薄明のカンテ - 体が縮んでしまっていた!?/燐花

子供、襲来!!

 ぼくの名前はロード・マーシュ。八歳。
 ようやく新しい家族になれてきたところです。
 ぼくの新しい家族は、ちょっと乱暴なお兄さん達です。皆銃を持ってます。言葉づかいも悪いです。新しいお父さんも、お父さんとは呼んでるけどお祖父ちゃんみたいです。
 でも、お母さんのところにこれ以上いるよりきっと良いです。
 それに、おじさん達から聞きました。ぼくのお父さんは結婚してるのにお母さん以外に恋人が居て、その人と一緒に死んでしまったんだと。だからお父さんしか見えてなかったお母さんが壊れてしまうのはしょうがないって。
 本当にしょうがないのかな?お父さんがそんな事しなければこんな事になってなかった?でも、お母さんも悪い様にぼくには見える。だって、女の人のところに行くお父さんの事思い出して嫌だからって、まだ傷付かないからって男の人のところにばっかり行かせたんだもの。
 よくわからないし、もうこんなもの見たくないからぼくは一生誰の事も好きにならないし、絶対お父さんみたいななんぱな大人にはなりたくありません。お母さんみたく、お父さんばかり愛して子供の事はどうでもいいような大人にもなりたくありません。
 子供っぽくない言葉遣いを覚えて、お兄さん達が喜びそうなちょっと汚い言葉も勉強して、この世界になじんで早く格好良い大人になるんです──。

「ここはどこですか?」
 箒を手に持ち掃き掃除をしていたタイガは固まった。目の前にいきなりブラウスに短パンと言う品の良い少年が現れ声を掛けられたのだがそれがロードそっくりなのだ。
「き、脅威の遺伝子一致率九十九パーセント…」
 タイガは思わず声を上げると周りをキョロキョロと見る。幸か不幸か、子供型の機械人形と過ごしていたと言うテオフィルスが目に入り、タイガは慌てて駆け寄った。
「テ、テオ君!!ここここここ…!!」
「どうした?タイガ…ニワトリみてぇな声出して」
「ロロロードさんのこここここ!!」
「落ち着けって」
「お兄さん達、だれですか?」
 ひょっこりテオフィルスの前に顔を出した小さな子供。その顔立ちは幼いながらどうみても彼にそっくりで。
「お、お前…名前…何…?」
「…ぼくはロード・マーシュです。うちへ帰る道を教えてください」
「名前まで…こりゃビンゴだろ…」
「顔見た感じ…遺伝子一致率が九十九パーセント超えてる気がする…」
「アイツも年貢の納め時か…」
 ちょっとパパの事呼んできてやる。そう言って場を離れるテオフィルス。え!?この子と二人っきり!?タイガは急に慌て出すと目の前にいる小さなロード似の少年──通称ちびロードに会釈した。
「あのお兄さんはどこに行ったんですか?」
「えっと…君のパパを呼びに行くって…」
「ぼくの?お兄さん達、お父さんの知り合いなんですか?」
「え、ええはい、まぁ…」
 何故だろう。この子には敬語でしか話せない何かがある。年下どころか子供なちびロードに何を感じたのか敬語を崩せないタイガ。しばらく居心地の悪いまま二人で居るとロードを連れたテオフィルスが戻って来た。ロードはちびロードと目が合うと、ぶわっと体中から面白いくらい汗を吹き出した為横で見ていたテオフィルスはこれでもかと言うくらい笑った。
「え?まさか…あの時の彼女でしょうか…?いや、それともヤった後若干ヤンデレ気質だと分かってしまった彼女でしょうか…?いや、でもお二方とも子供いる様な話SNSにも上げてませんでしたし…とすると他に…」
「どうやら心当たりは多い様だな」
「うふふふ…二十代頭の頃なんてそりゃもう遊び狂ってましたから…貴方もでしょう?」
「…俺もこの状況来たら真っ先にその頃遊んだ女思い出すだろうな。でもま、今渦中の人はお前だし?」
 他人事と思って笑うテオフィルス。色々思い出して汗を掻きながら弁明するロード。
 ちびロードはその様子を見て愕然とする。この自分によく似たお兄さん。確かに記憶を辿れば最後に見た若い頃の父…に似てなくもないのか?あんまり似てる感じがしないしむしろ母に似ている気もしたが、少なくとも自分には本当によく似ている。自分によく似た顔で、さっきからずっと女の人の話ばかりしている。つまり、彼はなんぱな大人だ。
 自分によく似た顔でそんな話ばかりされると、思い描いていた「格好良い大人」ではなくこんなだらしなくふにゃけた大人になるビジョンばかりが浮かび始める。ちびロードは嫌そうな顔で彼らを見つめた。
「…さっきから何の話してるんですか?」
「ん?大人の嗜みのお話です。ボクにはまだまだ早過ぎましたねぇ」
「ぼくは帰る道を探してるだけです。だからもうほっといてください」
「そうは行きません。そんな話なら余計に今後の身の振りを考えないといけないじゃないですか」
 とにかくこの子、人事部が預かった方が良いですよね?とロードはちびロードの手を取る。
 ついにお前も年貢の納め時か。他人事でいられるテオフィルスは呑気そうに笑ったがタイガは尚も難しい顔をした。
「タイガさん、良かったら後でこの子の面倒見て貰って良いですか?」
「そ、それは、はい…」
「ありがとうございます」
 この子、本当ロードさんそっくりで…むしろ「ロードさんの子供」と言うより「本人そのものが小さくなった」みたい。
 つまり、違う時代を生きる同一人物。
 しかしそんな非現実的なこと有り得るのか?と思うといまいち言い出せないタイガだった。

人事部の花と総務班の眼鏡

「あらあらお可愛らしい事」
 人事部の部屋に入ってすぐ、目の合ったサリアヌにちびロードは駆け寄った。
「こんにちは、ぼくの名前はロード・マーシュです」
 名前まで同じ事に一瞬ピクリと眉を動かしたサリアヌだが、すぐににこりと笑うとちびロードの頭を撫でた。
「ご挨拶がお上手なのね。美味しいお菓子があるのだけどロード君、食べたいですか?」
 ちびロードはパァッと表情を明るくすると元気よく手を挙げた。食べたいです!と返事するのを見てサリアヌは顔を綻ばせる。子供はやはり可愛い。
「ロード君、お飲み物は何が良いですか?お紅茶がありますが…ジュースが良いかしら?」
「んー…お、お紅茶で…」
「ふふ…じゃあ一緒にジュースも用意しておきますわね」
 どうしてだか分からないけれど、子供らしからぬ背伸びまでしてお可愛らしい事。
 さてとサリアヌはお菓子を出すとロードに向き合う。にこにこ笑ってはいるが目は笑っていなかった。
「マーシュさん、お可愛らしいお子さんですわね。どこの誰とのお子さんでいらして?」
「ナシェリさん、誤解ですよ……多分」
「多分?冗談でしたのに」
「その…心当たりがあり過ぎて強く否定出来ないと言いますか…」
「呆れた…」
「で、でもだとして今更過ぎる気がしませんか…?」
 サリアヌはちびロードに目を遣る。見たところ七、八歳の子だ。ロードの年齢を考えれば少し早い気がするが居てもおかしくない年齢、と言えば合点が入ってしまうわけで。
「……もしかしたら、その遊んだ方の中に遊びで済まなかった方が居るかも分かりませんわよ?貴方にえらく御執心で、計画的に子宝に恵まれて貴方と同じ名前を付けたとか。子供もロード・マーシュとしての自覚を持ち始めたこのくらいの年齢で貴方に気付いてもらおうと寄越したとか…」
「ど、どのホラー話よりも怖い話じゃないですか…」
「あら?私に推測できると言う事はそんなにフィクション染みてありえない話ではなくてよ?」
「ち、ちゃんと避妊しましたけども…」
「あらあら随分弱ってらっしゃるのね、私にそんな暴露なさるなんて。なら『終わった後の物を相手が素直に捨てていれば』良いですわね」
 ロードはサリアヌの笑いに背筋がゾクゾクした。流石に今日の彼女の笑顔で背中を走るのは快感ではなく悪寒であり、変な汗まで噴き出す。
 そんな事知らないちびロードはサリアヌと目が合う度お菓子片手に無邪気ににこにこしている。よっぽどお菓子が美味しかったのかサリアヌを気に入ったのか。
「まあ、女性の趣味は良いですね。子供の癖に」
「そんなところまでそっくりなのでなくて?」
 追い討ちをかけるサリアヌにロードは胃が痛んだ。
「人事部に来れば何でも何とか出来る、なんて驕るから私にちくちく言われるんですのよ?」
「以後気を付けます…」
「ええ、でもこんな可愛いお子さんなら邪険に扱えませんけれど。ただ…困りましたわね…この後このお部屋会議に使う予定ですの」
 せっかく落ち着いたと思ったら会議に部屋を使うと言う。ゆっくりこの子の進退を相談する場が無くなりロードは焦る。人事部に来れば何でも何とか出来ると言うサリアヌの言葉が重しの様に伸し掛かる。何でも、何でも…。
 …『何でも』?
「ボク、ちょっと場所移動しますよ。動けますか?」
 ロードはジュースを美味しそうに飲むちびロードに声を掛ける。掛けられた本人は不服そうに口を尖らせた。
「疲れた…」
「そうですよね…でもここはこの後大人が会議に使うみたいなので、どっちにしろここからは出なきゃならないんですよ」
「…静かにしてる」
「んー…貴方が居ても皆許してくれそうですけどね。でもどうせならパーッと解放されるとこ行きましょうよ。もしかしたらメガネの面白いお姉さん居るかもしれませんよ?」
 ロードはちびロードの手を取ると総務班の部屋に向かう。
 なんぱな大人のなんぱな手の平。そう思うと少し敵意も膨らんで来るのだが、それでも彼の手は何だか優しくて、こんな大人も悪くないのかもしれないとちびロードは少しだけ思い始めていた。
 でも少し疲れたので、「おんぶ」と一言言ってみる。「甘えないでください」が第一声ではあったが、やれやれと微笑むと屈んだロードは優しくちびロードを背負った。

 総務班の部屋に着くとロードはキョロキョロと辺りを伺う。
「ねぇ、メガネのお姉さんって面白いの?」
 ちびロードは純粋な瞳でロードに尋ねる。ロードはそれにつられてにこりと笑うと「面白いですよぉ」と呟いた。
「面白いんですけどね、ただただうるさいんですよ」
「うるさい?」
「ええ。まあ、良いうるささですが。でも居たら良いか居ない方が良いかって言うと今は居ない方が有難いですねぇ…」
 ん?大人ってよく分からないなぁ。足でガンガン腹の辺りを蹴って降ろせと意思表示してみる。気付いたロードはそっとちびロードを降ろしながら靴で蹴られて汚れたシャツをげんなり見た。
「さっきのお部屋とちょっと違うね」
「違いますね。ここは何でも屋さんのお部屋です」
「何でも屋さん!?」
「そうそう、何でも屋さんです」
 少し適当に答えたロードと目を輝かせるちびロード。その二人をメガネの奥のその瞳に捉えたロード曰く「うるさいメガネのお姉さん」は笑いながら近付いてきた。
「マーシュさんっ!!」
「うわぁ…フラナガンさん…」
「いや、うわぁて」
 見つかった。そう言いたげなロードにむくれたフィオナはちびロードの存在を見付けるとパァッと顔を明るくした後サッと顔を青くした。忙しいものだ。
「ちょ、マーシュさん、あなた、リアルモニカと言うものがありながら、何してんですか」
「生まれてこの方心だけはリアルモニカの物ですよ。そんな一語一句切り分けなくても聞こえてます」
「お姉さんこんにちは!ロード・マーシュです!」
 ちびロードの自己紹介にキャーキャー言いながら自らも返すフィオナ。ひとしきり彼と楽しげに話した後、フィオナはふうと溜息を吐いてロードを見た。
「まあ良いや、頑張れパパ(仮)」
「(仮)付けりゃ良いってもんじゃないですよ。た、多分パパじゃないですし…」
「いつになく自信無ぇー。マーシュさんのそう言うところは知ってましたのでこんなくらいで推し変しませんよ!!」
「むしろ強メンタル過ぎて私が怖いです推し変えて下さい」
「それより二人ともロード・マーシュさんなんですね!分かりにくくありません?」
「ああ…まあ…」
「だったらいっそ、マテオさんとちびマテオさんでどうでしょう?」
「私まで改名したら根本的に何も問題解決しないじゃないですか」
「じゃあ、マーシュさんとちびマテオ?」
「この子が狼狽えない名付け方してくれると助かりますね」
「じゃあマテオとちびロード君」
「まずマテオから離れましょうか」
「じゃあ、マ・テオとちびロード君」
「うん、区切ったところで。フラナガンさん、そろそろその眼鏡叩き割りたくなりましたよ話聞いてます?」
「あ、その暴力発言告発したらきっと懲戒免職ものですよ?それから全世界のマ・テオさんへの侮辱です。誠心誠意謝って欲しい」
「そもそも誰なんですかマ・テオは。ただの造語でしょうよ」
 一体何の話をしているんだろう、この大人達。何故ついて行けるんだろうこのお兄さん。
 ちびロードは急に暇になりロードのシャツの裾を引っ張る。ねぇ、いつ相手してくれるの?しかしロードはフィオナとの会話に一生懸命でちびロードにまで回らない。
 ならばいっそとシャツをベルトから引っ張り出してルーズにしてみる。いっそベルトを外してみる。もういっそスラックスを──
「こらこらこらやめなさい何してるんですか」
「ちっ…」
「全く油断も隙もない…この子供…」
 着せた服を脱ぎたがるのは主に乳幼児に多いのだが、大人の着てる服を弄りたがるのはまあこの年齢にあるもの…なのか?
 外されたベルトを締め直しているとその様子を見ていたフィオナがふふふと声を出して笑った。
「何か、マーシュさんの小さい頃ってこんな感じなんですかね?やたらそっくりで」
「おっかない事言わないでくれません…?まだ確信も持てないのに…この子の進退を決めると言うと大袈裟ですが、要はこの子を元居たであろうところに返してあげたいんですよ。そこが親元であれ何であれ、保護者は探している筈です」
「そうですよね。ふふっ、残念。良いパパになれそうだったのに…イクメンマテオ…誰かファンアートとか描いてないかな…?良い単語の組み合わせじゃない?ナラ下のその後として見たかった状況じゃない?イクメンジョアンも絵になるぅ…いや、でもマーシュさんのキャラも込みでここはイクメンマテオだな、ダイヤちゃんにもどっちが良いか是非聞かないとこんな美味しいネタ…マーシュさんどう思います?」
「そろそろ眼鏡かち割りたいです」
 そんな会話を交わしていた時、ちびロードが口を挟んだ。
「あの…フィオナお姉さん…このお兄さん、ぼくそっくりだけどぼくのお父さんじゃないです…」
 フィオナは「ん?」と困惑した表情を向ける。ロードは「ん?」と少し期待した表情を向ける。そんなロードにフィオナが「心の底から願うことに最大の弱点全てがあらわれるってどっかのオサレ漫画で言ってました」と言いたげな顔を向けた時、ちびロードは再度口を開いた。
「ぼくのお父さんは…五年も前に死にました…お母さんとお葬式したから本当です…それに、お父さんが本当に生きてたら、このお兄さん程若くないです…それにお母さんはお父さんのこと大好きだったから、お父さん以外きっとお父さんはいなくて…お母さんの名前は…」
 言い掛けてちびロードはハッとした顔をした。あんなに嫌いだと思っていた両親の事を、まだこんなにも思い出して話す事が出来る。
 こんなにも懐かしむ事が出来てしまう。
 忘れたいのに、忘れてちゃんと大人になって全部平気になりたいのに。あんなにひどい事をされたから全部忘れたいのに。
「ごめんなさい!!」
 ちびロードは二人の間をすり抜ける様に駆け抜けて部屋の外に出た。
 ロードもフィオナも情報を整理出来ずぽかんとした顔のまま思わず固まる。
「あの、マーシュさん…一番貴方の潔白を証明してくれる子が居なくなっちゃいましたけど…」
「そ、それを早く言ってください!!」
 フィオナのその一言を聞いたロードは背中を押された様に慌ててちびロードの後を追った。

良いんだよ

 どうして?どうしよう?どうしたら?
 急に両親の事を思い出し、もうどうにも出来ない事も思い出してしまったちびロードはただひたすら廊下を走り続けていた。擦れ違う大人が驚いた様にこちらを見る。でもそんな事今どうでも良くて、どうしたら大人になれるか、どうしたら忘れられるかで頭がいっぱいだった。
 だから目の前に人が居るのに気付けず、ちびロードは正面衝突する。しかし体重の軽い彼が逆に弾き飛ばされてしまい、膝を少し擦りむいた。
「痛ぁ…!」
「こっちのセリフ…前見て」
 倒れた体を起こしたヴォイドは目の前にいる子がやたら誰かに似ている事に気付き一瞬固まった。
「……ロードの子供?」
「…ぼくがロード・マーシュです!!」
「は…?どう言う事…?」
 全く状況が飲み込めず呆けた顔をするヴォイドだが、目の前の子供が膝を擦りむいている事にはすぐ気が付いた。
「…立てる?」
「え…?」
「ちょっと膝、擦りむいてるから処置する」
「し、処置…?何するんですか…?」
「大丈夫、痛い事はしないから」
 行こ?と手を差し出すヴォイドに少し遠慮がちに手を出すちびロード。何せ母親以外の女性から手を伸ばされたのは初めてだったので少しドキドキしてしまった。
「い、痛くしない…?」
「大丈夫。痛いお薬使わないから」
 ガチャリとドアを開けて中庭に出る。
「こらーーー!!どこですかおちびさーーーん!?」
 ちょうどタイミング良く、ドアが閉まった瞬間ロードは二人が元いた場所を通り抜けた。

「あの…」
 水飲み場まで歩いて来た二人。ヴォイドは水を出すとちびロードの足を引っ張り膝を流す。ちびロードの膝の傷に少し流水が沁みて痛い。顔を歪ませるがヴォイドは「ちょっと我慢」とだけ言ってやめてくれなかった。
「い、痛くしたじゃないですか…」
「少しね。でも少しだけだから。はい、おしまい。よく我慢したね」
 あとは濡れた箇所を拭いただけ。あまりの呆気なさにキョトンとした顔をしていると、ヴォイドが少し口元を緩めながら「これだけで良い事もあるの」と呟いた。
 そんな彼女の緩んだ口元をしっかり見てしまったからか少しどきりと胸が弾んだ。
「あんまりよそ見して走っちゃダメだよ」
「はい…」
「誰かにぶつかったら危ないからね」
「はい…大人のする事じゃないですよね…」
「ん…?」
 ちびロードの言葉に何か引っ掛かったヴォイドは彼の顔を覗き見た。彼の顔は案の定曇っている。
「どうしたの?どうしてそんなに早く大人になりたそうな顔するの?子供で良いのに」
「…早く大人にならないと、いけないんです」
「どうして?」
「それは──」
「おちびさーーーん!!どこですかーーー!?」
 ロードの呼ぶ声がここまで響いてくる。ちびロードは反射的にヴォイドの手を取ると、彼から逃げる様に走り出す。ヴォイドは何か言おうとしたが、とりあえずされるがままちびロードに引っ張られていった。
 しばらく走り、建物の突き当たり部分でやっとちびロードは脚を止めた。ヴォイドは荒げた息を整え汗を拭うと「体力凄いね…」と呟いた。
「まだ…まだ帰れません…あのお兄さん、ぼくをうちに帰してくれるって言ってました…でも、大人にならなきゃうちに帰れないんです…」
 さっきも飛び出した「大人にならなきゃ」。ここにこの子を悩ませている答えがあると察したヴォイドはちびロードの肩に手を乗せる。
「うん…私、どう見える?」
「お姉さん…?」
「私、ヴォイド。君より確かに大人。でも、ちょっと子供っぽいところもある。どう見える?」
 一瞬ぽかんとした顔を浮かべたちびロードは、少し考えてから顔を真っ赤にして一言「綺麗です…」と呟いた。うーん、口説いて欲しかったんじゃないんだけど。と言うかそう言う返し、本当ロードに似てるな。まあ良いや、話は続けられるし。
「綺麗?ありがとう。でももしかしたら、変な顔をするかもしれない」
「えー?お姉さんが?」
「するよ、例えばこんな…」
 指を使って器用に「変な顔」を繰り出すヴォイド。どんな顔をしたかは本人の名誉の為に伏す。一つ言えるのは、間近でそれを見たちびロードが若干引くくらいの顔をしていたと言う事だ。
「…ね?私は君から綺麗な大人に見えてた。でももしかしたら子供なところがあるのかも、もしかしたら変な顔をするのかも。でもそれをしたからって私の何かが変わる事はない。私は私。だから君も、きっと焦らなくって良いんだよ」
 そう説いてくるヴォイドにちびロードは目の奥がじわりと熱くなる感じがした。言ってる事が凄く真面目で淡々と喋るから気持ちが穏やかになれそう。なのに、何でだろうか。その綺麗な青と緑が入り混じるガラスの様な瞳に目を奪われそれによって逆にどきどきしてしまう。
「あ、焦らなくて…良い…?」
「そう。焦らなくて良い。君も、無理に大人になろうとしなくても良いんだよ」
「ぼくに大人っぽいのって似合わない…?」
「ううん、似合わなくはないよ。でも焦ってなろうとすると疲れちゃうから。今は良いんじゃない?君と言う子供が時折見せる「かも」しれないのが大人な顔ってくらいの頻度で」
 ヴォイドの目が真っ直ぐちびロードを捉える。ちびロードはその目があまりに綺麗で動けなくなった。おかしいな、色々悩んでたはずなのに。このお姉さんに見つめられるとどうでも良くなってしまいそう。
「でも…ぼく…」
「…無理して大人にならなきゃダメ?」
「うん…」
「そっか、じゃあ…」
 それでも譲れない事を口にした。ヴォイドはそんなちびロードの頭を撫でると彼の体を優しく抱き締める。
「じゃあ、大人になるのに疲れてこうやって甘えたくなったら私のところおいで。泣いても誰も見てない、私も誰にも言わないから」
「うん…」
 冷たそうな不思議な目の色をしているのに、彼女の体はとても温かくて。触れたところ全てが柔らかくて安心出来て。泣きたくなって少し泣いて。このお姉さんが逃げ道の作り方を教えてくれたのがとても嬉しくて。
 もう少し肩の力を抜いて良いと言わんばかりの彼女の手は抱き付いてくるちびロードの体を優しく抱き締め返す。
 疑問を持った時、答えてくれる人がいるって幸せな事だとちびロードは思った。今自分の周りにそんな人は居るだろうか。頭に浮かぶのは養父くらいしかおらず、選り好みするわけではないけれど、ヴォイドがいつも傍にいてくれたらなぁとわがままを言いたくもなった。
「ヴォイドさん…ぼくと一緒に居て欲しいなぁ…」
「うん」
「まだおうち帰りたくないなぁ…」
「うん」
 すうと息を吸うと本音がやっと漏れて来て、言う度に涙が溢れてしまう。本当はどうしたかったか。口に出したかったのに、受け止めてもらえない気がして、受け止めてもらえなかったらきっと辛いから言えなくて。
 でも今は、ヴォイドが傍で聞いててくれる。
「お父さんとお母さんと…まだ三人で居たかったなぁ…」
 口から飛び出してしまった本音にちびロードは顔を赤くする。あんな酷い思いした筈なのに、まだ甘えたい気持ちもあるのが辛かった。だけど、ヴォイドは良いと言ってくれたから、最後に口に出す事くらい良いかな?とも思えた。
「そうだね…私も、お母さんに会いたい時あるよ」
「…ヴォイドさんも?」
「うん、会った事もないけどね」
 ヴォイドはそう言ってちびロードをまた強く抱き締めた。

唇に未来を乗せて

 「APTX4869を飲んで体が縮んでしまった…?」
 ボソリと呟くユウヤミ。ヨダカは振り返ると不思議そうな顔でユウヤミを見、そしていつもの如く「ああ」と納得した様に一言口にした。
「キリで頭蓋に穴でも空けられましたか?主人」
「それで私がはいと答えたらどうするつもりなんだい?」
「軍警に判断を仰ぎます」
「リアルな回答するね」
 アレだよ、と指差すユウヤミの指した先を追うと、そこに居たのはヴォイドと子供。最近ヴォイドがフランソワに懐かれていてよく一緒にいるものだから、子供といる光景と言うのは何ら不思議では無いが。
「あの子供…ロード・マーシュによく似ていますね…彼の隠し子でしょうか…?」
「それはそれで面白いけどね。何でホロウ君が面倒見てんだって話だけど」
「おや?主人の読みは違うので?」
「んー…読みと言うか…私の目がおかしいのかなぁ…?あの子、彼本人に見えないかい?」
 確かに言えば言う程ロード本人に見える子供だ。何なら、彼が子供時代どんな姿だったかと聞かれて考え付く姿がそんな感じ、とも思う。
「まさか…ありえないでしょう、流石に…」
「先日読んだ探偵漫画にAPTX4869なる薬が出て来たんだよ。それがねぇ、中身はそのままに体を縮めてしまうものでねぇ」
「珍しいですね、主人がフィクションと現実を混ぜこぜにするなんて」
「でもそのくらいの一致率だろう?」
 とは言え現実的にあり得ない話なので、よほどそっくりな子供が理由もなくいきなり現れたか、理由あって現れたかのどちらかだろうが。
 不意に自分に子供がいたらどんなだろうかと考える。相手もまだ分からないし、二人からそれぞれ似ているパーツを、と言う想像は難しいが、どうにも自分に似た賢そうな女の子が頭をチラついた。想像とは言え、青い服を好んで着せてしまうのはそれが似合う子であって欲しいと言う願望かな?とフッと笑う。
「しかしヴォイド・ホロウが子守りだなんて少し前までは考えられない事だったかもしれません」
「そうかい?私はそんな事無いと思うよ。彼女そのものがちょっと子供っぽいところあるし、きっと波長も合うんだよ」
「それだけで子供なんて見れますか?」
「勿論無理だねぇ。だからさ、そもそもが彼女、ちょっと世話焼きなんだろう?」
「…一番似合わなそうな単語な気がしますが」
「ヨダカはホロウ君を誤解してるよ、きっと」
 何だかお取り込み中の様だし、とユウヤミはヴォイドに声を掛けずにその場を離れた。何となく、彼女の保護者の様な顔を声を掛けることで一瞬でも崩したくなかったのだ。

「もう大丈夫?」
 ヴォイドはちびロードに尋ねる。彼は少し涙の残る目を擦るとにっこり笑った。
「大丈夫です!」
「もう…無理しなくて良いのに…」
「無理してないです!」
 ちびロードは少し恥ずかしそうにはにかむと、ヴォイドの手を取った。そして彼女の頬に、そして取った手の甲にたどたどしくキスをする。まるで大人がするのを真似する様なポーズにヴォイドは思わずへにゃりと笑った。
 どうしてこう、背伸びしようとする子供って愛おしいんだろう。フランソワもそう。一所懸命好きだと伝えてくれる。気持ちは大人顔負け、言葉を知らないからアウトプットが付いてこないだけと言う感じ。
 だから何故かすごく愛おしい。
 口に出された以上の感情がそこに詰まっている気がして。
 ちびロードはフランソワより年上に見えるから何か雰囲気も違って見えてより大人に感じる。
「ふふ、くすぐったい」
 子供扱いしているであろうその物言いにちびロードは少し不満そうに頬を膨らました。
「大人がしたらくすぐったくないって聞きました」
「だから、君はまだ子供で良いんだよ」
「くすぐったい、じゃ無いのが良い」
「はいはい」
 不満そうな顔をしたちびロードは急に真面目な顔になるとヴォイドの目を見る。それはヴォイドが思わず畏まる程だった。
「ヴォイドさん」
「何…?」
「ぼく、大きくなってちゃんと大人になったら、ヴォイドさんにお嫁さんになって欲しいです!」
 でも、言ってる事がフランソワと同じで少しだけほっとした。それにしても最近小さい子に求婚される事が多いなとヴォイドはぼんやり考える。
「良いよ…」
「え?本当!?」
「うん、大人になってもその気持ちがもしあったら、その時ちゃんと迎えに来てね」
「はい!」
 約束。そう言って二人は互いに小指を絡めた。
「ぼく、もうおうち帰っても平気だよ」
 そう言って何かを決意した顔で、ちびロードは笑った。

「こ…ここにこのくらいの…子供が通りませんでした…?」
 息を切らせたロードが通りがかったユウヤミに声を掛ける。
「へぇ…君を撒いて逃げたの?体力の化け物な君を?随分と凄い子もいたものだねぇ」
 普段ヨダカを撒いて逃げているユウヤミが自分の事は棚に上げてそう呟いたので、ヨダカは聞き捨てならないと言わんばかりの目でユウヤミを見つめた。
「で…見たんですか?見てないんですか…?」
「ああ、見たよ?いつどこで誰と作ったんだか君そっくりな顔をした子を向こうの方で」
 グサグサグサっと音を立ててユウヤミの一言一句がロードに刺さった感じがした。明らかに走った時とは違う汗を流し始めたロードは何故かユウヤミ相手に物凄い釈明を繰り返す。
「私はそもそも身に覚え…は星の数程ありますけど今回みたいなケースは本当初めてなんですよ」
「むしろ経験なしが多数派だろうねぇ。身に覚えがある方がなかなか珍しいよ」
「とにかく諸々あって現れた子ですが私の子では無いんです」
「へぇ」
「あの子がそれを証明してくれてた途中で居なくなってしまったので…」
「じゃあ早く行きなよ。向こうにいるから」
 途端に面倒臭くなったユウヤミはさっさとロードを追い返す事にした。
「ありがとうございます…その、もし見付けてもヴォイドには言わないでくださいよ!?」
「え?」
 そのホロウ君と一緒にいたんだけどな。とも言おうと思ったが、慌てて向かってしまったのでユウヤミは放っとく事にした。まあ、彼が何か誤解でも受けたらその方が面白いし?
 足を早めるロードは言われた通りの方向を駆ける。全く、何か辛い事があったのは分かるが体力に任せあんな風に逃げる事は無いだろう、と言い掛けて自分の昔を思い出した。
 自分にもあった気がする。早く大人になろうとして慌てて、処理出来なくなった時が。あれはいつの頃だったろうか。
 ふとヴォイドが小指を差し出す様なポーズで固まっているのが目に入った。せっかく会えたのだからヴォイドに声を掛けたい。しかしヴォイドにあの子の存在を暴露したらまた誤解が生じる気がする。しかしせっかく会ったのだから声を掛けたい。何度か問答を繰り返し、「声を掛けたい」に軍配が上がった。
「こ、こんにちはヴォイド」
 いつもと違う控えめな声掛け。ヴォイドはゆっくりと振り返る。
「何…?」
「ちょっと人を探してまして。丁度このくらいの背丈の──…」
 言い掛けてロードは言葉を詰まらせてしまう。今の今まで覚えていたはずの「誰を探していたか」が、頭からすっぽりと抜けてしまった。慌てて「ちょっと待ってください」と思考を巡らすも、ロードの頭に目的の人間が上がる事はなかった。
「どうしたの」
「ど、どうしたんでしょう?誰を探していたのか忘れてしまいました…」
「…はぁ?」
「思い出せません…ヴォイド、知りませんよね?なんて…」
 疑問符を浮かべまくっているロードに近付くと、指で彼の胸をトンと突いた。その珍しいヴォイドの行動に思わずロードは固まる。
「慌てん坊。で、忘れん坊。お前が覚えてない事を私が思い出せる訳ない」
「は、はぁ…」
「本当忘れっぽいんだね。こんな焦って探してたのに何だか思い出せないなんて」
「そうですね…」
 不意にヴォイドがロードの手を取り、小指を絡めて来たのでロードは驚きで魂が抜けた表情になる。いわゆる指切りのポーズを取ったヴォイドはロードを見て優しく微笑んだ。
「早く思い出した方が得かもよ?」
 滅多に見れない優しい笑みのヴォイド。途端にぶわっと照れて真っ赤になるロード。何だ?何故今日はこんなに彼女の顔を見るのが照れ臭いんだ?
「あ、の…」
「ん?」
「……指だけではなく違うところにも是非貴女の手を絡めて欲しいんですが」
「すり潰すぞ」
 小指を絡め、約束をした瞬間にまるで最初から無かった様に居なくなってしまった小さな彼を覚えている者はもう居ない。
 後で面倒を見ると言ったタイガも、年貢の納め時と笑ったテオフィルスも、喜んでお菓子を出したサリアヌも、ちびマテオと持て囃したフィオナも、面白い状況だと笑ったユウヤミも、面倒事はごめんだと放置を決めたヨダカも。
 誰も彼を覚えていない。
「約束…ね…」
 ヴォイドは自分の小指を眺め、控えめに微笑んだ。
 彼女も、多分覚えていない……?

「な、何故シャツがこんなに汚れているんでしょう…?」
 しかし、シャツに汚れは残っていたので、その小さな靴跡を見たロードはどこで何をして来たか、思い出す事を諦めるまでの小一時間ほど悩む事になった。