薄明のカンテ - 注文の多い黒狐軒/べにざくろ
 とある山の中。一組の男女が山中を彷徨っていた。
 木の葉のかさかさした所を踏みしめながら男が前を行く女に声を掛ける。
「 マジで道はコッチで良いんすか、ウルさん 」
「 ……多分 」
 男はルーウィン・ジャヴァリー、女はウルリッカ・マルムフェと言った。
 前線駆除リンツ・ルノース班の第三小隊と第六小隊に所属する二人が何故こんな山道を歩いているのか。理由は至極簡単。合同で機械人形マス・サーキュのテロの鎮圧にあたっていた中で逃げる機械人形マス・サーキュを追っていたら山に入り込んで道に迷ったのである。
「 大体、この山おかしくないっすか? 鳥も獣も一匹も見えねーし、鳴き声すら聞こえねーとか。ありえなくないっすかね? 」
「 おかしいとは思う 」
 ウルリッカはルーウィンの言葉に頷く。
 二人が歩いているのはだいぶ山奥だった。何故かルーウィンの言う通り鳥も獣も見当たらなければ、その痕跡すらない怪しい山。ウルリッカは早く出たくてたまらなかった。
 ところがどうにも困ったことに、どっちへ行けば戻れるのか一向に見当がつかない。山は、まるで人を迷わせるように出来ている迷路のようだった。
 風がどうと吹いて、下草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木がごとんごとんと鳴っている。
 沈黙をしていると恐怖を感じそうだったのでルーウィンは口を開く。
「 腹減ったすねー。さっきから空腹のせいで横っ腹が痛くなってきたんすけど 」
「 私も。もうあんまり歩きたくない 」
 山ならば幾らでも歩ける筈のウルリッカもこの山には疲労を感じていた。早く帰りたい。
「 歩きたくねーっすねー。あー! 何か食いてー! 」
「 食べたいね 」
 二人は、ざわざわ鳴るすすきの中でこんなことを言い合っていた。モビデの期間限定のフラップチーノの話になったところで、食べ物の話をしていると余計にお腹が空くことに気付いて無言になる。
「 ん? 」
「 何すか? 」
「 あれ 」
 その時、ウルリッカが何かを感じて振り返ると先程までは気付かなかったが立派な一軒の家がそこにはあった。
 そして玄関には、

RESTAURANT
料理店
BLACKFOX HOUSE
黒狐軒

という札が出ているのが見えた。
 さっきまであんな家はあそこにあっただろうか。
 そんな疑問を二人で抱きつつ、それでも空腹の時に見つけたレストラン。
 行かない理由はウルリッカにもルーウィンにも無かった。
「 ウルさん。糞みてーな山ん中かと思ってたんすけど、なかなか開けてるんすね! 行きましょーよ 」
「 こんなとこにおかしいね。でも、何か食べられるのかな 」
「 できるに決まってんじゃねーっすか。看板に書いてありますし 」
「 行こうか。もうお腹ぺこぺこ 」
 そんな会話を繰り広げ、凸凹コンビは黒狐軒の玄関に立った。
 玄関は黒い煉瓦で組まれており実に立派なものだ。
 そして硝子の開き戸があり、そこにはバーティゴの髪のような金文字でこう書いてある。

――どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません

 二人はそれを読んで喜んだ。何やら立派な建物であるし、こんな山の中だから会員制で予約制でドレスコードがあるようなお高いお店だと思ったのだが、そんなことはなさそうだからだ。
「 世の中良いことあるもんすねー。タダってことっすかね? 」
「 決してご遠慮はありませんってそういうことだよね 」
 都合良く金文字を解釈した二人は戸を押して中へ入る。そこは、すぐ廊下になっており、今しがた入ってきた硝子戸の裏側にはこれまた金文字でこう書かれている。

――ことに肥とったお方や若いお方は大歓迎いたします

 二人は大歓迎というので、怪しい店だ、と一瞬でも疑った自分達を恥じるレベルでもう大喜びだ。
「 ウルさん、俺らは大歓迎ってことっすね 」
「 若い、には当てはまるもんね 」
 ウキウキずんずん廊下を進んで行くと、今度はシュオニの髪色と同じ水色のペンキ塗りの扉があった。扉の数にウルリッカが首を傾げる。
「 変なの。扉がいっぱい 」
「 スニェーク式ってやつっすね。姐さんの国ではこうらしいっす 」
 そして二人がその扉を開けようとすると、今度は上にキッカの髪色みたいな黄色の字でこう書いてあった。

――当軒は注文の多い料理店ですから、どうかそこはご承知ください

「 お客さんがいっぱいいるのかな? 」
「 そうじゃないっすかね。ソナルトの高級レストランだって意外と隠れ家的なところ多いって聞きますし 」
 二人は言いながら、その扉を開ける。するとその裏側に、

――注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい

と書かれており意味の分からない言葉にルーウィンが顔を顰める。
「 何なんすかね、これ 」
「 注文がいっぱいで料理が出てくるまで時間がかかるとか? 」
「 そんな感じっすかね。早くどっか座りてーっす 」
 ところがルーウィンの願いは叶わず、また扉が一つあった。
 今度の扉の脇には鏡がかかっており、その下には小さなテーブル。テーブルの上には長い柄のついたヘアブラシが置いてあったのである。
 そして扉にはアルヴィを思い出させる赤い字で、

――お客さま方、ここで髪をきちんとして、それから履き物の泥を落としてください

と書いてあった。
「 やっぱ高級レストランなんじゃないすかね? 」
「 ギル王子みたいな貴族が、たびたび来るのかな 」
 そんなことを呟き、それは大変だと二人は綺麗に髪を整えてブーツの泥を落とした。貴族に失礼があってはいけないと考えたからだ。
 すると、なんもいうことでしょう。
 ヘアブラシをテーブルの上に置くや否や、それがぼうっと霞んで無くなって風がどうっと部屋の中に入ってきたのだ。
「 何? 」
「 分かんねーっすよ! 」
 ウルリッカもルーウィンもビックリして互いに寄り添うと、扉をがたんと開けて次の部屋へ入って行く。早く何か温かいものでもたべて、元気をつけておかないと、もう途方もないことになってしまうと思ったからだ。
 すると次の扉の内側に、また変なことが書いてあった。

――鉄砲と弾丸など武器をここへ置いてください

 見ると、すぐ横にユウヤミのような黒い台があった。文字の言う「 ここ 」とはその台のことだろう。
「 なるほど。武器持って入ったらやべー人だと思われる訳っすね 」
「 やっぱりサリアヌ姫様みたいな人が始終来ているんだ 」
 偉い人が来ているところに武器を持ち込むなんてことは確かにいけないことだろう。
 ウルリッカは愛銃のエルドちゃんとフクロナガサ、ルーウィンは拳銃とサバイバルナイフを外して台の上に置いた。
 さらに進むと、その先にはこれまたユウヤミのような黒い扉がある。

――どうか靴をおとり下さい

「 靴まで脱ぐんすね 」
「 変なの 」
 二人はブーツを脱いで、ぺたぺた歩いて扉の中に入っていった。
 今度の扉の裏側には、

――ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖がったものは、みんなここに置いてください

と書いてあり、扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫もちゃんと口を開けて置いてある。ご丁寧に鍵まで添えてあった。
 それを見て「 把握した 」とばかりにニヤリとルーウィンが笑う。
「 何かの料理に電気を使うんだろーな。だから金気のものは危ねーから、ここに置いてけって訳か 」
「 じゃあ、帰りはここでお金払うの? 」
「 そうみたいっすね 」
「 なるほど 」
 凸凹コンビは、ネクタイピンもカフスボタンもメガネもしていなかったけれど、なけなしのお小遣いの入った財布を金庫に入れてパチンと錠をかけた。
 電気を使う料理ってどんな料理なんだろうと胸を踊らせながら更に少し行くとまた扉があり、その前にはガラスの壺が一つ。
 そして、扉にはこう書いてある。

――壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください

 壺を覗いてみると、確かに中に入っているのはクリームのようだった。匂いを嗅いだルーウィンが直ぐに牛乳使用のものであると気付く。
「 これ、何で塗るの? 」
「 外がすっげー寒くて部屋ん中が暖かいとヒビ切れするからじゃないっすかね。多分 」
 二人は壺のクリームを顔に塗って手に塗って、それから靴下を脱いで足にまでしっかりと塗っておく。それでも、まだクリームが残っていたので、それは二人ともこっそり顔へ塗るふりをしながら食べてしまった。だって、お腹ぺこぺこだもん。
 それから空腹に急き立てられるように大急ぎで次の扉を開けると、その扉の裏側には、

――クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか

と書いてあって小さなクリームの壺がここにも置いてあったのであった。ウルリッカが「 あ 」と小さな声を上げる。
「 私、耳に塗ってない 」
「 めちゃくちゃ気が効いてるっすね。ていうか、俺はそろそろ何か食いてーんすけど、いつになったら廊下終わるんすかね 」
 ルーウィンがぼやく。すると、すぐその前に次の戸があった。

――料理はもうすぐできます。
――十五分とお待たせはいたしません。
――すぐ食べられます。
――早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください

 今度の戸の前にはギルバートの髪の毛を彷彿とさせる金ピカの香水の瓶が置いてあり、その香水を頭へぱちゃぱちゃ振りかける。すると、その香水は何故か酢のような匂いがして二人揃って変な顔になる。
「 酢……? 」
「 スタッフが間違えたんじゃないっすかね? 苦情言わねーと 」
 言いながら二人が扉を開けて中に入っていくと今度の扉の裏側にはビクターの大きな声を具現化したような大きな字が書いてあった。

――いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
――もうこれだけです。どうか身体中に、壺の中の塩をたくさん
――よくもみ込んでください

 そこにはヴォイドを彷彿とさせるような青い塩壺が置いてある。
 しかし、今度という今度は二人ともぎょっとしてお互いにクリームをたくさん塗った顔を見合わせた。何で塩なんて塗るんだ?
「 ……何かおかしくねーっすか 」
「 ……私もおかしいと思う 」
「 沢山の注文っつーのは向こうがこっちへ注文してるんじゃないっすかね 。つまりココは、料理を、来た人に食べさせるんじゃなくて、来た人を調理して、食べてやる家っつーことで。これは、その、つ、つ、つ、つまり、お、お、俺らが…… 」
 怪談嫌いのルーウィンは顔を真っ青にして、がたがたがたがた震えだしており、もう何も言えなくなっていた。
「 逃げよう 」
 同じく顔を青くしたウルリッカが扉を押して脱出しようとしたが、鍵がかかっているのか扉はピクリとも動かない。
「 やべーっすね 」
「 うん 」
 出口が塞がれたので仕方なく恐る恐る奥を見てみると、奥の方にはまだ一枚扉があった。但し今までの扉とは違って大きな穴が二つあり、ジョンの髪色のような銀色のフォークとナイフの形が切りだしてあって、

――いや、わざわざご苦労です。
――大変結構にできました。
――さあさあ、おなかにお入りください

と書いてある。
 おまけに鍵穴からはきょろきょろ二つの黒い眼玉が「 ふふふ 」と笑いながらこっちを覗いていた。
「 うわあ。 」がたがたがたがた。
「 うわあ。 」がたがたがたがた。
 ルーウィンとウルリッカは、揃って恐怖に負けて抱き合って泣き出す。
 すると戸の中からコソコソとこんなことを言っている声が。
「 ……もう気がついて、塩揉みこまないね 」
「 当たり前ですよ。くそ兄さんの書き方が下手すぎるんです。『 いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でした 』なんて間抜けなことを書くからバレたんです 」
「 どっちでもいいや。どうせ俺とクロエには骨も分けてくれないし 」
「 シキの言う通りですけど、もしここへあいつらが入って来なかったら、それは私達の責任にされます 」
「 呼ぼうか。ねぇ、お客さん、早く来てよ。皿も洗ったし、あとはお客さんを葉っぱと一緒に真っ白な皿に乗せるだけなんだ 」
「 サラダは嫌いですか? それなら火炙り……いえ、フライにしますから、さっさと来て貰って良いですか? 」
 二人を招く声に、ウルリッカとルーウィンは顔を見合わせ震えながら声もなく泣くしかなかった。
 すると扉の中からは「 ふふふ 」と笑い声がしたかと思うと、また声がする。
「 いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるじゃないですか。待ってください、くそ兄さん。後ちょっとです。さあ、早くいらっしゃい 」
 ウルリッカとルーウィンは泣いて泣いて泣いて泣いて泣いた。もう一生分泣いたんじゃないかという程、顔がくしゃくしゃになるくらい泣いた。
 その時、後ろからいきなり巨大な剣を構えた猫娘が現れたかと思うと穴が二つあいた扉を突き破って部屋の中に飛び込んでいった。すると穴の眼玉はたちまちなくなり周囲が真っ暗闇に包まれたかと思うと、部屋は煙のように消え去り二人は寒さにぶるぶる震えて草の中に立っている状態になった。
 少し冷静さを取り戻したウルリッカとルーウィンが周囲を見ると、二人のブーツや財布が、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとに散らばったりしていた。建物があったなんて嘘のように、風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴っている。
 唖然としていると、猫娘――猫耳のついた機械人形マス・サーキュのガートが戦闘モードのまま唸って戻って来る。
「 ガート? 」
 ウルリッカが彼女の名を呼ぶがガートが反応することは無い。しかしガートが主人マキール無しで独りでいるはずはないので、必ず主人マキールが現れるはずだ。
「 ガート、二人は見つかったー? 」
 すると、そんな声が聞こえてきた。
 声のした方向にガートの主人マキールのエドゥアルトの姿を見つけると二人は俄に元気付いた。
「 エドゥ!! こっち! 」
 ウルリッカがエドゥアルトを呼ぶように叫ぶ。
 そうしてエドゥアルトが側までやってきてガートの戦闘モードを解除したのを見ると、そこで二人はようやく全部終わったのだとやっと安心したのだった。
「 全く。どこまで行ってるんですか 」
「 ごめんね、エドゥ 」
 そしてエドゥアルトが持って来てくれた携帯食料を食べると、空腹が落ち着いて全ては空腹が見せていた幻覚だったと考えるようにしてマルフィ結社に帰った。
 しかし、さっき紙くずのようにくしゃくしゃなった二人の顔だけは、マルフィ結社に帰っても、お湯に入っても、もう元の通りに治らなかったのであった。