薄明のカンテ - 赤い女・2/燐花
 ミクリカの岸壁街のあった場所に程近い、少し治安の悪い区画でとある噂が立った。
 それは『観ると心拍が上昇し胸の高鳴りが止まらなくなる、強い興奮を引き出すビデオがある』と言うものだった。
 この噂を聞き、そのビデオがどう言った類のものかと何を一番に想像するだろうか?おそらく大抵の人間は、いかがわしいものを噂の正体として考えるだろう。
 人々の興味をそそるそのビデオの噂は瞬く間にミクリカに浸透して行った。
 しかし、警戒心を剥き出しにこの話を聞けばそのビデオの怪しさに気付いてしまう。
 これは餌だ。罠だ。疑似餌だ。
 獲物が掛かるのをてぐすね引いて待っている何かがこの餌の先にいるのではないのか?と、そう思えてしまうのだ。

「うーん…」
 休憩所で端末を操作し、集めて来た情報を見返しながらコリンは唸る様に声を上げる。彼を悩ませているのは、今ミクリカで流行っている謎のビデオの話題であった。
「どうしたの?」
「わっ!?びっくりした…何だ、シキか……」
「え?うん、俺。何?」
「いや……あれ?シキって何歳だっけ?」
「俺?十九だけど?」
「あ、じゃあ話しても大丈夫かな…?シキ、これは今ミクリカで囁かれている噂なんですが……」
 コリンはオンオフのはっきりしている人間で、プライベートではあたたかく親しみやすい話し方をするが仕事の時は敬語になる。きっとこれは仕事の話なのだろうとシキもつられて身構えた。
「あるビデオの存在が都市伝説めいた噂になっていまして」
「ビデオ?どんな?」
「それが……『観ると心拍が上昇し胸の高鳴りが止まらなくなる、強い興奮を引き出すビデオがある』と……」
「えー……?」
「これ聞いてどんな物品を想像します?」
 そんなビデオ、シキは身近に居る不埒な大人を見ていたせいか一つくらいしか心当たりが無いのだが。
 そう思ってその通りに答えると、コリンは苦笑いを浮かべながら同意した。
「やっぱりね。僕もそう言ったものを想像しましたよ」
「いや、それ以外無くない…?」
「この言い方を聞くとそう言う想像しますよね。問題は、この噂と同時期に増えたもう一つのトラブルの話なんですよ。機械人形の出所を探って色々なトラブルの話を集めて居る中でこのビデオの噂を拾ったんですが……この噂が広く蔓延した頃、同じ場所でもう一つあったのがトラブルで、それは所謂『霊感商法』って奴でした」
「霊感商法?あ、『観ると心拍が上昇し胸の高鳴りが止まらなくなる、強い興奮を引き出すビデオ』ってもしかしてエロいものじゃ無くて、怖いもの?」
「ええ、おそらく実際は。この噂の爆発的広がりと同時期に『自称霊能力者』に騙されたってボヤいてる人が増えたんですよ。しかも被害を訴えているのは男性ばかり」
「分かりやすくエロに釣られた結果じゃん」
「そうですね。被害として口にしつつ軍警への届け出が殆どないらしいんです。と言うのも、この話をしてくれた男性が皆被害を被害として見ていなくって。おそらくこの霊感商法、凄く少額でやっているのでは無いかな?と」
 コリンが言うには、ビデオの噂と同時期に増えたのは『自称霊能力者』による詐欺紛いの事例であるらしい。
 しかし何が背景にあるのか、被害を被害として訴える人間が本当に少なく野放しになっている。分かりやすく性的なコンテンツに釣られたと言いたく無いのか、騙し取られた額が少ないから被害としにくいのか、はたまた別の理由か。
「正直、詐欺事件なんて軍警の仕事だし僕らは首なんて突っ込まなくて良いんだけどね」
「うん。でもまぁ、気にはなるよね」
「何でこんなに被害を訴える人が少ないのか、むしろゼロに等しいのかはちょっと不思議です。でもこうしている間にまた被害者が出てるかもしれないと言うのも看過出来ませんから、困ったものです。まぁ、噂があまりにも広まって皆用心し始めているみたいで。今はそんな話聞いて尚受け取る様な迂闊な人、少ないみたいですけどね」
「このまま噂が広まって誰も受け取らなくなれば良いね」
「そうですね。ただ、これがもしビデオを人に薦める役割の人間、霊能者の役割の人間と各々持ち場を別れてやってるタイプの劇場型犯罪だとしたら相当タチが悪いですしバックに何がついてるか分からないので早く逮捕されて欲しいって言うのは思いますけどね」
 情報部隊のコリンと別れ、シキは考える。軍警に任せれば良いのは確かだが、それでもこうしている間にも被害者が増える可能性を考えればそれは見過ごせなかった。ならばいっそ囮捜査よろしく自分がビデオを受け取り、そして警察に駆け込めば良いのでは無いだろうか。
 しかし自分と同じ食料部隊には、少なくともシキと近しいメンバーには既婚者と未成年しか居ない。そんな彼らに『一緒に来てくれ』と言うのは難しい。
 となると。
「うーん…良し。じゃあ『あの人』に一緒に見に行ってもらおう」
 シキはある人物に白羽の矢を立てた。

 * * *

「あの……何故私が……?」
「ん?ああ、幽霊退治の適任だと思ったんだ」
「いや……何度も言いましたが…私に幽霊は見えませんよ?」
「……え?」
 シキはとある人物とミクリカの例の区画に来ていた。シキの連れて来たとある人物──エミールは苦笑いを浮かべながら革ジャンに作務衣姿でヘルメット片手に佇む。
 シキに『バイクに乗せて欲しい』と言われツーリングかと思って準備をしていたエミール。言われるがまま運転すれば場所はミクリカで、ここで急に「幽霊退治に適任」と言われ意味が分からず尋ねればやっとシキは「やたらと興奮するビデオ」の話と霊感商法の話をしだしたのでエミールは最早笑うしかなかった。そう言う事は先に言えと心の中で悪態つく。シキは悪い子では無いのだが、言葉足らずでたまにいけない。
「しかし『霊感商法』なのですよね?私でなくても良い気が……」
「だって本物だったら嫌じゃんか」
「そりゃあ嫌ですけど……それは私も嫌ですよ」
「でも寺生まれのエミールさんなら何とか出来るだろ?」
「……あのねシキ君。そればかりは寺生まれと言う肩書に幻想抱き過ぎですよ。皆が皆寺に生まれたからって霊が視える性質ではありません」
「マジで」
「ですが、まぁ……成仏させるお手伝いくらいは出来るかもしれませんけれども。その幽霊が東國産まれな事を祈っていてください」
 とは言え、何をどうすれば良いのやら。
 このままではただの観光になりそうだと思いつつひとしきりぶらぶらしていると、目の前に慌てて走る男を見付けた。
「あ、あの…お兄さんちょっと!ちょっとこのビデオ観てみません!?本当に良いビデオだったから!観て損は無いから!!」
「あぁ…!?お前それ、その汚ねぇのあの『例のビデオ』だろ!?バカじゃねぇの!?今散々噂になってんだろ!?何で受け取った!?」
「だ、だって興味があって…!!いや、それより知ってるなら受け取って観てくれよ!!」
「何でだよ!?あの話知って受け取るバカがいるかよこの街に!!観光客にでも観せろや!!」
「今この国に観光客が来るわけ無いだろ!?バカか!?」
「バカは噂知ってて受け取ったテメェだろうが!!」
 あ、ビンゴだ。とてもとても迂闊な人だ。
 シキとエミールは呆気なく件のビデオに近付けそうでガッツポーズを取る。横から覗きつつ声を掛けると、男は同じ売り文句で二人に迫って来たので何も知らないふりをしてそれを受け取った。
 それは古くボロボロとしたビデオテープであり、分かりやすく異様な感じがした。
「……これ、『エロいものです』って渡されても信じられなくない?」
「ええ……むしろ『怖いものです』の方が説得力ある見た目ですね……」
 ボソリと囁く二人の言葉が聞こえない様で、男はとにかく興奮できるのだとやたらと推すと近くに個室ビデオ屋があるから道案内すると言い出した。これに分かりやすく動揺したのはエミールである。
「びびびびびでおや!?!?」
「あー……アレか……」
「シキ君!?何で貴方はそんなに余裕そうなんですか!?」
「だって行った事あるもん。そんな珍しいとこじゃ無いよ、普通のビデオも漫画もあるし」
 とにかく行こうぜ、と歳下のシキに諭され目を白黒させたエミールにその後の記憶はない。気付けばシキと共に男二人で個室ビデオ店の一室でパソコンを前にスタンバイしていた。
 これはもう覚悟を決めるしかなさそうだ。
「……よく考えたら本当に観る事ないじゃないですか!?観たと嘘ついても大丈夫だったんじゃ無いでしょうか!?」
「内容について聞かれたら困るし。じゃあ、点けるね」
「ま、待ってくださいシキ君!!も、もし本当に怖いのじゃなかったら……どうします…?」
「え?怖いのじゃなかったら?あー、エロビだったらって事?うーん…つまんなかったら止める」
「と、止める!?」
「え?何?観たいの?」
「い、いやいや!拙僧はまだ修行中の身です故……六根清浄の心境に至るべく雑念は祓わねばいけないと思ってはいるのですが……!!」
「え?シュギョーチュー・・・・・・・・って禁止されてるわけじゃ無いんでしょ?じゃあ別に観ても良いんじゃね?」

 今、私の隣にマーラ悪魔が居る。

 シキの天然故か何も考えてないっぷりにくらくらしつつエミールは覚悟を決める事にした。六根清浄一根不浄とも言うじゃ無いかとすぐ俗世の横道に逸れるのが彼の生臭たる所以である。
「わ、分かりました……!私も男……焼きを入れましょう…!!根性見せますよ!!」
「お寺の人って『ヤキ入れる』とか言うんだ」
 そう言いながらシキはビデオデッキにカセットを入れ、再生ボタンを押す。既に幾重にもダビングされたテープだったのか、画面は安定せず砂嵐が発生したと思ったら公園が映し出された。これはまるで監視カメラの映像の様だった。
「これは…?ミクリカの公園でしょうか?」
「場所は分からないけど、とにかく公園だね。遊具とかあるし、普通に子供の来る公園だよね」
「そうですね……でも、こうも暗いと…むしろ遊具すら恐ろしいものに感じます……」
 ただひたすらに公園の映し出される映像を固唾を飲んで見守る。しばらく無人の公園を写していた映像だが、その内シキは変化に気が付いた。
「あれ?何かここ人が映ってる……」
「あ、本当ですね。これは女性でしょうか?あれ?いつのまにどこから現れたんでしょうね?」
「赤いワンピース着てる……端っこにいるけど、こんな色なら目立つし最初から気付きそうだけどな」
「か、怪談話にお誂え向きと言いますか、何と言いますか……」
 エウレカ効果とでも言うのだろうか。いつの間にか現れていた女性を発見し二人は少しだけテンションが上がった。
 その女性はただ画面の端に佇んでいただけだったが、その内またノイズが入り映像は乱れ、砂嵐が発生する。すると今度は画面中央に瞬間移動した様に見え、エミールはぞくりと背筋に悪寒の走る思いをした。
 画面の真ん中に立ちすくむ女性。
 その内またザーザーと砂嵐が発生し次の瞬間には女性の青白い顔が画面いっぱいに広がり、彼女と至近距離で目が遭った気がしたエミールは思わず声を上げた。
 ドンッ!と隣の個室に居る人間に壁ドンまで食らい、エミールとシキはやっとビデオを全部見終わったのだが、お互いよく分からない胸の高鳴りを感じていた。一言二言、言葉を交わすとシキは携帯端末を取り出し、エミールは会計の準備をする。
 ビデオに関する噂や謳い文句はある意味間違いでは無かったなと思いつつ店を出ると、先程ビデオを押し付けた男が待っていた。
 しつこいくらいに「観たか!?」と聞かれて静かに頷くと、男は歓喜しながらどこかへ行ってしまった。やっと解放されるだとか、次は頼むぜだとか、不穏な言葉を残して。
 そんな二人に背後から更に声を掛ける男がおり、男の発した一言により二人は本来の目的を思い出した。
「兄ちゃん達、相当タチの悪いの連れてるね!このままじゃやばいよー?俺は霊能力者を生業としているんだがね、急を要するソイツ・・・を二万イリで除霊してあげよう。あ、二人で二万だ。一人一万で良いよ」
 シキとエミールは顔を見合わせる。二人とも思っている事は同じだろう。
 きっと、『こう言った商売の相場を考えると大分安いな』とそう思っている顔だった。
「それなら手持ちあるけど」
 シキとエミールは互いに財布から一万イリを取り出すと嬉しそうに手を出す男に近付けるが、紙幣を掴まれる前にスッと手を引き訝しむ目線を向けた。
「……やけに安くない?」
「そりゃあそうさ!急を要するからね!」
「どの様なサービスも、急な予約や急な追加は基本料金に上乗せされる印象があるのですが…逆に急で安くなるとはどう言う事でしょう?」
「何だよお兄ちゃん達疑ってるのかい?ソイツは本当にタチが悪いんだ。憑かせる時間が長ければ長い程除霊しづらくなる。基本料金は一人一万イリ、長い時間憑かせれば憑かせただけ完全に祓う為に何回も来てもらう事になるからその都度一万イリ掛かるのよ。逆に軽症なら一回一万イリ程度でソイツとオサラバ出来るって事さ。俺もお兄ちゃん等もな。このテの手合いは、回数を重ねる事に怨念も深くなる。ミイラ取りがミイラになるじゃねぇが、俺もなるべくなら回数はこなしたく無い。顔覚えられちまうからな。だからこの額でも初期の段階で祓えるならそうしたいって訳よ」
 なるほど。一応安くする理由として納得のいくものではあった。長引かせたくないから一回で済ませたい、その為に手頃な値段にしていると。
「よし、じゃあ除霊してやるよ」
 しかし、尤もらしい事を言ってはいるがこれは詐欺だ。そう思ってしまうからか、男の唱える呪文の様なものはエミールには聞いた事の無い適当な文言に聞こえた。
 彼の隣で言われるがまま目を瞑り、男の呪文に耳を傾けていたシキも同じ気持ちだった。
「どうだ?何かスッキリしたとか気持ち良いとかあるか?」
「うーん…特には分かんないけど……俺は」
「……私も、です……」
「そうか。でも危なかったな!俺に会えて良かったよ兄ちゃん達!だけどな、アフターケアもしなきゃコイツはどうにもならねぇ!俺の念を込めたこの壺を売ってやるから、これもついでに買っといた方が良い。今なら特別に十万イリだ」
「え……!?」
 エミールは思わず声を上げる。目の前にある誰が作ったか分からない粗末な造りの小さな壺が十万イリはいよいよおかしい。
 と言うか、壺十万って明らかに詐欺でよく聞くパターンじゃないか。
「いや、俺達そんな持ってねぇよ」
 エミールより先にシキが拒否の姿勢を見せると、先程まで友好的な顔を見せていた男は一瞬鬼の形相を見せた。
「……持ってねぇ?持ってねぇだと?あぁ!なら今払える分だけ払って後払いも可能にしてやるよ?」
「いや、そもそも俺達こんな壺いらないって」
「『いらない』!?困ったなぁ、兄ちゃん。今兄ちゃん達に憑いてた奴は一時的に剥がしたに過ぎねぇんだよ。そいつを持ってねぇとずっと憑いてまわるんだよなァ……そうなったら兄ちゃん、死んじまうぜ?」
「は?俺死ぬの?」
「そうさ。そのくらい厄介な奴に憑かれちまったんだよ。今後何か悪い事が起きる度に兄ちゃんは後悔する筈さ!俺から壺買わなかった事をな。俺の助言を聞いとけば良かったって絶対思う筈さ。そんな事がこれからたくさん兄ちゃんの身に起きるんだよ!あーあ!きちんと俺の言う事聞いてれば良かったなんて後悔しなくて済む方法をせっかく教えてやってたのにな!これは俺が悪いんじゃねぇ、兄ちゃんが自分から最悪な方向へ向かうんだぜ!?」
 その言葉を聞いてエミールは思わず、過去の自分の嫌な部分を剥き出しにする様に目付きを鋭くする。男はエミールの凄みに何かを感じたのか一瞬言葉を濁して身じろいだ。常套句の様な壺の売り方だと思ったがこれはむしろ呪いだ。この先嫌な事が起こればそれは自分の霊能力を頼らなかったからだなどと言うのは、相手をネガティブに引き摺り込む呪いなのだ。
 マインドコントロールにも近しいそのやり口、これを詐欺と疑わずどう見ろと言うのだ。
「……アンタ……随分と舐めた真似してくれるじゃねぇか……」
 隣で恫喝されているシキを見たエミールはボソリとそう呟く。シキは聞こえなかったのか彼は呆けた顔のままだが、男は今の言葉とエミールの風貌が合わず混乱している様であり、シキに見えない様に男の胸ぐらを掴んだエミールはかつて慣れ親しんだゼロ距離でのメンチ切りの如く自身の方へ男を引き寄せた。
「おい……『買わねぇと祟られるぞ』とは随分な物言いだな……まるでアンタが祟る相手を決めてる様じゃねぇか、えぇ?」
「お、俺は怨霊の代弁してるだけだ!!」
「会話を交わせるのかい?じゃあ何だ?アンタと怨霊はグルって事か?おい、言葉が交わせるならアンタから怨霊とやらに『憑くな』と言って聞かせてくれりゃあ良いじゃねぇかよ。言葉が分かるなら道理も分かるんだろ?その怨霊とやらは」
「そ、それは……」
 男は段々と勢いを小さくしていく。
 シキは急に男に距離を詰めたエミールがよく分からずただそれを眺めていたが、不意に男と目が合うと男は見る見る顔を青くして行った。
 シキを、と言うよりはシキの更に後ろを見つめて。
「ヒィッ!!」
「おっさん?」
「俺は、俺は本当はそんな力ねぇんだ…!ま、まさかあんたら本物連れてくるなんて冗談じゃねぇよ!!」
 エミールはまた男の狂言かと睨むが、どうにも男の慌て様に嘘や演技は無さそうに見える。男が慌てて去って行った後に更にまた別の人間が…ともならないので、少なくともメインで詐欺を働いていたのはあの男かと推測し、念の為こっそりと携帯端末で撮っておいた写真を確認した。
「……シキ君、録画はどうです?」
「うん、ばっちり。ビデオ屋出るタイミングからずっと回してたから」
「そうですか。それでは、軍警に行きましょうかね」
「うん。あ、俺達にビデオ押し付けた最初の男もさ、共犯だったりするのかな?」
「うーん……可能性は否めませんよね……とは言え、実際に詐欺を働いたのは先程の男性です。分かっていて確実な範囲で情報提供をしておきましょう」
 シキとエミールはそのまま軍警に赴き、ありのまま起こった事を全部話した。シキの録画していた映像は音もしっかり残っており、「急を要する」「霊はこの先もお前に悪さをする」等の脅し文句までしっかり顔と共に映っていた為軍警はすぐに捜査に乗り出てくれ、シキとエミールは被害届を提出する事にした。
 そしてこれは更に数日後の話ではあるが、あの時の自称霊能者の男はその後しっかりと証拠も揃えられ無事逮捕されたそうだ、男は自分のした事を詐欺であると認めた。
 しかし、その男によると、最初にシキとエミールにビデオを渡した男は仲間では無いと言う。
 何なら詐欺師の男は、ビデオの噂をそこまで深く知らなかったと言うのだ。たまたまビデオ屋から出て来た世間知らずそうな若者二人をターゲットにしたと言うだけで、その直前に何をしていようが何でも良かったのだと言う。
 最近呪いのビデオなる噂がこの地区で流れていたから、それに乗っかって霊感商法をすれば儲かるのではないかと踏んだらしい。
 蓋を開ければ、劇場型なんてものではなくコソ泥が要らぬ知恵を付けたと言うだけの話だったのだ。

 * * *

「じゃあ、私は一度厨房に寄ってから帰ります。お休みなさいシキ君」
「うん。お休み、エミールさん」
「ふふ、今日はお疲れ様でした。また普通にツーリング行きましょう」
「うん。俺エミールさんの後ろ乗るの好きだ」
 にこやかな会話を交わし、エミールとシキは敷地に入ってすぐ各々別の場所へ向かう。しかしシキは悩んでいた。
 エミールと一緒にいる間は気付けなかった事に男子寮の前まで来て気付いてしまったからだ。
「……嫌だなぁ」
 うっかり口に出してしまった事にハッとする。
 やはりと言うか、どうやらソレ・・の目は確実にシキを見ていた。
「………」
『………』
「……えっと…」
『みえてるんでしょ』

 みえてるんでしょ。
 そう聞かれてシキは必死に意識を逸らそうとしたが、それは無駄だと悟った。
 あの時ビデオに映っていた赤い女。あの女はどう言うわけか今、シキの背後にピッタリとくっ付いている。
「……えっ……と……」
『みえてるんでしょ』
「………」
『みえてるんでしょ』
 壊れたレコードの様に、同じ調子で聞かれる言葉。黙りこくり目線を逸らすが、もうバレている。自分が見えも聞こえもすると言う事が。
『みえてるんでしょ』
 少なくともソレ・・は、接触する事で感染する類の病原菌の様だった。
 ビデオを介して観た男に、観た男が別の人間にビデオを渡そうと接触した時にその人間に。老若男女関係なくそうして転々と色んな人間の間を練り歩いていた。
 今回不運だったのが、自称霊能者の男がビデオを観たであろう人間への接触を繰り返したまたま彼が保有していた状態でシキとエミールと接触した事。そして、エミールよりかは視えるシキをと思ったのか、ソレ・・が二分の一の確率でシキを選んだ事。
『みえてるんでしょ』
 人の声ともつかぬ雑音の様な音でボソボソと一定の間隔でそう呟く。機械的なその声は、幽霊と言うよりは機械人形と評した方が馴染みが良さそうだった。生きた動物の空気感や気配が無く、人の形をしているのに人では無い何かになっている。
 幽霊や怪談話を嫌う人間に機械人形嫌いも多いと言うのはそう言った共通点を見付けてしまうのか、それともそもそもそうした性質のものを人は本能的に嫌うのか。
 シキは機械人形に対しても友好的で嫌悪は無い方だが、この状況は素直に受け止められなかった。
 大きな顔。首から下は栄養不足かと言う程細いのに目も鼻も口も、顔の面積に対して大きく歪。人間と同じパーツを有している筈なのに、大きさのバランスがおかしくてどちらかと言うとカエルの様だ。そんな人間としての造形とはおよそ言い難い姿を直視できずにいると、背後からシキを呼ぶ声が聞こえた。
「あれ?シキ?」
「……ウル…?」
「シキの部屋……階違うでしょ?どうしたの?」
「あ、う……」
 ウル、来ちゃダメだ。そう言いたいのに言葉に出来ない。
 だって視えるのは自分だけ。彼女にとって視えない世界の話を急に出されても困惑するに決まっているし、気味悪く思うに決まっている。
 だけど、下手にコレ・・がウルリッカに狙いを定めてしまったらそれはそれで困る。かくなる上はわざと冷たい態度をとりでもして近付かせない様にした方が良いのか。でもウルリッカにそんな態度はとりたく無い。
 悩んでいる内にウルリッカはシキの元へどんどん近付いて来る。
「シキ」
「ウル……」
「大丈夫?もしかして具合、悪いの?」
 すっと伸ばされた手がぽんとシキの肩に優しく乗せられる。するとその瞬間、歪な化け物の様であったソレ・・は鼓膜を揺さぶる様な雄叫びを上げて火だるまになり、まるで大きな力で引きちぎられる様に霧散した。
「は……?」
「え?」
「ウル…?何したの…?」
「何って。肩に手、置いただけだけど」
 嫌だった?と心配そうに小首を傾げるウルリッカ。その様子からは意思を持って力を発揮しただとかそんな事は一切読み取れず、ただただ無遠慮に距離を詰めてしまったかと心配そうに見つめるいつもの彼女がいるだけだった。
 アレ・・は消えた。あんなにしつこくついて来ていたのに、こんなにも呆気なく。
 昔シキが連んでいた仲間にオカルト好きな男が居た。曰く、どんなに心霊スポットの類に足を踏み込んでも全く何の影響も受けない人間と言うのは存在するらしい。
 本人は特に何かが視えるとか、そう言う力を有しているわけでは無い。ただどう言うわけかそう言う悪意を持った澱んだものを容易く吹き飛ばす程爽やかな風の様な燃え上がる炎の様なものを纏った人間は一定数いるらしい。
「ウル……!!」
「え?何……?」
「ありがとう、ありがとうウル……」
「えー……」
 肩に手を置いただけで感謝されたウルリッカが相当困惑したと言うのは言うまでも無い。

 矢張り、あのビデオに憑いて居たのがその女でウルリッカに触れられた事で懲りたのか、或いは自称霊能力者がお縄を頂戴し廃業した事によるのか、いつのまにかビデオの噂は下火になり一ヶ月もすれば誰も話題に上げなくなった。
 今ではむしろ、本来需要が高かったであろう成人向けの作品が街の住人の話題の中心であり怪談話などひとときの夢の様なものだ。
 ビデオそのものもいつの間にか失くされたのか破棄されたのか、誰も見なくなった今その話をする者は居ない。
 ただ、完全に消えてなくなったわけでは無い。女もビデオも、まだ存在はしている。

「なぁ、コレだよな……岸壁街跡の住人の間で一時期流行ってたビデオって」
「本物…!?本当にコレがそのビデオか!?」
「ち、ちょっとさ、観てみようぜ。噂じゃここに映る女が観終わった後に現れるって言うんだよ」
『……』
「ん?今何か言った?」
「言ってないけど?何?ビビってんの?」
「まさか!オカルト大好きだし!寧ろ何か起きないか楽しみだって!本当、期待外れにならなきゃ良いけど!」




 求める者が、この女を追い求める限り。




『ねぇ、みえてるんでしょ』