薄明のカンテ - 龍虎、乱れ舞いその後/燐花


花の花たる所以

午後。タイガはサリアヌに深々と頭を下げるロードを見た。何をしていたのかこの日珍しくロードは昼休憩が終わっても帰らず、業務の滞りを心配したサリアヌが近くを通ったロナに頼んで連れて来てもらったらしい。上層部には決して通さず違う課のロードに手を回したのはサリアヌなりの優しさだった。
「ご心配お掛けして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるロード。サリアヌはふぅと溜め息をつくとその細く美しい指で頭を下げたままのロードの髪の毛に触れた。
「…随分と御髪が乱れてますわ。いつもはきちんと整えてらっしゃるのに」
「し、少々はしゃぎ過ぎまして…ナシェリさん、指が汚れてしまいますよ。そんなに触れずに…」
やんわりとロードがサリアヌを制止すると、サリアヌはそれを見てふっと笑った。
「ふふ。貴方、いつもの調子から凄く大人な方なのかしらと思っていましたが…意外に子供みたいな事もなさるのね」
「…バレてます?」
「私が彼に探す様お願いしたんですもの。当然何をしていたか、報告も受けますわ」
貸し一つですわよ。そう言って微笑みながら席に戻るサリアヌ。ロードは呆けた顔で彼女を見つめていた。
「(は、花だー!!)」
「(やはりサリアヌさんは花だー!!)」
その日、人事部はサリアヌのいつもの大人で淑女で且つとてもお姉様な振る舞いに歓喜した。中には課も違うのにこんなに世話を焼かれているロードに恨み言を言う者もいた。そしてロードの珍しくワイルドに乱れた髪を見て本気で何があったのかと少しざわざわした。
「程よく乱れた髪…」
横で見ていたタイガは何を思い立ったか少しだけ髪を乱してみる。しかしこの様子はまるで。
「タイガ?寝癖作ってどうした?」
同じ課の仲間からそう言われ、タイガは静かに鏡をしまった。

ぼく何もしてないのに!

医療班に無事戻ったネビロスは少しだけアペルピシアに怒られた。「ちゃんと準備運動した?」「急に動いて怪我したらどうするの?」ひとしきり業務に関する事を言われたが、最終的に母の様な叱り方をされてネビロスは少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
ミアはそんなネビロスを横目に見て心配そうに、でも普段見ない様な彼の姿を見てこっそり微笑む。
「…何か良いことあった?」
「あ、ヴォイドさん」
「…拾い食いでもした?」
「し、してないです!してないです拾い食いは!」
「冗談冗談。でも良い事あったみたいに笑うから」
ミアの隣に椅子を置き、ヴォイドはキィと音を立てて座る。少しだけ誰かと話がしたかったミアは嬉しそうに笑った。ヴォイドもそんなミアを見て優しく微笑む。
「ロードさんとお話したら意外とヴォイドさんが言う程変な人じゃなかったかも?って思ったりしまして」
ヴォイドはそんなミアに対し物凄く目を見開いた。
「…アイツに何か言われたの」
「何だか褒めてもらえちゃいました。愛の日に向けて頑張ってるかって話になって、ロードさんに五年後が食べ頃みたいに言われましたー」
「……は…?」
「五年後かぁ…もうちょっと早く美味しく食べてもらえる様にお料理頑張らなきゃですね!二十二歳くらいになったら今よりもう少し大人っぽくなってて、今より料理も上達してたら良い…」
流れが流れだったので、ミアはこう言う意味であろうと結論付けたらしい。しかし振り向いたらヴォイドは未だ彼女らしからぬ見開いた目をミアに向けていた。顔面蒼白のまま。
「ヴォイドさん!?か、顔色が!?」
「あれ?ヴォイドさん珍しいですねぇ、そんな顔して」
すぐ傍にいたアキヒロがやんわりと穏やかに声を掛ける。ヴォイドはそれを聞くや否やガバッと大袈裟にミアの体を抱き締めた。
「え!?えぇ!?ヴォイドさん!?」
ぎゅううううと音を立てんばかりにミアを抱き締めるヴォイド。見た事ない彼女の行動に驚いたやら照れるやら。どうにも動けずミアが慌てていると耳元で、しかしアキヒロにも聞こえる声でヴォイドは呟いた。
「今すぐアイツの皮を剥いで丸焼きにする…!」
「急に!?」
「ヴォイドさんが怒ってるって珍しいねぇ、何だかとても物騒だけど」
「今すぐアイツの皮を剥い──!!」
「分かった分かった、良いけどヴォイドさん、お仕事始まるまでに顔戻してくださいよぉ。物騒な事言うのも禁止です」
その日、ヴォイドの処置はいつになく荒くなり、結果として怪我の手当てにやって来たエリックが犠牲になった。常々彼女の処置の荒さに悲鳴を上げていたエリックだが心の傷口を更に深くする結果となったらしい。
「何でぼくの時だけいつもこうなんですか!?」
悲鳴にも似たエリックの叫びが少しだけクレームとして社内人事課に届いた。

受難のクズ

残業も終え、飲みに行ったロードはそこで出会った女性を今まさに部屋に連れ込もうとしていた。結社内にも勿論女性はたくさんいるが、一夜限りの関係でゴタゴタは起こしたくないし内々で痴情のもつれは起こすべきではない。手を出すなら外部でと彼はそう決めている。
「本当に部屋入って良いのー?」
濃い化粧をした女性にそう言われ、ロードは形だけ笑顔を作った。
「ま、場合によってはもう会わないかもだし少しくらい良いよね?」
「いっそ清々しい程のワンナイト精神で」
「だってイケメンでもヘタクソだったら続かないじゃん?」
「言ってくれますねぇ…」
そんなやりとりをしていたロードの視線の端。都市伝説にもなっている怪談話の赤い女の如く何故だかいる筈のない青い彼女、ヴォイドが居た。
「………」
ロードは貼り付いた笑顔のまま部屋に女性を残しドアを閉めた。
いけない。これはいけない。会えたのは嬉しいが今じゃない。今のこれは最悪のタイミングだ。
カツカツと音を立てて近付いてくるヴォイド。響く靴音が怪談話の様に思える。ロードはドアを背に回しヴォイドに向いた。
「こ、こんな夜更けにどうしたんです?」
「…お前に会いに来た」
今じゃない。何故今だ。と言うかこんな事になるなら今日飲みに行かなかった。
頭の中でやり直すならどこからが良いかと現実逃避な思考をぐるぐる巡らしていると知ってか知らずかヴォイドが口を開いた。
「…今日はいつもみたいに変に向かって来たりしないんだ?」
向かいたいです向かいたいですとも!ただこちらの都合と言いますかタイミングが正に最悪で!
と、言いたいが言えない事をぐっと堪えるとヴォイドは「それはそれで良いや」と言いながら目をキッとロードに向けた。
「今日、ミアに変な事言ったでしょ?」
「へ、変な事ですか?」
「食べ頃がどうの」
「ああ…言いましたかねそんな事…」
「言っとくけど、ミアが気付いてなかったにしても今後変な事言ったら許さないから」
「…どう仕置きしてくれるんです?」
「皮を剥いで丸焼きにする」
「蒲焼きじゃないんですから…」
会話を交わしながら尚も思う。何故今なのか!?叶うならばこのままヴォイドを連れ込みたい。うしろで開けろとばかりにドアをガンガン叩いている女性と出会う前に本当に戻りたい。
「…何かドアうるさいけど。誰かいるの?」
「と、友達と宅飲みでもと思いまして…その友達ですかねぇ…?」
「ふーん…」
そしてそんな時に限って、いつもそっけないヴォイドがなかなかに可愛い反応をしている。
いや、友達と宅飲みと聞いて「じゃあ早く切り上げなきゃいけないかな?」みたいな反応はいけない。
「今日はミアの事もあるけど、私…ずっと聞きたかったの…何で急に居なくなったんだろうって…」
「…ヴォイド?」
「だってやっぱり、何も言わないのは辛かったから…」
こんなしおらしいヴォイドを見てロードがとんでも無い事になったのは想像に難くない。
しかし後ろは怒涛のドア叩きラッシュ、目の前にはしおらしいヴォイド。これはどうしたものかと瞬時にしてロードの頭の中は軽くパニックになった。
「あ、あの時は本当に…私も思うところがありまして…でも、またいずれ落ち着いた時にしっかり話をしたいとは思ってます…最低な事をしたなと…き、今日そんな貴女を見て冷静で居られる自信がないんで…酒も入ってますし何するか分かりませんし…どこかで十年前の弁明をさせていただけたら…」
「良いよ、今は。友達来てるんでしょ…無理に今日とは言わない…」
そんなロードを見てヴォイドの顔が少し緩む。以前会った時みたいな嫉妬に駆られた彼の目でなければ、別段怖がらず話せる事に気が付いたのだ。
それよりも、あの時があまりにも怒涛過ぎて、自分達に一体何があったのかをしっかり確認したかった。
「本当、相変わらずだね」
「うふふ…貴女と離れてからぽっかり穴が空いたみたいで…私はもう十年間時間が止まった心地ですよ…過ごした時間が短い割に色んな事がありましたから…でも、私も伝えたい事はちゃんとあります。謝りたい事も今だから言いたい事も…謝って済む事じゃないとも思ってます。けど、本当にそれだけは」
「うん…じゃあまた今度聞く。とりあえず今日はそれだけで良い。おやすみ、ロー…」
ヴォイドがロードの名前を呼び掛けたその時。後ろでガンガン鳴っていたドアがとうとう開いた。
「ちょっとー!!何で急に閉じ込めんのよ!?アンタ入って来ないし部屋に入れられたまま放置されるし何が起きたか…アレ?」
女性の目の前に広がるのは、ずっこけたロードと下着の様な格好で状況を飲み込めずぼーっと立っているヴォイドだった。
「え?ヤダ、もしかして修羅場!?」
「へぇ…『お友達』ね……この化粧の濃いホルスタインがお前の『お友達』ね…」
「え!?アンタもじゃん!?急に失礼だしビックリしたわー!ウケるー!」
「ふーん、道理で今日あまり下品な事言わないと思った…別に私とお前、何の関係もないんだから隠す必要無いのに…何動揺してるの」
死ぬしかない。
ロードの頭にそんな言葉が過った。駄目だ。顔を上げたいがヴォイドの顔がまともに見れない。打って変わってやけに棘のある言葉を放つヴォイドがどんな顔をしているか。想像したら冷や汗が止まらない。
「ヴ…ヴォイド…これはですね…私も貴女が好き過ぎるあまり不器用に振る舞うしかないと言いますか…」
しどろもどろ起き上がり口にしたロードの鳩尾にヴォイドの拳が炸裂する。せっかく起き上がったロードはもう一度床に沈んだ。あれだけネビロスから掌底を食らってもびくともしなかったロードだがどちらかと言うと精神的なダメージの方がやはり大きいらしい。
「マジ修羅場じゃん!ウケる!」
「お前はお前で煩い」
「失礼過ぎウケる!」
「ヴ…ヴォイド…待ってくださ…」
「知らない。ローブローでなかっただけありがたいと思え」
足でロードを一つ小突くとヴォイドは颯爽と去っていった。
やっぱり、アイツは口ばっか調子良くて、きっとミアにも同じ感じで言っていたに違いない。好きだの何だの、いつも嘘ばっかりだ。
そんな嘘つかないと何も言えないのかアイツは。
その場凌ぎの嘘ばかり。
アホ、バカ、のたれ死ね。
せっかく今日話そうと思ったけど、知りたい事があるからそれはどこかで聞くつもりだけど、それでもやっぱりしばらく口利かない。
…あ、やっぱローブローキメてやれば良かった。
ガツガツ来なければ普通に喋れると思ったけど、と言うか普通に喋れたけど。
やっぱりしばらく知らない。