6月6日。
「おつかれ様でした!」
「お先に失礼します」
ネビロスさんと2人、医療班の部屋を出る。今日がネビロスさんの誕生日だとちゃんと覚えていたエル先生が早めに私達を帰らせてくれたのだ。
ルミエルさんやルーチェちゃんを亡くしたネビロスさんは、マルフィ結社に来てからずっとエル先生のカウンセリングにお世話になっていた。だけど先月からは外部の先生によるカウンセリングに切り替えたのだ。
『その時にカルテを見直したからネビロスの誕生日を覚えていただけよ』
私が忘れていたのにエル先生が覚えていたのが悔しくて、そしてそれが顔に出ていただろう私にエル先生はそう言って慰めてくれた。私へのフォローもしてくれて、今日は早く帰らせてくれたエル先生には感謝しかない。
廊下を並んで歩いているとネビロスさんが口を開いた。
「今日はミアは一度自分の部屋に帰るんですね?」
「はい! もちろん遅くなる前に行くから安心してください!」
6月に入ったカンテ国の夜は日没が遅くてずっと明るいから、女子寮から男子寮まで行く道程くらい何の心配もない。
2月にネビロスさんの部屋に向かった時は夜は普通に暗かったから途中で会ったスレ先生と一緒に行ったけど、6月ならば大丈夫だ。汚染された機械人形はこの辺りには出ないし。
「心配ですから寮に一緒に行きましょうか?」
「大丈夫ですよ! ネビロスさんは先にお部屋で休んでいてください!」
準備期間3日間。
色んな人に相談した私は、プレゼントを買うことは出来なかったけれど、それなりに色々と用意をしてきたのだ。
心配性のネビロスさんにもう一度「大丈夫!」と言ってそれぞれの寮への道の前で別れる。
さあ、ミア・フローレス! 気合い入れて頑張るぞ!
* * *
そうして準備を済ませた私は、ネビロスさんの部屋を訪れていた。
いつもより気合いを入れた夕食を食べて、お片付けをして。
「良いんですよ、ネビロスさん! 今日は私が全部洗いますから!」
「2人でやった方が早く終わるでしょう?」
今日くらいは全部私がお片付けしようと思ったのに当然のようにネビロスさんがお皿や調理器具を洗ってくれた。せめてメインで頑張るのは私にしようとするのに「はい、お皿拭いてください」とお皿と布巾を渡されてしまうだけの人間になってしまう。
「折角の
大きな誕生日なんだから、休んでて欲しいです」
大きな誕生日。
区切りのお誕生日の事をカンテ国ではそう呼んで特別に扱う。
ネビロスさんは30歳。正に今年は
大きな誕生日で、そんな大事な誕生日を忘れていた私は本当に恋人失格だよね。
「あっ……!」
そんな事を考えていたら手からコップが滑り落ちた。
しかし、それは床に落ちる寸前でネビロスさんがキャッチする。
「大丈夫ですか、ミア」
「大丈夫です。ごめんなさい、ネビロスさん」
「ミアに怪我が無ければそれで良いですし、食器も割れていませんから」
ネビロスさんはそう言って笑ってくれる。
一方の私は数時間前に「 気合い入れて頑張るぞ!」と思ったのは何だったのかというくらいダメダメだ。
「私はミアが一緒に過ごしてくれるだけで幸せですよ」
ションボリとする私に優しく声をかけてくれるネビロスさん。
私ってば誕生日に主役に気を遣わせてどうするの!
「ありがとうございます」
ごめんなさい、を繰り返すのも何か違うなって思ってネビロスさんの言葉にお礼を返す。
そうしているうちに私が食器を割ることもなく、無事に夕飯のお片付けは終わった。
「ネビロスさん。まだお腹に余裕はありますか?」
用意してきた鞄の中にしまっていた箱を取り出しながら私はネビロスさんに問いかける。中身はエミールさんに教わったお誕生日用のケーキだ。
「カヌレ焼いたんです」
エミールさんから私が教わった「3日かかるお菓子」は「カヌレ」だった。簡単に作るなら1日で出来るけど、本気で作るなら3日かかるという焼菓子。食べたことはあったけど作ったことは今までなくて緊張したけど、ちゃんと出来たとはず。
今回は甘いものが好きなネビロスさんのためにカヌレの上の窪みにプリンのカラメルソースのようにチョコレートを流し込んでみた。このアドバイスをくれたのもエミールさんで、そうやって相手のことを思ったアドバイスの出来るエミールさんって素敵な人だなぁって思う。
「カヌレですか。それは手間がかかったでしょう」
さすがネビロスさんだ。カヌレのレシピもちゃんと知ってるんだ。
「時間はかかりましたけどエミールさんに教えてもらったので、ちゃんと出来てると思います!」
「エミール……?」
「給食部のエミールさんです! そういえばカヌレ型に蜜蝋塗って焼くのが本格的みたいなんですけど、教わっている時にネリネちゃんが『バターで代用出来る』って主張して譲らなくて面白かったです」
ネリネちゃんはバターを使うことを好むように設定されているんだって言ってたけど、そんなにバターばっかり使う料理を食べてたら太っちゃいそうだ。
「でもノエさんも来て結局、蜜蝋を使ったんですけどね」
ネリネちゃんと違ってノエさんは正統派レシピしか許さないように設定されているから、ネリネちゃんの邪道なやり方は許さないみたい。同じ機械人形でも違いがあって面白かったけど、間に挟まれたエミールさんは仲裁に大変そうだった。
「あとヒギリさんというかタイガ君というかサリアヌさんから紅茶の茶葉も貰ったので一緒に飲みましょう。ミルクティーがオススメだって聞いたのでクロエちゃんがルー君から貰った牛乳分けてくれました」
カヌレを焼くことになったことを聞いたヒギリさんが紅茶についてタイガ君に相談して、そしたらサリアヌさんが茶葉を分けてくれたのだ。貴族の人から貰った紅茶ってだけで凄く高そうなオーラが出ている。
そんな紅茶をミルクティーにするのがおすすめだってヒギリさんから聞いていたら、たまたま一緒に居たクロエちゃんが「貰って封を開けてない牛乳がある」とルー君の家の牛乳を分けてくれた。
「ええっ!? クロエちゃんの飲む分減っちゃうよ?」
「大丈夫ですよ。また貰いますから」
そう言って快く譲ってくれたクロエちゃんには感謝だ。もちろん、ルー君にも。
私の言葉にネビロスさんは柔らかく微笑む。
今までもネビロスさんが格好よくて素敵だったけれど、最近の笑った顔は一層素敵になった。何が違うってハッキリと私には言えない。だけど何かがネビロスさんの中で変わって、表情すら変わってみえるのだろう。
「皆、ネビロスさんの誕生日のために色々してくれたんですよ」
「それは私だからではなくミアが頑張っていたからですよ」
「マルフィ結社、良い人がいっぱいで良い場所だから離れたくなくなりますよね!」
私の言葉にネビロスさんは少し驚いたような顔を見せる。
だけど、また先程までのように柔らかく微笑むと「はい」と頷いてくれた。
大丈夫。もうネビロスさんは何処にも行かない。
根拠もなく私はそう思った。
* * *
うーん。やっぱり最後の
コレは止めようかな。
お風呂に入った後、私はちょっぴり後悔していた。
色んな人に貰ったアドバイスを折角だから全部やってみようかななんて思ってずっとクローゼットで眠っていた
コレを引っ張り出してみたものの、やっぱり私には似合わないような。
でも、もう着ちゃったし着替えはコレしか持ってきていない。
ネビロスさんの部屋に置きっ放しにしている私のパジャマもあるけれど、それを取りに行くためにはネビロスさんの居る部屋に行くしかないから結局コレは見られてしまう。
仕方ない。
似合わなくてもネビロスさんは爆笑してバカにするなんてことしないだろうから、後は私が気合い出すだけだもん。頑張れ、私!
「お、お待たせしました、ネビロスさんっ」
私が脱衣所から意を決して飛び出すと、本を読んでいたネビロスさんが本をパタンと閉じて私に目を向けた。あ、目の色が違うネビロスさんだ。コンタクトレンズ外してるんだ。いつものネビロスさんも格好良いけど、こっちのネビロスさんも格好いいなぁ。
私が現実逃避してると重いものがフローリングの床に落ちた音がした。
「わっ、ネビロスさんっ! 本落ちちゃってますよ!」
それはネビロスさんの読んでいた本が床に落ちた音だった。
フローリングに傷とか付いてないかな。本は大丈夫かな。
「ミア……? それは……?」
うわーん。ネビロスさんの声は凄く困惑していた。
本を落としちゃうくらい似合わなかったかな、これ。
止めておけばよかった。
「えっと、ヴォイドさんに憧れて前買ったものなんです。でも、私はヴォイドさんみたいにスタイル良くないから、コレを着てお出かけする勇気がなくて……」
私が着ていたのはヴォイドさんが良く着ているヒラヒラとした服だ。
この上に白衣を羽織ってお仕事していたヴォイドさんがとっても素敵だったから真似して買ってみたのだけど、着てみたらヴォイドさんとの身体の差が凄くて封印していた。
ヴォイドさんイメージだったから青いものを買っているのも似合わない原因かも。私、ピンクが多いし。
「ミア。それを着て外に出るつもりだったのですか?」
怖い顔をしたネビロスさんに言われる。
そうだよね。そんなに似合わない服を着て出かけるなんてバカみたいだよね。
「似合わないですよね。出掛けないです……」
ションボリと答えるとネビロスさんが何だか安心したような、でもちょっとだけ困ったような顔をして私を見た。
「とても似合って可愛いですよ。だから、その格好は私だけにしか見せないで下さい」
似合って可愛いって。
その声のトーンはどこまでも優しくて、それでいて私を慰めるだけに言っているんじゃないと思わせるだけの力があった。
「それでミアはどうしてその服を着ようと思ったんですか?」
「えっと、ぷ、『プレゼントは私』っていうのはダメですか?」
さすがに『プレゼントは私』を言うのは緊張した。
ネビロスさんの顔を見るのが恥ずかしくて目を逸らして言っちゃったけど、やっぱり反応が見たくてネビロスさんの顔を見てみると。
「ネビロスさん?」
ネビロスさんは口元を手で抑えるようにして、私から視線を逸らしていた。やっぱり嫌だったかなと心配になったけど、私から見えているネビロスさんの綺麗な形をした耳が赤くなってる。照れてくれてるのかな?
視線を逸らしたままのネビロスさんは床に落としっ放しだった本をようやく拾い上げる。
「まさかミアがそんな事を言うとは……」
「皆に相談したら、皆がそれが良いよって言ってくれたので!」
こんなに照れたネビロスさんが見られるなんて幸せだ。
後で皆にお礼を言わなくちゃ!
「皆……?」
呟くネビロスさんが顔は笑顔なのに何だか雰囲気が怖くなったような気がするけど、気のせいだよね。とにかくアドバイスをしてくれた皆の名前を言わなくちゃ!
「ヴィニーさんとテオさんとゼンさんとロードさんとギャリーさんにクロエちゃんです!」
「そうですか。それは皆さんにお礼を言わないとですね」
そう言って微笑むネビロスさん。
うーん、やっぱり不思議と何か怖いオーラが出ているような気がする。
何でだろう?
「さて、ミア」
怖そうオーラの消えたネビロスさんが私を見た。
「はい! なんですか?」
「私はミアさえ傍に居てくれたらそれで良いんですが、折角のプレゼントですから……お願いをしてもいいですか?」
ネビロスさんのお願い!
これを叶えてあげるのが正に誕生日という感じだ。お願いって何だろう。
じっとネビロスさんを見つめるとネビロスさんは自分の唇を自分の指でトントンと軽く叩いた。
「ミアから、というのはどうでしょう?」
私から? 唇ってことは……キス!?
脳内会議の議長兼
司会・進行役も
発表者も書記の私も全員が驚愕していた。
「他でもないネビロスさんのお願いです。やるしかないでしょう、私!」
いち早く復活した議長がそう言って脳内でサムズアップした。他の私達も何度も縦に首を振って同意を示す。
「わ、わかりました!」
確かにいつもネビロスさんにキスして貰っていて、私はただ待っているだけだった。たまには私も頑張らなくちゃね!
私がキスをしやすいように屈んで目を瞑っているネビロスさんを前にする。肌綺麗、睫毛長い、すっごく綺麗で格好いい。いやいや、ネビロスさんの格好良さに見とれている場合じゃない。頑張れ、頑張れ。
……頑張った私のキスは唇の端だった。うん、でも頑張ったしキスはキスだもん!
満足している私に目を開いたネビロスさんがニコリと笑う。
「ちゃんとミアから
何でも出来るように今晩は練習しましょうか」
「ええっ!? 今のじゃダメですか!?」
「ええ。今日の私は強欲なようです」
楽しそうに笑うネビロスさん。
こうしてネビロスさんのお誕生日は夜が更けるまで続くのであった。
私、明日もお仕事なのに!
でもネビロスさんが、とっても楽しそうだから良かった。
誕生日おめでとう! ネビロスさん!