薄明のカンテ - 双子の卒業旅行/涼風慈雨
 それは15年前の夏の日のことだったーー
「「カンテ大学合格おめでとう。」」
 そう言って僕らはしっかり握手した。僕、アキヒロ・ロッシは医学部、双子の兄のナツヒロ・ロッシは薬学部。
「それじゃ、行く?」
「卒業旅行!」
 受験戦争で大忙しだった時期を超えて、大学入学準備期間の夏休み。
 どこに行く?なんてわざわざ聞かない。ナツが考えている場所は絶対僕と同じ。
「「ミクリカ!!」
 ニヤリと笑うナツに僕も笑い返す。
 もちろん、流行の街ラシアスとか首都のソナルトも捨てがたい。だけど僕らは前からミクリカに行きたかった。理由は簡単、今まで学校行事で行ったことがないから。
 公共交通機関を乗り継いでミクリカへ向かう道すがら、携帯型電子端末で電子世界上のミクリカ情報を集める。
「レンタサイクルあるみたいだよ。」
「駅から考えれば……中央通りの店をぶらりする感じかなぁ?」
「いいね……お、『Cherry×Sherryのケーキは絶対食べろ』だって。」
「どれぇ?あ、フルーツタルト美味しそうだねぇ。」
「この店の近くだと……持ち帰りにして、広場で食べようよ。いい噴水あるよ。」
「資料館もどこか行っておきたいなぁ……」
 大体の予定が組めた頃にミクリカに到着した。レンタサイクルを借りて中央通りを目指して眩しい陽射しの中、坂を登る。ありがたい事に電動アシスト自転車なので軽く坂を登れる。
「ね、アキ。競走やろうよ。」
「下りでやろうよぉ、登りだと観光できなくなるよ?」
「それもそっか。」
 駄弁りつつ登っていると、前の方から転げ落ちそうな勢いで走ってくる子供が来た。その子供の後ろから一回り小さい子がなんとか追いかけている。追いかけっこだろうか、と微笑ましく思ったのも束の間、血の気が引いた。先を走る子供は首を後ろに向けたまま走っている所為で真っ直ぐ自転車に突っ込みかけている事に気付いていない。
「姉ちゃん前見て、前ー!」
 少年の声が響く中、思い切り自転車のブレーキを引く。車輪が派手な甲高い音を立ててなんとか停止したが、姉ちゃんと呼ばれた子供は避けきれず自転車のカゴ部分に突っ込んできた。
「んぎゃっ」
 奇妙な声と共に勢いよくぶつかった赤い髪の少女は、直ぐにケタケタ笑って自転車から離れた。
「あのっ!うちの姉ちゃんがすみませんでした!」
 少女の後ろを追いかけていた弟と思しき浅黒い肌の少年が追いつくと開口一番そう言った。唖然としていると、逃げ出そうとしたお姉ちゃんの襟首を掴んで弟くんが頭を下げさせた。
「すみませんでした!姉ちゃん、ちゃんと謝ってよ。父さんにも祖父さんにもいつも言われてるだろ?」
「ふーんだ、母さんみたいな事言うロナなんか嫌いだもん。」
 辟易した顔をする弟くんを放ってぷいとそっぽを向くお姉ちゃん。
「また兄ちゃんが代わりに謝ってるー」
 姉弟の後ろからあははっと笑いながらのんびり歩いてきたのは彼らより更に小さい少女だった。3人とも同じ空色の瞳で顔立ちが似ているのできっときょうだいなのだろう。
「いいよ、いいよ。僕だって避けきれなくてごめんねぇ」
 謝るとお姉ちゃんの事で困っていた少年の顔は日が射す様にぱっと輝いた。
「怪我は無かったかな?お姉ちゃん?」
 首根っこを掴まれているお姉ちゃんに話を振ると、弟くんの手を振り払って道を走り回って元気よく子鹿の様にジャンプした。
「怪我してたらこーんなに跳べないでしょ!」
「事故は後から怪我が出てくるんだからねー?」
 跳ね回るお姉ちゃんに言ってみるけど、多分聞いてない。苦笑いして、目の前にいる兄妹に視線を戻すと横から見ていたナツが口を挟んだ。
「あんなに急いで何処に行く予定だったのかな?」
「おつかい行くの!」
「タイムセールだから行ってこいって母さんが……まっずい、遅れる!」
 腕時計を見て眉を跳ね上げる少年に手をひらひら振る僕。
「引き止めてごめんねぇ、早く行って来なよ。」
「ローナー!ナーユー!はーやくしないと置いてっちゃうよー!」
 妙に節のついた言い方をするお姉ちゃんはもう坂道をダッシュしている。
「あ、じゃあ、失礼します!行くよ、ナユ。」
「うん!」
 姉ちゃん待ってー!と言いながら奔放な姉を追いかけていく兄妹。
 その背を見送ってから、また坂道を登り始める。
「大学で応急処置習ったら使いたくなるのかな?アキ。」
「あんなに走り回るようじゃ難しいよぉ」
 にやっとしているナツに澄まして答える。使えるチャンスがあるなら使ってみたいけどね。

 坂を登り切ると中央通りに出る。
 噂のケーキ屋はどっちだっけと2人して立ち止まった時、一瞬風が吹いて嫌な予感がした。何がとか言いにくいけど、夏の入道雲みたいに嫌な予感がむくむく湧き出してくる。
「アキ先輩ー!」
 後ろから大声で呼ぶ声に驚いて振り向くと、さっき登ってきた坂を自転車で駆け上がってくる明るい茶髪の少女がいた。旅行先で一番会いたくない人、カレン・トグルだ。
「アキ先輩ー!奇遇ですねー!」
 そう言って僕らの隣りまで上がってきたカレンの自転車には電動アシストがついていなかった。まさかカレンに競輪選手並みの脚力があるなんて。
「もう、ミクリカに行くなら言って下さいよ!変な虫に絡まれたら大変じゃないですか!」
「これ以上ない奇妙な虫が付いてたらそりゃ誰も近寄らないよぉ…」
「もちろん、虫を追い払うのも彼女の役目ですから!」
「付き合った事実は後にも先にも無いんだけどなぁ」
「それで?アキ先輩たちは何でミクリカに居るんです?」
 全く人の話を聞かずぐいぐい聞いてくるカレン。
 彼女とは中学時代の部活が一緒だっただけなのだが、一方的に好意を寄せられているのが現状だ。あまりに騒がしい所為で、付き合った事実が何処にも無いのに周囲には恋人認定されている。わざわざ同じ高校に進学してきて絡んでくるだけでなく、出先でこうやって会うので、ひょっとして尾行されているのではと不安に思う今日この頃だ。
「あ、もしかして卒業旅行ですか?去年は大忙しでしたもんね!改めて、カンテ大医学部合格おめでとうございます!」
 カレンに志望学部の話をした覚えは一切ない。一体何処で知ったんだろう……?気になりすぎて祝辞が怖い。
「前にカンテ大学の医学部の過去問集持ってたので、そうかなって!」
 何それ観察力怖い!というか、思考が読まれてる……!?
 一刻も早くカレンと分かれて卒業旅行の続きがしたいんだけど、と考える僕の気持ちなんて微塵も考えていないカレンがナツに声をかける。
「お義兄様、アキヒロさんに普段からお世話なっているカレン・トグルです!」
「僕は君のお義兄様じゃないよ。」
 にっこりして言うナツがカレンを牽制するが、そんな程度で怯む彼女ではない。
「ミクリカは何回か来てるので案内できますよ!」
 ドヤ顔で折れる気配のないカレンに僕らの頬が引き攣る。
 出来るだけ穏便に帰って貰わなければと僕は口を開いた。
「そうなんだぁ。悪いんだけど、予定はもう決まってるし、別行動させてくれないかなぁ?カレンも予定があってここに来たんでしょ?」
「大丈夫です、もう予定終わったんで!この後フリーです!」
「それなら早く帰った方がいいよ。親が心配すると思うよ?」
「あ、大丈夫です。所在地は親に通知入るんで。」
 言い切るカレンに打つ手無し……
 近くの駐車場で猫があくびをした。
「この間、猟奇事件が起きたばかりじゃないですか。女の子を1人にする気ですか?」
 カレンなら絶対殺されないと思うけど。これだけ煩かったら犯人も狙わない。とは言え、そう言われて尚放置するのも男が廃るというもの。仕方ない。
 結局、ナツと僕とカレンの3人で日帰り旅行する事になった。
 前を自転車で行くナツは『レイナもいればダブルデート出来たのに』と考えているに違いない。そっちは恋人だけど、こっちは付き合う以前に友人ですらないんだけどな。

 中央通りのCherry×Sherryでフルーツタルトを購入。予定通り噴水のある近くの広場に移動して、キッチンカーで飲み物を調達。広場に設置されていたパラソル付きテーブルセットを陣取り、ちょっとしたお茶会にする。
 どうしても隣りに座りたがるカレンを引き剥がしてナツの隣りに僕は座った。それでも、にやけたカレンの顔が目の前にある所為か、かなり甘いはずのフルーツタルトの味は全然しなかった。悔しいにも程がある。
 ずっと喋り続けるカレンを適当に流しつつ広場の噴水を眺める。ミクリカの噴水は華やかな噴き上げる噴水というより滝に近くて地味だと言う書き込みがあったが、僕らとしては兎頭国の風味に似ていて好きな感じだった。
 途中で携帯型電子端末から通知音がしたので開けてみるとニュース速報が入っていた。
『血の絵画事件犯人逮捕』
 少し前から巷を騒がせている血の絵画事件。絞殺した被害者の血で絵を描いたという猟奇事件であり、SNSにその画像を載せるという狂人振りだ。犯人の足取りが掴めず、捜査も二転三転したと言うのは報道されていた。ようやく犯人が捕まって良かったとほっとしつつニュース速報の詳細記事を読むと、犯人はわずか10歳の少年だと言うので肝が冷えた。誤認逮捕であってほしい。
 どうやら思いはナツも同じらしく、目の合ったナツも神妙な面持ちになっていた。
 カレンが食べ切るのを待ってから、食べ切ったゴミを広場のゴミ箱に捨てる。次の場所へ行こうかと話していると、横から「すミマせん」と黒髪に白髪混じりのやつれたようなおばさんが話しかけてきた。
「こちラの写真の子に見覚えはあリマせんか?」
 おばさんが手にしている紙には『探し人』と書いてあった。
「娘が行方不明になてモう10年です。ずと探していルのですが未だ見つかてないんです。どな些細な事でモいいです。思い当たルことがあれば、下の連絡先マでお願いしマす。」
 そう言っておばさんは僕に紙を一枚手渡すと別の人のところへ去って行った。
「兎頭出身かなぁ」
「訛りも兎頭っぽいし黒髪黒目だから可能性高いよね。」
 紙に載っている写真には垂れ眉に三白眼気味で黒髪の高校生くらいの女子が笑顔で写っていた。名前はラン・ファ・シン。隣りには『蘭花秦/蘭花猫』と書いてある。兎頭の文字なのはわかるけど、意味はよくわからない。
「10年かぁ……終戦からずっと探してるんだね、あの人。」
「移民とか難民とかその類いなんだろうねぇ。よくずっと諦めずに探してるよねぇ。」
「アキ先輩が行方不明になったら、10年でも20年でもずーっと探します!」
「ちょっと怖いなぁ、それ。」
 さっきのおばさんの後ろ姿を目で追いかけると、どうやら夫婦でビラ配りをしているらしい。2人とも随分と憔悴し切った感じだ。
「助けになってあげたいけど、僕らは何の情報も持ってないんだよねぇ。」
どうしようもないな、と貰ったビラを僕は鞄の奥底に片付けた。

 ミクリカの景勝地や資料館、話題の雑貨屋や飲食店を梯子して回る。
 カレンに案内して貰って到着したミクリカ歴史資料館では、大昔にカヌル火山群が噴火した頃の模型が展示されていて、ナツが食い入るように見ていた。ちなみに、当時の地層から出土した人骨も展示されていた。これがまた綺麗で、ボロボロに欠けているけど完全な状態なら凄く綺麗だったんじゃないかなってくらいだった。ポストカードの写真に有ればと思ったけど無くて残念だった。
 兎頭国風味の雑貨専門店では珍獣のぬいぐるみをカレンにねだられたが、買う義理も有り金もないので無理やり興味を逸らして忘れて貰った。
ミクリカは北が海で他の三方を山に囲まれている地形上、日の入りが早い。時間が早いからと油断するとあっという間に日が落ちてしまうので、そろそろ帰ろうかとナツと話していたら「最後にどうしてもミクリカの海が近くで見たい」とカレンに粘られて、浜辺を回ってから駅へ向かう事になった。
 浜辺へ向かう長い坂道をブレーキをいっぱいに握りしめてゆっくり下っていく。坂の途中に見覚えのある子供が2人、座り込んでいるのが見えて思わず自転車を止めた。赤い髪に浅黒い肌の少年が小さい子の前で膝をついている。
「あれ、君たち……さっきの?」
 僕の声に振り向いた少年は一瞬警戒したものの、会った事のある人だとすぐ気付いたらしい。少しほっとした表情になった。
「こんなところでどうしたの?お姉ちゃんは?」
「妹が怪我しちゃって……でも大丈夫です。背負って帰るので。」
 少年が影にしている妹ちゃんを見ると、転んだのか砂まみれの膝に赤い血が滲んでいる。さっきまで泣いていたらしく、頬には涙の白い筋がついていた。
「そっか、妹ちゃんが怪我しちゃったんだねー」
 自転車に坂道ロックをかけたカレンがカバンをあさりながら少年に近づいた。
「カレン……?」
 何をするのかわからずカレンを見ていると、カバンから救急セットと飲料水を取り出した。
「それくらいなら、洗って絆創膏してれば治るよ。お兄ちゃん、妹ちゃん触っていい?」
 戸惑いつつ頷いた少年を確認すると、カレンは手際良く傷口を飲料水で洗い、軽く水気を拭き取って絆創膏を貼った。
「お姉さん、誰……?」
「そっちの金髪お兄ちゃんの彼女だよ!」
 恐る恐る聞く妹ちゃんにカレンが謎の自信を持って答える。もちろん、僕はしっかり手を振って否定する。
「良かったね、これでお家に帰れるね。」
「ありがとうございます……あ、待って!」
 ナツが微笑んで言って、じゃぁねと自転車を出そうとしたら少年に呼び止められた。
「夕方の浜と崖には近づいちゃダメです!海神の子にされます!」
 海神の子。御伽噺の類いだけど子供にはまだ現実なのだろうか。
「あっちに連れてかれるって事だよ。」
 不思議に思っているとひょっこり現れた少年の姉が遠くの一点を指さした。よく見えないけど、ほったて小屋が幾重にも重なっているように見える。あれがカンテ最大のスラム街、岸壁街……確かに海神の子にされそうだ。
「岸壁街に連れてかれたら帰れない、なんてジョーシキ。灯りのない船も危険だよ。」
 ひゅぅ、と口笛を吹くお姉ちゃんに弟くんが突っかかる。
「姉ちゃん、どこ行ってたんだよ!?勝手にどっか行かないでくれよ!この間の事件だって僕と同い年の子が犯人だったんだぞ!?」
「ちょっと、ね。ごめんごめん!」
 軽く言うお姉ちゃんの手には何故か大きい魚が握られている。釣ってきたのか、貰ったのかわからないが、妹ちゃんが怪我で泣いている時にそんな事してたのか。
「毎年、人が消えてるんだよ……」
 泣き出しそうな顔で兄の服を握りしめる妹ちゃんが僕らを見上げる。その顔を見た僕とナツは顔を見合わせて視線で予定を確認しあった。
「カレン、浜まで行くのはやめた方が良さそうだよぉ。」
「そうみたいですね。アキ先輩が岸壁街に攫われたら大変ですから!」
「まず自分の心配してくれないかなぁ?」
「アキ先輩もお義兄様も綺麗ですもん。地下競売で良い値段行ったら私が買えなくなりますし。あ、でも借金してでもセットで買いますけど。」
 真面目な顔で言うカレンにドン引く。色んな意味でカレンは怖すぎる。横で聞いてる三きょうだいも何言ってるんだって顔してるし。
変な空気が流れる中、猫が道路を横切った。
「えっと……それで、君たちは大丈夫なの?お家まで送ろうか?」
 空気を取り繕おうとナツが三きょうだいに話かける。
「本当!?いいよ!楽しそうだし!」
 ニッと笑ったお姉ちゃんが弟妹の顔を一瞬も見ずに答えたので、不服そうに弟が姉を小突いた。
「いいのか?姉ちゃん?近所の人じゃないよ?」
「岸壁街のにおいしないし、ただの観光客だよ。怪我人助ける人攫いなんて聞いたことないもん。」
「服も普通っていうか逆にセンスいいよ。兄ちゃん心配しすぎ。」
 コソコソ話し合っているつもりなのだろうが、丸聞こえ。ミクリカの子供にとっては人攫いは現実の問題らしい。学校行事で敬遠されがちなのはそんな理由だろうか。
 自転車を押して僕らは三きょうだいの横を歩く。
 このまま暗くなったらどうするつもりだったの、と質問すると、お姉ちゃんは胸を張って答えた。
「この間、上級生とのケンカに勝ったんだ!悪いヤツはあたしがコテンパンにする!さっきだって猫から魚奪えたし。」
「姉ちゃんは刀捌きは上手いけど体重軽いから相手が大人だと負けるよ。」
「何か言ったか?この口か?この口が言ったんだな!?」
 ボソッと横槍を入れた弟くんの両側の頬をつねって引っ張るお姉ちゃん。
「やめてあげてよ、お姉ちゃん。そんな引っ張っちゃ痛いでしょ?」
 ナツが声をかけるもどうやら聞こえていないらしく、びよんびよん引っ張り続けている。
「ほふぇんなふぁい、ふぇもふぉんろのふぉろふぇふぉ」
「何言ってるかわかんなーい」
「ふぃっふぁってるふぇをろふぁふぇば」
 唐突に無言でバチンとお姉ちゃんが手を離し、涙目の弟くんがつねられた頬をさする。
 賑やかなのはいいことだけど、あれは結構痛そうだった。
 それから弟くんは妹ちゃんの手を引きながら、ぽつりぽつりと親の知り合いの家に荷物を届けに行った帰りだった事や、ミクリカの街では色んな人が人探しのビラを配っていると話してくれた。親の元同級生が数人行方不明になっていることも。

 三きょうだいを家の前の道まで送って、僕らは駅に向かった。レンタサイクルを返却して電車に乗る。
「アキ先輩、お医者さんになるんでしょ?」
「医師免許が取れたらね。」
「どうしよっかな、看護師になったら一緒に勤務できるかな……」
「本当、そこまで行くとストーカーだよぉ?今だってストーカーだけど。」
「安心してください、ストーカーがつかないように見守ってるので。」
「それをストーカーって言うんだよぉ」
 適当な事を話しながら公共交通機関を乗り継いで、カレンを家の前までナツと僕で送ってから家路についた。
「アキさぁ。」
 バスに揺られる中でナツが思い出したように口を開いた。
「あのカレンってのこと、どう思ってるの?」
「どうって……煩いストーカーかなぁ。」
 恋人だなんだって言うのはカレンが勝手に言っている事。僕の中ではただの煩い知人。
「嫌だって事ならちゃんと突き放した方がいいよ。お互いの時間が無駄になっちゃうんじゃないの?」
「ナツ……」
「強く言うと可哀想かなって思うのはわかるよ。けど、期待できないのにズルズル引き摺る方がもっと可哀想じゃないのかな?」
 ナツに言われるまで気付かなかった。きちんと話して諦めてもらう方が親切なのか。それでも、まだ上手く言える気がしないし誰かを突き放す事自体がしたくない。
「これから大学だし、会わない間に気が変わってくれるよぉ。きっと、向こうが諦めてくれると思う。」
 言ってはみたものの、カレンが諦めるなんて一欠片も思えなかった。ともかく、今は前途に広がる大学生活をいかに充実させるかだけを考えたかった。
「アキがそう思うならいいけどね。」
 軽く肩をすくめてみせるナツが呆れたように言う。
 この時はまだ、15年後にカレンが紆余曲折の果てに僕の婚約者になる事も、生命力の塊みたいな彼女がテロごときで亡くなるなんて事も知らなかった。もちろん、ナツが一人娘を残して行方不明になる事も。
 バスの外はもうほとんど日が暮れていて、卒業旅行の後とは思えないほど疲れた僕の顔がガラスに映っていた。