薄明のカンテ - 傍観者でありたかった/べに
私にとっては、何も起きない日の筈だった。




フラグが立った

 7月17日午前5時。
 目覚まし時計なんて必要のないウルリッカ・マルムフェは定刻通りに目を覚ました。抱いていた誰かさんを彷彿とさせる・・・・・・・・・・・青いリョワリの形を模した大きな抱き枕を脇に置くと、ベッドの上で犬や猫がやるように両手を床に着けて四つ這いになってお尻を上げて「うーん」と伸びをする。
 それから遮光カーテンを開けると日光が目に飛び込んできてウルリッカは黒目がちな目を細めた。高緯度の位置にあるカンテ国の日の出は早く、今日の日の出は午前3時23分だ。遮光カーテンでもなければ太陽の光で、もっと早く目覚めていたことだろう。
 身を翻してキッチン部へと移動すると冷蔵庫から昨日作っておいた炒麦エル・バツのおにぎりを出して早速もそもそと口にする。「朝起きたばかりで食欲が無い」という言葉はウルリッカの辞書には無いのだ。
 手作りのツナマヨおにぎりは炒麦エル・バツに鶏ガラスープの素を混ぜた特別製だ。この方が美味しいのだと給食部のヒギリ・モナルダに教えて貰ったのでやってみた訳だが鶏ガラの風味とツナマヨのハーモニーが凄い。今日は時間が無くて冷蔵庫から即出しして食べてしまったが、電子レンジで温め直してもいいかもしれない。これは大発明だ。帰って来たらヒギリに御礼を言おうとウルリッカは思うのだが、ふと、それを思ってしまうのは良くないのではとも考えた。

『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』

 深夜に時々シキ・チェンバースと行っている「罪な夜食の会」の際につけっぱなしだったテレビから流れていた映画の中のワンシーン。
 映画大国アケリア。この国で作られる映画の特徴として、吹き替えの際声優の演技がオーバーになる事と『こう言えばこう言う展開』みたいなお約束がある――人はそれを『死亡フラグ』と呼んだ。

『帰ってきたらヒギリに御礼を言おう』

 何だか、これも死亡フラグみたい。
 そう考えた思いを首を振って掻き消す。
 今日は7月17日。
 「ミクリカの惨劇」から、ちょうど一年にあたる今日はミクリカで追悼式典があった。マルフィ結社は会場周辺を軍警と共同で警備することになっており、前線駆除班は全員が出勤だ。全員が全員、ミクリカへ行く訳ではなく他の地域の異常にも対応するために人数が必要で、強制的に全員出勤となっていた。ウルリッカの所属する第六小隊はミクリカでの警備を担当する。
 追悼式典ともなれば当然人間が集まり、また人々に復讐をしたいギロク博士が狙う場所としておあつらえ向きだ。故に追悼式典の警備は激戦が予想されていた。そんな激戦に行くことになってもウルリッカの小隊の小隊長であるユウヤミ・リーシェルは無事に帰るための作戦を提案してくれるだろうからウルリッカは先程まで何も心配はしていなかった。しかし今、死亡フラグというやつを自分で立ててしまった。

――怖い。どうしよう。

 珍しいことに青い顔になるウルリッカ。
 折角の美味しいツナマヨおにぎり。
 最後の一口は、味がしなかった。

 * * *

 準備を終えて、ウルリッカは大きな銃のエルドちゃんを背負って歩く。
 その顔色は先程よりも良くなっているものの、あまり良くは無いままであり、いつも通りに結われているはずのポニーテールもどことなく項垂れた犬のしっぽのようだった。
「ウルちゃん、おはよう」
 寮を出たウルリッカに声をかけてきたのは外で待っていた同じ小隊に所属する機械人形のシリルだった。シリルに「おはよ」とウルリッカは挨拶を返すが、シリルは厳しい表情でウルリッカへと近付いていく。人工物らしい整った顔の機械人形に真剣な表情を向けられると何とも恐ろしい。
「ちょっと! 顔色が悪いじゃない!? 朝ご飯ちゃんと食べられたの!?」
「た、食べたよ」
「何を!?」
 自分を心配してくれているのだろうが、シリルの語気が強くてウルリッカは少々圧倒される。圧倒されながらも問い掛けには答えなければと思い、口を開いた。
炒麦エル・バツおにぎり5個食べた」
 ウルリッカにしては普通すぎる朝ご飯の量だ。
 しかしながら普通の成人女性とすれば充分多い。
「そうね、それだけ食べられれば十分ね」
 一瞬、処理速度が落ちたのかはたまた呆れたのか間を置いてからシリルが微笑んだ。
 シリルが人間だったならば、苦笑いとか曖昧な笑みといった色んなものを孕んだ表情になったであろうが機械人形なので「微笑んだ」としか表現できない笑みである。
「ねぇ」
 そんなシリルに、周囲を見てからウルリッカは声をかけた。
「どうしたのかしら?」
「お兄ちゃんは?」
 ウルリッカの問い掛けにシリルは長い睫毛に彩られた橙眼を瞬かせる。
「“お兄ちゃん”って……イェレじゃなくてアルのことよね?」
「イェレ兄は結社にいない」
 マルフィ結社に来てから会っていないイェレニアス次兄ではなく、シリルの主人マキールであるアルヴィ長兄のことを聞いたつもりであったのにシリルから不思議な返答があってウルリッカは首を傾げた。
「そうよね。まさかウルちゃんからアルのこと聞かれるなんて思わなくて混乱しちゃったわ。今日アルは来てないわよ」
 ウルリッカの兄であり経理部に所属するアルヴィ・マルムフェは、自他ともに認める妹溺愛シスコン野郎だ。ウルリッカが出勤となればシリルを連れてきたかのような顔をして見送りに来て、しつこいくらいにウルリッカの無事を願っているのに今日に限っていないらしい。
 あの兄が自分の無事を願う言葉を聞いたら、さっき立てた死亡フラグもポッキリ折れてくれたかもしれないのに。
「何で……」
 今日は来ないんだ、馬鹿お兄ちゃん。
 そんな不満から呟いたウルリッカの「何で」だったが、シリルには「何故来ないのか」という疑問の意味だけの「何で」なのだと理解されたらしく、シリルは肩を竦める。
「今日は特に自分が行ってウルちゃんのツキが落ちたら可哀想だから、ですって。アレはワタシのせいなのにね」
 シリルの言う「アレ」は、アルヴィがボウガンにより負傷した時のことだ。機械人形を狙った犯行であったのに人間アルヴィ機械人形シリルを庇った為に、全治二週間の負傷をした。さすがに機械人形であるシリルでも思うところはあるようで、どこか影のある笑みを浮かべる。
 そんなシリルを責めることはできず、ウルリッカもこれ以上何も言えない。
 その代わりに。

――お兄ちゃんのばーか。

 八つ当たりに、アルヴィへの怒りを内に溜め込んだのであった。

折れないフラグ

「ねぇ、隊長。どうして、私達はココなの?」
 車に揺られ辿り着いたミクリカ。
 第六小隊が配置された場所へ疑問を持ったウルリッカは小隊長であるユウヤミ・リーシェルに問いかけた。ウルリッカの目も黒色だが、それよりも底知れぬ闇のように黒いユウヤミの目がウルリッカを見る。
 彼女達が配置された場所は追悼式典を行う会場から離れており、壊滅的な被害を受けた岸壁街近くの廃墟地区であった。そのために人通りも少なく、人間が居なければ機械人形も現れないのだから平和な地区と想像される。
「先輩は此処に機械人形が来ると予想されて、この場所を選んだんですよね!?」
 ウルリッカはユウヤミに質問していたのだがテンション高く口を挟んできたのはエドゥアルト・ウーデットであった。ウルリッカのポニーテールほど長くは無いが、エドゥアルトの後ろに一つ縛りされた赤みのある黒髪がしっぽのようにぶんぶん揺れて見えるのはウルリッカの幻覚か。
「いや? ここは機械人形が来なくて平和そうだから選んだんだよ?」
 どことなく楽しそうな顔をしたユウヤミの答えにウルリッカもエドゥアルトもポカンとした顔になった。いつも的確に機械人形の現れそうな場所を予測するユウヤミらしからぬ答えには驚くしかない。
 ユウヤミは二人がそんな表情をすることが分かっていたのだろう。いつも通りのにこやかな顔で言葉を続ける。
「当然、式典会場に近い場所の方が出現確率は高いけどねぇ。ほら、私達の普段通りの戦い方・・・・・・・・だと式典会場の皆様をおどろかせてしまうかもしれないだろう? だから、そっちは第三や第四にお任せしようと思ってね」
 普段通りの戦い方と言われてウルリッカとエドゥアルトは顔を見合わせた後、別に示し合わせた訳でもないのに高所で周囲を見渡しているミリタリーロリータ服の機械人形――ガートへと視線を向けた。ガートは見た目は愛らしいが中身は暴走機械人形であり壊した物の数は言うまでもない。
「言っておきますが、ガートのせいだけではありませんからね?」
 ガートが物を壊すから、と納得しようとしていたウルリッカとエドゥアルトにユウヤミの後ろに控えていたヨダカが静かに釘を刺してきた。思いあたる件しかない人間二人は言い返すこともせず、黙るしか他無い。
 式典会場に近い場所に配置されている第三小隊を率いるのは元軍人の経歴を持つエレオノーラ・ブリノヴァで、彼女の下で部下達も統率の取れた動きをとるのが特徴だ。かつて第六小隊にいたジョン・スミスも第三小隊では大人しくやっているようで、式典会場近辺で活動しても何ら支障はないことだろう――尤も彼は極力戦わずに怠惰にやっていて煩い筈も無いのだが。
 同じく式典会場に程近い配置にされているのは第四小隊だ。こちらは一般人ばかりで構成された小隊であり、戦闘力も買われているがそれよりもコミュニケーション能力の高さから配置されている部分があった。式典会場近くは軍警との連携が必要不可欠だ。だからこそ円滑な業務のために人あたりの良い小隊長、ロナ・サオトメが必要なのである。
「それに私はおまわりさんが苦手でねぇ」
 ユウヤミがそう言って苦笑して肩を竦めた。
「隊長は犯人なの?」
 おまわりさん――軍警が苦手といえば、何らかの悪人である。
 そんな単純なことを考えてウルリッカは素直に問い掛けた。その瞬間、ヨダカが一瞬だけエドゥアルトを見て、それからユウヤミに視線を移したことに気付いた者は誰もいない。
「そうなのかもしれないねぇ。どうにも軍警を見ると緊張してしまうんだよ」
「あ、分かりますその感覚! オレも街で軍警とすれ違う時、ドキドキしますから!」
 エドゥアルトが追随してユウヤミの言葉に乗っかる形になる。
 実際のところ、ユウヤミを前にして緊張するのは軍警の中でもユウヤミの正体を知る“お偉方”の皆様であろう。式典会場には当然ながら大統領をはじめとした要人達が招待されており、そんな方々と正面から「こんにちは」と挨拶を交わす趣味はユウヤミには無かった。
 今の自由をユウヤミは、それなりに気に入ってはいるのだから自分から壊しにいくような馬鹿な真似はしない。兎頭国の古い言葉で「君子、危うきに近寄らず」というやつだ。
「じゃあ、今日は安全?」
 そんなユウヤミの事情なんて知る由もなければ気付くこともないウルリッカの頭を占めていたのは、今、口に出した言葉通りの事であった。ユウヤミが安全だというなら、朝にウルリッカが抱いた死亡フラグが見事に気の所為になってくれる。これは、その期待を込めての問い掛けだった。
 ウルリッカの期待に輝く目を受けたユウヤミは一瞬だけ優秀な頭脳で考えた。ここで「安全だよ」と言うのがウルリッカの心を掴む為には最善の言葉であるが、そう言ってしまえば安心したウルリッカは気が抜けてしまうことだろう。今居るのはユウヤミの頭脳が導き出して比較的安全と考えられる場所であるが、それでも機械人形との遭遇の可能性はゼロパーセントではなく、猟犬を駄犬にする訳にはいかなかった。
「今日は“安全な場所”は無いよ、マルムフェ君」
 故にユウヤミはウルリッカの安心よりも彼女の勘が鈍らない言葉を選んだ。その言葉を聞いたウルリッカの表情が曇ろうとも、そこは譲ってはいけないところだ。
「そうですよね! 今日は先輩の頭脳を持ってしても絶対安全な地域なんてないですよね!」
 場を和まそうというのか、はたまたユウヤミへのおべっかなのか。
 エドゥアルトが明るく声を上げるがウルリッカの表情は晴れないままだった。

――やれやれ。何も無いままだといいねぇ。

 ユウヤミはエドゥアルトに「だからウーデット君も気をつけ給えよ」と声をかけながり、密かに嘆息する。
 優秀なユウヤミ。
 彼の頭脳をもってしても、今日がどうなるのかを全て予測することはできず所詮未来は「神のみぞ知る」状態なのであった。

継続するフラグ

 ぴょこぴょことポニーテールを揺らしてウルリッカは木に登っていた。
「ウルちゃん! 落ちないでね!?」
「大丈夫」
 木の下でウルリッカの銃を抱えて心配そうな顔をするシリルに大丈夫だとヒラヒラと片手を振ると「両手で幹を持ってちょうだい!」と余計にシリルが不安気に叫ぶ。きっとシリルが人間だったならば、今の顔色は真っ青か真っ青を通り越して真っ白になっているかのどちらかだったに違いない。
 そんな心配をよそに立派なナラの木をウルリッカはスルスルと登っていく。ウルリッカが住んでいた集落コタンはカヌル山の中にあり、自然が近い環境故に林業を営む者も少なくない。そんな林業のプロ達に幼い頃から木登りを仕込まれているのだから、登りやすいナラの木ならば失敗なんてしないのだ。
 ある程度登ったところでウルリッカは手を止めた。
 手頃な枝に足を乗せて安定したことを確かめると、振り向いてナラの葉の間から見たかったものへと視線をやる。
『どうだい、マルムフェ君。会場は見えたかい?』
 樹上のウルリッカの姿が見えないはずのユウヤミから、見えているのかと問いたくなるようなタイミングでインカムに声が入った。ユウヤミのこういう異常性に慣れきっている第六小隊のメンバーであるウルリッカなので、そういったツッコミを入れることなく端的に問いに答える。
「うん」
『異常は見えたかい?』
「見えない、です」
 追悼式典の行われているコンベンションセンターは「ミクリカの惨劇」でも郊外にあった故か破壊を免れた建物だ。「ミクリカの惨劇」後は避難所や遺体の安置所になっていたという場所でもあり、今日の式典参加者の中には様々な思いを抱いている者もいることだろう。
 そんなコンベンションセンターは式典参加者達に機械人形が襲いかかることもなく今は中で平和に追悼式典が行われている。木に登る前に横目で見た時、ヨダカが持ってきたタブレットからは大統領のワズクム・イゼナが何やら有り難そうな話をしていたのが見えた。尚、余談であるが当然のようにウルリッカは大統領の名前なんて覚えていない。
 ウルリッカからの報告を聞いたユウヤミの声は、どこか楽しそうだった。
『取り敢えず目に見えた異常が起きていないなら上々だねぇ』
『高みの見物とは随分なご身分ね、第六小隊長殿』
 そんなユウヤミの独り言のような呟きに割り込んできたのはエレオノーラ・ブリノヴァ――バーティゴの声だった。こちらはユウヤミの呑気さと反比例した声をしており、彼女達の置かれている状況が窺い知れる。
 それもその筈。
 何も起きていないように見えているコンベンションセンター周辺は機械人形の襲撃を受けている真っ最中なのだから。
『第三小隊長殿も会話をしている余裕があるなら何より』
『貴方の所から引き受けた副長・・が良くやってくれているのよ。譲って下さって礼を言うわ』
 バーティゴの言う「副長」の名前はジョン・スミス。ユウヤミ本人に対する不信感や人使いの荒さと際どい指示に不満が増長していたところに、諸事情で脱退したクジマ・トルビンの穴を埋める形で丁度いいと第三小隊へ異動した過去を持つ男である。故に、これはただの嫌味だ。
『スミス君もそちらで楽しくやっているなら異動したかいがあるというものですよ』
 ユウヤミの言葉をバーティゴが鼻で笑う。
 そんなバーティゴの後ろでは何やら騒がしい声が上がっておりインカムにまで入ってきているのだが、会話をしているバーティゴとユウヤミが気にしていないのでウルリッカもジョンの声だなと思いつつもBGMの一環だと思うことにした。
『ところで、そちらは第四とは?』
『連絡はとれてないわね。あちらの方が忙しそうみたいだし、どうやら軍警さんは立っていれば終わる仕事とでも思ったのか新兵を投入してるみたいで指揮系統が混乱してるみたい』
 どこか呆れたような声でバーティゴが言う。
 姿が見えないのに彼女が肩をすくめている姿が目に浮かぶようだった。
『そちらも気をつけてちょうだいね』
 そんなバーティゴの声で通信が終わる。
 ウルリッカはバーティゴ達第三小隊が居るであろう方向に目を向けるが、やはり遠目に見る限りでは何も変化はない。おそらく今日は銃を使用することを避けているか、サプレッサーで銃声を小さくしているのだろうとウルリッカは検討をつけた。
 連絡のとれていない第四小隊は大丈夫だろうか。
 彼等が配属されているらしい場所に目を向けても何の変化もないが、ウルリッカは狩猟仲間であるヘレナ・マシマの事が心配になる。サプレッサー付の銃なんて普通の猟師はまず使わない。慣れない銃に苦戦して怪我などしていなければいいが。
『マルムフェ君、そろそろ降りておいで』
「了」
 ヘレナへと思いを馳せていると、ユウヤミへ現実に引き戻される。
 返事をするとウルリッカは登った時と同じように軽々と木を下りて――最後は面倒臭くなったので飛び降りた。シリルの悲鳴が上がったが、別に足がちょっぴりジンッとしただけなのでウルリッカはいつも通りのスンッとした顔でシリルから銃を受け取ろうと手を伸ばす。
「もうっ、寿命が縮むようなことは止めて欲しいわ!」
「寿命……?」
「気分よ、気分! それくらいの気持ちだったってコトよ!」
「ごめん」
 一応は心配をかけてしまったので申し訳ないと謝罪をすると、シリルの機嫌は簡単に直って「次は気をつけて」と釘を刺されつつも銃を渡してくれる。ウルリッカの大銃エルドちゃんはサプレッサーを付けられる仕様にはしていないのでいつも通りの姿だが、ユウヤミ曰く「此処は会場から遠いから音なんて届かないから大丈夫」とのことなので特に気にはしていない。
「敵さん、おらんなぁ」
 ウルリッカとは違い瓦礫の山の上で周囲を警戒していたガートがつまらなそうに呟く声が耳に届く。
 ガートが見ていたのはカヌル山方面。
 ウルリッカが住んでいた南面とは表情の違う傾斜の強いカヌル山が、そこにはあった。
 山神様が見ていてくれるから、大丈夫。何も起こらない。
 このまま何も起こらずに終わることをウルリッカは強く願った。

フラグ回収

 なーんだ、良かった。
 ウルリッカの朝からの心配は全て杞憂に終わっていた。
 追悼式典は無事に終わり参加者は帰路へとついた。外での騒ぎも中には伝わらず、参加者が会場から出る前に全てを片付けたようで参加者達は外で騒ぎがあったことを知る由もないことだろう。
「ヘレナ、無事で良かった」
「心配かけて申し訳なかったですの。でも、皆無事でしたの!」
 最後の片付けを手伝う為に会場近くに配置された小隊と合流すると全員が無事という奇跡の状態で安堵する。ヘレナと抱き合うと身長差で彼女の持つ豊満な山に埋もれて苦しいが「立派なものをお持ちでいいなぁ」と何とも羨ましい気持ちになってしまう。
 しばらくぎゅうぎゅうと女子同士のハグを堪能するとウルリッカは現場に来た時から気になっていた人物へと目を向けた。その人は今、ロナと何やら親しそうに話している羨ましい赤毛の持ち主だ。
「あの女の人誰?」
「サオトメさんのお姉さんのユロさんだそうですの。あの人がいたお陰で助かったところがあるですの」
「ロナの姉……」
 言われて見ると何となく顔立ちが似ているような気がするが、目つきが姉のユロの方がロナよりもキツめだ。そして顔立ちだけでなく会話をしているだけなのに何だかロナが押されているように見えるので、おそらく兄弟の力関係としては姉の方が上なのだろう。
「凄い剣捌きで機械人形を倒されていたのですの。ほら、あの山はユロさんが倒された機械人形だけですの」
「え?」
 ヘレナが指さした機械人形の山に、さすがのウルリッカも目を丸くする。
 第四小隊のメンバーが倒した機械人形の数と比べて撃破数が段違いであることが見ただけで良く分かる山がそこにはあった。
 銃で一気に片付けたというなら納得の数だが、見る限りユロの得物はロナと同じように刀のようだった。刀でそこまで戦えるとは恐ろしい女もいたものだと思う。
「おーい、トラックに載せるの手伝ってくれ!」
 倒した機械人形をトラックに載せていたビクター・トルーマンがヘレナとウルリッカに声を掛けてくる。断る理由もない二人は早く帰社できるようにとビクターを手伝うことにして彼の元へと寄って行った。
「どれから運ぶのですの?」
「とりあえずロナの姉ちゃんが倒したやつからだな!」
「分かった」
 ビクターの言葉に頷いてから、ウルリッカはユロの倒した機械人形の山へと近づく。本当に凄い数だと、ひたすら感嘆してしまう。
「ユロさん、凄いですの。結社に入ってサオトメさんと一緒に戦ってくれたら凄く凄く力強いですの」
「そうだね」
 ヘレナの言葉にウルリッカも頷く。
 ユロが実際に戦っている姿を見たヘレナが言うくらいなのだから是非ともマルフィ結社に入って欲しいと思う。
 そこまで思ってからユロは今の今まで何処にいたのだろうという疑問が過ぎる。これだけ戦える人間ならば、ロナと一緒に結社に入って戦っていてもおかしくないだろう。それなのに何故、ユロはマルフィ結社に入っていないのか。ひょっとしたら、ずっと怪我をしていて入院していたからなのだろうかとも推測するが、彼女の様子を見る限りではそんな様子は微塵も見られない。
 謎すぎるぞ、ロナの姉。
 そんな謎多き姉に思いを馳せすぎていたからだろうか。
 積み上げられた機械人形の山の中に赤く光るもの・・・・・・があったことへの反応が遅れてしまった。
 人間で言うなら死んだフリというやつか。
 はたまた傷が浅く未だ稼働できるものが残っていたのか。
 ジャンクと化した機械人形の山から飛び出してきた生き残りの機械人形はウルリッカの頭へと手を伸ばす。
 咄嗟的にヘレナが銃を構えるが、ウルリッカと機械人形の距離が近過ぎて跳弾の可能性が高い為に発砲することが出来ない。
 かろうじてウルリッカは身を屈めて手を避けるが、頭部に走る痛みに顔を顰めた。頭部自体を掴まれることは回避できたものの、よりにもよって機械人形はウルリッカの一つに纏められた髪を掴んで引っ張っていたのだ。
 「死亡フラグ」という単語が脳裏を過ぎる。
 もちろん、死にたくは無い。
 故にウルリッカは腰のフクロナガサを抜き放つと、返す刀で己の髪を断ち切った。ウルリッカという重みを失った機械人形は数歩ふらついて、その手の髪を用は無いとばかりに手放す。
 その機械人形が取れた行動はそこまでだった。
「まだ動けるのがいたなんてね」
 紫電一閃。
 機械人形の首を掻っ斬ったユロが笑う。地に倒れ伏した機械人形の目は、もう何色の光も宿していない。
「機械人形を片付ける前に今一度確認を!」
 ロナが小隊のメンバー達に指示を飛ばしている声がする。
 全て終わったとばかりの空気が漂っていたその場は、ロナの声で引き締まった空気へと変貌した。
「だ、大丈夫ですの……?」
 ヘレナが眉を下げてウルリッカを見つめる。
 座り込んでいたウルリッカはヘレナを見上げて小首を傾げた。
「何が?」
「『何が』って、その……い、色々ですの!」
 ヘレナは明言を避けようとして結局何も言えなくなる。
 機械人形から逃れようとして切ったウルリッカの髪は酷い有様だった。
 ウルリッカの尾っぽのようだった髪がいっそ蜥蜴のしっぽのように見事に切断されていれば良かったものだが長さがまちまちで、それは幼い子供が人形の髪の毛を切って遊んだ時のような有様だ。
「大丈夫だよ、大丈夫」
 そう言ってウルリッカは立ち上がる。
 しかし、その顔色は朝よりもずっと悪いものでウルリッカは片付けよりも先に撤退を命じられることとなるのであった。