とある日。
「お昼行ってきます」
隣席のクロードウィッグに伝えてタイガは席を立った。
悩んでいた夏のシフトもどうにか形になってきていた。先日、ロナと身体を動かせたのが気晴らしになって良かったのかもしれない。
「タイガも食堂?」
部屋を出ようとしたところで声をかけてきたのはエーデル・カルンティだった。その後ろには当然のようにヴィーラ・シリッシュとシーリア・レイレントもいて、さすが仲良し三人組とタイガに思わせる。
このタイミングで声をかけてくるということは彼女達もそうなんだろうなと思いながらタイガは口を開いた。
「そうだけど3人も?」
問いに対する3人の反応は「YES」。
特に何を約束した訳でもないが流れでタイガは彼女達と一緒に食堂に向かうことにする。道中の会話は専ら彼女達の愛するロード様の事である。
「で、タイガ。何か新しい情報は無いの?」
花も恥じらう乙女(自称)のロード親衛隊は自身でロードの情報を集めることに苦戦しているために、タイガから情報を仕入れる傾向があった。タイガもタイガで彼女達のためではなく良い男を目指すにあたってロードの情報を手に入れているのでネタはいくつでもある。
「ロードさん、こないだ珍しくお茶のペットボトル持ってたよ。聞いたら
ブレンド茶のやつでね、汚染駆除班近くの休憩所にしかないんだって」
それはロードの
ヴォイド・ホロウが好んでいるお茶に他ならない。ヴォイドが飲んでいたのを目にしたロードが試しに買って飲んだだけに他ならないのだが、それをロード親衛隊が聞けば何でも有り難い話になる。
「さすがロード様」
「健康意識が高いのね」
「今度私達も買いに行かなきゃ」
彼女達の手にかかれば、ロードが何を飲んでいても素敵なのだ。
必ず今度の休憩の際に買いに行こうと彼女達が盛り上がっているのを見て、タイガは自身の情報がお気に召していただいたことに内心で安堵する。
自分はロード親衛隊と仲が良い方であるとは思う。でも、それは自身の姉であるマリー・ヴァテールに下僕として使われていた時に染み付いたものが彼女達にとって都合が良いだけなのだとも思う。
余談だが、姉の名前はマリーでタイガの好きなアイドルであるローズ・マリーちゃんと名前が被っているのはタイガにとって物凄く嫌なことであった。いっそ姉に改名して欲しいくらいだとも密かに思っている。
キャッキャッとロードの話題で盛り上がるロード親衛隊と共に食堂に着くと、時間が時間なだけあって食堂は多くの人間で混雑していた。
「やっぱり、この時間は混んでるわね」
「どこか空いてる席はないかしら?」
「あ、あそこ空いてるわ!」
目ざとく4人座れるテーブルが空いていることを見つけたシーリアがいち早く歩き出すと場所をゲットした。
傍目に見れば席を確保してくれる良いお姉さんだ。
しかし、タイガは知っている。この後の展開を。
「はい、タイガ」
さっさと席に座った3人が揃って差し出してくるのは食券だ。食堂は前日までに食券を購入しておかないと利用できないため食券が食堂で出てくるのは何もおかしいことはないのだが、それを差し出すのは食券の受付場であってタイガではない。
分かってはいたことだが展開を分かって嫌な顔をするタイガに彼女達はニヤニヤと笑った。
「良いじゃない。
あの子と話す時間増えるわよ」
「いつも
あの子の前だとクールぶっちゃって嫌ぁねぇ」
「ほらほら、
あの子に力持ちアピールにもなるわよ」
ロード親衛隊の言う
あの子は、今食堂の受付で愛想を振り撒いて並ぶメンバー達の食事を配膳しているヒギリ・モナルダに他ならない。ヒギリの前でだけ態度の違うタイガに恋愛の匂いを嗅ぎとることに長けている彼女達が気付かないはずもなく、こうしてパシリの理由の正当化に使われてしまっているのだ。
「ふーん。全員、ラムシチューなんだ」
渡された食券は3枚共同じもので、そこまでお揃いにしている彼女達の仲の良さに苦笑いする。
ラムはカンテではメジャーな肉だ。それに挽麦が入っていれば十分な食事になる。
「何だっていいでしょ」
「さっさと行ってきなさいよ」
ロード親衛隊に犬を追い払うように手でしっしっとされながらタイガは食堂の列に並ぶ。ここで彼女達の動作に文句を言っても何も解決しないのは姉で良く分かっているので文句は言わなかった。
そして並んで気付いたが、目の前に並ぶ赤みを帯びた黒髪に見覚えがあった。彼は後ろに並んでいるのがタイガだと気付いていないようだったので、悪戯小僧のように笑ったタイガは彼の一つ縛りにした髪を掴んでちょっと引っ張る。
「えっ、ちょっ、誰!?」
「オレー」
驚いて振り返った青年――エドゥアルト・ウーデットに、タイガはにっこりと笑いかける。驚いていたエドゥアルトも相手がタイガだと分かってほっとした顔をした。
「誰かと思ったんだけど!?」
「ごめんね。だってエドゥがいると思ったらついうっかり手が動いちゃって」
「俺への扱いが酷い!」
タイガとエドゥアルトは学年でいうと一つ違いであり、更には互いに人懐っこい性格のために仲は良かった。なお、此処にルーウィンを加えるとルーウィンとエドゥアルトによる「うちの小隊長の方が凄い、格好良い」自慢大会が始まりがちである。正直、タイガにとってはどうでもいい話題だ。2人で永遠に勝手にやって欲しい。
「ところで、タイガの髪色ってそんなんだったっけ?」
「ちょっとルーとノリで染めただけで1ヶ月で戻るよ」
「良いな、黒染め。俺も染めようかな」
エドゥアルトの言葉にタイガはじっとりとした目で彼の髪を見つめる。
「エドゥは元々結構黒いじゃん」
「でも俺は赤みがあるけど、先輩はもっとこう闇を閉じ込めたみたいな黒だからさぁ」
うっとりとした顔でエドゥアルトが思い浮かべている“先輩”といえば彼の所属する第六小隊のユウヤミ・リーシェルだ。タイガやルーウィンと理由は違えど、彼も漆黒の髪に憧れを持つ人間だという訳だ。
黒髪の魔力、恐るべし。
そんなことを思いながら、タイガは黒髪ではなくエドゥアルトの薄緑の彼女のことを問いかける。
「ガートちゃん、未だ復帰できなそう?」
「機械班も頑張ってくれてるみたいだけど、本人が想定外の動きに戸惑ってるみたい。その辺も設定弄ればどうにでもなるとベルナーさんは言ってたけけどさあ、やっぱり弄らないで納得してもらいたいよね」
そう言ってエドゥアルトは肩を竦める。
現在、彼の機械人形であるガートは長期的なメンテナンスに入っていた。
戦闘でちょっとした破損があり、その際に機械班が内部を確かめたところ出自が出自なだけあって彼女の中身は違法部品のオンパレードだったそうなのだ。今回、経理部とも相談してガートの中身を正規品へと交換した。すると従来通りの動きが出来なくなったガートは、エドゥアルトに「変えない方がよかった」と突っかかった挙句にストライキまで起こし始めたのだ。
機械人形の感情は設定されたものであり、弄ればどうにでもなるがエドゥアルトはそれを良しとしなかった。貴重な戦闘要員であるガートが戦わないのは困ることだが、彼女が納得するまでメンテナンスをすることにしたのだ。
機械人形を所詮は機械と考える人もいるが、マルフィ結社にいる人間は機械人形を「一人」として見る人間が多い。だからこそガートのストライキはそれ故に許されている状況ともいえた。
「こんにちはー。お願いしまーす」
「はーい」
そんなことを喋っているうちに列は進み、エドゥアルトの番が来ていた。
エドゥアルトが食券を渡し、それをヒギリが笑顔で受け取る。
何のことはない普通の光景のはずなのに彼女が自分ではない男に笑顔を向けていることに胸がざわざわとした。
「あ、タイガ君!」
しかしエドゥアルトに食事を渡したヒギリがこちらを見て笑っただけで、タイガの胸のざわめきは落ち着きを取り戻す。エドゥアルトは別の人と食事をとる約束をしている人がいるらしく、タイガもまたロード親衛隊がいたので此処で別れていた。
今日もヒギリは明るくて食堂の花だ。タイガにとっての高嶺の花。
「こんにちは……モナちゃん」
本当は『ヒギリちゃん』と呼びたかったが緊張しすぎて『
モナちゃん』と呼ぶことになってしまった過去があるが、これはこれで他の人が呼んでいない呼び名で特別感があっていいなと密かにタイガは思っていた。
「食券は……4枚?」
「全部オレが食べる訳じゃないよ!? 友達の分!」
「分かってるんよ。いつもタイガ君こんなに食べないもんね」
食いしん坊だと思われたくなくて必死なタイガの言葉に笑って食券の注文を厨房へと届けるヒギリ。彼女の声は歌っていなくともよく通る良い声で、どうしてこれで「ディーヴァ×クアエダム」のローズ・マリーだと誰も気付かないのか。いや気付いていないことは良い事だけれど、いっそのこと食堂にいる全員に「ヒギリちゃんはディーヴァのローズ・マリーちゃんなんだよ!とってもかわいいよね!」と主張したいくらいだ。
いや、でもやっぱり自分だけ(とは限らないけど)が知っているというのも特別感があっていい。
「タイガ
君」
テキパキと四人分の食事をタイガが運びやすいように2つのトレーに乗せていくヒギリを眺めていると、猫なで声のような――少なくとも名前を呼んできた彼女は自分をそんな声で呼ばないだろうと思っていた――声で名前を呼ばれてタイガは振り返る。
「エーデルさん、どうしたの?」
そこにいたのはニヤニヤとした笑いを隠そうともしないエーデルだった。
「持てないだろうから来てあげたわよ、もてないだろうから」
もてないだろうから。
普通に考えれば「持つことが出来ない」の意味であるが、どちらかというと「異性から人気がない」意味での「モテない」の意味が含まれているような気がした。いや、気のせいではない。間違いなくエーデルはそれを含ませている。
そもそも最初に4つ運ばせようとしたのはロード親衛隊だ。「あの子に力持ちアピールにもなるわよ」と言ってタイガを追いやったではないか。
それなのに急に一緒に持つアピールとはどういう事なんだろう。むっとしたタイガは不機嫌な声で言い返す。
「別に4つくらい持てるから平気だよ」
タイガの言葉は彼女の予想通りだったのだろう。
わざとらしく「あらー」と声を上げてエーデルがホットマスカラでしっかりカーブをつけられた睫毛に彩られた目を瞬く。
「タイガ君って力持ちなのね!ね、あなたもそう思うわよね!?」
「えっ!? あ、はい」
よりにもよってエーデルはヒギリに絡んだ。いきなり現れた女に問いかけられたヒギリはビックリした顔で頷いた。そりゃそうだろう。咄嗟的には「そうですね」しか言い難い質問だ。
「もう、エーデルさん良いから!ごめんね、変な事聞かれて困ったよね! ほら、行くよ!」
驚いたヒギリの顔も可愛いなぁなんて思いつつも、タイガは面倒くさいお見合いオバさんのようになっている(本人に言ったら殺されるので絶対に言わないが)エーデルに声をかけてその場を離れる。
「何でああいう事言う訳!?」
「タイガの応援してあげようとしたんじゃない」
タイガが文句を言ってもエーデルはサラッと流す。ちなみに結局、トレーは持ってくれていないのでタイガが4人分の昼食を運んでいた。
この時、タイガは気付いていなかった。
タイガにとっては面倒くさいお姉様方であるロード親衛隊も傍目に見れば「ただの綺麗なお姉様」なのだということを。
そして、この言い合いも、そんなお姉さんとタメ口で楽しそうに会話しているようにしか見えないのだということを。