シリルは今の空と同じ橙色の目をゆっくりと瞬いた。
「アルの様子がおかしいのはいつものコトだけど、最近特におかしいと思っていたらそういうコトだったの。あらヤダ。もっと早く言ってくれたら良かったのに」
自分の機械人形に呆れた顔をされて、アルヴィは言葉に詰まって返事の代わりにコーヒーを啜る。
1人と一体が来ているのは若者に人気のコーヒーショップだ。ただの余談であるが無駄に研究し尽くしているアルヴィのコーヒーは一見するとただのコーヒーのようだが、ディカフェドリップに変更していたりディカフェショットを追加していたりと(無駄に)カスタムがされている。
そんなコーヒーを今、アルヴィは特に美味しいと感じていた。
というのも、彼がここ数日悶々としていた謎が解けたからである。
『つまりアルヴィ、先日僕は君の妹もまた見慣れない黒髪の彼と歩いていたのを目撃したのだが彼が医療班の新人ということだな』
先日、ギルバートが目撃したというウルリッカと歩いていた黒髪の男性。それの正体が臨時で第六小隊の手伝いに参戦した最近髪を染めたルーウィン・ジャヴァリーだったという事実を聞いたからだ。シリル曰く単に人数補填で来た彼をウルリッカが案内していただけなのだと言うのだ。ガートが故障中で人員が少ない中で機械人形の代わりに人間が補充されるのは何とも不思議な光景だが、戦闘が出来る者となるとメンバーが限られるので仕方の無いことなのだろう。
「だってウルがチェンバースさんと仲良しなだけで僕としては気が気じゃないのに、更に医療班に新しく来た人とも親しいとかなったら胃がもたないよ」
「もうウルちゃんだって立派な大人なんだし、早く妹離れして欲しいわ」
「妹離れは僕の辞書にはインストールされてない言葉かな」
しれっと言い放つアルヴィにシリルは溜息をついた。そうは言っても機械人形のシリルは呼吸をしていないのでフリだけだ。
「アナタは妹の心配より自分の出会いを探すべきよ」
シリルの言葉にアルヴィは優しく微笑む。
「僕はシリルと出会えたから大丈夫だよ」
「……そういうのはワタシじゃなくて人間に言って頂戴」
「あはは。機会があればね」
「あれば、じゃなくて作って欲しいのだケド」
そんな会話をしていたアルヴィの目がシリルから、ふと外れる。会話の気まずさから視線を逸らしたのかと予測したシリルが追い討ちのように声をかけようとしたが、アルヴィが残っていたコーヒーを一気飲みするのを見て口を噤んだ。
「シリル、行くよ」
一気飲みしたアルヴィが小さな声で呟くとカップを手に早々に席を立つ。
「ええ。
主人が良いなら良いわよ」
特段、休憩というものを必要としないシリルも席を立った。元々、コーヒーショップに寄ったのもシリルの買い物にアルヴィを付き合わせていて、人間には休憩が必要だと寄っただけだ。人間の休憩が終わったのなら、機械人形としては何も言うことはない。
「あの、空きますか……?」
席を立ったアルヴィとシリルの元へミアやクロエと同じ年程の女の子が2人、この店の売れ筋商品のフラップッチーノを手にやって来る。オドオドとしたような顔をしているのはアルヴィのような
おじさんに声をかけることに緊張しているからか、はたまた今は珍しい機械人形が一緒にいるからか。
「え、ええ。どうぞ使って下さい」
理由が後者であることを密かに祈りつつアルヴィはシリルを伴ってコーヒーショップを出る。
「急にコーヒー飲むから何かと思えば、あの
娘達に席を譲ってあげたのね」
「満席だったからね」
アルヴィとしては満席のコーヒーショップで困っていそうな人が居たから席を譲っただけの行為だ。何の事も無い行為だったがシリルにとってはそうでは無かったらしい。
「どうしてこういうコトが出来てアナタがモテないのかしら。同じコトをギルやギャリーがやったら出会いになりそうなのに」
「それは2人とも格好良いというか、綺麗な顔だからだよ」
「顔もそうだけど2人はアナタに無い“自信”があるわ。そういう自信に満ち溢れた人間に人は惹かれるモノなのよ」
アルヴィの経理部仲間であるギルバートもギャリーもアルヴィとは違い、堂々とした態度をしている。あの自信の一欠片でもアルヴィには見習って真似をして欲しいものだというシリルの言葉にアルヴィは苦笑いを浮かべる。
「あ、顔は否定してくれないんだ……」
「否定して欲しいなら
主人の命令として受け取って言ってあげるわよ?」
「……それは惨めになるから止めとくよ」
* * *
店の外に出ると5月下旬の柔らかい風が頬を撫でる。
カンテの夏は短いが、その夏へと向かう風は心地よくて人間のアルヴィは思わず目を細めた。
「夏が来るね」
「そうね。“あの日”から、もう一年経つのね」
歩きながら呟くシリルの声はシリルらしくもない暗さがあった。
あの日。
それが何時だかなんて気軽にアルヴィは聞かなかった。昨年のことを思えば、シリルが言いたい“あの日”が以前の主人を亡くした日であることは明らかだ。
シリルはいうまでもなく機械人形だ。
だから人を偲んで心が痛む事がないのはアルヴィにだって分かっている事であるが、髪色さえ変えたら人間と変わりない見た目をしているモノが悲しむような動作を見せていたら感じないものが無い訳では無い。
「休みとれたら、今度お墓参り行こうか」
「それも良いわね」
そう言ってシリルが微笑むから、アルヴィは次の休暇はいつだっただろうかと脳内にスケジュールを描き出す。最近は機械人形襲撃騒ぎで経理部も繁忙が続いている為、なかなか予定通りの休みをとるのも難しいであろうが言ったからにはシリルが喜ぶことをしてやりたい。機械人形相手であっても喜ぶ顔を見るのは嬉しいと考える、アルヴィはそんな男だった。
機械人形の襲撃騒ぎ。
其れを思い出したアルヴィは何とはなしに口にする。
「今日は何も起きなくて良かったね」
「何のコトかしら?」
何を言われているのか分からずに首を傾げるシリルに、アルヴィは更に口を開く。
「君の小隊のガートさんがボウガンで怪我をしただろう? その犯人がシリルを狙わないとも限らないからね、今日は何も無くて良かったって思ったんだ」
「大丈夫よ」
そう言って、カラカラと陽気にシリルが笑う顔が夕陽に照らされ眩しい。
「結社付近では今まで一件も起きてないもの。ガートもヘラも戦闘中だったし、他の子も任務中でしょ? まさか結社近くで犯行はやらないわよ」
能天気ともいえるシリルの発言であったが、そんなシリルの明るさにアルヴィもそれはそうかと考え直した。仮に自分がマルフィ結社に何らかの恨みを持っていて損害を与える為に機械人形を狙うとしたら、わざわざ結社近くの場所で犯行を行うのは捕まる危険性が高すぎる。
「それもそうかな」
「そうよ、心配しすぎだわ」
アルヴィの心配を吹き飛ばすように笑っていたシリルの夕陽色の目が、ふとアルヴィの頭部へと向いた。
「僕の頭に何かついてる?」
「夕陽に照らされるとアナタの髪って機械人形みたいに見えるわね」
アルヴィの髪は本人の性格と真逆の鮮やかな赤だ。確かに真っ赤な髪に橙色の夕陽が照らされると人間ではない髪色に見えなくもない。アルヴィは髪を摘みつつ微笑む。
「機械人形の君に言われると信憑性高いね」
「人間なら間違えちゃうかもしれないわよ」
「いっそ機械人形に間違われる方が、からかわれなくて良いのかもなぁ」
古来の悪役が赤毛に書かれる影響でシュエリオ大陸のアヴルーパ州で嫌われがちな赤毛は、移民の多いカンテ国でも不思議と侮蔑の対象になりがちだった。それは結社内の同じ赤毛であるロナ・サオトメやアン・ファ・シンも経験済みなのだというのだから、アルヴィの被害妄想では無い。
「アナタの髪色に合わせて洋服を選ぶのは難しくて、とても楽しいわ。良い色よ」
「そうかなぁ……?」
家族や集落の人間以外に(シリルは人間ですらないが)髪の色を褒められて、アルヴィの表情が緩む。
そしてシリルに礼を言おうと口を開きかけて、
それに気付いた。
「シリル!」
其れは一度は猟師として育てられた故の判断力か、はたまた第六感か。
シリルが状況を判断するよりも早くアルヴィは動いていた。
鋭い風切音、小さく呻くアルヴィ。
「アル!?」
悲鳴のような声でシリルがアルヴィの名前を呼ぶ。
シリルを庇うように差し出されたアルヴィの右前腕にはボウガンの矢が刺さっていた。その痛みに顔を歪めつつもアルヴィはしっかりとシリルを見て、彼らしくない大きな声を上げた。
「犯人を追って!」
それを“命令”と見なしたシリルの身体が動いた。ボウガンの矢の飛距離、それが音を感知して到達するまでの時間、
主人に刺さった角度、今の風向きと風速、それらの事実から全てを迷うことなく計算して導き出した場所へと。それは人間には決して不可能な処理速度で行われていた。
しかし、狙撃したと思われる場所にシリルが辿り着いた時、そこには何も居なかった。ヘラやガート、他の機械人形達を撃った人間と同一犯もしくは同一グループによる犯行と想定される犯人は、機械人形がこの場所に到達する時間すら計算して動いていたのだろう。
それでも何か証拠はないか。
シリルは一歩足を踏み出そうとして、夕陽に煌めくものに気付いて危険を察知して足を止めた。夕陽に煌めくそれは弛みなく張られたワイヤーだ。強硬度のワイヤーに気付かずに進んでいたならば、首が身体と別れていたかもしれない。
ワイヤーに気をつけながら二度三度と周囲を振り返り様子を窺うが、辺りに人間らしき生体反応はなかった。犯人をまんまと取り逃したのだ。
犯人の追跡は不可能と判断したシリルは、身を翻すとアルヴィを案じて彼の元へと急いで戻る。致命傷ではないといえ、早く治療してもらわないといけない。
「あら?」
アルヴィの元にシリルが戻るとアルヴィ以外の人間が居て道路に座り込む彼を取り囲んでいた。
薄茶と金色の中間色の髪をした少女とも少年ともいえるテディが誰かと携帯端末で通話をし、顔は見えないが屈んでアルヴィの様子を見ている青みがかった黒髪はシキだ。その隣には機械人形らしい青い髪からフィンイヤーの覗いている子供がいるからオルカだろう。
調達班のメンバーがどうしてここに。
アルヴィが敵に囲まれていなかったことに安堵しつつ、シリルは彼等に近付いていった。
「あ、シリル! おかえり!」
戻ってきたシリルに最初に気付いたテディが通話を終了させた携帯端末を手に声を上げた。
「テディ? どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフだよー! 道端にアルが座り込んでると思ったら怪我してるんだもん。とりあえず結社には連絡しておいたよ」
チラリとアルヴィを――正確にはアルヴィの腕に刺さったままのボウガンの矢を――見て、テディは痛みが伝播したように顔を顰める。
「例のボウガンの犯人がいたみたいなの。取り逃したケド」
「えっ、あの犯人がこんな所にいたの!? しかも人間を狙うなんて」
「ワタシを庇ったのよ、このバカ主人は」
驚くテディの視線を受けながらシリルはアルヴィの前に立った。
「ワタシは壊れても直せるケド人間は治らないのよ!? 何てコトしてるのよ!!」
「ごっ、ごめんね」
「謝らないで!!」
「ご、ごめ……」
アルヴィの謝罪はシリルを余計にイラつかせるだけだった。シリルの無いはずの堪忍袋の緒が切れて、更には機械人形のくせに主人を守れなかったという事実がシリルには重く伸し掛る。
「シリルさん、元気出してよ」
シリルに「落ち着いて」ではなく「元気出して」と労わるように声をかけてきたのは相変わらず淡々とした表情のシキだった。シキの言葉にシリルが人間のように自嘲めいた笑みを浮かべる。
「機械人形には元気も何も無いわよ」
「でも、シリルさん元気無さそうだったから」
シキの青と緑が混じった様な不思議な色彩をした目には本当に心配をしている色が浮かんでいて、人の優しさにシリルは思わず微笑んだ。
「シキは本当に良いコね」
そして柔らかく微笑んでいた笑みを唇の端を更に引き上げてニヤニヤとした笑いへと変え、アルヴィへと視線を向ける。
「ねぇ、アル。シキは本当に良い子ねぇ?」
この状況にそぐわないニヤついた表情で自分を見て来るシリルに、アルヴィは腕の痛みを忘れる程だった。シリルの問いかけに含まれている「シキはとっても良い子だからウルリッカのお相手に相応しいわね」を言外からしっかりと感じ取ってしまったからだ。
確かにシキは良い子だ。シリルに犯人を追わせ傷の痛みに座り込んだアルヴィを発見してから、シキはずっとアルヴィの体調を気遣ってくれている言葉をかけてくれていた優しい子である。
しかし、それと妹のお相手というのは別の話だ。そこは人間性云々ではなく単にアルヴィの心が狭くて誰であろうと認められないだけだ。
「そ、そうだね。良い子だね……」
何とも言えない表情を浮かべて曖昧に頷く。
尚、褒められたはずのシキは「俺、成人男性なんだけど」と微妙にズレた事を思い不服な顔をしていたりするが、誰もそれには気付いていない。
「ねぇ。結社から医療班が来るより、こっちから行った方が早いと思うけど、どうする?」
再び携帯端末で結社と連絡をとっていたテディが声を上げる。確かにアルヴィの怪我は足ではないため歩行には影響はなく、彼が歩けるならば結社に帰って治療を受けた方が早いかもしれない。それに結社に戻った方が処置をする機材も揃っていることだろう。そう考えた人間や機械人形の目がアルヴィへと向く。
「歩けそう?」
「大丈夫だと思う……それでは、トンプソンさん。僕が行くって伝えて貰って良いですか?」
「了解」
アルヴィの答えは自分から結社に行く、だった。
それを聞いたテディは電話の向こうの相手にその旨を伝える。
「俺が背負おうか?」
巨躯のシキが申し出てきたが、アルヴィは返事に詰まった。
100パーセントの善意からの言葉と分かっていてもアルヴィはシキの申し出に首を縦に振りにくかった。何故ならば相手は可愛い妹と親しい男性。状況的にはそんな事を言っている場合ではないのだが、それでもシキに借りを作るのは気が引ける。
「僕が運ぼうか?」
そんな中、「はいはーい!」と主張するように手を挙げたのはオルカだった。
少年とも少女とも取れる愛らしい顔立ちのオルカの主張に、こんな小さな子に運べるのかという疑問が一瞬過ぎるアルヴィだったが彼も立派な機械人形であることを思い出す。
シキに借りを作るよりは、この子にお願いしよう。
アルヴィはそう判断した。
「あ、じゃ、じゃあ、オルカ君にお願いしようかな」
「はーい!」
可愛らしく良い子のお返事をするオルカに、やはり本当に運べるのかという心配になってくるアルヴィだった。
「えっ、オルカが運ぶの!?」
そして、何故か結社との電話を終えたテディが目を丸くして声を上げた。
やはり見た目通りオルカは重いものを運ぶことが苦手なのだろうかとアルヴィが心配になりつつテディを見ると、シリルが同じ疑問を抱いたようで口に出していた。
「何か問題があるのかしら?」
「大問題だよ!前、
ボクが運んでもらったけどすっごい痛かったんだよ!」
農家が穀物を運ぶようにオルカの肩に担がれた経験のあるテディは、それを思い出したのかうっすらと涙目のようにも見えた。その時は「そーれ!!」と雑に置かれた衝撃で膝脱臼が治ったという奇跡のような事が起きたりもしたのだが、痛いものは痛かったのだ。
そんなテディに不安を抱く人間達だったが、当の本人たるオルカは不安に満ちた視線を受けても自信満々の顔を見せていた。
「任せてよ! 大丈夫! 僕、学習したから!」
そして、そんな学習の結果。
アルヴィはオルカに
お姫様抱っこで運ばれる羽目となったため目撃した結社の人間にヒソヒソと囁かれることとなり、腕の傷と共に心の傷も密かに増えたのであった。