薄明のカンテ - 理由はまぐろ/燐花
 むかしむかし。そこには「オタサーの姫」と呼ぶべきか何と呼ぶべきか、それはそれは名称に困る様な特徴の女の子がおりました。
 あ!リーシェルさーん!私ぃ…一人でお店選ぶの難しくってぇー…飲み会の幹事お願いしちゃっても良いですかぁ?リーシェルさんお洒落なお店詳しそうだしぃー、だって体からお洒落が滲み出てるじゃないですかぁー!?
 …などと東に媚びたと思えば。
 あ!エルナー先輩ー!あのぉー、この書類なんですけどぉー…もし良ければなんですけどぉー…他の皆さん居ないみたいなんでぇー…え!?ありがとうございまぁーす!!エルナー先輩すごーい!頼りになるぅー!!
 …などと西に媚びを売り。
 部長ぉー!!すごぉーい!!今度私も一緒に連れてってくださいよぉー!!すごぉーい!!
 …こんな具合に、甘え声が途切れる事はない。何が凄いかもよく分からないけれど、凄いと言う感想を多発させている。勿論部長もにっこり。悔しいかな、彼女に甘えられて心底嫌な気持ちになる人はあまりいない。いたとして、彼女も彼女でよく出来たもので、しっかり拒否される前に嗅ぎ取って距離を置くからだ。
 その女の子はくねくねくねくね、甘え声で上手い事毎日媚びて居たのでした。

 * * *

「ねぇ、ユリア聞いてる?」
 柔らかくウェーブした茶色の髪を揺らし、少し不満げに頬を膨らますエーデル。
 虚空を見つめていたユリアはその声に一瞬頭が真っ白になりながらも、己の武器たる笑顔を思い出してすぐににこりと微笑んだ。
「あ、ごめーん!ぼーっとしてたぁ」
「ま、総務部って忙しいもんねー」
 すかさずユリアのフォローに回ったのはエーデルと同じ様に柔らかくウェーブした髪型だが金色の髪のヴィーラ。
「ねぇ!ねぇ!ユリアはどう思う!?」
 そして話題を元の方向に軌道修正したのは二人と同じく柔らかいウェーブヘアだが二人より濃い茶色の髪をしたシーリア。彼女の一言でユリアはしっかり現実に戻って来れた気がした。
 今日は人事部の仲良し三人組、エーデル、ヴィーラ、シーリアの三人と時間が合ったのでランチを食べに来ていたのだ。
 メニュー表から映えそうな物を注文した直後に心の旅に出ていたのだとユリアは思い出していた。
「えー?どうって?」
「ユリア的には!!ロード様ってどうなの?」
 シーリアのその言葉にエーデルもヴィーラもワクワクした様な警戒した様な顔をユリアに向ける。
 彼女達は別名ロード親衛隊(非公式)。人事部のロード・マーシュへの憧れから発足したいわゆるファンクラブの会員だ。とは言え、名前に非公式が付いている事からも分かる様に、特に本人に知られる事無く細々と、仲間内できゃーきゃー会話をするのが好きなだけとも言える。本人に知られたくないと言ういじらしい乙女心が非公式たる所以だ。
 しかし、仮にも親衛隊を名乗っているだけあって彼女達の愛は本物であり、互いに互いを同じ憧れの人に黄色い声援を送る戦友の様に思う傍ら『抜け駆けは許したくない』と牽制する仲と言う何とも単純で複雑な間柄。
 その三人に彼女達の愛する「ロード様」の事を聞かれたユリアは、いつもの笑顔は崩さないままへらりと流す様に答えた。
「うーん…私は無しかなぁー?」
「えー!?何で!?」
「そうよそうよ何で!?」
「あのロード様よ!?」
「うん、そのロード様だよぉ?だってぇ、皆だって狙ってるんでしょお?って事は少なくとも分かってる範囲で最初から三人もライバルがいるんでしょお?そんな初めからめちゃくちゃライバルが多いって分かってるのにそんなとこ突っ込んでったら私部署も違うから分が悪し、それに……」
 その時、ユリアが頼んでいたチョコケーキが運ばれてくる。ハート型にカットされた苺の乗った可愛らしいケーキだ。
「あ、わーい!写真撮ろーっと」
「ユリア、今言い掛けて無かった?『それに』って。どうしたの?何?」
「…え?あ、あぁ…私、勝てない試合はやらない主義なのぉ」
 それに。
 それに、あの人の周りを見る目。どんなに好意的に見ていても絶対にあるラインから自分に踏み込まない様に距離を取っている。
 …の、かも知れないと言う事に気付いたのは八月、結社が発足して割と早い頃。同じ新規勧誘課のベン・レッヒェルンから「そんな食い入るほど好みだった?」と聞かれた彼はその時本当に満更でも無さそうな顔をしていた。いつもの少し作った様な、誰が見ても「紳士」と思う様な隙の無い笑顔で無く、心底嬉しそうなちょっと下心ありげにニヤニヤしている様なだけど人間らしい様な。当時優良物件と見做したロードを少しだけマークし、実はモーションも掛けていたユリアからしたら彼のその変化はとても大きいものに見え、そしてそれが「一番向けて欲しい笑顔」だと思った。
 そんな顔もするんだぁ、さてさてどんな子かしら?雰囲気近い子だと望みあって良いなぁと履歴書を覗いてびっくり。その顔写真は胸から上しか写っていなかったが、入社早々噂になっていた人だから存在は知っていた。
 ヴォイド・ホロウ、彼女は物凄い爆乳なお姉さんだと噂されていた人だ。実際総務の仕事のついでに確認しに行くと本当に爆乳で、ユリアがロードと同時に少しマークしていたネビロスの傍に居た時も彼と口論していたのだが、苛立ちを隠さず少し大振りな動きで怒る彼女の胸は同性の目にも魅力的な揺れ方をしており、ネビロスは表情こそ怒ってはいたもののおそらく無意識でその揺れを目で追っていた。
 なるほど、アレが好きなのか。ロード・マーシュも男なのね、そしてネビロス・ファウストも意外とムッツリなのねとユリアは少し冷静になった。
 自分の理想とするスタンスは子鹿の様に愛らしく守ってあげたい女の子。爆乳でエロい雰囲気醸し出していてすぐヤらせてくれそうな女はまるっきり真逆だ。
 とは言え、接している内にヴォイドが実はガードが固くそれなりに性格もひたむきで、岸壁街出身故の倫理観の危うさこそあれど思ったほど奔放でも無いと知ってから少し認識を改めはしたが、それでもやはり真逆だと思った。
 そうでなくてもただでさえ競争率の高そうなロード。ユリアが彼を諦め、モーションを掛けるのも辞めた頃仲良くなったエーデル、ヴィーラ、シーリア。この時ユリアは、優良物件を諦めた先に得た友情があったから傷少なく手を引けたとも言える。同じ様な時期に医療班のミアがネビロスに眩しい程の好意の視線を向けていたのも目撃してしまい、若い子相手に勝てる道理は無いとこちらも手を引き、そして「彼氏は外で作るべきか」と考えた。
 なのでそんな彼女達を敵に回す様な人をもうロックオンなどしたく無いのだ。それに自分は、憧れだけ募らせて終わらせる様な恋をする気は微塵も無いのだから。一度決めたら本気でモーションを掛けてしまう。そんな姿を見せたら、きっと彼女達は嫌な気持ちになるだろう。
「あ、ユリア今日も写真上手い!」
 携帯端末を操作していたヴィーラが声を上げた。彼女が開いたアプリはテロ後まともなサーバーを用意したおかげで以前と同じ速さと安定さで写真や短い動画を投稿出来るソーシャル・ネットワーキング・サービスだ。
 勿論そう言った使い方が基本だが、中には安定したサーバーを信じ、いざと言う時の連絡手段として利用している者もいる。当たり前の様にユリアは画像投稿を主にしていた。
 先程のチョコケーキが早速フォトジェニックな作品に昇華されている事にヴィーラは感嘆の声を上げる。話題を逸らせそうな事にほっとしつつ写真を褒められたユリアは満足気ににこりと笑うとケーキを一口ぱくりと口にした。
「しかしユリアの投稿、絶妙よね」
「本当よね。大体自撮り、スイーツ、ラテアートの順で投稿されてるんだから。妙にバランス良いって言うか」
 そうよねー、と言いながらエーデルはユリアのアカウントの投稿を順に見て行く。
「自撮りスイーツラテアート、自撮りスイーツラテアート、自撮りスイーツ、自撮りスイーツ、自撮り自撮り生足……。足!?足ってどう言う事よ!?この、上から撮った太ももの写真!!」
「あ、それはぁ、良い感じにミニの可愛いワンピ買った時のだよぉ」
「足綺麗過ぎるわよ!?」
「え?エーデル、そこ?」
「ふふふ、世の中には加工って便利なものがあるんだよぉ?」
 自分のアカウントをキラキラしたもので埋め尽くす。写真映えするスイーツ、可愛い服、そしてそれらと並べても見劣りしない様に努力した自分。
 確かに結社に来て、結社の中でも良い男性と巡り合えているとは思う。だが外に出て合コンに行けば、同僚の女の子ともより波風を立てずに運命の人と巡り会える。
 女性ともそれなりに仲良く、良い男性と巡り合い、そしてアカウントはキラキラしたもので埋め尽くし。それがユリアの目指す理想だった。

 * * *

「ああ……リュックの中にリリアナの下着やパジャマはひとしきり揃えてある筈だが……そうだな。ああ、もし入れ損じがあったら後で支払うから買ってやってくれ。悪いな、今度何か御礼でも奢らせてもらう。ん?そんな遠慮せずにたまには素直に受け取ってくれよセリちゃん・・・・・
 通話を切ったリアムは何とも嫌そうに眉間に皺を寄せた。確かに総務の仕事は忙しい。何となく日々の仕事の感じから『今日はまともな時間に帰れないかもしれない』と言う勘が働く日がある。まさに今日がその日であり、念の為娘のリリアナにお泊まりセット一式を入れたリュックを持たせて保育部に送り出したのだが、案の定リリアナの眠る頃くらいのまともな時間に帰れそうに無かった。
 時刻は午後九時過ぎ。お風呂も入って歯も磨いてきっとリリアナは夢の中だろう。
 こう言う時は幼馴染で義家族でもあるセリカにそのよしみでつい甘えから頼んでしまうのだが、テロで旦那を亡くした未亡人だからと言っていつまでもその立場では居ないだろう。むしろ誰か良い人を見付けてくれないと安心出来ないと言う身内ならではの心配がある。しかしそうなるといつかもし彼女に良い人が出来た時にまで自分の都合で振り回してはいけないし、何か策を考えねば。
「そもそもとして仕事が多過ぎるんだよな……」
 思わず文句を溢しながら部屋に戻る。真っ先にリアムを出迎えたのはいつもの甘ったるさを少し控えめにした様な声だった。
「おかえりなさぁい」
「……ああ」
「どうでしたぁ?リリアナちゃん」
「頼める人が居たからその人に預かってもらった。全く…私達と同じ様に残業しろとは言わないが、保育部は基本的な仕事形態は日勤のみだからなぁ…」
「その代わり本来休日と呼ばれるところもローテーション組んでお仕事してくれてるんですもんねぇ。強く言うの難しいだろうなぁ」
「それは感謝しているさ。ただ、こう言う時にやはり…いわゆるシングルは難しいものがあるな…」
「まぁ、しょうがないですよぉ。置かれてる立場が違う人全てが満足いく様になんて世の中回すの無理なんですからぁ。その代わり、『よく知らなかったけど実は負担軽くする制度があった』みたいなのはよく聞く話なので、色んなもの上手い事利用しましょお」
 そう言ってテキパキ書類を纏めていくユリア。リアムははたと、何故彼女がここに居るのかが気になった。
「ベル…残業するんだな…」
「えー?その感想酷くないですかぁ?」
「ふん…貴様の事だからどうせ誰かに上手く頼んで帰ると思っていたが?」
「そんな風に見えてましたぁ?嬉しいですぅ」
「……それ、嬉しいのか?」
 ユリアはそれに対して返事はせず、黙々とただただ作業に勤しむ。リアムも返事が来ないので話は終わったものと見做し、また作業を再開する。
 仕事も終盤に差し掛かった午後十時半頃、リアムの肩をトントンと優しく叩く手の持ち主、ユリアはにっこりと彼に微笑み、休憩に誘った。
「シュミットさぁん、コーヒーでも飲みましょうよぉ」
「……まぁ、良いか。もうじき終わりそうではあるし。休憩所にでも行くか。どうせこの時間誰も居ないだろうから貸切だろ」
「やったぁ!!シュミットさんすみませぇん、ご馳走様ですぅ!」
「おい。私が奢るの前提じゃないか」
「私ぃ、カフェモカが良いなっ」
「何気に休憩所で一番高いものをねだるなよ」
 やれやれと言いながら休憩所に向かう。文句は言いつつ本当に奢ってくれるのがリアムの面倒見の良さだ。
「はい、シュミットさん」
 そしてそんなリアムにユリアはカフェモカ代を支払う。リアムは渡された小銭を眺め、不思議そうにユリアを見た。
「……本当に変わってるな」
「え?何がですかぁ?」
「色々と、イメージと違う時がある」
 リアムの言いたい事が何なのか理解しているユリアはにっこりと微笑む。そして暖かく甘いカフェモカを一口、二口と口にする。
 彼の気を惹く様に、わざとらしくちゅっと音を立ててカップから唇を離すと、リアムの方をじっと見た。彼と目が合ったユリアは満足そうに笑う。
「シュミットさん、ちょっとだけ昔話の様なそんな話をしても宜しいですか?」
「は?」
「世間話でもいかがです?お時間ございますでしょうか?」
 それはユリアらしからぬ甘さの抜けた声だった。どころか、洗練された大人の女性の気配すら感じる。リアムが思わず呆気に取られていると、だんまりを是と見做したユリアはお構い無しに話を続けた。
「ほんの数ヶ月前、『ユリア』と言う女性はラシアスにある百貨店の受付で勤務をしていました。ユリアにとってそれは、夢が叶った瞬間だったのです」
 子供の頃から可愛いものが大好きだったユリア。幼い頃出掛けた先で見た百貨店の受付に憧れを抱いていた彼女は高校を卒業してすぐに就職、夢の受付嬢となった。
 まだ若い身分。ティーンエイジャーだからこそお客様に失礼の無いようにと一生懸命頑張った。
 髪の毛は清潔感を出す為にいつもキツく一つにまとめ、制服はきちんと着こなし余計なものは着けなかった。言葉遣いも先輩達の真似をし、百貨店の文字通り「顔」となるに相応しい、どこに出ても恥ずかしく無い女性社員として身支度を整えて出勤する日々。
 むしろそうして築き上げたスタイルを褒めてもらえる。それがユリアは嬉しかった。
 しかし、彼女が就職して四年目となろう時。
 その『彼女』は突如として現れた。
「せんぱぁい!ねぇねぇ見てくださいよぉ!ラシアスに新しいスイーツショップが出来るんですってぇ!行かなきゃ損、ですよぉ!」
 ファーン・ドルチェ。名前の通り甘ったるい言葉遣いが特徴な、生まれたての子鹿の様な印象の彼女はカンテ女子大を卒業したばかりで入社して来た。
 髪の毛も緩くパーマを当てたボブの髪をいつもフワフワ揺らしていたし、制服ではなく毎日オシャレに可愛く私服を着こなしている。制服で髪をキツく結い、隙の無い印象を与えるユリアと真逆だった。
 しかし、いわゆるキラキラネームと称される珍しい名前とそのキャラクターで無難に過ごせるわけがなく、ファーンの陰口を叩く女性社員は多く居た。決して嫌っているわけではない。ただただ彼女を嘲笑しているのだ。
 しかしユリアは理由こそ分かっていなかったが、直属の上司から始まり課長、部長と果ては他部署の責任者クラスまで手玉に取っている彼女を眩しそうに見つめていた。
「せんぱぁい、せんぱいと一緒にお夕飯行けるの超嬉しいですぅう!」
 語尾にハートを付けん勢いでファーンはそうはしゃぐ。ユリアは色々考えた末に、ファーンに現状を話す事にした。
 ファーンにとっては普通のお喋りかもしれないが、現に上司に媚びて甘えて仕事を免除してもらっているんじゃ無いかとか、社内恋愛をしている女性の恋人が彼女の媚びに当てられて浮気しないか心配だとか、あらゆる人間関係のトラブルの核に彼女がいるかの様な言い方を多くされている。憶測でしか無い噂を悪意で持って吹聴する人はいる。それら全てに「口を閉じろ」とは言えないが、ファーン本人に少し話し方を変えたり周りとの付き合い方を考えてもらったり、少し工夫をこらして貰えば彼女に対する当たりも弱くなるのでは無いか。
 しかしファーンはユリアの心配をよそにケロッと笑った。
「え?私のこんなの、別に普通じゃないですかぁ?」
「でも…中にはファーンの事媚びてるって揶揄する人もいるよ?」
「えー?良いんですよぉ!言わせておけば。それに私、事実媚びてますからぁ」
 その解答を聞き、ユリアは呆気に取られた。
 彼女達の所属する総務部の部長はなかなかに気難しい人で要望に応えるのが難しい。あまつさえ口には出さないが、随時部下をチェックしており、一年で良し悪しを見極めるチェック表があると言うのはもっぱらの噂だ。
 そんな部長を見ていたファーンは、彼が何を言ってもらいたいかを日々の仕事の合間に見ていて察したのだと言う。
『すごーい!』と自分を褒める、つまり称賛の言葉だ。それで気分良くなって目も付けられずに平和に過ごせるならそっちの方が得でしょう?と彼女は屈託なく笑った。
「相手が気持ち良くなって自分も快適に過ごせるなら安いもんですよぉ、『すごーい』の一つや二つ」
「……うーん…」
「それに、仕事だって自分が出来ないところは他の人に手伝ってもらった方が良いじゃないですかぁ?私と言う個人でなく、総務全体で見て出来が良いならそっちの方が良いですよぉ」
「でも…それって他の人に皺寄せが…」
「分かってますよぉ。だから、自主的にやってくれそうな人とか、そんなに文句言わなそうな人にしか頼んでませんもーん」
 なるほど、確かにファーンが擦り寄っているのは殆ど男性社員やお人好しそうな人ばかりだ。
「だけど、勿論ちゃんと御礼もしますよぉ。この間幹事変わってくれたリーシェルさんはお子さんが熱出した時とかなるべく代わりましたしぃ、エルナー先輩はコミケに行きたいって言ってたからウクロイ旅行の時勤務変わってあげましたよぉ。日々間に合わなそうな時に頼らせてもらってるお返しはちゃんとしてるんですぅ」
 Win-Winな関係なんですよぉ!と主張しているとは言え、享受している率を考えたらコミケは定期的では無いしたまたま見てくれる家族も皆多忙な状態での子供の発熱も割合は多く無いので若干彼女の貰いっぱなしの様な気もする。
「ユリア先輩ももっと周りに甘えまくれば良いのにぃ」
「え……?」
「前からずっと思ってたんですよねぇ、ユリア先輩ってこんな感じ・・・・・の人じゃ無さそうなのになぁって」
 ファーンの華奢な指がユリアのキツく纏められた髪を差した。
「…迷ってますよね?」
「迷ってる…?」
「本当はどんな自分で在りたかったか。迷ってますよねぇ?」
 媚びたら負ける感じもしちゃうんでしょ?でも、負ける『感じがする』ってだけなら結局それって『負け』じゃ無くないですかぁ?
 ファーンはそう言いながら携帯端末を取り出す。そしていつもの甘い声で「写真撮りまぁす」と言うと運ばれて来た料理を、そして自分自身をインカメラで撮る。そして更に広範囲を取れるカメラモードに切り替えるとユリアまで写しつつ言った。
「せんぱぁい、一緒に写りましょうよぉ。あ、アプリ載せて良いですぅ?それとも、顔はスタンプで隠しましょうかぁ?」
 ファーンのそれは、まるで挑発するかの様な言い方にユリアには聞こえた。ユリアはキツく結った髪の毛をさっと解く。しかし食事の場だからか、長く伸ばした髪をただ下ろすのでは無くユリアはそのままヘアゴムで一つに緩くまとめ直し、更にはねじって通す事による簡単なヘアアレンジを施した。
 食事の場で髪の毛を乱雑にただ解くだけではなく彼女らしい気の遣い方も加えたアレンジを見てファーンの笑顔は一瞬真顔になった。
「うーん…ユリア先輩を焚き付けたのは失敗だったかなぁ…?」
「えー?今更何言ってるのぉ?」
「だってぇ、可愛くて甘え上手で子鹿みたいな女の子ってぇ、私だけで良くないですかぁ?」
「良いんじゃなぁい?一人くらい増えても」
 スタンプ付けなくて良いよ。私も加工めっちゃ加えて撮って、そしたらそれくれる?私も載せるから。
 ユリアがそう言うと、ファーンは今度こそにこりと微笑んでカメラを向けた。
「ふふふ、ユリア先輩の新しい扉開いちゃった。まぁ、仲間が出来たみたいでそれはそれで良いかなぁ?」
「そうだよぉ。そうと決まれば映え写真撮れるお店リサーチしよぉ」
 次の日からユリアは髪の毛をキツく結んだヘアスタイルにせず、アレンジを加えて緩くセットしたものを施した。そして今までの固い喋り方ではなく、甘く語尾を伸ばし本来の彼女に近い喋り方になり、以前にも増してより人を観察する様になった。
 そうだ。このやり方は確実に異性を落としたい時に役に立つ。人間関係を上手く構築したいと思った時にも、ありとあらゆるところで役に立つ筈だ。
 しかしその矢先にテロに遭い、機械人形を多用していた百貨店は休業を余儀なくされる。部屋に篭りながらもこれ幸いにと日々スキンケアに勤しんで居たユリアの元に来た上司からの連絡は、マルフィ結社と言う新しい居場所に勧めるものだった。
 今回のテロで復興を急いだ国のあちらこちらであらゆる組織が立ち上げられたとは確かに聞くがそう言うものとは無縁と思っていたのに。
「ま、良いか……」
 発足したマルフィ結社。このテロにおける混乱の収束を願って作られたと聞くが、そう言った組織で人を集めるにもある程度『信用』が必要と言う事だ。
 状況が状況なので寄せ集めで来るメンバーがきっと多いだろうが、その間に合せメンバーで回せる様にするにはある程度基盤が出来ていなければならない。
 だから一般的なメンバー募集より以前に、既に社会人として生活を成立させていた人員を提携している企業からも確かな形で結社に送る。つまり企業は資金援助と、この状況でキャパオーバーとなってしまった従業員の何割かを労働力として結社に送る事になるのだ。社会的信用のある人員を確保する事になる結社はそれを大々的に宣伝出来る事になるので、より手広い人員確保が出来る。
 送られた従業員の生活は結社が保証し、いざ結社が解散する頃には機械人形の脅威も去っている頃なので名目上ヘッドハンティング目的の栄転となっている社員は、結社で見付けた良い人材を確保して元の会社に戻ると言う、お互い損の無い関係性だと書かれていた。言わばオープニングスタッフを確かな企業から欲しいのだとそう言う事で、百貨店は自ら志願して結社に行く人間を求めていた。
 何の運命の悪戯か、ユリアの務める百貨店は資金援助を結社に対して行なっていた。給金を計算してみたところ、新卒ならまだしも今のユリアのキャリアでは少し結社の方が安い。これは事実上の左遷では無いか?と思いもしたが、このご時世どちらにせよ昔の様に娯楽を楽しむのは難しい。多少給料が下がってもそこまで支障は無いかもしれない。
 我先にと立候補したユリアは、荷物を纏めて結社への入社手続きを行い、百貨店からは人事異動として無事成立した。
 全ては新しい場でより自分らしい自分で一から居場所を築く為、そして運命の王子様をこの手で掴む為──……。

「で?だから何が言いたい?」
「嫌だなぁ、人に歴史有りって話ですよぉ」
 話が終わる頃にはいつもの甘え声で猫撫でるユリア。リアムは溜め息を吐きながら飲んでいたコーヒーの紙コップをゴミ箱に投入するとリリアナとその母親の事を密かに思った。
 ──人に歴史有り。元々破天荒な女だとは思っていたが、私の見ている限りでは子供を安易に捨てようとする女には見えなかった筈だが。どこで何を見落としていたやら。
「シュミットさん?どうしたんですかぁ?」
「何でも無い…ところで、『運命の王子様』とやらを望んで来た割には結社で浮いた話が無いな貴様。あ、いや、そうか…もう恋人がいたにはいたか…愛の日にそんな話をしていたな」
 思い出されるのは、愛の日前後に急に変えられたシフトの苦い思い出。まぁ、あの時の無理な組み方を悪いと思ったか、ユリアはその後積極的にリアムの都合の悪い時に代わってくれる事が増えたのだが。
「やだー、シュミットさんいつの話ですぅー?」
「いつって、だから愛の日だ」
「愛の日に居た彼氏ですかぁ?とっくに別れましたよぉ」
 その言葉に度肝を抜かれたリアムは眼鏡の奥の瞳を大きく見開くといつも通りのユリアを見、そして四月と書かれているカレンダーを見、もう一度ユリアを見た。
「……まだ二ヶ月だぞ?」
「二ヶ月でも無理な時は無理なんですよぉ」
「どう言う理由でだ」
「え?シュミットさん興味あります?」
「ああ、私とリリアナの休日を奪う同僚は皆等しく危険人物だからどう言う時に代われなどと抜かすのか後学の為にも聞いておきたくてな。後、純粋に貴様と言う人間のプライベートに少し好奇心が湧いた」
「わぁ正直ー、超すごいですぅ」
 カラカラ笑ったユリアは残ったカフェモカを飲み干すと、至極真面目な顔でリアムを見た。一体どんな理由が飛び出すのかと身構えるリアムに、ユリアは眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「彼、お医者さんだったんですよぉ。だからってわけじゃ無いですけど実生活で開業医の家の若先生なのにベッドで赤ちゃんプレイのギャップって酷くないですかぁ!?
ぶっ!!!
 リアムはこの時程「コーヒーを既に飲み干していて良かった」と思った事は無い。
「ふ、不意打ちで妙な事を口走るな!!」
「おまけに自分は何っっっにも!!何っっっっっにもしないでこっちに任せまくりの超マグロなんですよ!?始まった瞬間からオギャバブですよ!?初めての彼氏じゃないからまだ良いですけどアレ初彼だったらトラウマモノですよグロ過ぎますぅ!!」
「も、もう辞めてやれ顔も知らん彼の名誉の為にも!!」
「キキトにある『サイテ胃腸内科医』ってところなんですよぉ!?今思うと名前も色々酷くないですかぁ!?」
「もういい!!もう辞めろと言うか辞めてやれ!!」
 肩で息をしながら真っ赤な顔になるリアムを見てユリアはまたカラカラと笑った。何がそんなにおかしいのかと不審がるリアムと目が合うと、ユリアは吐き出すように口にする。
「ふふ…笑い話になって良かったぁ…本当はちょっとショックだったんですよぉ」
「ショック…?」
「はい。だって、運命の人ならそう言う姿だって本当は…受け入れられるんじゃないですかぁ?それ以上に愛せるところがあったなら、それも引っくるめて愛せたのかも…でも、私ダメだったんですよぉ…それ以上に愛せた部分、あんまりなくて」
「まぁ…それならそれまでと言う事で良いんじゃないか?無理に引き摺る事もないだろう」
「え?そうですかぁ?」
「そんな風に愛せる人なんてそうそう出会えるものじゃないだろう。もし簡単に出会えるのなら誰だってこんなに誰かと生きて行く世界に思い悩んだりしないだろうしな」
「…あぁ…そうですねぇ…」
「それに、結局そう言う事だって立派な離婚事案になるとセリ…ミカナギさんから聞いたぞ。まぁ、彼女もファルクマンから聞いたと言うから更に又聞きだがな」
「へぇー、シュミットさんすごーい!超絶やばいですぅー!」
 時計がそろそろ十時を迎え掛けている事に気付き、リアムもユリアもどちらともなく総務部の部屋に足を向かわせる。明日の為にそろそろ片付けて引き上げるかと思いながら、そしてリアムはピンと来た。
「…ん?ベル、と言う事は今フリーなんだな?」
「え?何でですかぁ?」
「貴様の彼氏との急な都合で代われなどと言う要望はしばらく出ないのかと安心したのだが?」
「え?嫌だなぁ、もう新しいカレ居ますよぉ?あ!そーだぁっ!と言う事で明後日お休みいただきたいんですけどぉ、シュミットさん良かったらぁ──…」
良くないやらない
「えぇー?でもぉ、他の皆さん居ないみたいなんでぇー」
「だからって何でまた私だ」
「だってぇ、シュミットさんが一番頼りになる同僚さんなんでぇ」
 根負けしたリアムは早く終わらせたいのもあってこれを承諾してしまう。自分はつくづくこう言うわがままな女に振り回される運命にあるなとゲンナリしていると、ユリアはにこりと微笑みながらリアムに耳打ちした。
「リリアナちゃんとの時間が取れる様に、次代われそうだったら代わりますんでぇ」
「代われそうだったら、でなく代われよ?」
「はぁい!勿論ですよぉ!やったぁ!シュミットさん流石ですぅ!凄いですぅ!超絶やばいですぅ!」
「……わざとらしいな…」
 ユリアの意外な一面を垣間見つつ、やっぱりわがままな類の女だったと頭を抱えるリアムは約束通りユリアと代わる日、セリカに可愛い可愛い愛娘を預けると休みを返上して仕事に向かう。
 後日、リリアナが熱を出して保育部に行けない日にはユリアが残業してリアムの仕事もこなしてくれたと言うからまあ良いとしよう。
 これ以来ユリアとリアムはプライベートな事もそれなりに話す様になる、同僚以上友人未満な関係にはなったのだった。
「あれ?ユリアちゃん、リアムと仲良かったっけか?」
 休憩所で話をしていたところに汚染駆除班のテオフィルス・メドラーが現れ、リアムは思わず目を丸くする。ユリアの交友関係はこのキャラだから広そうだとは思ったが、まさか汚染駆除の天才ハッカーまでとは恐れ入った。
「あ、テオくん!最近仲良いんだよぉ」
「まさかの『くん呼び』なのか」
 そんなテオフィルスとユリアの姿を見て、大学時代に記憶を遡り『めちゃくちゃ仲が良いように見えるのに絶対恋人関係に発展しないチャラ男とぶりっ子』がサークルに一組は居たなと不意に思い出していたのだった。

 或いは、これこそ俗に言う『オタサーの姫』ってやつだろうか。