弾かれたように目を覚ます。
そこはガタガタと揺れて決して寝心地が良いとはいえないトラックの荷台だ。
「起きたんすか、セリカさん」
声をかけられて横を見ると、そこには第三小隊仲間のルーウィンが肩を撫でている姿があった。見回せば他の隊員達も苦笑して此方を見ている。
戦闘の帰り道、どうやら自分はトラックの荷台でルーウィンの肩を枕に
転寝をしていたらしい。
「 ……御免なさい、ルー君 」
「 肩は疲れましたけど良いっすよ 」
ルーウィンへ謝罪の言葉を口にすると、彼はそう言いながらも大きな傷が残る顔に純粋とはいえない可愛げのない笑みを浮かべた。
「 それにしてもセリカさんが寝るとか珍しいっすね。アレっすか? 年取ると睡眠が浅くなるっていう…… 」
余計な事を言う可愛くないルーウィンにセリカはニッコリと微笑む。
「 あらぁ? ルー君は走って帰りたいのかしらぁ? お手伝いしますよぅ? 」
「 私も手伝うわよ 」
お前をトラックから突き落としてやろうか、と言外に匂わせながらセリカが言うと前方の助手席からバーティゴの加勢の声が上がった。まさかの小隊長参戦にルーウィンの顔が引き攣った。
「 何で姐さんまで…… 」
「 あら。セリカに『 年取った 』なんて言うのだから私にも言っているのと同義じゃない 」
セリカよりもバーティゴの方が年齢が上である。それは勿論ルーウィンも知っているが此処でバーティゴが参戦をしてくるとは予測していなかったらしく明らかに狼狽えている。セリカが言うのは冗談に聞こえるが、バーティゴが言うと本当にトラックから下ろされて走らされるように聞こえるからだ。
それが分かっているバーティゴは敢えて上機嫌そうな声でトラックに乗る他の第三小隊のメンバーに声をかける。
「 誰かロープはあるかしら。道に迷わないように縛って走らせなきゃいけないから丈夫な物が良いわね 」
「 お姉様、ロープなら此処に破損した
機械人形を括る時に使った残りがありますぅ 」
「 それなら大丈夫そうね。セリカ、縛ってやりなさい 」
トラックから下ろされ両手を縛られて走らされる自分を想像したのかルーウィンの顔が徐々に青くなっていった。万が一にも走らされたらトラックのスピードについて行けないルーウィンは引き摺られていくだけだ。
「 さあ、ルー君。しっかり縛ってあげますからねぇ 」
悪ノリしたセリカもロープを構えて扱きながら微笑む。
「 勘弁して下さいよ、姉さん達…… 」
そう言ってルーウィンは白旗を上げた。
* * *
本部へと帰ってきたセリカは愛刀を片手に携えて自室に向かって足早に歩いていた。
本来ならば戦闘後には今日の戦闘の報告を纏めたりと色々な仕事がある筈なのだが、それはルーウィンに「 俺がやっときますよ 」と言われて追い出されてしまったのだ。どうやら珍しく
転寝なんぞをしたせいで体調不良を疑われているらしいので、そんな事は無いのだが今日のセリカはルーウィンの言葉に甘える事にした。今日はもう部屋に帰って誰にも会わない方が良いと判断したからだ。
「 絶対に違う筈なんですぅ…… 」
廊下に誰も居ないのを良い事に頬を少女のように赤く染めたセリカは誰に言うでもなく呟く。
先程の
転寝中に見た過去の中で呼び止めた不思議な兎頭国人の彼の顔が結社でも見知った兎頭国人と被って見えたのは気の所為だ。夢の中で記憶が現在と混在して勝手に顔が混じってしまっただけに違いない。そうだ。そうに決まっている。
顔がギャリーに似てるな、と思って改めて考えてみると道案内をしてくれた不思議な兎頭国人の彼とギャリーの身長も体格も同じような気がしてきていた。いや記憶よ、混在するな。彼とギャリーは別人だ。
結社でも見知った兎頭国人――ギャリーに今だけは会いたくなかった。
しかし、そう思ったタイミングの悪い時に限って出会ってしまうのが人間の運命というものなのである。
「 セリカちゃん? 」
背後から聞こえたのはセリカの名前を呼ぶギャリーの声だった。
何だか声まで夢の中の彼のそれと同じ気がしてきて、セリカの鼓動が跳ねる。
ギャリーの声は決して「 聞こえませんでしたぁ 」と言い訳をして無視できる声量ではなく、セリカは平静を装っていつもと同じ穏やかな笑みを顔に貼り付けて優雅に振り返った。
「今日和、ファンさ……ん……?」
顔から笑顔の仮面が剥がれ落ちた。
目を丸くしてセリカはギャリーを見つめる。
「 どうした? 俺の顔に何か付いてる? 」
「 ええ。眉と目と鼻と口が 」
そう言う自分の声は僅かに震えているような気がした。それは些細な変化だから本人であるセリカが分かる程度の事で、ギャリーには決して気付かれてはいないだろうけれども。その証拠にギャリーはいつものようにヘラリと笑っている。
しかし、その笑うギャリーの目には涼やかに華やかに目元を飾るシャドウとラインがあった。更には、どうやらファンデーションも塗ってあるようでギャリーの女性的な顔立ちが引き立っていて別人のようだった。
極めつきは髪型だった。いつもはハーフアップで緩やかに流している髪が、今のセリカは名称をちゃんと知っている髪型――コーンロウになっている。
そういえば服装も夢の中の彼と全く同じ色、柄の気がする。
夢の中で会ったギャリーが現実にいて、セリカの頭は混乱していた。
もしかしたら今も夢? 現実は何処にいってしまったんでしょう?
兎に角、何か言わなければ。セリカは失礼にならない程度にギャリーから目を逸らしつつ声を絞り出す。
「 ……今日はお召し物も髪型も違うんですねぇ 」
「 気分で変えてみたけど、どう? 似合う? 」
「 ええ、とても良くお似合いですぅ…… 」
似合いすぎてセリカの記憶が書き換えられてしまいそうな程に。
否。
之が正解なのではないか。
つまり、セリカがかつて出会って道案内をしてくれた親切な兎頭国人の青年は、今目の前にいるギャリー・ファンだったのだ。世間は狭いというが本当である。
――顔を見て会話を交わしたのなんて凄く短い時間だったのに、その不思議な男性の事が何だか忘れられないんですよぉ……。
かつて親切な彼の事を思い出している時にギャリーに言った言葉が思い出されてセリカの脳内をグルグルと渦巻いて巡る。
其れをまさか自分は本人に向かって言っていたのか。何てはしたない。
あの時のセリカは心惹かれてもベンジャミンという夫が居る人妻で、あれは一時の夢で済んだ。しかし、今はベンジャミンはいない。セリカを縛る立場の枷は何も無い。
そう考えた瞬間、頬が再び熱を帯びる気がした。
ギャリーは優しい。だけど、それはどの女性に対しても変わらない。
それに自分は彼よりも歳上であり、未亡人という面倒臭い女でもある。そんな女を決してギャリーは選ばない。彼に似合うのは自分とは正反対の華やかで可愛らしい若いお嬢さんだ。ついでに性格は淑やかで三歩引いて歩いて常に男を立ててやるような女の子に違いない。男なんて皆、そういう女が好きに決まっているのだ。
「 あ、あの、私……用があるので失礼しますぅ…… 」
冷静と情熱の狭間で揺れ動く感情を処理できなくなったセリカは脱兎の如く逃げ出そうとした。しかし、思い込みだけでは良くないと脳の冷静な部分が足を止めさせた。
まだ、彼が本当にあの“ 彼 ”とは限らない。
「 ファンさん 」
振り返って、もう一度改めてギャリーを見つめる。
どう見ても道に迷った時に助けてくれた彼がそこに立っていた。今はセリカの奇行に対して怪訝な顔をしているけれど、微笑めば間違いなくあの時の彼だ。
「 其れは兎頭国では皆が好む格好ですかぁ? 」
もしかしたら。誰しもが今のギャリーと同じ格好を好むならセリカの勘違いということになる。いや、むしろそうであれ。
しかし、祈るように返答を待つセリカの耳に届いたのは死刑を告げる裁判官の無慈悲な言葉と同じものだった。
「 いや? 俺は好んでしてるけど 」
「 そ、そうなんですかぁ……あの、もう一つ聞いていいですかぁ? 」
「 何? 」
その格好で昨年、迷子の女性を道案内しませんでしたか?
しかし其れを聞いてしまえば、なし崩しにその女性がセリカだったとギャリーに気付かれてしまう事に気付いたセリカは口を
噤む。
「 矢っ張り何でも無いですぅ…… 」
「 セリカちゃん、大丈夫かや? 」
「 近寄らないで下さい!! 」
咄嗟的に鞘に入ったままの愛刀を振って近付こうとするギャリーを阻止する。ギャリーが驚いた顔をしているが、今のセリカに彼を気遣う余裕は無かった。
「 今後、半径二メートル以内に寄らないで下さいますかぁ……? 」
おそらく今の自分は耳まで真っ赤になっていることだろう。それを隠すことのできる長い髪がないことをセリカは今だけ悔やんだ。
そして、この僅かに離れている距離でギャリーに自分の真っ赤に染まった顔色が気付かれていないことを祈りながら、今度こそセリカは脱兎の如くその場を立ち去ったのだった。
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