薄明のカンテ - 母親のブルース/燐花
「先生いるー?」
 保健室、委員会の仕事もあり部屋でうとうとしていたヴォイドは突然の来訪者に目を覚ます。入って来たのは一つ上の学年の幼馴染、テオフィルスだった。
「テオ…?」
「ヴォイド?先生居ねぇ?」
「今ちょうど留守」
「マジか…」
「何しに来たの?」
「昼寝」
 先生帰って来たら寝るわ、とサボる気満々なテオフィルスを見てヴォイドはくすりと笑うと懐からチョコを取り出す。
「…何これ?」
「チョコ。私も今仕事サボり中だから」
「へぇ、珍しいな…」
「だから、一緒にサボろ?」
「…おう」
 二人で並んで椅子に腰掛け、チョコレートをちびちびと口にする。見つかったら注意される事は必至であるが、何となく二人は保健室で食べる甘いお菓子に妙な背徳感を感じうっとりと目を細めた。
「美味しい…」
「ああ、学校で食べるチョコ良いな…」
「うん…」
 まったりと時間が流れて行く。ヴォイドもテオフィルスも子供の頃はよく一緒に遊んだが、歳を重ね大きくなるとそう言う機会も減っていき、せっかく同じ学校に入学したのにあまり顔を合わせなくなってしまった。
 久しぶりに見たお互いの顔。口には出さないが、「元気そうだな」と内心ほっとする。
「…あのさ、最近どうなんだよ?」
「何が?」
「いや…俺のクラスの奴がお前に惚れたって聞いたからさ」
「ああ…最近何かやたら口説かれるしよく保健室にも顔出しに来る」
「…マジか」
 一応面識はある男だが、いかんせんモヤモヤしてしていたテオフィルスはヴォイドの煮えたか沸いたか分からない反応に少しだけ口をへの字にした。自分には関係ない。関係ないのだが、何か少し話は聞いておきたかったしぶっちゃけ進展はあったのか知りたかった。少なくとも今聞いた感じあの男の片思いだと知って少しだけ胸を撫で下ろした。
「ま、まぁ…もし付き合ったら聞かせろよ?」
「ん?良いけど…」
「あ、後…仮に付き合うなら清いお付き合いにしてくれ…」
「……そうなったら無理じゃない?」
 何かあいつやらしー事しか考えてなさそうだし、とあっけらかんと言うヴォイド。達観していると言うのか、自分に対して無頓着と言うのか。テオフィルスは口に含んでいたチョコレートで咽せた。
「ところでテオこそどうしたの?ここのところ全然学校来てなかったのに、急に顔出し始めて」
「ああ…」
 テオフィルスは数日前、母親と大喧嘩した事を思い出して頭を抱えた。テオフィルスの母、ナンネルはヴォイドとも既知の間柄だが、彼女の特徴と言えばとにかくテオフィルスと並んでも母親に見えないくらい若々しい女性だと言う事だ。故に思春期を迎えた頃からよく授業参観の事で喧嘩をしているところをヴォイドは見ていた。
 授業参観に行きたい、とナンネルが言えば、絶対来るなとテオフィルスも噛み付く。家が近所のヴォイドは、自分の部屋からよくその喧嘩を眺めていた。
「そう言えばこの間喧嘩してたね」
「…見てたのか?」
「見えるもん」
「見るなよ…んなモン」
「今度は何で喧嘩したの?」
「………」
 テオフィルスはナンネルとのやり取りを思い出して青い顔をする。ヴォイドはその様子を見、少しワクワクした様に彼の顔を覗き込んだ。
「そ、そんなワクワクした顔向けんな」
「え?顔に出てる…?」
「出てる。っとにお前趣味悪ィぞ…」
「だって、何があったのかなー?って…」
「良いけど、黙ってろよ?」
「うん」
 テオフィルスは意を決したようにふぅと息を吐くと、青い顔をヴォイドに向けた。
「俺…最近サボり過ぎて試験ヤバいかもって先公に思われたらしいんだよ。で、その話が俺より先に何故かクソババァの耳にも入ったの」
「うんうん」
「このまま出席日数足りないとどっかで呼び出される。で、普段言わねぇ癖にその日に限って煩く言ってきたんだよ…呼び出されたらどうするだの、普段言わない癖にさ…」
 テオが悪い。
 言い掛けてヴォイドはその言葉は口に出さなかった。テオフィルスの顔を見るにその後何かが起きた気がするからだ、疲弊する程の何かが。
「それで…?お母さん、何て?」
「それで…」

 ナンネルは珍しく激怒した。
 放任主義で育てて来たテオフィルスだが、受験を目前にしてもまだサボりを繰り返している。全く卒業の自覚が無いテオフィルスに、彼女の怒りは担任からもらった電話によって爆発した。
『何で学校行かないのよ!?そんなんじゃ立派なお貴族様になれないわよ!?』
『どう言う事だよ!?うるせぇな、放っといてくれって!!』
『またそんな口の利き方して…!良い?この歳になってもし呼び出しなんて恥ずかしい真似してみなさい!?お母さん、学校に──!!』
『学校に?』
『──アンタと敢えてお揃いになる様にン十年ぶりにセーラー服出して着てってやるから!』
『切実にやめろ!!』

「って、脅されてさ…」
「……」
「発想が斜め上過ぎて流石に俺もどうしようかと思って…」
「…うん…」
「しかもその後神妙な顔で『それか、忘年会で使った全身タイツ?』とか真面目な顔で言うからさ…」
「……ぷっ…」
「あのクソババァ、セーラーもタイツもマジでやりかねないと思って、俺も社会的に死にたくねぇから最近真面目に学校来てんだよ…」
「そ、そう…ぶふっ、なんだ…」
「……いっそ笑いたきゃ笑えよ」
 ヴォイドは机に突っ伏して、震えながら静かに笑った。すると、その時テオフィルスは気付く。笑いを堪えている声が、部屋の別の場所からも聞こえる事に。
「なぁ、ヴォイド。もしかして誰か寝てたりするのか…?」
「ぷくく…あ、そう言えばさっきギャリーが休みに来たよ」
 同時に、我慢出来なくなったのか響き渡る男の笑い声。テオフィルスは青い顔をするとベッドの方へ向かい音を立ててカーテンを強引に開けた。
「きゃー、テオ先輩のえっちー」
「おまっ…最初から全部聞いてたな!?」
「ぷくく…!俺聞いてねぇし安心しろやれ」
「安心出来るか!どう考えても聞いてたろお前!!」
「ぶふっ…いや?母ちゃんがセーラー服着て来そうだとか全身タイツで来そうだとかンな話聞いてねぇよ?」
「全部聞いてんじゃねぇか!!」
「それよりテオ先輩、母ちゃんて美人?」
「何聞いてくれてんだよ!?」
「ご紹介に与りたい」
「何が悲しくて母親を後輩に紹介しなきゃならねぇんだよ!?何の罰ゲームだ!?」
「そんな言わねぇでさ、ちょっとお話するくらい良いじゃね?」
「良いわけねぇだろ!!」
 大騒ぎする二人を尻目に、早速飽きた様子のヴォイドはポリっと音を立ててチョコを口に運んだ。戻った保健医に怒られテオフィルスとギャリーが部屋を追い出されるまで後二分。