薄明のカンテ - 大人の会話/燐花
「ナシェリさん、こちらの書類に目を通しておいていただけますか?」
 そう言いながら書類を渡すロードをタイガはちらりと見た。
「それから、こちら経理部からのお預かりです」
「ふふ、相変わらず読みやすい書類ですこと」
「…お察しの通り作成者はベネットさんですよ」
「本当可愛らしい書き方なさいますのね。こんなところに誤字をして…」
「あ、ここも誤字ですね」
「ここもここも誤字ですわ…あら、ここは計算が…マーシュさん、やり直すよう彼に言ってくださる?」
「うふふ…全くおっちょこちょいですねぇ…」
サリアヌを見て、ロードを見て、もう一度サリアヌを見てまたロードを見る。
「(お、大人ぁ〜!!)」
 タイガの最近の日課は同僚のサリアヌと新規勧誘課のロードのやり取りを見る事だった。二人とも自分より少し年上で身に纏う雰囲気も大人。サリアヌは我が人事部に咲く一輪の花の如く常に可憐でお淑やか。上品で静かな動作で確実に仕事をこなす言わば高嶺の花。
 ロードはいつも体型にあった綺麗なスーツに身を包みスマートに仕事をしている。新規勧誘課としての仕事のみならずプライベートでは料理も得意で、面倒を見ていると言う調達班の青年の食事のケアもしているらしい。
 高嶺の花と出来る男。そう形容するのが相応しい二人。絵になるなぁ…と見つめるタイガ。
「さて、ではナシェリさん、私はこれで。少し休憩にでも行きます」
「あ、オレも!!」
「おや、ヴァテールさんも休憩ですか?」
「はい!ご一緒して良いですか!?」
「勿論、飲み物でも買いますか?」
「はい!」
 人事部の部屋から外に出、自販機に向かって歩く。が、ロードは自販機を通り過ぎてしまった。
「あれ?ロードさん…」
「ああ、先に飲んでいてください」
 どこに行くのか着いて行くと、ロードが向かったのは喫煙所だった。胸ポケットから箱を取り出し、トントンと指で弾くと飛び出した一本を口に咥える。その流れる様な動作に思わずタイガは見入ってしまった。
「…おや?ヴァテールさん、ついてきたんですか?」
「あはは、すみません、ついつい」
「匂いが付いてしまいますよ。非喫煙者の方にはなかなか好かれない匂いです」
「は、はぁ…」
 そう言いながらにっこり微笑むロード。なるほど、クサイではなくなかなか好かれない、かあ…。
 言葉のチョイスがいつもこう、咄嗟にしてはどこから出て来るのかという感じで大人っぽい。少なくともタイガにはそう見えた。同時に自分はまだまだ子供だなぁと思うくらいロードは所作が全部大人に見えた。それにしても火は点けないのだろうか。
「吸わないんですか?」
「…うふふ、一瞬迷ってしまいました。吸えなくはないんですが」
「ん?」
「そう情熱的な熱い視線を向けられると、どうにも……。ね?」
「!?あっ…」
 まじまじ見て失礼しました!とタイガはすぐに頭を下げる。喫煙所で一服しようとしている人の動作をじっくり見てしまうだなんて確かに不躾だったかもしれない。恥ずかしさからか上げた顔は真っ赤に染まっていた。
「うふふふふ…恥ずかしがり屋さんですねぇ…」
 言いながらロードはライターを取り出し、咥えたタバコに火を付けた。
「い、いえそんな事は…それよりジロジロ見てすみません、マナー違反だったと思います…」
「良いんですよ。タバコは珍しかったですか?」
「は、はい…周りに吸ってる人居なかったんで…」
「うふふふ…それであんなに物欲しそうな視線を向けられたわけですねぇ…うふふふふふ」
 何だかロードが変な笑みを浮かべているが、タイガはそれどころじゃない。
「子供みたいですよね、すみません変な事して…」
「いいえ、見たいならもっと見て下さって結構ですよ。私は見られながらするのも充分興奮します」
「いやぁ…流石に不躾が過ぎるかなって…でも、ロードさんのタバコ吸う姿格好良いですよね!絵になるって言うか」
「おやおや、そんなに私の動きが悦かったですか?」
「はい、良かったです。大人っぽくてオレには無い格好良さだなぁって」
「うふふふふ…そんな貴方は推しの中でも充分可愛さが魅力値全振りしてらっしゃいますよ」
「いやぁ…オレはむしろ大人な出来る男に憧れがあるって言うか…」
「な、なんだろうこの不気味な程噛み合う様で合ってない会話…」
 こちらも休憩でたまたま通り掛かったアルヴィはその会話のちぐはぐさにギョッとした。ロードには確かに世話になった。世話になったのだが、ウルリッカが彼の事をあのユウヤミ・リーシェルに少し似ているとボヤいていたのだ。それだけでも目を光らせるに充分だが、彼の今話している内容が内容ならこれ以上純真無垢で穢れを知らない可愛い可愛い妹に近付かせるわけには行かなかった為是非を確かめるべくさり気なく見える位置でお茶を啜る。
「やっぱり、さっきからマーシュさんの話してる内容変だよね…?」
 聞き耳を立てるなど良く無いが、アルヴィは思わず耳を傾けた。
「それよりロードさん、少し疲れてません?何か元気無さそうって言うか…」
 タイガは心配そうにそう口にする。
「え?元気…?」
 ロードは一瞬目線を下にずらした。
「…いや、ちゃんと朝晩ありますよ?元気」
(今どこ見た!?思いっきり自分の…元気ってそう言う意味か!?)
「そうですか?オレ、少し疲れてそうに見えちゃって」
「ああ、まあ…流石にあの部屋だとお上品にしなくてはなりませんからねぇ。そう言う意味では気も張りますし気を遣います」
(あの人やっぱ変な事言わないように気を遣ってたのか)
「サリアヌさんが居る事であの部屋キリッとしますよね」
「ええ。素晴らしい事です。だからこそナシェリさんみたいな上品で美しい方を前に昼間から盛るわけにもいきませんからねぇ」
(今サカるって言ったな!?この人今サカるって言ったな!?聞き間違いじゃないよな!?)
「?よく分かんないけどつまり、ロードさんは自制心が強いって事ですか?」
「ええ、これでもそう自負しております。どうしても自制が効かなくなる相手もいますが…」
 ロードはそう言って少し切ない顔をすると、フー…と煙を吐く。顔、煙、タイミング完璧だ。
「お、大人〜…!」
「彼女を前にするとどうもダメですねぇ…」
「あの、ホロウさんですよね?」
「うふふふ…ええ。その節はお世話になりました。彼女、私の誘いだとなかなか来てくれませんから」
「ああ…恥ずかしい?のかな?」
「さあ、どうでしょうね……」
 さっきまでとは打って変わって切ない表情を浮かべるロード。その表情を見ているとタイガはズキンと胸が痛んだ。自分にもいるから。ロード程明確に好意を示しては居ないが、憧れている女の子なら。
 彼女は名前を呼べば振り返ってくれるし自分の名前も呼んでくれる。ロード曰くヴォイドからはなかなかそれも無いと言う。それはとても寂しい事だよなとタイガは切なくなった。
「も、もし良かったら、これからもたまにオレの部屋使ってくださいよ!」
「え?良いんですか?」
「オレの部屋、ノエがいるのもあって家族寮ですから!キッチンは大きいし、部屋も結構広く使わせてもらってますし!」
「ヴァテールさん…ありがとうございます。汚してしまったらちゃぁんとベッドメイクはしますからね」
(今サラッとベッド使う事明言したなこの人!!)
「え?ベッドメイク…?」
(そうだよ…いい加減疑問をもって…!!)
「ロードさんそんな事まで出来るんですか!?」
(そこじゃないっ!!)
「シーツから何から綺麗に洗って一流ホテルのように仕上げると約束しますよ。何なら部屋の掃除もしましょうか?シキで慣れてますんで」
 そう言われてタイガは脱ぎっぱなしにしていつもぐしゃぐしゃで出て来てはノエに怒られる可哀想なベッドを思い出した。
「た、頼みたい…」
「うふふふふふ…その時が来るのが楽しみですねぇ…」
(いや、頼んではいけない!)
「そうでなくても、前回のお礼にそれだけやりに行っても良いですけどね」
「え!?本当ですか!?ロードさん休みの日に遊びに来てくれるの!?」
 遊びに、と言う単語を聞いて一瞬ピクリとロードは動いた。自分には同年代の友達はおろか、周りにはほぼ敵しか居なかった。アスに渡ってそれなりに話せる人は出来たし、男女問わず幅広く上辺だけの付き合いはあったがタイガみたいな友人は出来ず、年下の子もシキくらいしか交流が無かったからだ。
 タイガから当たり前のように「遊びに」と言う単語が出たのでロードはその時一瞬だけ驚いた顔を見せた。
「……ええ、遊びに行って良いのなら」
「是非是非!遊び来てくださいよ!」
「うふふ。では、近い内に」
「テオ君も交えて三人で飲みたいなー」
 嬉しそうに笑うタイガにロードの顔も自然と綻ぶ。ロードは咥えていたタバコを灰皿に捨て、ついでにポケットから出した何かもビリビリと破くとゴミ箱に捨ててしまった。
「それ何ですか?」
「え?ああ。かれこれ三年程前に行った風俗のポイントカードです。先程見付けたんでまた遠出した時にでも行こうかな…と思ったのですが。タイガさん達と飲む予定が入るならそっちの方が楽しみですし今は忘れて良いかな…と」
聞いていたアルヴィ、とうとう茶を吹く。
白昼堂々何を口走っているのか。流石にタイガも引いたのではないかと思ったが、当のタイガは目をキラキラさせてロードを見ていた。
「今、名前…」
「ああ、すみません、つい。まだヴァテールさんの方が失礼でないですか?」
「いいえ、友達っぽくてオレは好きです!」
「それは良かった」
 あ、名前に気を取られて前半部分記憶から消えたな。
 しかしなんて男だ、ロード・マーシュ。ちょいちょい胡散臭いところが見えるなとは思っていたが、紳士の皮を被った下ネタ好きの変態じゃないか…!?確かに仕事をする上で支障はないしむしろ優秀な人ではあるがこの男と可愛い妹がもしも一緒に仕事をしたらと考えたら気が気ではない。
「あ、私はちょっと購買に寄って行きます。先戻ってて下さい」
「何買うんですか?」
「切れてたんでティッシュとゴム買って帰ります。あなたとは違う「お友達」が来た時に無いと困るんで」
いかんやつ!!
「タバコ吸った後に匂いも気にしてエチケットかぁ〜…そう言うところかな、大人っぽいの」
 違う。今アイツはガムとは言ってない。似てるけど全く違う事言ったぞ。彼の耳は大丈夫か?「ロードがそんな事を言うはずない」と言うフィルターでも全体的に掛かっているのだろうか?
 先に戻ったタイガを目で追いつつアルヴィはどっと疲れた顔を見せた。
 お友達…?彼の言うお友達ってそう言う事だよな…?下ネタ好きの変態越してクズじゃないか何だこの人…!?本気で妹の身が心配になって来たアルヴィは考え事に夢中で背後に気を配るのを忘れていた。
「そんなところで隠れて聞いていないで意味が分かるなら来れば良いのに」
「ぎゃぁぁぁぁあっ!!」
 ポン、と背中に手を置いてそう話すロードにアルヴィは口から心臓が飛び出さんばかりに叫んだ。
「え、あ、ちょ、マーシュさん!?」
「バレバレですよアルヴィさん」
「そ、それは失礼しました…けども…!」
 アルヴィは意を決して臆する事なくロードに詰め寄った。
「先程のあの発言、些か下品が過ぎませんか、マーシュさん」
「うふふ、至って健全な一男性の生活を極めて赤裸々に語っただけです」
「だとして、歳の離れた妹を持つ身としては彼と同じ様な発言は決して向けて欲しくないと思うのですが」
「ご心配なく、女性には配慮をして喋りますよ。そこまで赤裸々になれません。それより…意外ですねぇ、意味が分かって聞いていたなんて」
「そ、そりゃあ分からなくはないですけど…」
 モゴモゴと口籠るアルヴィをロードがニヤニヤと見つめる。そんな彼を見てアルヴィの怒りが爆発した。
「良いですか!?貴方と妹は今のところ普通に会話出来てるみたいですが、くれぐれも変な事を吹き込まないでいただきたい!大体元気か聞かれてそっち返すなんて──!!」
「変な事って?元気って何?」
 今度後ろにやって来たのは可愛い可愛い妹のウルリッカ。何故ここの人達は皆背後に回るのか。
 アルヴィは再度変な声を出した。
「こんにちは、ウルリッカさん」
「…うん…」
「ウ、ウル…今の聞いてた…?」
「…え?何が?」
「いや、その、何て説明したら良いか…」
「………」
 じっとりした目でウルリッカは二人を見る。この二人が揃うと良い気がしないのは偏に兄の入社の時の事を思い出すからだ。どうもロードが手引きしてこのうるさい兄が入って来てしまったと言う印象の強いウルリッカはこの二人が揃うところは極力見たくなかった。
 そんな彼女の目線に気付いてか、ロードは控えめにではあるが少し悪戯っぽくぺろっと舌を見せる。ウルリッカは眉間に皺を寄せた。
「せっかく急な呼び出しあったからお兄ちゃん探しに来てあげたのに、二人して変な話してたんだ」
 当てずっぽうで適当に言葉を並べただけだが、いかんせん当たらずも遠からずだったせいでアルヴィは胃が痛くなった。
 おっと、これはちょっとやり過ぎましたかね。とロードは思った。何を隠そう、先に帰ろうとしたタイガにお願いしてウルリッカをここに呼んだのはロードだったからだ。先程のギルバートのどうしたのか間違いだらけの書類を一緒に修正してほしい、と言うお願いではあったのだが。
 流石にアルヴィが可哀想に見えたので、ロードも懸命にフォローに回った。
「いえいえ、もうじき愛の日ですよウルリッカさん。お兄様と何を準備したら良いかお話させて頂いてたんです」
「愛の日…?」
「私はお菓子作りはそんなに得意では無いので、それも込みでお兄様に相談を…」
「……作るの…?」
「せっかくですから日頃の感謝を込めたお菓子でも作ろうかと思いまして。その上でお兄様の好みとついでにウルリッカさんの好みも聞こうと思ったんですよ。先日テディさんも風邪をひいてしまいましたからね。変な風邪が流行ってますし元気かどうか確認しないと作るものも作れませんから」
「ふーん…」
 それならそうと言えば良いのに、とウルリッカはぶつぶつ言っているが、何とかその場をやり過ごせた事にロードもアルヴィもガッツポーズを取る。
「ではアルヴィさん、先程ベネットさんがやらかしてくれた書類の修正もよろしくお願いします」
「あ、はい!分かりました!」
 バタバタと去っていくマルムフェ兄妹。ロードはそれを見送るとふうと一つ溜息を吐きもう一本タバコを取り出して口に咥えた。
「よ、良かった…誤魔化せた…」
「何?お兄ちゃん」
「い、いや!?何でもないよっ」
 ロードのおかげでその場をやり過ごすことができアルヴィは安堵の息を漏らす。良かった。変な人ではあるかもしれないけど、悪い人ではないかもしれない。アルヴィはちょっとだけロードへの認識を改めようと思った。

 そもそもそのロードが全ての発端であの騒ぎが起こった事に気付いたのは一時間後だった。
「な、何丸め込まれてんの僕!?」