「ヴォイ姐!おーはよっ!」
漫画にでもされたらそれこそ『ぴょこりん』とかそんな変な効果音でも付きそうな勢いだなぁ。
と、ヴォイドが思う程にヒギリは朝から元気だった。
「………」
「ちょっとヴォイ姐!!無視は良くない!!おーはーよー!!」
「…はいはい、おはよ」
挨拶に馴染みのないヴォイドは岸壁街でしていたのと同じ様に無視を決め込もうと思っていたものの、地上に上がり結社に所属しやかましい女に目を付けられて以降それは許されない感じがした。
一度目を付けられたら最後。返事を返すまで逃してもらえない。
結社に来たヴォイドは、先ず相手にオウム返しでも良いから何か返事を返した方がスムーズに事が進むとそう覚えた。
「…ねぇねぇヴォイ姐、昨日はお風呂入った?」
「失礼な聞き方するな」
「だって……」
「大丈夫、もうお前に言われてから服ごとシャワー浴びたりしてない」
ヒギリはその言葉にほっと胸を撫で下ろす。そして、ヴォイドと
距離を縮めた時の事を思い出していた。
* * *
「よろしくね!ヴォイ姐!!」
「…変なあだ名…」
「ところで。失礼な事聞くけどヴォイ姐ってお風呂入ってるんだよね?」
「え?……入ってないよ」
「え!?」
「風呂?って何?シャワーじゃん、独身寮の部屋に付いてんのって」
そう言われてヒギリは思わず「あ」と声を漏らす。東國出身の母の実家では当たり前の様にバスタブのある浴室だったし、自分の実家にもそんな風呂好きな母の拘りで浴室はカンテ国に珍しく東國仕様となっており、広さも相当取っていた。だが、それはヒギリの周りの環境がそうであったと言うだけで、身近な人間だと
ディーヴァ時代に親しくしていたソフィア・マーテルも自分の家に遊びに来た時に風呂を見て「私の家と違う!」と驚いていたのだった。
カンテ国の普通の家の子でも風呂を見て驚いていた。それがヴォイドの様な特殊な生い立ちの人間が馴染みのあるものかと言うとそれはなかなか難しい話だったのだ。
「そっか…お風呂知らないのか」
「……流石にそんな事無いけど…言われて思い出した。長い事入って無かったから何か…忘れてただけ」
「え!?ヴォイ姐の家、浴槽あったの!?」
「………」
途端、何かを
思い出したのかヴォイドの顔がぽっと赤くなる。ヒギリが疑問符を浮かべた顔で彼女の顔を覗き込むと、『見るな』と言わんばかりに手の平で乱暴に押し返された。
「わぷっ」
「…見るな」
「わ、分かったから押さないで!顔潰れちゃう!」
解放されたヒギリは痛たたた…と文句を言いながら再度ヴォイドを見る。もう彼女はいつもの顔色に戻っていた。
しかし、岸壁街で彼女は一体どう言うバスタイムを送っていたのだろうか?そもそも岸壁街とはどう言うところなのだろうか?階層があるとは噂に聞いていたが、彼女はどこから来たのだろうか?
「えーっと、何?」
「は?いきなり何だ。むしろ私が今お前に聞きたいけどそれ」
「あ、ごめん。何から聞いて良いのかなーって思って」
「だからって『何?』とか聞かれても分かるか」
へへへ…と笑みをこぼしながら頭を掻くヒギリ。まぁ良いか、また順々に聞いていけば。
軽く言葉を交わして少し打ち解けた気がする。初めての会話があまり身のないお風呂トークと言うのもどうかと思うが、少なくともシャワーは一応浴びているらしいと言う事だけ分かったから良しとするか。
昼食の続きを食べると言うヴォイドから離れ、テラスから食堂に戻ってきたヒギリ。彼女が厨房に入ろうとした瞬間に声を掛けて来たのは同僚のジュニパー・モンクスフッドだった。ジュニパーはヒギリにとってあまり良い同僚では無かった。ヒギリの中で彼女の評価はこの時既に「性格が悪い人」になっていたからだ。
「ちょっとモナルダさん、アルコールでも浴びて来たら?」
「……モンクスフッドさん、それどう言う意味?」
「臭いんだけど。あの『Q』の女とお喋りは良いけど、雑菌とか移されてたら嫌だからそのまま厨房に入るの止してよ」
ジュニパーははっきりと物を言う女性だった。母が東國人とは言え奥ゆかしさのあまりないヒギリだが、それでも一瞬たじろいでしまう程にはジュニパーの物申すはっきり度合いは苦手であった。
「え!?私臭いの…!?」
「は?その臭い自分で分からないわけ?」
「……私あんまり感じなかったんだけど」
「あっそ。じゃあもうあんたの鼻もあの女と一緒で馬鹿になってるんじゃない?良いからアルコール頭から被るなり何なりして。もし食中毒なんか起きたらモナルダさんを疑うからね」
そう言って持ち場に戻るジュニパー。ヒギリは心の中でブーイングのハンドサインを取りながら密かに『そもそも臭い分かる様な距離まで近付いてない癖に!ヴォイ姐と話してるの目敏く見てたからそう言っただけの癖に!』と反論した。その後モリーがすぐにヒギリに近付き、一応念の為エプロン等身に付ける物は交換してみましょう?と提案したのでヒギリは大人しくそれに従った。ジュニパーもモリーの提案なら呑めるのかその後は『アルコールを被れ』と執念く責めるでもなく、ヒギリに特に突っ掛かる事もなく仕事をしていたが、ヒギリの心にはモヤモヤと不満が溜まった。
「全くもう…あの人文句言うだけなんだからなー本当に!リーシェールさん、私臭くないよね!?」
「………」
「ん?」
「…………ええ!」
「あれ?」
今の間は何だろう?
ヒギリは仕事終わりにすんすんとヴォイドと話した際に着ていたエプロンに鼻を近付ける。確かに、時間が経っている筈なのに微かに嫌な臭いが漂いヒギリは居た堪れない気持ちになった。
やっぱり、自分の匂いって分からないもんだなぁ…と。
その後しばらく、ヴォイドは食堂に顔を出さなくなり、ヒギリも若干拍子抜けした気持ちになりながら業務に就いていた。ヴォイドの来ない食堂は平和だとそう思ってしまう自分の事も少し嫌になりながらふとした時に彼女の事を考えた。
「やっぱ『Q』が来ないと平和で良いわねー」
いつも通り本当に何気ない言い方で口にするジュニパー。嫌味でも何でもなくただ思った事を口にしただけではあるが、内容がネガティヴな為にヒギリは余計にムッとした。
二週間後、仕事が休みの日にたまたま同じく休みでいたヴォイドにやっと会えた時久し振りに顔を見た彼女からまた強い異臭がした為、ヒギリは思わずそれを指摘し彼女の部屋に着替えを取りに行けと文句を言った。ヴォイドは煩わしそうに流そうとするがヒギリはそれを許さない。
「良いけど。それ着替えて改善されるならもう改善されてるんじゃない?」
そう言うヴォイドの部屋に着いて行ったヒギリは絶句する。彼女の部屋は、清掃部の人間が立ち入ったとするなら有り得ない程汚れていたし、臭いが立ち込めていた。
彼女なりにトラブルを避けようとした結果なのだろう。おそらく食堂に来ない間は自分の部屋に籠って食事を摂っていたらしいヴォイドの部屋はゴミで溢れており、捨てられ無かった二週間分がそのままになっていた。恐ろしい事にヴォイドは料理も嫌いじゃないらしく何らかの調理に使ったであろう海老の殻や鶏肉のパックが転がっている。
海産物や肉から出るドリップは放置すると強烈な臭いを発する。彼女の部屋の狭い台所はそれらのゴミで溢れ、気温の低いカンテ国でありながら謎の虫が湧いていた。
「ヴォ、ヴォイ姐!窓って開けないの…?」
鼻をつまみながらヒギリがそう尋ねると、ヴォイドはふるふると首を横に振った。
「窓開けて物盗りに入られても困る」
「うわぁお……」
ヴォイドにとって窓を開けるとは物盗りを歓迎する事と同列らしい。その理論にヒギリはクラクラした。清掃部にゴミ捨てと洗濯の依頼をしたかと更に尋ねれば、やはりヴォイドは首を横に振った。
「……そう言うので部屋に入って、そのまま色々盗まれたりしそう」
「そ、そんな事無いってば…」
「…前から思ってたけど、何で『無い』なんて言い切れるの?」
「むしろ何で清掃部の人達が部屋に入って盗みを働くと思ってるの…」
「私だったらそうするから。『掃除します』なんて大義名分あれば用心されずに部屋に入れるだろ」
ヒギリは、何故ヴォイドとこんなにも話が噛み合わないのか少しだけ理解した。彼女とは育って来た環境が違い過ぎて、前提としているものもまた違い過ぎる。
ヒギリにとって人を疑わない事が当たり前の様に、ヴォイドは当たり前に人を疑う。
岸壁街の出身の人達は確かにあの土地から離れて生活は良くなったかもしれない。それでも生活環境がガラリと変わって戸惑ってしまう感覚は、彼等も自分達と変わらないのだとも思う。
生活が良くなるからそれで良いのでは無い。
新しい環境に慣れる事ができなければ、住んでもそこが安住の地にはならないのだ。
しかし、だからと言って理由はそうだったにしろこの場のルールを脅かす事になるならばそれは看過できない。ヴォイドがこのままの価値観でこのまま生活を続けていたら間違いなくまたトラブルになるし、結社内での立場も危うくなるだろう。
ヒギリは鼻をつまみながらヴォイドの説得を試みる。彼女のこの異臭騒ぎの要因に洗濯物に洗剤を一切使わないと言うのもあるらしいと知ったのは、彼女がシャワーと洗濯を一緒に行うと言う強行手段に出ていたと聞いたからだった。
ヴォイドは周りに用心して、或いは面倒臭さから服を着たままシャワーを浴びに行き、その場で洗いながら服を脱ぎ着ていた服は部屋に干して終わり。勿論部屋の窓も開けないので換気もされない。臭いの籠る悪循環が無事爆誕と言うわけだ。
「ヴォイ姐……それはいかんて」
やっとの事で振り絞ったヒギリの言葉にヴォイドは首を傾げる。当たり前の様に、彼女は何がいけないのかが分からない。
「…何がいけないの?」
「いけないって言うか、『物を盗られない様に』って心配よりやっぱここでは臭いを心配した方が良いと思う…」
「だけど……」
「現にさ、今盗られて困るものってある…?」
ヒギリに聞かれたヴォイドは黙ってしまった。テロで身一つになったヴォイド、今の彼女には盗られて困るものは無い。ただし、これまで生きて来た経験からつい用心をしてしまうとそう言う事だった。何故なら用心した方が何かと得だからだ。
しかしそれでも今は状況が違う。結社なら衣食住の確保はされているし、仕事の品質安全も保証
せねばならない。つまり、ヴォイドの懸念する様な事を本当に行う者が清掃部にいればそれは罰せられねばならないし、そこに所属する以上はヴォイドもそれに則った行動を取らねばならない。
「ヴォイ姐も周りを信用して、仕事として掃除に来る清掃部の人に預ける事も大事ってこと。だってこんなに溜め込んでいざ『お願い』って渡す時汚れが膨大だったら余計に清掃部の人達の仕事増やしちゃう。思い切ってお願いするなら早い方が良いよ、絶対」
「………」
「それに、ずっと誰にも任せず自分でも処理せず…なんてやっててもっと大きなトラブルになったらヴォイ姐、仮に結社から出てけって言われたらどこ行くつもり?」
「……今のところどこも…転々とする事も考えなくも無いけど、ここまで条件良いの結社だけだし」
「じゃあ尚更、ここのルールに従うしか無いよね」
ヒギリの言葉に観念したのか、ヴォイドは溜め息を吐くと窓を開けに向かった。全ての窓を全開にすると風通しの為に玄関のドアも少し開け、そして洗濯籠にポイポイとランジェリーを突っ込んでいく。
ヒギリは一瞬何が起きたかよく分からなかったが、ヴォイドが自分の言う通りにしようとしてくれていると気付き嬉しそうに鼻を押さえていた手を取った。でもやっぱり臭かった為しばらくは口で息をしながらそれでもヒギリは満足そうだった。
「これ」
「ん?」
「これ、全財産」
「え!?」
ヴォイドが『全財産』だと指したのはたった今洗濯籠に入れた少量のランジェリーとまだ新しいスクラブだった。
「何か、どうでも良くなった」
「え……どうでもって…」
「『人を疑うの』が、どうでも良くなった」
「……本当?」
「地上の人間って綺麗事ばかりで得体が知れないって思う事もあったけど。お前みたく納得出来る材料を挙げた上でそれでも尚突っ込んでくるお人好しが多そうならまぁ良いかなとも思う。電子通帳は自分の手元にあるから金盗られる心配はしなくて良いし、よくよく考えたらそんなサイズの合わない下着盗りたがるアホ居ないだろうし」
ヒギリは与り知らぬ事ではあるが、ヴォイドは『納得出来る材料をくれた上でそれでも尚突っ込んでくるお人好し』と言う言葉に自分の医学の師匠の顔を思い浮かべていた。
しかし、ヒギリからしたら『自分のサイズ』が他者に比べてかなり大きく、且つなかなか無いものである事をヴォイドが自覚している事が意外だった。無頓着そうだったから適当だと思っていたのだが、よくよく考えたら籠に入れられた下着達はどこで買ったのか可愛い物が多く、テロの混乱でもこれだけ持って来ていたと言う事は相当大事にしていたのかもしれない。
ならシャワー浴びついでにみたいな適当な洗い方しないでちゃんと洗剤使って洗えよ、ともヒギリは思ったが、とりあえずヴォイドの気持ちが前向きになった様な気がするので良しとする。
ちらりとヴォイドの顔を見れば、彼女はいつもの虚ろな目でどこか分からないところをぼうっと見ていた。そんな彼女の瞳の綺麗さにヒギリは気付く。
やっぱり、こんな綺麗な人から鼻が曲がる様な臭いは何かこう、イメージと違う。
ヒギリは決意を固めた様に息を吐くと大きな声で言った。
「良し!じゃあヴォイ姐、今からゴミ捨てよう!」
「は?」
「調達班の子からゴミ袋もらってくるからある程度ゴミ捨てよう!?そしたら清掃部の人に頼んで洗濯とかお掃除の仕上げやってもらおう!?」
「…何でそうなる…」
「やるならやる気のある内に!!徹底的に!!」
「面倒臭い…」
「さー!やるぞー!!」
「はぁ…。まぁ、そろそろキッチン狭くなって来てたし良いか、別に」
調達班から袋を貰い、とりあえず臭いの元たる生ゴミのまとめを行う。自炊も出来るらしいヴォイドだが、ゴミの捨て方はあまりよく分からない様でやればやるだけそのままだった。おまけに、料理をするのはそこまで苦ではないらしいが洗い物は得意ではない様で、紙皿や使い捨てまな板が汚れたままどこかしこに置かれていた。無頓着なのかゴミ箱を買っておらず、剥き出しのままの生ゴミが生活スペースに積み上げられていればそれは臭くもなるなと改めて思った。
彼女の言う『キッチンが手狭に
なった』の真の理由に若干青ざめながらヒギリはどんどんゴミ袋に纏めていく。一枚、また一枚と袋を消費し、ヴォイドが入社してから今までの約一ヶ月近く溜め込んだゴミをまとめて縛って、清掃部のザラに連絡も取ってこの後来てもらう事になった。
──この人、分かるところは分かってやってたみたいだけど分からないところは本当に何も分からないんだな。教える人はどう言う教え方したんだろう?
ゴミを纏めた事で若干臭いもマシになった気がして気持ちに余裕の出たヒギリは世間話を始めた。
「それにしても、ヴォイ姐意外だねー。料理出来たんだ?」
「…ただ炒めたり煮たりしたやつに塩胡椒で味付けしてるだけ。凝った物は作れないし、腹に溜める為に作ってるだけ。ただ、食材は基本生食は危なくて、焼くと大概食べれるって言うのだけ教わったからそう言う風にしてるだけ」
「へー!それでも知ってるだけ凄いと思うよ!知ってれば色々出来るし!誰が教えてくれたの?お母さん?」
一般家庭の出のヒギリにとっては何気ない質問だった。しかしヴォイドは一瞬の内に頭の中で色々がフラッシュバックするのを感じる。
顔も知らないお母さん、調理済みの食材をいただきに行くと言う口実で家に通っていた初恋の人、保護者ではあったが少なくともまともな親では無かった娼館の娼婦達、どう言う理由か分からないが『出資者と関わらせない方がいい』と言う謎の理屈を捏ねて子供の自分を娼館から追い出した娼婦のリーダーっぽい女、結果として料理を教えてくれたのは初めて自分を抱いた相手、抱いて抱いて四六時中求めてまともな女として扱ってた様に見えた癖にサヨナラも言わずに置いて行った男、
──まともな生き方をせずここまで来た自分。まともな世界に生きる人間には必ず『お母さん』がいる。だから『お母さん』がいたら違ったのかもしれないのに。『お母さん』さえ居れば。
「ヴォイ姐?」
軽くトリップしていたヴォイドはヒギリの呼び掛けにハッとなる。
当たり前の様にヴォイドの考えもまた偏見塗れである。地上の子は皆両親が揃っていて幸せで当たり前。当時、『消滅の神様』と『お母さん』と言う偶像に信仰染みた憧れを抱いていたヴォイドはそんな偏見に溢れていた。関わって来た人間の事だってあくまで自分から見た側面しか見えていなかったのだと言う事にも気付かずに。
「ヴォイ姐ー?おーい?」
「いない…」
「え?」
「私…『お母さん』、知らないしいないから。一緒に住んでた男が自炊出来る奴でちょっと聞いた事あっただけ」
そう、だから私は地上の人間とは違って多分まともじゃない。
そう言う含みも込めて自傷気味に吐き捨てたヴォイドだったが、悲しいかなそんな自傷はこの単純な思考回路の少女には通用しなかった。
「え……一緒に住んでた男…?って、ヴォイ姐同棲してたのーー!!?うそうそ!?嘘でしょ!?えー!!良いなー!!私もね!アイド…バイト先の友達に内緒でやってる子居たんだけど、もう話聞く度良いなーってすっごい憧れだったんよ!!」
「………は」
「良いなー!!良いなー!!憧れるなー!!好きな人と夢の同棲生活…!!もう好きな人と一緒に暮らすシチュエーションなら監禁でも良い…!!」
「
頭おかしいんじゃない?」
「酷っ!!何で!?憧れたって良いじゃないか!!彼氏ってどんな人だったの!?え!?って言うか今も付き合ってるの!?」
「……今は知らない」
「えー!!その時の彼氏どんな人!?」
「彼氏じゃない……。胡散臭くてキザで割と常にエロくて後ろから揉むのが好きな癖に正常位じゃ無いと嫌な奴」
「
きゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
「うるさい」
「え、え、エロい奴!?彼氏じゃないのにエロい奴…!?ヴォイ姐ってその、どこまで経験してらっしゃるのでしょうか…!?」
「……岸壁街下層の出にそれを聞くのは馬鹿だと思う」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
「うるさい」
「いやぁぁあんっ!!ちなみに私はまだ誰のものでもありませんっ!!」
「聞いてない」
──こいつ、地上の普通の家の出だし汚い世界とか厳しい世界とか何も知らないんだろうな。お辛い事も何もなく、のほほんと暮らして来てそうだけど今までよく生きてたな。
そんな話をしているとどこから聞こえていたのかケラケラと笑いながらザラが現れる。ヴォイドは一瞬身構えたが、ザラがどう見ても物盗りの雰囲気で無かった為すぐに警戒を解いた。
「おやまあ!本当に凄い臭いだね!」
「だよね!?やっぱクサイよね!?」
「一言目から余計だ」
「おやおやごめんよ!!でもねぇ、おばさん嬉しいよ!このまま放置されてゴミ屋敷みたくなってたら片付ける時の私らの仕事、他の業務もあるのに一日掛かり切りになっちゃうからねぇ!ちゃんとやろうと思い立つ事が偉いよ!」
褒められ慣れないヴォイドはザラの言葉に相槌を打つ事も返事をする事も出来ずにいた。ザラはそれを察してか、それとも特に気にしていないのか、街でよく見るゴミ収集の係員の如くテキパキとゴミを部屋の外に出し、そして籠に入れられたランジェリーを見た。
「うーん……下着にまで付いてそうだねぇ、この臭い」
「これしかないしこれ以上下着持ってない」
「え!?じゃあこれ出したらアンタ着るもの無いじゃないの!!急拵えで良いから替えのもの買ってらっしゃいよ!!」
「ザラおばさん、ヴォイ姐ランジェリーには拘りあるんだって」
「拘りとか言ってないでスポブラでも何でも良いからちょっと数日分着れるだけ買いな!!」
「……ダサいのは嫌」
「そんな事言ってる場合かい!?」
「だって…私の服だから、それ」
「ちょっと待って…アンタ服持ってないのかい!?」
「だから、それが服」
「これは下着だよ!!」
ヴォイドの状況は思ったより深刻である。ザラは頭を抱えたが『乗り掛かった船だしね!!』と気合を入れ、近場のランジェリーショップの地図を書いた。
「アンタ!そんなに言うなら今度ここ行っといで!ただし、その臭い取れるまでは出られないからそれまではスポブラで我慢しな!」
「えー……」
「後ランジェリーの上に何か着な!!」
「……嫌だ!」
「アンタ何でそこだけ頑ななんだい!?」
そんな二人のやり取りに笑っていたヒギリだったが、色々見ていてもっと深刻な事態に気が付いた。ヴォイドの部屋には洗剤の類がほぼない。体も顔も手も全部一緒に洗うと言う石鹸が一つしか無かった。
買いに行かねば。使い方を教えねば。しかしそれより何より、まずは彼女に自分を磨く事が娯楽であり楽しい事だと教えねば。継続出来なければその場凌ぎになってしまう。その場凌ぎになったらまたトラブルが起きる。
ザラ率いる清掃部にヴォイドの部屋を任せ、彼女の手を取り外に出たヒギリ。不在の自分の部屋に他人を入れると言う慣れない行動に少しそわそわしていたヴォイドだが、彼女はそれ以上に直後にヒギリが発した言葉に珍しく目を剥いた。
「ヴォイ姐!
お風呂行こうよ!!」
「
何でだよ」
「共用の蒸し風呂あるから行こうよ!!」
「だから……」
何でだよ、と言い掛けてヴォイドは諦めた。まだまだ短い付き合いではあるが、問い詰めたところでヒギリは『行こうよ!』しか言わない気がするからだ。成り行きとは言え部屋も何も初めて他人に任せてしまったし、今自分が失う物は何もない。断ったらヒギリとの間がギクシャクすると言う『損』はあるだろうが承諾した際に生じる『損』は少ない。
「……分かった。行く」
「わーい!!私蒸し風呂入った事無いんだよー!!」
「初めてなの?」
「うん!ヴォイ姐は!?」
「……私も…蒸し風呂は知らない…」
「あ!お揃いだ!」
ウキウキと足を進めるヒギリを見てヴォイドは少しだけ口許を緩めた。変なのに好かれたかなぁ?と思いつつ同時に岸壁街で見ないタイプのヒギリに興味も抱きつつあった。
しかし、ヴォイド自身も知らない自分の特徴が実はあるのだとこの時彼女はまだ知らずにいた。
自分が実は「熱さを苦手としている」等と、この時のヴォイドは知る由もなかった。