薄明のカンテ - Kiss Me More!!
これは、未来かifか。はたまた過去か。



ギャリー×セリカ(by.べに)

 ふと目が開いたセリカは、その暗さにパチリパチリと瞬きをした。
 暗い。どうやら自分は朝が来る前に目覚めてしまったようだと判断したセリカは起き上がりながら瞳孔を自ら開く。夜目を鍛える訓練をしていたおかげで目は直ぐに暗闇の中に部屋の様子を写し出した。
 サイドテーブルに置いている携帯端末で時間を確認すれば容易に時間把握が出来るのだか、セリカにはそれを出来ない理由が明確にあった。
「ん……」
 理由・・であるギャリーがセリカが起きたことで小さく呻く。
 起こしてしまったかと心配になってしまったが、彼は眉を小さく顰めただけでやがて眉間の皺がとれると再び夢の国の住人になったようだった。安堵しながらセリカは自分の方を向いて寝台ベッドで眠る恋人の乱れた髪を撫で付けてやる。見えた顔にセリカは思わず微笑む。
 眠っていてもギャリーの顔は綺麗だ。この綺麗な顔と彼のトレベーネ男子的な性格(本人曰くトレベーネの血も入っているから仕方のない事)の為にやきもきすることが多いが、今ではそれもギャリーの個性と割り切ることが出来る位にはセリカもギャリーに慣れていた。それはギャリーがセリカだけを本気で愛しているとセリカが信じられるように彼が行動してくれているからであり、諦めからの境地ではない。
「ふふっ……」
 起こさないようにと思いながらも悪戯心に突き動かされたセリカはギャリーの頬を指でつついて遊ぶ。
 楽しい。
 調子に乗ったセリカはギャリーの頬をつついて遊び続けていた。彼が起きていたら恥ずかしくて出来ないことだ。今のうちに堪能させてもらおう。
「んんっ……」
 さすがに遊び過ぎたらしくギャリーはセリカに背を向けるように寝返りをうってしまった。目を覚まさなかったことは良かったが、セリカはまだ満足していない。
 今でこそ東國由来のヤマトナデシコなセリカだが本性はわんぱく小僧だ。
 深夜に目覚めてしまったテンションもあって彼女は次の普段は出来ないことに取り掛かろうとしていた。
 普段はできないこと。
 それは自分からギャリーの唇に接吻をすることだ。
 眠っている彼になら出来るような気がするし、眠っているギャリーに出来るようになったら、いつか起きているギャリーにもしてあげられるかもしれない。
 ギャリーだったらセリカがそういう事をしても「はしたない」なんて眉を顰めることなんてしない。むしろ、きっと喜んでくれる人だ。
 だから、セリカはいつかの未来のためにギャリーの唇を狙う。
「ギャリーさぁん?」
 ちゃんと彼が寝ているか確認するために声をかけるが、彼から当然返事はない。大丈夫、ちゃんと寝ている。
 そろり、そろりと。
 身を乗り出すくらいではギャリーの顔は遠い。
 セリカは彼に覆い被さるように手を伸ばしてベッドの端に手を付くはずが――闇に距離を見誤った。
「うぐっ!?」
 ギャリーが声を上げる。
 セリカはギャリーの喉に手を付いてしまったのだ。
 それに気付いたセリカの行動は早かった。覚醒してしまったギャリーが飛び起きるのと同時に自身は元々の寝ていた位置に素早く戻る。
「げほっ……」
「どうしたんですかぁ? ギャリーさん」
 本当に御免なさい、ギャリーさん。
 内心で謝罪しつつ、喉を抑えて噎せるギャリーに気付いて起きたような顔をしてセリカはギャリーに問い掛けた。自分は夜目を鍛えて見えているが、ギャリーは見えないだろうからとサイドテーブルに手を伸ばして灯りを点けるのも忘れない。
「ごめんね、セリカちゃん。起こしちゃったね」
 いえ、起こしてしまったのは私の方なんですぅ。
 謝ってくるギャリーに更に内心で謝り言葉に詰まるセリカには気付かず、困った顔でギャリーは言葉を続けた。
八帶魚バーダイユーに巻き付かれる夢見たら苦しくて」
「ばー……?」
「ああ、ごめんね。カンテ語だと……蛸かな」
 どうやらセリカに気道を塞がれたせいでギャリーは蛸に首を締め上げられるという酷い夢を見る羽目になってしまったらしい。
 もう本当に重ね重ね申し訳無い気分になって、セリカは「そうなんですかぁ」だけで他には何にも言えなくなる。
「ねぇ、セリカちゃん」
「はい」
 ギシリとベッドが軋んだ。
 ギャリーが横になったままのセリカの顔の両脇に手を置いて覆い被さってきたからだ。そして妙に艶やかな顔で言葉を紡ぐ。
「キスして良い?」
 それは正に先程までのセリカが眠るギャリーにやろうとしていたことだった。
 まさかギャリーは起きていたとでもいうのだろうか。
「えっ、な、何でですかぁ?」
 上擦った声で返すが、ギャリーには恥じらっているという風にしか聞こえなかったのだろう。ギャリーは困ったように笑う。
「俺が、もう悪夢を見ないようにおまじないってことで。だめ?」
 そもそも悪夢の原因はセリカな訳で。
 ギャリーは恋人で、口付けをすることは何ら問題も無くて。
 セリカだって口付けをしようと思っていたところだったのだから、断る理由なんて何処にもなくて。
「や、吝かでは無いですぅ」
 それでもセリカは真っ赤な顔でそう答えるのが精一杯だった。

テオフィルス×ヴォイド(by燐花)

 その日、仕事・・を終えたテオフィルスはすぐに電子煙草を口にした。横でそれを見た女は、悪戯を見付けた少女の様に「あーっ」と声を上げた。
「それ、一番女の子に嫌われるわよ?」
「あァ?」
「それよそれ。セックスの後すぐの煙草」
 そう言ってテオフィルスの口元にある電子バタコをトントンと指で弾く。テオフィルスは煩わしそうにそれを手で払うと、尚も咥えたまま女の方に顔を向けた。
「ンだよ……良いじゃん別に」
「嫌われるって言ったのに?」
「んー…じゃあこれなら良い?」
 そう言いながらテオフィルスは煙草を咥えたまま女の頭を優しく撫でる。女はまだ煙草を吸い続けている事に文句は言いつつも撫でるその手にご満悦だ。
 知っている。行為後の煙草が嫌われるなどと言う初歩的なこと。
 こんな風に金ありきの長続きしない相手に執着したら女が可哀想だとそう思ったテオフィルスはあえて嫌われやすい行動を取っている。条件付きの関係だと割り切って認識してもらう為に。その方が良い。この仕事は長続きしないとは思っているが、それでも男娼を生業としている男と特別な関係になるなんて不幸な事だ。
 それにしても、「すぐに煙草を吸う」「一度咎められる」「頭を撫でる」の効果は割と的面で、煙草で一度関係に距離を開けて不機嫌にさせるがその後すぐの頭撫ででその場の満足感を得た女からは割と好評だったりする。
 要は女性向けの仕事においてはこの流れやシチュエーションが大事だと言う事だ。
「ふふふ、テーオっ」
「何?」
「ねぇ、もうちょっと居られない?」
 追加料金、延長のご案内である。テオフィルスは心でニヤリと笑うと煙草を口から離した。
「んー…良いけど、その前にもう一服する余裕くれない?」
「何で?」
「そしたら俺が元気になる」
「ふふ、うん。その間一緒にいられるなら嬉しい」
 女相手に色恋をする男娼が少ない理由は男女の体の機能の差にあるに他ならないだろう。こう言う仕事をするにあたり、男性の機能では効率が悪いと言うのは確かである。
 若ければその限りでも無いが、そもそも女性の体は男性以上に複雑で、それでいて男性は一度果てると短時間で連続してと言うのは難しい話。
 顧客を満足させるやり方を掴むのが難しい上に回数に制限が掛かるとなれば、それだけでこの仕事をやろうとする人間は少ないに決まっていると言うのが見て取れる。
 しかし、長年母を間近で見ていたテオフィルスは女が何で喜ぶかと言うのも知っていた。
「何だそれ。可愛い事言うよなぁ……」
「…え?褒めてるの?」
「……これで褒めてなきゃ何なんだよ」
 岸壁街の女はぞんざいに扱われた経験が多い。彼女達の求めるのは快楽は快楽でも、そこに安心や多幸感も付随した方が良いのだ。それに気付いたテオフィルスは、距離は上手く保ちつつ仕事中は彼女達を存分に甘えさせてあげる事にしている。それがリピートに繋がるし、顧客の満足度にも繋がる。
 甘い言葉も優しい手付きも唇に触れる事を許すのも全ては金の為、生きていく為。

「お帰り…」
「……おう」
 そんな彼が「仕事」の二文字を唯一抜きにする相手はいつも我が物顔で部屋にいる。その相手こと幼馴染のヴォイド・ホロウは油断すればすぐに食糧を奪っていくと言うふてぶてしい生命体なのだが何故かテオフィルスはそれを強く言えないでいた。
「ヴォイド…?どうした?今日仕事じゃ無かったっけ?」
「仕事だった」
「まさか…怪我でもしたのか?」
「してない……逆に負わせて帰って来た」
「……気を付けろよ」
 話を聞くに、この猿の様な痩せっぽちは今日も今日とてその身軽な体でスリや泥棒の様な仕事をこなして来たのだそうだ。今回は借金のカタに持って行かれた私物を盗み出して欲しいなどと言う碌でも無いものの中でも最上位な依頼ではあったが。
 彼女の様に年端も行かぬ子供を使うのにも理由はある。まずは単純に身軽だと言う事、体が小さいからこの入り組んだ岸壁街を隠れて抜ける事も大人よりは容易い。それから、子供は成長が早いので記憶媒体に頼る事の少ない岸壁街では追われる危険性が大人より低いと言う事。人の記憶のみが頼りな場所で子供に汚い仕事をさせる事はよくある事だ。
「まあ…借金抱えた癖に持ってかれたもの盗み返そうなんて発想の奴だしなぁ…貸した奴に今回逆に怪我まで負わせたってんなら恨み買ってる場合もあるし、あんま関わらない様にしろよ」
「でも…そうでもしなきゃ生きて行けない……」
「………」
 ここで生きるならば死ぬ事以外擦り傷だと思わなければやっていけない。そうは思うものの、仕事柄色んな人間に会ったテオフィルスは不幸な女達をたくさん見てきた。彼女達の人生を見ていれば、ヴォイドがそう言う目に遭うのは絶対に嫌だと思ってしまう。
 かと言って、仕事面は俺に任せろだなんて地上の男のプロポーズ文句の様な言葉を言える筈もなく。
「ねぇテオ」
「ん?」
「テオって仕事でキスするの?」
 テオフィルスはまさかの質問をまさかのヴォイドからいきなり投げられ酷く動揺した。
「え?え?キス?俺!?」
「他に誰がいるの」
「な、何でそんな事急に聞きたがるんだよ…」
「……別に…何となく。今日も仕事だと思ったから…」
 ヴォイドが少し拗ねている様に見えるのは気のせいだろうか。それが嬉しい様な気がしてついへらりと笑みを浮かべるとヴォイドは眉間の皺をより深めた。そしてそんな彼女の顔を見、ついには悪戯心がムクムクと湧いて来る。テオフィルスは少しニヤニヤしながらヴォイドの顔を覗き込んだ。
「おぉー…?随分背伸びするなーヴォイド。お子ちゃまにはちょっと刺激が強いかもよ?」
「う、煩いな。誰がお子ちゃまだ」
「………そんなに俺がどんなキスするか知りたい…?」
 テオフィルスの手がヴォイドの顔を包み込む。急な行動にヴォイドもついつい顔を赤らめきゅっと目を閉じた。テオフィルスはそんな無防備なヴォイドに吸い込まれる様に顔を近付ける。
 そしてゆっくり顔を近付けると──
「ごんっ!!」
 ──と音を立てて頭突きした。
「い、痛ぁっ!!」
「あはははっ!!どうだ?ヴォイド!俺のキスってこんなだよ」
「こんなって何!?事故だよこんなの!」
「…そうだよ。事故みたいなもんだよ」
 仕事をしている以上、金で繋ぎ止められた相手とのキスと言うのは出会い頭にぶつかって頭をぶつける様なもの。
 痛そうに赤くなった額を摩るヴォイドに謝りながら「お前はこんな仕事選ぶなよ」と言うのが「仕事の方は俺に任せろ」と言えないテオフィルスの精一杯だった。
 赤い額を一緒に摩ってやる。生きている赤みを見たら心臓がどくんとうるさくなった。
 紆余曲折あった何年も後、この時恋焦がれた額に事故の様ではなく優しく愛を囁く様にキスをする事になるのはまた別の話。