺しの手口として至ってメジャーなものだったからだ。
「ジーク、匿って!」
 そんな悲鳴を上げるテオフィルスのいる処置室にそう言って飛び込んできたのは青い髪をした少年型の機械人形だ。髪色よりも人目を奪うのは彼の特徴的なフィンイヤー。
 名前というならオルカと名付けられたその機械人形は処置中のテオフィルスには目もくれずジークフリートにしがみつく。困ったような顔をしてジークフリートが自分の腰に巻きついたオルカを見た。
「オルカ。おじさんは仕事中なんだが」
「でも僕を匿ってくれそうなのジークしか思いつかなかったんだ」
「匿う?」
 物騒な単語にテオフィルスは眉を顰めてオルカを見た。
 オルカは機械人形の中でも潜水専用機という特殊な機械人形だ。今でこそテロの発生により機械人形の市場価値は値崩れを起こしているが、テロ前にはその特殊性により価値の高い機械人形であった。そんなオルカを狙う闇ブローカーでもマルフィ結社に忍び込んだのであろうか、とテオフィルスは岸壁街らしい考えを浮かべていた。
「匿うって誰からだ?」
 ベッドに寝ているテオフィルスから手を離すと、ジークフリートは落ち着かせるように優しくオルカの頭を撫でた。
 暫く大人しく気持ちよさそうな顔をして撫でられていたオルカだったが、本来の目的を思い出して真剣な顔をする。
「食堂のネリネからだよ」
「ネリネちゃん? あのメイド服の、お前と同じ耳の?」
「そう」
 オルカは変わらず真剣な顔をしてテオフィルスの問いに頷いた。
 対するテオフィルスはオルカを狙う闇ブローカーが居なかった事に安堵しつつ、食堂のネリネを思い浮かべる。
 シミ一つない人工物の肌にわざわざソバカスを描かれたネリネは、愛想笑いの一つも浮かべない最初に彼女を作った主人マキール被虐性欲者マゾヒストだったのだろうかと思うくらいには機械人形らしからぬ機械人形だった。
 そんな彼女が何故、オルカを追い回しているというのだろうか。
「何で追われてるんだ?」
 やはり機械人形であっても疑問に思う部分は同じようで、ジークフリートがテオフィルスの疑問を代弁するようにオルカに問い掛けた。
「今日は調達ナリル班の皆にくっ付いて食堂に行ったんだけど……そしたらネリネに出会って……よく分かんないんだけどネリネが言うにはネリネの方がお姉さんだから『お姉ちゃんと呼んで下さい』って迫って来て……」
 オルカは人間だったら恐怖から鳥肌がたっていたのだろう表情を見せる。
「別に『お姉ちゃん』って呼べば良いんじゃないのか?」
「だってネリネの稼働年齢聞いたら僕の方が歳上だったから!」
 なるほど、とテオフィルスはオルカの言葉に納得する。機械人形は見た目や性格は自由に人間が設定したものであるから、その年齢ではなく稼働年齢が実年齢のような考え方をするのだろう。
 オルカは特徴的なフィンイヤーだが、話題に上がっているネリネもフィンイヤーである。同型機だから、と親近感を持ったネリネの好意がオルカには恐怖だったのかもしれない。人間だっていきなり知らない人に「お姉ちゃんと呼んで!」と迫られたら誰だって怖いに決まっている。
「人間には『バブみを感じてオギャる』って考えがあってだな……ネリネちゃんは、それで良いんじゃねぇのか?」
 テオフィルスの言う「バブみを感じてオギャる」とはネットスラングの一種だ。年下女性に対して母親のように慕う気持ちや母性を感じて赤ん坊のように甘えることを意味し、そんな母性を感じた特定のキャラに対し赤ちゃんになりたい気持ちが芽生えたことを表現した言葉である。
 ネリネが年下なら姉と母は違うが、そんなバブみを感じるような気持ちで言ったらどうだ。テオフィルスはそんなつもりで言ったのだが、残念ながらオルカの頭脳にネットスラングは搭載されていなかったらしい。きょとんとした可愛い顔で首を傾げられるだけだった。無念である。
「……事情は良く分からんが、そこで大人しくしている分には構わないということにしよう。テオフィルスさんも構わないな?」
「おいジーク、まだ続ける気か」
「中途半端は人体に良くないだろう。やるなら徹底的にやらないとな」
 ジークが人間と違って決して鳴らない指を鳴らすような動作をして、やる気満々の様子を表現したのを見て、テオフィルスは「ヨロシクオネガイシマス」と気の乗らない返事をするのが精一杯だった。

 * * *

 終わってみると悲鳴を上げさせられたのは癪だったが、確かに身体が軽く楽になっていてテオフィルスは驚く他なかった。
「面白かったね」
 大人しく見学をしていたオルカはギャーギャー騒ぐテオフィルスが面白かったようで終始ご機嫌だった。好奇心旺盛な少年ならば「僕もやってみたい」となるところだろうが、そう言わないのは知識にないことをやる事はしない機械人形だからなのだろう。
 そんな事を思いながらテオフィルスはミアの淹れたハーブティーを大人しく啜る。ハーブティーは「施術後は骨格の可動域が広がって筋が柔軟になっているから血流が良くなるんだ。この時に流れる老廃物を水分摂取することによって、体外に排出するのを促してあげる事が大事でな……分かるな?」とのジークフリートの一言で出てきたのだが、淹れてくれたミアはテオフィルスが話しかける間もなく別の場所へ行ってしまった。
 テオフィルスはミアと何度か顔を会わせているのだが未だにマトモに会話をしたことはない。それはテオフィルスの性への奔放さを即座に理解した機械人形のシリルがミアに『アナタみたいな子はあんなのに近付いちゃダメよ。不幸になるわ』と言い聞かせておりミアがそれを忠実に守っているからだが、それをテオフィルスが知ることは無いだろう。
 何はともあれ女の子の淹れた飲み物を無碍にする事をテオフィルスがする筈もなく、ありがたくいただいていると医療班の扉がノックも無しに開いた。
「自由業、いるー?」
 入って来たのは前線駆除リンツ・ルノース班のユリィ・セントラルだった。外見はクールビューティという言葉の似合いそうな彼女ではあるが見た目に反してやる事は豪快で、今日も左腕の袖が破けた服から見える素肌には傷が出来ている。
「毎回毎回……ノックくらいしろって言ったろーが、ユリィ!
 ユリィの言う「自由業」というのはジークフリートのことだったらしく、大きな声で怒鳴りながらもジークフリートは手慣れた様子でカツカツと近付いてきたユリィの怪我の処置を始めていた。
「あれ、麦とキャベツ。珍しいね」
 処置されていて暇を持て余したユリィの暗緑色の目がテオフィルスとオルカを映す。何やら美味しそうな組み合わせにされたが、色合い的にテオフィルスが「麦」でオルカが「キャベツ」なのだろう。
「ユリィちゃん、その怪我は……?」
「ああこれ? いけるかなと思って機械人形と戦ってたら、ちょっとね」
 怪我の事を何とも思っていない顔でユリィは事も無げに言う。
 女の子なのに怪我が傷として残ったら。
 そんな事は微塵も考えていない様子のユリィに、テオフィルスは言いかけた言葉をハーブティーで飲み込んだ。女の子を不快にさせるような言葉は言うべきではない。
「何それ、うちも欲しい」
 そのハーブティーを目敏く見たユリィが羨ましそうな色を含んだ声を上げる。
「あれは施術後に必要な水分摂取だ」
 それをジークフリートがユリィの腕にガーゼを貼り、包帯を巻きながらピシャリと跳ね除けた。しかし、どこかで会話を聞いていたらしいミアがとことことハーブティーを運んできていそいそとユリィの側の机に置く。
「ミアさん。甘やかしちゃ……」
「ジークおじさま、何言ってるんですか! ユリィさんは今日がお誕生日なのに、こんな怪我をするほどお仕事頑張ってくれたんですよ!?」
 ジークフリートの強面に向かってピシャリと言い放ったミアは一転して笑みを浮かべてユリィを見つめた。
「ユリィさん、お誕生日おめでとうございます!」
「ありがと……桃」
 ユリィに「桃」と呼ばれたミアは満足したのかニコニコと笑って去って行った。オルカもミアの言葉でユリィが誕生日であることを学習したらしく「お誕生日おめでとう」との言葉をユリィへと向けていた。
「え、ユリィちゃん誕生日なの!?」
 焦ったのはテオフィルスである。先月、自分の誕生日を色々な人間に祝ってもらってからというもののテオフィルスにとって誕生日は「単なる生まれた日」から「人を祝う日」に姿を変えていた。
 そんな中、訪れていたユリィの誕生日。
 何もあげるものは持っておらず、テオフィルスは焦っていた。
 しかし、そんなテオフィルスに対してジークフリートの処置が終わってハーブティーを口にしていたユリィは平然としたものだった。
「別に言葉だけでいいし。物を貰っても……ね……」
 遠い目になるユリィ。
 今、この場にいる人間も機械人形も知らないことであったが、ユリィの部屋は服は脱ぎっぱなし、埃は積もりっぱなしの汚部屋だった。彼女としては物を貰ったところで何処かの荷物の山の標高が上がるだけで、むしろ困るだけなのである。
「悪いな、ユリィちゃん」
 そんなユリィの汚部屋事情なんて知る由もないテオフィルスは彼女がテオフィルスを慮って言ったことだと好意的に受け取った。真実を知らない方が時には良いこともあるのだ。
「じゃあ、改めて。誕生日おめでとう、ユリィちゃん」
 テオフィルスの言葉にユリィは、ほんの少しだけ表情を和らげて「ありがと」と応える。ユリィは普段あまり表情を顔に出さないので、少しの表情の変化も貴重に思えてテオフィルスは嬉しい気分になった。
 それに結社内の女性陣全員に誕生日プレゼントを贈っていたら破産するんじゃないかと思っていたテオフィルスにとって「言葉だけでもいい」というユリィの言葉は目から鱗のありがたい言葉だった。
「ご馳走様。じゃ、うちは戻るから」
 最後は豪快にハーブティーを飲み干して25歳のユリィは席を立つ。
「言っとくが二、三日は安静にしろよ」
「……」
 ジークフリートの言葉にユリィは返事をせずに医療班の部屋を去っていった。閉まった扉に呆れたように「全く……」と呟いたジークフリートは早々にユリィの所属する小隊の長であるロナ・サオトメに電話をかけて、ユリィを安静にするよう見張ることを薦める。おそらくユリィは「身体が訛る」とでも言ってトレーニングだけでも行なおうとするだろう。電話をしてロナと話しながらも、ユリィを止めるように頑張らなければいけないロナの胃のことを思うと罪悪感がのしかかってきたジークフリートは、ロナが来てもいいように良い胃薬を調達しておこうと固く誓った。
 ジークフリートとロナの電話が終わったタイミングで、今度はちゃんとしたノックの音が聞こえる。
 そして、のそりと入って来たのは巨躯の青年。
 青年を見てオルカの顔が輝く。
「シキ!」
「あ、やっぱりここに居た」
 シキはオルカの顔を見て安堵したとばかりに肩の力を抜いた。
 その様子を見るに、どうやら食堂からいなくなってしまったオルカを探していたらしい。
「何でここが分かったの?」
オルカがジークのこと好きって言ってたから逃げるとしたらここかなって思って」
「おじさんは避難所じゃないんだが」
 そうぼやいたジークフリートの言葉はシキに右から左へ受け流された。
「皆ご飯終わったし、帰ろう」
「うん」
 シキの言葉に食堂に行かなくて良いと理解して安心したのか、ずっとジークフリートのそばに居たオルカだったが、シキの言葉にジークフリートから離れてシキの側に寄って行った。
「あ、そうだ。シキ君!」
 ユリィが空にしたカップを片付けに来ていたミアがシキに声をかけた。
「シキ君、24日誕生日だよね! 誕生日までに会えなかったら困るから今渡しておくね!」
 そう言ってミアがポケットから差し出した紙を受け取ったシキの目に輝きが灯る。
「プリンの食券……」
「シキ君はプリン大好きだって言ってたしピッタリかなって思って」
「ありがとう、ミア」
「えへへ」
 10代の甘酸っぱい青春劇を目の前で見せられているような気分になったテオフィルスは胸焼けがしそうだった。ハーブティーも飲み終わったことであるし、自分もそろそろお暇しようか。そう思って尻を椅子から浮かしかけた時だった。
「そういえばシキ君とヴォイドさんって同じ誕生日なんだね」
 ミアが何気なく呟いた言葉に目を丸くする。
 シキの誕生日は24日とミアが言ったばかりだ。
 1年は閏年でなければ365日。同じ誕生日の人間がいる確率はそこに人が23人いれば50パーセント以上の確率で存在するのだから珍しい事ではない。
「ヴォイドさん……」
 ミアの言葉をそっくりそのまま言っているかのようにヴォイドの名前を反芻するシキは、どうやらヴォイドと面識が無いようだとテオフィルスは悟る。実際のところ、怪我の多い前線駆除班でもなければ医療班にそんなに用事はないものであり、シキがヴォイドとまともに会話をするのは愛の日までないのであった。
「ヴォイドとお前、髪色似てるし案外生き別れの姉弟だったりしてな」
 我ながら馬鹿なことを言っているなと自分の発言に笑いながらテオフィルスは今度こそ椅子から立ち上がる。
「ミアちゃん、ごちそうさま」
「は、はいっ!」
 ミアに礼を言い、ジークフリートにも診療の礼を告げたテオフィルスは医療班の部屋を出た。
 そして、おもむろに上着のポケットから取り出すのはヴォイドから誕生日に貰ったサファイアのブローチ。
「何やろうか、アイツに……」
 テオフィルスに残された時間は半月程。
 どんな難解プログラミング言語の習得よりも難問を抱えた気分になり、折角解れて癒された身体が重くなるテオフィルスなのであった。

1月17日 昼行灯の誕生日

 休憩所のベンチでテオフィルスはブラックコーヒーを煽るように飲んでいた。寝不足であった。理由は仕事ではない。
「どうすっかな……」
 テオフィルスの寝不足の原因はヴォイドの誕生日プレゼントにあった。
 自身の誕生日を祝われた事も先月までなければ他人にも誕生日プレゼントを渡したこともないテオフィルスである。いざ、あげようと思っても何をあげたらいいか分からないのは当然のことで連日連夜、電子世界ユレイル・イリュで検索をしていた。とはいえ今の電子世界は政府が臨時に作ったものであり情報量が多くないため役に立つ情報は少ない。
「良かったっすね、姐さんから誕生日プレゼント貰えて」
わっぱ、アレのどこがプレゼントだ。どこの世の中にスパーリングを誕生日プレゼントにする奴がいるんだよ」
「姐さんとスパーとか最高じゃないっすか? 俺としてはマジで羨ましいんすけど」
「筋トレ馬鹿餓鬼とおっさんを一緒にすんじゃねぇ……くそ、腰が痛てぇ」
 そんなテオフィルスのいる休憩所に会話をしながら入って来たのは長身の男達だった。エレオノーラ・ブリノヴァ率いる前線駆除リンツ・ルノース班第三小隊のメンバーであることは知っているが、別に男に興味のないテオフィルスは特に声をかけることもなかったし、向こうから話しかけてくることもなかった。
「副長、俺から誕生日プレゼントってことで珈琲奢りますよ」
「おっ、嬉しいねぇ」
 白銀の髪の長身――ジョンが南瓜色の髪をした若手男子の言葉に白い歯を見せて笑う。
「ブラックっすよね」
「だな」
 ジョンの言葉通りブラックコーヒーを買った若い方の男、ルーウィンがブラックコーヒーを恭しくジョンに差し出した。
「誕生日おめでとうございまーすっ。何歳っすか?」
「あ? 45だ、45」
「えっ、うちの母親と同じなんすけど」
 聞き耳をたてていたテオフィルスの耳にはルーウィンの言葉の後ろに電子世界のネット用語で笑う意味の「W」が見えたような気がした。テオフィルスはルーウィンの年齢を知らないが、それにしても彼ほどの大きさの息子がいる45歳の母親というのは地上では若い部類なのでないだろうか。
 それでも「うちの母親と同じ」と言われて楽しい気分になる人間はおらず、ジョンも例外ではなかった。
「童……後でおっさんが元気になった暁には楽しく稽古してやるから覚悟しろよ?」
「何かすっげー楽しくねー稽古の気がするんすけど……」
 失言に気付かないルーウィンと、彼に買ってもらった珈琲を飲み歩きしながらジョンは休憩所を出て行った。きっとルーウィンはジョンにボコボコにされる未来が待っているのだろうが、男のルーウィンがどうなろうがテオフィルスの知ったことではない。
 ジョンが誕生日に貰ったものは聞いた限りでは「エレオノーラとのスパーリング」と「ルーウィンの缶コーヒー」だ。真似をしようにもヴォイドにスパーリングは必要ないし、自分はブローチを貰っておいて缶コーヒーをあげるのはちょっと天秤が釣り合わない。
 もちろん自分が誕生日プレゼントに貰ったのと同じようにブローチをあげる案も勿論考えた。しかし、ヴォイドの目の色に似た宝石となると価値が非常に高く、幼馴染程度でしかない存在の男が軽く贈っていい値段ではない――とそれなりの理由は付けられるものの、結局のところ金が無いという、そもそもの理由にぶち当たっていた。
「あー、やりてぇ……」
 犯罪を、である。
 ネットバンキング詐欺を少々やっておけば、馬鹿から金なんて簡単に手に入る。甘い汁を吸うことに慣れているテオフィルスの歪んだ意識が「やってしまえ」と頭の片隅で囁いていた。
「テオ?」
 ヴォイドの誕生日プレゼントを考えすぎていて幻覚を見たのかと思った。
 それ程のタイミングの良さで休憩所に顔を出したのは、まさしくヴォイド・ホロウその人である。仕事中らしく医療ドレイル班であることを証明する青いスクラブを着ている彼女は、自動販売機に向かうと悩む素振りも見せずに一つのボタンを押した。
「ヴォイド、お前こんな所でどうしたんだ?」
 自動販売機からペットボトルを取り出しているヴォイドの後ろ姿に向かってテオフィルスは問いかける。今、彼等のいる休憩所は汚染駆除ズギサ・ルノース班に近い休憩所であるが、医療班からは遠いため仕事中にわざわざヴォイドがここまで来る理由がないのだ。
「これ、買いに来たの」
 そう言って振り向いたヴォイドは手にしていたペットボトルのラベルをテオフィルスに見えるように向けた。どうやら兎頭国由来のブレンド茶らしいが何故ここにまで来る必要があるのか。
ここにしか売ってないから
「……そうか」
 ヴォイドの答えにテオフィルスは惚けたような顔で頷いた。そんなテオフィルスの表情にヴォイドは微かな苛立ちを感じてムッとしたような顔になる。
「何でそんな顔するの」
「いやー、悪い。何かさ……食いモンなら何でも良かった猿のようなお前がわざわざ買いに来る位、食に好みが出来たんだと思って……」
 テオフィルスにとってのヴォイドは14歳頃の少女で止まっている。
 ここ数年は岸壁街で医者として活躍している事は知っていたし顔も合わせていたが、あくまでも表面的な医者と患者程度の付き合いで彼女が何を飲み食いしていたかは知らない。だからテオフィルスにとってのヴォイドといえば、食い逃げしてるかテオフィルスの家の食糧を消費しているイメージしかなく、そんな彼女がお茶に好みが出来るなんて思いもよらなかったのだ。
「……甘いものも好きになったよ」
「すげぇな。変わったんだな、お前」
 テオフィルスの言葉に照れくさそうな空気を纏ったヴォイドは黙ってペットボトルのお茶を飲む。
 そうか、彼女はお茶を好んで飲むようになったのか。
 この時間を幸いとばかりに、テオフィルスは何気ない世間話のような顔をしてヴォイドの最近の飲食についての情報を仕入れていた。確か電子世界で検索する中で見た誕生日プレゼントでもスイーツや茶葉はあったし、それならヴォイドが喜んでくれそうな気がしたのだ。それに、そのくらいなら幼馴染程度の男が贈っても気持ち悪くなさそうじゃないか。
「……もう戻らないと」
「引き止めて悪かったな」
「ううん。テオと話せて良かった」
 気付けば時間が経ってしまっていた。
 休憩時間の終わりが近づいたのであろうヴォイドは、もう一本同じブレンド茶のペットボトルを買って足早に休憩所を出ていく。そんな後ろ姿を見ていると、引き止めてしまい申し訳なかったという気持ちと、彼女と二人でゆっくり話せて嬉しい気持ちがない混ぜにやってテオフィルスは何とも言えない顔で笑うしか出来なかった。
「話せて良かったって……」
 それは俺の台詞だっての、とテオフィルスは独りごちた。

 * * *

 テオフィルスは人事部にいた。
 異動願いに来たわけでも退職届を出しに来たわけでもないが、彼は人事部を訪れていた。人事部らしくちょっとした会話が出来るように設置された簡易応接室でテオフィルスが対峙するのは枝毛ひとつないような艶やかな長い黒髪を背中に流したサリアヌ・ナシェリだ。
「サリアヌちゃん、仕事中にごめんな」
「いいえ。休憩中ですもの、お気になさらないで」
 サリアヌは気分を害した様子も見せず優雅に微笑みを浮かべてテオフィルスを見ていた。彼女が普通の女性ならここで口説きたくもなるが、そのような理由でサリアヌに会いに来た訳ではないし、いくら彼女が美しくてもサリアヌは貴族というテオフィルスが一方的に嫌っている身分の女性である。彼女はテオフィルスが岸壁街出身だからと嘲ることも見下すこともしないが、それでも身分の壁はテオフィルスの中では高くて厚い。だから、テオフィルスは早々に本題を切り出すことにした。
「人に茶葉を贈りたいんだけど、オススメは何?」
「一言で茶葉と申しましても種類は多岐に渡りますわ」
 そう言ったサリアヌはテオフィルスの言葉を馬鹿にすることもなく、やんわりと茶葉にも種類がある事を口に乗せる。そして贈る相手の名前を露骨に聞こうとするような愚問はせず、それでいて相手に贈る理由や性別や年齢、相手の嗜好に更には予算までテオフィルスから聞き出していった。
「……わたくしが思うにはこの様になりますわね」
 流麗な筆運びで紙に何点か紅茶のメーカーと茶葉名を書き出したサリアヌは紙をテオフィルスに差し出した。そこに書かれたメーカーは所謂「ちょっとお高くて貰うと嬉しい紅茶ブランド」であり、百貨店に行けば手に入る程度なため入手も難しくはない。なお、紅茶であるのは単にサリアヌの趣味である。
「ありがとうな、サリアヌちゃん」
「いいえ。良き贈り物が出来ますようにお祈り申し上げますわ」
 最後まで優雅さを崩すことなく軽く会釈をするとサリアヌは簡易応接室を出て行く。サリアヌが去ったならばもう人事部に用がなくなったとばかりに立ち上がろうとソファから腰を浮かしかけたテオフィルスだったが、簡易応接室に新たに入ってきた人物に動きを止めた。
「テオ君。ナシェリさんとのお話終わったみたいだね」
「お前がサリアヌちゃんに話つけてくれたおかげでな。助かった」
 テオフィルスがサリアヌとスムーズに話が出来たのは、サリアヌと同じ人事部のタイガが予め約束を取り付けておいてくれたからである。
「誰かに紅茶あげるの?」
 応接のテーブルに置きっ放しであったサリアヌのメモを目敏く見つけたタイガが問い掛けてくるので、テオフィルスは誤魔化す訳にいかず頷く。
「誕生日とか?」
 そして、これまた的を得た問いに驚きつつもテオフィルスは頷いた。タイガにサリアヌに聞きたいことがあるとは言ったが「誕生日プレゼントを決めるためにサリアヌに聞きたい」とは一言も言った覚えは無い。言った覚えはないがタイガは人事部故に他人のプロフィールには詳しいようであるし、テオフィルスがヴォイドからサファイアのブローチを貰った時にもその場にいた。それだけの状況があれば案外簡単にバレてしまうものなのかもしれない。
 そんな事を考えるテオフィルスに、タイガはからかう訳でもなく素直な目を向ける。
「折角の誕生日なら全部消えものじゃなくて何か残るものもあげたら? ま、オレはテオ君が誰に贈ろうとしてるのか知らないけどね。知らないけど初めて贈るんでしょ? そしたら食べたり飲んで終わりじゃない、ちょっとした物もあげたらいいと思うよ」
 肩を竦めたタイガは「誰にあげるか知らないけどね」ともう一度取ってつけたように言う。あくまでも自分はテオフィルスが誰に誕生日プレゼントをあげるか知らないというスタンスを崩さないタイガに、内心で感謝しつつテオフィルスは問いかける。
「消えない物で深い意味の無い物ってなんだよ?」
「マドラーは? テオ君、メドラーだし」
 タイガの言葉にテオフィルスはタイガが過去に見たこともない程、にっこりと微笑んだ。
「海神の子にしてやろうか?」
「テオ君が言うと冗談に聞こえないから止めて。ごめん、オレが悪かった」
 タイガは早々に白旗を上げて真面目に返答することにした。
 冷たいミクリカの海に沈む自分は想像もしたくない。
「じゃあ、紅茶を飲むためのカップとかどう?」
「……お前の部屋にある趣味の悪い柄のカップが頭にチラつくんだが」
 テオフィルスの頭によぎったのはタイガの部屋にあるブサイクなオッサンだかタヌキだかのプリントがされたマグカップだった。タイガの部屋にある他の食器に比べて異彩を放っていたソレは忘れたくてもなかなか忘れられる物では無い。妙に美脚なのが、また腹立たしいキャラクターだった。
「えー。あれは『Don⭐︎Dokosho』が手掛けたキャラクターで……」
「いや知らねぇよ」
 タイガへツッコミを入れつつも、ティーカップも悪くはないと思う。
 幼馴染というだけの男が贈るものだから飲んで終わりになった方が良いと思っていたのだが、それくらいのものならヴォイドの手元に残っても彼女が不快になることはないだろう。それに気に入らなければ割って捨てて貰えば良いだけだ。
 サリアヌが書いてくれたメモにあるブランドを何個か指さしてタイガは言う。
「こっちなら茶葉だけじゃなくカップも扱ってるからオススメかも。別にブランド揃えることに拘らないなら、こっちの方が包装も缶もかわいいよ……でも見た目が青っぽくて綺麗な缶ならこっちかな」
「お前も案外詳しかったんだな……別にサリアヌちゃんに聞かなくてもどうにかなった気がしてきた」
「えー。テオ君、オレの意見なんて聞かないでしょ」
 タイガの言葉が図星すぎてテオフィルスは押し黙る。確かに、最初にサリアヌという女性から聞いた情報に対する補足であるからタイガの話を大人しく聞けているというのはあるからだ。
 ヴォイドの誕生日前に幸運にもテオフィルスとタイガの休暇が被っている日があったので、タイガに買い物に付き合ってもらうことにしてテオフィルスは簡易応接室を出た。
 はたして、彼はヴォイドに誕生日プレゼントは渡せるのか。

1月24日 青と緑の混じった目の子の誕生日

 義足がカチャカチャ音を立てている。
 ここ半年程聞いている音であるが、今ばかりはこの音に静まって貰いたいとテオフィルスは切に願っていた。一歩進む度に耳に届くカチャカチャ音が自分の緊張した心臓音のように聞こえて、それがまた通行人の第三者に聞こえて自分が緊張しているのが伝わっているような気分にさせるからだ。
 しかしながらテオフィルスが歩けば義足の音がするのは常のことであり、それを聞いたからといって誰も「テオフィルスは緊張しているんだな」なぞとは露とも思わないだろう。だから、これはただの自意識過剰だ。
 汚染駆除ズギサ・ルノース班での仕事の合間を縫って、テオフィルスが向かうのは矢張りというか医療ドレイル班だ。今日はヴォイドが出勤であることはリハビリの世間話ついでにジークフリートから聞いていたテオフィルスに抜かりはない。
 そんなテオフィルスが手に提げているのは、サリアヌに教わってタイガと共に購入しに行った高級紅茶メーカーの袋であった。パッケージ等が薄青を基調としたそのメーカーは贈る人物に相応しいように見えて購入した時には自信満々であったが、医療班に近付くごとにその自信は萎んでいく。
 本当にこれでいいのか。肉じゃなくていいのか、と。
 しかし、もう代わりのものはなく腹を括るしか無かった。
 軽くノックをして医療班の扉を開ける。丁度、扉の近くに居たクインが眠たそうに見えるが本人は全く眠くないという茶色の目を向けてきて、目が合ったのでそのままテオフィルスはクインに声をかけた。
「クインちゃん、ごめん。ヴォイドいる?」
「ヴォイドね。奥で処置中だと思うけど……」
 クインがそう言ったのとほぼ同時といっていいタイミングでビタァン!!という音と、男の悲鳴を押し殺したようなくぐもった声が奥から聞こえた。
「あー……終わりそうだな」
「そうね。此処で待っていたら?」
「そうさせてもらうな」
 テオフィルスが提げていた袋で用件を理解していたらしいクインの言葉に甘えることにして、テオフィルスは医療班入口近くでヴォイドの仕事が終わるのを待つことにした。義足のテオフィルスを立たせっぱなしにすることは医療班としては見過ごせないらしく、クインがわざわざ折りたたみ椅子を持ってきてくれる。
「ありがとな、クインちゃん」
 テオフィルスは礼だけを言った。ここで礼ういでにクインを誉めて口説こうとする気配を見せたならば、彼女の見た目からは予想出来ない刺々しい言葉が返ってくることをテオフィルスは過去、身をもって知っていたからだ。
 それに今日という日は女の子を口説く気は無い。
 どちらかというと今日、口説きたい子は一人だけだ。
 そんな口説こうとしてこないテオフィルスに対しては、余計な暴言を吐くような愚かな女ではないクインは「ヴォイドを呼んでくるわ」と言うと奥へ消えていく。それと入れ替わりのように奥からヨタヨタとした足取りで「いたた……」と呟きながら腰をさすりつつ現れたのは、50代くらいの人の良さそうな中年男性だった。彼がおそらくヴォイドに「ビタァン!!」をされた人物だろう。男に興味のないテオフィルスも自動販売機の補充をしている姿を見かけた事があり、確か彼は調達ナリル班だったはずだ。
「リーシェールさん! 湿布お忘れです!」
 そんな中年男性を追いかけてきたのはミアだった。リーシェールと呼ばれた男性は「ありがとうね」と湿布を受け取って優しく微笑む。
「いつも通り48時間は患部を冷やして安静にしててくださいね。連絡したらシキ君達が代わりに仕事はやってくれるって言ってましたから」
「また若い子達に世話かけちゃって申し訳無いなぁ」
「リーシェールさんが治るのが一番ですよ!お大事になさってくださいね」
 元気なミアの声を受けてリーシェールは微笑みを深くすると医療班の部屋を出て行った。そんな彼を小さく手を振って見送ったミアは、入口近くに座っていたテオフィルスに気付いて緊張したような強ばった顔をしたが、テオフィルスが膝に乗せている紙袋を見て見る見るうちに態度を軟化させる。
「こ、こんにちは……ヴォイドさんの誕生日ですか?」
「まあね……ミアちゃんはアイツに何かあげた?」
 どうやらクインと同じように、今日それらしき紙袋を持って医療班に来ると用件は筒抜けらしい。照れ臭さを隠すように、テオフィルスはミアに問い掛けた。
「は、はいっ。もこもこのルームウェアをあげました!」
 何でも女子に人気の「可愛い部屋着」と言ったら真っ先に思いつくブランドのルームウェアをミアはあげたのだという。わざわざ自分の携帯型端末を取り出して「これです!」と見せてくれた写真に映っていたのはブルーグレーとホワイトのボーダーのパーカーだった。確かに写真で見てもモコモコとしていて暖かそうな生地に見える。
 露出度は下がるが、これをヴォイドが着たら可愛いとテオフィルスは素直に思った。ミアは良いプレゼントを送ったものである。これを着ている日を拝めれば最高なのだが、はたしてそんな日は来るのだろうか。
「テオ、お待たせ」
 テオフィルスが妄想の中の可愛いヴォイドに思いを馳せていると、本物のヴォイドが目の前に来ていた。妄想のヴォイドに別れを告げて、折りたたみ椅子から立ち上がったテオフィルスはそのまま誕生日プレゼントをヴォイドに渡そうと思うが、妙にキラキラと輝く瞳でこの状況を見つめているミアがいるので何だか渡し辛い。
「……ちょっと外に良いか?」
「別に良いけど」
 テオフィルスとヴォイドの言葉に明らかにガッカリした顔のミアを医療班の部屋に置いたまま二人は廊下に出た。タイミング良く人通りは無いため、これ幸いにと早々にテオフィルスは本題を切り出していく。
「先月は……ありがとうな」
「え?」
 思い当たっていないヴォイドに分かりやすいように、右ポケットからテオフィルスが取り出して見せたのは彼女から誕生日に貰ったサファイアのブローチだ。ヴォイドが納得したところでブローチは無くさないように大事にポケットに戻しておく。
「でさ、今日はお前の誕生日だろ? 何も返さないのも悪いかと思ってだな」
 なんで自分はこんな言い訳めいた事を言っているのだろうと思いつつ、ずっと手にしていた紙袋をヴォイドに向かって無造作に突き出した。
 そんなことをしながは自分が持っているものを彼女にこうやって差し出すなんて人生はじめての出来事だと思う。今までは、どちらかと言うと「奪われた」という表現が似合うような勢いで彼女に食糧をとられることが多かったが、今回はテオフィルス自らがヴォイドにあげるためだけに買ったのだ。
 紙袋の中身は、紅茶のティーバッグのアソートセットとかいうものと、ティーカップアンドソーサーを一客である。なお、茶葉ではなくティーバッグなのは「ヴォイドがそんなにこだわって茶を入れるはずはない」という根拠の無いテオフィルスの想像である。更にはカップアンドソーサーが一客なのは決して予算の関係ではなく、将来的にヴォイドに恋人と使われたら嫌だという思いが働いたためであった。
 テオフィルスから誕生日プレゼントを受け取ったヴォイドの頬に朱が走ると紙袋をギュッと抱き締めるのを見て、テオフィルスは安堵する。ヴォイドには本人は気付いているのかいないのか分からない癖があり、それが「嬉しい」を口に出す前に頬を赤らめて貰ったもの抱き締めるという癖であったからだ。
 つまり、今紙袋がひしゃげることも気にせず抱き締められているテオフィルスの誕生日プレゼントはそれだけ喜んで貰えたということである。
 もう一歩だけ、ヴォイドに近付いたテオフィルスは周囲を窺った。相変わらず廊下には人通りがなく静まり返っているのを確認すると、自身の上着の左ポケットからもう一つのソレを取り出す。
「ヴォイド」
「何?」
「これもやる」
 そう言ってヴォイドに手渡したのは小さなルースケースだった。中には決して大きくはない裸石ルースが入っている。
「これは?」
「……たまたま見付けてな。ブルーグリーンサファイアって言うんだ」
 ブルーグリーンサファイアはその名の通り青色と緑色の入り交じった宝石だった。
 一般的なサファイアはテオフィルスの目のような青色であるが、サファイアという石は他にも多くの色を持つ。そんな中には今、ヴォイドの手の中にあるサファイアのように、一石の中に二色の色を呈するバイカラーサファイアというものがあるのだ。
 最初に電子世界で検索した時、テオフィルスはサファイアは自分の目の色と同じ青色だけだと思い込んでいた故に、この存在に気づかず青と緑の入り交じった宝石といえば他の高価すぎる稀少な石にしか辿り着けなかった。この存在に気付けたのは、たまたま何らかのページを誤クリックした結果で運命と言っても過言ではない。
 そして、そんなブルーグリーンサファイアの、それこそブローチやネックレスといった加工したアクセサリーもあった。しかし、あえてテオフィルスはルースを選んだ。理由は自分でも良く分からないが、アクセサリーはヴォイドを束縛する枷のように感じたからだ。
「サファイア……?」
「お前に貰ったブローチよりはずっと小さい石だけどな。その石を買ったのは誰も知らないから、もし誰かに『俺から何を貰ったか』聞かれたらそっちの紅茶だけ言ってくれ」
 医療班の部屋にヴォイドが戻ればミアが「ヴォイドさん! 何を貰ったんですか!?」と問い掛けるのは火を見るより明らかで、他にも後でヴォイドが誰かに聞かれるかもしれない。そんな時、石を贈ったことを誰にも知られたくなかった。
 何か一つくらい自分とヴォイドだけが知っていることがあっても良いと思ったのだ。テオフィルスが他人に「お前の知らないヴォイドを知っている」と、ちょっとした優越感を抱きたいがための小さな秘密にしたかったのだ。
 しかしながら、当然のようにヴォイドはテオフィルスの言葉に首を傾げていた。
「何で?」
「何となく」
「ふーん、分かった」
 本当に分かったのか、それとも適当に返事をしたのかといった感じのヴォイドの返答であった。とはいえ、ヴォイドが大事そうにポケットにルースケースをしまうのを見届けたテオフィルスは満足だった。
「じゃ、俺は」
 「これで」と言おうとしたテオフィルスの服の裾を「行かないで」とばかりにヴォイドが掴んだ。
「テオ……」
 何かを期待するかのような煌めくヴォイドの目を改めて見て、今プレゼントした宝石よりもずっとずっと色彩が美しいなと思う。
「何だよ? もう俺は何にも持ってないからな?」
 ふざけたように言いながらもテオフィルスの方も何かを期待してしまっていた。プレゼントをあげて喜んでくれた女の子が自分を帰らせないように見つめてくるなんて、これはもう先の段階まで進んでも良いんじゃないか。
 思わず生唾を飲み込むテオフィルス。
 そんな彼に、ヴォイドは口を開いた。

「今ならジーク空いてるからリハビリ受けてって」

 テオフィルスは、言語中枢が壊れたかと思った。
 ヴォイドは何を言い出しているんだ? 今、誕生日プレゼントからのイイ流れじゃなかったのか? と疑問が頭を埋め尽くす。
「この間、ジークの施術を受けたって聞いたから」
 服の裾を掴んでくるだけでは満足せず腕を絡めてくるヴォイドは大変に当たるもの・・・・・があって喜ばしいが、彼女が言っていることは何も喜ばしくない。
「いや、今日はお前に……」
「今日はアキヒロもいるから診察もして貰えるから」
 ヴォイドは強かった。彼女がいない時を狙ってリハビリをしてばかりのテオフィルスだから、最初に岸壁街で応急処置をした先生としては色々と気になることもあるのだろう。
 まぁ、いいか。診察を受けてヴォイドが喜んでくれるなら。
 諦めたテオフィルスはヴォイドのやりたいようにさせてやることにした。
「仕方ない。今日はお前の言うこと聞いてやるよ」
 こうしてヴォイドに引き摺られるようにして医療班の部屋へと逆戻りしてくるテオフィルスがいたのだった。

1月27日 元ヒキコモリの誕生日

「ふう……」
 休憩所のベンチでニコリネはブラックコーヒーを手に一息ついていた。
 しかし、今日のニコリネの手にあるブラックコーヒーは、いつものものよりも20イリ高い高級缶コーヒーであった。とはいえ所詮は缶コーヒーであるので高級といっても珈琲マニアには鼻で笑われそうな値段であるが、そんな珈琲マニアとニコリネが会話をする事は無いので何ら問題は無い。
 いつものコーヒーよりも値段のおかげで深みのある気がするコーヒーを飲んでいるのは今日がニコリネの誕生日だからである。ちょっとした自分へのご褒美というやつだ。
「ニコリネちゃん」
メ、メメメメメドラーさん!!」
 もはやテオフィルス・メドラーの名前を呼ぶ時にはこのようにしか呼べなくなってしまっているニコリネに対して、テオフィルスは嫌な顔一つ見せなかった。彼だけではない。汚染駆除ズギサ・ルノース班で上手く話せないニコリネを馬鹿にする人間は誰もいなかった。裏ではどうだか分からないが、少なくとも表向きは全員良い人だ。
「どどどうなさったのですか!?」
「ニコリネちゃんに用があったんだけど」
 そう言ってニコリネに近づいてくるテオフィルスにニコリネの背筋がピンと伸びた。自分のような存在に用があるなんて、自分が仕事でミスをしたとしか考えられない。
 しかしテオフィルスが発したのは、なじる言葉でも苦言でもなかった。
「俺の誕生日の時、ありがとな」
 テオフィルスはポケットから手の平サイズの封筒を取り出すと、ニコリネに差し出した。その封筒の真ん中に書かれたロゴは女面鳥身。創業以来、ロゴのデザインが変わるたびに近付いてきており、そのうち顔のドアップになるのではないかと電子世界ユレイル・イリュで言われているハーピーのロゴをニコリネは良く知っていた。
「も……モビーディックス・コーヒー……」
 通称はモビデといい、そちらで言う人間が多い中、ニコリネはわざわざ正式名称で社名を呟いた。リア充御用達のお洒落な人間しか近付いてはいけないコーヒーショップである。決してそんな店ではないのだが、ニコリネは電子世界でそう揶揄されているのを見慣れており、更に店の雰囲気等々を見る限りそうにしか思えない。
「誕生日おめでとう、ニコリネちゃん。これは俺とタイガからのプレゼント」
「タイガ君?」
「ニコリネちゃんの弟の友達だってアイツ言ってたけど違った?」
「ちちち違わないです!」
 テオフィルスの問いに、ニコリネはロック会場のヘッドバンギング並の激しさで首を振って彼の言葉を肯定した。タイガ・ヴァテールがニコリネの弟の友人であることは間違いない。
 思わず震える手でテオフィルスからモビデの封筒を受け取る。
 手のひらサイズの封筒は普通ならば何が入っているのだろうと悩むところであるが、モビデのウェブサイトを熟読しているニコリネは知っていた。
 中身は『モビーディックス・カード』。
 モビデでの買い物に使えるプリペイドカードだ。
「あ、あ、ありがとうございますっ」
 人から何かを貰ったら、まずはお礼を言わなくてはいけない。そう思ったニコリネは精一杯の明るい顔をしてテオフィルスに頭を下げた。毎度の如く歪んだ笑みだったが、直ぐに頭を下げてしまったのでテオフィルスには一瞬しか見えていない。
「じゃ、俺はこのまま昼休憩入るから」
「は、は、はいっ」
 そう言ってテオフィルスは休憩所を去っていった。
 残されたニコリネは、改めて憧れのモビーディックス・コーヒーのプリペイドカードを輝く目で見つめた。
 しかし、その輝きは直ぐに失われる。
「モビデ……リア充の巣窟……無理……」
 モビデはお洒落な店だ。そんな店に行くお洒落な服をニコリネは持ち合わせていない。そしてそんなお洒落な服を売っている店に服を買いに行くための服がない。メイク道具もない。勇気もない。無い無い尽くしだ。
 思わず死んだ目になるニコリネ。
 そんな彼女を封筒に描かれたハーピーが腹立つ程の笑みを浮かべて見つめていたのだった。