薄明のカンテ - 歪に揺れる/燐花

苛立ち

 手に持つレーダーを至近距離で見つめながらバーティゴは考えを巡らす。彼女はボードゲームを嗜む女性であるので時折このレーダーに表示される駒を見てチェスのゲーム中であるかの様に物思いに耽る。しかし、表示されている彼らは生きた人間であり、失敗は許されない。
 バーティゴは白濁した瞳が捉えられる距離までレーダーを近付け画面を確認するとトランシーバーを取り出した。
「全員配置に着いたな。今日は配置に着くまでは順調か」
 マルフィ結社前線駆除班に配属となってしばらく経つが、ここのメンバーは皆が皆彼女の様に軍隊の出と言う訳ではない。それでも、慣れ親しんだ且つアルファベットの聞き間違いの少ないフォネティックコードはこう言う場で使うのには理に適っており、彼女は小隊長の立場に就いてからずっと部下達にコードと軍さながらの指示を教え続けた。
 つい先日まで一般人だった彼らがスムーズに指示通り動けるまでそれなりに時間を要したが、お陰で機械人形との交戦時でも最低限の痛手で済むくらいにまで隊のレベルは上がっていた。しかし、次の瞬間トランシーバーからけたたましく鳴り響いた悲鳴にも似たその声に、バーティゴは顔を顰めることになる。
『ブリノヴァ小隊長!ブリノヴァ小隊長助けて下さい!!』
「聞こえている。ブラボー・デルタか?どうした?」
『こ、こちらブラボー・デルタ!機械人形と交戦しています!』
「落ち着け。ミーティングで確認した通りだ。落ち着いて動けば危機は脱せられる」
『だ、駄目です!無理です!汚染された機械人形との接触以上に彼がまた暴れているんです!!』
 彼と言うのが誰を指すか。バーティゴはすぐに分かった。そして中心部から放射状に走る顔の傷が歪む程顔を顰めると彼女は銃を片手に歩き出す。
「お姉様!?どちらに!?」
 慌てふためいてセリカが駆け寄る。バーティゴはそちらを見る事なくただ前を見据えていた。
「…あの鉄屑を止めに行くわ」
「ならば…セリカも連れていって下さいませ…お姉様の剣にも足にもなります…」
「じゃあ、頼むわね…。クジマ、私はここを離れるから、他部隊への指揮を頼むわ」
「はい、小隊長」
 ふわりと綿毛の様に柔らかそうな麦の穂の色の髪の毛を少し風と遊ばせながら現れたクジマ・トルビン。若く女性の様な見た目が麗しい、バーティゴの隊でも異色の存在である彼は意外にも前職は軍人らしくヘッドセットマイクの電源を入れるときびきびと指示を行う。
 ──クジマ・トルビンよりチーム各位。ブリノヴァ小隊長は指揮権を委譲。これより、クジマ・トルビンが指揮を執る。
 その声を耳に挟みながらバーティゴはセリカを伴って足を進める。レーダーを見ながら真っ直ぐ向かったのは、ブラボー・デルタチームが居るはずの地点だった。
 バーティゴの目の前に広がるのは、負傷者を数人抱えて建物の影に避難しているブラボー・デルタチーム。そして、たった一人で鬼神の如き暴れ回っている彼──B.G-02ことアサギの姿だった。
 バーティゴはその指示通りとは決して言えない光景に青筋を立てる。横に居たセリカは刀を抱えて彼女の横で指示を待った。
「…セリカ、ブラボー・デルタの負傷者を連れて皆とクジマのところに戻ってくれる?」
「ですが、お姉様は…?」
「私はあの鉄屑をふん縛ってから帰るわ。ああ、それから…彼らの負傷の理由を聞いておいて。おそらくアサギだろうけど…」
「はい…」
 セリカと二手に分かれ、砂煙の立ち登る方へバーティゴは歩き出す。そこには複数の汚染された機械人形達と、それらを慈悲も無く機械的に破壊するアサギの姿があった。
「ったく、アイツは…!!」
 バーティゴは銃を手に持ち、アサギ目掛けて向かう機械人形達の頭を的確に吹き飛ばす。いきなりの遠距離からの攻撃に機械人形達は計算を組み直そうとするが、最早時既に遅し。アサギの至近距離からの怒涛の攻撃、そしてバーティゴの遠距離からの攻撃でこの辺り一帯の機械人形は瞬く間に制圧された。
 しかし、バーティゴはそれを嬉しがるでもなくアサギに近付くと、手に持っていた銃で彼の頭部を殴り付ける。人間ならば骨も折れる様な行為だが、アサギはどんなに人に見えても機械人形なのでこのくらい大したダメージにはならない。加えてアサギは随分と持ち主に金を掛けて作られた機械人形なのか驚く程に頑丈だった。
「…何すんだ?」
「お前の勝手に巻き込まれた隊員は、大きな怪我を負った者もいた。きっとこの衝撃以上に痛かったわ」
「あいつら…弱過ぎるだろ…。あのまま前線に出ていたらあの程度じゃ済まなかった」
「そうならない為に、綿密に指示して隊を組ませたの。前線に出てもきちんと仕事をこなせる様にそう組ませたの。それをいつも壊して怪我人を出すのは、他ならぬお前だ」
「だがあいつらお前が思うより動けないぜ?今日だって汚染された機械人形を前にしただけで演習の時より反射神経も集中力も二十パーセントは低下していた。一歩間違えれば命を落とす程に動けていない」
「だからと言ってお前が指示を無視して勝手に動いて良い道理があるか?」
「だからこそ、俺は用心棒として仕事をしたんだ。あんな弱い奴ら前線駆除班に当てる上層の人間もそれを受け入れて隊の仕事を振るお前もどうかしてるな」
 アサギの暴走で隊の人間が負傷するのは初めてでは無かった。その都度アサギは言う。「あいつらは弱いから負傷を最低限に抑えようと思ったら俺が一人で戦った方が早い」と。それはおそらく、アサギが頭の中で叩き出した数値を元に導き出した結論なのだろうが、バーティゴにも元軍人元指揮官としての経験とプライドがあった。
 機械人形であるアサギの独断で乱れる隊。彼の判断によって怪我をする隊員。バーティゴは苛ついていた。

暗夜の君

 夜。バーティゴが部屋で思う事はアサギの事ばかりだった。シャワーを浴び、もっと簡易的で本当に重みで体のバランスを取る事だけを目的とした日常生活用の義肢を付け直すと慣れた様子でベッドまで向かい腰掛ける。眠れないのは、目を瞑れば浮かぶのはあの小憎たらしい、大陸の文化をさながらに纏められた機械人形の緑色の髪の毛だった。
「困ったわね…」
 バーティゴは結社の人間には珍しく機械人形への嫌悪をあからさまに表に出す事で有名だった。周りの人間は不思議がったものだ。何故反機械人形派の団体に所属しなかったのか、と。
 彼女の生まれ故郷では差別は当たり前に起こるし、「私は差別主義者です」と自己紹介したとして風当たりが強くなったりしない、そんなお国柄だった。彼女も含め、皆好き嫌いと同じ感覚で人も差別する。しかし、それと理想として掲げる大義名分はまた別で、そしてそれらを混同させない。
 彼女もまた、テロで起きた事故を発端に元々機械人形に対して良い印象を持っていなかった価値観は完全に嫌悪に傾いた。人間と似て非なる者達、心が無いから人以上に辛辣な言葉を掛けられても許される存在。そう思う反面、大義名分として「そんな彼らだからこそこんなにもぞんざいに扱われて良いのか、低い地位に収めて良いのか?いや、もっと平等に扱うべきだ」と言う世界が持つべき理想も掲げている。矛盾しているのでは無いかともよく言われるが、バーティゴの気持ちとしてどうあるかと「人として世界が機械人形にどう接するべきが理想か」のこの二つは全く別の存在である為、彼女が何を思いどう振る舞いたいかと世界がどうなっていくべきかは決して矛盾するところに置かれていないのだ。
 コンコン、とドアをノックされ、バーティゴは時計を見る。この時間に来る人間なんて一人しか居ない。
「どうぞ。開いてるわよ」
 ガチャリと音を立ててドアが開く。ベッドに座るバーティゴの元へ近付いて来たのはクジマだった。若々しい彼の肌は、時間による疲労を一切感じさせない。
「夜分遅くにすみません、小隊長」
「良いわよ、いつもの事じゃない。どうしたの?今日はしっかりトラブルをカバーしてくれたから良い気分で寝たと思ってたわ」
「確かに、指示の出し方としてはいつも以上に上手く出来たと思っています。それこそ、確り小隊長のお役に立てたと…」
 だからこそ、悔しいんです。
 クジマと天井を見ながらバーティゴは自分がベッドに押し倒された事を察する。全くこの子は、こう言う事だけは一人前にやるんだから。
「…クジマ、どう言うつもり?私を慰めに来た…って感じじゃ無いわね?」
「……今日もまた、アサギですよね?お姉様・・・にそんな顔をさせているのは…」
「鍵、掛かってないからもしもセリカが部屋に来たりしたら大変よ?」
「ふふ、そんな心配いつもの事じゃないですか。現にセリカさんが部屋に突然来訪する事はありませんし、今部屋に入った時にちゃんと鍵は掛けましたよ」
「呆れた。今日も最初からそのつもり?」
「すみません、私はお姉様を慰めに来たのではありません。お姉様に慰めて欲しくて来たのです…。お姉様のそんな顔を引き出せるアサギが憎くて…お姉様がそんな顔をしているのに何も出来ない自分が情けなくて…そしてお姉様の頭をずっと占めているアサギを思うと、どうしようもなく泣きたくなるのです」
 すっと手を伸ばしバーティゴの体に触れるクジマ。バーティゴはこの一見すると女性の様に愛らしい見た目をしている彼に触れられるところを少しだけ冷めた目で見つめた。
 彼は潤んだ瞳でバーティゴを見つめると彼女の体──義肢に手を触れ荒く息を漏らす。
「綺麗です…お姉様…」
 ああ、そう。
 バーティゴは濁った瞳で虚空をじっと見つめていた。

 * * *

「ふぁあ…」
 昨日のアサギのトラブルから一夜明け、朝から大欠伸を隠す事なく連発するバーティゴ。セリカはそんな彼女を見てクスクス笑った。
「ふふ…お姉様ったら、眠れなかったんですかぁ?」
「ええ、ちょっとね。なかなか寝付けなくて」
 寝付けなかった。普段なら何気ない筈のその彼女の言葉にいつもと違う違和感を覚える。セリカは少しだけ訝しげに周りに目を配ると、クジマの姿が目に入った。少し長めの髪の毛が風に煽られて、彼はそっと守るように手を添える。セリカはその姿に言いようのない焦燥感を抱いた。彼の女性の様なその姿は、彼女の目指していたヤマトナデシコと言って差し支え無い様なそんな気がしていたからだ。
 クジマもそんなセリカの姿を見付ける。彼はセリカを視界に捉えるとにこりと笑った。セリカも返事とばかりに会釈する。しかし、彼の顔がどうにも笑っていない様に見えて仕方なかった。
「あの、お姉様…もしお辛いなら、私お姉様の分まで今日頑張りますよぉ?」
「ええ。ありがとう、セリカ」
「小隊長、アサギがそろそろ戻って来ますが如何致しましょう?」
 セリカの背後で声がする。ばっと振り返るといつのまに近付いたのかクジマがクスクス笑いながらセリカを見つめた。
「トルビンさん…」
「何ですか?セリカさん、怖い顔して」
 そんな二人の牽制する様な空気をものともしない様ないつも通りの声音で「あ」と声を上げると、バーティゴは困った様に頬を掻いた。
「いけない…待機だからって忘れ物したわ…」
「お姉様、何をお忘れですかぁ?」
「レーダーと拳銃。うっかりが過ぎるわね、よりによってこの二つ忘れるなんて」
「でしたらセリカにお任せください。お部屋まで取ってきますよぅ」
「ならば私もご一緒しましょう」
 セリカは驚いて思わず見開いた目をクジマに向ける。クジマは何もおかしな事など言っていないと言いたげに微笑んだ。
「小隊長の拳銃は他の武器と一緒にされてるんですよ。下手に触ると危ないものもありますからね?」
「ですが…」
「それに、レーダーと拳銃だけじゃ無いですよね?小隊長、アサギに関する報告書もお忘れでは?」
「あら?あれって今日必要だったかしら?」
「そうですよ?お忘れですか?」
「…忘れてた…」
「ならば、荷物も重くなりますしついでに道すがら機械班に診てもらっているアサギを連れてくればちょうど良いし、二人で行けば良いじゃないですか、ねえ?」
 そう言われてしまい、セリカはもう断る言葉が見付からなかった。

秘密を教えてあげる

 バーティゴから借りた部屋の鍵を使って女子寮の彼女の部屋を開ける。あまりにも迷いなく真っ直ぐ進む様子、そして車やロッカーの鍵も一緒にされているのに迷う事なく部屋の鍵を一発で当てた。もはや隠す気は無いのだろうな、とセリカは思った。
「お姉様の…」
 セリカが口を開く。目の前のクジマの笑顔は変わらない。
「お姉様のお疲れの理由…ご存知ですよねトルビンさん…」
「…と言うか、それを聞きたかったんじゃなかったですか?セリカさん」
 だから敢えて荷物持ちを買って出て二人っきりになったのに。クスクスとクジマは笑った。
「本当はアサギに関する報告書、今日じゃ無いんですよね。まあ早いに越した事は無いですけど」
「え…?」
「今日は多分、アサギも無茶しませんから」
 だから、問題行動だらけだった昨日までの報告書を早く出してしまいましょう。
 そう言うクジマにセリカは言いようのない違和感を覚える。同時に、今彼と二人きりでいて本当に大丈夫なのか。セリカは少しだけ身を強張らせた。
「ふふっ…セリカさん、そんなに怖い顔しないでください…それとも、私と二人でいるのが怖いですか?」
「…お姉様を眠れない程悩ませてるのは…矢張りアサギさんで無く貴方です…?」
「え?いやいや、小隊長を悩ませてるのは正真正銘、アサギ本人ですよ。でも、眠れない程…に繋がる要因は私かもしれませんね。お姉様・・・は普段からお強いですが、夜は意外と女なんですよ」
 そう言ってベッドを見つめるクジマ。セリカは彼が何を言いたいのか察してしまい顔を赤らめた。同時に怒りも湧いて来て、眉間に皺を寄せるとぐっと彼を睨む。
「…お姉様を侮辱するのは許しませんよぉ…?」
「侮辱?まさか。私もただただお姉様が愛しいだけです。貴女とは違う見方で…」
「それに、そんなに睦まじい間柄だとして私に簡単に口を滑らして言う事ではありません、そんな話」
「でも…聞きたがったのは貴女でしょう?それより、良かったんですか?そんなに警戒していたのに私と一緒にこんな密室に入り込んでしまって…」
 ハッとしたセリカは距離を詰めようとしたクジマにいつのまにか窓側に追い詰められた事に気付く。
「……荷物を取りに行くだけに時間を掛けたらお姉様は大層怪しまれますよねぇ…?」
「…ええ、だから残念ですがそんなに時間は取れませんね…そんな貞淑な女性の様な雰囲気でありながら大胆にも私とお姉様の事を聞こうとした貴女に一つ、プライベートな秘密を教えて差し上げますよ」
 クジマは大きく足を動かすとセリカと距離を詰め、そしてそのまま手を伸ばし彼女をベッドに押さえ付ける。セリカは慌てて彼を引き剥がそうと必死に手を動かし抵抗するが、やはり女性の様に見えても男性なのか、いとも容易く彼女の腕を捉え自由を奪ってしまう。腕がびくともしなくなったセリカがどうしようかと頭の中で思考を巡らせているとあろう事かクジマは彼女の手を掴み無理矢理自分の体に触れさせた。
「な!?何、を…!?」
「…ふふ、気付きました?私はここに来る前まで軍人として戦地を転々としていたんですが…数年前にちょっと大変な目に遭いましてね。その後、先日のギロク博士のテロ騒動もあって、すっかり普通の女性に興奮しなくなったんです」
「……え?」
「言ったでしょう?プライベートな秘密を教えて差し上げますって。これ以上貴女にここを触られようが握られようが、残念ながら私は反応しませんので」
 じゃあ、帰りましょうか。とセリカの掴んだままの腕を引っ張り上げ彼女の体を起こすクジマ。セリカは何が何だか分からず混乱する思考をどうにか纏めようとしたが、次々と現れる疑問にそれは難しく阻められた。
「お着物、乱れちゃいましたね」
 伸ばされた彼の手を自分の手で制する。自分で直せますので、と一言言って着物の襟を正すと、クジマは満足そうに笑った。
「…それが正解です。ご自分で直した方が良い。不能だろうが、全く汚せないと言うわけでは無いですからね」
 物騒にも口にするクジマにセリカはゾッと顔を引き攣らせた。しかしそれでも、まだ何かが引っ掛かる。クジマが明かした秘密と言うのはこれで全部では無いのでは無いか。セリカはそんな風に思ったが、ここで追及する気にはならなかった。

 * * *

「アサギ、迎えに来ましたよ」
 クジマが声を掛けるとアサギはくりんと目を動かしてクジマを捉える。そして彼の姿を認識すると、見開いていた目を少し緩めた。
「クジマとセリカか…」
「どうでした?検査の結果は…」
「今日調べた分には特に問題無いそうだ。言葉の齟齬…あるいはもう少し突っ込んで組まれてるものを解析すれば分かるかもしれないが…」
「まあどちらにせよ、手は打たないと第三小隊からは離れる事になりそうですね」
 クジマの言葉にセリカはハッとアサギを見る。アサギは特に顔色を変えず、クジマもただ場を和ます様に笑うだけ。セリカはクジマの袖を引っ張った。
「あの、アサギさんは…第三小隊から離れる話が出ているのですか?」
「ええ、あまりに小隊長の指示を聞かないので、彼の思考回路がどう言う組まれ方をしていて指示をどう受け止めているのか、その結果次第では第三小隊から引き離す事も検討されています」
「そんな事…」
「聞いていませんか?まあ、私も小隊長がお一人で動かれていたので不思議に思って聞き出したところ教えてもらえたに過ぎませんが」
 セリカはバーティゴの険しい顔を思い出す。アサギの問題を彼女は一人で抱えていたのかと思うと言いようの無い遣る瀬無さに襲われた。同時に、そうやって気を揉む彼女を見ておきながら彼女に強要したのでは無いかとクジマを少しだけ軽蔑気味に睨んだ。
「それでも、流石に次小隊長の指示との齟齬があったら…その時は、第三小隊どころか前線駆除班、ひいては結社に残る事も難しいかもしれませんね…?」
 アサギを見つめながらクジマが呟く。アサギは肩を竦めながら「まあ、そうなったらそん時はそん時だ」と諦めた様に呟いた。
「ほう…?君は諦めが良いんですね…?」
「そう言う風に言うのか?知らねぇな。そもそも俺は機械人形だし、人間らしい感覚で話すとしたら…俺はテロで大事だった機械人形を自分の手で破壊している…だから、俺が何らかの理由で破棄される事になったとしても、そう言うもんだって受け止めてはいるさ」
 アサギの加入時の状況は知らないが彼のその様子にセリカは少しだけ胸を痛めた。何とかバーティゴに掛け合って最悪の事態は避けられないか、そう思った時だった。
「機械人形…アサギの姉機でしたっけ?」
「そうだ。よく知ってるな」
「確か…愛玩用でしたっけ?」
「ああ、そうだな…」
「それはどう言う意味での愛玩用だったんです?」
「…俺は屋敷の中で主人と会うのはそんなに多く無かったし、直接ウェンズデーの仕事は見ていないが…?」
 セリカは「このタイミングで一体何を聞いているのだろうこの人は?」と言いたげな目でクジマを見た。クジマの下手をすれば女性以上に長い睫毛も、綺麗な笑い方も、発言と彼の抱く思いとを照らし合わせると途端にグロテスクに見えたのだ。

彼岸

「お前は…私の言う事が何故聞けない!?」
「当たり前だろ!?お前の指示より目の前で優先すべき事を書き換えちまう程アイツらは弱いんだよ!!」
 突如として廊下に鳴り響く怒声。第三小隊小隊長とメンバーである機械人形が一触即発だなんてどう止めたら良いのだろう?突然の事で皆が手も足も出ず、祈る事しか出来ずにいた。
 先に手を出したのはバーティゴだった。生身の腕でアサギに掴み掛かる。アサギは刀を鞘から抜く事をせず、向かってくるバーティゴの腕に鞘をぶつけ威嚇する。しかし、彼女はそんな事で怯まず、アサギに尚も向かう。
 生身の足を軸に踏ん張り、攻撃を続けるバーティゴ。アサギも鞘に収めてあるとは言え刀を彼女にぶつける。バーティゴは義肢でそれを捌くと、アサギの首に手を掛けた。
「…このままお前の首を捻ろうか?鉄クズ…」
「俺は機械人形だ…人間と道理が違う」
「フッ…私だってただの女じゃ無いわ。林檎くらい握り潰せるわよ?」

 こんなにも似た見た目をしているのに。
 こんなにも意思の疎通が図れるのに。
 それでも矢張り人と違う感じがして、生き物では無いのだと痛感する瞬間を何度も見た。

 アサギはひとしきりバーティゴからの攻撃を鞘でいなすと、パチクリと感心した様に目を瞬かせた。しかしバーティゴは、変わらず焦点の定まらない目をアサギに向けた。
「バル…バルは、強いんだな…その瞳じゃまともに物が見えていないだろうに…」
「…人を強いか弱いかだけで見るんじゃない…それで弱いと見做された者をお前はどうするつもりだったんだ…?人間はな、簡単にパーツを変えられる存在でも替えの利く存在でも無いんだ!!」
 アサギは純粋に分からないと言いたげな目をキョロキョロ動かすと、再び始まったバーティゴの攻撃を捌きながら口を開く。
「でも、バルの腕と足はいくらでも替えが利くだろ!?」
 置かれてきた環境のせいか。結社に来たばかりの頃、アサギの人工知能は本当に赤ん坊の様に純粋で残酷だった。機械人形法があるからこそ物理的な手出しはしないものの、その言葉は時にナイフより鋭い。アサギの言葉を聞いてバーティゴの中で何かが崩れる。気が付けば、彼女は懐から取り出したコンバットナイフを握り、アサギの首元に刺そうと構える。
「やめて!!」
 普段しない慣れない大声を出した、そんな感じの絞る様な声が聞こえた。果敢にも二人の間に飛び出したのは、レモンシフォンの透き通る髪色が眩しい少女──ミサキ・ケルンティアだった。彼女はその細い体で止める様に間に入る。
「……貴女、前線駆除班…?」
「…そう、第三小隊小隊長、エレオノーラ・ブリノヴァ」
「小隊長…!?ならこんな…御法度だと知ってる筈…!!」
「…さあ?どうかしら。この一瞬忘れたわ」
「…何で…!?」
 この小さな少女の突入に感化されたのか、周りでただ見ていただけの人間がこぞって飛び出し、バーティゴとアサギの体を押さえ込む。
(チッ…こんな細っこい女の子が動かなきゃ自発的に動けない腰抜けばかりかしらここの野郎共は…)
「どちらにせよ、アサギは主人無しの言わば野良だから…それも含めて彼の進退はまた協議しなきゃいけない…だけど、どちらにせよもう貴女の傍には置いておけないとは判断されると思う…」
 ごもっともなミサキの言葉。バーティゴは取り押さえられながら諦めた様にふっと笑みをこぼす。
「ならついでにちょうど良いわ。私は機械人形は差別するわよ。存在が気に食わないもの。この鉄クズが抜ければ第三小隊は人間だけになる。この先、人間以外小隊にはいらないわ」
 機械人形を差別する。その言葉にどよめきが沸き起こる。ならば何故結社にいるんだ?と声を上げる者もいた。ミサキはやり切れない表情で二人を交互に見た。周りの人間はバーティゴの発言に顔を顰めるが、彼女だけは「アサギはアサギで問題である」と言う事に気が付いていた。しかし今、バーティゴだけがこの瞬間悪者の様になっている。そんな事をして彼女に何の徳になるのか。ミサキはバーティゴに声を掛けようとしたが、彼女は「しーっ」と指を当てただけ。ミサキの疑問は飲み込まれ、聞かれることは無かった。

 * * *

「お姉様…お姉様の手はとても綺麗ですね…」
 真夜中。今日も変わらず部屋に来たクジマは疲れて気怠げにしているバーティゴとは正反対に、行為後にも関わらずキラキラした瞳を彼女の体──義肢に向けた。
「相変わらずね…毎日見てて飽きないの?」
「いいえ…飽きません」
「そう…」
 バーティゴは、クジマからどんな目を向けられているか知っている。彼の身に何があったのか、そして今どんな状況になっているのかも。
「やっぱり…私は機械人形を好きにはなれないわ…」
「はい?」
「何でも無いわよ」
 そう返事をしたが、クジマと目が合う事はない。
 クジマは機械人形偏愛症ヴィニズムだ。そして厄介な事に死体愛好ネクロフィリアの気もあった。
 正確には何年も前、衛生兵として戦地に向かい、襲撃されて地獄の様な地で何日も過ごした後に機械人形偏愛症ヴィニズムになってしまった。仲間の骸と破壊した沈黙した機械人形に囲まれた状態で発見された彼は、その時既に壊れてしまっていた。戦地で心に傷を負う者も、それにより歪んでしまう者もバーティゴはよく知っていた。同じ様な立場でよく見ていたからと言って、そう言う人間が結社内にもいた時に全て受け入れて小隊長である自分が過去の問題まで抱えて行こうなんて言うのは驕りがあった。
「クジマ…」
「はい?」
「ごめんね、ごめんねクジマ…私も責任を一緒に被るから…だから」

 助けられなくてごめん。
 その言葉は上手く言えない。
 だから彼にも届かない。
 それで良い。

 クジマがセリカに反応しなかったのは、偏に彼女が普通の女性だったから。夜な夜なバーティゴを求めたのは、彼女は腕と足半分が機械で出来ていて、しかも顔にも傷痕があり目は死んだ人間の様に白く濁っていたから。クジマの目には、もしかしたらバーティゴは生きている人間として映っていなかったのかもしれない。
 今更それを追求したところで、誰も何も得をしないとバーティゴは分かっていた。だがどうしても、けじめとして彼と分かち合わねばならない事があった。
「クジマ…」
「…何ですか?」
「本当お前は分かりやすいわよね…お喋りが多いと、急に人間を感じて萎えるのね」
 残念ながら、アサギはもう第三小隊には戻らないわよ。
 バーティゴの言葉をクジマは目を見開いて聞いていた。
「…アサギの勝手な行動は勿論アイツが自ら引き起こした事ではある。けど、あんなに表立って目立たせてたのは、お前だったわね?報告書をやたら仰々しく書かせようとしたり、他班にアサギの失態を漏らしたり。機械班へのアサギの点検も進めていたけど、それも他班に第三小隊の抱える問題を見せ付ける為。お前はアサギの…人間で言うなら屍体が欲しかったんでしょう?」
「……お姉様?」
「これは私の失態ね。お前からアサギを守ろうとして、お前自身も守ろうとして、結果どちらも守れず…だわ。あちらを立てればこちらが立たぬなんて分かっていた筈なのに」
 でも今日でそんな中途半端は終わり。
 私はどうしようもなく中途半端な存在だけど、まだ生きている人間だ。
 クジマを彼岸から呼び戻したかったが、それは私の仕事じゃ無い。
 自分の仕事であると思い込んでいた、その驕りがクジマを取り戻せない要因にしてしまった。
「お姉様…?」
「クジマ、ごめんね…」

 日が昇ってすぐ。
 バーティゴは彼を拘束すると先に話をしておいた結社の上層の人間と共に彼を連れて精神病院へと向かう。
 後から上がった話だが、アサギに関する報告の中にはクジマによって誇張され事実と異なる物が多数存在した。
 これをまともに間に受けていたら、今頃アサギはスクラップ行きだったかも分からない。そんな内容だ。
 しかし、アサギに足りない部分が多過ぎるのは確かであり、同時にバーティゴに制御し切れるものではない事もまた確かだった。
 バーティゴとクジマが共謀してアサギを陥れようとした、と言う疑いは晴れたのだが、演習中や実戦で何かとバーティゴが機械人形であるアサギを優先して犠牲にしようとした事実も深々と掘り下げられてしまう。
 機械人形にも個性や成長スピードがあり、時として子供の様に一から教えてやらねばならない事があると言う事を彼女は放棄していた。機械だから最初から出来ていて当たり前だと。彼女がどうしようもなく機械人形と相性が悪い思想を持っていると言うのは逆に浮き彫りになってしまった。

次やったら茸三昧にします

 アサギが第三小隊からロナ・サオトメ率いる第四小隊に移り、彼とも彼の下に居たメンバーとも相性が良くやって行けてると言う話が出て久しい頃、バーティゴはようやく全てから解放され第三小隊に顔を出した。
「お姉様…!!」
「ああ、セリカ。迷惑掛けたわね」
 駆け寄って来るセリカをバーティゴは優しい目で見つめる。疑惑が晴れるまで小隊長の任を解かれていたバーティゴ。ここ数週間の間、上層部は彼女とクジマとの関連性を全て精査する必要があり、重要参考人である彼女を易々と任務に就かせる訳にいかなかったのだ。
「お姉様、どうして渦中にいらっしゃった時何も言って下さらなかったのですか…?」
「…驕りがあったのよ。私と同じく戦地を渡っていたクジマ。あの子みたくショッキングなものを見て性癖から何から歪める人間は何人も見ていた。だから、その片鱗が見えた時にアサギの事もあって…極力自分で解決しようとした…ここまでクジマが重症だと思わなかったのよ。日常のやり取りに支障なかった様に見えたしね。でも、セリカにも嫌な思いさせたわよね」
 そう言われ、セリカはクジマと二人きりになった時の事を思い出してかぁっと頬を赤らめた。アイツ自分の触らせたって?嫌ぁねあの変態、とバーティゴは笑いながら言うが、その後すぐにセリカの体に腕を回すと彼女を片手で抱きしめた。
「…怖かったわよね。ごめん」
「いいえ…奇怪しな事をなさる方…とは思いましたが…」
「それでも、私が早く上層に掛け合っていれば少なくとも受けなくて済んだ事よ」
 バーティゴの帰りを待ち、第三小隊は新たにメンバーを集め仕事前のミーティングを始める。そこには皆が頼りにしていた軍隊上がりのクジマ、前主人の元でボディーガードをしていたアサギの二人の姿は無かった。
「お姉様」
「なぁに?」
 ミーティングが終わり、セリカはバーティゴに声を掛ける。彼女のその様子から多分お小言を貰うだろうなとバーティゴは思った。
「お姉様、まだ一つだけ腑に落ちません」
「何が?」
「ミサキ・ケルンティアさんに止められた時です。お姉様がいきなりアサギさんを怒鳴り付けて、手を出したと聞きました」
「そう」
「…本当の事を教えてください。アサギさんの印象を少しでも『被害者』の方に寄せようと、お姉様敢えて動いたんじゃ無いですか?全て分かっていて…」
「……」
「やっぱり…そうですよね…?」
 機械人形であるアサギに問題行動が無かったと言ったら嘘になる。だが、結果として隊の秩序を乱したのは、事を大きくしたのは人間のクジマだ。機械人形は好きでは無い。が、どうするのが第三小隊全体の為かは冷静に見る事は出来る。
 だからバーティゴはその様に動いた。そして近くで見ていたセリカもその為に動いたであろう事は分かっていた。セリカはバーティゴの無言を肯定と見做し、俯いて泣きそうに声を上げた。
「お姉様…こんなに心配掛けて…」
「ごめんね…」
「いいえ、セリカは今回の事許しません。ごめんで済んだら軍警はいらないです。次一人で抱え込んで間違った判断を下したりしない様に、戒めとしてお茶請けにきのこ料理を絶対一品用意します…!」
「それ…嫌がらせ極まりないわ…」
「今回の事を忘れない為に、ですよぅ」
 歪みに歪んだ第三小隊は、やっと秩序を作り始めた。クジマはパラフィリアと診断され未だ病院に居る。アサギはバーティゴよりも機械人形への理解が深いロナ・サオトメ率いる第四小隊へ異動した。この二人の行く末を大きく動かす事態を引き起こしてしまった事はバーティゴの心に影を落とした。
 上層部からアサギへの接近禁止も受けていたバーティゴ。彼女はアサギがPL-pluginを無事外し、本来のポテンシャルを取り戻した頃に一度彼に会いに来る。

 彼女の薄ぼんやりした目に、その時彼の姿はどう映るのだろうか。