薄明のカンテ - 療養中の不良患者/燐花

医療班の朝は定刻通り

 …と言うわけもなく。
 この日担当のヴォイドは珍しく三十分も早くつかつかやって来ると遠慮無くカーテンをシャッと音を立てて開けた。
「生きてる…?」
「い、生きてますが…!」
 大袈裟なまでにびくりと体を震わせ荒く息をしながら布団の中でもぞもぞと動くロード。ヴォイドは疑問を浮かべながらさっさと消毒の準備を始めようとするものだからロードは少し涙目になりながら抗議した。
「あの…いつもよりうんと早くありません…?」
「んー…うん。たまたま三十分早く起きたからかな?何か仕事始めるのも三十分早くなった」
「いやいやいや!そこは患者に合わせてズラしてくださいよ!」
「はい、布団剥ぐよ」
「ま、待ってください収まるまで駄目です!駄目!」
 慌てるロードにヴォイドはじっとりした目を向けた。でもこれは流石にロードが正しい。自分の起床時間を三十分前倒しにしたからと言って患者まで前倒しに叩き起こしにくる医療従事者がどこに居る。
 しかしはたと良からぬ事に気付いたロードは急に熱を持った視線をヴォイドに向けると口元をニヤリと歪ませた。
「ああ、そうですよ…無理に萎えるまで待つ必要ないじゃないですか…。うふふふふ…良いですよ、布団剥いでも…。もうちょっとでイケそうでしたし私はヴォイドになら見られてするのも興奮します…!」
「え」
「と言うか、まさかこんな早く来られて寸止め食らうと思わなかったんでもう何なら先にイかせてください…!あ、久しぶりに貴女の可愛い手でヌいてもらうのも良いですね…!」
 妙なスイッチが完全にオンになったロード。ヴォイドは無の顔でそれを見て手元にあった枕を掴むと大きく振りかぶって彼の顔にスパーキング!!言っておくが、首の傷はまだ塞がっていない。
 これはまたアペルピシアが怒る事案だが、彼女は見ていないので無かった事にする。
「逝かせる事なら出来るけど」
「……貴女からならそれでも良いです…それ程までに愛してるんで」
「あ、それか治療の一環として諸々どのくらい抑えられるか抗男性ホルモン療法として抗アンドロゲン剤を投与…」
「何の治療の一環ですか!?それだけはやめて下さい!と言うか私は回数と頻度自体はちょっと人より多いかもしれないですけど普通に楽しんでるだけで日常に支障もきたしてませんし多少アブノーマルなものも好んで観ますが精神医学的にはいたって問題ない筈です!」
「あ。或いはハイヒールとヌード写真を同時に見せ続けて本当にハイヒールを見るだけで興奮するのか刷り込みの実験を…」
「何の或いはですか!?」
 こちらはこちらで変な実験スイッチが入ったヴォイドは思いつくまま口に出す。流石岸壁街で興味本位からロボトミーを始めただけある。ヴォイドにはそんな半ば危険な側面もあるのだと思い出した。そんなところも愛しているのだが。
 ロードは溜息をつくと一言「もう完全に萎えました」と困った様に笑いながら呟いたのでヴォイドはいそいそと消毒液の準備をする。
「ほら、変なやりとりしてる内にいつもの時間になった」
「…なりましたけども…」
「うーん…そんなにしたかった…?」
「え…?な、何ですか…?貴女から聞いてくるなんてそれは期待して良いって事ですか…?」
「なら、ハイヒールとスニーカーどっちが良い?」
「それさっきの実験の話ですよね?え?特定の無機物目の前に置かれる前提なんですか?」
「あ、じゃあ接種だけで終わるから抗アンドロゲン…」
「それ打たれたら私は死にます」
 楽しみが無くなるじゃないですか、とぶつくさ呟くロードに消毒を施す。後は抜糸を待つばかりか。最初に見た首の傷は結構深かったので、ヴォイドは少しだけほっとした顔で傷を見つめた。
「どうしました?首、何かなってます?」
「ううん…」
「それとも…私の首筋にセックス・アピールでも感じました?」
「…思う存分枕投げられるなって思った、今」
 この減らず口め。
 顔に喰らえ。
 首ぐきってなれ。

駄目ですよねぇ?

「ロードさん?随分と長いトイレでしたよねぇ?」
 トイレに行く。そう言って一度外に出、戻って来たロードに対しニコニコと笑顔を絶やさずアキヒロは呟いた。
「…い…色々溜まってるもので」
 何だか彼の顔を直視出来ず、思わずロードの目が泳ぐ。やっと絞り出したその言葉を聞き、うんうん頷いたアキヒロはまたにこりと微笑んだ。
「おや、便秘気味ですか?んー…何だかんだ療養は慣れない生活でしょうし、ストレスによるものなら多分一過性ですねぇ。今処方している抗生剤の副作用にそう言ったものは出にくいと思ってたんですけど…もし必要なら整腸剤出しますよぉ?」
「い、いいえ、そう言う『溜まってる』ではないので……」
「ですよねぇ」
 まさか理解して敢えて話をしていたとは思わず。ロードは驚いた顔でアキヒロを見た。女性の様に綺麗な顔から自分のしている話と同じものが繰り出されるミスマッチさ。なかなか悪くはないなと思ってしまうがおそらく彼は医療従事者の視点から見ているのだろうと考えを改める。
「うん、整腸剤要る要らないの話じゃ無いよなとは思いました」
 春の陽光の様なニコニコした微笑みを浮かべるアキヒロだが、あたたかい笑顔の筈なのに何かその向こうで責められている気がして、ロードはとうとう目線をアキヒロから逸らしてしまう。
「んー…まあ男性だしそう言う事情もありますよねぇ」
「え、ええ…私は割りと回数も頻度も多い方で…」
「なるほど確かに、それなら女性も常駐している医療班のベッドじゃ落ち着いて出来ないでしょうねぇ」
「ええ、まあ…」
「どうも今朝、ヴォイドさんは自分が早く起きてここに来たからなんて理由で随分早く朝の消毒に行っちゃったみたいですね。すみません、時間外に叩き起こしに行ったみたいで…」
「朝から彼女の顔を見れるのは幸せなんですがね…あんなに早く来ると思わずおかげで寸止め食らいました…」
「あはは、それは災難でしたねぇ。えー…と、日常生活にも仕事にも影響が出ている様な頻度ではなくいたって普通、と。此処で難があるとすれば、主に消毒を担当しているヴォイドさんが予想外の動きで無遠慮に入ってくる事がある、と言う事ですかねぇ?」
「え、ええ…」
 ロードは思った。何故怪我と関係ない事でこんなにも真面目にアキヒロは取り合っているのだろうと。しかし、それがあくまで含みである事に気付くのはアキヒロに核心を突かれた時だった。
「なら良いでしょう、と言ってあげたいところですが…どうにも臭いがしましてねぇ…?ダメですよねぇ?それは…」
 最初の整腸剤の話から遠回って核心に迫ったアキヒロ。先程から責められている様な感じがしたその正体はコレかとロードは納得する。消臭スプレー等諸々気を配ったが、縫われた足で喫煙所まで行けないからと言って流石に近くのトイレでタバコを吸うと言うロードの魔が差したそんな行為を見逃すアキヒロでは無かった。
「やっぱりバレますよねぇ…?」
「はい、いけません。療養中一週間はここのルールとしてダメですよって言いましたよね?他にも患者さんは居ますし、もしかしたら臭いで気分が悪くなる方も居るかも分かりませんからね」
「はい…申し訳ありません…普段こんな事しようと思わないんですが…」
「分かればよろしい。ロードさん、貴方少し前まで禁煙されてたみたいですが…また始めたんですねぇ」
「ええ、幸い今も吸わないからと言って口寂しい以外特に禁断症状が出るわけでは無いのですが」
「あ、じゃあ今日みたくトイレと偽って吸いに行かなくても本来大丈夫なんですねぇ。医師としては推奨出来ませんが、完治して思う存分吸える事を考えたら療養中の我慢くらい何なんでしょう?ねぇ?ロードさん」
 アキヒロはやや棘のある言い方をするので珍しく彼が相当怒っているのだとロードは分かった。
 顔立ちの美しい人が怒る様は、なかなか圧があり怖いものがある。
「す、すみませんでした…」
 この歳で隠れてコソコソトイレでタバコ吸って見付かって怒られて。中学生かとロードは己にツッコミを入れる。アキヒロは尚もニコニコ笑っていた。
「ふふ…あんまり目立つ事する様なら…男性だから少しはと思っていましたしヴォイドさんにも今日みたいな事をしない様に言って聞かせようとも思いましたが…そっちの理由でも寛容にさせてあげませんよ?」
 オーケー出してまたトイレでタバコ吸われても困りますからねぇ、と微笑むアキヒロを前にロードはサッと血の気が引いた。
「そ、それだけは…それだけは勘弁してください…!」
「分かったなら、その懐に入っている残りも出して下さい」
 ポケットからタバコを取り出すとアキヒロに手渡す。アキヒロはそれを受け取るとやっと本来のあたたかい微笑みに戻した。
「はい、無事没収です」
「…本当に怒られた学生みたいな事になってますね、私…」
「そうですよ?まあ、まずは早く傷治しましょうねぇ。タバコはともかくとしてそっちは別に…回数も許容範囲なんでしょう?平均的な回数や興奮材料が普通であれば特に体に悪い事はありませんし、察する事くらいはしてあげます」
 その言葉に何だか男同士の友情めいたものを感じ、改めて深々と頭を下げるロード。
「…お気遣い痛み入ります」
「ただし、それでまたタバコやらお酒やらやったら…本当に全部アウトにしますからね?」
 そう言い放ったアキヒロの笑顔は、何だか驚くくらい綺麗で、でも圧が凄くて。
 ロードは何故かその日、彼の笑顔を夢に見てうなされた。
「ロッシ先生…もしかしたら医療班で一番怖い人かもしれませんねぇ…」
 アキヒロはロードのそのぼやきを聞き、「僕なんて甘過ぎるくらいですよぉ」と笑った。