薄明のカンテ - Dusty Honey/べに


もやもや

「正確には『酪農家の家に社会勉強に行きたい』のであって、たまたまそれがルーウィン氏だったと言うだけです」
「う、嘘……」

「あー、もう!」
 キーボードを叩いていたタイガ・ヴァテールは唐突に叫ぶと、自身のふわふわの髪を両手でぐしゃりとした。蜂蜜色の髪は未だ少し黒い。
 酔った勢いで「そうだ。黒髪にしよう」と友人のルーウィン・ジャヴァリーと勢いで髪を黒染めしたが、それはただの馬鹿極まりない行為で、それでもルーウィンと一緒にやったことだからと笑い飛ばせていたのに。
 そのルーウィンは、どうやら自分の数歩先を歩いていたようで。
 悔しい。羨ましい。狡い。
 グルグルと胸の内を回る暗い感情の吐き出し先がないタイガを隣席のクロードウィッグ・ケレンリーが信じられないものを見るような目で見ていた。
 これじゃダメだ。笑え、オレ。
「ごめんなさい。シフト組むのがあまりにも大変で」
 口から出たのは言い訳であり、真実でもあった。
 カンテ国もアヴルーパ州にある他国と同じく夏休みといえば6月から8月にかけてとるものであり、学生は丸々3ヶ月学校は休みであったりする。大人たちもこの期間のうちの数週間から1か月ほど夏休みをとるのが普通だ。
 とはいえ此処はマルフィ結社。普通の会社と同じように優雅に夏休みをとるのは難しい話だった。「有事だから仕方ない」と諦める者、「俺達に休んでいる暇は無い」と正義感に満ちた者、其れに異議を唱える者……同じ結社に勤めていても人の感情は様々だ。それ故にシフトを決めなければいけない人事部は頭を抱えているのだ。
「仕方ないでござる。拙者とてコミケを諦めッ……諦めッ……」
 クロードウィッグ、男泣きである。
 このクロードウィッグの言う「コミケ」というのは正式名称を「ウクロイ・コミックマーケット」という。何でもカンテ国では「コミケ」が開催されないためにオタクと呼ばれる人間達は、わざわざ最寄りのウクロイ国の「コミケ」まで渡航するらしい。オタクの行動力、恐るべし。
「上手く組めばケレンリーさん、コミケ?に行けると思いますけど」
「結社のオタク仲間達が『行かぬ』と言っているのにそれがしだけ行く訳にはいかんのです!」
「な、仲間思いなんですね」
「当然でござる!」
 オタクトークみたいな話になるとクロードウィッグの口調が変わるのは何なんだろうと思いつつ、更に「結社のオタク仲間達」って誰なんだろうと思いつつタイガは「休憩をしてきます」と人事部の部屋を出た。
「あーあ……」
 虚空に向かって不満の声を上げる。
 タイガの脳裏をチラつくのは先程まで眺めていたシフト表の画面だ。
 ルーウィンとクロエ・バートンの希望休みは先日のクロエの言葉を裏づけるように同じだった。正確にいうならクロエは未だ本来なら学生の身のため結社でも特別に1ヶ月の休暇。彼女の休みの始めにルーウィンがわざわざ合わせているというのが正しいのかもしれない。
 ルーウィンが気になっている女子の正体に驚いたのもあったし、そんな彼女と一緒に家に行くまで仲良くなっているのも驚いた。ロードから「クロエは牛乳が大好きで……」と世間話の中で聞いたこともあり、ルーウィンの実家が牧場なのでピッタリなのは分かっている。
 もし、自分の実家が音楽家の家庭だとかライブハウス経営してるだとか、はたまた大手芸能事務所だったらタイガもヒギリに「遊びに来ない?」と誘えたのだろうか。いや、自分は所詮は跡継ぎの人間ではないから何の意味もないか。
 休憩所に足を踏み入れたタイガは彼等に気付いて顔を輝かせた。
「サオトメ先生! ……と、アサギ君!」
 アサギがついで呼びのようになってしまったが仕方ないだろう。
 休憩所にいたのはタイガが結社に来る前から世話になっていたロナ・サオトメと、彼を主人マキールと登録している機械人形マス・サーキュのアサギだったのだ。自動販売機から緑茶のボトルを取り出して振り返ったロナが彼らしく優しく笑うが、タイガの表情を見て表情を固いものにする。
「タイガ。何かあったのか?」
 マルフィ結社に来てからはあまり一緒にいることもなくなってしまったが、ロナとはかつての付き合いがあるだけあって彼はタイガの異変に直ぐに気付いたらしい。タイガも相手がロナならば言いやすいし、休憩所に居たのはロナとアサギだけだったので他の誰に聞かれる心配もない。
 ロナと同じ緑茶のボトルを買って揃って長椅子に座る。アサギは話を聞く気がないのか、はたまたロナと二人きりにしてやろうという気遣いなのか「俺は外にいる」と出ていってしまった。
 2人揃ってお茶を飲むと、何だか昔に戻ったようでタイガは肩の力が抜ける。
 あの頃はペットボトルのお茶ではなくてロナの機械人形であるミオリが淹れてくれたのだけれど、それを言ってしまうとロナが傷付きそうだったから本題を唇に乗せる。
「前線で戦ってる先生に言うのも申し訳ないんですけど仕事が忙しくてイライラしてて……それと、ちょっとプライベートで悩んでて……」
「『仕事に貴賎は無い』ではないが、前線も後方も働く事に違いはないだろう?」
 ロナの空色の瞳は濁りなく嘘を言っている顔ではない。真面目な彼らしい反応だった。
「さすが先生です」
「人事部が繁忙ということは大方、夏休みのシフトといったところか」
「大正解です」
 夏休みシーズン真っ只中の7月17日には「ミクリカの惨劇」の追悼式典がある。マルフィ結社も軍警と共に警備にあたる予定があり結社の人員は減らせないが、同日には当然、家族を喪った者が多い。そのために追悼式典へ参加をしたい者、仕事はせずに部屋で静かに冥福を祈りたい者が多く、シフト調整は難しいものであった。
「先生は……休まれないんですね」
「そうだな。式典の時には何か起きるかもしれない。それならば俺の力で一人でも守れるならば休んでいる訳にはいかないだろう」
 長椅子に置いた刀に目をやったロナの目は昏い。
 おそらくミオリを、喪った生徒達のことを思い出しているのだろう。
 暫くそうして沈黙していたロナだったが何かを断ち切るように一度目を閉じて、開いた時にはいつものロナに戻っていた。
「うちの班のメンバー達は休まないと言っていたから、上手く使って調整してくれ。解決策は見出せなくてすまないな」
「いえ。話を聞いてもらえただけで助かります」
 タイガの言葉にロナは「おや?」とばかりに眉を上げた。
「誰にも相談できてなかったのか? タイガ、友人も多いだろう?」
「あー……その友人がまたプライベートの悩みというか何というかで」
 言い淀んだタイガに何かを察したのか珍しいことにロナが苦笑めいたものを見せる。
「恋愛相談は俺は向かないぞ」
 ロナの恋愛経験といえば「高校生の時に彼女が居た」レベルである。それはタイガも聞いたことがあって知っていた。
 真面目で誠実。それを女子は男子に求めるわりに、いざそういう男と付き合いだすと、そんな男じゃつまらないとなってしまうものなのだ。
 言い淀むタイガに、タイガの悩みが恋愛が絡むものだと悟ったロナの苦笑が強くなる。
「やはりそうか。じゃあ、せめて鬱憤晴らしの運動くらいは付き合うぞ?」
「本当ですか! 先生、いつ空いてます?」
 ロナの提案にタイガの表情に光が戻った。彼と手合わせが出来るのは久し振りのことになり、それが出来るなら元気にもなる。
 キラキラとした瞳に戻ったタイガに安心しながらロナも予定を確認した。
 これ位でかつての生徒が元気になるなら、いくらでも付き合おうと思いながら。

にやにや

 とある日。
「お昼行ってきます」
 隣席のクロードウィッグに伝えてタイガは席を立った。
 悩んでいた夏のシフトもどうにか形になってきていた。先日、ロナと身体を動かせたのが気晴らしになって良かったのかもしれない。
「タイガも食堂?」
 部屋を出ようとしたところで声をかけてきたのはエーデル・カルンティだった。その後ろには当然のようにヴィーラ・シリッシュとシーリア・レイレントもいて、さすが仲良し三人組とタイガに思わせる。
 このタイミングで声をかけてくるということは彼女達もそうなんだろうなと思いながらタイガは口を開いた。
「そうだけど3人も?」
 問いに対する3人の反応は「YES」。
 特に何を約束した訳でもないが流れでタイガは彼女達と一緒に食堂に向かうことにする。道中の会話は専ら彼女達の愛するロード様の事である。
「で、タイガ。何か新しい情報は無いの?」
 花も恥じらう乙女(自称)のロード親衛隊は自身でロードの情報を集めることに苦戦しているために、タイガから情報を仕入れる傾向があった。タイガもタイガで彼女達のためではなく良い男を目指すにあたってロードの情報を手に入れているのでネタはいくつでもある。
「ロードさん、こないだ珍しくお茶のペットボトル持ってたよ。聞いたらブレンド茶のやつでね、汚染駆除班近くの休憩所にしかないんだって」
 それはロードのヴォイド・ホロウ愛しの彼女が好んでいるお茶に他ならない。ヴォイドが飲んでいたのを目にしたロードが試しに買って飲んだだけに他ならないのだが、それをロード親衛隊が聞けば何でも有り難い話になる。
「さすがロード様」
「健康意識が高いのね」
「今度私達も買いに行かなきゃ」
 彼女達の手にかかれば、ロードが何を飲んでいても素敵なのだ。
 必ず今度の休憩の際に買いに行こうと彼女達が盛り上がっているのを見て、タイガは自身の情報がお気に召していただいたことに内心で安堵する。
 自分はロード親衛隊と仲が良い方であるとは思う。でも、それは自身の姉であるマリー・ヴァテールに下僕として使われていた時に染み付いたものが彼女達にとって都合が良いだけなのだとも思う。
 余談だが、姉の名前はマリーでタイガの好きなアイドルであるローズ・マリーちゃんと名前が被っているのはタイガにとって物凄く嫌なことであった。いっそ姉に改名して欲しいくらいだとも密かに思っている。
 キャッキャッとロードの話題で盛り上がるロード親衛隊と共に食堂に着くと、時間が時間なだけあって食堂は多くの人間で混雑していた。
「やっぱり、この時間は混んでるわね」
「どこか空いてる席はないかしら?」
「あ、あそこ空いてるわ!」
 目ざとく4人座れるテーブルが空いていることを見つけたシーリアがいち早く歩き出すと場所をゲットした。
 傍目に見れば席を確保してくれる良いお姉さんだ。
 しかし、タイガは知っている。この後の展開を。
「はい、タイガ」
 さっさと席に座った3人が揃って差し出してくるのは食券だ。食堂は前日までに食券を購入しておかないと利用できないため食券が食堂で出てくるのは何もおかしいことはないのだが、それを差し出すのは食券の受付場であってタイガではない。
 分かってはいたことだが展開を分かって嫌な顔をするタイガに彼女達はニヤニヤと笑った。
「良いじゃない。あの子・・・と話す時間増えるわよ」
「いつもあの子・・・の前だとクールぶっちゃって嫌ぁねぇ」
「ほらほら、あの子・・・に力持ちアピールにもなるわよ」
 ロード親衛隊の言うあの子・・・は、今食堂の受付で愛想を振り撒いて並ぶメンバー達の食事を配膳しているヒギリ・モナルダに他ならない。ヒギリの前でだけ態度の違うタイガに恋愛の匂いを嗅ぎとることに長けている彼女達が気付かないはずもなく、こうしてパシリの理由の正当化に使われてしまっているのだ。
「ふーん。全員、ラムシチューなんだ」
 渡された食券は3枚共同じもので、そこまでお揃いにしている彼女達の仲の良さに苦笑いする。
 ラムはカンテではメジャーな肉だ。それに挽麦が入っていれば十分な食事になる。
「何だっていいでしょ」
「さっさと行ってきなさいよ」
 ロード親衛隊に犬を追い払うように手でしっしっとされながらタイガは食堂の列に並ぶ。ここで彼女達の動作に文句を言っても何も解決しないのは姉で良く分かっているので文句は言わなかった。
 そして並んで気付いたが、目の前に並ぶ赤みを帯びた黒髪に見覚えがあった。彼は後ろに並んでいるのがタイガだと気付いていないようだったので、悪戯小僧のように笑ったタイガは彼の一つ縛りにした髪を掴んでちょっと引っ張る。
「えっ、ちょっ、誰!?」
「オレー」
 驚いて振り返った青年――エドゥアルト・ウーデットに、タイガはにっこりと笑いかける。驚いていたエドゥアルトも相手がタイガだと分かってほっとした顔をした。
「誰かと思ったんだけど!?」
「ごめんね。だってエドゥがいると思ったらついうっかり手が動いちゃって」
「俺への扱いが酷い!」
 タイガとエドゥアルトは学年でいうと一つ違いであり、更には互いに人懐っこい性格のために仲は良かった。なお、此処にルーウィンを加えるとルーウィンとエドゥアルトによる「うちの小隊長の方が凄い、格好良い」自慢大会が始まりがちである。正直、タイガにとってはどうでもいい話題だ。2人で永遠に勝手にやって欲しい。
「ところで、タイガの髪色ってそんなんだったっけ?」
「ちょっとルーとノリで染めただけで1ヶ月で戻るよ」
「良いな、黒染め。俺も染めようかな」
 エドゥアルトの言葉にタイガはじっとりとした目で彼の髪を見つめる。
「エドゥは元々結構黒いじゃん」
「でも俺は赤みがあるけど、先輩はもっとこう闇を閉じ込めたみたいな黒だからさぁ」
 うっとりとした顔でエドゥアルトが思い浮かべている“先輩”といえば彼の所属する第六小隊のユウヤミ・リーシェルだ。タイガやルーウィンと理由は違えど、彼も漆黒の髪に憧れを持つ人間だという訳だ。
 黒髪の魔力、恐るべし。
 そんなことを思いながら、タイガは黒髪ではなくエドゥアルトの薄緑の彼女のことを問いかける。
「ガートちゃん、未だ復帰できなそう?」
「機械班も頑張ってくれてるみたいだけど、本人が想定外の動きに戸惑ってるみたい。その辺も設定弄ればどうにでもなるとベルナーさんは言ってたけけどさあ、やっぱり弄らないで納得してもらいたいよね」
 そう言ってエドゥアルトは肩を竦める。
 現在、彼の機械人形であるガートは長期的なメンテナンスに入っていた。
 戦闘でちょっとした破損があり、その際に機械班が内部を確かめたところ出自が出自なだけあって彼女の中身は違法部品のオンパレードだったそうなのだ。今回、経理部とも相談してガートの中身を正規品へと交換した。すると従来通りの動きが出来なくなったガートは、エドゥアルトに「変えない方がよかった」と突っかかった挙句にストライキまで起こし始めたのだ。
 機械人形の感情は設定されたものであり、弄ればどうにでもなるがエドゥアルトはそれを良しとしなかった。貴重な戦闘要員であるガートが戦わないのは困ることだが、彼女が納得するまでメンテナンスをすることにしたのだ。
 機械人形を所詮は機械と考える人もいるが、マルフィ結社にいる人間は機械人形を「一人」として見る人間が多い。だからこそガートのストライキはそれ故に許されている状況ともいえた。
「こんにちはー。お願いしまーす」
「はーい」
 そんなことを喋っているうちに列は進み、エドゥアルトの番が来ていた。
 エドゥアルトが食券を渡し、それをヒギリが笑顔で受け取る。
 何のことはない普通の光景のはずなのに彼女が自分ではない男に笑顔を向けていることに胸がざわざわとした。
「あ、タイガ君!」
 しかしエドゥアルトに食事を渡したヒギリがこちらを見て笑っただけで、タイガの胸のざわめきは落ち着きを取り戻す。エドゥアルトは別の人と食事をとる約束をしている人がいるらしく、タイガもまたロード親衛隊がいたので此処で別れていた。
 今日もヒギリは明るくて食堂の花だ。タイガにとっての高嶺の花。
「こんにちは……モナちゃん」
 本当は『ヒギリちゃん』と呼びたかったが緊張しすぎて『モナちゃん』と呼ぶことになってしまった過去があるが、これはこれで他の人が呼んでいない呼び名で特別感があっていいなと密かにタイガは思っていた。
「食券は……4枚?」
「全部オレが食べる訳じゃないよ!? 友達の分!」
「分かってるんよ。いつもタイガ君こんなに食べないもんね」
 食いしん坊だと思われたくなくて必死なタイガの言葉に笑って食券の注文を厨房へと届けるヒギリ。彼女の声は歌っていなくともよく通る良い声で、どうしてこれで「ディーヴァ×クアエダム」のローズ・マリーだと誰も気付かないのか。いや気付いていないことは良い事だけれど、いっそのこと食堂にいる全員に「ヒギリちゃんはディーヴァのローズ・マリーちゃんなんだよ!とってもかわいいよね!」と主張したいくらいだ。
 いや、でもやっぱり自分だけ(とは限らないけど)が知っているというのも特別感があっていい。
「タイガ
 テキパキと四人分の食事をタイガが運びやすいように2つのトレーに乗せていくヒギリを眺めていると、猫なで声のような――少なくとも名前を呼んできた彼女は自分をそんな声で呼ばないだろうと思っていた――声で名前を呼ばれてタイガは振り返る。
「エーデルさん、どうしたの?」
 そこにいたのはニヤニヤとした笑いを隠そうともしないエーデルだった。
「持てないだろうから来てあげたわよ、もてないだろうから」
 もてないだろうから。
 普通に考えれば「持つことが出来ない」の意味であるが、どちらかというと「異性から人気がない」意味での「モテない」の意味が含まれているような気がした。いや、気のせいではない。間違いなくエーデルはそれを含ませている。
 そもそも最初に4つ運ばせようとしたのはロード親衛隊だ。「あの子に力持ちアピールにもなるわよ」と言ってタイガを追いやったではないか。
 それなのに急に一緒に持つアピールとはどういう事なんだろう。むっとしたタイガは不機嫌な声で言い返す。
「別に4つくらい持てるから平気だよ」
 タイガの言葉は彼女の予想通りだったのだろう。
 わざとらしく「あらー」と声を上げてエーデルがホットマスカラでしっかりカーブをつけられた睫毛に彩られた目を瞬く。
「タイガ君って力持ちなのね!ね、あなたもそう思うわよね!?」
「えっ!? あ、はい」
 よりにもよってエーデルはヒギリに絡んだ。いきなり現れた女に問いかけられたヒギリはビックリした顔で頷いた。そりゃそうだろう。咄嗟的には「そうですね」しか言い難い質問だ。
「もう、エーデルさん良いから!ごめんね、変な事聞かれて困ったよね! ほら、行くよ!」
 驚いたヒギリの顔も可愛いなぁなんて思いつつも、タイガは面倒くさいお見合いオバさんのようになっている(本人に言ったら殺されるので絶対に言わないが)エーデルに声をかけてその場を離れる。
「何でああいう事言う訳!?」
「タイガの応援してあげようとしたんじゃない」
 タイガが文句を言ってもエーデルはサラッと流す。ちなみに結局、トレーは持ってくれていないのでタイガが4人分の昼食を運んでいた。

 この時、タイガは気付いていなかった。
 タイガにとっては面倒くさいお姉様方であるロード親衛隊も傍目に見れば「ただの綺麗なお姉様」なのだということを。
 そして、この言い合いも、そんなお姉さんとタメ口で楽しそうに会話しているようにしか見えないのだということを。

ひりひり

 タイガが彼女・・に気付いたのは、昼食のトレーをヴィーラとシーリアのいる席に持ってきて置いた時だった。
「どうしたの、タイガ」
 彼からラムシチューを受け取ったヴィーラが、急によく分からない方向を見つめて動かなくなったタイガに問い掛ける。
「あー……ごめん、ちょっとオレ、違う人とご飯食べて来ていい?」
「違う人?」
「さっき並んでた時に喋ってた?」
「いや、エドゥじゃないんだけど、ちょっと行ってくるね!」
 トレーに自分の昼食だけを乗せたタイガは足早に一直線に彼女・・へと向かっていく。
 その後ろ姿を見送っていたロード親衛隊は、タイガが向かっている先で食事をしているのが『未成年を危険な目に合わせたエキセントリックな女』であることに気付いて目を丸くすると、3人で顔を見合わせる。
「食堂のあの子じゃなくて次はあっち狙い!?」
「タイガの趣味が分からないわ……」
「今度、飲み会の時に問い詰めましょう?」
 3人は頷き合うとタイガに持ってこさせていたシチューを口にした。

 * * *

「ごめん、ここ良いかな?」
 タイガがテーブル越しに声をかけると、彼女は食べていた手を止めてチラリとタイガを見た。
 彼女の目はタイガの想い人と似た、しかし想い人のヒギリよりも深く濃い紫色の目だ。
「どうぞ」
「ごめんね、ありがとう」
 彼女は――クロエは単に混雑した食堂で相席をするくらいにしか思っていないらしく「いえ」とだけ呟くと食事を再開する。その食べているものを見てタイガは会話の糸口が見付かったと微笑んで口を開いた。
「バートンさんとうがらしラーメンなんだ」
?」
 クロエが顔を上げる。
 タイガの昼食もクロエと同じ「とうがらしラーメン」だった。激辛で敬遠される事の多いメニューだというのに、それを食べる稀有な人間が2人揃うのはどれだけの奇跡だろうか。
 同じものを食べているという共通点は、それだけで話題になり更には相手にも親近感を抱く。
「タイガ氏……その……」
 珍しく歯切れの悪いクロエにタイガは笑う。
「見た目と似合わないって良く言われるんだよねー。でもオレ、辛いものすっごい好きなんだ」
 辛いものを食べていると必ず驚かれるので、タイガにとってはクロエの驚きは予想の範疇だった。
「ていうかバートンさん……あ、クロエちゃんって呼んでいいかな? クロエちゃんのラーメン同じように見えて良く見たら何か違わない?」
 流れるようにクロエを「クロエちゃん」と呼ぶことに決めたタイガが問いかけると、クロエは何のこともないように呪文を口にする。
硬め、麺多め。それから野菜少なめニンニクマシマシ油少なめカラメ少なめの唐辛子はマシマシです
「え?」
 辛いラーメンは知っていても呪文は知らず、タイガの薄緑の目が点になった。そんな様子のタイガに対して逆にクロエが小首を傾げる。
「ヒギリ氏に言えばやってくれますが?」
「え、そんなサービスあるんだ。ノエ、教えてくれなかったけどなぁ……」
 タイガは思わずボヤく。
 それはタイガが主人マキールである機械人形マス・サーキュのノエは健康志向が強く設定されているためにタイガに食べさせないように配慮をして黙っていただけである。そんなノエの努力も、この瞬間に消え去ったのであるが。
「今度やる事をオススメしますよ」
「やってみるよ。ありがとう、クロエちゃん」
 そう言って2人揃ってとうがらしラーメンを啜る。
 辛いものは興奮作用ドーパミン多幸感エンドルフィンが放出される可能性があるという。それを知っていた訳ではないが、タイガは大人しく啜っているうちに心が浮かれてくるのを感じていた。
 よし、今の浮かれた自分のテンションなら言える。
 そう考えたタイガはクロエの前の席にわざわざ座った理由――彼女に聞きたかったことを勇気を出して口に出すことにした。
「ねぇ、クロエちゃん」
 とうがらしラーメンの相棒のように置かれていた牛乳を飲んでいたクロエが名前を呼ばれてタイガを見た。その牛乳パックにはデフォルメされたイノシシが描いてあってルーウィンの家のものだと分かる。
「ルーとクロエちゃんって付き合ってるの?」
 クロエが纏う空気が5度は下がったような、そんな気分にさせるような冷たい視線がタイガに突き刺さった。
「タイガ氏、あの時居ましたよね?」
「あの時?」
「私が兄さんに夏季休暇の外泊許可をとりにいった時です」

「正確には『酪農家の家に社会勉強に行きたい』のであって、たまたまそれがルーウィン氏だったと言うだけです」

 勿論、タイガはその場に居たし、それでクロエとルーウィンが親しい間柄であると初めて知った。あの時はそうは言ったが実際のところは付き合っているのではないかと疑っていたのだが、そうではないのだろうか。
「うん。いたけど、実は付き合ってるとかかなって」
「違います」
 クロエの様子は照れ隠しで否定しているものでは無い。
 彼女が余程演技が上手いのかとも思って見るが、欠片もその様子が見えなかった。尤もタイガが見破れないくらいクロエの演技が上手い可能性もありるのであるが。
「私には女らしさは欠片もありません。それに、どう見てもこんな不健康で不健全な女を好ましいと思う男がいるとでも?」
 自嘲の極みのようなことをクロエは口にする。女子にありがちな「そんなことないよー」待ちの言い方ではないその言葉はクロエの本心なのだろう。
 それだけ言って再びクロエはとうがらしラーメンを啜る。
 そのあまりにもあっさりとした女子らしからぬクロエの態度に「面白さ」を感じたタイガは、ツルリと口を滑らせた。
「クロエちゃんってかわいい系っていうより綺麗系だもんね!」
 クロエの箸が止まった。空に浮かんだクジラが炭酸水を吹いてダイヤを撒き散らしてる光景でも見ているような顔をしてタイガを見るものだから、タイガは慌てて言葉を付け足す。
「――って、ルーが言ってたよ!」
 タイガはその意識を持って言った訳ではないが、第三者の褒め言葉というものは何よりも効果的だ。ある事柄について当事者が自ら発信するより情報よりも他者を介して発信された情報の方が、信頼性を獲得しやすいとする心理効果が、その時のクロエには働いたかもしれない。
「そうですか」
 しかしクロエの表情は何も変わるものもなく、言葉も端的だった。
「うん、そうだって」
 ニコニコと笑いながらタイガはラーメンを啜り、辛さを舌に感じた時にふと思い付く。
「そうだ。クロエちゃん、辛いもの好きなら今度一緒に『カミナリ』行かない?」
「カミナリですか?」
 カミナリは「大きなナラの木の下で」の作中に登場する店のモデルだとされ、聖地として有名な居酒屋だ。そのために若い女性客が急増しているため、店も「聖地に1回行けばいいや」で終わらせないよう新メニューを開発している。その新メニューをタイガは食べたくて仕方なかったのだ。
「うん。激辛メニュー発売したらしいんだけどオレに辛いもの大丈夫な友達いなくてさ、もしクロエちゃんが平気なら一緒に行きたいんだけど」
 恋愛の絡まない単なる激辛料理を食べに行くだけのお誘い。
 そこに「辛い料理が食べたい!」ということ以外の他意がないことを感じ取ったクロエは特に断る理由も思いつかずに頷く。
 クロエが頷いたのを見たタイガの顔が輝いた。
「じゃあ連絡先交換しようよ!」
 携帯型端末を取り出して2人で連絡先を交換する。
 何故、クロエがここまで簡単にタイガと出かける約束をした挙句に連絡先まで交換したのか。それはタイガの明るいテンションが、クロエの友人であるミア・フローレスを彷彿とさせるものだからなのかもしれない。
「ありがとう、クロエちゃん!」
「いえ。勿論、タイガ氏の奢りですよね?」
「オレから誘ったんだし当然だよ!」
 和気藹々と会話をする男女。
 その脇をメイド服を着た機械人形が通り過ぎていった。

もんもん

 メイド服を着た機械人形は繁忙の食堂の中、返却口に正しく返却しないまま放置されていたトレーを持って洗い場へと向かっていた。
「ネリネちゃん」
 そんな機械人形――ネリネに、丁度手の空いたヒギリが何だか緊張したような面持ちで近寄ってくる。
 ネリネは機械人形である故に人間の感情を理解することはできない。人間の表情や声のトーンから日常との差異を読み取り、相手の感情を予測することだけだ。
 その機械人形としての予測によると、ヒギリは緊張と不安に怒りが混じっている状態と推測された。その証拠とばかりに少しだけネリネを呼んだ声が荒かった。
「どうしましたか、モナルダさん」
 声をかけてきたわりに、ヒギリは直ぐに何かを言うわけではなく躊躇う仕草を見せる。一体、何が起きたというのであろうか。ネリネには状況証拠が少なすぎてヒギリの行動の意味が理解ができない。
「さっき、タイガ君の近く通ったよね?」
 タイガ君。
 誰のことだろうかとマルフィ結社メンバーリストの記憶メモリを探る。
「ノエの主人マキールのタイガ・ヴァテールですか? あちらでクロエ・バートンと談笑している」
「そう! そのタイガ君!」
 ヒギリはネリネに伝わったことが嬉しいのか明るい顔を見せるが直ぐに先程までの表情へと戻り、声も周囲を憚るように小さいものにした。
「クロエちゃんと何を話していたのが聞こえた?」
「はい。仲睦まじそうに2人で出かける予定をたてていました」
 ネリネとしては問われたので事実を端的に述べた迄だったのであるが、それを聞いたヒギリの表情がより一層の暗さを増したのを見て言ってはいけない事実であったのかもしれないと気付いた。
 悲しいかな。ネリネは人間の恋愛関係についての学習面が低かった。それは以前の主人であったバルドヴィーノ・ケレンリーが生身の人間に対する恋愛経験がなく、見る機会がなかった為に学習する機会がなかったからである。「萌え」や「創作物に対する愛」ならば知っている。しかし本当の人間同士の恋愛とやらはネリネは知る由もなかったのだ。
 故に、機械人形であってもネリネは現在の状況を好転させようとして失敗をする。
「互いに『タイガ氏』『クロエちゃん』と呼び合い、どちらとも不快感を見せている様子はありませんでした。人間関係は良好であり何ら問題ないかと」
 ネリネはヒギリの負の感情は「成人男性のタイガ・ヴァテールがクロエ・バートンという若い女子に無体をしているのではないか」と心配しているからだと予測していた。だからこそ2人が仲良くしていたと述べれば、ヒギリの機嫌は直るはずだと。
「そうなんだ……ありがとう、ネリネちゃん」
 しかし、それを聞いたヒギリの目は輝きを失ったようになっていてネリネは己の失敗を理解する。理解はするが、ここから好転させる言葉も動作も何も思いついてこない。テロ前のように自由に電子世界に繋げたならば何か似た状況を調べて上手く取り繕えたかもしれないが、今の自由に電子世界に繋げなくなった世界ではネリネは圧倒的経験不足の機械人形だった。
「申し訳ございません」
 思わず謝罪の言葉が口から出ると、ヒギリは困ったように眉を下げながらも口は笑みを形作る。
「ネリネちゃんが謝ることは何も無いんよ。私こそごめんね、変なことを聞いて」
 そう言ってヒギリはネリネから離れていく。
 萎れた花のようになったヒギリの背中を見送るだけで、ネリネには気の利いた言葉の一つも思いつかない。
 ヒギリのことは好きだ。
 だからこそ明るい彼女がそんな様子であるのを見るのは辛い気持ちにさせられる。機械人形の作られた感情であっても、この瞬間、ネリネは確かに悲しかった。

 * * *

 昼食時のピークも過ぎ、給食部の人間達も少しづつようやく昼食をとり始めた頃、ノエはその異変を感知していた。
「どうかされましたか?」
 動きを止めて一点を見つめているノエに気付いたエミールが声をかける。
「ヒギリさんの元気が無いように私には見えるのですが、エミールさんにはどう見えますか」
 周囲を憚り声のトーンを落としてエミールにノエは逆に問い掛けた。
 問われたエミールは嫌な顔ひとつせず、澄んだ空の色の目をヒギリへと向ける。
 今日もヒギリは愛らしい姿で食堂に来た人達を迎え入れ、そして颯爽と捌いているように見えた。一見するといつも通りの日常のヒギリだ。ヒギリが人々に振りまく笑顔に、今日もエミールの胸がキュンっとしたのは言うまでもない。
 しかし、毎日共に仕事をする身であると多少の変化も分かるもので。
 人が居なくなった僅かな隙にヒギリの表情が陰る時があるのをエミールは見逃さなかった。エミールは見習いとはいえ僧侶を目指す身であり、救いを求める人の様子には敏感なのだ。それ故に、ノエの人選は間違いなかったともいえる。
「そうですね……少し、何か悩みがあるように見受けられます」
「やはりエミールさんにも、そのように見えますか」
「はい」
 エミールが頷くのを見て、さてどうしようかとノエは今後の展開を思考する。
 人間同士の方が感情の機微も分かるため、エミールに頼むという方法はある。彼に頼めば上手いことやってくれるだろう。しかし、ヒギリの悩みが恋愛感情に関するものだとすれば、異性のエミールには話し辛いことが予想される。
 そんなノエに「電隣会話」が唐突に届いた。
 差出人はネリネからで、彼女へ目線を送ると小さく会釈をされる。電隣会話は写真や書類などのコンテンツを共有できる機械人形の機能だ。ノエは送られてきたデータを瞬時に読み取って――天を仰ぎたくなった。
「エミールさん、ありがとうございました」
「私に何か出来る事があれば言ってください」
「ええ。その時はよろしくお願いします」
 ノエの言葉に頷いてエミールは無理に深入りすることなく離れる。それは薄情な訳ではなく、事情を分からずに首を突っ込んでも役にたたないと判断してのことだ。
 そんな機械人形にすら気を遣えるエミールの優しさに感謝しながらも、ノエは顔に出さないまでも脳内(当然機械人形には脳はないが気持ちとしては、である)は驚愕に彩られていた。
 ノエの思考をフリーズさせるもの。
 それはネリネから来た電隣会話はネリネとヒギリの会話データだった。
 どうやらノエの主人であるタイガがクロエと食事をしていたようで、それを見かけたネリネが報告しているものだ。
『仲睦まじそうに2人で出かける予定をたてていました』
『互いに「タイガ氏」「クロエちゃん」と呼び合い、どちらとも不快感を見せている様子はありませんでした』
 ネリネが発したこの言葉。
 これがヒギリの不調の原因であると考えるのが正解ではないだろうか。
 しかし、これは僥倖でもある。
 タイガが別の女性と会話をしていたことに対してヒギリが気分を害しているということは、それなりにタイガへの好意があると期待出来る。プールデートに行った時はこれで二人の距離が縮まると期待していたノエだったが、プール内にはマルフィ結社のメンバーも居て結局はデートにはならなかったようでノエは落胆していた。
 そのヒギリがタイガのことで感情を乱されている。
 タイガ側から見ると嬉しい話ではないか。
 とはいえ、ヒギリが悲しい顔をしているのは何も喜ばしいことではなくノエはタイガにはもっと上手く行動して欲しいと願うしかない。
 今、ヒギリにノエが話しかけてもタイガを思い出して不快になるだけだろう。
 ノエはヒギリに話しかけることは諦めて、せめて彼女がお昼休憩に入った時に笑顔になれるように今作れるデザートが無いかと思案するのだった。

かいけつ?

 何だかおかしい。
 タイガは解せない気持ちでいっぱいだった。
「ねぇ、ノエ」
 だから夕飯の時にノエの作ってくれた汁麦を食べながら、己の機械人形へと疑問をぶつける。
「もう今日は唐辛子は禁止ですよ」
「いや、それじゃなくて。何だか最近、ヒギリちゃんの様子おかしい気がするんだけどさ、ノエは何か原因を知ってる?」
 タイガの言葉にノエは彼はそんな表情も出来たのかと驚く程に冷え冷えとした目をタイガへと向けた。背の高いノエにその表情で見下ろされると、物凄く怖い。もしかして、かつて働いていた店フリッツ・カールでのクレーマー客対策のために出来るように設定されている顔なんじゃないだろうか。それくらい怖かった。
 ここ数日、食堂に行ってヒギリに会っても何だかよそよそしいような気がしていた。少しは会話を楽しめる仲になったかと思ったのに、またタイガはヒギリと差し当たりのない会話しか出来ていない。
 怖い顔のままノエはタイガへと言葉をかけた。
「タイガ。自分の胸に手をあてて、良く考えてみなさい」
「何で?」
 ノエの顔に怯えつつも、それでも言われた意味が理解出来ずに小首を傾げる。
 今の話題はタイガではなくヒギリだ。言われた通りに胸に手をあてて考えてみたところで何も思いついてこない。浮かぶのは、いつもならキラキラとした綺麗な目を合わせてくれるヒギリが視線を落としている姿。いつもならヒギリを見れば彼女の元気を貰えるような気持ちになれるのに、今の姿を見ると自分までションボリとしてしまう。
 推しの元気はファンの元気。
 推しの悲しみはファンの悲しみだ。
 胸に手をあててじっくり考えてみたタイガだったが、やはり何も思いつかずノエを見上げる。
「オレ、別に思いつくことないんだけど」
 タイガの言葉にノエがニコリと笑った。
 笑った瞬間に部屋の温度が下がって、ここだけ冬に逆戻りしたような気分になる。
「特別ヒントです。5日前のお昼休み、タイガは誰と食事をしましたか?」
「え?」
 見た目にも性格的にもアホっぽいタイガであるが、人の顔を覚えることが異様に得意なだけあって人の顔以外の記憶力も確かだった。問われるがままに思い出して、それでも理由は分からなくてノエの顔をしょげた顔で見つめるしかない。
「クロエちゃんとご飯食べたけど?」
「はい、それをヒギリさんが知っているとしたらどうでしょう?」
 ノエの言葉にタイガはますます訳が分からなくなる。
 タイガがクロエとお昼ご飯を一緒に食べたからといって、ヒギリには何の関係もないし、それでヒギリの様子がおかしくなるなんて意味が分からない。
 困惑したままのタイガに、ノエは呆れた顔をして丁寧に溜息をつく仕草まで見せた。
「ヒギリさんを“アイドル”や“推し”のフィルターを通して見るのを止めなさい。彼女は貴方と同じ人間ですよ」
「だ、だってヒギリちゃんはオレの推しだから」
「タイガ。言うことを聞きなさい」
 主人が機械人形に言われるのはどうかと思われる言葉を言われながらも、タイガは怒る訳でもなくノエの言葉を真剣に考える。
 ヒギリちゃんは、ディーヴァ×クアエダムのローズ・マリーでオレの推し。今は食堂のアイドル。
 でも、そんな肩書きを全部外したら可愛い女の子だ。
 その女の子が「別の女の子とご飯を食べていた男」を見て元気を無くすなんて、それはつまり――。
「の、ノエ。それはおかしいよ」
 鏡を見なくても自分が耳まで真っ赤になっているのをタイガは感じていた。自分の考えが間違っていなければ、ヒギリの不機嫌の理由が自分だとしたら、思いつく答えは一つしかない。
「それじゃ、ヒギリちゃんがオレのこと好きみたいじゃん」
「そこまでは言っていません」
 肯定してもらえるのかと思った意見はピシャリとノエに叩き落されて悲しい。今の流れは絶対にそうだったはずなのに否定されるとは。
 悲しみで顔に集まっていた血液達が身体中に散っていく。
 そんなショックを受けているタイガにノエは淡々と告げる。
「良いですか、タイガ。ヒギリさんがお気に入りなのはエリック・シードさんとテオフィルス・メドラーさんです」
「うん」
 自分に都合のいい考えをスッパリと否定された挙げ句に「お前の好きな女の子が好きなのはお前じゃない」という事実を突きつけられて、タイガの心はズタズタだった。どうやら機械人形は人間を傷付けられないとかいうけれど、言葉の刃で傷付けることは出来るらしい。
「今まではシードさんとメドラーさんへの好意が90だとすると、貴方への好意は50程度でした。先日プールに行ったことを考えると60程度には上がったかもしれませんが、今はもっと上がったと見ていいでしょう」
「そこは85くらいになってるとか言ってくれないんだ?」
 タイガの言葉をノエは笑顔で否定した。
「そこで思い上がってはいけません。謙虚に考えましょう」
 納得はしないが頷いておかないとノエに怒られそうだったので、タイガは大人しく頷いておく。
「そんな“少しは”他の男性より気になる子が別の女の子と話しているのを見たら心がモヤモヤするのが人間ではないのですか?」
 「少しは 」を強調するノエ。
 その言い方にモヤモヤするものを感じながらも、どうやら自分はヒギリの中で「ただの結社のメンバー」という扱いから「少しは気になる男」に昇格出来ているようだとタイガは悟った。
「分かったよ、ノエ。ヒギリちゃんの前で他の女の子と話す時は気を付けてみる」
 タイガは恋愛経験のない人間では無い。
 過去の経験から最善の手を口にするとノエが満足そうに頷く。

――そっか。ヒギリちゃんに、オレも少しは好かれてるんだ。

 この時、ノエが無駄にポジティブさを発揮したタイガの異変に気付いていたら。
 今後の悲劇は起こらなかったというのに。

かいけつ!

 それから数日後。
 珍しくタイガは独りで昼食をとるために食堂へ向かっていた。
 別に独り飯が寂しい訳でもないタイガであるが、むしろ今日は念願の独りだった。
 この日を待っていた・・・・・・・・・のだ。
 今日も今日とて昼食の受付へと並んでいると、やがてタイガの順番が回ってきた。
「あ……」
 タイガの顔を見たヒギリの笑顔が何処となく影のあるように見えるのは自分の自惚れか。
 でも、もうこれで大丈夫。
 変な方向に自身をつけたタイガは何事も無かったかのように彼女に笑いかける。
「こんにちは、モナちゃん。はい、食券」
 食券をヒギリに渡し、ヒギリが注文を厨房へと伝える。
 手際の良い食堂班の動きによって、すぐにタイガのお昼ご飯セットは完成した。
 これでお昼ご飯を受け取ればヒギリとの会話は終了だ。
「どうぞ」
 ヒギリがトレーをタイガに差し出す。それを片手で受け取りながら、タイガは笑顔でもう片手に握っていたカードをヒギリに見えるようにかざした。
 それは何の変哲もない一枚のプラスチックカードだ。
 何も変哲もないプラスチックカードだが、人によってはとても大事なカードである。
 最初、ヒギリはそれ・・が何だか理解できないような顔を見せた。
 それもそうだろう、とタイガは思う。
 何故ならばそれ・・を持つのは「本人たち」ではなく「ファン」なのだから、ヒギリに馴染みが薄くても仕方ないのだ。
 やがて、カードに書かれた文字を読んで理解して脳の中に染み渡ったのだろう。
 それの正体に気付いたヒギリの顔色が青くなったり白くなったり赤くなったり忙しい。
「え、う、嘘……」
 陸に上げられた魚のように口をパクパクさせるがヒギリの口からは意味のある言葉がなかなか出てこなかった。
 タイガがヒギリに見せたプラスチックカードの正体は「会員証」。
 「ファンの証を手にしたい! デジタルカードだけじゃ我慢できない!」な一定のファン達の意見に答える形で作られたその会員証は「ディーヴァ×クアエダムのファンクラブの会員証」だ。とはいえ2171年にディーヴァ×クアエダムが解散し、その時にファンクラブも解散しているからカード自体の効力は既に失われて久しい。
「オレ、すっごい好きだったんだよね」
 会員証をポケットに仕舞うと、タイガは笑顔で自身の昼食であるラムのソテー、ローズマリー・・・・・・風味を指差して笑う。
「それじゃ、お仕事頑張ってね!」

――そうしてタイガは大満足のうちに昼食を終えて食堂を後にした訳だが。

「ヒギリさんが仕事に集中出来ず大変だったんですよ!何をしたんですか、タイガ!」
「ご、ごめんなさい……」

 その夜、温厚な性格設定のはずのノエにたっぷりと説教を受ける羽目になったのは言うまでもない。