ぴょこぴょことポニーテールを揺らしてウルリッカは木に登っていた。
「ウルちゃん! 落ちないでね!?」
「大丈夫」
木の下でウルリッカの銃を抱えて心配そうな顔をするシリルに大丈夫だとヒラヒラと片手を振ると「両手で幹を持ってちょうだい!」と余計にシリルが不安気に叫ぶ。きっとシリルが人間だったならば、今の顔色は真っ青か真っ青を通り越して真っ白になっているかのどちらかだったに違いない。
そんな心配をよそに立派なナラの木をウルリッカはスルスルと登っていく。ウルリッカが住んでいた
集落はカヌル山の中にあり、自然が近い環境故に林業を営む者も少なくない。そんな林業のプロ達に幼い頃から木登りを仕込まれているのだから、登りやすいナラの木ならば失敗なんてしないのだ。
ある程度登ったところでウルリッカは手を止めた。
手頃な枝に足を乗せて安定したことを確かめると、振り向いてナラの葉の間から見たかったものへと視線をやる。
『どうだい、マルムフェ君。会場は見えたかい?』
樹上のウルリッカの姿が見えないはずのユウヤミから、見えているのかと問いたくなるようなタイミングでインカムに声が入った。ユウヤミのこういう異常性に慣れきっている第六小隊のメンバーであるウルリッカなので、そういったツッコミを入れることなく端的に問いに答える。
「うん」
『異常は見えたかい?』
「見えない、です」
追悼式典の行われているコンベンションセンターは「ミクリカの惨劇」でも郊外にあった故か破壊を免れた建物だ。「ミクリカの惨劇」後は避難所や遺体の安置所になっていたという場所でもあり、今日の式典参加者の中には様々な思いを抱いている者もいることだろう。
そんなコンベンションセンターは式典参加者達に機械人形が襲いかかることもなく今は中で平和に追悼式典が行われている。木に登る前に横目で見た時、ヨダカが持ってきたタブレットからは大統領のワズクム・イゼナが何やら有り難そうな話をしていたのが見えた。尚、余談であるが当然のようにウルリッカは大統領の名前なんて覚えていない。
ウルリッカからの報告を聞いたユウヤミの声は、どこか楽しそうだった。
『取り敢えず目に見えた異常が起きていないなら上々だねぇ』
『高みの見物とは随分なご身分ね、第六小隊長殿』
そんなユウヤミの独り言のような呟きに割り込んできたのはエレオノーラ・ブリノヴァ――バーティゴの声だった。こちらはユウヤミの呑気さと反比例した声をしており、彼女達の置かれている状況が窺い知れる。
それもその筈。
何も起きていないように見えているコンベンションセンター周辺は機械人形の襲撃を受けている真っ最中なのだから。
『第三小隊長殿も会話をしている余裕があるなら何より』
『貴方の所から引き受けた
副長が良くやってくれているのよ。譲って下さって礼を言うわ』
バーティゴの言う「副長」の名前はジョン・スミス。ユウヤミ本人に対する不信感や人使いの荒さと際どい指示に不満が増長していたところに、
諸事情で脱退したクジマ・トルビンの穴を埋める形で丁度いいと第三小隊へ異動した過去を持つ男である。故に、これはただの嫌味だ。
『スミス君もそちらで楽しくやっているなら異動したかいがあるというものですよ』
ユウヤミの言葉をバーティゴが鼻で笑う。
そんなバーティゴの後ろでは何やら騒がしい声が上がっておりインカムにまで入ってきているのだが、会話をしているバーティゴとユウヤミが気にしていないのでウルリッカもジョンの声だなと思いつつもBGMの一環だと思うことにした。
『ところで、そちらは第四とは?』
『連絡はとれてないわね。あちらの方が忙しそうみたいだし、どうやら軍警さんは立っていれば終わる仕事とでも思ったのか新兵を投入してるみたいで指揮系統が混乱してるみたい』
どこか呆れたような声でバーティゴが言う。
姿が見えないのに彼女が肩をすくめている姿が目に浮かぶようだった。
『そちらも気をつけてちょうだいね』
そんなバーティゴの声で通信が終わる。
ウルリッカはバーティゴ達第三小隊が居るであろう方向に目を向けるが、やはり遠目に見る限りでは何も変化はない。おそらく今日は銃を使用することを避けているか、サプレッサーで銃声を小さくしているのだろうとウルリッカは検討をつけた。
連絡のとれていない第四小隊は大丈夫だろうか。
彼等が配属されているらしい場所に目を向けても何の変化もないが、ウルリッカは狩猟仲間であるヘレナ・マシマの事が心配になる。サプレッサー付の銃なんて普通の猟師はまず使わない。慣れない銃に苦戦して怪我などしていなければいいが。
『マルムフェ君、そろそろ降りておいで』
「了」
ヘレナへと思いを馳せていると、ユウヤミへ現実に引き戻される。
返事をするとウルリッカは登った時と同じように軽々と木を下りて――最後は面倒臭くなったので飛び降りた。シリルの悲鳴が上がったが、別に足がちょっぴりジンッとしただけなのでウルリッカはいつも通りのスンッとした顔でシリルから銃を受け取ろうと手を伸ばす。
「もうっ、寿命が縮むようなことは止めて欲しいわ!」
「寿命……?」
「気分よ、気分! それくらいの気持ちだったってコトよ!」
「ごめん」
一応は心配をかけてしまったので申し訳ないと謝罪をすると、シリルの機嫌は簡単に直って「次は気をつけて」と釘を刺されつつも銃を渡してくれる。ウルリッカの
大銃はサプレッサーを付けられる仕様にはしていないのでいつも通りの姿だが、ユウヤミ曰く「此処は会場から遠いから音なんて届かないから大丈夫」とのことなので特に気にはしていない。
「敵さん、おらんなぁ」
ウルリッカとは違い瓦礫の山の上で周囲を警戒していたガートがつまらなそうに呟く声が耳に届く。
ガートが見ていたのはカヌル山方面。
ウルリッカが住んでいた南面とは表情の違う傾斜の強いカヌル山が、そこにはあった。
山神様が見ていてくれるから、大丈夫。何も起こらない。
このまま何も起こらずに終わることをウルリッカは強く願った。