薄明のカンテ - 毛が生えたパンの話する?/燐花
 給食のコッペパンと言うのは不思議とどこで食べるパンより魅力的に見える。ジャムとマーガリンを付けるだけのこれが何でそんなに美味しく感じるのだろう?そう思うのは私だけでは無いはずだとコッペパンを思いの外早く平らげてしまった人間は皆それを思いながら一度は意識を宇宙に飛ばす。
 ──そんな事より私は牛乳が好きです。
 クロエはクラスメイトのコッペパン争奪戦を尻目に飲むのが苦手な子達から牛乳を貰い受けていた。
「クロエは牛乳好きだねー!」
 右隣の席のマジュがにこにこしながら話し掛けてくる。クロエは一口二口牛乳を口にすると特に顔色を変えず「何すか?マジュ氏も牛乳くれるんすか」と呟いた。他のクラスメイトなら途端に泣き出す程の凄みを持つ彼女だが、マジュにそれは効かない様であり、マジュは尚もにこにこ笑うと「ダメー!!飲むからー!!」と手で大きくバツを作る。
「クロエ、牛乳好きなんだねーって思って!」
「そうっスね…マジュ氏は?」
「んー…今日の給食ならお肉!」
「肉?いつもじゃないっスか」
 ぐびぐび喉を鳴らして飲むその様をクラスメイトは見つめた。牛乳を飲んでいるだけなのだが何故だろう。王者の風格がそこにはあった。
「ミアは?何が好きです?」
 左隣の席で食べる事に集中していたミアに不意に声を掛ける。ミアはスープを口に運び掛けながら驚いた顔を見せたが、何かを把握したのかにっこり笑った。
「んっとねー…ネビロスお兄ちゃん!」
「違います。食べ物の話です」
「…ネビロスお兄ちゃん?」
「ネビロス氏はメシなんスか?」
「あ!ネビロスお兄ちゃんがくれるお菓子!」
「今ネビロス氏ここに居ないんで、学校の給食に限定して欲しいです」
「じゃあ…今日のコッペパン!」
 ミアはニコニコしながら適当にそう言った。
「まあ、ジャムとマーガリンの組み合わせはやたら美味いですからね」
「あたしあんことバターの組み合わせも好き!」
 あんバタ、ジャムマーガリン、コンポート生クリーム。美味しい組み合わせが頭にぽんぽん浮かんでは消えて行く。クロエもマジュもミアも、周りで一緒に食べている他のクラスメイトも色々考えているせいかいつも以上に給食を美味しく感じた。
「…美味いパンでも買いますか」
「クロエ、買い食いするの?」
「学校帰りは駄目ですね、先生に怒られます。だから休みの日に遊びに行くついでに買いに行きましょう。マジュ氏、アン氏は買い食い怒ります?」
「黙ってれば平気!」
「じゃあ今度行きましょう。ミアは?」
「私も行きたい!」
 三人で遊ぶ約束をし、にこにこ微笑みながら再度給食に目を向けるミア。コッペパンを手に取った時、彼女の笑顔は固まった。
「ぱ…」
「ぱ?」
 固まった笑顔は徐々に青ざめていき、一点を見つめたままになる。クロエは不思議そうな目線をミアに注ぎつつ次の言葉を待った。
「ミア?どうしたんです?」
「ぱ…」
「ぱ?」
「パンに毛が生えてる…!!」
「はぁ?」
 クロエは突然ミアから飛び出した言葉から何が起きたか察する事が出来ず、とりあえず彼女の手に持つパンを見つめた。
「……本当に毛が生えてる…」
 ミアの手に持ったコッペパン。見た目は普通のコッペパンだし傷んでいたりとかそんな感じは微塵もないし変色も無い。ただ一箇所だけ、針金の様な毛の様な物が密集して生えているところがあるのだ。と言うか最早これは針金では無いのかとクロエは意を決して毛に触れてみる。固い、が、針金程固くない。イメージで言うなら某国民的日曜夕方アニメの坊主頭の彼が「少し毛が伸びて来た」と言った時に触ったらきっとこんな感じと想像出来る物だった。更に意を決してそれを抜いてみようかと指で摘んでみる。しかし引っ張ったがびくともせず本当に毛根があると言わんばかりに突っ張った。
 どちらにせよそれが食べ物から生えていてはいけないものだと言うのはクロエもミアも、更にそれを見ていたマジュも皆理解した。こう言う時は素直に大人の意見を聞き入れる物だ。クロエは手を上げた。
「先生ー。フローレスさんのパンから毛が生えてます」
「何何!?ミアちゃんどうしたの!?」
「見せてぇぇぇえ!!」
 しまった、ちょっとした騒ぎになった。
 先生が見に来るより先にクラスメイトがわっと押し寄せる始末。クロエは震えるミアの隣で嫌そうな顔を浮かべ、マジュはそれを見て笑っていた。
「え?毛が生えてるってどう言う事?」
 やっと先生が来てくれたが、その顔は大変訝しげである。そりゃそうだ。いかに先生と言えど、人生において毛の生えたパンと遭遇するなどなかなか無い事だろうから。
「からかってるわけでも虚偽の報告をしようとした訳でもありません、これを見てください」
 クロエが固まるミアの代わりに彼女のパンを先生に手渡す。自分の目で確認した先生は一言「うわ…」と呟いた。どうやら見るまで半信半疑だった様だ。
「本当に毛が生えてるー!!」
「すげぇぇえ!!」
「はっ!?フローレスさん!これ以上それ食べちゃ駄目だからね!?」
「私のパン…!」
「何だこのカオス空間」
 結局、そのパンは給食センター送りになったが、回収されたパンの行方がどうなったのか、そしてあの毛の正体は何だったのか。誰にも掴む事は出来ないままこの話はモヤモヤとした幕を閉じる事になるのだ。

 * * *

「おや…ミア?元気が無いですね、何かありましたか?」
 帰り道、主食を思わぬ形で回収され食べ損ねたミアは少し元気無さげに校門を潜る。たまたま同じタイミングで小学校の前を通ったのはミアが大好きなネビロスお兄ちゃんことネビロス・ファウスト(こう見えて御年十八歳)だった。
「ネビロスお兄ちゃん…」
 ミアの様子を見てサッと空気を読むクロエ。マジュと手を繋ぐと「じゃあ私達はこれで。ネビロス氏、後頼みます」とそそくさと離れてしまった。
「……相変わらずあの子は大人びた女の子ですね…」
「ネビロスお兄ちゃあん…」
「どうしました?泣きそうな顔して、いつものミアらしくないですね。何か悲しい事でもありましたか?」
「あのね…」
「はい」
「給食のコッペパンに毛が生えててね、食べられなかったの…!!」
「……はい?」
 毛が混入していた、ではなく本当に生えていたと言う話を聞き、ネビロスは頭の中で想像してみるも上手く行かないのかその顔は混乱を極めていた。しかし色々考えた末にミアの頭を優しく撫でると、「ミアが間違って食べ進めなくて良かったです」と言ってくれたのでそれを聞いてようやくミアも笑った。
「でも…パン食べられなくて…」
「そうですね…それなら…」
 ネビロスと手を繋ぐと彼が向かったのはコンビニで、お母さんと一緒でないと普段は入らないそのお店の佇まいにミアは一瞬緊張する。ネビロスはすぐにミアの手を優しく握り返し、「私と一緒だから大丈夫ですよ」と微笑んで入店した。
 迷う事なくパンの棚に向かうと、自分の目線と同じ高さになる様にミアを抱き上げる。ミアは咄嗟にネビロスの首にしがみつくと、美味しそうなパンを見てごくりと唾を飲み込んだ。
「よいしょ…ミア、ちょっと重くなりましたね」
「本当?また背ぇ大っきくなってたんだよ!」
「それは良かったです。なら尚更パンが食べれなくて残念でしたね。ところで、ミアはここの中でどのパンが食べたいですか?」
 棚にある色とりどりのパン。ミアはキラキラした目を向けると、レーズンの練り込まれたパンを指差した。どことなく今日出た給食のコッペパンに似ているのは彼女なりの未練か。
「レーズンパンですか」
「うんっ」
 ネビロスはミアを下ろすとそれを手に取りレジに持って行く。会計を済ませて外に出ると「はいどうぞ」とミアの目の前に差し出した。
「…お兄ちゃん?」
「今日食べれなかったミアに、私からプレゼントです」
「…でも、学校帰りに買っちゃ駄目だよって先生が…」
「私が買ったのできっと大丈夫です。でも先生にもお姉ちゃんにも内緒ですよ」
「内緒?」
「うん、内緒」
「ひみつ?」
「うん、ひみつ」
 ミアは袋からレーズンパンを取り出す。とっても美味しそうなそれを一人で食べるのは何だか勿体無い気がして、手で掴むと上手に半分に割ってみせた。
「半分こ」
「ミア?半分こしてどうしたんです?」
「お兄ちゃん、どうぞ」
「…良いんですよ?ミア一人で食べて…」
「一緒が良い…」
 小さな女の子の小さな手で割られて小さくなったレーズンパン。そう思うと何だかそれがとても可愛く見えてしまい、全部あげるつもりだったのにネビロスは気付けば笑顔で受け取っていた。
「お兄ちゃんとおそろい」
「そうですね…せっかくだから一緒に食べてから帰りますか?」
「うんっ!」
 二人でコンビニの駐車場の空いているところに移動してパンを食べる。この日以来ミアにとってレーズンパンは何だか特別な美味しさを持った気がした。

「あら?何だか今日はご機嫌ですね」
 鼻歌まじりのミアを見てララも嬉しそうに声を掛ける。ミアは元々嬉しそうな顔を更ににっこり綻ばせた。
「へへっ…ネビロスお兄ちゃんが「内緒ですよ」って学校帰りにレーズンパン買ってくれたの!二人でひみつにしたんだよっ!」
 隠し事の出来ないミアは早々にバラしてしまったのだが、それを特に追求せずにいたララは翌日何食わぬ顔で声を掛け、ネビロスに購買部のパンを奢った。
「ああ…ミアは喋ってしまったんですね」
「ふふ…あんまり嬉しかったから隠し通せなかったみたいですよ」
「…それなら良かった」

 ちなみに、結局あのパンに生えていた毛の正体は今現在も解明されていない。