薄明のカンテ - 其れは5月の事だった/べにざくろ
これは、2174年5月のこと。
とある兄妹の話。




まずは妹の話

 ミクリカは嫌い。
 スコープの先、フラフラと出てきた機械人形の頭を撃ち抜きながらウルリッカは嘆息をもらした。
 ミクリカは「ミクリカの惨劇」で倒壊した建物が多く上からの射撃が出来ないばかりか、島の北側という立地上、高低差も激しく狙撃手としては嫌な土地だった。自分が上をとれる位置ばかりというならば高低差が激しくても大歓迎だがミクリカは、そのように都合のいい地形をしていない。
 故に今回の戦闘では長距離射撃に向く大型ライフルエルドちゃんではなく、自動小銃フュールちゃんを使っているのだが移動が多く、日頃は定点からの射撃の多かったウルリッカとしては慣れないために戦いにくい。
 猟師としての経験か、はたまた野生の勘か。
 角を曲がろうとしたウルリッカは曲がるのを止めて後ろに下がると、直ぐに銃を構える。ウルリッカの熱を感知したのか彼女の息の根を止めようと角から飛び出してきた機械人形の腹に銃弾をくれてやると機械人形は仰向けに倒れた。真っ赤に目を光らせて尚もウルリッカの命を狙おうというのか手を虚空に向けて暴れる少年型の機械人形に無感動な目を向けると、せめてもの慈悲とばかりに頭にも一発入れて沈黙させてやる。
 ウルリッカはカンテ国民には珍しくマルフィ結社に来るまで機械人形と縁遠い人間だった。宗教意識の薄いカンテ国民の中では異色のカヌル火山を神として信奉する集落コタンに住んでいるため、文明の利器たる機械人形を使わない昔ながらの生活が彼女にとっては当たり前だったからだ。
 それ故か機械人形に対して深い思い入れのないウルリッカの射撃に一切の迷いはない。彼女にとって今交流をしているマルフィ結社にいる機械人形と、汚染されて暴走する機械人形は全く別のものという扱いだからだ。
 倒した機械人形の屍を乗り越えてウルリッカは静かに進む。
 たまに出会う逃げそびれた人間には屋内にいるように伝えて、それでも尚孤独に恐怖に耐えられないという人間には自分が来た南――そちらには小隊長のユウヤミ・リーシェルとその機械人形であるヨダカ、医療班の人間が待機する謂わば策源地がある――へ向かうように指示をする。
 やがて出会うのは人間ばかりとなり、今回の出動はこれで終わりだろうかとウルリッカが思い始めた時だった。
「お兄ちゃああん!」
 耳に届いたのは幼い少女の叫ぶような声。
 間違いなく人間としか思えないその声の持ち主の元へ、顔には出さないまでも慌ててウルリッカは走った。もしも少女が外にいて泣き叫んでいたとしたら、それは機械人形への「ここに人間が居ますよ」の合図になってしまう。
 瓦礫を飛び越え、途中でやはりというべきか鉢合わせた機械人形の首を撃ち抜き、肩で息をしつつもウルリッカは声の持ち主の元へと辿り着いた。
 そこでは女の子が外で独りで泣いていた。ウルリッカは周囲に目を走らせるが幸いなことに機械人形の姿はない。
 いきなり現れた見知らぬ人間に驚いたのか少女は涙に濡れた目をパチクリとさせてウルリッカを見つめる。少女はマジュと同い歳ではないかと思わせる二つに結った赤い髪が可愛らしい幼い女の子であった。おそらく赤い髪だったから同じ髪の色をしたマジュを彷彿とさせて思い出したのだろう。
「泣いちゃダメ。危ない」
 再び顔を歪ませて泣き出しそうな少女にウルリッカは人差し指を立てて「しーっ」というジェスチャーをして見せる。知らないお姉さんの登場に驚いていたのだろう少女は大粒の涙をぼたぼたと垂らしながらも、ウルリッカの言うことを聞いて首を何度も縦に振って服の袖で涙を拭った。
「良い子」
 少女の頭を撫でて誉めるとウルリッカはポケットからハンカチを取り出して優しく少女の目を拭う。それは「目の周りを強く擦っちゃダメよ!」と同じ班の美容にうるさい機械人形シリルに散々言われているからだが、少女は知る由もないしウルリッカも言うことは無い。
「お兄ちゃんはどうしたの?」
「わかんない。いなくなっちゃったの」
「そっか」
 言いながらウルリッカは周囲に視線を巡らす。未だ瓦礫の多い場所だが、その間に少女のお兄ちゃんが挟まっているなんていう最悪の状況は見た限りではなさそうだ。
「名前は?」
「ティリル・クノッテン、5さい」
 いつもそうやって名乗っているのだろう。
 手で5と表しながらティリルが名乗る。その姿に微笑ましさを感じてウルリッカは微笑んだ。
「私はウル。お兄ちゃんを一緒に探そ?」
「うん」
 5歳の平均的な身長のティリルを抱っこすることは背の小さなウルリッカには難しく、手を繋いで2人はミクリカを歩く。危険なミクリカの地をアテもなく彷徨うのは自殺まがいの行動になりかねないため、ウルリッカはこういう時には頭脳を使おうと小隊長のユウヤミの元へと向かっていた。
 本当は目につく民家にティリルを預けてしまった方が少女の身の安全が保証されるのだが、それをティリルは嫌がった。子供のワガママだとしても「お兄ちゃんに会いたい」という気持ちをウルリッカは無下には出来ないくらいには彼女の気持ちがわかるからだ。
 機械人形への警戒は怠らないままも、ウルリッカは珍しく饒舌だった。
「ティリルのお兄ちゃんはいくつ?」
「うんとね、両手で足りないくらい!」
 少なくとも10歳以上は歳上ということで素直に驚く。それと同時に自分の兄達と同じ年齢だと思うと、妹を見捨ててどこに行ってるんだと未だ見ぬティリルの兄へ怒りも湧いてきた。
 しかし、それをティリルに悟らせる訳にもいかないのでウルリッカは努めて冷静に話しかける。
「私にもお兄ちゃんがいるよ。しかも2人」
「ウルお姉ちゃんはお兄ちゃん好き? ティリルはお兄ちゃん大好き!」
「うん。好きだよ」
 ティリル兄への怒りを抱きつつも、自分の兄達を思い浮かべて微笑む。
「私のお兄ちゃんは2人共とっても優しいの」
「ティリルのお兄ちゃんも優しくて強いの!」
 兄大好きな思いはどうやら同じようで、顔を見合わせて思わず笑い合う。
 その時、そんな2人の元へ薄紫色の髪をした機械人形が駆けてきた。
 髪色で機械人形だと気づいたティリルがウルリッカにしがみついて来るが、ウルリッカはティリルを安心させるように片手で抱きしめながらも銃を構える訳もなく機械人形を迎える。
「ウルちゃん、おかえりなさい!」
 機械人形は同小隊に所属するシリルだった。
 ウルリッカよりも小さな少女の存在に早々に気付いたシリルは橙色の目を瞬くと、ニンマリと笑って屈み込む。
「こんにちは。お姉さんはウルちゃんのお友達だから危なくない機械人形よ」
「本当……?」
 ティリルがウルリッカを見上げてくるので、ウルリッカは力強く頷いた。
「本当。シリルは危険じゃない」
 ウルリッカの言葉に安心したのかティリルの強ばった小さな身体から余計な力が抜けた。そしてティリルの恐怖の色が抜けて好奇心の色を浮かべた大きな目がシリルに向く。
「機械人形さんはシリルっていうの?」
「そうよぉ。アナタは何てお名前なのかしら?」
「ティリル・クノッテン、5さい」
 ティリルはウルリッカに自己紹介した時と同じように手を広げた。その様を見て更にシリルはますます笑みを深くする。
「まぁ、良い子ねぇ。シリルとティリル、お名前が似てて仲良く出来そうねワタシ達」
「うん」
 緊張した様子を見せつつもティリルはシリルの言葉に頷いた。
 そんなティリルに笑いかけてシリルは立ち上がると、ウルリッカへ囁くように現況を伝えてくる。
「今回の出動は終わったわ。今、エドゥがガートちゃんを探しに行ってるトコロ」
 第六小隊の猫耳娘であるガートは可愛い見た目に反して主人であるエドゥアルトから戦闘モードを解除して貰わない限り戦い続けるバーサーカー的な機械人形だ。どうやら今日も彼女は良く暴れたようだ。
「どこまで行ったか分かるの?」
「ええ、隊長がちゃんとGPS付けてるから大丈夫よ。ただ、今回は大分遠くまで行っちゃったみたいだけど」
 肩を竦めてシリルは笑うと、ティリルへと視線を向け直す。
「ところで、ティリルちゃんはどうしてウルちゃんと一緒にココに来たの?」
「お兄ちゃんがいないの」
 しょんぼりとした様子でティリルが言った。言ったことでウルリッカによって紛らわされていた悲しみが復活してしまったのか、見る見るうちに目に涙が溜まっていく。
「おやおや、可愛いお嬢さんがいるねぇ」
 そこにのほほんとした男性の声が響き渡った。
 現れたのは第六小隊の小隊長であるユウヤミ・リーシェルと、その後ろに影のように控える機械人形であるヨダカだ。
 シリルと同じようにティリルの前に屈み込んだユウヤミは、ふにゃりと人の懐に滑り込みやすい笑みを浮かべてティリルを見つめる。
「こんにちは、私はユウヤミっていうんだ。お嬢さんは誰かな?」
「ティリル・クノッテン、5さい」
 変わらず手を出して涙目ながらも名乗るティリルに「うんうん、そうかい」と頷いて前触れもなくに掌を見せるようにして手を差し出した。知らないお兄さんに手を差し出されたティリルは泣くことも忘れて手を見つめる。
「見てて」
 そう言ってユウヤミは何も乗っていない手を握り、一度拳を下に向けた。
 ユウヤミの意図の見えない行動にティリルだけでなくウルリッカもシリルも興味津々だ。
 そしてユウヤミは再び拳を上に向けて「ふっ」と一息かける。
「はい、プレゼント」
 言葉と一緒に開かれたユウヤミの手に乗っていたのは毛糸で編まれた小さな人形だった。小さくデフォルメされてはいるが、それはかなり精巧な作品だ。
「ピンクだ!」
 ティリルの顔が輝く。
 ユウヤミの掌にあった編みぐるみは『咲きほこれ!ピアルルSix』という特撮作品のリーダーを模したものであった。ユウヤミから編みぐるみを受け取ったティリルはニコニコと笑う。
「ねぇ、ヨダカ。アレって……」
「ええ。主人の手作りです」
「相変わらず隊長って手先が器用ねぇ」
 機械人形であるから疲労が溜まるはずはないのだがヨダカは疲れたように呟き、ウルリッカとシリルは感嘆してティリルの手に渡った編みぐるみを見つめた。
 ティリルの意識が編みぐるみへと向いているうちにユウヤミは立ち上がるとウルリッカへ闇色の目を向ける。
「さて、マルムフェ君。彼女はどうして君と来たのかな?」
「ティリルがお兄ちゃんと逸れたからです。だから隊長の知恵を借りたいです」
「ふーん。迷子か」
 トントントンと頭の中を整理するように指で頭を叩いたユウヤミは、ヨダカへ視線を向けた。
「確か私達の所へ避難してきた中に『妹と逸れた』と言っていた赤毛の少年がいたねぇ」
「そうですね。彼は怪我をしていたので医療班に治療をお願いしています」
「その彼が兄の可能性が高そうだ」
 ユウヤミが言うのだから間違いはないだろう。
 ユウヤミのことを全幅的に信頼しているウルリッカは、そう思う。
「ティリル、お兄ちゃんに会えるよ」
「本当!?」
「良かったわねぇ、ティリルちゃん」
「うん!」
 ユウヤミお手製の編みぐるみを手にしたティリルと共に、事後処理にあたるというユウヤミとヨダカと別れたウルリッカとシリルは避難している人々がいる場所へと向かった。
 今回の避難所は小学校の体育館であり、中に入ると疲れきった人々が床に座り込んでいる姿がある。その間を医療班が忙しなく歩き回っていて、汗と消毒薬と入り交じった不思議な臭いが漂っている。
「どう、ティリルちゃん。お兄ちゃんはいるかしら?」
「えっとねぇ……」
 シリルに抱きかかえられて目線の高くなったティリルがキョロキョロと体育館内を見る。機械人形に抱っこされた子どもというテロ前では何も珍しくもなかったというのに、残念ながら今では貴重な光景となった組み合わせを見た避難民から驚愕と恐怖と憧憬の目を向けられていても一体と一人は動じることは無い。そして、それはその後ろから付いてきているウルリッカも同じだ。
「あ、お兄ちゃん!」
 抱っこされており目線が高いおかげでティリルは兄を見付けたらしく、声を上げる。彼女の視線の先を辿ったウルリッカの目も赤い髪の少年を見付けたが、思わず眉を顰めた。
 ティリルは5歳。そして兄は「両手で足りない位」歳が離れている。
 つまりティリルの兄は15歳以上。そしてヨダカが「怪我をしていたので医療班に治療をお願い」していると言った為、てっきりティリルの兄は大きな怪我をしているものだとウルリッカは思い込んでいたのだ。
「ティリル! 無事だったんだな!」
 しかしティリルの声に気付いて此方の存在に気付き近寄ってくるティリル兄は片肘と片膝に絆創膏を貼っているだけの軽傷も軽傷だった。ウルリッカの家では「唾でも付けておけ!」のレベルの傷だ。
「お兄ちゃん!」
 シリルに下ろされたティリルが兄に駆け寄って抱きつく。
 兄妹の感動の再会だ。本来ならば涙すら誘うものなのだろうがウルリッカは冷めた目でティリルの「お兄ちゃん」を見つめた。
 ティリルと同じ赤い髪をした兄はティリルが満足するように抱きしめた後に、ウルリッカとシリルへと喜びに輝いた目を向ける。
「あの、ありがとうございました!」
「良いのよ、コレがワタシ達の仕事だもの。ね、ウルちゃん」
 笑顔のシリルに同意を求められてもウルリッカは頷かなかった。
「どうしたのよ、ウルちゃん」
「ねぇ、何でティリルと離れたの?」
 ウルリッカの言葉はシリルではなく、ティリルの兄に向けられていた。
 ティリルとウルリッカが出会った時、ティリルは「お兄ちゃんがいなくなった」と泣いていた。つまりは直前までは一緒に居たはずなのだ。瓦礫にティリルのお兄ちゃんが挟まれていなくなったという最悪の事まで想像したウルリッカとしては、お兄ちゃんが無事なのは喜ばしいが軽傷のお兄ちゃんがティリルから離れたというのは許し難いことだった。
「ま、機械人形マス・サーキュがいるって言うから……」
 ティリルの兄は言い辛そうに消え入りそうな声でそこまで呟くと口を噤んで視線をウルリッカから逸らしてティリルへと向けた。言葉は続かなくとも言いたいことはそれだけで伝わってくる。

――ティリルを見捨ててお兄ちゃんは逃げたのだ、と。

「そう」
 ウルリッカは下ろしたままの手の拳をそれとなく握り締めた。
「ウルちゃん、それはダメよ」
 異常を感知したシリルが止める。
 それでもウルリッカは止める気はなかった。
「ウルお姉ちゃん! シリルお姉ちゃん! ありがとう!」
 そんなウルリッカの手を止めさせたのは、本人には全くその気はなかったであろうティリルの明るい声だった。兄にしがみついたままニコニコとした笑顔を向けるティリルは自分が迷子になっただけで、兄に見捨てられたことなんて微塵も気付いていないようだ。
「……うん」
 ティリルの目の前で彼女が大好きなお兄ちゃんを殴り飛ばしていたら、きっとティリルは酷く悲しんだことだろう。兄への怒りを優先しすぎてティリルを悲しませるところだったとウルリッカは纏っていた殺気を描き消すと、渋々と拳を緩ませる。
「それじゃ、ウルちゃん。ワタシ達も片付けに行きましょう?」
「うん」
 これ以上ここにいてはウルリッカがティリルの兄を殴りかねないと判断してシリルが声をかけてくるので、ウルリッカも不承不承ながらも頷く。
 最後にティリルの兄を一瞥し、ティリルには「ばいばい」と声をかけるとウルリッカは踵を返す。
「ありがとう、おねえちゃん!」
 ティリルの明るい声に、兄を殴らなくてよかったと思いながら。

 ミクリカは嫌い。
 凸凹の土地がとても戦いにくいから。

 ミクリカは嫌い。
 妹を見捨てる兄がいるような土地だから。

おにいちゃん

 帰りの車の中、ウルリッカは不機嫌を隠そうともせず荷台で揺られていた。
「しけた面ぶら下げて、どないしたん?」
 そんなウルリッカの隣に座っていたガートが、呆れたような顔をして問いかける。
 彼女の猫耳にさり気なく手を伸ばし、ふみふみと揉みながら――ガートからは「止めや!」の声が上がるが当然無視だ――ウルリッカは口を開いた。
「お兄ちゃんなのに、妹を守らない奴がいた」
 事情を間近で見ていたシリルはそれを聞いて苦笑いを浮かべる。
 ウルリッカが言っているのは、先程ウルリッカが保護をして避難所へと連れてきたティリルのことだと分かっているからだ。
「別に“お兄ちゃん”は妹を守るって法律がある訳でもないし、そういう人もいるでしょう?」
 反論するように声を上げたエドゥアルトをウルリッカは睨みつけるが、エドゥアルトは慣れたものでそれを平然と受け止めていた。そんな人間同士の視線の攻防を見て、シリルが小首を傾げる。
「あら、そんなことを言うエドゥは妹でもいるのかしら?」
「……いません。俺はひとりっ子です・・・・・・・
 「ひとりっ子」と言う瞬間、少しだけ翳ったエドゥアルトの表情には誰も気付かない。シリルやガートといった機械人形には人間の機微は読み取れないし、ウルリッカはそもそもエドゥアルトにそこまで興味が無い。むしろ、同意が貰えずにエドゥアルトを恨みがましく見つめるくらいだ。
「隊長は?」
 ウルリッカは同意者を得ようと身を乗り出して助手席のユウヤミへと声をかけた。
 バックミラーに映るユウヤミは鏡越しにウルリッカと視線を合わせると至って柔らかく微笑みを浮かべて答える。
「妹がいるから、私は“お兄ちゃん”だねぇ」
「えっ! 先輩って妹さんがいるんですか!?」
「隊長って木の股から産まれたような人なのに人間の兄弟がいるなんて意外だわ」
 ユウヤミの答えにエドゥアルトとシリルが声を上げる。シリルの物言いは大分失礼なものだが、そういう性格に作られているのだから仕方ない。
 ユウヤミに妹がいる。
 その事実にウルリッカの目が輝いた。
「隊長、妹かわいい?」
「うん。11日に久し振りに会ったけど妹は可愛いねぇ」
 ウルリッカの問いに、しみじみとユウヤミは呟く。
 それが心からの言葉なのか、はたまたウルリッカの好感度を上げようとしての言葉なのか彼の本心を理解することは誰にも出来ない。たとえ後者であったとしても宗教の如くユウヤミを信奉するウルリッカとエドゥアルトは単純に「ユウヤミは妹がかわいい」と受け取った。
「先輩、良く考えたら11日って退院された翌日じゃないですか。そんなに妹さんに会いたかったんですか?」
「彼女の都合が合う時がその日しかなくってねぇ。それに退院祝いが妹に会えるなんて最高じゃないかい?」
 そう言ってユウヤミがおどけたように笑う顔がバックミラー越しに見えたものだから、ウルリッカとエドゥアルトもつられて笑みを浮かべる。
「お兄ちゃんが隊長っていいな」
「嫌だわ、ウルちゃん。ウルちゃんにはアルとイェレっていう立派なお兄ちゃんがいるじゃないの」
「イェレ兄はともかく……」
 シリルの言葉に反論しようとしたウルリッカは口を噤む。
 てっきりウルリッカがアルヴィのことをボロクソに言い出すかと思っていたシリルは目を見張った。
 そして驚いたのはシリルだけではなかったらしい。
「おや、どうしたんだい? マルムフェ君」
 助手席のユウヤミがウルリッカが何故、何も言わないのか分かっているのに気付いていない振りをして、わざとらしい声を上げる。その声にウルリッカは睨むような目を向けた。
「隊長は意地悪」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
 そして、ウルリッカの言葉を飄々と受け止める。そんなユウヤミの態度に、やはり彼に言葉で勝つことは出来ないとウルリッカは内心で嘆息した。
 ウルリッカは兄2人とも大好きだ。だけど長兄のアルヴィは「外の世界の学校に行く」と言って集落コタンから出て行き、幼い自分が捨てられたようで凄く嫌だった。だから、今も素直に兄に好きだなんて言ってやらないのだ。
「何や? 全く人間だけで理解った顔せんで欲しいわ」
 口振りでは全く分かっていないようなガートだが、その顔は既に人間同士の会話の機微を今回は読み取ったようでニヤニヤとしていた。悔しいのでウルリッカは再びガートの耳を揉む手を再開する。ガートは文句を言いたそうであったが、最終的には文句を言うのを諦めてウルリッカにされるがままになっていた。
 代わりに誰に言うでもなく呟く。
「人間のきょうだいって大変やなぁ」

迷惑な黒髪

「全く、どうなっているんだ!?」
 不機嫌なギルバートの声が経理部の部屋に響き渡った。
 しかし、それを咎めようとする者は少なくとも部屋にはいない。部屋の中で仕事をする全員が同じ気持ちだったからだ。
 事の発端は5月下旬、機械人形の暴走の鎮圧に行った第四小隊のヘラがボウガンの矢を刺されるという事件が発生した。犯人が暴走した機械人形なのか、ヘラを機械汚染された機械人形と勘違いした人間なのか、はたまた機械人形自体に悪意を持つ人間の仕業か。犯人は未だに分からないままだ。
 刺さった箇所は左肩であり行動に支障はなかったが、ヘラは機械人形。一箇所の故障を修理すれば全身の他パーツの稼働とのバランスを見たり、センサー部の異常がないかとメンテナンスは多岐に及び、その分費用もかかる。犯人が分からない現状としては誰に請求をすることも出来ず、全額マルフィ結社持ちだ。
 まだ、それがヘラだけならばここまで騒ぐことではない。
 マルフィ結社に所属する機械人形が戦闘の為に外に出ると誰かしらが多かれ少なかれボウガンの被害に遭うのだ。先日、第6小隊のガートも同じ被害に遭い、現在修理中だが彼女は元々は非合法の機械人形闘技場で戦わされていた機械人形。今までは稼働していた為に目を瞑っていた違法部品の破損はどうにもならず、機械班との協議の結果、かなりの部品を交換する事になった。
 そんな部品の交換数が増えれば費用が嵩むのは当然の事で。
 機械班としては万全の状態にしてやりたい思いがあり、それは経理部とて同じだ。同じであるが、文句は言いたくもなる。
「ウーデットさんにも主人マキールとして幾分か負担をお願いするにしてもなかなかの価格ですね……」
 アルヴィは請求書からギルバートへと視線の先を変えると疲れたように呟く。機械班が「ついで買い」とばかりに余計な部品を購入していないかチェックをしなくてはならない請求書には一般人の知識にない部品名が並び、それも経理部を疲弊させる原因となっていた。
「可愛いガートちゃんの為なら仕方ないにしてもエドゥも大変だね」
 同じように請求書を見ていたギャリーも声を上げる。彼は前職が機械人形関係だったためにパーツ名も分かり、大変に重宝される人材だ。そんな訳で普段以上にギルバート筆頭にギャリーへの監視は厳しく、連日しっかりと働かされていた。
「機械班にも満足のいく修理と整備をさせたいところだ。仕方ないが総務班との交渉だな」
 ギルバートが機械班の誰かを思い浮かべているのは表情から分かることでアルヴィとギャリーは顔を見合わせて思わず笑みをこぼす。それに向かって怒鳴ろうと口を開けかけたギルバートだったが、怒鳴るだけではいつもの事で面白くないと思い直して意趣返しをすることにした。
 さも今思い出したとばかりの顔をして、まずはギャリーへと話し掛ける。
「そういえばギャリー。セリカには弟がいたんだな」
「いや、セリカちゃんはお姉さんだけだって。俺、こないだ写真見せてもらったし」
 「急に何を言っているんだ」とばかりにギャリーが怪訝な顔を向けてくるので内心でギルバートは「かかった!」と喝采を上げた。ニヤつきたいのを堪えてギルバートは顎に手を当てて神妙に考え込むような顔をする。
「では先日、仲睦まじく歩いていた黒髪の若い男は誰だったんだ……?」
 それは大きな独り言のようだった。
 しかし当然ながらそれはギャリーに聞かせるためのものであり、ギャリーの笑みが強ばる。セリカの所属する第三小隊にも黒髪を持つ男はいるが、それは経理部に顔を出すことの多いゼン・ファルクマンであるので、わざわざギルバートが「黒髪の若い男」というはずは無い。
「結社の誰かでしょ。第4のエリックとか。他にもいるし……」
「今まで見た事のない黒髪・・・・・・・・だったのだが」
 この時、ギルバートは嘘は言っていなかった。
 セリカと仲良く歩いていた黒髪の弟のような男は、最近髪を染めたというタイガ・ヴァテールに他ならない。タイガのことは知っているギルバートだが彼の黒髪については今まで見た事ないのだから何も嘘はついていない。
「ちょっと俺、セリカちゃんに確認してくる!」
「セリカは支部勤務だ」
 今にも飛び出していきそうな勢いで立ち上がったギャリーに、ギルバートはピシャリと言い放つ。仕事をサボったギャリーが行きがちなセリカの行動はギルバートとてしっかりと把握しているのだ。「ならば、せめて連絡を……」と携帯端末を取り出したギャリーだったが、セリカが支部勤務ならば電源をオフにしている可能性が非常に高いことに気付き、諦めた顔をして携帯端末をしまう。
 勝ったな。
 日頃、ギャリーに振り回されているギルバートは束の間の勝利の余韻に浸る。脳内では、かつて戦勝記念に作曲されたクラシック音楽の演奏が響き渡っていた。
「ええっと、医療班に新しく入った方が黒髪だとか聞きましたが、その人じゃないですか?」
 ギャリーを励ますようにアルヴィが声をかける。確かに医療班の人間ならば前線駆除班の人間と一緒に結社内を歩いていても違和感はない。
「ああ、そうかもな」
 ギルバートはアルヴィの言葉に同調した。これは次の意趣返しへの布石だ。
「つまりアルヴィ、先日僕は君の妹もまた見慣れない黒髪の彼と歩いていたのを目撃したのだが彼が医療班の新人ということだな」
 アルヴィが笑みを浮かべたままフリーズした。
「そ、それは、きっとチェンバースさんじゃないですか? あの、調達班の背の高い男の子の」
 認めたくはないが妹のウルリッカが親しくしている男性の名前を硬い口調でアルヴィが言うが、ギルバートは首を横に振る。
「シキ・チェンバースなら僕も知っているが彼ではなかったな」
 ウルリッカと歩いていた“黒髪の彼”は、タイガと同じく髪を染めたルーウィン・ジャヴァリーである。言ってみてから彼はギャリー を揶揄うのに使ったセリカと同じ小隊の為にギャリーに気付かれるのではないかとヒヤリとしたギルバートであったが、ギャリーはセリカと一緒にいた黒髪の男の正体に真剣に悩んでいて気付いていない。
「ま、まぁ、ウルと医療班なら一緒に居てもおかしくは無いですよね」
 若干青い顔で自分に言い聞かせるような雰囲気を纏いつつアルヴィが反論する。そんなアルヴィをギルバートは憐れむような色を浮かべて見つめておいた。何も言わずとも、そのギルバートの表情で勝手にアルヴィとしては都合の悪い展開を思い浮かべてくれたらしく、アルヴィの顔色は益々悪くなる。鮮やかな赤い髪と、白い顔のコントラストが見事だ。
 勝ったな。
 こちらに対してもギルバートは内心で勝利宣言をした。

――この日、繁忙が続く経理部だったがギルバートはどことなく上機嫌なまま仕事を進めた。しかし、ギャリーとアルヴィの作業効率が落ちたことで他の経理部から密かに恨まれたとか、恨まれてないとか。

これは兄の話

 シリルは今の空と同じ橙色の目をゆっくりと瞬いた。
「アルの様子がおかしいのはいつものコトだけど、最近特におかしいと思っていたらそういうコトだったの。あらヤダ。もっと早く言ってくれたら良かったのに」
 自分の機械人形に呆れた顔をされて、アルヴィは言葉に詰まって返事の代わりにコーヒーを啜る。
 1人と一体が来ているのは若者に人気のコーヒーショップだ。ただの余談であるが無駄に研究し尽くしているアルヴィのコーヒーは一見するとただのコーヒーのようだが、ディカフェドリップに変更していたりディカフェショットを追加していたりと(無駄に)カスタムがされている。
 そんなコーヒーを今、アルヴィは特に美味しいと感じていた。
 というのも、彼がここ数日悶々としていた謎が解けたからである。
『つまりアルヴィ、先日僕は君の妹もまた見慣れない黒髪の彼と歩いていたのを目撃したのだが彼が医療班の新人ということだな』
 先日、ギルバートが目撃したというウルリッカと歩いていた黒髪の男性。それの正体が臨時で第六小隊の手伝いに参戦した最近髪を染めたルーウィン・ジャヴァリーだったという事実を聞いたからだ。シリル曰く単に人数補填で来た彼をウルリッカが案内していただけなのだと言うのだ。ガートが故障中で人員が少ない中で機械人形の代わりに人間が補充されるのは何とも不思議な光景だが、戦闘が出来る者となるとメンバーが限られるので仕方の無いことなのだろう。
「だってウルがチェンバースさんと仲良しなだけで僕としては気が気じゃないのに、更に医療班に新しく来た人とも親しいとかなったら胃がもたないよ」
「もうウルちゃんだって立派な大人なんだし、早く妹離れして欲しいわ」
「妹離れは僕の辞書にはインストールされてない言葉かな」
 しれっと言い放つアルヴィにシリルは溜息をついた。そうは言っても機械人形のシリルは呼吸をしていないのでフリだけだ。
「アナタは妹の心配より自分の出会いを探すべきよ」
 シリルの言葉にアルヴィは優しく微笑む。
「僕はシリルと出会えたから大丈夫だよ」
「……そういうのはワタシじゃなくて人間に言って頂戴」
「あはは。機会があればね」
「あれば、じゃなくて作って欲しいのだケド」
 そんな会話をしていたアルヴィの目がシリルから、ふと外れる。会話の気まずさから視線を逸らしたのかと予測したシリルが追い討ちのように声をかけようとしたが、アルヴィが残っていたコーヒーを一気飲みするのを見て口を噤んだ。
「シリル、行くよ」
 一気飲みしたアルヴィが小さな声で呟くとカップを手に早々に席を立つ。
「ええ。主人マキールが良いなら良いわよ」
 特段、休憩というものを必要としないシリルも席を立った。元々、コーヒーショップに寄ったのもシリルの買い物にアルヴィを付き合わせていて、人間には休憩が必要だと寄っただけだ。人間の休憩が終わったのなら、機械人形としては何も言うことはない。
「あの、空きますか……?」
 席を立ったアルヴィとシリルの元へミアやクロエと同じ年程の女の子が2人、この店の売れ筋商品のフラップッチーノを手にやって来る。オドオドとしたような顔をしているのはアルヴィのようなおじさん・・・・に声をかけることに緊張しているからか、はたまた今は珍しい機械人形が一緒にいるからか。
「え、ええ。どうぞ使って下さい」
 理由が後者であることを密かに祈りつつアルヴィはシリルを伴ってコーヒーショップを出る。
「急にコーヒー飲むから何かと思えば、あの達に席を譲ってあげたのね」
「満席だったからね」
 アルヴィとしては満席のコーヒーショップで困っていそうな人が居たから席を譲っただけの行為だ。何の事も無い行為だったがシリルにとってはそうでは無かったらしい。
「どうしてこういうコトが出来てアナタがモテないのかしら。同じコトをギルやギャリーがやったら出会いになりそうなのに」
「それは2人とも格好良いというか、綺麗な顔だからだよ」
「顔もそうだけど2人はアナタに無い“自信”があるわ。そういう自信に満ち溢れた人間に人は惹かれるモノなのよ」
 アルヴィの経理部仲間であるギルバートもギャリーもアルヴィとは違い、堂々とした態度をしている。あの自信の一欠片でもアルヴィには見習って真似をして欲しいものだというシリルの言葉にアルヴィは苦笑いを浮かべる。
「あ、顔は否定してくれないんだ……」
「否定して欲しいなら主人マキールの命令として受け取って言ってあげるわよ?」
「……それは惨めになるから止めとくよ」

 * * *

 店の外に出ると5月下旬の柔らかい風が頬を撫でる。
 カンテの夏は短いが、その夏へと向かう風は心地よくて人間のアルヴィは思わず目を細めた。
「夏が来るね」
「そうね。“あの日”から、もう一年経つのね」
 歩きながら呟くシリルの声はシリルらしくもない暗さがあった。
 あの日。
 それが何時だかなんて気軽にアルヴィは聞かなかった。昨年のことを思えば、シリルが言いたい“あの日”が以前の主人を亡くした日であることは明らかだ。
 シリルはいうまでもなく機械人形だ。
 だから人を偲んで心が痛む事がないのはアルヴィにだって分かっている事であるが、髪色さえ変えたら人間と変わりない見た目をしているモノが悲しむような動作を見せていたら感じないものが無い訳では無い。
「休みとれたら、今度お墓参り行こうか」
「それも良いわね」
 そう言ってシリルが微笑むから、アルヴィは次の休暇はいつだっただろうかと脳内にスケジュールを描き出す。最近は機械人形襲撃騒ぎで経理部も繁忙が続いている為、なかなか予定通りの休みをとるのも難しいであろうが言ったからにはシリルが喜ぶことをしてやりたい。機械人形相手であっても喜ぶ顔を見るのは嬉しいと考える、アルヴィはそんな男だった。
 機械人形の襲撃騒ぎ。
 其れを思い出したアルヴィは何とはなしに口にする。
「今日は何も起きなくて良かったね」
「何のコトかしら?」
 何を言われているのか分からずに首を傾げるシリルに、アルヴィは更に口を開く。
「君の小隊のガートさんがボウガンで怪我をしただろう? その犯人がシリルを狙わないとも限らないからね、今日は何も無くて良かったって思ったんだ」
「大丈夫よ」
 そう言って、カラカラと陽気にシリルが笑う顔が夕陽に照らされ眩しい。
「結社付近では今まで一件も起きてないもの。ガートもヘラも戦闘中だったし、他の子も任務中でしょ? まさか結社近くで犯行はやらないわよ」
 能天気ともいえるシリルの発言であったが、そんなシリルの明るさにアルヴィもそれはそうかと考え直した。仮に自分がマルフィ結社に何らかの恨みを持っていて損害を与える為に機械人形を狙うとしたら、わざわざ結社近くの場所で犯行を行うのは捕まる危険性が高すぎる。
「それもそうかな」
「そうよ、心配しすぎだわ」
 アルヴィの心配を吹き飛ばすように笑っていたシリルの夕陽色の目が、ふとアルヴィの頭部へと向いた。
「僕の頭に何かついてる?」
「夕陽に照らされるとアナタの髪って機械人形みたいに見えるわね」
 アルヴィの髪は本人の性格と真逆の鮮やかな赤だ。確かに真っ赤な髪に橙色の夕陽が照らされると人間ではない髪色に見えなくもない。アルヴィは髪を摘みつつ微笑む。
「機械人形の君に言われると信憑性高いね」
「人間なら間違えちゃうかもしれないわよ」
「いっそ機械人形に間違われる方が、からかわれなくて良いのかもなぁ」
 古来の悪役が赤毛に書かれる影響でシュエリオ大陸のアヴルーパ州で嫌われがちな赤毛は、移民の多いカンテ国でも不思議と侮蔑の対象になりがちだった。それは結社内の同じ赤毛であるロナ・サオトメやアン・ファ・シンも経験済みなのだというのだから、アルヴィの被害妄想では無い。
「アナタの髪色に合わせて洋服を選ぶのは難しくて、とても楽しいわ。良い色よ」
「そうかなぁ……?」
 家族や集落の人間以外に(シリルは人間ですらないが)髪の色を褒められて、アルヴィの表情が緩む。
 そしてシリルに礼を言おうと口を開きかけて、それ・・に気付いた。
「シリル!」
 其れは一度は猟師として育てられた故の判断力か、はたまた第六感か。
 シリルが状況を判断するよりも早くアルヴィは動いていた。
 鋭い風切音、小さく呻くアルヴィ。
「アル!?」
 悲鳴のような声でシリルがアルヴィの名前を呼ぶ。
 シリルを庇うように差し出されたアルヴィの右前腕にはボウガンの矢が刺さっていた。その痛みに顔を歪めつつもアルヴィはしっかりとシリルを見て、彼らしくない大きな声を上げた。
「犯人を追って!」
 それを“命令”と見なしたシリルの身体が動いた。ボウガンの矢の飛距離、それが音を感知して到達するまでの時間、主人マキールに刺さった角度、今の風向きと風速、それらの事実から全てを迷うことなく計算して導き出した場所へと。それは人間には決して不可能な処理速度で行われていた。
 しかし、狙撃したと思われる場所にシリルが辿り着いた時、そこには何も居なかった。ヘラやガート、他の機械人形達を撃った人間と同一犯もしくは同一グループによる犯行と想定される犯人は、機械人形がこの場所に到達する時間すら計算して動いていたのだろう。
 それでも何か証拠はないか。
 シリルは一歩足を踏み出そうとして、夕陽に煌めくものに気付いて危険を察知して足を止めた。夕陽に煌めくそれは弛みなく張られたワイヤーだ。強硬度のワイヤーに気付かずに進んでいたならば、首が身体と別れていたかもしれない。
 ワイヤーに気をつけながら二度三度と周囲を振り返り様子を窺うが、辺りに人間らしき生体反応はなかった。犯人をまんまと取り逃したのだ。
 犯人の追跡は不可能と判断したシリルは、身を翻すとアルヴィを案じて彼の元へと急いで戻る。致命傷ではないといえ、早く治療してもらわないといけない。
「あら?」
 アルヴィの元にシリルが戻るとアルヴィ以外の人間が居て道路に座り込む彼を取り囲んでいた。薄茶と金色の中間色ダークブロンドの髪をした少女とも少年ともいえるテディが誰かと携帯端末で通話をし、顔は見えないが屈んでアルヴィの様子を見ている青みがかった黒髪はシキだ。その隣には機械人形らしい青い髪からフィンイヤーの覗いている子供がいるからオルカだろう。
 調達班のメンバーがどうしてここに。
 アルヴィが敵に囲まれていなかったことに安堵しつつ、シリルは彼等に近付いていった。
「あ、シリル! おかえり!」
 戻ってきたシリルに最初に気付いたテディが通話を終了させた携帯端末を手に声を上げた。
「テディ? どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフだよー! 道端にアルが座り込んでると思ったら怪我してるんだもん。とりあえず結社には連絡しておいたよ」
 チラリとアルヴィを――正確にはアルヴィの腕に刺さったままのボウガンの矢を――見て、テディは痛みが伝播したように顔を顰める。
「例のボウガンの犯人がいたみたいなの。取り逃したケド」
「えっ、あの犯人がこんな所にいたの!? しかも人間を狙うなんて」
「ワタシを庇ったのよ、このバカ主人は」
 驚くテディの視線を受けながらシリルはアルヴィの前に立った。
「ワタシは壊れても直せるケド人間は治らないのよ!? 何てコトしてるのよ!!」
「ごっ、ごめんね」
「謝らないで!!」
「ご、ごめ……」
 アルヴィの謝罪はシリルを余計にイラつかせるだけだった。シリルの無いはずの堪忍袋の緒が切れて、更には機械人形のくせに主人を守れなかったという事実がシリルには重く伸し掛る。
「シリルさん、元気出してよ」 
 シリルに「落ち着いて」ではなく「元気出して」と労わるように声をかけてきたのは相変わらず淡々とした表情のシキだった。シキの言葉にシリルが人間のように自嘲めいた笑みを浮かべる。
「機械人形には元気も何も無いわよ」
「でも、シリルさん元気無さそうだったから」
 シキの青と緑が混じった様な不思議な色彩をした目には本当に心配をしている色が浮かんでいて、人の優しさにシリルは思わず微笑んだ。
「シキは本当に良いコね」
 そして柔らかく微笑んでいた笑みを唇の端を更に引き上げてニヤニヤとした笑いへと変え、アルヴィへと視線を向ける。
「ねぇ、アル。シキは本当に良い子ねぇ?」
 この状況にそぐわないニヤついた表情で自分を見て来るシリルに、アルヴィは腕の痛みを忘れる程だった。シリルの問いかけに含まれている「シキはとっても良い子だからウルリッカのお相手に相応しいわね」を言外からしっかりと感じ取ってしまったからだ。
 確かにシキは良い子だ。シリルに犯人を追わせ傷の痛みに座り込んだアルヴィを発見してから、シキはずっとアルヴィの体調を気遣ってくれている言葉をかけてくれていた優しい子である。
 しかし、それと妹のお相手というのは別の話だ。そこは人間性云々ではなく単にアルヴィの心が狭くて誰であろうと認められないだけだ。
「そ、そうだね。良い子だね……」
 何とも言えない表情を浮かべて曖昧に頷く。
 尚、褒められたはずのシキは「俺、成人男性なんだけど」と微妙にズレた事を思い不服な顔をしていたりするが、誰もそれには気付いていない。
「ねぇ。結社から医療班が来るより、こっちから行った方が早いと思うけど、どうする?」
 再び携帯端末で結社と連絡をとっていたテディが声を上げる。確かにアルヴィの怪我は足ではないため歩行には影響はなく、彼が歩けるならば結社に帰って治療を受けた方が早いかもしれない。それに結社に戻った方が処置をする機材も揃っていることだろう。そう考えた人間や機械人形の目がアルヴィへと向く。
「歩けそう?」
「大丈夫だと思う……それでは、トンプソンさん。僕が行くって伝えて貰って良いですか?」
「了解」
 アルヴィの答えは自分から結社に行く、だった。
 それを聞いたテディは電話の向こうの相手にその旨を伝える。
「俺が背負おうか?」
 巨躯のシキが申し出てきたが、アルヴィは返事に詰まった。
 100パーセントの善意からの言葉と分かっていてもアルヴィはシキの申し出に首を縦に振りにくかった。何故ならば相手は可愛い妹と親しい男性。状況的にはそんな事を言っている場合ではないのだが、それでもシキに借りを作るのは気が引ける。
「僕が運ぼうか?」
 そんな中、「はいはーい!」と主張するように手を挙げたのはオルカだった。
 少年とも少女とも取れる愛らしい顔立ちのオルカの主張に、こんな小さな子に運べるのかという疑問が一瞬過ぎるアルヴィだったが彼も立派な機械人形であることを思い出す。
 シキに借りを作るよりは、この子にお願いしよう。
 アルヴィはそう判断した。
「あ、じゃ、じゃあ、オルカ君にお願いしようかな」
「はーい!」
 可愛らしく良い子のお返事をするオルカに、やはり本当に運べるのかという心配になってくるアルヴィだった。
「えっ、オルカが運ぶの!?」
 そして、何故か結社との電話を終えたテディが目を丸くして声を上げた。
 やはり見た目通りオルカは重いものを運ぶことが苦手なのだろうかとアルヴィが心配になりつつテディを見ると、シリルが同じ疑問を抱いたようで口に出していた。
「何か問題があるのかしら?」
「大問題だよ!前、ボクが運んでもらったけどすっごい痛かったんだよ!」
 農家が穀物を運ぶようにオルカの肩に担がれた経験のあるテディは、それを思い出したのかうっすらと涙目のようにも見えた。その時は「そーれ!!」と雑に置かれた衝撃で膝脱臼が治ったという奇跡のような事が起きたりもしたのだが、痛いものは痛かったのだ。
 そんなテディに不安を抱く人間達だったが、当の本人たるオルカは不安に満ちた視線を受けても自信満々の顔を見せていた。
「任せてよ! 大丈夫! 僕、学習したから!」

 そして、そんな学習の結果。
 アルヴィはオルカにお姫様抱っこ・・・・・・で運ばれる羽目となったため目撃した結社の人間にヒソヒソと囁かれることとなり、腕の傷と共に心の傷も密かに増えたのであった。

楽しき第四小隊

「狙撃手が2人というのも面白いものだね」
「お互いに背後を庇い合えるのは楽で良いですの!」
 ユリィ・セントラルとヘレナ・マシマの明るい声が幌付きの荷台の中で響き渡る。女子2人の言葉にウルリッカも同意して頷いた。
「ヘレナの腕が良いから安心できる」
「ウルもとっても上手だから私も安心して背中を任せられるのですの。あの四つ辻の時も――」
 今日のウルリッカは故障したヘラの代わりに第四小隊の補充人員として任務にあたっており、今はその帰路だ。明るく会話する彼女達の足元には多くの動かなくなった機械人形が横たわって同乗している。
「ユリィがヘラの主人になってるの知らなかった」
 ウルリッカが呟くように言うとユリィは普段は無表情な顔に僅かながらにも苦笑めいたものを浮かべた。
「うちとヘラが一緒にいるのは前からだったし、主人になっても特に変わることは無いからね」
「ユリィは生活力が危ういですの。だからヘラが付いてくれて私も安心できるですの」
「ヘレナ姉ちゃん。うちのこと、そう思ってたんだ」
「真実だから仕方ないですの!」
 ヘレナの言葉にユリィは返す言葉なく黙るしか他ない。
 ウルリッカは知らなかったがユリィはいわゆる「汚部屋の住民」であった。マルフィ結社に来て、まだ1年経っていないというのに彼女の部屋は大分凄い有様だ。実はそれを見兼ねたヘラが彼女を主人にしたという経緯があるが、真実を知る者はごく僅かだ。ユリィの名誉の為にもその方が良い。
「へ、ヘラさんも早く直ると良いですね」
 荷台の隅で小さく存在感薄く座っていたエリックが、ヘレナとユリィが口喧嘩を始めないようにそれとなく話題を変えるように口を開いていた。それに乗っかる訳ではないが、ウルリッカも続けて口を開く。
「アサギも気をつけてね」
 いきなりウルリッカに声を掛けられた、これまた隅に座っていたアサギが機械人形らしくもなくキョトンとした顔をした。これまでアサギとウルリッカに特に親交は無いというのに、いきなり身を案じる発言を聞けば誰しもこういう表情になることだろう。
「ルーがね、心配してたから」
 ウルリッカは決して口数が多くない為、説明が端的で分かりにくい。第六小隊に所属するウルリッカの口から第三小隊に所属するルーウィンの名が出てきて、2人の親交の有無すら知らないアサギは困惑するばかりだ。
「ルー?」
 同じように困惑した様子を見せているのは何故かユリィだった。そんな彼女にはヘレナが「ピーナッツの人ですの」とユリィの付けている渾名で囁き、ユリィは「ああ」と納得したように一人頷く。
「先日、第六のガートの代わりに第三のルーが応援で入ったんじゃなかったか?」
 そんな中、荷台での会話がしっかり耳に届いていた助手席のロナからフォローするように言葉が入った。その言葉にウルリッカは頷く。
「今度第四行くって言ったらルーに言われた。アサギまで狙われたら大変だからって」
「俺はそんなヘマはしねえ。今日だって平気だったろ?」
「次は分からないし」
「次だって問題ねえ」
「アサギ」
 ロナの声がアサギとウルリッカの会話が途切れた瞬間を見計らって差し込まれた。
「何だよ、ロナ」
「こういう時は『心配してくれてありがとう』だろ」
 真面目なド正論の発言を主人であるロナから言われてアサギは二の句が告げなくなる。アサギの中の回路も円滑な人間関係構築のためには、それを言うべきだと告げていた。しかし、今度はそれを性格設定が邪魔をする。
「アサギ、ちゃんと言うべきだ」
 追い打ちをかけるようにロナが言うものだから、アサギは納得してない不貞腐れた顔を見せながら不承不承口を開いた。
「『シンパイシテクレテアリガトウ』」
 本当に感情の一片も籠っていないアサギの言葉に、荷台の女子三人は思わず噴き出すように笑う。とはいえユリィとウルリッカのリアクションは小さめなため、ヘレナが笑う姿だけがアサギの目に良く映った。
「ヘレナ!」
「ごっ、ごめんなさいですのっ。でもアサギが面白いのが悪いですの!」
 ウルリッカの知る第六小隊の騒がしさとは違う騒がしさを乗せたままトラックは結社に向かう。
 ヘレナとの言い合いを終えたアサギにウルリッカは口を開いた。
「さっきの伝えとくね」
「ああ、たの……ちょっと待て」
 『頼む』と言いかけたアサギの中の何かが警鐘を鳴らす。
 おそらくウルリッカがルーウィンに「『心配してくれてありがとう』ってアサギが言ってた」などと言えば、ルーウィンは「アサギさんが礼を言えるなんて!」などと言ってアホみたいに喜ぶであろう。そして、奴はそれを言い触らす。言い触らす先は当然の事ながらルーウィンが所属する――アサギがかつて所属していた――第三小隊のメンバーに他ならない。奴等にまで聞かれれば、特に小隊長であるバーティゴに知られるのは何だか恥ずかしいような気がしてアサギの顔は渋面を作った。
「なぁ、それと『バルには言うな』も追加してくれねぇ?」
 だから、アサギはウルリッカに釘をさしたのだが。
 ウルリッカは返事をしないまま、トラックはマルフィ結社に到着したのであった。

 * * *

 前線駆除班のトラックがマルフィ結社に到着すると、積んできた機械人形の解析のために汚染駆除班や機械班が待ち構えていることは珍しいことではない。今日もビクター・トルーマンの運転するウルリッカ達を乗せたトラックが結社に辿り着いた時、そこには汚染駆除班の黒マスクが印象的なエフゲーニ・ラシャと機械班の高く結った二つ結びの赤毛が目立つアン・ファ・シンが立っていた。それから、更に珍しい人物がもう1人。
「ギル王子?」
 荷台の幌から顔を出してウルリッカは何故か居る経理部のギルバート・ホレス・ベネットの名前を呼んだ。今日は経理部が飛んでくる程の破壊活動をした覚えは微塵も無いのに、何故彼がいるのだろうか。
「ウルリッカ!」
 ギルバートはウルリッカの名前を呼ぶとトラックへと駆け寄ってくる。
 貴族も走ることがあるんだなと少々ズレたことを考えるウルリッカだが、ギルバートのいつも真剣な顔が今日は妙に強ばっていることに気付く。ウルリッカが人の家の外壁に穴を開けてしまった時も、ショーウィンドウの硝子を割ってしまった時も彼はこんな顔をしていなかった。
 つまり、そんな事よりも大変な何かがあったに違いない。
「アルヴィが負傷したんだ!」
 ギルバートのいつもよりも大きな声から発された言葉に、ウルリッカが彼女にしては珍しいことに感情を露わにして目を丸くする。
「だって、今日はシリルと買い物に行っただけなのに」
「その買い物帰りに例のボウガンに狙われたらしい。ああ、でも安心してくれ。命に別状は無いそうだ」
 興奮しつつも状況を正しく伝えようとしているギルバートの言葉にウルリッカは密かに安堵する。ウルリッカの脳裏を過ぎっていたのは、ウルリッカが結社に来ることになったキッカケともいえる崖下に機械人形と落ちたアルヴィの姿だったからだ
「こっちは良いから早く行ってやんなよ」
「後片付けはあたし達に任せるですの!」
 ユリィとヘレナの声に背中を押されてウルリッカは頷いた。
「ロナ、行っていい?」
「当たり前だ。アルヴィも妹の顔を見たら元気になるだろうしな」
 先にトラックから降りていたロナはそう言ってウルリッカを安心させるように微笑みを浮かべる。同じ赤毛ということでアルヴィと親交のあるロナは、アルヴィの妹への愛の深さを良く知っていた。
「ありがと」
 第四小隊に頭を下げたウルリッカはギルバートを見つめる。
「医療班にいる?」
「そうだ。数日は医療班の部屋に世話になるから着替え等はギャリーが用意をしにアルヴィの部屋に行っている。僕ではそれは上手く出来ないからな」
「そう」
 頷いたウルリッカは、手にしていた巨大な愛銃フュールちゃんをギルバートへと差し出した。咄嗟的にギルバートは受け取ってしまう。
「預かってて」
 猟を生業とするウルリッカが商売道具である銃を他人に預けることは異常だった。それ程までに彼女は身軽に動きたかった訳であり、またそれはギルバートを信頼している証でもあった。
「おい、ウルリッカ!?」
 困惑するギルバートの声を背に受けながらも、ウルリッカは振り返らずに走り出していた。

兄妹

 医療班の部屋の前、壁に背を預けて立っている人間の姿を見つけてウルリッカは足に急ブレーキをかけた。
「ヴィニー?」
「エルの言った通りだな」
 立ち止まったウルリッカを見て、ヴィニー・ラトウィッジが納得するように呟く。
「お前が部屋に突っ込んで来そうだから外で見張ってろって言われたんだ」
「そんなこと……」
 「そんなことない」とウルリッカは言えなかった。ヴィニーがいなければ、間違いなく勢いそのままに医療班の部屋に入っていたからだ。医療班は名前の通り怪我人や病人の多く集う部屋であり、元気な人間がいるばかりではないため、そんな人達にぶつかっては大惨事になりかねない。
 先見の明があったエル――アペルピシア・セラピアのことだ――に感謝しながら、ウルリッカはヴィニーへと目を向けた。
「お兄ちゃんは?」
「全治二週間というところだな。腕に刺さっただけというのも何だが、腕だけで幸いだった」
「そうなの」
 ギルバートから「命に別状は無い」と聞いていたが、改めて医師であるヴィニーから聞いてウルリッカは肩を撫で下ろす。
「本人も会話は問題なく出来るし、中入るだろ?」
「うん」
 ヴィニーの問いに頷いてウルリッカは彼と共に医療班の部屋に入っていく。中に入った途端に消毒液の匂いなどの独特の空気が充満していてウルリッカが思わず眉を顰めると、それを見てヴィニーが笑ったが今はそれに文句を言っている場合ではないウルリッカは睨みつけるだけにしておいた。
「ウルちゃん!」
 医療班の部屋の奥にはベッドが並んでいるが、その前に立っていたシリルがウルリッカに気付いて彼女の名前を呼ぶ。
「ごめんなさい、ワタシ……アルを守れなくて」
「悪いのは犯人。シリルは何も悪くない」
「でも……本当にごめんなさい」
 主人の怪我を防げなかったというのは機械人形にとって余程辛いことなのだろう。シリルらしくもなく悄げた様子を見せている。
「シリルは悪くないよ」
 シリルの声が聞こえていたのだろう。メディカルカーテンの奥から聞こえたアルヴィの声が元気そうでウルリッカは内心安堵した。しかし、それを表情に出すことはせずに淡々とカーテンに近寄ると容赦なく明け開く。
 ベッドに横たわるアルヴィは顔が少々青いものの、腕に巻かれた包帯以外は何事も無いように見えた。無感情にも見える黒目がちの目でウルリッカが上から下までアルヴィを眺める。
「本当に腕だけだし、古傷が開いたとかもないから大丈夫」
「そう」
 アルヴィの言葉にもウルリッカは感情のこもらない様子で頷いた。
 それを後ろで見ていたヴィニーは怪訝な表情をすると、シリルに囁くように問いかける。
「兄が心配で飛んで来た妹には見えないな」
「ウルちゃんはああいう子なのよ。きっと内心は凄く心配しているハズよ……申し訳ないコトをしてしまったわ」
 自分で言って傷付いた顔をするシリルを見てヴィニーは「カンテの機械人形は本当に技術が進んでいるな」と感嘆するが、今の話の流れでそれを表に出しては狂人だ。内に留めるだけにして「主人も妹も気にしてないから安心しろ」と人間に言うように慰めの言葉をかけておく。
「ウル。僕は本当に大丈夫だから」
「うん」
 兄妹は冷ややかにも聞こえる会話を続けていた。その、あまりにも淡々として冷え冷えとした雰囲気を見兼ねてヴィニーが会話の仲裁に入ろうかと考えた時だった。
「アルヴィ、着替え持って来たよ」
「ウルリッカ! この銃は大事なものだろう!? 置いていくな!」
 アルヴィの部屋に着替えを取りに行っていたギャリーと、ウルリッカに銃を渡されていたギルバートが医療班の部屋へと入って来た。
「ファンさん、ベネットさん。ありがとうございます」
「カバン此処に置くね。あ、鍵はカバンのポケットに入れてあるから」
 ベッド脇にカバンを持っていったギャリーはそう言った後にニヤリと笑う。
「折角だからナニか出てくるか期待したのに何にもなくてガッカリしたよ」
「……僕の部屋にはアニマルビデオしかありませんから」
 以前、動物ドキュメンタリービデオを「AV」と言い、一般的にはそれは性行為を主体とするものである「アダルトビデオ」の略称であることを後に知って悶絶した過去を持つアルヴィは、そう言って苦笑いを浮かべた。
「良かった。アルヴィがそういう軽口を言える余裕があって」
「ご心配をお掛けしてます」
「全快するまでゆっくり休んでよ。仕事は――」
 「俺達がやるから」と言いかけてギャリーは口を噤んだ。
 ギャリーの背後にはウルリッカに銃を返しているギルバートが居る。
 彼に「仕事は俺達がやるから!」なんて言葉を聞かれた日には、それを言質とばかりにギャリーを馬車馬の如く働かせることだろう。アルヴィ不在の穴を埋めるために仕事をするのは吝かでは無いが、それをギルバートから強制されるのはギャリーとしては面白くない。
「仕事は僕がしっかりやっておくから安心しろ。2月に世話になった分を返す時だ」
 言い淀んだ空気を察知したのか、たまたまなのかギルバートが声を上げる。ギルバートは機械班のアンをボロクソに言っていた男達に手を挙げ、2週間の謹慎をしたことがあった。その時の借りを返すだけだとばかりのギルバートにアルヴィは「宜しくお願いします」と頭を下げるように動かす。
「経理部の皆さんは、とても仲が良いんですね」
 彼等の会話を見守っていたヴィニーが人の良さそうな人間の仮面を被った顔で微笑んだ。それに対してチラリとギャリーを見てからギルバートが――過去を振り返りつつ>?――「当然だ」と力いっぱいに応える。
「王子」
 そんなギルバートに静かに声をかけたのはウルリッカだった。彼を「王子」呼びする人間は珍しく、そんな人間は彼女くらいしかいない。
「どうしたんだ、ウルリッカ」
「……愛銃フュールちゃんをお願い」
 抑揚のない声、いつも以上に感情の読めない顔でギルバートの顔を見ることなく虚空に呟いたウルリッカは踵を返すと、誰の制止も聞くことなく医療班の部屋を出ていってしまった。ウルリッカが部屋を出ていってしまうとは予想していなかった面々は、どうしたら良いかと顔を見合わせる。
「シリル。お願いがあるんだけど」
 そんな中、最初に口を開いたのはアルヴィだった。
「分かったわ。追いかければ良いのね?」
 この流れで命じられるのはそういうことだろうと判断したシリルが言うが、アルヴィは静かに首を横に振る。
「そうじゃなくて……連絡をとって欲しい人がいるんだ」

 * * *

 結社の中庭には雪の女王スノークイーンという桜の巨木がある。
 桜でありながらカンテ独自の品種である雪の女王スノークイーンの花が咲き誇る季節は早く、今は青々とした葉を短い暖かな季節の空へと広げていた。
 そんな雪の女王スノークイーンが見える休憩所の椅子に座って、ウルリッカはボンヤリと窓の外を眺める。休憩所には自動販売機があるのだが、特に何も買うこともなくひたすらに外を見つめる。
 山の中で自然と共生してきたウルリッカにとって、この自然を感じられる場所は大好きな場所の一つだった。中庭自体も好きなのだが、此処は上から眺められる光景というのが良い。
「あ、居た」
 背後に聞こえた若い男の声。
 休憩所にはウルリッカしかいないから、自分のことだろうとウルリッカは身体を捻って後ろを見る。そして、驚いて目を丸くした。
「シキ?」
「シリルから連絡来て……此処だろうと思ったから。そっち行って良い?」
「うん」
 ウルリッカが頷くとシキが歩いてきてウルリッカの隣に座る。
 シキもウルリッカも饒舌なタイプではないから休憩所には沈黙が続くが、それは嫌な沈黙では無い。
「……何でシリルからシキに連絡が行くの? 付き合いあった?」
 沈黙を破って問い掛けたのはウルリッカだった。
 目線は外に向けたまま、シキに問いかける。
「ウルの兄さんを発見したの俺とテディとオルカ。俺達はたまたま外回りの帰りだったんだけど、その途中でアルヴィさんやシリルさんに会って……聞いてない?」
 シキの言葉にウルリッカは頷く。
 ギルバートから聞いたのは「アルヴィが怪我をした」という事実だけで、状況も何も深く聞く余裕はウルリッカにはなかった。
 それに、今シリルがわざわざ連絡をしてシキを自分の所へ寄越す理由も分からない。ウルリッカがこの場所を気に入っていることはシキも知っていたが、それでも何故ここにいるのが分かったのか。
「連絡が来たのはシリルさんからだけど、アルヴィさんからの言伝だったんだよ」
 外に向けていた目線をシキに向けて、ぱちりぱちりとウルリッカは目を瞬く。
「お兄ちゃんから?」
「そう。『ウルは負の感情が大きく動くと独りになりたがるけど、一緒にいてやって欲しい』って」
 言ってからシキは「あ、ウルには言うなって言われてた」とさしてマズイことを言ったという態度では無いまま呟く。
「別に独りで平気」
 そう言ったウルリッカの顔を、シキはじっと見つめた。
 シキの目は綺麗だな。
 真っ黒な目をしているウルリッカはそんなことを思う。
 暫く見つめあった後、シキは何も言わずに立ち上がった。部屋を出ていくのだろうかとウルリッカが見ていると、彼は入口に向かわずウルリッカの後ろに立った。
「よっ、と」
 そうしてウルリッカを後ろから抱きしめるように座り直す。シキの脚と脚の間に座る所謂バッグハグの状態になってしまって、流石のウルリッカも驚いた。そんな驚くウルリッカに対してシキは何も感じていない平然とした表情を見せる。
「俺、大きいから」
「うん」
 シキはマルフィ結社内でもトップクラスの長身だ。
 そんな事は言われずとも見れば分かる。
「だから誰からも見えなくなったと思う」
「うん?」
 思わず首を傾げる。シキの言いたいことがウルリッカには分からない。
「だから泣いても平気」
「泣かないよ?」
「ウルはすぐ泣くの我慢するんだって」
 シキの言い方にウルリッカは薄く苦笑いめいたものを浮かべた。
「お兄ちゃんに聞いたの?」
「聞いたのはシリルさんからだけど、でも言ってたのはアルヴィさんだからそうかな」
「……お兄ちゃんが、無事で良かった」
 ポツリと呟いたウルリッカの声は湿って震えていた。
 後ろから抱きしめているからシキからウルリッカの表情は見ることが出来ない。
 それでも小さな肩が震えているのは見えるから。
 彼女が少しでも元気を取り戻せるように。
 ウルリッカが落ち着くまで、シキは大人しく彼女の頭を撫で続けていた。