蒼が掌の中で煌めく。
それを暫し眺めていたテオフィルスであったが青いサファイアのブローチを大事に上着のポケットの中にしまうと、開けることを躊躇っていた扉に手をかけた。
「自ら赴くとは珍しい事もあるんだなぁ」
中に入ったテオフィルスを迎えたのは可愛い女の子の声ではなく、むさ苦しいオッサンの声を持ち、声に合った外見をした
機械人形のジークフリートだった。
強面のため良く保育部の子供達に泣かれているが中身は気の良い性格を設定されており、話をすることに不快感は無い。
「俺にだってそんな日くらいある。アキヒロは?」
テオフィルスは「ミクリカの惨劇」で片脚を殆ど喪った。本来ならば義足をつけて歩行するには数ヶ月かかるところを無理をして義足を装着しているため、
医療班の診察とリハビリはよりこまめに行わなければならない立場だった。
しかしながらテオフィルスはカンテ国の無法地帯である岸壁街で生まれ育った男だ。「やってください」と他人に言われて「はい、分かりました」と素直に聞ける素直な性格の人間な訳はなく、何だかんだと理由をつけて診察もリハビリも逃げていた。それは他人に強制されるとやりたくなくなるという心理的リアクタンスが働く為である。
「アキヒロさんは今日は支部に行ってるな」
そう言って機械人形らしい記憶力の良さでジークフリートは他にテオフィルスの診察が出来そうなメンバーのシフト表を脳内に描き出すが、残念ながら今の時間には該当者はゼロだった。その旨も伝えるとテオフィルスは困ったとばかりに眉根を寄せた。仕事の合間を縫って来ているテオフィルスとしては、出来ればこの時間にリハビリをしてしまいたかったからだ。勝手ではあるが医療班に来ればどうにかなると思っていたのだ。
「マジかよ……」
「おじさんがやってやろうか?」
「は?」
「その技能もインストールされてるんでな、おじさんだってリハビリくらい出来るぞ。お前さんのカルテは頭に入っているし」
頭を指で軽く叩きながら言うジークフリートにテオフィルスは機械人形の便利さを改めて感じていた。岸壁街にも機械人形はいたが地上のジャンク品が流れてきたものを使っているので型番が古かったり、どこかしらが故障していたりして何でも出来るような機械人形はいなかったのだ。
テオフィルスに与えられた機械人形のナンネルもプログラマーの補助としての技能にメモリを殆ど使っており、あの時はあれが普通と思っていたが他の機械人形を知ってから比べると充電の回数が非常に多かった。やはり古い型番だった故にスペック的に無理が多かったのだろう。
壊れてしまった己の機械人形への思いを馳せて胸が痛むのを感じながら、テオフィルスは優秀な医療用機械人形のジークフリートへリハビリを頼んだのであった。
* * *
「いってぇぇえ!!!」
「男の子なら我慢だ、我慢」
悲鳴を上げるテオフィルスにジークフリートは容赦がなかった。機械人形法の「機械人形は人間に危害を加えてはならない」は治療には適用されないらしく、テオフィルスが「痛い」と言ったところでジークフリートの手が緩むことはない。
テオフィルスが悲鳴を上げているのは無くなった脚の治療ではない。
個人用電子端末を使う者の宿命というべきかデスクワーカーあるあるというべきかテオフィルスには猫背の気があり、それを見逃すジークフリートではなかったのだ。
首を折られるんじゃないか、いや、もう折れたんじゃないかというような音をさせられた時は死を覚悟した。ジークフリート曰くアジャストメント治療という関節を矯正させるものであるというのだが、テオフィルスにとってはとてつもない恐怖だった。人の命がゴミのような岸壁街では首の骨を折って殺すのは鮮やかな殺しの手口として至ってメジャーなものだったからだ。
「ジーク、匿って!」
そんな悲鳴を上げるテオフィルスのいる処置室にそう言って飛び込んできたのは青い髪をした少年型の機械人形だ。髪色よりも人目を奪うのは彼の特徴的なフィンイヤー。
名前というならオルカと名付けられたその機械人形は処置中のテオフィルスには目もくれずジークフリートにしがみつく。困ったような顔をしてジークフリートが自分の腰に巻きついたオルカを見た。
「オルカ。おじさんは仕事中なんだが」
「でも僕を匿ってくれそうなのジークしか思いつかなかったんだ」
「匿う?」
物騒な単語にテオフィルスは眉を顰めてオルカを見た。
オルカは機械人形の中でも潜水専用機という特殊な機械人形だ。今でこそテロの発生により機械人形の市場価値は値崩れを起こしているが、テロ前にはその特殊性により価値の高い機械人形であった。そんなオルカを狙う闇ブローカーでもマルフィ結社に忍び込んだのであろうか、とテオフィルスは岸壁街らしい考えを浮かべていた。
「匿うって誰からだ?」
ベッドに寝ているテオフィルスから手を離すと、ジークフリートは落ち着かせるように優しくオルカの頭を撫でた。
暫く大人しく気持ちよさそうな顔をして撫でられていたオルカだったが、本来の目的を思い出して真剣な顔をする。
「食堂のネリネからだよ」
「ネリネちゃん? あのメイド服の、お前と同じ耳の?」
「そう」
オルカは変わらず真剣な顔をしてテオフィルスの問いに頷いた。
対するテオフィルスはオルカを狙う闇ブローカーが居なかった事に安堵しつつ、食堂のネリネを思い浮かべる。
シミ一つない人工物の肌にわざわざソバカスを描かれたネリネは、愛想笑いの一つも浮かべない最初に彼女を作った
主人は
被虐性欲者だったのだろうかと思うくらいには機械人形らしからぬ機械人形だった。
そんな彼女が何故、オルカを追い回しているというのだろうか。
「何で追われてるんだ?」
やはり機械人形であっても疑問に思う部分は同じようで、ジークフリートがテオフィルスの疑問を代弁するようにオルカに問い掛けた。
「今日は
調達班の皆にくっ付いて食堂に行ったんだけど……そしたらネリネに出会って……よく分かんないんだけどネリネが言うにはネリネの方がお姉さんだから『お姉ちゃんと呼んで下さい』って迫って来て……」
オルカは人間だったら恐怖から鳥肌がたっていたのだろう表情を見せる。
「別に『お姉ちゃん』って呼べば良いんじゃないのか?」
「だってネリネの稼働年齢聞いたら僕の方が歳上だったから!」
なるほど、とテオフィルスはオルカの言葉に納得する。機械人形は見た目や性格は自由に人間が設定したものであるから、その年齢ではなく稼働年齢が実年齢のような考え方をするのだろう。
オルカは特徴的なフィンイヤーだが、話題に上がっているネリネもフィンイヤーである。同型機だから、と親近感を持ったネリネの好意がオルカには恐怖だったのかもしれない。人間だっていきなり知らない人に「お姉ちゃんと呼んで!」と迫られたら誰だって怖いに決まっている。
「人間には『バブみを感じてオギャる』って考えがあってだな……ネリネちゃんは、それで良いんじゃねぇのか?」
テオフィルスの言う「バブみを感じてオギャる」とはネットスラングの一種だ。年下女性に対して母親のように慕う気持ちや母性を感じて赤ん坊のように甘えることを意味し、そんな母性を感じた特定のキャラに対し赤ちゃんになりたい気持ちが芽生えたことを表現した言葉である。
ネリネが年下なら姉と母は違うが、そんなバブみを感じるような気持ちで言ったらどうだ。テオフィルスはそんなつもりで言ったのだが、残念ながらオルカの頭脳にネットスラングは搭載されていなかったらしい。きょとんとした可愛い顔で首を傾げられるだけだった。無念である。
「……事情は良く分からんが、そこで大人しくしている分には構わないということにしよう。テオフィルスさんも構わないな?」
「おいジーク、まだ続ける気か」
「中途半端は人体に良くないだろう。やるなら徹底的にやらないとな」
ジークが人間と違って決して鳴らない指を鳴らすような動作をして、やる気満々の様子を表現したのを見て、テオフィルスは「ヨロシクオネガイシマス」と気の乗らない返事をするのが精一杯だった。
* * *
終わってみると悲鳴を上げさせられたのは癪だったが、確かに身体が軽く楽になっていてテオフィルスは驚く他なかった。
「面白かったね」
大人しく見学をしていたオルカはギャーギャー騒ぐテオフィルスが面白かったようで終始ご機嫌だった。好奇心旺盛な少年ならば「僕もやってみたい」となるところだろうが、そう言わないのは知識にないことをやる事はしない機械人形だからなのだろう。
そんな事を思いながらテオフィルスはミアの淹れたハーブティーを大人しく啜る。ハーブティーは「施術後は骨格の可動域が広がって筋が柔軟になっているから血流が良くなるんだ。この時に流れる老廃物を水分摂取することによって、体外に排出するのを促してあげる事が大事でな……分かるな?」とのジークフリートの一言で出てきたのだが、淹れてくれたミアはテオフィルスが話しかける間もなく別の場所へ行ってしまった。
テオフィルスはミアと何度か顔を会わせているのだが未だにマトモに会話をしたことはない。それはテオフィルスの性への奔放さを即座に理解した機械人形のシリルがミアに『
アナタみたいな子はあんなのに近付いちゃダメよ。不幸になるわ』と言い聞かせておりミアがそれを忠実に守っているからだが、それをテオフィルスが知ることは無いだろう。
何はともあれ女の子の淹れた飲み物を無碍にする事をテオフィルスがする筈もなく、ありがたくいただいていると医療班の扉がノックも無しに開いた。
「自由業、いるー?」
入って来たのは
前線駆除班のユリィ・セントラルだった。外見はクールビューティという言葉の似合いそうな彼女ではあるが見た目に反してやる事は豪快で、今日も左腕の袖が破けた服から見える素肌には傷が出来ている。
「毎回毎回……
ノックくらいしろって言ったろーが、ユリィ!」
ユリィの言う「自由業」というのはジークフリートのことだったらしく、大きな声で怒鳴りながらもジークフリートは手慣れた様子でカツカツと近付いてきたユリィの怪我の処置を始めていた。
「あれ、麦とキャベツ。珍しいね」
処置されていて暇を持て余したユリィの暗緑色の目がテオフィルスとオルカを映す。何やら美味しそうな組み合わせにされたが、色合い的にテオフィルスが「麦」でオルカが「キャベツ」なのだろう。
「ユリィちゃん、その怪我は……?」
「ああこれ? いけるかなと思って機械人形と戦ってたら、ちょっとね」
怪我の事を何とも思っていない顔でユリィは事も無げに言う。
女の子なのに怪我が傷として残ったら。
そんな事は微塵も考えていない様子のユリィに、テオフィルスは言いかけた言葉をハーブティーで飲み込んだ。女の子を不快にさせるような言葉は言うべきではない。
「何それ、うちも欲しい」
そのハーブティーを目敏く見たユリィが羨ましそうな色を含んだ声を上げる。
「あれは施術後に必要な水分摂取だ」
それをジークフリートがユリィの腕にガーゼを貼り、包帯を巻きながらピシャリと跳ね除けた。しかし、どこかで会話を聞いていたらしいミアがとことことハーブティーを運んできていそいそとユリィの側の机に置く。
「ミアさん。甘やかしちゃ……」
「ジークおじさま、何言ってるんですか! ユリィさんは今日がお誕生日なのに、こんな怪我をするほどお仕事頑張ってくれたんですよ!?」
ジークフリートの強面に向かってピシャリと言い放ったミアは一転して笑みを浮かべてユリィを見つめた。
「ユリィさん、お誕生日おめでとうございます!」
「ありがと……桃」
ユリィに「桃」と呼ばれたミアは満足したのかニコニコと笑って去って行った。オルカもミアの言葉でユリィが誕生日であることを学習したらしく「お誕生日おめでとう」との言葉をユリィへと向けていた。
「え、ユリィちゃん誕生日なの!?」
焦ったのはテオフィルスである。先月、
自分の誕生日を色々な人間に祝ってもらってからというもののテオフィルスにとって誕生日は「単なる生まれた日」から「人を祝う日」に姿を変えていた。
そんな中、訪れていたユリィの誕生日。
何もあげるものは持っておらず、テオフィルスは焦っていた。
しかし、そんなテオフィルスに対してジークフリートの処置が終わってハーブティーを口にしていたユリィは平然としたものだった。
「別に言葉だけでいいし。物を貰っても……ね……」
遠い目になるユリィ。
今、この場にいる人間も機械人形も知らないことであったが、ユリィの部屋は服は脱ぎっぱなし、埃は積もりっぱなしの汚部屋だった。彼女としては物を貰ったところで何処かの荷物の山の標高が上がるだけで、むしろ困るだけなのである。
「悪いな、ユリィちゃん」
そんなユリィの汚部屋事情なんて知る由もないテオフィルスは彼女がテオフィルスを慮って言ったことだと好意的に受け取った。真実を知らない方が時には良いこともあるのだ。
「じゃあ、改めて。誕生日おめでとう、ユリィちゃん」
テオフィルスの言葉にユリィは、ほんの少しだけ表情を和らげて「ありがと」と応える。ユリィは普段あまり表情を顔に出さないので、少しの表情の変化も貴重に思えてテオフィルスは嬉しい気分になった。
それに結社内の女性陣全員に誕生日プレゼントを贈っていたら破産するんじゃないかと思っていたテオフィルスにとって「言葉だけでもいい」というユリィの言葉は目から鱗のありがたい言葉だった。
「ご馳走様。じゃ、うちは戻るから」
最後は豪快にハーブティーを飲み干して25歳のユリィは席を立つ。
「言っとくが二、三日は安静にしろよ」
「……」
ジークフリートの言葉にユリィは返事をせずに医療班の部屋を去っていった。閉まった扉に呆れたように「全く……」と呟いたジークフリートは早々にユリィの所属する小隊の長であるロナ・サオトメに電話をかけて、ユリィを安静にするよう見張ることを薦める。おそらくユリィは「身体が訛る」とでも言ってトレーニングだけでも行なおうとするだろう。電話をしてロナと話しながらも、ユリィを止めるように頑張らなければいけないロナの胃のことを思うと罪悪感がのしかかってきたジークフリートは、ロナが来てもいいように良い胃薬を調達しておこうと固く誓った。
ジークフリートとロナの電話が終わったタイミングで、今度はちゃんとしたノックの音が聞こえる。
そして、のそりと入って来たのは巨躯の青年。
青年を見てオルカの顔が輝く。
「シキ!」
「あ、やっぱりここに居た」
シキはオルカの顔を見て安堵したとばかりに肩の力を抜いた。
その様子を見るに、どうやら食堂からいなくなってしまったオルカを探していたらしい。
「何でここが分かったの?」
「
オルカがジークのこと好きって言ってたから逃げるとしたらここかなって思って」
「おじさんは避難所じゃないんだが」
そうぼやいたジークフリートの言葉はシキに右から左へ受け流された。
「皆ご飯終わったし、帰ろう」
「うん」
シキの言葉に食堂に行かなくて良いと理解して安心したのか、ずっとジークフリートのそばに居たオルカだったが、シキの言葉にジークフリートから離れてシキの側に寄って行った。
「あ、そうだ。シキ君!」
ユリィが空にしたカップを片付けに来ていたミアがシキに声をかけた。
「シキ君、24日誕生日だよね! 誕生日までに会えなかったら困るから今渡しておくね!」
そう言ってミアがポケットから差し出した紙を受け取ったシキの目に輝きが灯る。
「プリンの食券……」
「シキ君はプリン大好きだって言ってたしピッタリかなって思って」
「ありがとう、ミア」
「えへへ」
10代の甘酸っぱい青春劇を目の前で見せられているような気分になったテオフィルスは胸焼けがしそうだった。ハーブティーも飲み終わったことであるし、自分もそろそろお暇しようか。そう思って尻を椅子から浮かしかけた時だった。
「そういえばシキ君とヴォイドさんって同じ誕生日なんだね」
ミアが何気なく呟いた言葉に目を丸くする。
シキの誕生日は24日とミアが言ったばかりだ。
1年は閏年でなければ365日。同じ誕生日の人間がいる確率はそこに人が23人いれば50パーセント以上の確率で存在するのだから珍しい事ではない。
「ヴォイドさん……」
ミアの言葉をそっくりそのまま言っているかのようにヴォイドの名前を反芻するシキは、どうやらヴォイドと面識が無いようだとテオフィルスは悟る。実際のところ、怪我の多い前線駆除班でもなければ医療班にそんなに用事はないものであり、シキがヴォイドとまともに会話をするのは
愛の日までないのであった。
「ヴォイドとお前、髪色似てるし案外生き別れの姉弟だったりしてな」
我ながら馬鹿なことを言っているなと自分の発言に笑いながらテオフィルスは今度こそ椅子から立ち上がる。
「ミアちゃん、ごちそうさま」
「は、はいっ!」
ミアに礼を言い、ジークフリートにも診療の礼を告げたテオフィルスは医療班の部屋を出た。
そして、おもむろに上着のポケットから取り出すのはヴォイドから誕生日に貰ったサファイアのブローチ。
「何やろうか、アイツに……」
テオフィルスに残された時間は半月程。
どんな難解プログラミング言語の習得よりも難問を抱えた気分になり、折角解れて癒された身体が重くなるテオフィルスなのであった。