薄明のカンテ - 裏切りーーオルヴォの場合/涼風慈雨
「自分の子供は欲しくないんですか?」なんて事を三十路を過ぎて言われるようになった。
オルヴォ・ワシレフスキー、31歳、独身。彼女無し。職業は保育士。
ある人に言わせれば訳あり物件なんだそうだ。
綿毛のような栗色の髪で童顔なのに女の影すら感じないのは実は性格に難有りだとか、妙なこだわりが強すぎるんじゃないかとか、ゴシップ好きな同僚の話のネタにされていた。
正直、煩い。余計なお世話だ。ぼくの人生だ、人の幸せを押し付けるなと。
でも、それを言えば角が立つ。
そういう時は営業スマイルで「子供は好きだけどさ、自分ちと他人の子は扱いが違うでしょ?ぼくに嫁さんとか子供がいたら、園の子と同じように面倒見てあげられないのは可哀想だと思うんだよね。」と言う事にしている。
本音で言えば恋愛も結婚も面倒くさい、プライベートが確保されないなんて無理!なのだが。それに、ぼくの守備範囲は6歳以下の子供。じっくり一人を育てるのは性に合わない。

「えー、老後に面倒見て貰えないですよ?」なんて事を次に聞いてくる輩もいる訳だが、それも「煩い」。子供に面倒見てもらうなんて誰が決めた訳?仲のいい友人達とワイワイ言いながら老老介護すればいいんだよ。好きな作品を語り尽くしていけたらいいじゃないか。
でも、それも角が立つ。
だから上級営業スマイルで「子供は物じゃないよ。一人の人間なんだから、最初から期待するのは可哀想じゃない?」と言っている。嘘ではない。一番の理由ではないというだけだ。

両親からは「人の道にそれる事でなければ好きに生きなさい」と言われていたので気楽と言えばそうだった。電子世界には趣味の話でオフ会ができる友人がいる。今の職場の保育園も、ゴシップを除けば良心的で居心地がいいところだから、割と恵まれた人生だと思う。

ある意味特殊と言えばーーぼくの趣味だろうか。もちろん、ある人が言うには、だが。
ぼくの趣味は特撮とアニメ鑑賞だ。人の道にずれたことではないし、胸張って言いたいところだが、どう言うわけか世間的には風当たりが強い。……それはもう、絶望的なくらいに。
食玩のフィギュアやメタルのカードを買いに行くと微妙な空気が流れるし、キーホルダーを端末につけていれば怪訝な顔をされる。挙句には園児達に「せんせいも、それ好きなんだよ!」と言うと「おとななのに?」「せんせー、あわせなくていいんだよ。」なんて言われる。正直、この時ばかりは死にたくなった。そこは無邪気に喜んでくれよ、と。
それを乗り越えられたのは、電子世界で知り合った同じ特撮仲間がいたからだ。
一人じゃない、決して後ろめたい事はないと思えた。仕事の合間にオフ会をしては語り合って円盤何周もした。話に出てきた謎の鍋の再現をしたりもした。キャラクターショーもいわゆる“聖地巡礼”も行った。指先の器用さを活かして、グッズ化されなかった怪人のキーホルダーも作った。スーツアクターのリリィ・エンドの出演作品を追いかけた時もあった。

楽しい日常が続く間は、それがいつか終わるなんて考えない。
いや、考えたくないのかもしれない。もちろん、類にもれずぼくもそうだった。

始まりは電子世界で汚染がばらまかれた時だったのだと思う。
少なくとも、当時のぼくは「またイキリたいアホが出てきたな、さっさと捕まえろよ軍警」と軽く考えていた。カンテの技術は世界一を謳って数年が経過して、電子世界上の犯罪対策や逮捕もお手の物だったからだ。
どうも雲行きがおかしいと気づいたのは翌朝、機械人形が暴走して街から消えたニュースが放送された時だ。ニュースで映っていた街は聖地巡礼に仲間と訪れた場所だったせいか、妙に現実味がなかったが、ただ事でない事は確かだった。「国内の47%の機械人形が暴走した」という数字がやたらと頭に張り付いて離れなかった。
いつも通りに保育園に出勤すると、数枚のガラス戸が粉々に砕けて散らばり、保育用機械人形達が居なくなっていた。辛うじて確認できた足跡は敷地の外へまっすぐ伸びていた。
引摺られた跡もなければ抵抗した形跡もない。機械人形達が自ら望んでガラスを破って外へ出たのは明白だった。
少なくとも、園児に怪我がなかった事だけを喜ぼうと思いながら同僚とガラスを片付けて、穴の開いた箇所に段ボールを貼り付けた。好奇心旺盛な園児達がどうでるか分からないが、できるだけ割れたガラス戸に近づかない様に全力を賭すだけだ。

その日の正午に最北端の町、ミクリカが大規模テロに見舞われた。
様子を伝えるニュースキャスターの淡々とした声の情報から、テロというより虐殺だと思った。手元の端末で事件について幾らか漁ったがまともな情報は何一つ見つからず、不安がる人々の声と真偽が混じったような噂ばかりが目についた。幸い、ここはミクリカから遠く離れている。今すぐこの園の子供達に危険はないだろうと判断すると同時にミクリカの事件に巻き込まれた幼き命を思い、気が重くなった。
翌日には首謀者を名乗る人物の動画が動画投稿サイトにアップされたらしい。
その中で次のテロ予告もされたというが、本当に起きたかどうかぼくは知る由もなかった。
仕事を終えて帰宅した後の通信速度が異様に遅くなった夕方では動画内容もきちんと見ることは出来ず、その挙句翌朝に電子世界は使えなくなったからだ。
ミクリカに住んでいると言っていたフォロワーや友人たちの安否すらわからない。
ミクリカの事件が報道された際に一応メールを送ったが、反応がないままだった。
町から機械人形が消え、機械人形に対する人々の信頼は地へ落ちていった。機械人形を多数採用していた職種も、生産販売していた企業も、承認していた政府も、同じように信頼が下がっていった。テロを鎮圧できない軍警も芋づる式にだ。
そんな中でもうちの仕事は休めない。
機械人形がいなくなった途端、その分の仕事が増えるのは必然だ。言ってみれば、無断欠勤者が続出したのと同じ状態。どの企業も職種もその穴を埋めるのに大忙しで、いくら不安とはいえ子供とずっと一緒にいるわけにもいかず、預けられる子供が増えるというわけだ。
保育園も人出が減って大忙しで、割れた窓ガラスの修繕すら頼めていない現状なのにだ。
もっとも、ガラス屋も忙しくて連絡できても直ぐに来られると思えない。
多少ブラックな職場にいた事もあったけど、こんなに忙しいのは初めてだった。

最初に汚染が撒かれた日から6日ほど経って、単発のテロが報道されるようになった。
行き帰りには十分気を付けるようにと言われただけで、それ以上の具体的な指示は特にない。以前からテロが起きた時を想定した避難訓練はしていたが、それは人間相手の場合だ。
近所で一回テロらしき事があったが、それだけで登園自粛を呼びかけるわけにもいかず、相変わらず子供達は親に連れられて保育園に来た。
幼い子供ほど、周りの空気に敏感だ。怖いと泣く子もいれば、お喋りだった子が無口になる事もあったが、一番は周囲の不穏な空気を知りながら、気丈に振る舞い続ける子供たちに胸が痛んだ。子供の未来は常に明るくなければいけないのに。
どれだけ忙しくて大変だったとしても、どんな辛い私情があったとしても、それを絶対に子供に見せてはいけない。大人の事情で始まったことを子供に押し付けるわけにいかない。
そう思って保育士の仕事を続けてきたが、それも限界になりつつあった。
応援がどこからか来ることはなく、政府から支援もなく、まるで陸の孤島だった。
長く、大好きな漫画を開く時間すら取れていなかった。

事件は唐突に起こるものだ。
夕方、ほとんどの企業が定時を迎えて少し経つ頃合いがメインの降園時間になる。
子供たちは迎えに来た親のもとへ駆け寄り、手を引かれてそれぞれの家庭へ帰っていく。
遊びたりないとぐずる子もいれば、目を輝かせて親のもとへ走り寄る子もいるが、きっと、帰路の間に今日あった事をたくさん話すのだろうなと想像しながら親子を見送る。
たくさんの親子で保育園の門がごった返している中に、黒フードの人影が混じっていた。気味が悪いと軽く距離を開けるものの、誰も警戒していない。
異質な感じがしたが代理で迎えに来る人もいるので騒ぐ事もないか、と背を向けて建物に入った瞬間、絹を裂くような悲鳴が門から聞こえた。
何事かと外に飛び出すと淡い色の髪の人影が小さな丸太の端を持って片手でぶら下げていた。違う。丸太じゃない。あれは、子供だ。
淡い髪色の人物の目に赤い光が禍々しく輝いているのが離れたぼくの場所からも見えた。
子供は短い手足をばたつかせて必死に抵抗していたが、顔の部分がスイカを割るように潰れると軟体生物のようにぐにゃりと手足から力が抜けた。
あの子の親だろうか、必死で機械人形に掴みかかる大人も別の暴走した機械人形に投げ飛ばされている。逃げ惑う人、追いかけ首を絞め上げる機械人形。地面に叩きつけられる子供。
血の雨とか地獄絵図とかそんな汎用な言葉じゃ事足りない様相で人が殺されている。
目の前で、子供が殺されている。
助けなければ。なんとかしなければ。
いや、ぼくに何ができる?大人が投げ飛ばされている状況でぼくに何ができる?
逃げろと言ってもパニックになるだけだ。
他の大人たちも金縛りにあったように動かない。
本当に絹を裂いた事はないからどんな音か知らないけど、殺人現場の第一発見者役の人があんな声を出していたよなと痺れかけた頭の隅で考える。
脈打つように視界が揺れる。
「せんせぇ、お外で何かあったの?」
背後からひょいと顔を覗かせた園児がヒッと息を飲むのが聞こえた。
その瞬間、ようやく理解した。ぼくが何をすればいいのか。
叫びかけた園児の口を塞ぎ、その後ろにいた子供たちにこの子を連れて建物の奥へ行くように指示をする。近くでオロオロしていた同僚を急かして建物へ向かわせると門の内側にいたまだ無事な親子もはっと我に帰り、建物の中へ殺到して行った。
腰が抜けたのか一人、血の海の端で子供を抱えて座り込んだままの女性がいたのを見つけ、とっさに走り寄って肩を掴む。
「早く建物の中へ」と声をかけようとした瞬間、重い風の気配を感じ二人を伏せさせ、上に覆いかぶさった。
「狙いが外れちゃった」
聞き覚えのある機械人形の声に驚いて顔を上げると、つい数週間前まで同じ保育園で仕事をしていた機械人形がそこにいた。顔も手もどこもかしこも鮮血と体液に染まり、淡い色の髪はバサバサになっていたが、紛れもなく仲間だった機械人形だ。
「何で……」
「子供を守れない保育士に価値はあるの?」
「何を……」
「エゴの塊になんで付き合うの?」
呼吸をするように赤く光る目と視線がぶつかり、声が喉から出てこない。
恐怖と驚愕と虚無が渦巻くぼくをほんの少しの感情も見せないのっぺりした顔が見つめる。
「人間に価値はないよ」
そう言って腕を振り上げられた彼女の攻撃に耐えるべく、受け身の姿勢をとった。
だが、なぜか振り下ろされることはなく、おかしいと頭を上げた時は既にそこに姿は見えなかった。他の暴れていた機械人形たちも跡形もなく居なくなっており、血の海だけが広がっていた。
何がなんだかわからなかったが、とりあえず目の前の危険は去ったのだと詰めていた息を吐き出し、庇った親子を地面から引き起こす。
「暴れていた機械人形たちはいなくなりましたよ。もう大丈夫だと思います。」
話しかけても反応がない。顔を覗き込むと母親は目を大きく見開いたまま固まっていた。
彼女の首には絞めあげた痕が残っていて、抱えている子供は下半身がちぎれていた。
「ひぃっ!」
突き飛ばした遺体が血溜まりの中に沈む。
遠くから軍警のサイレンが聞こえていた。

ここから数日間の記憶は曖昧になっている。
軍警に聞かれた事を答え、怒る人々に謝罪し、今後の方針の会議があった事は覚えている。
肝心の内容はさっぱり覚えていないが、気が付いたら勤め先の保育園は閉鎖になっていた。
ろくに貯金もないのに収入源を絶たれては生きていけない。
早く次の仕事を見つけなければと思うほどに、暴れる機械人形達の光景がフラッシュバックして心に重くのしかかってきた。
持ち上げられた子供がトマトのように潰される様子を。
投げ飛ばされた大人が殴られて血を吐く様子を。
絶命した後の恐怖に歪んだ人間の顔を。
体が半分ちぎれた子供の様子を。
そして、その光景を見て恐怖に震える子供の顔を。
今日も一人、朝からベッドの上で膝を抱えて懺悔する。
仲間だったはずの機械人形に「子供を守れない保育士に価値はあるの?」と言われた光景も脳裏に張り付いて離れない。あんなに一緒だったのに。裏切りなんて認めたくない。
「保育士失格だ……」
子供たちを暴れる機械人形から守りきれなかっただけでなく、その光景を子供に見せてしまった。そんなぼくが保育士を続けていいはずがない。前の職場の悪評も付いて回る中でどうやって次の仕事を探せばいいのだろう。
相談したい友人達はみんな電子世界の向こう側で、連絡を取れない。
電話番号も詳細な住所も知らない。本名も知らない。
わかるのは顔くらいだけど、それが今役に立つわけではない。
八方塞がりな中で職業紹介所に登録だけしてみたが、紹介所も電子世界が使えない影響を大きく受けており、あまり当てにできる様子ではなかった。
貯金は1ヶ月分、持っても2ヶ月だ。
何をする気力も起きず、ずっと開いていなかった漫画本を手に取る。
悪の組織と戦う主人公。努力と友情と成功の王道の少年漫画。
自分が主役になれるなんて思う歳ではないけれど、ぼくが関わった子供たちの中に大きな夢を叶える子がいたらいいと思っていた。けれど。やはり、この世界に勇者も主人公もスーパーヒーローも存在しない。努力は実らないし強い絆で乗り越えられるものばかりではない。
溜息が漫画のページを揺らす。
そう言えば、忙しすぎて両親に連絡を取らずにきていた。テロが頻発しているというのに、ぼくの家族だけ無事なんて幻想は砂糖菓子より甘い話だ。
安否確認もしてこなかった自分を恥じながら実家に電話をかける。
もし皆んな死んでいたらと思うと、たった数コールがとてつもなく長い時間に感じた。
「もしもし?オルヴォ?」
「母さん……!!」
「オルヴォなのね?大丈夫?ちゃんと生活できてる?」
家を出た日から変わらない、柔らかな母さんの声を聞いた瞬間に心の堰が切れた。
熱くなった目頭から涙が止まらず、食いしばった歯の間から嗚咽がもれる。
「母さん……うん、大丈夫……」
ぼくは園児と親御さんの死を悼んで泣きたかったのだとようやく理解した。
今まで何があったかを怒涛の勢いで話すぼくを母さんは一度も遮らなかった。
話が前後しても相槌だけで何も言わずに最後まで聞いてくれた。
「大変だったね、オルヴォ。よく頑張ったと母さん思うよ。」
「頑張れたかな。」
「もちろん。オルヴォは出来ることを精一杯やった。失格なんかじゃぁないよ。」
涙と一緒に垂れてきた鼻をすすりあげる。
なんで母さんの言葉は素直に入ってくるんだろうな。
「こっちは変わりないから心配しなさんな。いつでも帰ってきていいんだからね。」
それからまたひとしきり話して、父さんの声も聞いてから通話を切った。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を洗い、頬を叩く。父さんも母さんも何一つ変わらない。
実家に帰る気は全くなかったが、一つの選択肢と考えた方がいいかもしれない。
もうそろそろお昼時だと思いつつ冷蔵庫を開けると、ビールが数缶あるだけでろくに何も入っていなかった。保存食の類は今、手をつけてはいけない気がする。他にあるのは戦隊モノのコラボお菓子だが、勿体無くて開封できない。仕方ない、近所のスーパーで買い出しだ。

テロが頻発しても生活必需品を売る店は営業を続ける。本当に感謝しかない。
自宅から5分ほど歩くと、スーパーと名のつく個人経営の店がある。
安く済ませるなら、もう少し行った先の市場で買った方がいいものもある。
値段と時間を天秤にかけると、値段の方に傾いたので市場まで足を伸ばすことにした。
まいったな、自転車でくれば良かった。
市場の近くまで来ると人の数が増える。少し怖さもあったが、行くしかない。
目の前を幼い子供が駆け抜け、人の波に消えていった。
元気に育てよと小さな背中に願ったその時、耳をつんざくような悲鳴と怒号が聞こえた。
「逃げろ!!テロだ!!」
走って逃げてきた人波に突き飛ばされ、ぼくは道路の隅に吹き飛んだ。
「痛ったぁ……」
そんな事言ってる場合じゃない、と立ち上がろうとしたら左足首に激痛が走った。
靴下をめくると足首は青黒く染まっていた。
「捻挫!?このタイミング最悪だよ……」
痛さでうずくまっている間に周囲からほとんど人の気配が消え、その代わり、金属同士がぶつかり合う鈍い音が聞こえてきた。
何の音だろうかと顔を上げると、数歩先で桃色の髪の人影が目を赤く光らせて小さな子供の顔を持って片手でぶら下げていた。あの日の様子がフラッシュバックし、鳩尾が冷えた。
「やめろぉぉぉおお!!」
腹の底から捻り出すような声がぼくの口から飛び出した刹那、赤い影が機械人形の腕を切り落とした。掴まれていた子供を空中で抱きとめた赤い影はバランスを失った機械人形の耳の穴に躊躇なく刀を突き刺した。
「これで、最後か」
そう言うと機械人形に突き刺した刀を引き抜き、腰から下げていた鞘にスラリと戻した。
力無く倒れる機械人形の目から赤い光は消えていた。
どこかで聞いた事がある。暴走する機械人形に抗い、機械人形と共に生きる未来を作ると謳う集団がいると。人の願望が生んだ与太話だと思っていたが、本物が今ここにいる。
「こちら、前線駆除班第4小隊のロナ・サオトメだ。暴走機体の鎮圧成功。子供を一人保護した。負傷者も一人確認した。そちらに連れていくので準備を頼む。」
無線と思しきインカムで連絡をとる赤髪に浅黒い肌の男性。
「坊や、家の人はどこにいったかわかるか?」「わかんない。おうちわかんない。」「そうか。どこに行く途中だったかはわかるか?」と問答している様子は刀を振り回していた時とは違い、至って普通の穏やかな人だった。
痛いし動けないしでぼんやり座っていると、その人物は子供を抱えてぼくの方にやってきて膝をついた。
「大丈夫か?どこが痛む?」
「あの、ただの捻挫ですから、大丈夫です……」
「捻挫も放置すれば酷くなるだろう。左足首か?」
「あ、はい……」
靴下をめくり、青黒くなった足首を見せると自分が痛いかのように彼の目に影がさした。
「医療班がもう少し先で待機している。そこまでいけば治療してくれるが……歩けるか?」
頷いてなんとか立ち上がろうとするが、いかんせん足に力が入らない。
片手に子供を抱えた人から差し出された手を掴むのも悪い気がして、躊躇っているとがっしりとぼくの左腕を掴んで引き上げてくれた。
「体重をかけても大丈夫だ。医療班のいるところまで支える。」
ぼくより身長が低い人に寄りかかるのは怖いと思ったけど、言うわけにいかず黙ってついていくことにした。
間近で見て若いなぁと思う。大学を卒業したばかりではないだろうか。
若い力をきちんと活かせる組織は良い場所だ。
インカムでまた何か話しているが、あまり聞くのも失礼だろうと意識を歩く方へ向けた。
反対の腕で抱かれた小さい男の子はぐずることも暴れることもなかった。
彼が言ったように医療班の待機場所には瑠璃色のスクラブを着たスタッフが数人いた。
「さっき無線で言ってた子と近所の人かな?」
「あぁ。こっちの人は酷い捻挫をしている。アキ先生、処置を頼む。」
「了解。フユさん、坊やの怪我の確認と洗浄お願い。ファウストさんは記録を。」
フユさん、と呼ばれた人は水色の髪だった。
「機械、人形……?」
「フユは機内モードなので大丈夫ですよ、そこは万全を期していますから。」
にこやかに近づいてきたのは蜂蜜色の髪をした人だった。
「左足首ですね、ちょっと見せていただけますか?」
「こりゃ随分派手だぁ」と言いながら足首周辺を押して痛いかの確認をされる。
レントゲンまで撮影された後、湿布を貼って関節用サポーターでガッチリ固定される。
「気になるようでしたらかかりつけ医に相談してくださいね。」
「ありがとう、ございます……あなた達は一体……?」
「マルフィ結社、聞いた事ありませんか?」
軍警ではない、民間の一般人が作ったという謎多き組織。
「僕たちは、機械人形と共に歩む未来を作るために生まれた民間団体です。暴走する機械人形を止め、ギロク氏の目論見を潰すための。」
「もしかして、結社にいる人って全員戦えるんですか?」
「まさか!できる事を持ち寄って成り立っているのがマルフィ結社ですよ。前線に出ないメンバーも大事な仲間です。」
出来る事を持ち寄る。
もしかしたら、自分の資格は捨てたものじゃないかもしれない。
「そう、ですか……さっきの子供はどうなるんですか?」
「基本は軍警に任せます。どうしても保護者が見つからない場合に限り、結社で保護する事もありますが。」
それなら。
「専属の保育士は要りませんか?」

この世界に勇者も主人公もスーパーヒーローも存在しない。
でも。
小さな力を繋ぎ合わせれば大きな力になる。
それぞれのできる事を重ね合えば勇者は作れる。
ならば、その一端を担う者になりたい。

ーーようこそ、マルフィ結社へ。


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